2014年 12月 20日

再現できなかった実験ーわたくしの場合

もう45年近くも昔、スイスのジュネーブ大学で研究をしていたまだ20代のわたくしに、実験の再現が出来なくなったことがありました。非常に残念で、今でもかなり強く記憶に残っています。
当時わたくしは電子顕微鏡を使って細菌ウイルスの一種T4がつくる構造体の観察をしていました。突然変異体を用いたので、正常なウイルス構造のかわりに長い筒状の構造がよく見えました。ウイルスDNAは入っていないので前駆体のようなものというのが関係研究者のあいだでの理解でした。わたくしは、当時としては斬新な画像解析方法光濾過法を使って、この構造体の詳細に観察する実験をやっていました。
ある時、その筒状構造を含む試験管液を一晩放置して次の日に観察したら筒状の表面に見える格子の模様ががらっと変わっていました。顕微鏡の視野で観察していても歴然と違って見えるのでこれは面白いと思いました。ほとんどの筒状構造がそのようになっていました。
それで沢山の顕微鏡写真を撮ったものです。いつも見えている格子模様をラフと呼んで試験管内でしばしおいてあった時に見えた模様をスムースとよんだものです。
格子の単位が約20%長くなっていてそのおかげで別なタンパク質と思われるものが格子中に加わっているものが小数ながらありました。
わたくしは興奮しました。成熟したウイルスの頭部はスムースの格子に模様によく似ているので、これだ、これこれ、前駆構造が成熟構造になるのを試験管で再現出来たのでは無いかと考えたのです。
最初の数日は頻度が変化こそすれこのスムースな構造は再現出来ました。ラフよりスムースのほうがずっと丈夫で安定なようだったでこれも成熟ウイルスとにていました。
ところが一週間ぐらい経ってから、組織的に実験条件を検討したら、突然というかまったく再現出来なくなりました。まだ若かったものですからこれという対策もなく、しゃかりきにパラメーターを変える実験を繰り返したのですが、やればやるほど駄目でした。非常にがっかりしたものです。理由はわからずじまいでした。
他のプロジェクトを進行させてこの実験は数ヶ月であきらめたものです。試験管内反応実験で最初に味わった挫折でした。
何年かして、この筒状構造体に一部含まれるタンパク質がタンパク質の分解酵素で、その分解酵素によって模様が変わるということがわかってきました。この分解酵素が活性化させるのが難しかったようです。6,7年経ってから筒状構造でなく、ジャイアントウイルスなるものを使うことに京都大学に移ってから成功して成熟反応の一部については詳細な研究ができようになりました。それは誰もがすぐできる再現性の極めて容易な実験でしたので大変喜んだものです。
しかしその初期のラフな筒状構造からのスムースへの試験管内での変換反応は自分の手では再現出来ませんでした。文献をその後追っていないので、ハッキリしたことがわかりません。だれかがある程度成功したとか、しかしそれも誰も再現出来てないとか、そんなことを70年代に聞きましたが分野自体が静かになってしまって、今の状況はわかりません。
何十回もうまくいかない実験は若かったわたくしにはなかなかの失敗感覚が残ったものですが、逆にその実験をやめて方向転換すればすぐ別な問題に夢中になれたものです。
染色体の分離に必須と言われるセパレースと呼ばれるタンパク分解酵素の試験管内の反応も大変難しいようです。タンパク質を純粋にして活性を検出するのが極めて困難なのです。ところが生物種によっては比較的容易ともいわれます。わたくしも一時ラボで試みましたがわれわれの愛用する分裂酵母では実現が難しいようです。タンパク分解酵素はピンキリですがいろんな意味で厄介なものです。

理研のSTAP検証実験の結果についての報告が昨日ありました。小保方氏も丹羽氏も否定的な結論でした。小保方氏は最後まで出来るといっていたのは事実ですが、NHKニュースは随分彼女に対して酷な記者会見画像をこれでもかこれでもかと出していました。彼女の作ったものは万能細胞と言えるようなしろものでは無かったということです。一部緑色には弱く光るようですが。STAP細胞もこれで一段落でしょう。
わたくしも朝日新聞にコメントを求められました。否定面よりは肯定面を言いたかったです。検証実験もわたくしは非常に意義があったと考えています。特別扱いされた研究、検証という特別実験も必要でしょう。われわれの研究はほとんど国費、つまり国民の税金で行われているのですから、わたくしにはこの検証実験は国民にたいしての説明責任でもあったと思います。研究者は研究は密室で行われているので、密室の正義を振りかざす傾向があるのでは。

これで神戸の理研もぜひ一歩前に進んで欲しい。報道も全体としてこの長丁場とてもよくやったとおもっています。日本人の生命科学への理解や関心は増したし、また表だけからだけではみえない裏につながるものもわかったでしょう。飽きずにいろいろな角度からの報道を希望したいです。

またこのような状況でも、それでもなおかつ生命科学研究の世界で一旗揚げたいと希望する若者がぜひいて欲しいとおもいます。

後日談ですが、結局どこにも再現失敗の実験は報告できずででした。しかし撮った何百という電子顕微鏡の写真の濾過像はあまりに美しく見事で、筒状構造の一つとして生理的意義も何も記述せずにこのようなスムースな構造を観察できることもあると論文の中でごく短い記述をしたものです。
でもこの不完全燃焼感は後の研究の原動力にもなったような気がします。あのような興奮をもう一度味わいたいという気持ちが研究に自分を駆り立てたものなのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-20 08:07
2014年 12月 15日

