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2012年 05月 18日
天皇と皇后の英国訪問、英国女王の在位60年の記念式典への出席であると同時に、東日本大震災への英国人の救助活動への感謝の旅でもあったのでした。朝日と時事の記事を読むと、両陛下が沢山のかたがたにあって、迅速な救助への感謝のことばがすばらしい首脳外交であることがわかります。日本の政治はなかなかうまくいきませんが、両陛下が国民融合の象徴でもあり、同時に海外に対する日本の良さと素晴らしさを伝えていただくということに深い感謝の念をもちます。天皇が出発前の式典でみせた晴れやかな笑顔、テレビで拝見しました。忘れられません。それとおそばで腕をしっかりと支えた皇后の姿。この皇室の姿をいつまでも海外にも国内にも見せて欲しいと願うばかりです。 橋下市長のツイートに、大阪バイオサイエンス研究所の存在を、府知事の時代の4年間で聞いたことがない、というのを読みました。ホントなのかもしれません。府知事の時にバイオの事業は沢山手がけ、大阪府の将来に密接にしてかつ、大きな役割を果たすと考えている気配でした。それであるにもかかわらず、いちども聞いたことがない、このあたりから、どうも仕分け的な扱いが始まっているような気がします。 たしかに聞いたことがない、だからたいしたことないはず。これは非常にありがちな世の流れです。色んな人たちがこれで、辛酸をなめているはずです。名前が売れて、すごいらしい、ということになると違います。特に説得力のある話がつけばますますですが、なかなかそうはいきません。 きつい場合など、国内や海外の同業者が口がさけても競争相手の名前などいわない、そんな風に損をすることがあります。いっぽうで、自分の業績なんか、宣伝しなくても分かるはず、とうぜん知って尊重されるはず、これもありがちです。日本人は、言わなくてもわかるだろう、これが一番多いのでは。自己宣伝するのは嫌われる社会でもありますし。 仕分けの話がそれましたが、東大でやれば世間は騒ぐが、他の大学で同じことをやってもピクリとも世間が反応しないこともあります。 わたくしとしては、早石先生のご業績なんからは全日本人がしっていていいはずだと思うのですが。でもたしかに50年以上も前の轟くような令名を若い人にしらせようとしてもなかなか難しい、やはり繰り返し国の誇りになるような話は言わないといけないのでしょうか。わたくしの分野では、増井先生や岡崎先生、野村先生そして富澤先生の業績など若い人たちにいつまでも知ってもらいたいものです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-18 17:05
2012年 05月 17日
大阪のバイオサイエンス研究所の危機に対してあまり学会や社会での意見が聞こえてきません。 この研究所はわたくしの理解では、不世出の生化学者早石修先生が京大を辞められたあとに設立された高名な生命科学研究所です。脳科学や免疫科学に特にすぐれた研究所で、その後花房先生、中西先生と世界的に著名な方々が所長であり、存続が危ぶまれるという可能性があるなどとはわたくしにはまったく思いつきませんでした。杞憂であってほしいと願うばかりです。北川さんはわたくしが橋下市長に直接ツイートしなさいと言うのですが、どうもねえ相手が、あまり気が進みません。 こういう場合のルールというのはなかなか一義的に決まってないのでしょうが、でも人件費と建物経費の肩代わりをするのなら、阪大とか私学の関学とか関西大とか手をあげるところはないのでしょうか。 この話題とは独立ですが、日本国民の生命科学の基本知識というのは低いともいえないし、また高いともいえません。リテラシーといいますね、基本知識とか使用能力とか、そういう見方になるとまだまだ非常に不十分だと思うのです。サプルメントの広告なんか読むと、対象消費者はなめられているな、と感じます。こんな程度の低い広告でも年間ものすごい額の商品が売れているのだそうです。 こういう点も、生命科学者が社会に対してはっきりあけすけに発言をするのはとても大切だと思うのです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-17 21:46
2012年 05月 16日
