2015年 01月 17日

阪神淡路大震災、20周年

阪神淡路大震災が起きてから20年経ちました。
なんべんかこのブログでもとりあげましたが、東北大震災という出来事もあり、多くの人々があの神戸での大災害に心を寄せているでしょう、わたくしもまたなにか書きたくなりました。
20年前、わたくしまだ50代前半でした。朝の5時47分か46分にわたくしの家でも激しい揺れがありました。人生で一番きつい揺れ、これが地震を感じた最初の意識で、ベッド脇の洋服タンスがわたくしの足に倒れてこないようにタンスを押さえたのが最初の行動でした。飼い猫がおしっこをもらしながら部屋から廊下のほうに逃げていくのをみて、その後、階下から食器の割れる音がしばらく続きました。
家族の無事、しばらくしてラボで学位論文書きで寝泊まりしていたK君からラボでは特に被害はないという連絡がありました。地震災害訓練の豊かな静岡出身のK君だからこそできる的確な報告でした。
その日の朝はフランスのストラスブールに向けての旅行日でした。関空に朝から向かうつもりでしたが、もちろん電車も止まり、空港の橋も渡れないそうで、それでもスーツケーを持ち午前中にとりあえず京都まで行きました。被害の様子はなかなか分からないで、その恐ろしいほどの被害の甚大さは時間と共に明らかになったのですが、しばらくはわからずわたくしはフランスへいかに行くべきか、HFSPOという国際組織の審査委員会での義務を果たしたい、あんなに沢山の候補研究申請書を読んだのでなんとかしたいと京大の研究室でニュースを聞きながら考えていました。
被害は時と共に甚大であり、死者は少ないかもしれないが、倒壊した建造物は非常に多いというニュースがありました。後の大火災で倒壊した家の中で逃げられなかった多くの方々が命を落としたとしりました。いまでもそのことを思うと胸が苦しくなります。

京阪電車で大阪に向かい、そのあと南海電車を使えば空港に行けるのではないかと思い、淀屋橋までいけました。そのあとはたぶんJRで関空に行ったのだと思います。夕方にたどり着きました。
なんとわたくしの乗ろうとした午前に出るはずの飛行機はまだ空港にいたのですが、少し前に滑走路向かって動き出したとのこと。惜しくも乗れずでしかたなく泉佐野のちいさなビジネスホテルに一泊し翌朝ストラスブールに向かいました。飛行機からは神戸市は煙でほとんど見えない状況でした。
神戸市の状況の正確な把握は随分時間が経ってからで、多くの人々がなにか出来ないものかと被害地に向かったものです。日本での本格的なボランティア活動の元年とも言われていると聞きます。
東北大震災では20年前の阪神淡路震災で経験を積んだ沢山の人々が東北に向かったと聞きます。
わたくしもその後なんどか出かけて災害の深甚さと徐々に回復していく町や人々の様子を見てきました。後に震源地の近くも訪問することもできて、乏しい知識と体験ながらも自分なりの考えをつくることが可能になりました。当初はいろいろな悲劇的な出来事に対しての責任問題なども論じられましたが、そのうち日本人らしく人を責めるよりもともあれ復興に向かう、学ぶことはみな沢山学んだので次に生かしてという考えが強くなったとおもうのです。
それで良かったのかどうかは分かりませんが、東北の大震災についても同じような経過をたどっているような気がします。

20年がたち、わたくしもしっかり年をとってしまいました。
当時のラボメンバーいまはどうしているのだろうと考えたくても当時のラボメンバーがひとりずつ明瞭に思い出せません。
いまスコットランドでラボを持っているS君は両親がおられる自宅のある宝塚にもどるのに非常に苦労したと印象的に聞いたのを思い出しました。
多くが学生だった若者で関西出身者が多かったのですが、きょうあたりどんな風にかんがえているか、会ってみて話してみたいなあ、恩納村の家から海の遠くを見ながら、強く思いました。

# by yanagidamitsuhiro | 2015-01-17 12:40
2015年 01月 03日

2015年 不安と期待

2015年になりました。
多くの人々には期待と不安が交錯した年のはじめでしょうか。
不安の一因は、日本という国の実情はお役所や報道で理解しているのと実際はかなりの違いがあるのではないか、自分たちは日本という国をちゃんと分かっているのか、ということでしょうか。
わたくし自身もそのような感覚が強いです。
いちばんショッキングななのは子供の相当数が十分に食べてない、食べられないという報道に接することです。また高齢者の貧困層が増加の一途であるという記事をよむことが増えることです。
しかし現実に町を歩いたり人々が大勢いるところに行くとそのような感覚をつかむことはほとんどありません。
将来の不安は増えてきたものの目の前の社会に格別な兆候を認めることは難しい。
日本は昔から生活に苦しい人達は沢山いたし、だからこそ身を粉にして働くとかいう表現が当たり前のようにあったわけです。日本が富裕な国であるなどと「錯覚した」のは戦後70年間でもごくごくわずかな時期だけだったでしょう。
でもこれからもっと思いもよらない社会問題がでてくるのではないか、という不安は多くの人々に共有されているのだとおもいます。
わたくしは人間の寿命のことを研究テーマの一つにしてからずいぶん日本の社会を見る目が変わってきました。
寿命がのびるのは素晴らしいことのようだけれども、実際には日本社会にとっては一番予想外のことが起きる原因になるのではないか、と感じだしています。
いっぽうで高齢者の能力や有用性が社会的にほとんど利用されていないとも強く感じています。
高齢者の能力、分かっているようだけれども実はほとんど理解されてないのではないか、思います。
前向き的な発言をさせていただくと、高齢者のもつ独自な能力を研究テーマとして探求することが非常に大切だし、日本という国家の将来を考えるうえでもとても大切だと思うのです。