わたくしが受けた初等教育

最近何度かわたくしは自分の受けた初等教育(つまり小学校の6年間)が優れたものであることに気がついたことがありました。
戦後史の一つの小さな証言として以下に書いておきたいとおもいます。
どこが優れているか、まず愚かなイデオロギーや過度のしつけや行動の束縛がありませんでした。母親が学校参観にきて活力はあるがあまりの無秩序さにあきれて先生が悪いのか子供が悪いのかどう考えたらいいものやら困っているように見えたものです。
戦争が終わってまだ2年か3年国全体が貧困かつ前途の困難さに足がすくんでいた時代でしょう。
一見無秩序にみえて実際にはそうでもなく、わたくしは国語も、算数も理科も、社会もそして図画工作や体育も力一杯めいっぱい学んだような気がします。
たとえば小学校6年で実社会で働いたとしても使い物になるようなそういう教育も残っていたような気がします。つまり役に立つ(尋常)小学校教育です。
一方で米国占領下でもあり(しかたなく)IQテストとか職業適性検査などもありました。意味もわからず自分は肉体労働でも頭脳労働でもどちらも優れている判定され誇りに思った記憶があります。
クラスは50人を越えているわけですから雑然としているのはとうぜんでした。
そこで99の暗算やそろばんのスピードを競えばトップからビリまで相当な落差があるのはあたりまえです。
でもそれでも教師も生徒も差は差、でもだからどうということはない、という程度の認識でした。東京のはずれ練馬区の畑はトイレのにおいがするようなところでの教育でしたから。
でもそこでわたくしは大人になるのに最低限必要な教育をしっかり学んだものです。度量衡が尺貫法からメートル法に変わる時期ですっかり変換を暗記したわたくしは親から見ても大変役に立つ子供だったとおもいます。
すべてがアナログの機械の時代ですから少年にとってはいくらでも頭脳を使う対象はあり、自分でいうのもなんですが、小学校を卒業した自分はもう社会でも十分働けると思ったものです。
学力的にもいまから見てもどこの国のトップクラスの小学生にも語学以外はひけを取らなかったはずです。
いまから思うと、何か特別な教育があったのか?
何もなかったのだとおもいます。
男性教師の多くは戦地帰りでしたが戦争の話などを聞いたことはなかったし、しゃべっているのも聞いたことはありません。唯一コッペ先生というあだ名の先生が昼の給食前にコッペパンを食べているのを目撃されていてなにか戦争体験と関係があるらしいと聞いた記憶があります。
愛国教育などはされたつもりはまったくありませんが、でもやはり意識下においてされたのだと思います。
敗戦国の未来はこの子たちにすべてかかっていると信じたであろう先生方の気持ちがいつのまにかどこかで伝播したのでしょう。
米国に対して恨みも憎しみも一切植え付けられませんでしたが、でもあこがれも羨望もなかったのは事実です。こういう敗戦後のおとなが虚脱していた時期に、ほったらかされていたようなわれわれはやはり親とその一つ上の世代を見たり影響を受けて育ったのでしょう。
わたくしもいまでも暗算が自分で驚くほど速いのはその頃の教育のおかげなのは間違いありません。
それだから昔の教育が良かったと言っているのではありません。

自然体の全人教育を公立の小学校で6年間、受けたということ、内容的にいまの教育にまったく劣らないと思われるということです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-15 14:56
2014年 12月 01日

ダメよー、ダメダメ

わたくしはこれしかない、駄目よー駄目、駄目。
これこそ、がことしの流行語大賞になるはず、なるべきと妻に力説しました。
残念ながら発表前にそう書かなかったので後出しとなってしまいました。
でもまあ当然ながら良かったです。なにがか?いや、圧倒的にオリジナルで、かついまの世相に合っていました。

この日本エレキテル連合ですか、変な二人ですが。
このあいだのテレビ番組でいくつか謎がとけました。
白塗りの女性が努力家で不器用らしい、ひげとかしわとかを顔中に塗りたくっている方がコントなどをいくらでもかける才女。しかし、この白塗り顔はそう簡単に作れるものでなく、印刷感が必要つまり極めて平板でないといけないのだそうで。
ことしの2月くらいまでは極貧だったそうです。志村けんを崇拝しているのだそうで。
人気はいつまでも続くかどうかわかりませんが、まちがいなく日本の生み出す笑いのどこか「核」になれる人達です。初心忘れるべからずです。

それでわかったのですが、駄目とは囲碁用語だとか。それは知りませんでした。
囲碁ではもちろん駄目を詰めると言って、アホなことのいの一番ですが、でもそうか囲碁としての使用が初出とは知りませんでした。
駄目よダメダメーとは、無駄よ、無駄無駄とか意味ない意味ない意味ないとかで、否定性は強くありますが、対立とか攻撃性は全然無いのですね。
でもテレビでは若い女性に中年の男性が声をかけて誘ったときの対応の言葉が主流の解釈なのだそうです。ご本人達はいろんな状況で使っていただいて、ありがとうございましたと、言ってます。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-01 23:17
2014年 11月 24日