沖縄の40年、いろんな取りあげ方があるようですが、明るい将来性のあるとりあげかたが非常に難しいことは、たしかです。 わたくしは鳩山元首相が沖縄に謝罪にきて挨拶をしたのはこの機会としてはよかったとおもいます。これを機会になんども沖縄にやってきて、誰がなんといおうと元首相のことはまちがいないので、すくなくとも基地移転は県外といったことを撤回した汚名の挽回のためにも、今後沖縄県民のために努力して頂ければありがたいです。 沖縄の苦難の歴史をるると聞くのもいいのかもしれませんが、沖縄には実に色んな人がいる、沖縄の人々の多様性を知る方がずっと意味があるとおもいます。 わたくし、これまでに本土でつきあった人々が実はルーツは沖縄にあることを知ることが最近多いです。この名前は沖縄にルーツがあったのか、と。名前が沖縄独得なのでそれで分かることがありま。 いっぽうで、ご本人が実は、親の一人が沖縄出身とか聞くことも多いです。 そういう人々の個人史をしることが今の沖縄にとっての一番の発展の起爆剤、沖縄の将来の可能性を生みだすと思います。逆に沖縄で住む、よそ者が結局は沖縄の将来の鍵を握っているとおもいます。 だいたい歴史が教えてくれることはそういうことです。 沖縄から、総理大臣が出る時代がそれほど先でない、そういう風に考えるとすこし将来を明るくかんじますが。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-16 20:39
2012年 05月 15日
沖縄復帰40周年記念行事がいろいろあるようです。 わたくしは沖縄復帰40周年とある、記念切手10枚綴りを話題にしたいです。 80円切手が10枚うえから、首里城、ゴーヤとマンゴー、花がふたつたぶんハイビスカス、水族館ジンベエザメらしき魚が二匹、それにモノレールと海中道路でしょうか。それなりに美しい切手です。 ただ、なんとなくありきたりでこれらがどうして40周年切手なのかその記念性は薄いですね。 沖縄のあかるい将来をイメージできたらいいのに。 明るい話題で40周年を記念づけるのはむずかしいかな。 那覇空港に乗り入れる日本と世界の空港の地図を沖縄を中心に地図と矢印をいれたらいいのに。沖縄の将来は乗り入れる飛行機の便と深く関わるでしょう。 沖縄は芸能と芸術の島かもしれませんが、これまではやはりスポーツですか。 ボクシングとゴルフの具志堅さんと宮里藍ちゃんを似顔で示したらさらにいいのに。 モノレール海中道路の2枚とハイビスカスをこれらに変えたら、記念性はさらに増したのになどと考えてしまいました。 学術もなんとかしたいですが、わたくしの生きているうちにどの程度変わるか期待したいです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-15 20:00
2012年 05月 14日
ギリシアでは再選挙の可能性が高まっているとの報道です。 二大政党への不信で、少数政党に支持があつまったのが前回の選挙の結果なのだそうです。 新聞でのレッテルでは、極左と極右なのだそうです。それらが従来の二大政党を足した支持率より多いのだそうです。第二党となった極左?党は緊縮財政に反対だそうです。ギリシアのもう一つの特徴はメディアに対する不信なのだそうです。新聞が指導的意見を述べても、投票者が信じないという状態のようです。これは朝日の特派員の記事の要約です。日本の近未来的状況という意見もあるようですが、どうでしょう。日本でもネットでは大メディアに対する不信はたくさん見られますが、でもまだまだごく少数でしょう。政治的には日本の大多数はたいへんおとなしい、ただどこかの政党にしっかり操をまもっている人たちはごく少数、公明党や共産党だけで足してもせいぜい数パーセントです。だから橋下市長の維新政党が次の選挙で大きな票をえる可能性があるのです。でもそれは既成政党に対する強い怒りや不信によるものかどうかは分かりません。橋下氏のたぐいまれなリーダーシップの生みだした1つの政治的流行現象とも見えます。 だれが橋下氏がこのような政治的潮流をつかむと予想したでしょうか。 わたくしなども面白いタレント、意見をしっかりはっきりいう愛想のいい弁護士という印象でした。ただ、光市の殺人事件裁判に対する弁護士の態度がけしからんという発言から起きたたしか懲戒請求でしたか、この出来事で相当に強い個性的な意見をはっする人という印象を多くの人が持ったに違いありません。 いま、橋下氏をどう評価するかどう日本の政治のなかで位置づけるか、意見が分かれているようです。辛辣な意見から強い支持まで別れているようです。 はっきりしていることは、橋下氏はネットをよく利用しているようです。それから議論好きで、失言などの可能性をほとんど怖れてないようです、また1つの意見に集約してグループ員を締め付けることもしないようです。なにかの行政や政治の意見を決めるためのやりかたについては、プロ中のプロの頭脳をもっているようです。 そういう点ではまちがいなく一級の人材であり、また天性の人間的魅力もあり、ここまでは日本を誤った方向にもっていくという印象はありません。 