話が横道にそれたような気もしますが、しかし日本の未来は高齢者がいかに社会にいかにかかわるかで随分変わってくると思うのです。
ひと言でいえばなんらかの生産性のある仕事にだれもが死ぬまで従事できる社会をいかに未来にむけて作れるかだと思うのです。


# by yanagidamitsuhiro | 2015-01-03 00:13
2014年 12月 25日

日本国の借金について

年の瀬、日本の抱える借金を考えてみたい。
経済学などを学んだことがない人間が国の財政など論じる資格などまったくあるはずがないのですがでもちょっとなにか書いてみたいという誘惑に負けて。
日本の国が千兆円を越える借金を抱え、かつ毎年100兆円の予算をつくり税収はその半分しかないので借金が積み重なる。よく見かける記事です。このことには悲観的(一見よくわかる)な意見と楽観的な意見(わからないがでもその意見に頼りたい)が二つある。
悲観的な代表的意見は20才以下の日本人はこの国を去るのがベストの案という外国の事情通の意見とかがあります。
悲観的でない意見は、借金はほとんど日本人からなので国内のやりとりなので心配ない。さらに日本は国外に膨大な資産を抱えており全体的にお金は沢山あるという、なかなか信じるのが困難な意見も聞いたことがあります。
何で専門家がこんなに極端な違いのある意見を言えるのか不思議です。言論の自由とはいえもうすこし意見はまとまらないのか。
生命科学になにか借金とか負債のようなコンセプトがあるか。考えてもありそうもないです。
人間は借金をするが、犬とか馬が借金をするとは聞いたことがないし、植物も微生物も負債を抱えた一生は聞いたことがない。
やはり借金を返済する生活などは余りないようです。
ここまで書いてはたと気がつきました(実はこれを書く前から計画していたこじつけですが)。
あります。
借財の様なものが。
ちょっと里芋を考えてください。これを一個ずつ地面に埋めます。
地温が高くなると芽が出てきます。虫に食われなければそしてほどほどに肥えた土ならば太陽光に当たってすくすく大きくなり、そのうち大きな葉が出来てきます。雨の日には子供が傘代わりに使ったりするくらい大きな葉です。
順調にいけば晩秋には根元にはごっそり20個くらいの大きな里芋が出来てきます。つまり20倍になります。猿も食べようとしないので作る人間側には安全な労働投資で、今年は猫の額のような狭い土地なのに100キログラムくらいの里芋が収穫出来ました。嘘のような話に聞こえるでしょうがホントのはなし、わずかな勤労と種芋投資で沢山の成果があがったアベノミクス第3弾のような話です。
収穫がなければ人間側には労働に対する報酬なし投資もゼロになるのですが、わたくしの書きたいのはそういうことではありません。
里芋は芽がでるまで地中の生活を送ります。この時期に里芋自体のもっている全能性を利用しているのですが、ある意味資産を食いつぶしているわけです。芽がでても虫などに食べられると資産を失います。つまり里芋の次世代への人生がなくなります。土質があわないとか、連作障害とかで資産を食いつぶしてそれで終わりという危険性があります。
うまくいけば葉が出て幹がのびどんどん巨大化します。しかしこの状態ではまだ駄目でしっかり大きな芋が沢山出来て初めて次世代につながるわけです。
芋が地中で芽を出すまでは借金生活をしているともいえます。というか芋の存在がそのような生活を可能にしているわけで。土中の生活をするための蓄えがあるので、芋の人生の生活が可能になるわけです。
種芋が大きいと総じて秋に収穫される量も多い様です。借財の投資が多ければリターンも多い、そんな風に感じます。
さてこれで生き物の借財、こじつけが出来ましたでしょうか。
教訓はあまりありませんが植物は地中での生活がわからなければ地上での生活はわからない。地中での芋の生活は太陽光の恵みを使わずに蓄えを利用して次世代にかける芽を出せるようにする。

植物の借財は次世代のためにしているのに、今の日本人の借財は自分世代の時のためだけにしているのでやはり駄目だといわざるを得ません。
天罰を受けるのがその世代ではなく、次世代ならやhり酷い残酷物語になるとしか思えません。
なんとか今からでも遅くないので次世代に役立つように借財利用を向けていかないと。
子供達を育てることなのでしょうか。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-25 16:45
2014年 12月 20日

