2017年 02月 26日

21世紀を日本の歴史から学ぼうとすると

応仁の乱の本、那覇のジュンク堂で購入して読み始めました。
中世という奥深い時代を扱っていますが、著者呉座勇一氏はかなり若いみたいです。
なかなか頭にはいるような予備知識のない話題ですが、しらないことばかりなので面白い。わたくしとしては、ゆっくりまあまあ丁寧に読んでます。
戦乱の時代、やはり分かり易いのは源平とか東西とか二大勢力の間のあらそいですが、この応仁の乱、まず奈良の興福寺でのトラブルから話が始まって、軸には足利将軍がいるのですが、それと各地の貴族や豪族なのか侍大将なのかが争いと葛藤を繰り返していくのでまあいわゆる乱世、かつわかりやすい対立軸がない。また巨大な権力があるわけでもなく、足利将軍の権力も経済力や軍事力を背景にしているのでもなくまさに「権威」のようなものらしい。
当時の状況はいまの世界の様相とどこか似ていますね。
今の世界、わたくしには消化できない状況ですが、はっきりしていることは小競り合いみたいに見えますが、沢山の争いが世界中で起きている印象です。イデオロギーの対立でなく、単純に貧富や宗教、人種の争いとも見えません。
でもこの多種多様な争いがいつか大きな戦乱になるのではないか、というおそれをもっています。
たぶん多くの人達がおなじような感じを持っているのではないでしょうか。
日本も韓国や中国やロシアやそれに米国に対しても火種をもっていて何かをきっかけに大きくなるかもしれない。
国内も、沖縄の新聞を読んでいると絶え間なく大和、ヤマトと本州勢力をひとまとめにする言論が盛んだし、いつなんどき大きな問題になりうるようなことが起きるかもしれません。
ともあれ21世紀の応仁の乱は大変困るので、なにかヒントになるような解決への道筋をみつけたい、そのためには日本史だとこの時代の理解をいっぺんしてみたいと、まあそんな風に考えてます。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-26 18:15
2017年 02月 15日

デービッド・アトキンソン氏の主張 ITに合わせて働き方の改革を

デービッド・アトキンソン氏というかたがいて、気になる方で、この方が何か書いたりしゃべった記事が出たらなるべく読むようにしています。言ってることに納得しているのではかならずしもないのです。いつも最初の7割くらいは頷いて読むのですが、最後の結論あたりでついて行けなくなって、本当かなあ、という??で終わることがおおいのですが。

東洋経済という週刊誌でこの方の最近の主張をのせていました。人物紹介は以下のように書かれています。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。

日本人の生産性がどんどん下がっているということに警鐘を鳴らすと言うよりは、むしろ日本を励まそうとしているのがありありと分かります。日本を応援というか日本の発展を願っているのはまちがいありません。
日本は、潜在能力は高いにもかかわらず、毎年順位が下がっています。同時に貧困化が進み、社会福祉の支出が膨らみ、国の借金も増える一方です。もはや「生産性を上げたからといって幸せになるとは限らない」などと、のんきなことを言っていられる状況ではなくなりました。生産性向上は、日本にとって喫緊の課題です。とこのかたはいってます。
それで特にサービス業が生産性が低いと指摘しています。

それでこの方は以下のように言っています。
日本の1人あたりGDPは3万6434ドルですが、先進国上位15カ国の平均は4万7117ドルでした。その差額1万0683ドルのうち、9824ドル(92%)は、サービス業で説明がつきます。経済における比重が高くなっているのに生産性が非常に低いサービス業は、1990年以降の日本と海外の生産性のギャップ拡大に、最も大きな影響を与えているのです。
あんまり引用しすぎは良くないので、原典に当たって欲しいですが、ここまではわたくしもなんか納得したいしなんか全部納得したいような気がするのです。

今回の主張はもしかしたら最後までずっと納得して読めるかもしれません。
しかし、きょうはここで時間が無くなりました。残りを後で精読しましょう。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-15 18:07
2017年 02月 13日

初心者とどこが違うのか

結局慣れてないことをやりだせば初心者とあまり変わらない、そういうのが率直な印象というか感想というのは最近よくあります。もうすこしベテランのはずだったのに、そんなこともない。
学術というか研究稼業ももう50年以上やってるので、研究については超ベテランと言われても仕方ないのですが、実際にはそんな感じはまったくない。
初心者の感じる難しさとほぼ同じようなことをいつも考えるし、決断が必要になっても初心者のように迷うものです。なまじいろんな事を知っているので迷いだすときりがないものです。
それじゃなにかいいことはないのか。考えているのですが、一つありそうなのはそう簡単にまったく新しい発見などできないということですか。つまり知識の量から無駄な時間をそぎ落とすことができているとおもう。
新規性を追求しても似たような研究はあるものです。ほんとにどこが新規なのか、何度も何度も吟味しているうちにとうとうそれまできづいていなかった新規性にはじめて気づくこともあります。

いま一生懸命やっている問題もそんな感じの問題で、マンネリのように同じことをずっと考えていたのですが、あるときちょっとしたきっかけから新しい側面が見えだしてきました。
初心者とどこがちがうのか、ほとんど違わないのですが、雑念の数が少ないような気がします。
雑念とは期待感とか不安感の類いですが、完全に無くなれば素晴らしいのですが、なかなかそうはいきません。
初心者とちがうのはどんな感情もいちどくらい味わっているので、今度はどれになるのか、なにと何の混ざりになるのかその結末をいつ頃味わえるのか、そういう雑念があることくらいですか。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-13 17:38
2017年 01月 30日