気になる点は、刺青問題。本当にどこまで排斥する気持をもっているのか?この点、もうすこしゆるい感覚ももっていてほしい。 文化財や文化的な組織への冷たい態度。これもそういう組織に巣くう特定団体の排除を狙っているのか、本心から価値を税金での支援を認めていないのか、そのあたりがわからない。 さらに国の根幹となる産業についてどのような考えを持っているのか、わたくしのような学術をやっている人間は公的な予算というか支援が必須なのですが、どんな考えを持っているのか、そのあたりを知りたいです。もしも白紙ならぜひともそのあたりいい意見をもつようになってほしい。特に基幹の未来産業は。まさかモナコやマカオみたいに思っていないでしょう。 いまのところ維新のなかにはちょっと保守が過ぎて、知的に後ろ向きの考えの人たちが多くいるような印象もあり、そのあたりも不安要因です。 ぜひとも未来的にして先端的なものもたっぷり含んでほしいものです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-14 20:32
2012年 05月 13日
齊場御嶽(せーふぁうたきと呼ぶらしい)と久高島(くだかじま)を訪ねました。 前から行ってみたいと思っていました。 齊場御嶽は沖縄の最高の聖域(うたきとは神が降臨し鎮座する聖域でせーふぁは最高とのこと)ということです。首里のお城の人たちもお祈りに来たらしい。 さすがにすごい巨岩があり、特に一カ所は名前にふさわしい最高の巨岩でした。 問題はえらく人気のあるところらしくて、若者やおよそ縁のなさそうな外人などでざわざわがやがやの雰囲気でした。何かスピリチュアルなものを感じるのはわたくしには無理な苑内の雰囲気でした。でも強く記憶にはのこる場所でした。 また来訪しましょう。あまり人の居ない時間帯に。 久高島、こちらも人気があってフェリーが超満員で、高速船が臨時で出航するという盛況ぶりでした。沖縄最高の神ノ島との宣伝が効いているのでしょうか。 ほとんどが若者たちで女性が多い。あまりスピリチュアルを希求する若者とも思えませんでしたが。でもともあれ自転車を使って一周8キロの島を一周し、めぼしい見るべき場所は見ました。 わたくしにはこの状況下ではこれで十分でした。 あとは自分で適当に想像しますから。 齊場御嶽からもよく見える島です。本土的には、天孫降臨の場所、高千穂みたいな感じでしょうか。 高速船なら船着き場から、15分でつきますがかつては本島とはほぼ隔絶していたのかもしれません。 女性主導の島の祭祀と一年間の島の運営、ちょっと学んだ情報と現地踏査(?)の実感、これと一冊の本があれば十分に自分の考えは基盤的に作れるでしょう。 話は飛びますが、齊場御嶽のすぐそばにおいしいコーヒーとスイーツを食べられる店がありました。 いい雰囲気でした。恩納にはこの雰囲気はまったくありません。 島の南部、なかなかいいですね。ここらあたりで一ヶ月くらいすごしたいですね。 なんかすごいアイデアが湧いてくるかもしれません。 本島南部に大学とか研究所はあるのでしょうか。 あとはわたくしのこの2つの場所について、他の人からのインプットが必要です。この島の沖縄の歴史における位置はいかなるものか。 そのあたりの意見をうかがって、もう一度来ててみたい。こう思いました。 稔り多い、訪問でした。 お土産には孫たちに海岸で拾ったいろいろな小さな石とサツマイモのくずの粉末ですか。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-13 20:04
2012年 05月 12日
沖縄には戦前に沖縄軽便鉄道というものがあって南は糸満から北は嘉手納まで線路がひかれ沢山のひとが利用していたという事実をしりました。 なにかで読んだ記憶はあるのですが、はっきりした知識にはなりませんでした。実は、そういうタイトルの本が、ゆたかはじめさんというかたによって出版されているのです。実際にその本を手にとって、よむとメルヘン的な絵と詳しい事実が書かれていてたいへんに貴重な本であることをしりました。 このブログでかつて沖縄に高速鉄道をというようなことをかきましたが、この本を知っていたらずいぶん書き方を変えたでしょう。重大な文献を見逃していました。 先人も後人もおなじような発想で沖縄に鉄道を敷くのなら、まず糸満から嘉手納という発想は持つでしょう。いまだと、北部の発展を考えるのなら、名護までと言わざるを得ません。しかし沢山のひとが住んでいるという点では、糸満から嘉手納は昔も今も効率がよいにちがいありません。 この沖縄軽便(けいびんと呼ぶ)鉄道を読むと、いまもそのなごりが沢山残っていることが記されています。支線などもあったのでなんともいえない懐かしい気分になります。 なぜこの鉄道がなくなったのか、それは沖縄の戦争での悲しくもひどい歴史的な経過によるものです。 ですから、沖縄軽便鉄道の終戦時の運命をしることは、沖縄の戦争史t戦後史をしることにもなります。 この本を読んで、なんとしても沖縄に鉄道が欲しい、と思いました。 この本をかいたゆたかはじめさんは本土で高等裁判所の長官までされた方なのだそうです。 そのあと沖縄に住んでいるのだと知りました。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-12 22:07