再現できなかった実験ーわたくしの場合

もう45年近くも昔、スイスのジュネーブ大学で研究をしていたまだ20代のわたくしに、実験の再現が出来なくなったことがありました。非常に残念で、今でもかなり強く記憶に残っています。
当時わたくしは電子顕微鏡を使って細菌ウイルスの一種T4がつくる構造体の観察をしていました。突然変異体を用いたので、正常なウイルス構造のかわりに長い筒状の構造がよく見えました。ウイルスDNAは入っていないので前駆体のようなものというのが関係研究者のあいだでの理解でした。わたくしは、当時としては斬新な画像解析方法光濾過法を使って、この構造体の詳細に観察する実験をやっていました。
ある時、その筒状構造を含む試験管液を一晩放置して次の日に観察したら筒状の表面に見える格子の模様ががらっと変わっていました。顕微鏡の視野で観察していても歴然と違って見えるのでこれは面白いと思いました。ほとんどの筒状構造がそのようになっていました。
それで沢山の顕微鏡写真を撮ったものです。いつも見えている格子模様をラフと呼んで試験管内でしばしおいてあった時に見えた模様をスムースとよんだものです。
格子の単位が約20%長くなっていてそのおかげで別なタンパク質と思われるものが格子中に加わっているものが小数ながらありました。
わたくしは興奮しました。成熟したウイルスの頭部はスムースの格子に模様によく似ているので、これだ、これこれ、前駆構造が成熟構造になるのを試験管で再現出来たのでは無いかと考えたのです。
最初の数日は頻度が変化こそすれこのスムースな構造は再現出来ました。ラフよりスムースのほうがずっと丈夫で安定なようだったでこれも成熟ウイルスとにていました。
ところが一週間ぐらい経ってから、組織的に実験条件を検討したら、突然というかまったく再現出来なくなりました。まだ若かったものですからこれという対策もなく、しゃかりきにパラメーターを変える実験を繰り返したのですが、やればやるほど駄目でした。非常にがっかりしたものです。理由はわからずじまいでした。
他のプロジェクトを進行させてこの実験は数ヶ月であきらめたものです。試験管内反応実験で最初に味わった挫折でした。
何年かして、この筒状構造体に一部含まれるタンパク質がタンパク質の分解酵素で、その分解酵素によって模様が変わるということがわかってきました。この分解酵素が活性化させるのが難しかったようです。6,7年経ってから筒状構造でなく、ジャイアントウイルスなるものを使うことに京都大学に移ってから成功して成熟反応の一部については詳細な研究ができようになりました。それは誰もがすぐできる再現性の極めて容易な実験でしたので大変喜んだものです。
しかしその初期のラフな筒状構造からのスムースへの試験管内での変換反応は自分の手では再現出来ませんでした。文献をその後追っていないので、ハッキリしたことがわかりません。だれかがある程度成功したとか、しかしそれも誰も再現出来てないとか、そんなことを70年代に聞きましたが分野自体が静かになってしまって、今の状況はわかりません。
何十回もうまくいかない実験は若かったわたくしにはなかなかの失敗感覚が残ったものですが、逆にその実験をやめて方向転換すればすぐ別な問題に夢中になれたものです。
染色体の分離に必須と言われるセパレースと呼ばれるタンパク分解酵素の試験管内の反応も大変難しいようです。タンパク質を純粋にして活性を検出するのが極めて困難なのです。ところが生物種によっては比較的容易ともいわれます。わたくしも一時ラボで試みましたがわれわれの愛用する分裂酵母では実現が難しいようです。タンパク分解酵素はピンキリですがいろんな意味で厄介なものです。

理研のSTAP検証実験の結果についての報告が昨日ありました。小保方氏も丹羽氏も否定的な結論でした。小保方氏は最後まで出来るといっていたのは事実ですが、NHKニュースは随分彼女に対して酷な記者会見画像をこれでもかこれでもかと出していました。彼女の作ったものは万能細胞と言えるようなしろものでは無かったということです。一部緑色には弱く光るようですが。STAP細胞もこれで一段落でしょう。
わたくしも朝日新聞にコメントを求められました。否定面よりは肯定面を言いたかったです。検証実験もわたくしは非常に意義があったと考えています。特別扱いされた研究、検証という特別実験も必要でしょう。われわれの研究はほとんど国費、つまり国民の税金で行われているのですから、わたくしにはこの検証実験は国民にたいしての説明責任でもあったと思います。研究者は研究は密室で行われているので、密室の正義を振りかざす傾向があるのでは。

これで神戸の理研もぜひ一歩前に進んで欲しい。報道も全体としてこの長丁場とてもよくやったとおもっています。日本人の生命科学への理解や関心は増したし、また表だけからだけではみえない裏につながるものもわかったでしょう。飽きずにいろいろな角度からの報道を希望したいです。

またこのような状況でも、それでもなおかつ生命科学研究の世界で一旗揚げたいと希望する若者がぜひいて欲しいとおもいます。

後日談ですが、結局どこにも再現失敗の実験は報告できずででした。しかし撮った何百という電子顕微鏡の写真の濾過像はあまりに美しく見事で、筒状構造の一つとして生理的意義も何も記述せずにこのようなスムースな構造を観察できることもあると論文の中でごく短い記述をしたものです。
でもこの不完全燃焼感は後の研究の原動力にもなったような気がします。あのような興奮をもう一度味わいたいという気持ちが研究に自分を駆り立てたものなのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-20 08:07
2014年 12月 15日