消える定年

雑誌Wedgeの12月号の表紙を見たら、消える定年との大きな文字があって、その下に遠のく隠居、迫られる生涯現役とありました。
迫り来るでなく迫られるとしたニュアンスは記事を読まなくてはわかりません。
いまは忙しいので読む時間が無く後で見て感想を書きたいのですが。
ただこういうメッセージはわたくしが長年当然と思っていることです。
開業医師の多くや農業に従事するひとたち、絵画や工芸など生涯現役の職業は案外多いものです。
そういう人達には当然な意識でしょうか。
そもそも年金を何十年ももらえるというのは運が非常にいい人達でしょう。隠居の期間も昔はだいたい5年、たかだか10年というところでしょうか。
女性の場合には家事という職業を延々続けるとかんがえると生涯現役なんて当たり前、何をいうのか、という感覚では無いでしょうか。
ここでも日本の女性の社会に果たしている役割の「無視」のようなものを感じます。
わたくしの場合50代の頃から自分はどうするのだという、問いがずっと続いていました。
いますこしずつ答えが出だしています。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-24 12:49
2014年 11月 13日

グローバリズムという病

仙台のホテルの隣が本屋だったので中に入って目にとまった「グローバリズムという病」というタイトルの本を購入しました。平川克美というかたが著者です。
まだ途中までですが、なかなか鮮やかに主張が述べられており、啓発されます。
基本的には述べられている主張に同感です。
ただわたくしなどはグローバリズムを漠然と考えていたのに著者は深く考えてきちんと主張をのべていますので、それで鮮やかと言う表現を使いました。
読む人によっては印象も違うと思いますので、うかつに要旨を書きません。
読む人の数が増えることに意義があるとおもいます。
そして、周囲のひとと話し合うことがいまの日本、意義があるのではとおもいます。

グローバリズムを病と表現することからも、著者の考えは批判的なものであり、さらに日本人に対する強いの警告の書とも言えるようです。
とりあえず最後まで読んでみます。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-13 17:40
2014年 11月 02日

気忙しい11月

きょうは日曜日。
妻の車で京都に出て、研究室のN夫妻の結婚披露宴に出席しました。
木屋町の二条下がるにある結婚式場で、昔はここはなんだっけと思っても答えがでません。
沖縄からも大勢来ていました。
それにN君の故郷長野県と奥さんのJさんが育った岐阜県から親族の人々が多数こられて、なごやかでした。
友人と家庭が中心の披露宴もなかなかいいものでした。
わたくしは二人がどういういきさつでしりあったのかまったく知らなかったので、そのあたりがわかってなるほど、と一番の興味ある点で納得できました。

披露宴の準備が大変だったろうな、こんな緻密に計画通りに進行するための前準備の大変そうなことはつよく印象づけられました。
たしかに今年でた結婚披露宴はどれも準備万端整っていて、どんどん時間がたっていきました。
昔といっても大昔ですが、手作り感が全面にでてきましたが、ああいうのはもう無いんだろうなと思った次第。
披露宴が終わってから、着替えて京都駅まで送ってもらって、関西空港まできました。
夜の便で台北にいきます。中国科学院の分子生物学研究所のシンポジウムとリトリートいうのか評価もかねた会に招待されていきます。

海外からの招待講演の中にはよく知っている人もいます。聞くのが楽しみ。
それで明日は講演しないといけません。いちおう準備はしてあったのできょうの披露宴でもあまり気にせずにアルコールは飲んでしまいました。
台北の後は那覇直行便で戻ります。

ともあれ11月は気忙しいです。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-02 17:48
2014年 10月 26日

最近感じている研究生活感の変化

沖縄でフルに研究を開始してもう3年以上たちますが、この2年くらいはやたらに忙しくてちょっと参り気味でした。
ほとんど研究にのみとられる時間なので不満をいってるのでなくただただ忙しいそういうことで研究以外のことに使える時間は睡眠、食事それにちょっとした息抜きの時間でした。
研究に忙しいという意味のひとつは新しい研究テーマが複数ありますので「学ぶ時間」、得た知識を「身につける時間」が半端でなく膨大なのです。
新しい知識を学んでも学んでも次々に次の問題を解くために必要な知識摂取の必要性が出てくるので寝る時間が文字通り惜しい日々が続いてきました。
恐ろしいのは学んでも知識を吸収してもすぐ忘れてしまうことが多いのです。なかなかつらいものです。しかし加齢により賢明になっている面もあるので最低限の自己流の対応はしています。

それともう一つの時間がまったなしで忙しくなったのはラボメンバーの博士の学位の取得の問題でして、研究室の中のことなので詳しくは書きませんが、そういうことにとられる時間はデッドラインつまり締め切りがありますので長年この稼業をやっていますが、ひとりひとりにかける時間は今も昔もかわりません。
本人が骨身を削ってやっているのですから、こちらもある意味それに合わせてやってと、そういうことになります。

