2015年 06月 25日

神戸生田神社での国際会議 POMBE 2015 in KOBE

神戸の生田神社で開催されているPOMBE 2015なる国際会議に参加しています。平素の活動は結婚披露宴が主たるものと思われる建物で神社境内の建物内でしています。
朝から晩までの会議で大変疲れますが、なんとかやっています。
今日が最終日です。
写真にでている講演者は米国のロイヤルソサエティの総裁(院長?)でもありクリック研の所長のナースさんです。この会の顔とも言える人物です。

I am attending the POMBE 2015 meeting organized by Professor Yasushi Hiraoka at Kobe. The meeting venue is unique as it is held in the Ikuta Shrine, which has been 1800 years since its foundation and did not allow any scientific conference in the past. I am very proud of being the first lecturer in this historic (for us and perhaps) also for the Ikuta Shrine) conference.



# by yanagidamitsuhiro | 2015-06-25 04:33
2015年 06月 06日

長寿人間のこころがけ、やりたくなかった4大テーマ

きょうは朝から大雨で家を出る気にならないので、おかげで仕事がたいへんはかどっています。折々に室内運動をして外で歩いたような気分になっています。

長寿社会は寝たきりや認知症の人々が著しく増大して医療介護経費が爆発的に増えるとかいう憂鬱かつ極めて説得力のありそうな記事などみるとうんざりしますので、話題をもうそういう方向に振らないようにします。そちらのほうには専門家がやまのようにいますので。

それで考えたのがいかに安上がりに長寿社会を生きて最後も社会に経費負担をしてもらわないでこの世を去るにはどうしたらよいか、ようするに社会にとって、非常に安上がりの長寿老人になるにはどうしたらいいか、こういうことを考えたいですね。

ここでまず安上がりというのは、社会の負担がないということであって、自分に沢山のお金があったらそれを使うには何の遠慮もいらないでしょう。
長年働いて稼いで蓄えたお金ですから、考えて使う分には遠慮もいらないし、場合によって長寿になってもどんどん稼げたら稼げばいいのだとおもいます。
ただ医療費とか介護費とか年金とかは社会の負担が大きいので、これをどう考えるかです。年金はいらない、もらわない、医療や介護の世話にはならない、それである日ぽっくり逝く。
まあこういうイメージです。
こういう人達が長寿人口の半分近くいれば社会としては白眼視しないのではないか。
どれだけいればいいのかは分かりませんが、自分にあてはめて考えると、そのためにはどうしたらいいか、生命科学者のはしくれとしてはそれなりの考えがあります。

自分の脳、筋肉、骨がいつまでもそこそこ使えること、それによい栄養をとるのが大事。

これを書いて自分で愕然とするのは若い頃に研究したくない4大テーマがこれらでした。
なんといまでは、一番研究したくなかった栄養なんかを研究しちゃってますから、なにをかいわんやです。

もう休憩時間終わりなのでやめますが、人生が高齢期を進んででいくと予想外のことばかりがおこる、と日々実感しています。


# by yanagidamitsuhiro | 2015-06-06 17:26
2015年 05月 31日

長寿社会の問題について

きょうは五月も最後の日となりました。特別な日ではありませんが、日曜でいますこし時間があるのでなにか書いて見たいとおもいました。何を書きたいかというよりは、なにか若い人に向かって書いて見たいとおもいました。
わたくしが若いときは時代の流れなんて言うものの大半は前の時代と結局は同じようなものだから、ごく一部が変わるのでそこだけ気にしていればいいなどと、簡単に思っていました。それから時代の流れの変化はやはり顕著な現象に依存するので、そこの所を見ていればいいなどとおもっていました。それで当時の学識の高い人達の意見をみて自分の考えも作っていました。ひと言で、わりあい簡単に図式的に未来社会を見ていたような気がします。
しかしこの年になってみると、そのような考えは全くの間違いではないものの、先見の明のない弱い未来予測でしか無かったと思えるのです。
未来社会の予測の問題は基本的に社会科学者や経済学者が担当してわれわれ理系の人間は技術的な変化がいかに社会にインパクトを与えるか、付加的に考えるものなどど安易に考えていました。しかし、地球の規模や環境問題をしっかり考えてそこから得られる考えを基礎に将来を考えねばというのは、私などよりはもうすこし若い世代からはじまったのでしょうか。
わたくしにとって一番の予想外は、人間の長寿化がここまで大きな問題になるとは思わなかったということです。
若い人達にとって長寿の老人は社会の負担でしかないと思われるとおもいます。
いっぽうで65才以上の高齢者が人口の50%を超えたときに社会の維持と未来をどのように考えるのか、近未来と30年50年後の社会はどうなるのか、ハッキリして答えはない今の現状では、未来予測で一番の不安は社会の高齢化ではないでしょうか。
20代の若者にとっては父母の世代ではなく祖父母の世代になります。今の日本だと戦前生まれ昭和一桁近くの祖父母になるのではないでしょうか。だいたい80代前半でしょう。この人達が後10年、もしかすると20年近く生きているとすると、どういう社会になるのか。
なるべく楽観的に考えたいとおもうのですが、どう考えたら楽観的になるのかそのとっかかりがつかめません。国家の財政の破綻がないこと、それだけ高齢者が多くなっても社会の活力がしっかりあるようになって欲しいとおもうのですが。
未曾有という言葉はつかいたくありませんが、高齢化社会が未曾有の問題を突きつけてきたことはたしかです。世界の中でこのような問題で日本が先端社会であることは確かです。
こういう問題に日本の政府の動きは鈍いというかあまり力強い政策があるとも思えません。
われわれが自助の気持ちで考えて行政に働きかけるもしくは社会に働きかけることが大切でしょう。