わたくしが受けた初等教育

最近何度かわたくしは自分の受けた初等教育(つまり小学校の6年間)が優れたものであることに気がついたことがありました。
戦後史の一つの小さな証言として以下に書いておきたいとおもいます。
どこが優れているか、まず愚かなイデオロギーや過度のしつけや行動の束縛がありませんでした。母親が学校参観にきて活力はあるがあまりの無秩序さにあきれて先生が悪いのか子供が悪いのかどう考えたらいいものやら困っているように見えたものです。
戦争が終わってまだ2年か3年国全体が貧困かつ前途の困難さに足がすくんでいた時代でしょう。
一見無秩序にみえて実際にはそうでもなく、わたくしは国語も、算数も理科も、社会もそして図画工作や体育も力一杯めいっぱい学んだような気がします。
たとえば小学校6年で実社会で働いたとしても使い物になるようなそういう教育も残っていたような気がします。つまり役に立つ(尋常)小学校教育です。
一方で米国占領下でもあり(しかたなく)IQテストとか職業適性検査などもありました。意味もわからず自分は肉体労働でも頭脳労働でもどちらも優れている判定され誇りに思った記憶があります。
クラスは50人を越えているわけですから雑然としているのはとうぜんでした。
そこで99の暗算やそろばんのスピードを競えばトップからビリまで相当な落差があるのはあたりまえです。
でもそれでも教師も生徒も差は差、でもだからどうということはない、という程度の認識でした。東京のはずれ練馬区の畑はトイレのにおいがするようなところでの教育でしたから。
でもそこでわたくしは大人になるのに最低限必要な教育をしっかり学んだものです。度量衡が尺貫法からメートル法に変わる時期ですっかり変換を暗記したわたくしは親から見ても大変役に立つ子供だったとおもいます。
すべてがアナログの機械の時代ですから少年にとってはいくらでも頭脳を使う対象はあり、自分でいうのもなんですが、小学校を卒業した自分はもう社会でも十分働けると思ったものです。
学力的にもいまから見てもどこの国のトップクラスの小学生にも語学以外はひけを取らなかったはずです。
いまから思うと、何か特別な教育があったのか?
何もなかったのだとおもいます。
男性教師の多くは戦地帰りでしたが戦争の話などを聞いたことはなかったし、しゃべっているのも聞いたことはありません。唯一コッペ先生というあだ名の先生が昼の給食前にコッペパンを食べているのを目撃されていてなにか戦争体験と関係があるらしいと聞いた記憶があります。
愛国教育などはされたつもりはまったくありませんが、でもやはり意識下においてされたのだと思います。
敗戦国の未来はこの子たちにすべてかかっていると信じたであろう先生方の気持ちがいつのまにかどこかで伝播したのでしょう。
米国に対して恨みも憎しみも一切植え付けられませんでしたが、でもあこがれも羨望もなかったのは事実です。こういう敗戦後のおとなが虚脱していた時期に、ほったらかされていたようなわれわれはやはり親とその一つ上の世代を見たり影響を受けて育ったのでしょう。
わたくしもいまでも暗算が自分で驚くほど速いのはその頃の教育のおかげなのは間違いありません。
それだから昔の教育が良かったと言っているのではありません。

自然体の全人教育を公立の小学校で6年間、受けたということ、内容的にいまの教育にまったく劣らないと思われるということです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-15 14:56
2014年 12月 01日

ダメよー、ダメダメ

わたくしはこれしかない、駄目よー駄目、駄目。
これこそ、がことしの流行語大賞になるはず、なるべきと妻に力説しました。
残念ながら発表前にそう書かなかったので後出しとなってしまいました。
でもまあ当然ながら良かったです。なにがか?いや、圧倒的にオリジナルで、かついまの世相に合っていました。

この日本エレキテル連合ですか、変な二人ですが。
このあいだのテレビ番組でいくつか謎がとけました。
白塗りの女性が努力家で不器用らしい、ひげとかしわとかを顔中に塗りたくっている方がコントなどをいくらでもかける才女。しかし、この白塗り顔はそう簡単に作れるものでなく、印刷感が必要つまり極めて平板でないといけないのだそうで。
ことしの2月くらいまでは極貧だったそうです。志村けんを崇拝しているのだそうで。
人気はいつまでも続くかどうかわかりませんが、まちがいなく日本の生み出す笑いのどこか「核」になれる人達です。初心忘れるべからずです。

それでわかったのですが、駄目とは囲碁用語だとか。それは知りませんでした。
囲碁ではもちろん駄目を詰めると言って、アホなことのいの一番ですが、でもそうか囲碁としての使用が初出とは知りませんでした。
駄目よダメダメーとは、無駄よ、無駄無駄とか意味ない意味ない意味ないとかで、否定性は強くありますが、対立とか攻撃性は全然無いのですね。
でもテレビでは若い女性に中年の男性が声をかけて誘ったときの対応の言葉が主流の解釈なのだそうです。ご本人達はいろんな状況で使っていただいて、ありがとうございましたと、言ってます。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-12-01 23:17
2014年 11月 24日

消える定年

雑誌Wedgeの12月号の表紙を見たら、消える定年との大きな文字があって、その下に遠のく隠居、迫られる生涯現役とありました。
迫り来るでなく迫られるとしたニュアンスは記事を読まなくてはわかりません。
いまは忙しいので読む時間が無く後で見て感想を書きたいのですが。
ただこういうメッセージはわたくしが長年当然と思っていることです。
開業医師の多くや農業に従事するひとたち、絵画や工芸など生涯現役の職業は案外多いものです。
そういう人達には当然な意識でしょうか。
そもそも年金を何十年ももらえるというのは運が非常にいい人達でしょう。隠居の期間も昔はだいたい5年、たかだか10年というところでしょうか。
女性の場合には家事という職業を延々続けるとかんがえると生涯現役なんて当たり前、何をいうのか、という感覚では無いでしょうか。
ここでも日本の女性の社会に果たしている役割の「無視」のようなものを感じます。
わたくしの場合50代の頃から自分はどうするのだという、問いがずっと続いていました。
いますこしずつ答えが出だしています。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-24 12:49
2014年 11月 13日

