生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2017年 12月 09日

神戸での合同年会の印象

シンガポールの印象をブログには書きませんでしたがツイートのほうですこし書いた。前よりもずっと好印象です。特にDuke Universityとのキャンパスはかなりフレッシュな印象を持ちました。学生も教員も大変いい感じです。これは20年30年後が楽しみです。シンガポール政府も気を変えずにずっとサポートしたらアジアの最先端的な国際大学になると思いました。もちろんシンガポール国民は全員英語をしゃべりそれ以外にもう一つの言葉をしゃべるというのが国是のようなので、日本とは事情が著しく異なります。でも違いはおそろしいほどです。

12月6日から神戸であった合同年会(生化学と分子生物両学会)も今日9日となり終わりです。わたくし別なところで怠け参加者と自認しましたがその割には、真面目でした。
会の印象については大きすぎて、全体の会の印象を得るのは不可能。
会場分布の地理をおぼえるのが難しく、その3次元的な複雑さが記憶最終日頃にやっと頭に入る次第。
人数は非常に多いはずなのに意外に少なく感じる。会場分散と、皆が通るもしくは溜まる場所がないからか。
会いたい人を思い浮かべて何人も居たのですが、だれとも会えませんでした。たぶん来ていないのでしょう。合同といってもそれで参加者が単純に足し算で増えるわけでなく、やはり特殊な会だなとの印象。
まあ何年かに一度やればいいのかなという印象。一方で学会を合併せよという声も一部で強いのは承知してます。これは若い世代が決めていくことなのでしょう。

ともあれ今日夕方まえには大津の家に久しぶりに戻ります。

生命科学は一面の繁栄と他面の苦渋の抑制が現況でしょうか。
未曾有の困難期とみるか日本の国運の低下を考えればよくやっているとみるか、判断は難しい。わたくしはどちらも正しいのだとおもいます。好況を謳歌する研究環境と極めて厳しい環境のどちらもあるということです。集中と選択の当然の帰結でしょう。
ただ、アジア諸国は恒常的な上昇を前提としているので、日本が脱落と停滞をある程度はしかたないという方針でやっていることがこれから30年後にどう響いて結果が生じてくるのか、わたくしは悲観的です。
これから20年、30年を担う日本世代のモラルつまりやる気ですね、そのあたりに強い危惧を感じています。すでにモラルの退嬰はかなり現役トップでも顕著となりつつあるように感じます。
そうなってくるのが、選択と集中の大衆的効果の当然の帰結でしょう。さらに30^40年後に人口が三千万も減少するのですから、相乗効果も大変です。
でもごく一部の少数は素晴らしい業績を挙げ続けるとおもいます。



# by yanagidamitsuhiro | 2017-12-09 08:35
2017年 11月 12日

シンガポール大学訪問

今週末にシンガポールにいきます。
二つのキャンパスにいってセミナーもダブルで全部で4回するので、またどうも沢山の人達と会うようなので1週間以上滞在することになるようです。
かつて京大時代大学院生だったChen Ee Sinさんとやはり京大の学部生時代に研究室にいた板鼻さんのおふたりのお招きによるものです。
しばらくぶりなので、また妻も同行してくれるのでゆっくりして旧交を温めたいとおもっています。

前回はヒトゲノムの会でシンガポールに出かけて本庶先生の講演を聞いたハッキリした記憶があるのですが、何年前かハッキリしません。いまカレンダーを見ると2013年4月HGMと確かにありました。
その前にたぶん2011年頃にもいってますが、その時はChenさんに会うのが主目的だったような気がします。それとも別用だったか。
田矢さんは長いことシンガポールにいましたが、日本に帰国後亡くなりました。
思い出すたびにつらい記憶になっています。
シンガポールの国がどんな風になっているのかそれなりの興味がありますので、国柄の変化をみるのを楽しみにしています。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-11-12 23:08
2017年 11月 03日

つなぎつなぎで忙しい

この秋はやたらに忙しい。目が回るぐらい忙しいのです。
しかし、なにか大きなことを達成したかといえばそんなこともなく、ただ息つくひまなしに次から次にやることが出てくる。あちらへ走り、こちらへ走る。
こんな生活いいはずもないですが、やらなければならないことばかり。しかたありません。
あしたは関西です。連休中の土曜ですが、なんだかしりませんが、京都に戻ってこなせばならない、人と会うことがいくつか。旅行日にしては忙しい。
理髪にはいけそうもなし。息子がいうにはお父さん、ほったらかしたほうがいいじゃない。そうかもしれない。
月曜にも案件があって、終わったらその足で関西空港に行って最終便で沖縄に戻ります。今から疲れそう。助かるのはおしゃべりできる同行者あり。