たぶん最も大切はことは世代を超えた議論をいろんなレベルですることが大切なのでしょう。
若い人達の遠慮の無い発言も聞いて見たいものです。
高齢者は自分のことですから、もちろん真剣ですが、自分のことであるがゆえに近視眼的な考えにおちいりやすい。
たとえば、広告費の膨大なサプリメントや健康系の製品。これらの消費は医薬の金額と変わりないと聞いたことがあります。一方でサプリメントの大半は単なる気休めで効果がほとんど無いと言う意見もあるようです。サプリメントで消費しているお金を別なところに使えないか、という考えはどうか。
この一点だけでも議論始めたら大変かもしれません。しかし消費しているお金は半端でなく大きく、みかけ野放しの広告状態になってるかのようにも見えます。誇大広告とは直ちに思えないのですが。

とりとめも無く書きましたが、次の考えを作るための準備として書いて見ました。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-05-31 09:54
2015年 05月 27日

早業シール貼り、すごい  Sugoi

5月は連休明け後にオーストリアのウイーンにSMCタンパク質の会合で出かけて、帰ったら日をあけずに香港のいくつかの生命科学系の大学院生の会合で講演をしてきました。彼らの口頭発表やポスターの賞の選定もしてきました。香港はこれまでまったく縁がなく今回がはじめてでした。関係のある研究者もいることはいますが、これが最初で最後の訪問になるかもしれないと思い会合が終わった後についでにマカオにもいきました。大正解でこの日だけ晴れで、かつてのポルトガル統治時代の雰囲気が色濃く残る町の様子も興味深くみました。かの有名なカジノも見るだけですが見物しました。昼でしたが99%は中国からの旅行者のようでした。マカオのカジノ街は中国人の旅行者の異常に近い増大もあり増築につぐ増築だということです。現場をみたら、政治家は導入したがるかもしれないが、止めた方が日本の将来にとってはいいと感じざるをえません。

さて今日の写真ですが、これ行き帰りの2枚のフェリーの切符です。この切符に小さなシールが張ってありますが、座席番号です。座席指定の仕組みは乗客がこの切符を出すと目の前の受付の女性が電光石火の早業で、船全部の座席に付いているシールをはがして乗客の切符に張るのです。台紙についていたシールをはずして乗客の切符に貼り付ける時間は乗客ひとり1秒もかかりません。もしもかかったらものすごい数の乗客をさばけません。しかも台紙は一枚で、女性一人に介添え一人みたいな感じです。
実は行きはフェリー待合室の騒然とした人混みに圧倒されて気が付かなかったのですが、帰りには気が付きました。じっと手もとをみていると、何とも言えない早業と女性の表情がいいというか、なんというか名人ここにいるという感じでした。ちょっと感動しました。


今の中国まだアナログがすこしだけ残っているようです。こういう作業もそのうち無くなるのでしょう。早業女性の次の職場はどこになるのでしょうか。
かつて日本中にいたバスの車掌さん、揺れる車内で切符を売っていましたがある時期にいなくなりました。彼女たちもどこにいったのか。
激動期の中国、誇りと期待と不安を表情にだした人々が溢れています。香港の人達には歓迎されてないようです。でもわたくしは、そこはかとない親近感をかれらに抱きます。
かつてのわれわれの姿を見ているような気分になるからです。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-05-27 05:39
2015年 05月 05日

対馬丸 Tsushima-maru

きょうはこどもの日です。孫達もおりますし子供達もいますので家庭行事に参加しますので、ちょっと空いた時間書いておきます。
1944年の沖縄には日本の兵隊が約10万人も集結して、沖縄本島は島民の島では無く軍隊の島になってしまいました。
食料の調達は日に日に困難になり島民そして特に子供達は戦争遂行にとって困る存在になってきました。その結果軍は命令をだして、子供達を疎開させることにしました。
しかし島の周辺には米軍の潜水艦がうようよしていて極めて危険な海域でした。
しかしながら本島の小学生児童のおおくに疎開命令がでて親と子は離れてすむことになりました。
戦争も末期になったのに子供達は「安全な」本州に疎開ということで3艘のの船にのり本土に向かいました。
しかしながら、そのうちのいっそう「対馬丸」は米軍の魚雷が命中して、1500人の人達が命を失いました。
うち約1000人が児童でした。この痛ましくも悲しい話を子供の日に書きたくなるのは、沈没した船から投げ出されて漂流した子供達のなかには数少ないけれども救助された子達がいたことです。
その子達の言葉は生者のみが言えることばであり、とてつもなく貴重なしょうげんです。
この経過と関わった人達、生き延びた人たちのいちぶの証言がこの対馬丸という本にはでています。