グローバリズムという病

仙台のホテルの隣が本屋だったので中に入って目にとまった「グローバリズムという病」というタイトルの本を購入しました。平川克美というかたが著者です。
まだ途中までですが、なかなか鮮やかに主張が述べられており、啓発されます。
基本的には述べられている主張に同感です。
ただわたくしなどはグローバリズムを漠然と考えていたのに著者は深く考えてきちんと主張をのべていますので、それで鮮やかと言う表現を使いました。
読む人によっては印象も違うと思いますので、うかつに要旨を書きません。
読む人の数が増えることに意義があるとおもいます。
そして、周囲のひとと話し合うことがいまの日本、意義があるのではとおもいます。

グローバリズムを病と表現することからも、著者の考えは批判的なものであり、さらに日本人に対する強いの警告の書とも言えるようです。
とりあえず最後まで読んでみます。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-13 17:40
2014年 11月 02日

気忙しい11月

きょうは日曜日。
妻の車で京都に出て、研究室のN夫妻の結婚披露宴に出席しました。
木屋町の二条下がるにある結婚式場で、昔はここはなんだっけと思っても答えがでません。
沖縄からも大勢来ていました。
それにN君の故郷長野県と奥さんのJさんが育った岐阜県から親族の人々が多数こられて、なごやかでした。
友人と家庭が中心の披露宴もなかなかいいものでした。
わたくしは二人がどういういきさつでしりあったのかまったく知らなかったので、そのあたりがわかってなるほど、と一番の興味ある点で納得できました。

披露宴の準備が大変だったろうな、こんな緻密に計画通りに進行するための前準備の大変そうなことはつよく印象づけられました。
たしかに今年でた結婚披露宴はどれも準備万端整っていて、どんどん時間がたっていきました。
昔といっても大昔ですが、手作り感が全面にでてきましたが、ああいうのはもう無いんだろうなと思った次第。
披露宴が終わってから、着替えて京都駅まで送ってもらって、関西空港まできました。
夜の便で台北にいきます。中国科学院の分子生物学研究所のシンポジウムとリトリートいうのか評価もかねた会に招待されていきます。

海外からの招待講演の中にはよく知っている人もいます。聞くのが楽しみ。
それで明日は講演しないといけません。いちおう準備はしてあったのできょうの披露宴でもあまり気にせずにアルコールは飲んでしまいました。
台北の後は那覇直行便で戻ります。

ともあれ11月は気忙しいです。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-11-02 17:48
2014年 10月 26日

最近感じている研究生活感の変化

沖縄でフルに研究を開始してもう3年以上たちますが、この2年くらいはやたらに忙しくてちょっと参り気味でした。
ほとんど研究にのみとられる時間なので不満をいってるのでなくただただ忙しいそういうことで研究以外のことに使える時間は睡眠、食事それにちょっとした息抜きの時間でした。
研究に忙しいという意味のひとつは新しい研究テーマが複数ありますので「学ぶ時間」、得た知識を「身につける時間」が半端でなく膨大なのです。
新しい知識を学んでも学んでも次々に次の問題を解くために必要な知識摂取の必要性が出てくるので寝る時間が文字通り惜しい日々が続いてきました。
恐ろしいのは学んでも知識を吸収してもすぐ忘れてしまうことが多いのです。なかなかつらいものです。しかし加齢により賢明になっている面もあるので最低限の自己流の対応はしています。

それともう一つの時間がまったなしで忙しくなったのはラボメンバーの博士の学位の取得の問題でして、研究室の中のことなので詳しくは書きませんが、そういうことにとられる時間はデッドラインつまり締め切りがありますので長年この稼業をやっていますが、ひとりひとりにかける時間は今も昔もかわりません。
本人が骨身を削ってやっているのですから、こちらもある意味それに合わせてやってと、そういうことになります。

気持ち的には、この「勉学の忙しさ」は大学院生時代に戻ったような気がします。
教授になった頃、新しい研究を始めて研究グループの運営とアウトプット(成果)を世に問うことで躍起となり、研究発展のためには絶え間なく新知識の吸収と体得に躍起となっていた40才くらいの頃も忙しかったのですが、それとちょっと似ています。こんな年齢になってそんな体験をまたもう一度日々味わうとは夢にも思いませんでした。

こんなことをきょうは書いてきたのも、ここのところ本当にたいへんでしたが、なんかやっと先の目途がたってきたような気がします。そんな気がこの1週間くらい感じだしてきました。
研究のほうはホントに区切りなどつくことがあり得ないし、成果をあげる大変さはまったく軽減してないのですが、なんかほのかに東の空に明るい光のようなきざしが見えだしてきたような気がします。
これが本当に夜明けのきざしなら嬉しいのですが、どうでしょう。
たぶんやっと研究プロジェクトに慣れてきたのでしょう。また、この沖縄の研究環境でなんとか新しいものを生み出すことができそうな気がしてきたのでしょう。
こういうのはあくまでも感覚なので証拠を出せといわれた雲散霧消するようになります。
しかしかつてはそういう感覚をもちだすと2,3年でかつては真の成果がうまれたものですが。
しかし実績的には、60才を超してからは予想の1.5倍か2倍くらい時間がかかっているので、5年くらいかかるのかも。
そもそもそんな時間が自分にあるのかどうかそのあたりも自問しながらやっていかねばなりません。
とはいえ、まだしばらくはこのあまり人間的でない忙しさは続くのでしょうが、大変さの峠は越したな、すこし余裕をもって周りを見出せるかな、と思い出しています。
ありがたいことです。
しかし、余裕のまえにわたくしは11月に入ってからの1ヶ月半はかつての阪神タイガースにあった死のロードというのに似たようなスケジュールが続きますので、せいぜい気をつけます。