気持ち的には、この「勉学の忙しさ」は大学院生時代に戻ったような気がします。
教授になった頃、新しい研究を始めて研究グループの運営とアウトプット(成果)を世に問うことで躍起となり、研究発展のためには絶え間なく新知識の吸収と体得に躍起となっていた40才くらいの頃も忙しかったのですが、それとちょっと似ています。こんな年齢になってそんな体験をまたもう一度日々味わうとは夢にも思いませんでした。

こんなことをきょうは書いてきたのも、ここのところ本当にたいへんでしたが、なんかやっと先の目途がたってきたような気がします。そんな気がこの1週間くらい感じだしてきました。
研究のほうはホントに区切りなどつくことがあり得ないし、成果をあげる大変さはまったく軽減してないのですが、なんかほのかに東の空に明るい光のようなきざしが見えだしてきたような気がします。
これが本当に夜明けのきざしなら嬉しいのですが、どうでしょう。
たぶんやっと研究プロジェクトに慣れてきたのでしょう。また、この沖縄の研究環境でなんとか新しいものを生み出すことができそうな気がしてきたのでしょう。
こういうのはあくまでも感覚なので証拠を出せといわれた雲散霧消するようになります。
しかしかつてはそういう感覚をもちだすと2,3年でかつては真の成果がうまれたものですが。
しかし実績的には、60才を超してからは予想の1.5倍か2倍くらい時間がかかっているので、5年くらいかかるのかも。
そもそもそんな時間が自分にあるのかどうかそのあたりも自問しながらやっていかねばなりません。
とはいえ、まだしばらくはこのあまり人間的でない忙しさは続くのでしょうが、大変さの峠は越したな、すこし余裕をもって周りを見出せるかな、と思い出しています。
ありがたいことです。
しかし、余裕のまえにわたくしは11月に入ってからの1ヶ月半はかつての阪神タイガースにあった死のロードというのに似たようなスケジュールが続きますので、せいぜい気をつけます。

ところで京大生がプロの投手になるとか。ロッテの、ドラフト2位とか。すごいです。
田中君ですか。工業化学、難しい卒論テーマもやっているようで。
昨夜、インタビューを見ました。しっかり青年、ひとことひとことが感じいいですね。
京大出身初のプロ、頑張れとテレビの画面に向かって思いました。
見てるうちに、なんか熱い気持ちになってきました。
そういう気持ちにさせる青年です。
本当に実績をだすためにも一流プロの体作りに励んで欲しいです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-26 09:53
2014年 10月 15日

台風の後

台風が去って穏やかな日がもどりました。
きょうあたりまだ海の波は高いですが陸のほうは太陽がもどってさわやかな秋日となりました。

でもどこの家の庭も被害がありありと残ります。
わたくしの家の玄関のブーゲンビリアの花はほぼ全滅。
楽しんでいた、アセロラの綺麗な花も実もほとんど落ちてしまいました。実は50個近くも。残念。
実のうちいくつかは真っ赤になったので口に入れましたが、甘酸っぱくおいしかったです。
こんなに落ちてしまうと来年は駄目のようです。
デイゴの木のてっぺんに沢山花芽がありましたが見ると黒っぽくなってもう花にならないような気がします。大半の葉も落ちてしまいました。
それに、多くの木の葉は飛び去ってでしまったかで裸の枝ばかりになっています。
バナナの葉もほとんど枯れたみたいになって。

こういう経験をすると沖縄の人々の忍耐心の強さと未来にたいするポジティブな気持ちが理解出来るような気になります。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-15 14:13
2014年 10月 07日

赤崎先生とおふたりノーベル物理学賞

赤崎先生、きょう発表のあったノーベル物理学賞受賞されました。
お会いしたことあります。
一目で好きになりました。まさに理想の学者そのもの。
京大の理学部出身と聞いてさもありなんと。
さらにへび年と聞いて、ますます親近感が。
80才すぎても学生さん沢山いて昨年は論文を沢山発表したとおっしゃられていました。
ことしは物理学賞三人とも日本人。
益川先生のときも日本人三人、さすがは物理分野われわれの世界とは段違いと思わざるをえません。
そのうちのお一人は赤崎先生のお弟子さんとのことです。
もう一人がLED実用化に成功した中村さんと、日本人としてはほんとうに誇らしいかた達でだれもが嬉しくなるような結果でした。
実のお兄さんが毎年の取材で本当に大変だったと述懐していました。
候補者になると、しかたないのでしょうかね。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-07 22:25
2014年 10月 07日

憲法九条がノーベル平和賞になったなら困るし欺瞞になります

今朝の新聞をみたら日本国憲法9条がノーベル平和賞の候補になってリストのトップであると民間機関がいっていることを大々的に報道しています。
ひとことでうんざりですが、文句を言っておきたい。もちろんこういう記事を大々的に仕組んでなおかつ批判意見も最後にちょろっと載せる狡猾な報道態度に。

まず日本では平和賞をもらったのは、故佐藤栄作首相です。沖縄返還への努力に対するものと理解しています。当時のマスコミは完全な無視を決め込んだのではないでしょうか。いまからおもえば祝賀すべきであったマスコミいまはどうおもっているのでしょう。
そういえばオバマ大統領ももらいましたね。これ以上いいたくありませんが、どんな意味があったのでしょう。
ともあれ、そんなことは絶対にないと信じていますが、もしも憲法9条がノーベル平和賞になったら、ある意味日本に対する重大な内政干渉でしょう。とんでもないことです。

現状は、自衛隊の軍事力もあり、左翼はながらく違憲状態といっていたのですから、それをひっくり返そうというのでしょうか
それにどういう意味で賞をだすのか不可解きわまりないことになりませんか。
ありえないし、日本国民の過半数が現在の安倍政権を支持しているのですから、平和賞委員会がいったい日本国家に対して、何を仕掛け、目指すのかまったく???です。自衛隊もつぶせといういのか?