2012年 05月 11日
前にも触れましたが、昨年のヘチマとナス、どちらも枯れずにかたや地植え、かたやプランターで生き延びていました。それが春と共に元気を回復してきました。まさかと思っていたら、ヘチマは元気のいい葉っぱをたくさんつけだしてとうとう小さなヘチマを作り出しました。ナスのほうも冬のあいだおりおりに花が咲いても、実はできずに花が落ちていました。それがここに来てとうとう実がついて、ちいさなナスが2つできました。 本土では経験のないことです。つまり沖縄にはやはり冬がないのでしょうか。昨年の野菜がこんなかたちで存続するとは知りませんでした。どこまでまともな収穫ができるか分かりませんが、来年もできるかもしれないので、大切に扱いたいと思っています。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-11 21:20
2012年 05月 10日
沖縄の復帰40年ですが、お祝いムードは希薄です。 当然とおもわれます。40年目の今年、沖縄にとってうれしいニュースはほとんどないのでしょう。 沖縄の基地の多さがほとんど変わらないのは、本土のエゴによるものだという、意見これも当然でしょう。でもその気持が本土のひとびとにほとんど伝わらない。本土では沖縄には膨大な国費を投入している、だからもう十分だろうという意見すらあるでしょう。しかしかれらはその国費の大半は首都圏やほかの本土地域に回流してしまっていることも知らないのでしょう。沖縄に来る旅行客の大半は、来る前にすでに必要経費の大半を払ってしまっているのと似た現象です。これがいったいいつまで沖縄で続くのか。じわじわ良くなるのとじわじわ悪くなるのがほぼ拮抗しているのが、沖縄県人の実感でしょう。思い切り変えるのなら、本土と独立の経済社会圏になるための方向かいっそのこと琉球共和国を夢見ることになるのでしょうか。 その40年後の現状ですが、いっぽうで県民はひとりずつ年を取っていきます。復帰のときを実感できる県民も減りつつあります。 じつはわたくしも結婚後40年たちました。沖縄復帰の年に結婚して京都に家庭を持ち始めて、いまは沖縄県民です。夢にも思わなかった人生の展開です。それだけすごい長い時間がたちました。最初の準備的な10年の研究生活、それから40年の職業的な研究者生活でした。復帰後40年が長いとすれば沢山のことがあったとすれば、個人レベルではわたくしにもこの40年同じように色々なことがありました。 向田邦子さんが台湾での飛行機事故で亡くなって30年たったことをしりました。 その作品の鮮烈な存在感はいまでもまったく失せてないので、10年前に亡くなったと聞いてもそうかもしれないと思うほどの、時の空白を感じさせません。 でもそれはわたくしの錯覚かもしれません。鹿児島で子どもの時に同級生だった女性の記憶が記事に出ていましたが、81歳とありました。そうか向田邦子は生きていれば81歳、つまり51歳で不帰のひとになってしまったのだ、とため息がおもわず出てしまうのです。父親役をやったフランキー堺さんいつ亡くなったのだろう、と記憶がぼうぼうとしてしまうことに気がつきます。 向田邦子の世界にでてくるひとたちが正真正銘の近代日本人であったと実感を持って言えるひとはだんだん少なくなるのかもしれません。しかし同時に向田邦子のえがく日本人の存在感は没後30年たってもまるできのうもきょうもそこかしこにいて生きているような気持にさせるのです。 この30年の時間の近さと、40年の時間の遠さのちがいはいったい何なのでしょうか。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-10 12:07
2012年 05月 09日