ところで京大生がプロの投手になるとか。ロッテの、ドラフト2位とか。すごいです。
田中君ですか。工業化学、難しい卒論テーマもやっているようで。
昨夜、インタビューを見ました。しっかり青年、ひとことひとことが感じいいですね。
京大出身初のプロ、頑張れとテレビの画面に向かって思いました。
見てるうちに、なんか熱い気持ちになってきました。
そういう気持ちにさせる青年です。
本当に実績をだすためにも一流プロの体作りに励んで欲しいです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-26 09:53
2014年 10月 15日

台風の後

台風が去って穏やかな日がもどりました。
きょうあたりまだ海の波は高いですが陸のほうは太陽がもどってさわやかな秋日となりました。

でもどこの家の庭も被害がありありと残ります。
わたくしの家の玄関のブーゲンビリアの花はほぼ全滅。
楽しんでいた、アセロラの綺麗な花も実もほとんど落ちてしまいました。実は50個近くも。残念。
実のうちいくつかは真っ赤になったので口に入れましたが、甘酸っぱくおいしかったです。
こんなに落ちてしまうと来年は駄目のようです。
デイゴの木のてっぺんに沢山花芽がありましたが見ると黒っぽくなってもう花にならないような気がします。大半の葉も落ちてしまいました。
それに、多くの木の葉は飛び去ってでしまったかで裸の枝ばかりになっています。
バナナの葉もほとんど枯れたみたいになって。

こういう経験をすると沖縄の人々の忍耐心の強さと未来にたいするポジティブな気持ちが理解出来るような気になります。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-15 14:13
2014年 10月 07日

赤崎先生とおふたりノーベル物理学賞

赤崎先生、きょう発表のあったノーベル物理学賞受賞されました。
お会いしたことあります。
一目で好きになりました。まさに理想の学者そのもの。
京大の理学部出身と聞いてさもありなんと。
さらにへび年と聞いて、ますます親近感が。
80才すぎても学生さん沢山いて昨年は論文を沢山発表したとおっしゃられていました。
ことしは物理学賞三人とも日本人。
益川先生のときも日本人三人、さすがは物理分野われわれの世界とは段違いと思わざるをえません。
そのうちのお一人は赤崎先生のお弟子さんとのことです。
もう一人がLED実用化に成功した中村さんと、日本人としてはほんとうに誇らしいかた達でだれもが嬉しくなるような結果でした。
実のお兄さんが毎年の取材で本当に大変だったと述懐していました。
候補者になると、しかたないのでしょうかね。


# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-07 22:25
2014年 10月 07日

憲法九条がノーベル平和賞になったなら困るし欺瞞になります

今朝の新聞をみたら日本国憲法9条がノーベル平和賞の候補になってリストのトップであると民間機関がいっていることを大々的に報道しています。
ひとことでうんざりですが、文句を言っておきたい。もちろんこういう記事を大々的に仕組んでなおかつ批判意見も最後にちょろっと載せる狡猾な報道態度に。

まず日本では平和賞をもらったのは、故佐藤栄作首相です。沖縄返還への努力に対するものと理解しています。当時のマスコミは完全な無視を決め込んだのではないでしょうか。いまからおもえば祝賀すべきであったマスコミいまはどうおもっているのでしょう。
そういえばオバマ大統領ももらいましたね。これ以上いいたくありませんが、どんな意味があったのでしょう。
ともあれ、そんなことは絶対にないと信じていますが、もしも憲法9条がノーベル平和賞になったら、ある意味日本に対する重大な内政干渉でしょう。とんでもないことです。

現状は、自衛隊の軍事力もあり、左翼はながらく違憲状態といっていたのですから、それをひっくり返そうというのでしょうか
それにどういう意味で賞をだすのか不可解きわまりないことになりませんか。
ありえないし、日本国民の過半数が現在の安倍政権を支持しているのですから、平和賞委員会がいったい日本国家に対して、何を仕掛け、目指すのかまったく???です。自衛隊もつぶせといういのか?

日本はそれでも世界に冠たる平和国家だし、おとなりの居丈高の国家にくらべればなんとも平和国家ですが、それは9条のおかげと考えるのはなにかの大間違い、勘違いでしょう。

ともあれこういう事大主義的なノーベル賞に寄りかかってその権威(あるとして)を使っていいたいことをいう。何百万の発行部数を誇る大マスコミがこんなことをしてていいのか。本当に節度があって欲しい。

ついでにいえば、今年のノーベル賞、予想屋が沢山出てきて、わいわいやっていますが、恥をしれ、といいたいです。もういい加減にこういうレベルの低い報道はやめて欲しい。ほとんどの読者はなんやら知らんが偉い人達らしい。何をやったのか、国家の誇りになるような偉いことをしたのでしょうね、こんな感じ。節度がなければ日本は日本でなくなってしまいます。
ひと言でいって、事大主義は一番恥ずかしい。どっかの国にすごく似ていますよ。




# by yanagidamitsuhiro | 2014-10-07 10:55
2014年 09月 22日

田矢さんのおかげ

昨日東京の学士会館であった田矢さんを偲ぶ会にいってきました。
参加者のみなさん、それぞれが田矢さんと違った形でおつきあいしてきた様子がありありとわかりました。
かれは大学の教授にもならずで、極めて著名な研究者になっていても所属機関では机一つという状況だったわけですから、教授の大物の死を悼む会などとはまったく次元がことなり、ぜんぜん雰囲気のことなるものでありました。でも、とてもよかった。
みんな田矢さんとのお酒の席でのつきあいを楽しそうに懐かしそうにそして感慨深く語ってくれました。