いまの沖縄の現状を考えるともう1944年昭和19年に今の沖縄状況の原型ができあがっていてそれは70年以上経ってもあまり変わっていないのことに気づかざるを得ません。

Sorry I do not have time to write an English version.
I want to know when the US navy knew they sank a Japanese ship that carried more than 1000 primary school children.



# by yanagidamitsuhiro | 2015-05-05 08:50
2015年 05月 02日

戦争と憲法を考える

連休、大津に戻り比良の家にある畑仕事で大忙しです。
でも二人でやる作業は思いの外にはかどるもので、土仕事はおわり苗なども大半は植えて、後残す大きな作業はしたの畑の草刈りと鹿よけネットを張ることとその後に里芋を植えることとなりました。

天気もよく温度もすこし暑めですがでも山からの風がすずしく気分爽快です。
明日には子供や孫達もきます。だんだん高学年ともなるとみんな一緒は無理でそれなりの学外活動もあり、これもまた子供の成長にともなう当然の変化です。

安倍首相の米国議会での演説を聞きました。というかテレビで見ました。終わった時間は深夜一時すぎでした。それなりの感慨でみました。
わたくしはやはり米国議会での日本にとっての歴史的な出来事だったという一部識者の意見に近いものを感じています。報道が真っ先に慰安婦謝罪が無かったなどとかき立てるというかついつい書いてしまうという国民を代表する首相に対するねぎらいの気持ちがないことに、本当に不幸なことだとついつい嘆息が出てしまいます。
しかし演説そのものに非常に満足したわけではありません。
だいたい日本の世界の中での立ち位置を考えたら、だれが首相をやっても容易なはずがありません。そもそも米国議会で演説する資格を獲得した安倍首相の政権運営の巧みさを感じます。偉いもんだといいたくなります。中曽根首相も小泉首相も出来なかったことです。

二度目の政権スタートでの安倍首相は「極右」というレッテルを近隣諸国において張られて、オバマ大統領もそれに影響されたのかかなりぎこちない関係しか無かったはずです。
安倍首相の演説は日本語も英語も完全版が読めるようですので、すこし時間をおいて読むことにたぶんよりよい意義があるのでしょう。
首相は米国国民と米国議会人を相手にしゃべったことをまず念頭に置く必要があります。
ただわたくしも人のことは言える資格ありませんが、ひと言首相の英語について言わせてもらうと、どうも子音の発音とイントネーションが聞きづらく感じました。流ちょうなので惜しいです。

さて安定した安倍政権がいよいよ悲願の憲法改正に着手しようとしています。準備は着々と進んでいるようです。改正そのものには国民の多くは賛成がおおいようです。
現憲法が米軍占領下において作られたものであるという歴史的事実は動かしがたいですから、その一点だけでも、自前の憲法を作りたいという希望は当然だし、当然のことでしょう。近隣国の韓国や中国から沢山の意見やノイズがでるでしょうが、それも当然でしょう。
この当然の憲法の作り直しがなぜ戦後70年もかかってもなかなか国民の総意として認められないのか。
とりあえず自前の憲法を持つべきだ、現行の憲法とそっくりでもいいからとりあえず今いる国民が選定した憲法を自前で持つべきだ、という意見に私はもちろん賛成です。
ただそういう意見もついこのあいだまでは発すること自体なかなか大変だったという事情がありました。
わたくしも生まれて4才までは戦争前夜と戦争まっただ中を過ごし、戦後も7年間米軍の占領下にあった時代を過ごしたわけで憲法が自前のもので無い状態でここまで続いたことを最大の屈辱と感じない日本人のノー天気さを愛したいという気持ちと同族嫌悪の感で相半ばする気持ちがあります。

憲法改正派に天佑の幸運は尖閣島事件以後中国が激しい日本憎悪に転じたことで、いまはだいぶ沈静化したものの、この時以来中国に対する日本人の7、8割は潜在的強硬派になってしまったともいえるでしょうか。沖縄にとっての不幸はこの時いらい本土では沖縄がどんなに叫んでも聞こえないふりをする人々が増えてしまいました。沖縄の怒りが沈潜をへて爆発をするかどうか、「爆発」に向けて現知事が行動をしていることは明らかです。
わたくしは沖縄の生活が長くなるにつれ、戦争と憲法を沖縄の目と頭で考える時間も長くなりました。週末にはコンビニに出かけて地元紙をけっこうじっくり読みます。全国紙はネットで十分です。