日本はそれでも世界に冠たる平和国家だし、おとなりの居丈高の国家にくらべればなんとも平和国家ですが、それは9条のおかげと考えるのはなにかの大間違い、勘違いでしょう。

ともあれこういう事大主義的なノーベル賞に寄りかかってその権威(あるとして)を使っていいたいことをいう。何百万の発行部数を誇る大マスコミがこんなことをしてていいのか。本当に節度があって欲しい。

ついでにいえば、今年のノーベル賞、予想屋が沢山出てきて、わいわいやっていますが、恥をしれ、といいたいです。もういい加減にこういうレベルの低い報道はやめて欲しい。ほとんどの読者はなんやら知らんが偉い人達らしい。何をやったのか、国家の誇りになるような偉いことをしたのでしょうね、こんな感じ。節度がなければ日本は日本でなくなってしまいます。
ひと言でいって、事大主義は一番恥ずかしい。どっかの国にすごく似ていますよ。




# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-07 10:55
2014年 09月 22日

田矢さんのおかげ

昨日東京の学士会館であった田矢さんを偲ぶ会にいってきました。
参加者のみなさん、それぞれが田矢さんと違った形でおつきあいしてきた様子がありありとわかりました。
かれは大学の教授にもならずで、極めて著名な研究者になっていても所属機関では机一つという状況だったわけですから、教授の大物の死を悼む会などとはまったく次元がことなり、ぜんぜん雰囲気のことなるものでありました。でも、とてもよかった。
みんな田矢さんとのお酒の席でのつきあいを楽しそうに懐かしそうにそして感慨深く語ってくれました。

わたくしも心の整理がやっとついたみたいで、田矢さんがもうあの世に行ってしまったという事実を受け入れることが出来るようになりました。
会が終わって、HFさんとしばらくお茶を飲んで頭のこりをほぐしてから帰路につきました。

多くの若い研究者(わたくしより)たちが田矢さんのおかげという言葉をつかいました。田矢さんがいかに親切であったか、またおしげもなく好意をしめして便宜を図ったようなエピソードがたくさんありました。
田矢さんは、非常に心優しく親切な人だったのだということがよくよくわかりました。
何でこういう人が組織の長にならないのか。
でもそれが日本という国柄だし、田矢さんの魅力もそういうものにならなかったからこそつきあった人々の心に永遠に存在し続るのでしょう。

わたくしも聞いているうちに、そうだわたくしも田矢さんのおかげを甚大に受けているのではないかということに、はたと、気がつきました。
というのもこの偲ぶ会に着ていてばったり会った、KHさんは、いまわたくしの沖縄での主たるテーマになりつつある人血液のメタボローム解析研究の緊密な共同研究者です。
そもそもKHさんがわたくしのラボにきたのは(もうはるか昔ですが)、田矢さんの強い勧めがあったと聞きました。
KHさんは臨床医師でしたが勇敢にも分裂酵母の成長に必須な遺伝子の研究で学位をとりました。臨床医師の大学院生があのような基礎的な学位論文の研究をするのはかなり異端でしたでしょうが、寛容にもかれにそのような研究をさせてくれた指導教授であったK先生にも甚大にお世話になりました。いろんな人ひとの好意の上にわたくしの今の研究があることを痛感します。
KHさんはかなり長期に英国で癌研究のポスドクをしたのでした。
KHさんはいまも医師と研究者の二足のわらじをはいていますが、わたくしにとってKHさんの存在はいまのわたくしの研究に不可欠な役割を果たしてくれています。
もちろんKHさんにも感謝しなければいけませんが、そもそもの発端を作ってくれた(たぶんどこかの酒席で)田矢さんにも心からの感謝の気持ちを持たねばなりません。
ありがとう、田矢さん。
わたくしもまさに田矢さんのおかげでいまを生きているのでした。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-22 12:13
2014年 09月 16日

田矢洋一さんの死去

田矢さんが亡くなってもう5ヶ月近くになります。
田矢さんが亡くなったということを教えていただいたのが5月末でした。
非常に驚いて、そして心の整理がつきかねてその事実をどこにも書けませんでした。
まだ生きている、と心のどこかで思いたかったのでしょうか。
田矢さんと話したいろいろなことは、まだけりがついてないし、まだまだ話し続けていたかったし、そうあるべきだったのです。でも彼はとつぜん逝ってしまったのでした。
わたくしにとって、あまりにも「未完」の部分が大きすぎる田矢さんとの死による別れ、どうにも受け止めにくかったのでした。
しかし今月、もう数日後には東京で田矢さんをしのぶ会が開催されます。
とうとう何かを書いて心の整理をつけたいと思うようになりました。