昔は忙しい時は達成できることがあるので、忙しかったが今はメールではすまないのでわざわざ出かけて会うわけですから、やはり何かそのあたりに、忙しい割に成果が上がらない理由が発見できそうです。
最近なにかで「ぐたぐた」忙しいという表現がありました。
ぐたぐたはちょっとひどいので、「つなぎつなぎ」の忙しさとわたくしはこの際言っておきます。
そういう忙しさを知ってる人達がいると思います。




# by yanagidamitsuhiro | 2017-11-03 17:57
2017年 10月 21日

現場にいかないと、

昔、英国人の友人が日本に来て「開口一番、日本人はやはり日本でみると理解しやすい」「日本で会わないといけないのだな。母国でこそ日本人らしいのだ」。わたくしにとっては名言をはきました。
つまり英国のなかで旅行者やもしくは研究室の同僚としてつきあっても日本人は、なにかよくわからないことが色々ある。
それが日本にやってきて殆ど日本人ばかりの中で見ればあのちょっとした仕草や、表情の変化もろもろが理解出来る!
なぜならみんな同じようにしてるじゃないか。
食事風景、通勤風景、住宅地風景、どれをみても日本人はなるほど、こんな風に生活しているのだ、わかった、わかった、というこんな感じだったらしいです。
わたくしもインドに行ったときに似たような感想を持ちました。

昨日、京都の高校にでかけて授業風景を見せてもらいました。
ごく短時間ですが、今風の高校生はこんな感じなのだと理解しました。
男女共学ですから、男女半々くらいの高校生が座って発表したり聞いたりしているのを見ているだけでも興味深いのですが、通学中の高校生でなく授業中の高校生をみて、ふーん、とよくわからない衝撃をうけました。
未消化なので発言できませんが、やはり現場にいかないとわからないものだと思いました。
それともうひと言、高校生の顔つきはずいぶん変わったような気がしました。しかし、一般化してはいけないかな。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-10-21 21:17
2017年 10月 09日

比良湖岸での散歩をしながら考える

ここのところ忙しくて比良の方の家にいくことが減っていました。
それで日曜、妻と日中行ってきました。
家の外の世話をおりおりにお願いしているIさんも見えました。わたくしはなぜか家を複数もつことにまったく心理的負担がないのですが、これは妻のおかげも多大にあるのですが、Iさんの存在もまたとても大きいのです。
毎年樹木はどんどん大きくなってかつては草原のなかの家だったのがいまでは森の中の家にになってしまいました。もう2,3年したらこの風景をもっとさっぱりとせねばならないとかんじました。
朝は栗を拾いました、今年三回目の収穫です。けっこう時間がかかります。すこしサルたちにも収穫を分けている気配でした。
ケージの中の野菜も10月になってもまだ収穫がありました。

昼から湖岸に向かってあるいて、湖岸沿いに1時間以上散歩しました。
周辺道路は車でイッパイのところが多いようです。しかし、歩けば静かでかわらぬ一望の比良山と湖岸風景を楽しめます。
前日と明日は共同研究者との話あいをする必要があります。
慣れぬ分野なのでなかなか結論が下ろせないのですが、でも話あいのために読んだり考えたり、自分たちのもつデータを当てはめたりしているうちに遅遅とはしているものの着実に概念的な進歩があります。
進歩とは楽観的な解釈が良くないとか、まったく別な可能性もあるのではないか、そういう別の考えを考慮したりすることです、これがわたくしの考える研究中の「進歩」の大半です。
進歩があって論文を書くのを止めるというのも当然あります。
しかし、このケースは自明のように言われている説明は本当に正しいのかというレベルからスタートしているのでなかなか決着が難しい。
結局は、より慎重なコメントに止まるということになるのでしょう。
何日も使って読み込んだりまたいろいろ議論しても結局こうなることはよくあることなのです。

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# by yanagidamitsuhiro | 2017-10-09 11:42
2017年 10月 02日

カタロニアの記憶

受験生の頃か大学入学すぐか、オーウエルの動物農場(Animal Farm)を原書で読みました。やさしい英語ですが読了した高揚感でしばらく自分の英語力でもこういう本を最初から終わりまで辞書を引き引きでも読めるとこれから英語原書をたくさん読もうとしたものでした。
次はサマセットモームの本でこれも読みやすそうに見えたからです。月と6ペンスだったか途中まで読んだものでした。
その次くらいにまたオーウエルのHomage to Cataloniaを読みました。自発的に読んだのか、教養の授業で読まされたのか、大昔のことなので記憶が定かでありません。
でもこの本はわたくしに甚大な影響を与えたらしく、大学の紛争と誰もがイデオロギーを語るのに夢中で、自分もその一人だったのに三日坊主でなく三ヶ月坊主ですっかりイデオロギー嫌いになってしまったのでした。それが、オーウエルの筆致というか行間に溢れる若さからくる政治情熱と、それをはるかにうわまわる人々への共感と愛情に心を揺さぶられたものです。
それから10年もたってスペイン1ヶ月旅行を企てたのもこの本の影響があったように感じます。実際にわたくしにとって人生でいちばん意義のある旅でした。
30才になるにはまだ間がすこしある時期で、自分の人生でいちばん不安感と高揚感が大きかった時期だと思います。