そろそろ比良のほうに向かう時間なのでここで一度中途休憩にします。下の写真は安倍首相の米国議会での演説時にわたくしのカメラで一枚撮ったものです。積極的平和主義を説明している時のものです。







# by yanagidamitsuhiro | 2015-05-02 10:04
2015年 04月 19日

新刊本Mitosis Book from Cold Spring Harbor Laboratory Press

A book on mitosis was recently published from Cold Spring Harbor Laboratory Press. This is one of Perspectives in Biology. The book was edited by Anthony Hyman, Jonathon Pines and myself. I wrote the first chapter entitled The role of Model Organisms in the history of mitosis research. Besides three editors, Tatsuya Hirano, David Glover, Aaron Straight, Iain Cheeseman, Mark Petronczki, David Pellman, Hiro Ohkura and their colleagues wrote the chapters. The book will take some time to express its influence. Therefore the book should be read by young people, hopefully by undergraduate students.
学部生にでも読んでもらえたらいいのですが




# by yanagidamitsuhiro | 2015-04-19 23:25
2015年 04月 19日

沖縄からみた世界地図 A map view from Okinawa

この地図は勝連半島にあるレストラン特製のもので面白いので買いました。部屋に張っておりおりに眺めています。沖縄が通常の地図とは異なって逆さまになっているので不思議にインスパイアされます。The Century of Asia アジアの世紀というタイトルがついています。こんな風な地図の書き方でアジアを見たらという程度に受け取りたいですが、なかなかそれだけではすみません。


I bought this map at a restaurant called Momoto-An nearby the Katsuren Castle in the peninsula of Katsuren in Okinawa. I occasionally see and think about the location of Okinawa in Asia through this angle of view (upside down). After many times watching, I now feel this location is more normal for Okinawa island people than the regular map. Japan and Korea are located behind, while gigantic China presses island countries like Taiwan, Philippine, Indonesia and Ryukyu-islands. It is easily understood that Viet Nam, Thai, Cambodia, Myanmer and other southern Asian countries are under the constant pressure from the Northern country. Okinawa-Ryukyu seems to have a geographically great mission to link quite distinct people and cultures in this area.




# by yanagidamitsuhiro | 2015-04-19 18:09
2015年 04月 02日

アマリリスとブーゲンビリア  Amaryllis and bougainvill(a)ea

I have decided more photo and less words in my blog and also to use English for non-Japanese people. Even in my lab several do not read Japanese.
I like this flower (Amaryllis), which is very jimi (meaning plain, simple) but suddenly become gorgeous and lasts briefly. Many flowers are like that. That is the reason I feel I must go to Naichi for seeing Sakura.
これは家主さんが持っているアマリリスの鉢で大事に枯れないようにしています。この時期、眼を楽しませてくれます。



沖縄のブーゲンビリアは花が紫色であると聞いています。この家には赤、黄、白とそれにこの紫と4色あります。十年も二十年もかけたとおもわれる家全体の壁がブーゲンビリアで覆われた家を見るとすむ人の気持ちが伝わっていいものです。
Okinawa people are proud of this purple color of bougainvill(a)ea. But actually I see more often red color bougainvill(a)ea in living districts here. Once this tree was nearly dead due to summer dry during my absence, but somehow survived after two years apparently dead period.





# by yanagidamitsuhiro | 2015-04-02 08:19
2015年 03月 29日

英国一家日本を食べる Sushi and beyond

最近読んだ2冊の本。すごく面白かったので記しておきます。とっくに有名な本だったみたいですが、知りませんでした。こういう方がひとり出てくるだけで、日本を知ろうとする人が非常に増えるのですね。日本のB級グルメとか漫画とか知日という点で大変な貢献です。

These two books I recently read. Very interesting and entertaining. I hope the author (Michael Booth) will continue to write about Japanese food and others. The original English title of the book is Sushi and beyond. Japanese version book title is 'English family eats Japan'. The reason why two books exist is that the first edition cut some chapters. But after the book was well sold, the remaining chapters were published.



# by yanagidamitsuhiro | 2015-03-29 13:41
2015年 03月 18日

大学に行くのをあきらめる日本の若者を減らすことがとても大切

日本では大学に行きたいのにあきらめる若者が実は沢山いる。特に地方に大勢いる、と感じますし、それを裏づける話もよく聞きます。このあたりに着眼して日本の活力を高めることは少子化の時代特に重要でしょう。
お隣の韓国のほうが大学進学率がずっと多いとも聞きます。なぜなのでしょうか。
日本では大学の設置の基準があんがい厳しくて、職業により密着した大学教育というのはあまり考えられてないような気がします。
つまり大学には重々しい印象が与えられているのでしょう。

わたくしが考えるには、一見変で、矛盾しているのですが、米国と欧州の影響が両方でているのでしょうか。
つまり大学4年間のうち前半は教養教育をする。後半で専門教育をする。これは米国的考えのような気がします。しかし、一方で教養課程のおおくは無駄と考える大学教師は日本では昔から多いです。