40歳の頃のはなし、もうすこし続けます。 その頃、健康診断で、血糖値を初めて測ったら、かなりたかいことが判明。HbA1cが6.5くらいありました。でも毎晩家に戻るのが10時近くで、それを変えるのは無理なので(ラボから家が遠かったので)、週末の運動くらいしか改善策が無く、しかも身体には悪い碁もすきで、結局65歳に改善を決意するまでそんな血糖値が続きました。体重も40歳のころは一番多くて75キロは越えていました(伸長180センチ弱)から、まあメタボといわれるべき状況でしょう。米国にDNAの単分子の映画を見せにいったときに、とうとう宿舎で尿管結石の激痛に見舞われ、救急車で病院へ、膀胱に石がある状態で、学会発表したものです。医師にあんたはデスクワークがきついから、これから何度も石の出産をやるぞとおどかされましたが、幸いその後ありません。 これがわたくしの厄年の出来事で、痛い目にあい、またメタボ病前駆者の称号も持つこととなりました。糖尿病は合併症がおきたらアウトですから、よくぞその後30年もなにごとも無しでこれたのか、悪運というかそれでもそれなりに一生懸命運動、減量努力したのが良かったのかです。 それで40歳の頃は、仕事も身体も薄氷の上の状態だったのでしょう。結果は、しばらくして、成果も見えだしてきて、性格的にも状況的にもしゃにむに進めざるをえなかったのです。家では、子ども3人が小学生、幼稚園でいちおう最低限ののふれあいはあったはずですが、いい父親とはとても言える状態ではなかったでしょう。 非常に助かったのは、学科の先輩教授がおまえはまだ学問がんばれ、ということで教室主任とかの雑用職は一回パスしてもらえ、学部の教授会にも閉会30分くらい前に出るような態度習慣でも許してもらえたことです。いまでも感謝しています。 ラボのメンバー、家庭、同僚にしょうがない奴ながら寛容の目で見てもらって、日々を送れたのが40歳の頃でした。 当時の学生は、あの頃はテーマがちょっとしかなかったなどと、最近いっていました。わたくしから見ると山のようにあったのですが、学生の目からみればそんなものだったのでしょう。 地盤も看板も無くしゃにむにやった40歳の頃、もうあんなエネルギーは二度とでてこないでしょう。いまだって、たぶん40歳のみなさんは大差の無い状況におかれているに違いありません。 この頃を思い返すと、運鈍根はほんとだな、と感じます。 たしかわたくしもその40歳の頃から、結局努力だけじゃなんかたりない、やっぱり運かな、などと言っていたような気がします。自分もそうだし、かなりの数の学生さんの教育を始めだしてそんな印象を持ちだしたのでしょうか。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-09 15:33
2012年 05月 08日
自分が40歳の頃はどうだったのだろう、と思うことが最近何度かありました。 明瞭に思い出せるはずもないのですが、なかなかしんどい時期だったことは確かです。ただ教授にはなっていましたので、自分の裁量で決めたり動かせたりすることは研究遂行上はできたのでそういう点での難しさはありませんでした。 ただ、研究テーマを大幅に変えて、細菌のウイルスから酵母の染色体ですから、地盤のなさ、実績のなさ、でだれもがわかる説得力のある研究成果をあげるべく最大限の努力をしていた時期でしょうか。 でもなかなかそんな成果はでてこない、生みの苦しさを味わっていたのではないでしょうか。 ただ、本人的には苦しさを味わうという実感はなくて、実質的には研究はずんずん進んでいたので、満足感も多々ある刺激的な日々を送っていたのでした。ただ、実績がない、真核生物の染色体の研究でだれもがなるほどとうなずいてくれる実績がない、つまり証拠となる同業のだれもが認めてくれる論文が公表されてないじゃないか、という時期でした。 まあ潜伏期みたいなものですか。昆虫でもさなぎの時期にもう成虫のかたちは出来ているのですが、ふ化しないかぎり成虫の姿はみえない、そんな状態でしょうか。 研究の世界でかたちで見える実績と潜伏期の実績はだいたい2年、場合によっては3年くらい遅れて出てくる感じで、その遅れがなかなか研究者の日常的なリアルな感覚とマッチしないのです。 40歳の頃は特にこのあたりの潜伏期にぴったりあう人が多いのではないでしょうか。 ですから、40歳の頃に、生物や医学関係では、知る人ぞ知るの人物に達した人たちがおおいものです。 このあたりもっと加速できたらいいに違いありません。 でも、40歳、不惑の時期というのは昔の話で、いまはいちばん惑ってしまう人たちも多いみたいですから、しばらくは知る人ぞ知るの状態で(楽しく)武者修行をしているほうがいいのかもしれません。 わたくしの場合は、40歳の頃は染色体の研究の表にでる研究論文は発表段階で苦労していましたが、別にアマチュア的にやっていた蛍光色素で染めたDNA単分子の溶液内観察がおもしろくて論文も発表も生きたDNA分子の挙動とかいうキャッチフレーズでかなり世間を驚かせたりして、そちらのほうで息をついていたのでした。 芸は身を助けるじゃないですが、芸風は広い方が機会がふえるものです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-08 13:36