それで一体何を書くのか。田矢さん、ごめん、すみません、ちゃんと話を続けなくてと彼にまず謝りたいのか。
彼との会話は最後の数回はすぐ押し問答みたいになって。
お酒をやめるかごくごく少量にするべきといえば、彼はそうしていると返事をして、本当ですかそんなことないでしょう、この間もとか、そんな風になってしまって。
でもいちばん彼に謝らなければいけないのは、彼の業績の立派さをもっと賞賛すべきだった、かれに直接それを言うべきだった、という風に感じます。もう会うことがないのならもっと彼のp53やRBの研究の立派さを賞賛すべきだった。
なぜそれが出来なかったのか。心のどこかにいつでも出来るという気持ちがあったのか。
それを言わないうちに彼がこの世を去ってしまったのは、わたくしにとって大きな誤算でした。
申し訳ない。彼の自負心に見合う言葉を伝えるべきだった。

長年の友人としてのつきあいを考えたら、痛恨の極みが心残りの筆頭が、このようなみかけごく世俗的なことになろうとは。
田矢さんの魂は少年のように純粋で、そして非常にシャイで本当の気持ちをいうことが出来なかったのにちがいない。かれは誰ともそのような純な関係しかつくらなかったのでしょうか。

ひと言でいえば、田矢さん一代の快男児だった。
浪花の男の気っ風の良さと頭の明晰さ、ほれぼれするような男でした。
おりおりにやらかす彼らしい失敗がかれの愛嬌でもあり、だれにも好かれる資質でした。
こよなく愛した酒、それにより早すぎる死がやってきてしまった。
しかし、やはり大往生とおもうのが、一番でしょう。
そういえば彼はにやりと笑って、また今度はあそこに飲みにいきましょうよと言うでしょう。

彼とのつきあいは未完なので、また会わなくてはと思いながら、わたくしも自分の一生を終えるような気がします。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-16 14:38
2014年 09月 13日

気なること、ふたつ

朝日新聞の社長さんが記者会見を開いて、原発の故吉田所長の証言記事について誤った内容であり、謝罪をしました。
もうひとつ国際的にははるかに重要な従軍慰安婦についての吉田証言の訂正報道時に謝罪をしなかったこと、また池上明氏の朝日批判コラム記事をしばらく掲載しなかった件も謝罪をしました。この件、3、4日で謝罪をすると予想しましたが一週間かかりました。
朝日新聞、かなりよろめいています。しっかりして欲しい。
この間、いろいろ気になることがありました。

社長さん、読者の皆さんや池上氏に謝罪するとありましたが。新聞の購読者以外の人々はどうなるのか。新聞は公器、朝日新聞は日本を代表するある意味国民にとっての「官報」みたいな権威ある新聞でそれが大きな過ちの記事をだしたのであれば、謝罪をする相手は新聞の購読者だけではないでしょう。日本国民だと思います。特に従軍慰安婦記事は多大な国際的効果もあり、日本国民に迷惑をかけたという視点がないのは相当な驚きでした。。

他にも色々あるのですが、時間がないのでもう一つだけ取り上げると、従軍慰安婦問題あまりにも朝日(のみならず他の新聞なども)は安易に取り上げすぎたのではないか?

慰安婦はいまの時代、外国では性奴隷ということばで表現されています。
日本だけが慰安婦などと言うのんびりした表現で報道されていますが、日本だけです。軍隊における性奴隷といわないと外国人とはコミュニケート出来ません。文句を言っても駄目です。そうなのだから。
そのうえで、朝日や毎日や読売の記者達は、慰安婦問題どう思いますかのかわりに、旧日本軍の性奴隷をどうおもいますか?と日本人や外国人にインタビューして意見や感想をえようとするのであれば、後者の場合相当に気をつけてかつ気合いを入れて聞くでしょう。そもそも、質問の意欲は相当さがるのではないか。
国内的ななあなあの雰囲気の報道と異なって、日本軍の性奴隷と自ら定義して取材をすれば、記事が日本国の名誉に関わるものになることは自明でしょう。
こういうたぐいのことがいまの日本とても多いのが気になります。
わたくしも基本、英語の大学の勤務者なので日本語でいったり書いたりしたことが英語に翻訳されても別に困らないというつもりで生きています。
慰安婦、出来るだけ早く禁止語にしてほしいです。すべて性奴隷に置き換えての言論にすべきです。そうすれば多くの人達が心配する亡国的もしくは著しく国家として不名誉な報道での記事作りは自然に減ってくると思うのです。




# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-13 20:10
2014年 09月 09日

森さん、おめでとうございます。(訂正版)

京大の森和俊教授がラスカー賞を授与されました。
さっそくお祝いのメールを書きました。
返事にとても嬉しいとありました。

森さんは京大の薬学部出身で山科郁男先生や川嵜敏祐先生の元で糖タンパク質の研究から研究をスタートしました。
一時は民間会社にもいたことがあり、人柄は実社会にでたこともあり、たいへん親しみ深く、意見もとても明解にして率直で、森さんのこと昔から大好きでした。
米国に留学し日本に戻ろうとしたとき、ウイルス研を定年退職された由良隆先生が始められたHSP研究所に参加し、小胞体ストレス応答の研究を続けることが出来たということです。
その後新設の生命科学研究科で助教授次に理学部の教授に昇任されました。