富沢純一先生の訃報に接して

富沢純一先生がお亡くなりになったとの報を知りました。
先生にはお世話になりっぱなしでした。
特に学会を発展させるための欧文の学会誌(ジャーナル)が必要だとの、先生の信念と情熱に頼りっきり、その結果とうとうGenes to Cellsという立派なジャーナルの創刊にこぎ着けました。先生が初代編集長をやり多くの編集委員も参加して今日に至っています。わたくしは先生のあとの編集長を拝命しておりますが、学会ジャーナルには苦しい時期ともかさなり投稿数がだんだん減ってくる苦しい時期がありました。最近明るいきざしも現れて、今月はとうとう先生の時代の最盛期の投稿数に近づきつつあるのではと喜んでいた矢先の訃報でした。
君、そんなので喜んじゃ駄目だよと言われそうです。でも報告したかったです。
息の長いジャーナルになるための試行錯誤の時を過ごしたような気がします。

富沢先生をはじめて見たというか、遠くから拝見して、ひとことふたこと言葉を交わさせていただいたのはもう50年も前です。わたくしが大学院を休んだというか止めて欧州に留学する直前でした。富沢先生は同期だったOさんの先生だったので、渡航まえにOさんに会いに行ったときにOさんがわたくしの留学先を紹介してくれたのですが、ああそう、という二言だったとおもいます。
怖そうな先生だなあという印象が強く残りました。実際には先生は気さくな方だというのはそれから何十年か先には分かったのですが、幼児の原体験は残っていて、遠くから拝謁するという感がいつまでも残りました。

いうまでもなく、先生は分子遺伝学・分子生物学の大泰斗でした。
学会で先生の議論を聞けるというのが初期の日本分子生物学会の最大のアトラクションでした。先生の議論は厳しいものだったですが、でも議論はこういう風にもやれるのか、という強い印象を大学院生だったわたくしなどは思ったものです。

先生は若い研究者の育成にも取り組んで育英資金を提供しています。

先生の大きな思想と人柄は時がたつにつれより強く感じられるようになるでしょう。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-30 16:53
2017年 01月 28日

長距離トレイルランナーの鏑木毅さんの食事

昨日の那覇から伊丹への機内でよんだ新聞記事(日経)に世界的なトレイルラン(山岳を長距離走る苛酷なスポーツ)の鏑木毅さんの低糖食という興味深い特集記事がありました。
ゆっくり歩行すればそういうことはありませんが、高速でかつ傾斜の激しい山岳を走り回れば、呼吸も激しくなります。こういうときに体では酸素欠乏にならないように呼吸が激しくなりますね。生命科学的には酸素を大量消費するミトコンドリアという細胞器官がフルに働くわけです。ヘモグロビンやミオグロビンのような酸素供与体ももちろん働きます。肺活動も血液の循環をつかさどる心臓もフルに働くわけです。
この記事では、鏑木さんが食生活を改めるきっかけになったのは米国のトレイルランナーに、彼がレース前にご飯やパスタなどの糖質(炭水化物)をおなかにいっぱいためていたら、あなたまだそんな食事をしているのと、冷笑されたのがきっかけだった、ということです。米国のランナーは糖質に頼らず体脂肪を効率的に燃やしてエネルギーをを得るので、低糖質の食事をしていたのです。
これはちょっと説明がいります。エネルギー効率がいいのは脂肪を燃やせたらいいのですが、糖質をエネルギーをするのに体が慣れていると、糖質ばかりが優先的に利用されて燃料切れしやすい。その点脂肪を燃やせれば効率がよく糖質よりずっと多く保存されている脂肪を使う回路を体内に築いておけば、より長い距離を早い巡航速度で走れる。そういう体を作るには低糖質の食事をして、からだが優先的に糖よりも体脂肪を利用してくれる。
これは鏑木さんによる説明ですが、なかなか含蓄があります。世界的な長距離ランナーが長年にわたって経験してきた言葉ですから、説得力もあります。低糖質であって、決して無糖質ではありません。ご飯でいったら茶碗に半分くらいの糖質をとるのは必要と言ってます(もちろん一日に高エネルギー消費する人にとってです)。
鏑木さんの食事はもう一つの大きな特徴があります。抗酸化作用のつよい食べ物に最大限気を配っています。これらがからだの中で生じる、活性酸素を除去しているのです。その結果血管や筋肉(さらに脳まで)を若々しく保つ(老化を抑制)のです。鏑木さんは低糖生活よりも最初に抗酸化生活に取り組んだといっております。
どんなものが抗酸化食品か、さかな類(さけ、いくら、かに、えび)、リコピンをふくむトマト、すいか、フルーツ、それにカプサンチンを含むピーマン、パプリカ、唐辛子、ブロッコリー、ケールそれにβカロテンを含むニンジン、ほうれん草、モロヘイヤ等を沢山食べるということです。
わたくしは読んでいてなんと理にかなった食事だろうと思いました。つまりこれはエネルギーを効率よくつくるミトコンドリアの体内活性を高める状態の体のコンディションを誘導するために低糖にする、そして低糖で活性化したミトコンドリアが作る大量の酸化物質が組織に傷害を起こすのを抗酸化作用のある食べ物で、防ぐ。
文句のつけようのない素晴らしい食事生活の基本です。