わたくしも心の整理がやっとついたみたいで、田矢さんがもうあの世に行ってしまったという事実を受け入れることが出来るようになりました。
会が終わって、HFさんとしばらくお茶を飲んで頭のこりをほぐしてから帰路につきました。

多くの若い研究者(わたくしより)たちが田矢さんのおかげという言葉をつかいました。田矢さんがいかに親切であったか、またおしげもなく好意をしめして便宜を図ったようなエピソードがたくさんありました。
田矢さんは、非常に心優しく親切な人だったのだということがよくよくわかりました。
何でこういう人が組織の長にならないのか。
でもそれが日本という国柄だし、田矢さんの魅力もそういうものにならなかったからこそつきあった人々の心に永遠に存在し続るのでしょう。

わたくしも聞いているうちに、そうだわたくしも田矢さんのおかげを甚大に受けているのではないかということに、はたと、気がつきました。
というのもこの偲ぶ会に着ていてばったり会った、KHさんは、いまわたくしの沖縄での主たるテーマになりつつある人血液のメタボローム解析研究の緊密な共同研究者です。
そもそもKHさんがわたくしのラボにきたのは(もうはるか昔ですが)、田矢さんの強い勧めがあったと聞きました。
KHさんは臨床医師でしたが勇敢にも分裂酵母の成長に必須な遺伝子の研究で学位をとりました。臨床医師の大学院生があのような基礎的な学位論文の研究をするのはかなり異端でしたでしょうが、寛容にもかれにそのような研究をさせてくれた指導教授であったK先生にも甚大にお世話になりました。いろんな人ひとの好意の上にわたくしの今の研究があることを痛感します。
KHさんはかなり長期に英国で癌研究のポスドクをしたのでした。
KHさんはいまも医師と研究者の二足のわらじをはいていますが、わたくしにとってKHさんの存在はいまのわたくしの研究に不可欠な役割を果たしてくれています。
もちろんKHさんにも感謝しなければいけませんが、そもそもの発端を作ってくれた(たぶんどこかの酒席で)田矢さんにも心からの感謝の気持ちを持たねばなりません。
ありがとう、田矢さん。
わたくしもまさに田矢さんのおかげでいまを生きているのでした。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-22 12:13
2014年 09月 16日

田矢洋一さんの死去

田矢さんが亡くなってもう5ヶ月近くになります。
田矢さんが亡くなったということを教えていただいたのが5月末でした。
非常に驚いて、そして心の整理がつきかねてその事実をどこにも書けませんでした。
まだ生きている、と心のどこかで思いたかったのでしょうか。
田矢さんと話したいろいろなことは、まだけりがついてないし、まだまだ話し続けていたかったし、そうあるべきだったのです。でも彼はとつぜん逝ってしまったのでした。
わたくしにとって、あまりにも「未完」の部分が大きすぎる田矢さんとの死による別れ、どうにも受け止めにくかったのでした。
しかし今月、もう数日後には東京で田矢さんをしのぶ会が開催されます。
とうとう何かを書いて心の整理をつけたいと思うようになりました。

それで一体何を書くのか。田矢さん、ごめん、すみません、ちゃんと話を続けなくてと彼にまず謝りたいのか。
彼との会話は最後の数回はすぐ押し問答みたいになって。
お酒をやめるかごくごく少量にするべきといえば、彼はそうしていると返事をして、本当ですかそんなことないでしょう、この間もとか、そんな風になってしまって。
でもいちばん彼に謝らなければいけないのは、彼の業績の立派さをもっと賞賛すべきだった、かれに直接それを言うべきだった、という風に感じます。もう会うことがないのならもっと彼のp53やRBの研究の立派さを賞賛すべきだった。
なぜそれが出来なかったのか。心のどこかにいつでも出来るという気持ちがあったのか。
それを言わないうちに彼がこの世を去ってしまったのは、わたくしにとって大きな誤算でした。
申し訳ない。彼の自負心に見合う言葉を伝えるべきだった。

長年の友人としてのつきあいを考えたら、痛恨の極みが心残りの筆頭が、このようなみかけごく世俗的なことになろうとは。
田矢さんの魂は少年のように純粋で、そして非常にシャイで本当の気持ちをいうことが出来なかったのにちがいない。かれは誰ともそのような純な関係しかつくらなかったのでしょうか。

ひと言でいえば、田矢さん一代の快男児だった。
浪花の男の気っ風の良さと頭の明晰さ、ほれぼれするような男でした。
おりおりにやらかす彼らしい失敗がかれの愛嬌でもあり、だれにも好かれる資質でした。
こよなく愛した酒、それにより早すぎる死がやってきてしまった。
しかし、やはり大往生とおもうのが、一番でしょう。
そういえば彼はにやりと笑って、また今度はあそこに飲みにいきましょうよと言うでしょう。

彼とのつきあいは未完なので、また会わなくてはと思いながら、わたくしも自分の一生を終えるような気がします。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-16 14:38
2014年 09月 13日