2012年 05月 07日
沖縄の天気予報のひとつに紫外線というのがあり、非常に強い、という表示がでることはしばしばです。そうなると屋外での散歩や運動が日中はしにくいことになります。 沖縄の道路でこんもりと樹木に覆われているというのは滅多に経験がありません。 ですから運動不足、体重増加、メタボ病の増加という悪循環がおきているようです。 昨年いったインドムンバイの研究所は広大な敷地が樹木に覆われています。直射日光にあうことがありません。それで非常に健康にいいと思いがちです。 ところが研究所のメンバーに聞くと、日光照射不足になりがちになり子どもたちのなかにはビタミンD不足で骨組織の発達に問題がでることがあるのだそうです。 にわかに信じにくい話でしたが、そのあと構内をあるいているとそうかもしれないと思うくらい緑の濃い、構内でした。どこに太陽があるのだというかんじでした。 沖縄の住居空間は強烈な紫外線にさらされがちですが、ぜひそれを減らすようなことが屋外にいても可能であって欲しいのですが、いっぽうでムンバイの研究所構内のようになるのも問題にちがいありません。 夏の沖縄での、適正な紫外線量はどれくらいか、屋外にでて長時間運動をしてもいい程度の緑陰をもったモデル住宅地をぜひとも作って欲しいものです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-07 21:56
2012年 05月 06日
国内の全原発が停止したとのことです。北海道の泊3号機が定期検査で停止したからです。 感想は、原発なしでもそれでも電力供給はなされているという驚きです。 それに対し、火力発電がフル操業で老朽化もあり危険な状態なのだという報道もあります。また、燃料費が高騰し、また炭酸ガス排出も多く、経済的にたいへんな危機だとのことです。 でもテレビのスイッチをひねればあいかわらずの番組が進行し、原発事故の時のような緊迫感はまったくありません。 極めて深刻な状況というのを誰が言ってるのかというと、これがはっきりしないのです。すくなくとも総理大臣が国民に向けて深刻なメッセージを発していません。 福井の原発については電力会社は安全だから再稼働したいと言っています。どこまで安全なのかと聞くと政府に聞いてくれ、という類の返事です。 ジレンマなのです。絶対安全といえば、かつての東電福島原発のように危険対策をしなくてもいいという類の議論が横行します。それじゃ、危険対策を十分しているといえば、それじゃやはり危険じゃないかと言われます。 チェルノブイリとほぼ同じかもしかするとそれ以上かもしれない出来事がもう既に起こってしまった以上、もう起こらないと言っても、誰が言っているのか、責任はとれるのか、とれるはず無いだろうと、言う類の議論になれば、安全といっても、琵琶湖の水が飲めなくなるような事態を頭のどこかに想像する人々を納得させることは土台もう無理でしょう。 つまり、この夏なんとか電力持つ、という類の議論をする専門家がでてくればなんとかその方向でならないか、と考えるのは一般の国民多数の願望でしょう。 それじゃ困るというのは、予算の50%以上も電力会社からのお金で運営されるような「地元」とか停電が一瞬でもおきたら、生産ラインにひどい打撃がおきる企業、そういうところでしょう。 だれにもこの先の電力事情がどうなるのか読めませんが、関西で昨年の首都圏ののような強烈な節電が出来るのか、そのあたりと、揚水発電とか電力の融通とかそのあたりの策が現実的にどうなるのか、関西ではだれもが最大の関心を持っています。それに対して、政治決着をつける強さというか力がいまの内閣にあるのか。あまりあるように思えません、よせばいいのに、あの仙石という議員が集団自殺を日本国民はしようとするのかとテレビ画面に出て以来、また枝野という大臣が一瞬原発がすべて止まります、と一瞬ということばを使って以来、内閣のこの問題についての信用は非常に低くなってしまったからです。 これからの4か月の関西の電力事情は、これからの日本の運命を決するくらいに重要かもしれません。 計画停電という、いかにも起きそうな起きたらたいへんつらい出来事、でももしかしたら、原発再稼働のための、ある種のおどしかもしれないことに、どこまで関西人が耐えられるか、というのも大きな試金石でしょうか。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-06 12:21
2012年 05月 05日