大学では相当に進んだことをやるので軽い気持ちでは卒業にたどり着けない。これは欧州的かもしれません。欧州では、大学進学率は日本より低いと(昔から)聞いています。いまは知りません。
しかし欧州の沢山の国では大学の教育はタダです。日本とはまったく違います。
向学心にあふれて大学で勉強したい若者があきらめる、特に地方で多い、理由は経費がかかりすぎる。
つまり理系の大学で勉強したい若者がいても地方から大都市にでて4年間勉強するのは経済的に無理と判断するケースは非常に多いと聞くのです。とても残念かつ、悲しいことです。
沖縄では多くの若者が大学進学をあきらめているのではないでしょうか。
日本の大学の多くは、重々しく、かつ経費がかかりすぎる。遠くから見るとそう見えます。
大学教育に関しては首都圏や京阪神、中京などの大都市圏に親が住む子供達が圧倒的に有利という気もします。
しかし、この状況を早く直して行かないと、いけない。
たとえ地方の出身の若者が大学に行けても、そのまま大都市に止まればますます地方は苦しくなる。
いまより悪くなるかもしれません。
どうしたらいいのか、この問題に解答を出すのが今の日本の非常に重要な課題だと思うのです。

大学の進学率を今よりもずっと高める。
重々しくない、軽快かつ楽しく4年を過ごせる、大学をふやす。
授業料を無料にする大学の数を飛躍的に増やす。
具体的には汎用性のたかい実務能力が大学教育で得られ、高められるようにする。
基本的には大学の設置基準のなかの重々しい部分をかなり削減しても大学として十分に認める。
そのために日本の中核的な大学で短期間半年ほどは過ごせるように国がその間の経費を肩代わりすれば地方の若者が、十分に刺激も受けつつかつ経済的に可能な大学卒の資格が得られる。
日本はいまや高等教育は容易に得られる国ではまったくない、ということを最初に認識しないと未来の日本像は描けないと思ってしまうのです。


# by yanagidamitsuhiro | 2015-03-18 21:43
2015年 03月 14日

5年間、10年間の感覚

10年という感覚は20台や30台の年齢の頃には非常に長いでしょうが、高齢になれば長さの実感が段々なくなるのかもしれません。時間の物差しがだんだん鈍くなってくるのです。それと時間の記憶がだんだんあやふやになってくるのです。それで10年、すぐたってしまうなんていう言葉がついでてしまいます。
一年間の記憶感がよわくなるのが原因なのでしょう。
わたくしも去年だったか一昨年だったのか、ハッキリ思い出せないことが増えて来ています。
記憶につよく刻むためには手で書くのが一番いいようです。キーボードで書くのはどうも刻まれにくいようです。
ただわたくしには4人の孫達がいまして、具合がいいことに上の二人と下の二人が同学年ずつ、かつ男女なのです。生きた時間経過と成長のバロメータとして会うたびに時の実在を強く感じます。

子達の成長を見ていると、当たり前でしょうが5年や10年の時間経過がどんなに大きいか、強く感じざるをえません。
上の二人は10才になっていますから、このブログを書き出したのは二人が生まれてすぐでした。
下の二人は、いま5才のはずですから、ちょうどいい具合に、10年を二つに分けています。
5才の女の子の孫のほうはもうだいぶ前からしっかりした感じだったのですが、男の子は3月生まれのこともありついこの間までは赤ちゃん的な幼児という思い込み感が強かったのですが、このあいだ妻と孫達の交信を見ていますと、しっかりした少年の顔だちに近づきつつあるのにびっくりしました。
たしか昔の日本、元服は5才(数え?)だったのか。そうなら、しっかりした顔立ちになったでしょう。
この子達にとってのゼロ才からの5年間、10年間の成長とわたくしにとっての5年間、10年間の持つ意味は何が似ていて何が違うのか、すぐ分かるようで実はわからないのです。

成長はいいものだという感覚は、無成長・静止があまりいいものではないということと裏腹だとするまずいのでしょう。
無成長・静止も素晴らしいとおもいます。ただ無成長・静止も新陳代謝はしているのでしょう。
大木がもうほとんど大きくならなくても毎年新芽を出し、新緑の葉を沢山作り無数の小枝を作るのが成長後の人生なら、はやくそういう時期になりたいと思う人も増えるのでは。
どんなに高齢になっても体の一部では成長と細胞の増殖が起こっているようです。高齢者の新規の記憶がどのように生み出され刻みこまれるのか、そろそろ大きな新発見がでてきてもいいのではないでしょうか。