実はわたくしの娘が剣道部に入ったときの指導者なのだそうで、森さんに娘さんを教えましたと言われてどうも彼の前ではわたくしもややおとなしくなっていました。

研究のすばらしさは年を経るにしたがって理解されてきて、わたくしもその一人ですが、とうとうPeter Walterとともにラスカー賞にたどり着きました。
まだたいへん若い森先生、やる気いっぱいのようなのでこれからも研究の発展たいへん楽しみにしています。
森さんはなんでも一家言があるひとなので、社会的な発言などもぜひしてもらいたいものです。



# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-09 22:19
2014年 09月 04日

朝日新聞の謝罪はあるのか、ないのか

いま池上明氏の一度掲載拒否された原稿が紙上に掲載されたので、それを読みました。比較的短いコラム記事です。

これを掲載拒否したのは朝日の長い歴史であからさまにでた大きな汚点の一つだと思いました。
この穏当な批判記事、なんで掲載拒否するのでしょう。人気コラムでしょうに。
過ちを改めるのはばかることなかれ、まさにその通りです。

池上氏は従軍慰安婦記事について、これまでの経過について、朝日が満天下に謝罪することを要求しています。
氏は謝罪するだろうと予想して、今回のコラム記事の掲載に同意したのでしょう。
しかしコラム記事の最後、朝日の対応はまったく寝ぼけたようなことしか書いてありません。
今回のことで読者に迷惑をかけたと謝っています。
まず、池上氏に心から謝罪し、経過をもっときちんと報道すべきです。
内容的には厳しくとも、あくまでも池上氏らしく、温和な書き方の批判に対して掲載拒否というとんでもないエラーをしてしまったことを心から謝罪すべきでしょう。これじゃ友人もいなくなりますよ。
そのうえで従軍慰安婦記事の経過について社のトップが肉声での謝罪会見をするのがベストでしょう。
さていったい朝日はどうするのでしょうか。
数日以内にトップがでてきて決着をつけないとたいへんまずいでしょう。

思うことは、池上氏は現代の日本でもっとも硬派かつ良心的な報道人だということです。
かれは個人として非常に尊敬される、今回の出来事で報道者としての格がまた一段と上がったとおもうのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-04 13:35
2014年 09月 04日

パリの印象、朝日と池上氏の従軍慰安婦検証問題

短時日ですがパリにいて空気を吸いました。いまもかわらない首都の大きさと忙しさ、そして人々の多さを感じます。地下鉄ではフランス語と日本語でスリがいるから危ない、とのアナウンス。日本人の被害者が多いのでしょう。今回は町にでて飲食をする以外は観光ゼロです。
でもなによりも感じるのは食事などの物価の高さです。日本の円安とも関係が深い現象でしょうが、お昼ご飯を沖縄では500円コイン以下ですましている人間には、パリで過ごすのは大変なちがいです、レート的には東京よりも数倍食事代は高いなと思いました。
いつものことですが、町並みには工夫があってフランスらしいとは今回も思いました。
いろいろな事情で都市計画のうまくいっていない沖縄からくると、都市計画の重要性を痛感します。
学会のほうは勉強がてらにきたのですが、研究者の人々の雰囲気を感じる、これは会場に来ないと実感できないのです。広大な会場なのにほとんど知っている人たちがいない体験はわたくしだけではなく多くの参加者の実感ではないでしょうか。EMBOとFEBSが共同でやる会ですがある意味人々の相互作用は薄まってしまいますから。人気セッションはやはりepigeneticsですか。今のご時世、だれもが一家言を持てるような分野ですから。

池上明氏の朝日新聞への原稿を掲載拒否したのが急転直下出ることになったようです。朝日の内部からは聞こえてきませんが相当にぐらついている印象を与えます。池上氏がここまであからさまに事情を言わなかったら、あたかもなにもなかったかのように新聞社は振る舞いたかったのかもしれません。

従軍慰安婦(どう英訳したのかcomfort womanかsex slave)の検証記事、こちらも朝日は相当ぐらついていたので、謝罪もなにもしなかったのでしょうか。
社としてこの点、決められなかったのでしょうか。
いまのNHKのトップのかたは記者会見でも随分叩かれましたが、いま朝日のトップが出てきて記者会見したらすごい記者会見になって収拾がつかないようなものになるような予感がします。
朝日が駄目というのでなくて、朝日はいまやどう動こうにもかなりの摩擦がおきる問題を抱えてしまっています。
社内での意見統一など出来るはずがないのに、あたかも出来るように振る舞っているのだと思います。
意見の多様性を大いに認めつつも、世間が納得というか理解のできる発言を社の責任ある人々が肉声で公にいわないと後に問題を残すだけのような気がします。新聞はやはり公器ですから、肉声での発言が最終的にもっとも大事でしょう。そのためにテレビがあるのでしょう。
最近とみに肉声のもつ情報伝達量に感服することが多いです。当然なのですが、忘れがちです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-04 13:13
2014年 08月 28日