2012年の子供の日は、孫たちが大きくなって、もじどおりの子供の日となりました。天気も最高に良くて、身体を思う存分動かす一日となりました。 わたくしも連休中初めてゆったり気分で一日おりました。 夕方から、雷をともなう雨がすこし降っています。 昨日の夕方の頃の激しい天候の変化は北アルプスでは風雪をひきおこして6人ものひとたちが一カ所で亡くなったという悲惨な山岳事故をおこしました 白馬岳山頂にちかい小蓮華山、新潟県になるので県内最高峰だそうですが、山頂ちかくで男性六人が一緒になって絶命していたとのことです。もうすこしで山小屋にたどりつけるところまできていましたが、この時期の風と温度の急降下は実に厳しいものです。軽装で自分を守るものがなければ、いのちはあっというまに奪われる可能性があります。たぶん健康を誇り山登り大好きの熟年のグループだったのでしょう。 わたくしも大学生のときに唐松岳でこの五月の連休で身体が動かせないくらいの強風にあったことがあります。その時は全国で何人もの人が亡くなったと記憶しています。屈強の若者壮年でもこの時期の風雪の激しさには抵抗出来ません、待避しかなかったでしょう。 こういう時期いつもパソコンの新しい知識を仕入れています。 iPadの新機能を入れてもらいました。助かります。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-05 17:11
2012年 05月 04日
きょうの午後、予定した畑の作業、計画した作業はすべて終わりました。疲れはてました。 体内に残っている筋肉エネルギーがほとんど無くなったような気分です。 家族は京都見物へ。それで息子の家族たちも一緒に合流して連れてくるとか。 一台の車にのれるかどうかわかりませんが。 天気はかなり荒れ模様です。トマト苗の上に張った雨よけシートが風で飛ぶのではないかと気が気でないのですが、いまのところ飛んでないようです。 米国アカデミーのほうからわたくしは遺伝学と生化学から推薦がでていたので、所属についてはどちらかに決める必要があるとのこと。ただ最終的なものはトライをしてからでいいとか。 わたくしは大学で受けた正規の教育は生化学と生物物理ということになっています。非常に真面目な学生だったかはかなり疑問ですが、ただ正規の遺伝学の教育を受けてないことははっきりしています。 遺伝情報とか遺伝子発現とか遺伝子の生化学とかの教育は受けたかもしれませんが、いわゆる遺伝学、つまりメンデル遺伝学をきちんと学んでないことは長らく負い目に感じていたことです。 しかし、遺伝学にアマチュアだったからこそ、ほぼ半世紀遺伝学の根本的なところに興味を持てたのかもしれません。 おもしろいことに、わたくしを熱烈に(ほんとかな)支持してくれたかた達には遺伝学の人が多いとか聞きました。真偽は不明ですが。 考えてみると、メンデル以来、遺伝学は実はアマチュアが進歩の原動力だったのかもしれません。 わたくしも自己流で遺伝学を好きにやっていたのでここまで続いたような気がします。 自己流を許してくれる柔軟さが遺伝学にはあるとおもいます。まあそれくらい、奥行きが深く、広いのでしょう。それに対して生化学は珠玉の新発見が長続きの根本要因です。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-04 16:07
2012年 05月 03日
最近はあまり会ってない沢山のひとたちからのお祝いのことばがありました。 びっくりするくらい、懐かしいひとたちも。20代の頃の友人ですから。 たしかにこの10年米国に行く頻度は非常に減りました。でもその前は定期的にでている会合がいくつかありました。いまはアジアが増えています。欧州は変わりません。でもこれから米国に行く頻度も増えるかもしれません。でもやはり年に4,5回の海外行きがもう限度かなとおもいます。 HF先生のメールで教えてもらったのですが、ことしのアカデミー会員に就任される方のなかに、Prof. Yasuko Rikihisa(力久泰子さん)さんがおられるとのことです。東大の薬の水野先生のところで学位取得後米国に渡った方だそうです。日本で教育をうけたかたの米国での活躍が認められたこと、すばらしいことだとおもいます。獣医学の分野での微生物学の専門家とお見受けしました。 きょうは、R君やKさんのご一家がこられてそれに娘家族も一緒で賑やかに過ごしました。 天気は雨とかいう予報でしたが、ありがたいことにほとんど降らないで、ぶじ一日を過ごせました。 こどもと一緒、ちょっと童心に戻りました。 早朝は、畑のたがやしはだいたい終わったので、肥料をいれて、いろいろ植えました。 あと一日働けば完成するとおもいます。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-03 20:09