気なること、ふたつ

朝日新聞の社長さんが記者会見を開いて、原発の故吉田所長の証言記事について誤った内容であり、謝罪をしました。
もうひとつ国際的にははるかに重要な従軍慰安婦についての吉田証言の訂正報道時に謝罪をしなかったこと、また池上明氏の朝日批判コラム記事をしばらく掲載しなかった件も謝罪をしました。この件、3、4日で謝罪をすると予想しましたが一週間かかりました。
朝日新聞、かなりよろめいています。しっかりして欲しい。
この間、いろいろ気になることがありました。

社長さん、読者の皆さんや池上氏に謝罪するとありましたが。新聞の購読者以外の人々はどうなるのか。新聞は公器、朝日新聞は日本を代表するある意味国民にとっての「官報」みたいな権威ある新聞でそれが大きな過ちの記事をだしたのであれば、謝罪をする相手は新聞の購読者だけではないでしょう。日本国民だと思います。特に従軍慰安婦記事は多大な国際的効果もあり、日本国民に迷惑をかけたという視点がないのは相当な驚きでした。。

他にも色々あるのですが、時間がないのでもう一つだけ取り上げると、従軍慰安婦問題あまりにも朝日(のみならず他の新聞なども)は安易に取り上げすぎたのではないか?

慰安婦はいまの時代、外国では性奴隷ということばで表現されています。
日本だけが慰安婦などと言うのんびりした表現で報道されていますが、日本だけです。軍隊における性奴隷といわないと外国人とはコミュニケート出来ません。文句を言っても駄目です。そうなのだから。
そのうえで、朝日や毎日や読売の記者達は、慰安婦問題どう思いますかのかわりに、旧日本軍の性奴隷をどうおもいますか?と日本人や外国人にインタビューして意見や感想をえようとするのであれば、後者の場合相当に気をつけてかつ気合いを入れて聞くでしょう。そもそも、質問の意欲は相当さがるのではないか。
国内的ななあなあの雰囲気の報道と異なって、日本軍の性奴隷と自ら定義して取材をすれば、記事が日本国の名誉に関わるものになることは自明でしょう。
こういうたぐいのことがいまの日本とても多いのが気になります。
わたくしも基本、英語の大学の勤務者なので日本語でいったり書いたりしたことが英語に翻訳されても別に困らないというつもりで生きています。
慰安婦、出来るだけ早く禁止語にしてほしいです。すべて性奴隷に置き換えての言論にすべきです。そうすれば多くの人達が心配する亡国的もしくは著しく国家として不名誉な報道での記事作りは自然に減ってくると思うのです。




# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-13 20:10
2014年 09月 09日

森さん、おめでとうございます。(訂正版)

京大の森和俊教授がラスカー賞を授与されました。
さっそくお祝いのメールを書きました。
返事にとても嬉しいとありました。

森さんは京大の薬学部出身で山科郁男先生や川嵜敏祐先生の元で糖タンパク質の研究から研究をスタートしました。
一時は民間会社にもいたことがあり、人柄は実社会にでたこともあり、たいへん親しみ深く、意見もとても明解にして率直で、森さんのこと昔から大好きでした。
米国に留学し日本に戻ろうとしたとき、ウイルス研を定年退職された由良隆先生が始められたHSP研究所に参加し、小胞体ストレス応答の研究を続けることが出来たということです。
その後新設の生命科学研究科で助教授次に理学部の教授に昇任されました。

実はわたくしの娘が剣道部に入ったときの指導者なのだそうで、森さんに娘さんを教えましたと言われてどうも彼の前ではわたくしもややおとなしくなっていました。

研究のすばらしさは年を経るにしたがって理解されてきて、わたくしもその一人ですが、とうとうPeter Walterとともにラスカー賞にたどり着きました。
まだたいへん若い森先生、やる気いっぱいのようなのでこれからも研究の発展たいへん楽しみにしています。
森さんはなんでも一家言があるひとなので、社会的な発言などもぜひしてもらいたいものです。



# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-09 22:19
2014年 09月 04日

朝日新聞の謝罪はあるのか、ないのか

いま池上明氏の一度掲載拒否された原稿が紙上に掲載されたので、それを読みました。比較的短いコラム記事です。

これを掲載拒否したのは朝日の長い歴史であからさまにでた大きな汚点の一つだと思いました。
この穏当な批判記事、なんで掲載拒否するのでしょう。人気コラムでしょうに。
過ちを改めるのはばかることなかれ、まさにその通りです。

池上氏は従軍慰安婦記事について、これまでの経過について、朝日が満天下に謝罪することを要求しています。
氏は謝罪するだろうと予想して、今回のコラム記事の掲載に同意したのでしょう。
しかしコラム記事の最後、朝日の対応はまったく寝ぼけたようなことしか書いてありません。
今回のことで読者に迷惑をかけたと謝っています。
まず、池上氏に心から謝罪し、経過をもっときちんと報道すべきです。
内容的には厳しくとも、あくまでも池上氏らしく、温和な書き方の批判に対して掲載拒否というとんでもないエラーをしてしまったことを心から謝罪すべきでしょう。これじゃ友人もいなくなりますよ。
そのうえで従軍慰安婦記事の経過について社のトップが肉声での謝罪会見をするのがベストでしょう。
さていったい朝日はどうするのでしょうか。
数日以内にトップがでてきて決着をつけないとたいへんまずいでしょう。

思うことは、池上氏は現代の日本でもっとも硬派かつ良心的な報道人だということです。
かれは個人として非常に尊敬される、今回の出来事で報道者としての格がまた一段と上がったとおもうのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2014-09-04 13:35


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