そういえばこの数日、記憶に残るニュースが二つほどありました。
線虫を使ってがん診断ができるらしい。
土星の衛星の中に生命がいてもおかしくない環境があるらしい。

科学の進歩はとまることがないと実感します。

和光市理研の吉田稔さんが学士院受賞のニュースを見ました。彼がまだまだ学生的な感じが抜けてない時期からそばで見ていた一人としてとても嬉しかったでした。


# by yanagidamitsuhiro | 2015-03-14 09:26
2015年 02月 27日

ブログ開始後10年

2005年の3月にこのブログを書き始めました。それから十年経ちました。
最初の書き初めは論文を沢山書かなけれいけないのに書けないいうぼやきでした。10年経っても同じようなことを書いている自分に苦笑いです。
この10年間いろんなことがありましたが、ここ1,2年はなかなか思うようには書けないな、という感想が先に立ちます。勝手なことを書いてだれかに迷惑をかけてはいけないとか、職務については非常に厳しいしばりを感じます。
のんきに気楽にというのは最初のうちだけだったかもしれません。
沖縄に住民票を移して4年が経とうとしています。頭よりも体のほうは慣れてしまったようで、この時期内地に戻ると寒さが身にしみます。
あたまのほうはまだなかなか沖縄人の意識にはほど遠いかもしれません。
辺野古や普天間を話題にしたいのですが、正直感じていることは書けません。たぶん自分はよく分かっていないのでまだまだ自制したほうがいいという判断を下ろしているのだとおもいます。
沖縄地元の人達の意見に耳を傾けるのがもっぱらです。
ことしは敗戦後70年、区切りの年です。日本人は終戦の年に戦争でどう死んでいったのか、やはり記事や報道が増えているので時間があればできるだけ読んだり見たりしています。
今朝はフィリピンのかたの記事をよみました。沖縄とフィリピン国は違うが戦争末期に人々が似たような経験をしたという点でよく似ていたのだと言うことを知りました。
このかたは戦争直後一人でもおおく日本人を殺したいと思ったそうです、それだけひどい目にあったのでした。その人が戦後何度も何度も日本にきて知日派のトップのようになって、そのかたの正直な意見で本当に日本の裏表をよく知っているとおもいました。

沖縄の人達は一段とより複雑な感情を持っています。敗戦の年、あと数ヶ月早く日本が降伏していたら、沖縄の人達の死のほとんどはなかったでのでした。昭和天皇に対する感じ方、内地の日本人の沖縄を見る目や感情、日本を祖国とするにはあまりに悲しく情けない、そういうもろもろの気持ちは分かったつもりです。それがもっと深く感じられればわたくしも沖縄の心が分かるようになるのでしょうが、まだまだです。
辺野古のこれからわたくしにはまったくの未知の世界です。このまま静かに新基地ができるともおもえません。
なにかをきっかけに世界の耳目を集めるような状況が生み出される可能性もないわけではないでしょう。
県民の相当多くが、内地に対するアピールはあきらめて世界に向かうべきだという意見に耳をかたむけだしていることは間違いありません。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-02-27 17:04
2015年 02月 11日

ミトコンドリアDNA異常の治療

最近書いたものでは一般の人達にミトコンドリアのはなしがわからないということです。
だいたい聞いたことがないとかどんなもの?あたりが多いようです。
手持ちの国語辞典では、ミトコンドリアは以下のように説明されています。

真核細胞内(人も含まれる)にあって,主に呼吸に関与する,棒状または粒状の細胞小器官。ADP と無機リン酸とから エネルギー源のATP を合成する酸化的リン酸化を行なっている。また,DNA RNA を含んで細胞質遺伝に関与し,細胞内で分裂増殖する。糸粒体。

ますます分からなくなるかもしれません。細胞にエネルギーを供給する大切なものです。筋肉や脳のエネルギーの源はグルコースを分解する解糖作用のある酵素によるATPエネルギーとミトコンドリア内での分解されたものの酸化的リン酸化過程で作られるATPエネルギーでまかなわれます。
ミトコンドリアにもDNAがあって、このDNAは親から子に伝わるのですが、人の生殖では母親から子につたわり、父親のミトコンドリアDNAは子には伝わらないのです。
それでこのミトコンドリア内のDNAの遺伝異常は母から子に伝わり、つまり母系でしかも遺伝でいうところの優性遺伝になってしまうのです。
ちょっとややこしい説明なのですが、ミトコンドリアの性質は沢山の遺伝子の支配下にあるのですが、遺伝子の大半は普通の染色体DNAにあって、ミトコンドリア内のDNAに支配されているのはごくごく少数です。でも、この少数のミトコンドリア内DNAの遺伝子異常をもってしまうごく少数の不運な人達がいるのです。
この人達をなんとか助けてあげたい、少なくとも次世代の人達は健康な一生を遅れるようにしてあげたい、こういうことで最近の報道にあったような、細胞質にある健全ミトコンドリアの卵細胞を頂いて、核移植を行う、これがあたらしい治療の骨子です。英国議会の下院は多数で通過したとのことです。
詳しいことはわかりませんが、原理的にはいけそうです。具体的な治療対象の病気がわかるといいのですが、報道では具体的な病気名は見つかりませんでした。
ミトコンドリア病は脳とか筋肉とかそういう類いの病気が多いのです。

