生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2012年 12月 08日

皆川先生の死去、戦艦大和の最期

京大の阿形さんから、皆川貞一先生がお亡くなりになったという連絡を受けました。
12月1日に逝去されたとのことです。寂しいです。百万遍のバス停で奥さまともどもばったり会ってあのとき挨拶だけでなくもっともっと話しておけばよかったと後悔しきりです。
88才、先生は米寿の年に亡くなったのでした。
わたくしが京大で働き始めて最初の10年いろんな先生のお世話になりましたが、いちばん世話になったのは皆川先生にちがいありません。わたくしはよくいって荒削り、悪くいうとあちこち抜けて、かつ人間性の欠点がもろに表に出てました(いまもかな)。皆川先生、わたくしのことをあずまえびすだからしょうがないとからかいつつ、でも背後でいろいろ気がつかないように助けてくれていたのでした。皆川先生の助けがなかったらたぶん挫折していたような気もします。それなのに、なにもおかえしもできないうちに年月が経ってしまいました。慚愧に堪えません。皆川先生とうまがあったのはもちろんおなじようなファージの生物学などをやっていたこともありますが、世の中をまっすぐ見ないで,斜めにしか見れない共通点があったからでしょうか。

きょう夜になって、NHKの戦艦大和で生き残った兵士たちのドキュメントを見ました。
若くても85才、多くは90才のかつての兵士たち、その破天荒なまでの活力と元気のよさに驚きました。80才までは戦争時代のことをほとんどいわなかった、その同一人物がなんと饒舌なこと。率直なこと。生きているというよりは、戦艦大和の最期をかたるべく生かされているのかもしれません。生きているあいだじゅう、経験者目撃者として証言したいのでしょう。
特に心をうったのは、帰還した故郷は決して住みやすくなかったという、事実でした。
帰還した兵士は英雄でなく、歓迎されないのでした。生きていた兵隊にはたいへんに窮屈な時代が非常にながく続いたようです。
もうひとつよくわかったことは、大和は戦艦同志の戦闘のためにつくられたのであって、戦闘機の攻撃には無力だったという聞いていたことが証言を聞いてよく分かりました。
あの戦争は決して愚かなものではなかった、ひとことでそう言えるものではない、という元兵士のことばも100の理屈よりは戦争の不条理さを証言し、生きていました。

by yanagidamitsuhiro | 2012-12-08 21:56


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