実は研究室では低糖や低窒素源の研究を分裂酵母という微生物を用いてここ10年近く、染色体の研究と並行してやっているのですが、この鏑木さんの食事はわたくしたちの研究がぴったりはまります。
わたくしたちは遺伝子でなんでも説明しようという種類の人間ですので、低糖では耐えられなくなる、低窒素源では生きていけなくなる細胞の遺伝子はなにが欠損しているのか同定しています。低糖でも低窒素源も浮かび上がった遺伝子はそれぞれ100以上ありますが、その話を始めるのは今日は控えましょう。
ただ付加的にすこしだけ一般的説明を加えますと。
細胞は自力でも抗酸化作用のあるものを色々作れるのですが、その働きは低糖になると必要性が飛躍的に高まります。つまり高糖条件なら抗酸化物質の必要性は高くないです。しかし、低糖条件にすると自力で抗酸化物質が増量するのです。しかし、スポーツをする人間の場合は供給する必要があります。それに対して、自分のからだにある脂肪を燃やせるように体をなじませる必要があります。そのために回路が発揮しやすいように体を慣らせる。たぶんここにはまだまだ未知の課題があるに違いありません。低糖にプラスアルファの条件にすると体内脂肪がますます燃えやすくなるのかもしれません。興味深い問題です。
次は抗酸化の食べ物です、人体は我々が教えなくても抗酸化物質を知っていて大事にします。血液循環の過程で一度体外に排出されそうになっても抗酸化物質を再吸収します。体質的に抗酸化物質を再吸収しすぎるとなりたくない病になることもあります。にんげんでしたら、外部から食べ物として抗酸化物質として取り込むことがもっとも賢いに違いありません。その結果老化しないで若々しさが保てるのなら。
ミトコンドリアとは大変効率のよいエネルギーを生み出す細胞器官ですが、残念ながら酸化作用のつよい物質も沢山生み出す。たとえて言えば、高速のスポーツカーが排ガスを沢山出すようなものです。しかし、人間が動物として最高にその肉体を最大限の能力を発揮するにはミトコンドリアの機能が高い必要があるでしょう。人間の肉体を循環する血液に溶けている糖質や脂質の濃度はおもいの他に低いのです。この低濃度の代謝物(メタボライトともいいます)最大限利用して脳も筋肉も血管も肺も肝臓も腎臓もフルにはたらくのがスポーツの世界です。そういう世界で極限を目指す人達の食事はたいへん興味深い問題や課題をたくさん提供するに違いありません。さらにミトコンドリアだけが低糖質にからだを対応させているのではありません。まだまだ沢山の遺伝子がちゃんと働く必要があるのです。低糖になったらちゃんと対応できなくなった体は人間なら糖尿病の患者さんのようなものです。
ですから、スポーツマンの食事、長寿や老化を防ぐ食事のすぐ隣接したところに糖尿病根本原因の解明に関わる問題があるのです。

生命科学ではこのように大きな課題が実は非常にそばにあるのです。



# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-28 17:19
2017年 01月 22日

稀勢の里、19年ぶりの日本人横綱へ

最近はあまり相撲も見なくなったのですが、きょうはぜひともと思ってみました。
稀勢の里、優勝を昨日決めてましたし、周辺はもう横綱へという気運だったようですが、きょうとうとう結びの一番で勝ちました。見応えのある一番でした。
ついに、待ちに待った横綱、19年ぶりの日本人横綱ということで国技館の雰囲気も最高に盛り上がっていたようでした。
琴奨菊、豪栄道と優勝では一歩引けをとった稀勢の里でしたが、昨年の年間最多勝とこの場所での優勝と文句なしの結果となり、めでたしめでたしでした。
わたくしは格段のファンではありませんが、でも好意がもてる、人柄の良さそうな、お相撲さんらしいお相撲さんで好きでした。優勝インタビュー、感涙とともに感謝の言葉をのべていました。
優勝の瞬間、聴衆の多くに涙があったように感じたのですが。
きょうはご両親も国技館にきていました。
お父さんが稀勢の里そっくりなのに当然ながらびっくり。そっくりというのは見た目もありますが、雰囲気というか佇まいですね。ホントにそっくりでした。
これで大相撲人気ますます高まるでしょう。ここまで場所を盛り上げてきた、モンゴル勢のとくに白鳳の貢献は大きい。

わたくしも小学校の頃に相撲を習ったことがありました。土俵を作って、少年達を快く家に招いて、教えてくれたあのおじさんはどういう人だったのか。家から歩いて10分くらいのお宅でしたが。
わたくしが体験で知っている唯一の格闘技ですが、裸の体と体がぶつかる格闘のきもちよさは今も忘れられません。
練習の終わったあとに風呂に入りなさいと言われて入った記憶があるのですが。あの親切なかたはどういうつもりだったのか。
戦後、格闘技が小学校教育で進駐軍によって禁止されていたので、憂えて子供達に格闘のおもしろさを教えてくれたのかもしれません。
そうだとすると、その気持ちは十分にわたくしにも伝わったとおもいます。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-22 18:22
2017年 01月 16日

篠田桃紅さんの頭脳

篠田桃紅さんの本、「人生は一本の線」を読みました。104歳美術家、珠玉の作品集とあります。
本の終わりに、若い人へと呼びかけて以下のような文章が続きます。

わたくしは、正真正銘の老いを感じています。
老いた・・・・。
老いに老いました。もうこれ以上、老いようのないところまで老いたのですから、もうあとはは死ぬしかない。
老いに老いた以上、もう先はないのですから・・・・・。
これ以上、老いるというのは、一体、どこまで老いることができるのでしょう。
少しずつ、出来ないことが増えて、しまいにはなにも出来なくなる。それで死ぬのね、きっと(笑)。
こんなに長生きするとは、自分でも思っていませんでしたから、こうして老いる、ということの実体を、正真正銘リアルな老いを、しみじみと味わっています。
そして、すこしは若い人に伝えておいたほうがいいかなと思って、あなたに伝えています。

このあと非常に興味深い文章ですが、8ページも続きますので残念ながら、引用はここでやめます。

ここまで読まれてどう思われますか?
わたくしは素直な人間なので篠田さんは心から自分は老いたと実感され、これ以上はもう老いることは出来ないと書かれたのでしょう。
でもこの文章は老いているでしょうか。
この本では、見事な筆致で自分の書きたいことをかいています。
氏の心のありようは若々しくみずみずしい。
どうも氏は精神と肉体は関係はあるものの、体はどんなに老いても精神というか心はほとんど老いずに生きていけるとおもわれているようです。