わたくしことしはじめからミトコンドリア遺伝子の論文を書き出しているのですが、知識の絶対量がたりなくて、難渋jしています。勉強しながら、遅遅としながらも進んでいます沢山の種類の病気がありまた病気の多様性を知りおどろきかつ強い興味を感じています。



# by yanagidamitsuhiro | 2015-02-11 11:41
2015年 02月 06日

30年前とよく似た気持ち

新年になってからも昨年の続きで忙しい日々が続いていましたが、やっとほっと息をつけるようになりました。
なんだか変な感じなのですが、いまから30年くらい前に京大でラボを始めてから数年経って成果が出始めた頃と研究をするうえでの心理状態が非常に似てきています。
去年の暮れに来年はどうなるか、自分に即していえば期待と不安と書きましたが、そんな感じです。
30年も経ってるのですからしっかり年齢は経過していますから、肉体的に大きな変化はあるはずです。
しかし気持ちのほうは年取っても意外に変わらないものです。なってみるとわかります。

一番の違いは、その時には30年後はあったのですが、今からはそれは無いので違いをよくよく考える必要はあります。でも逆にそれも楽しみが増す方向に働いています。
こんなに楽しんでしまってそれでいいのか、とも思うのですが、まあ許してもらいましょう。
経験の厚みで将来的な不安材料についての対処はいつもかんがえていますが。

昨日は一つ論文が通ったという知らせを受けました。
学位申請の基礎になるものですから、ほっとしました。
一緒にやって学位論文に到達した若者達の数が総計何人になるのか70人程度になるのですが、簡単だったのはやはりひとりもありませんでした。
若者のがんばりに接するとわたくしも元気がでます。

週末はすこしのんびりしてリフレッシュしたく思います。




# by yanagidamitsuhiro | 2015-02-06 17:56
2015年 01月 26日

沖縄の古代人

家に戻って作った晩ご飯を食べながらテレビを見ていますと琉球テレビが、特集番組で本島南部サキタリ洞で最近見つかった人の骨や装飾品について詳しくとりあげていました。なかなか力のこもったものでとうとうこういう番組ができたかと嬉しく思いました。

確かに港川人は1.5万年前の旧石器時代の骨でそれから縄文人の間には1万年くらいの時が空いていたので、それを埋める遺跡が見つかるのは大変すばらしいことで、いまや日本古代人についての遺跡は沖縄が独壇場になりつつあります。
最近見つかったのは顔の部分で歯まで残っていますから顔の復元もかなり正確にできそうです。
しかも解説ではDNAも回収出来る可能性があるとのことですから、すばらしい可能性が秘められています。
サキタリ洞の装飾品については前に県立博物館で展示があったときにわざわざ行ったのですが、1時間くらいの間に数人くらいしか来ていなくてちょっとがっかりしました。こういう番組ができたからには来られる人も今後はずっと増えて来そうです。
ただ番組つくりとして、今の沖縄人、日本人とどうつながるのかあまり説明がなかったです。
ぜひ現代人とつながるということで気持ちをかき立てるかたちで番組を作ってほしいです。
その可能性が非常に高いのですから。
ガンガラー谷の発掘は非常に楽しみですが、まだまだ発掘できるばしょは本島に色々あるのではないでしょうか。港川人の遺跡もちかくとはいえ海のそばですからだいぶ離れていますし、もっと遠くなら石垣島とかまだまだ沢山ありそうなので沖縄が一大古代人の遺跡の集積地になるのではないか。
沖縄が石灰岩に豊富なこと洞窟や鍾乳洞もおおいのですから、これから多くの素晴らしい古代人遺跡が見つかるでしょう。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-01-26 22:24
2015年 01月 17日

阪神淡路大震災、20周年

阪神淡路大震災が起きてから20年経ちました。
なんべんかこのブログでもとりあげましたが、東北大震災という出来事もあり、多くの人々があの神戸での大災害に心を寄せているでしょう、わたくしもまたなにか書きたくなりました。
20年前、わたくしまだ50代前半でした。朝の5時47分か46分にわたくしの家でも激しい揺れがありました。人生で一番きつい揺れ、これが地震を感じた最初の意識で、ベッド脇の洋服タンスがわたくしの足に倒れてこないようにタンスを押さえたのが最初の行動でした。飼い猫がおしっこをもらしながら部屋から廊下のほうに逃げていくのをみて、その後、階下から食器の割れる音がしばらく続きました。
家族の無事、しばらくしてラボで学位論文書きで寝泊まりしていたK君からラボでは特に被害はないという連絡がありました。地震災害訓練の豊かな静岡出身のK君だからこそできる的確な報告でした。
その日の朝はフランスのストラスブールに向けての旅行日でした。関空に朝から向かうつもりでしたが、もちろん電車も止まり、空港の橋も渡れないそうで、それでもスーツケーを持ち午前中にとりあえず京都まで行きました。被害の様子はなかなか分からないで、その恐ろしいほどの被害の甚大さは時間と共に明らかになったのですが、しばらくはわからずわたくしはフランスへいかに行くべきか、HFSPOという国際組織の審査委員会での義務を果たしたい、あんなに沢山の候補研究申請書を読んだのでなんとかしたいと京大の研究室でニュースを聞きながら考えていました。
被害は時と共に甚大であり、死者は少ないかもしれないが、倒壊した建造物は非常に多いというニュースがありました。後の大火災で倒壊した家の中で逃げられなかった多くの方々が命を落としたとしりました。いまでもそのことを思うと胸が苦しくなります。