危険なヨーロッパ

明日からフランスへの旅行週となります。ことしはスイス、英国、それにフランスと欧州への旅行ばかりで英国もふくめた欧州のことを考えることが多かったでした。
感慨としてはEUができたときにこれでヨーロッパはより平和な方向にむかうなどと安易にかんがえていたものでしたがどうもそれは完全な誤りだったと言わざるをえません。
なぜか世界での深刻な争乱、戦争などは欧州がらみが多いのです。ウクライナは内乱というか熱い戦争状態といっても過言でないでしょう。ロシアが仕掛けたという意見もあるのでしょうが、世界の歴史を冷静にみればロシアを攻めて沢山のロシア人を死なせたのはヨーロッパのナポレオンやヒトラーでした。もちろんロシアが東欧国家に多大な災厄をもたらしたことも事実ですが。
イスラエルはヨーロッパの一部でしょうか、それともアジアか。まさに境界にある国ですが、だからこそというかパレスチナとの争いはやはり欧州とこの場合はアラブとの境界でおきている訳です。このあいだ、米国人を殺害したイスラム国の戦士はきついロンドンなまりの英国人のようです。アラブのジハード戦士には欧州出身者が増えていると聞きます。
ヨーロッパはある意味世界でもっとも成熟した国家群のあつまりなのに、いま地球上でおきている熱い戦争状態の地域はその内部か境界が多い訳です。つまりグローバル化がもっとも(平和的に)進んだはずの地域が戦争に関してはもっとも危険な地域なっているのです。
どうしてそうなのか、宗教の対立はもちろんでしょうが、それよりもグローバル化がいやがおうもなく進行した結果、文化や経済の違いを背景にした人々の争いはのっぴきならないものになりつつあるようにも見えます。
人々が戦争をしなくなるのはあまりにも沢山の人々が死んだからだ、とはよく欧州の人たちから聞く言葉です。その点、アジアではまだまだ戦争が起きるとは彼らの予言だったのですが、2014年という遙かに進んだ時代になってもヨーロッパが戦乱の源になっているというのは本当に驚きです。
いまのEUはあまりにも問題が多くて、本来なら人道的にただちに取りかからないような南北問題でも放置されているものが多いとも聞きます。
さてフランスパリに一週間過ごしたらそんな意見が変わるのかそれともどうなのか。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-08-28 13:44
2014年 08月 13日

博士号資格者の共通理解が実質的にも制度的にもないこと

忘れないうちに、前回投稿分に付加したかったことを書いておきます。

それは博士とはDoctor of Philosophy, Philosophical doctor、略してPhDと言われますが、日本ではこれとの関係がしっくりしないのです。
日本の博士号取得者で自分はこの元の外国語の意味する学位取得者だという人たちが少ないことは特徴かもしれません。
理学博士、医学博士、農学博士、薬学博士、文学博士、法学博士、経済学博士のように細かく指定されています。学術博士というのも有ります。
本来の博士はなんでも対象にして論じる、つまり古い時代の哲学者のような人物だったのでしょう。日本では苦心してこれに博士と名づけました。国語辞典を見ますと、博とは、範囲が広い。広く及ぶ。「博愛」「博雅」「博学」「博識」「博文」「博聞」「博覧」「該博」「広博」と。博学とか博識とか。なんにでも考え意見を述べることができる。スペシャリストの反対みたいな人たちですね。
ところが学問が細分化してしまって、日本では博士とはスペシャリストと思う人たちがおおいです。大学でも多くなったのでしょうか。
しかし大きな総合大学で歴史の古い大学ではいまでも博識とかの博を強調するものです。日本でもわたくしが学位をいただいた頃にはまだまだそういう雰囲気が色濃くありました。
本来からすれば、博士には何々学というものは必要なく、単に博士でよい。
外国のPhDはおおむねこちらで、精神は博く学問に接して一定のある水準に到達した人たちに博士号を与えるこういう学校制度なのですね。ですから、PhDはとったときは学問の世界では言葉は悪いがチンピラです。もっと偉い、博士に大を付けたくなるような人たちに文学博士とか学問領域を付けたりする国は結構あります。
日本では理学博士は大学院卒業者で一定の資格を満たせば博士とする、つまり学者としての運転許可証を与える、これでまとまったのですが。
あいにく文学部などは絶対駄目、とかで40歳や50歳にならないと博士がとれない時代が長かったでした。つまり大博士ですね。医学博士には随分むかしはいかがわしい話があったのですが、ある時期から厳しくなったら医学でPhDをとろうとする殊勝な若者は生存が極めて困難になりました。
つまり日本は博士取得についての一定の理解がないのですね。
わたくしは理学畑なので運転許可証で十分と思っているのですが、それも一定の理解がないみたいです。
どうしたらいいのか、日本の特殊事情を言い立てるのはすっぱりあきらめたらいいと思うのです。
日本語の学位論文を書くのは許すとしても、公表論文はすべて英語であり、かつ口頭の学位論文発表も英語でおこなうこと、それに博士はすべて一種博士でまとめるまずこのあたりからやらないと、日本の博士大学院は世界の中でのランクはなかなか上昇しないでしょう。
前回かいたことと合わせれば、大問題の一つに博士号の資格者の共通理解が実質的にも制度的にも日本ではごく漠然としていることでしょうか。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-08-13 07:05


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