104歳のかたの証言です。文章という証拠によって、証言しています。科学は、老化の科学はこれを容易に説明できるでしょうか。この文章は頭脳の老化と、他の部分の肉体では老化はかなり異なることをしめす証拠かもしれません。

氏は以下のようなことも書かれています。
歳をとった人が、心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔したい。後悔することで魂が休まる、と。
中原中也の詩を掲げて、なんていい詩だろう、歳をとった人の心境を的確に表現していて、彼は天才ですね、と述懐されています。
書かれていることが新鮮で生々しく、こういうことを氏の年齢で書けるのならわたくしもこういう風に年をとって見たいと正直思いました。

今日はこういうことを書きたかったのでなく、心や精神や思考のための頭脳活動の老いかたというのはどういうものなのだろうという素直な疑問を書きたかったのです。疑問を書けばそれで目的は達します。

篠田氏の肉体は氏が言うように老いたかもしれないが、この文章から判断する魂をもった心、そして思考能力はまったく若々しい。特殊な個人としても、どこに体の老化との差の実感が生まれてくるのだろう。

わたくしのように人生のほとんどすべてを、どんな摩訶不思議な生命現象もすべて分子の言葉で説明できると確信して来た人間にとっていかなるmoleculeが関わってこの精神の若々しさが保たれるのか、調べて見たい、と思うのです。こういうことを考える時には一瞬、若かったらいいのに、と思います。

でも、いまならそれを調べるすべをごく一部なりとも手中にしてきたと思いだしているのですが。

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# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-16 22:24
2017年 01月 08日

佐伯啓思氏の退位問題に思う 天皇制と民主主義の矛盾(朝日新聞)

1月6日に朝日で読んだ佐伯氏の天皇退位問題についての意見(http://www.asahi.com/articles/DA3S12734747.html)を読んで安心しました。
わたくし自身がもやもやとしながらも退位問題について考えていたことを明解に明らかにしてくれていて、これぞ有識者の意見と感心しました。氏に本当に感謝したいです。これでわたくしの持っていた違和感は説明されて佐伯氏の提起しているかたちで議論が進むことを期待したい、といえます。
詳しく紹介する余裕はありませんし、拙いやりかたで紹介をするよりは実際に読んでもらって佐伯氏の考えを理解してもらうのがベストとおもいます。
ポイントは天皇の神格化にありまして、氏がいうように’明治国家は西洋型の立憲君主制を模倣しつつ、他方では、あくまで天皇に対し「神聖にして侵すべからざる」存在としての神格を与えたからである。天皇は、立憲主義の範囲におさまる部分とそれを超え出た部分の二重性をもっていた。’氏はさらに続けて、’これは一種の矛盾であり、その矛盾が統帥権の独立などという形で現れもした。では、戦後はどうか。天皇の神格性を否定し、英国型の立憲君主制の枠の中に収め、さらに、いっさいの政治的行為から切り離した。戦後日本の「国のかたち」は、象徴天皇による形式上の立憲君主制であり、実体上は民主主義(国民主権)ということになろう。あくまで民主主義によって支えられる天皇制(君主制)ということになった。’
’ところが、話はそう簡単ではない。憲法にはまた、皇位は世襲であり、皇室典範にしたがって継承される、とある。つまり、日本国、および日本国民の統合の象徴としての天皇は、単なる王家の一族でもなければ、単なる制度でもなく、日本の歴史の持続性、国民統合の継続性を示すものとされている。それが、皇位は世襲される、ということの意味であろう。
 すると、ここで天皇の神格性は否定されているものの、また別の問題が発生する。皇位を世襲するという国民統合の歴史的継続性を示す原理と、国民主権の民主主義は決定的なところで齟齬(そご)をきたすのではないか、というやっかいな問題がでてくるのだ。’

ここから先は氏の書かれたものを直接読まれて頂くといいとおもいます。
問題は非常に深い。日本独自の文化・社会的な存在を今後も存続、継承するにはどうしたらよいのか、天皇制に限らないすべての日本独自の文化の継承に関わる問題になるとおもうのです。
日本の継承を考えるうえで非常に示唆に富むとおもうのです。
日本社会自身がこの問題をくわしく考え議論するなら、世界の中での日本の立ち位置におりおりに違和感や疑問を感じることが、実際には当然だし、これからも日本独自で発展してきた種々の文化の維持にも役立つに違いありません。
外国の人達が日本に来てえもいわれぬ安心感を感じたるするのも自然、神、人が融合して続く日本文化が探せばまだまだ沢山あることに気づくからでしょうか。天皇が庶民にしたしまれかつ尊崇されるのも、自然、神、人々を存続させる主たる象徴的な存在であることを認めているからでしょうか。
この最後のあたりは文章にすると違和感を感じる人々もたくさんいることは分かっていますが、しかし何かを言わなければ天皇の現人神的要素は将来消えてしまうかもしれません。
しかし一方で天皇の「人権」は最大限に尊重すべきです。
未来に向かっての賢い解決策を有識者達に見いだして欲しいものです。日本社会が築いてきた里山のような自然文化の存続が危機に至らなければこのような問題の解決策はおのずとあるだろうとわたくしは信じています。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-08 17:22
2016年 12月 30日

わたくしなりの元年へ

来年の世界、そして日本はどうなるのか、多くのひとびとが話題にしてます。
わたくしもちょっとこれに参加してなにか書いておきたい気持ちです。ここのところブログはさぼってました。忙しいこともありますが、書き出すとついバナナのことも書きたくなるので自制してました。今年は自家製バナナのおいしさに目覚めたバナナ開眼の年でありました。