京阪電車で大阪に向かい、そのあと南海電車を使えば空港に行けるのではないかと思い、淀屋橋までいけました。そのあとはたぶんJRで関空に行ったのだと思います。夕方にたどり着きました。
なんとわたくしの乗ろうとした午前に出るはずの飛行機はまだ空港にいたのですが、少し前に滑走路向かって動き出したとのこと。惜しくも乗れずでしかたなく泉佐野のちいさなビジネスホテルに一泊し翌朝ストラスブールに向かいました。飛行機からは神戸市は煙でほとんど見えない状況でした。
神戸市の状況の正確な把握は随分時間が経ってからで、多くの人々がなにか出来ないものかと被害地に向かったものです。日本での本格的なボランティア活動の元年とも言われていると聞きます。
東北大震災では20年前の阪神淡路震災で経験を積んだ沢山の人々が東北に向かったと聞きます。
わたくしもその後なんどか出かけて災害の深甚さと徐々に回復していく町や人々の様子を見てきました。後に震源地の近くも訪問することもできて、乏しい知識と体験ながらも自分なりの考えをつくることが可能になりました。当初はいろいろな悲劇的な出来事に対しての責任問題なども論じられましたが、そのうち日本人らしく人を責めるよりもともあれ復興に向かう、学ぶことはみな沢山学んだので次に生かしてという考えが強くなったとおもうのです。
それで良かったのかどうかは分かりませんが、東北の大震災についても同じような経過をたどっているような気がします。

20年がたち、わたくしもしっかり年をとってしまいました。
当時のラボメンバーいまはどうしているのだろうと考えたくても当時のラボメンバーがひとりずつ明瞭に思い出せません。
いまスコットランドでラボを持っているS君は両親がおられる自宅のある宝塚にもどるのに非常に苦労したと印象的に聞いたのを思い出しました。
多くが学生だった若者で関西出身者が多かったのですが、きょうあたりどんな風にかんがえているか、会ってみて話してみたいなあ、恩納村の家から海の遠くを見ながら、強く思いました。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-01-17 12:40
2015年 01月 03日

2015年 不安と期待

2015年になりました。
多くの人々には期待と不安が交錯した年のはじめでしょうか。
不安の一因は、日本という国の実情はお役所や報道で理解しているのと実際はかなりの違いがあるのではないか、自分たちは日本という国をちゃんと分かっているのか、ということでしょうか。
わたくし自身もそのような感覚が強いです。
いちばんショッキングななのは子供の相当数が十分に食べてない、食べられないという報道に接することです。また高齢者の貧困層が増加の一途であるという記事をよむことが増えることです。
しかし現実に町を歩いたり人々が大勢いるところに行くとそのような感覚をつかむことはほとんどありません。
将来の不安は増えてきたものの目の前の社会に格別な兆候を認めることは難しい。
日本は昔から生活に苦しい人達は沢山いたし、だからこそ身を粉にして働くとかいう表現が当たり前のようにあったわけです。日本が富裕な国であるなどと「錯覚した」のは戦後70年間でもごくごくわずかな時期だけだったでしょう。
でもこれからもっと思いもよらない社会問題がでてくるのではないか、という不安は多くの人々に共有されているのだとおもいます。
わたくしは人間の寿命のことを研究テーマの一つにしてからずいぶん日本の社会を見る目が変わってきました。
寿命がのびるのは素晴らしいことのようだけれども、実際には日本社会にとっては一番予想外のことが起きる原因になるのではないか、と感じだしています。
いっぽうで高齢者の能力や有用性が社会的にほとんど利用されていないとも強く感じています。
高齢者の能力、分かっているようだけれども実はほとんど理解されてないのではないか、思います。
前向き的な発言をさせていただくと、高齢者のもつ独自な能力を研究テーマとして探求することが非常に大切だし、日本という国家の将来を考えるうえでもとても大切だと思うのです。

話が横道にそれたような気もしますが、しかし日本の未来は高齢者がいかに社会にいかにかかわるかで随分変わってくると思うのです。
ひと言でいえばなんらかの生産性のある仕事にだれもが死ぬまで従事できる社会をいかに未来にむけて作れるかだと思うのです。


# by yanagidamitsuhiro | 2015-01-03 00:13