2012年 05月 02日
雨ですが、苗など植えだしています。定番のものばかりですが。 連作障害の問題があるので常に接ぎ苗を購入していますが、問題解消というわけではないようです。 今朝、メールを開けると、たくさんおめでとうというメールが。 米国の科学アカデミーの外国人会員に選出されたという、うれしいニュースがありました。米国の友人がたくさん祝辞を送ってきてくれています。 たいへん名誉なことです。 選出に努力してくれたひとたちへの感謝の念と共に、どういう役割をすればいいのか時間をかけて考えましょう。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-02 13:32
2012年 05月 01日
ゴールデンウイークは4月28日の土曜日から始まったとすると、きょうで4日目でほぼ半分たったわけです。 きょうの百万遍での仕事が一段落ついたのでこれを書いています。 消費増税とかが目の前のできごとになりつつあります。世間の反応は鈍いみたいですが、でも賛否はおおむね半々というところでしょうか。消費税を払っても月給が上がるのなら問題ないが、消費税を払ういっぽうで月給がひどく下がるのなら、大いに困るというのが現役世代でしょうか。年金世代は国の財政が破綻して年金額の大幅な低下があっては困るので、我慢できる範囲ならしかたない、というところでしょうか。でも、5%や10%あげても税収40兆だかに予算が90兆とかいう支出過多がおさまるとは思えないので、増税路線はいっぺんはじまると際限なく続くのではないかという不安は強いでしょう。野田内閣が基盤が強いとはだれもおもわず支持率は25%くらいまでさがっているので、いつたおれるか分かりません。でも倒れても国民のほとんどは喜ばないでしょう。いまの政治家の中でこの難局を担当出来るひとがだれかいるようにも思えません。 わたくしのような経済無学でもこのようなことはいえるのですが、戦争さえしなければ経済難局はなんとかなる、知恵と我慢でなんとかなる、とこんな風に思えます。 わたくしの見る日本の一番の難局は、勤労しないで金を稼がずに、年金をもらうだけで生活する人々の寿命がどんどん延びることだと思うのです。これは、うえにぶっちゃけた話というまくらことばをつけねばいけないのかもしれません。 すこし考えると、年金を一銭ももらわずに辞退して、消費だけする高齢者、つまり持っている蓄えをくずして、死ぬときには蓄えゼロになるような、高齢者がいれば、国家財政に迷惑をかけない立派なかたということになります。でも団塊の世代死ぬまでまだ20年あります。年間350万円ずつ使っても、20年で7千万の蓄えがいります。家、田畑、財産を全部売り払って、死ぬとしても結構たいへんな額ですが。日本人でこれが出来る人どれだけいるでしょう。 もうひとつは、年金をもらっても、それを遥かにうわまわる、経済的な貢献をする場合です。国民総生産の額を大きく増やすことに貢献するというものです。もしくは外国から多額のお金を稼ぐそういうことができる高齢者です。芸術や伝統技能者にはそういう人が少数ながらいるのではないでしょうか。研究者だっているかもしれません。わたくしも、現役をやめる頃それを夢見たのですが、うまくいきませんでした。実はいまでも夢見ています。 盆栽なんていうのも、高価なものは一千万円くらいするのはざらにあるそうです。錦鯉もしかりです。陶芸だって。 こういうのはだいたい70歳以上のひとびとがいちばん活躍しているのではないでしょうか。 わたくしは、70歳台のひとたちはやり方次第で、日本の社会に大きく貢献しうると思うのです。人生の活躍のしあげが70歳台の10年間で出来ると思うのです。このあたりわたくしの一番得意とする我田引水ですが、でも真実味もちょっぴりあるでしょう。 そういうつもりでいる70さい台、80歳台が一人でも日本で増えることがたぶん大切なのだとおもいます。日野原氏のように百歳になっても70歳台と変わらない現役人もいます。なにをやるかはその人次第、でもひとことでいえば、稼ぐ、もしくは稼ぐための材料や環境を作る。こういうことなのでしょう。 小さなことにくよくよせず自分の人生の仕上げができるのならどこででもやる、稼ぎながらやっていく、こういうふうにかんがえています。 経済無学だけれども生きがいを見つけるすべは知っている「つもり」の人間の生きるすべです。 # by yanagidamitsuhiro | 2012-05-01 17:28
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