基盤の安定した安倍政権もあり、日本社会はおちついた雰囲気ではないでしょうか。極東情勢的には韓国の大統領の置かれた状況や、中国の南沙諸島などへの進出の様子を見ると安心しきれないし、トランプ次期大統領の対中国政策も強硬にもみえる一方で融和的な可能性も残るので、はっきりしません。それで、国際情勢的には不安の年越しになるのではないでしょうか。しかし、安倍首相の真珠湾訪問は日米の政治的懸案条項の大きいのをすませました。これから、安倍政権は対中国、対韓国との関係改善にむけていかなる策をだしていくのか。民主党や野党側がいい策を持っている気配はないので、また自民党に安倍政権以外に期待される首相候補がいない以上、まだまだ5年くらいやってもらってかまわないというのが日本国民の50%程度の平均的感覚ではないでしょうか。安倍政権のおかげで政治にはらはらドキドキ、危なくてみておれないといういっときの感じがなくなりました。
しかし、安倍政権の基盤はなんといっても経済政策でしょう。社会の一部で不満はもちろんあるでしょうが、社会不安が明確になるような経済情勢はもうかなり長い間ありません。貧富の格差は広がるという言葉は本当かもしれないのですが、一方で収入的には全国最低クラスと言われる、沖縄での経済状況は悪くはまったく見えません。旅行訪問者の数も増え、地方空港のはずの那覇の空港の混雑には折々に驚きます。まあまあの経済状態がもうずいぶん続いているというのが沖縄とおりおりに関西を往復する人間の実感です。

経済のひずみが教育に及んでいるという意見にはうなずけます。今の日本では、子供が貧しい環境で教育を受けると親と同じように成人しても貧しくなる、という意見が本当ならこれは最も深刻な問題であるに違いありません。本当なら、手遅れにならないうちに政治のレベルでの救済が、かなり強力な救済が必要だと信じます。教育が大学や大学院レベルまで貧しくなっているのなら、長期にわたるマイナス効果、人材の枯渇現象が出ないうちに早く手をつけないといけないでしょう。

わたくしは、日本の最大の問題、一方で日本を最高に救済し発展する可能性を持っているのが、人口問題への正しい対応と最大限の健康老化への努力の2つだと信じてます。この2つの問題で成功すれば、次の50年から70年くらいは日本は国家として安泰だと思います。
一方でこの2つで失敗すると、長期間で低迷し他の多くの国々に追い越されて行くに違いありません。わたくしは今の日本人、とくに熟年以降の人々はこれらの問題の大きさと深さを予感し不安を感じているとおもうのです。この世代がまだまだ元気なうちに日本人の英知を総動員して、日本社会を作って維持していくことが最大の課題だろうとおもいます。この世代の多くはもはや年金世代にもはいってますが、でもまだまだ10年20年生きるのですから社会参加を出来るだけしてもらうべきです。

1941年に無謀だがしかし明治以降の国の趨勢からみて必然的な戦争になり、1945年に未曾有の大敗戦を喫して70年が経過した今の日本をみれば、日本の民は本当に偉かった、わたくしたちの父母、祖父母は本当に立派だった、そしてわたくしたちもそしていまの60才になろうとする人々たちよくここまで努力し働いて来たといえるに違いありません。

しかし、人口減少問題と健康老化の2つの問題は日本人日本社会にとって新規の問題ですから、しかもひたすら一生懸命はたらくという国民的な得意技でなく、ありと余るように一見見える「時間」を浪費したら、取り返しのつかない状況がやってくるとおもいます。社会不安に満ちた貧しい日本の時代の到来がくるのかもしれません。これは何がなんでも阻止しないといけません。

そういう時代はかつての日本にあったのか、昔そういうことを青二才のわたくしが当時の有識者に聞くと、「応仁の乱だ」と聞きました。ちょっと勉強しないと、応仁のの乱がどういう時代かどうしてそうなったのか分かりません。そういう貧しく社会不安に満ちた時代になるのでなく、発展的かつ融和的な日本をまだまだ70年くらい続けるためにどうしたらいいのか。
そうならないためにわたくしも微力ながらお役に立ちたいと願っています。
そのためのわたくしなりの決意の元年を2017年としたいです。

末尾に正月にも咲き誇る沖縄原産紫色のブーゲンビリアの花と、家庭の安寧のシンボル柑橘(比良の家で)の2つの写真を掲げておきます。

良いお年を!

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-12-30 12:17
2016年 12月 14日

カジノ論議のまえに

参議院でいわゆるカジノ法案が可決されたとのことです。統合型リゾートIRという休暇的な場所にカジノがあるというイメージでリゾートのほうで賛成している議員もかなりいるのかもしれません。
カジノと聞くと、これまではわたくしはパチンコをどこか類似したものとして思い浮かべました。これからは、かつて見たことがある外国の正統カジノ、メルボルンだったかそして香港の隣町マカオのカジノを思い浮かべることになるのでしょうか。しかし、行ったもののどちらでも何もしなかったので、ということでカジノ経験ゼロですので何も言えません。ただ場内の雰囲気はすこし憶えてます。健全そうな高齢者ばかりで面白そうには見えませんでした。高額を賭ける人達はたぶん別室でするのでしょう。
若ければいっぺんくらいやって見たくなったかもしれませんが、ルールも分からないのでたぶんやる気はおこらなかったとおもいます。マカオでは巨大なカジノビルが沢山建っていて、その一つの中を見学したのですが、ほとんど中国人でした。
日本ではどうなるか、それなりにお客が集まって、それなりに賭博中毒者を生み出すにちがいありません。だからといって、まだ一つもできてないカジノを責めても仕方ないでしょう。
それよりもパチンコ店にもっともっと社会は関心を持った方がいいでしょう。
わたくしが沖縄で住むところは村ですから、というかパチンコ店はありません。隣町の石川というかつて独立の市でいまはうるま市の一部に愛好家はいきます。伝聞なのでいくそうですと言っておきます。
小さな町ですが、パチンコ店はなんと三つもあります。中に入ったことはありませんが、駐車場の車の台数をみたら週末は朝から相当数の車がいます。
タクシーの運転手さんの情報しかありませんが、恩納村からもバスとタクシーを乗り継いでいくひとがかなりいるそうです。沖縄の自動車運転率は極めて高いので、人気が高いことが理解出来ます。
石川にはもうひとつギャンブルでは闘牛があります。一度みたいと思っていますが機会がありません。
ギャンブルの部分は隠れた部分ですが、でも相当に大きな金額が全国(?)からのマニアファンによって動くのだそうです。
それで石川のパチンコですが、これもタクシーの運転手さんの情報ですが、相当数の人が大金を失って、「おうちが無くなる」かたもかなりいるとか。真相は報道では出ませんから分かりませんが、競馬も競輪もない土地柄なので賭博にのめり込みやすく、パチンコにものめり込むとそこまでいってしまう人が多いのかもしれません。なおパチンコを賭博といってはいけないことはわたくしも承知してます。でも短時間で相当額のお金を射倖性のたかい機械で失うゲームで中毒になるひとがいることはまちがいないです。法的には健全娯楽の範疇なのでしょうが。

全国パチンコ店で消費される金額は、年間どれくらいなのか、いまネットで調べるとかつては30兆円で、いまは18兆円だそうです。今でもすごい額ですが、かつてからは激減したのだそうです。今やスマホでもゲームで遊べるので、たぶん今後もますます減るでしょう。日本のカジノ推進者はどのあたりを目指しているのか。
そしてパチンコを楽しむ人はたくさんいるに違いありませんが、楽しみと損失や苦しむをきちんと精査する作業が社会の中で行われているのでしょうか。
カジノ論議や法案を通す前に、パチンコ産業の行く末とパチンコの娯楽性と賭博性の両方をぜひ論じて欲しかったです。かつては3千万人の日本人がおりおりにパチンコをしたのだそうです。
沖縄で見ると、パチンコはまだまだ大隆盛です。
そういえば隣県の鹿児島もパチンコ店、とてつもなく巨大なパチンコ店が沢山見られました。地方ほど多いのでしょうか。

中国からの旅行者がパチンコに興味を示したとはまだ聞いていません。
いまの日本をシャープな目で見ている彼らの意見もぜひ聞いて見たいものです。

# by yanagidamitsuhiro | 2016-12-14 23:13
2016年 11月 21日

港川人の釣り針について

週末に那覇に出て県立博物館で開催されていた「港川人の時代とその後」琉球弧をめぐる人類史の起源と展開を見てきました。感想はやや複雑で、というのは展示物が非常に多くて、教育的ではありましたが、焦点が定まりにくいのです。
目玉の展示物、2万年前の「釣り針」を楽しみにしていました。たしかにびっくりするような綺麗なものでじっと見ていますと、男性おふたりがそばに来て、これか、論争になるのも無理ないかな、というふうに話していました。どういう意味かと、聞きますとこれは人工物でなくて貝だか骨だか、自然物というものである可能性を主張する方もいるようなのです。
この展覧会は始まったばかりで、実物を見てからの意見ではないかと思います。
わたくしも見事なかたちではあるものの、針糸を通す穴があってもいい部分が折れているので惜しいなと思っていましたので、なるほどと思いました。穴があれば100%人工物でしょうが、穴がないのでまだ未確定というのが一つの取れる態度かもしれないと思いました。
いずれにせよ1.5万から2.5万年の大昔に港川やサキタリ洞には古代人がいたことは間違いないし、かれらが日々何かを食べていたことも確かなので、魚を釣るための道具があっても不思議はない。しかしこの目の前にある釣り針がそのために古代人が作ったのか利用したのかはもうすこし時が経たないと、確定しない、そういうふうに理解しました。
釣り針の写真はあとでペーストしておくことにします。

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下にネットにあった釣り針の写真と港川人の想像図を掲げておきます。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-21 15:40
2016年 11月 17日

バナナ12キログラム

このあいだ京都の高校に行った時に「先生はブログにバナナのことしか書かないのですか?」と言われてしまいました。
その通りです。今のところ。
それで続きなのですが。今朝収穫した一本というのか、ひとかたまりは重さを量ったら12キロありました。非常に重い。
なんかかなりの充実感があります。
それだけですが。
妻は宅急便で子供達(孫達)に送ると張り切ってます。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-17 11:38
2016年 11月 12日

京都市立 西京高校生たちと交流

昨日は京都市の御池西大路にある西京高校で講義をする機会がありました。2年ほど前に滋賀県の安曇川高校で講義をして以来、高校生に会う貴重な機会です。この西京高校には中学校も併設されているのだそうで、生徒の相当数は6年制になるようです。
ぜひやって欲しいという話をもってきたFさんの要望もあり、わたくしの研究内容よりはむしろいかにして自分が生命科学を研究するようになったかを主にはなしてみました。
周囲には高校生はひとりもいないので、まともにコミュニケーションできるかどうか、たいへ心もとなかったのですが、まあ無事に終われたことは以下の講演後の写真を見て頂ければおわかり出来るでしょうか。
講義で使用したスライドも2枚ほどだしておきましょうか。

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わたくしとしては今どきの高校生とはどんな若者達かなにか得るものはあるか、ということで講義の後の質問というか応答をたのしみにしてましたが、思いの外に率直な意見や感想を聞かれてほんとうに興味深く感じました。
仲間達が大勢いるなかで自分のなかにある真剣かつ率直な感想などはなかなか言えるものではありません。えらいなあ、と思いました。
彼らがいかにして生きるか真剣に考えていることがありありとわかって、もっといろいろ意見を交換したらわたくしにも非常に有意義だろうなと想えました。ほぼ2時間くらいの最近ではやったことのない長さだったので疲れて、終わりにしてもらいましたが。

短い交流でしたが、わたくしなどの世代とはなにか確実に違うという、印象も持ちました。
その場での印象ですがわたくしなどはやはり生きるということについて、雑にというか直感的かつおおざっぱにかんがえていて、男はなんとか、という博徒的な思考が色濃くありました。
今の若者にはそういうところは微塵もないことを強く感じました。彼らの方が今いきることに集中してこだわるのだろうな、と思った次第。わたくしなどは、これが駄目ならあれが、という調子でいた。
生きる目標にしつこくなったのは随分年をとってからです。

ともあれ無事に終わりました。この年でも高校生とまだまだ交流できそうでう。
西京高校のホームぺーじにいったら、赤崎先生の講演会もあったことを知りました。また本庶先生の京都賞の記事も載っており、親しい先生がたおふたりも既に関わっていることを知りました。
スーパーグローバルハイスクールということのようですが、人材を作るには学術の世界では30年くらいかかるというわたくしの持論からすればこれからもこのような良き校風を長く維持してもらいたいです。

もう一枚沢山の高校生をお見せしましょう。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-12 16:14
2016年 11月 06日

講演会 人の老化度を反映するメタボライト

ツイッターのほうで申し上げましたが、東大の分子細胞生物学研究所で11月15日にセミナーをします。
演題は以下の通りです。会場は研究所B棟301号と聞いております。要旨もその下に貼りました。
学会のなかでしゃべることはあってもセミナーというかたちではたぶん長いこと東大構内ではやってないと思います。
ご興味があるかたは、どうぞ.
世話人の先生に公開なので出席はどなたもOKです、と聞いております。

演題:  人の老化度を反映する血液メタボライト
 Individual variability in human blood metabolites: Identification of age-related differences

老化は特定の名前のついた病気ではないが、本人や家族さらに社会的にも大きな課題である。老化は本人を見た目でも比較的容易に判断出来るし、身体能力などの測定でもかなり正確に評価できる。しかし、血液検査のようなchemical biologyの方法で老化度を測定することは思いの外に困難である。ヒト血液メタボロームは、ヒトの体の状態を低分子メタボライトを通じて、定量的、化学的、包括的に反映しており、遺伝的、エピジェネティック、生活習慣といった複合的な要素によって影響を受けている。そうした側面が個々人の老化度を測定する上で有用な情報を含んでいると考えられる。
我々は、京都大学病院老年科の近藤博士のグループと共に、人の老化に関わる血液メタボライトの研究を行ってきた。特徴的な研究手法として、試料の‘新鮮さ’に主眼をおき、全血(Blood)、血漿(Plasma)、血球画分(RBC)を迅速低温処置することで、高い再現性を実現した。高速液体クロマログラフ質量分析(LC-MS)を用いて、健康な若年者(29±4歳, 15名)と高齢者(81±7歳, 15名)の血液メタボローム(非ターゲット)解析を実施した結果、同定した126化合物について統計学的な手法によりそれらの個人差の度合い(CV)を明らかにし、高齢者において低下あるいは増加する代謝物として14化合物を見出した。それらは腎臓・肝臓機能や筋肉維持、酸化還元に関わる代謝物であった。

発表論文: Chaleckis et al., Individual variability in human blood metabolites identifies age-related differences.  PNAS 113(16):4252-4259.

幹事:膜蛋白質解析研究分野
主催:東京大学分子細胞生物学研究所
後援:公益財団法人応用微生物学・分子細胞生物学研究奨励会

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-06 16:00
2016年 11月 01日

米国大統領選についての感想

11月に入りました。今月は米国の大統領選挙がある。
クリントン氏かトランプ氏か。常識的にはクリントン氏でしょうが、なかなか安全圏にはいらない。
土壇場でFBIがもう一度捜索を開始しているとのアナウンスもあり、投票予想はぎりぎりの差とか。

日本に限らず世界中の国々がどちらがなるかに相当な関心を持っているはずです。
わたくしはやはり米国初の女性大統領に強い抵抗感が米国の男性有権者にあるとおもっています。
クリントン氏は救国のヒロインとは決してみえません。
すでに夫と共にファーストレデイとして、ホワイトハウスに長年おりました。
その後現大統領の国務長官としても4年間もおり、十数年間にわたって米国政界のトップの人物であり、その間いろいろな出来事もあり、言葉は良くないですが、手垢が沢山ある方です。

新鮮さには乏しい。その方がこれから米国の命運を握るトップとして活躍する。うんざり感もあるし、女性の権力者への男性側からの恐怖心もあるにちがいありません。

しかし、ドイツ、英国もはや女性首相です。台湾にしても、ビルマにしてもいま危機にあるとはいえ韓国も女性トップ、世界の趨勢は女性の政治指導者をもつことに躊躇はありません。
そういうわけで、米国も結局僅差でもクリントン氏が当選と予想します。

それで世界のトレンドが確定する。今後は女性の後継者候補を持たない政治権力者の基盤が弱くなる時代がやってくるに違いありません。中国なんかもひどく男性優位的ですが、世界の大国としてそうもいかないでしょう。
わたくしは個人的にはクリントン氏が軍事的な問題をどうあつかうかに関心を抱いています。昔風な表現をするとタカ派かハト派なのかしりたいです。それからもうひとつ夫は完全に黒子としてやっていけるのだろうか、ということです。
トランプ氏が勝ったらみなさん困るでしょう。米国内政の混乱に基づいて、混沌の時代がやってくるに違いありません。
しばらくは米国人が自分の国の政治をどのようにするのか、見物します。

女性の政治トップ、そういう点、日本はひどく出遅れています。これからどうなるのか。まず東京都知事がおちついて行政に集中出来るような状況が生まれて欲しい。またハッキリとした味方がもうすこし増えるといいのですが。
彼女が穏当に成功すると、あとから続々と出てくるような期待感もあります。

# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-01 10:26
2016年 10月 12日

那覇大綱引き 見聞記

このあいだの日曜日、那覇祭りのメインイベントの大綱引きを見に行きました。沖縄に来だしてからもう12年も経つのに一度も見たことありません。ラボでは誰も話題にしないし、生粋のしまんちゅーもそれほどよくいわない。しかし、まあとりあえず見てなにかひと言言えるようになりたいということで、いきました。
結果はおもいのほかおもしろかった。しかし、つかれましたあ。どう疲れたのか、どうおもしろいのかそれは、以下の写真とビデオを見たあとで書きましょうか。
ここまで書いてわかったのですが、このブログは動画はどうも駄目みたいです。
追加記述ですが、ツイッターの方に動画を二つ載せました。

残念ながらいくつかのビデオお見せできないのです。
それでまずいえることは綱が世界一というだけ確かに凄い。40トンとか。
男綱と女綱あって、見せているのは男のほうです。

この綱には1万人が取り付いてひっぱれるとか。長くそしてものすごく重そうです。
動くのかという素朴な疑問がありますが、ゆっくりゆっくりです。横からみるので、巨大な綱がじわじわ動くのがわかります。参加者は皆興奮していますが、とくに米国人と思える人達はこういうのが大変好きのようで非常に興奮していました。

わたくしは、拡声器からくる音量があまりにも大きくて、これが原因で非常に疲れました。耳栓が必須です。うるさい音に弱い人は。
ビデオが見せられないのはほんと残念ですが、引き合いだして、勝負がつかず、えんえん続きます。

やるのが一万人周囲でみるのが8万人とか。
なんとなんとこれが40分くらい続くのです。驚きました。
最終的に西が優勢勝ちとか。

わたくしは30分の綱引き見物に疲れ果て、そもそも男綱と女綱をつなぐのに1時間以上もかかっており、始まる前にも周囲を歩いたので、2,3時間立ち続けて、すっかり疲れて帰途につきました。


読み返すとやたらに疲れるが反復しますが、臨場感があっていいような気がしてそのまま残しました。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-10-12 16:16
2016年 10月 02日

比良の山々のもたらすしあわせな季節感

ことしの7月、8月、9月の3ヶ月はなかなかきつかった。
内地にももどらずかなり長期間、沖縄でデスクワークも含めてハードワークの日々でした。

内地にまとまって戻った時は妻の個展でもあり、会場にいって色々な人達とお話し、慣れぬ客対応もあって。
沖縄ではかなりの頻度で朝、晩の食事は自分で作ってますから。週末ともなる一日3回の時も。
これも疲れの原因かも。
この3ヶ月、いろいろなものが体内と頭に溜まってくるのが分かりました。溜まるのは疲労、そして老化の原因、とよく理解できます。

そのうえ、論文のほうはどれも異なった意味でわたくしには難関のものばかりで、どんなに勉強しても分かった気になれないミトコンドリアとか。これが特別にきつかった。
幹細胞のモデル系と見なしているG0期からの脱出に関わる制御、この論文も紆余曲折を経て姿をあらわしだして。その点は幸せ。
さらにはコヒーシンとCut1の相互作用とか、共同研究の成果が果実化してます。この果実はどこまでいけるのか。
息抜きがほとんどとれないデスクワークの連続でした。
しかし、夏は終わったのに論文はまだなかなか終わったといえないので、正直つらいです。

でもこの週末比良のほうに行って風に吹かれただけでしたが、変わらぬ山々の季節の変化を味わったら元気がでました。

写真は比良の家から国道の道までの散歩道に咲いた彼岸花(曼珠沙華ともいいますね)、それに今年も沢山の収穫をもたらしてくれた栗です。琵琶湖西岸の風はいつもと同じに吹いて、秋の味覚もいつもとおなじ、同じことが幸せ感をもたらしてくれました。


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# by yanagidamitsuhiro | 2016-10-02 16:44
2016年 09月 16日

バナナ栽培余聞

バナナは年間一回、収穫するものとおもっていましたらそうではない。二回はいけるというのが今日のお話です。
8月のいつでしたか、ある日バナナを見ていましたら、てっぺんに他とは違う赤い葉っぱが見えます。じっと見ますと、どう見てもこれだけ異質です。

もしや、と胸騒ぎはしませんでしたが、でももしかしたらまたバナナができるのでは、と期待の念が。

この仮説は二日ほどで真実であることが判明しました。この赤い葉っぱは折れて紫みが強くおびてきました。この色は知っています。バナナを包む袋みたいなものです。
人によってはこのたとえ嫌がられそうですが、でもわたくしは心の中でバナナの妊娠と思いました。

あとは文章よりも写真を見てもらった方が分かり易いでしょう。
なんとそのうちもう一本のバナナがやはり紫色となった袋を持つようになり、その後ひやひやした台風の後に袋の葉も飛んでしまい、昨日あたりはこの二つのバナナの房(というのか)の立派な姿が見えるようになりました。

これから3ヶ月ひどい台風でも直撃がないかぎりすくすく大きくなるでしょう。なお肥料には折々に油かすを地上にまいているだけです。

なお今写真を見てみますと、順序が間違っています。
どうしてそうなったのか、よく分かりません。気をつけたつもりですが。

最近は愉快になる話題で書けることはほとんどないので、どうもバナナばかりをかいてすみません。

なお記事ランキングというところを見ると最近のもありますが、昔のわたくしがまだ京大の現役だった12年以上前のやいまの場所の創設時代の5年くらい前頃の記事が入ってますね。

ご愛顧ありがとうございます。


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# by yanagidamitsuhiro | 2016-09-16 08:38