今朝の朝刊を見ると、カタロニアは独立するかもしれないとの報道です。
スペイン市民戦争の背景は何だったのか、ファシズムとへの闘いで義勇の戦士も沢山いたしオーウエルもその一人だったのでしょう。でもその一方で100年経ってもやまない地域間の争いだったとも言えるのでしょう。
カタロニア州独立について、今回はイデオロギーの言葉はあふれてなく、地域がぜひとも独立をしたい。
なぜか、根底に怒りと悲しみがあるに違いありません。
ですから、泥沼の争いでなく、できるなら平和裡にやってほしいと願うばかりです。
あのとき10日くらいぼやっと過ごしたイビサ島はカタロニアの一部なのでしょうか。スイスに戻ってイビサ島にいたと言ったら、お前はヒッピーだったのかと言われて目を白黒させたのを思い出します。

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# by yanagidamitsuhiro | 2017-10-02 09:09
2017年 09月 08日

みほその町余聞

沖縄の家のテーブルの端のほうにみほそMAPというパンフレットが畳んでおいてあります。うるま市石川とも書いてあるのでこの地域の食堂などを地図にして示しているので重宝しています。
みほそとはくびれた所で、人体でいえばおへそのあるあたり、くびれてない人もいるなどと余計なことは言わないようにしましょう。石川にはみほそ祭りというのもあるそうで面白いのですが、ほそ、をほぞとして辞書で調べればちゃんと臍とおへそが出てきます。もちろんへそでも臍と出てきます辞書にはふるいことばでほそ、そのあとほぞになったと書いてあります。
わたくしも反対側ですが沖縄の島がいちばんほそくなったあたりに住んでます。近くの石川岳という山の頂上に登ると両側、つまり太平洋と東シナ海の両方が一度に見えないかとおもったのですが、いっぺんに両方見えるところは分かりませんでした。でも至近距離で両方見えます。
滋賀でも琵琶湖の一番くびれたあたりに住んでます。琵琶湖大橋という橋が架かるくらい狭い所なので、なぜかみほそにわたくしはついているようです。
わたくしはこのみほそと自分で呼んでいる町のほうの飲食にはせっせと出かけてかなりの数の店を知っていますが、反対側はツーリストが多すぎて今ではまったく利用しません。フツーのひとがフツーに暮らしているみほその町が好きです。
しかしホテル街のおかげでこのみほその町も最近は随分活気があってたくさん建物もたち、店屋も増え、住んでる人も増えてるようです。ホテルの従業員用のビルもこのみほその町に多いようです。6年前とはおおちがいです。
わたくしは最近この町でヤギ肉をおいしく食べたり、道路から外れた山奥の農場になかなかのレストランができたりとかいち早く店のお客さんから情報として得ています。

最後になりましたが、みほその町は10年くらい前までは名実ともに悪臭の町として沖縄中で有名でした。ぜったいに住まないとは、ある沖縄ヤング女性の言。昔は、豚舎が沢山あったらしい。お客さんを連れて行くとまったく呼吸ができないとか、全身に匂いがしみてと、タクシーの運転手さんにも聞いています。
今でも悪臭ははっきりいって折々に残っています。しかしこの5年でかなり緩和されてましになりました。でも風のぐあいで日によってはけっこうきつい、その時のあんばいで随分異なります。でも、ひとこと追加しておきます。
わたくしはこの町がツーリストに荒らされたくないので、みほその町をお守りする悪臭とひそかに名付けています。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-09-08 08:25
2017年 09月 01日

沖縄での日照りと暑さの後で

今夏の沖縄は暑い。35度気温も珍しくない。それで植物も随分つらい環境になって二つそこそこ大きくなった鉢植えも出張中に枯れてしまいました。
アセロラも木の半分くらいの葉が茶色になって枯れるかとおもったら、葉が落ちた後沢山花が付きました。
こんなに沢山の花をみるのは暫くぶりです。とりあえず眺めて満足しています。
実がなって食べられることは期待していません。


また今年の夏は暑くてバナナに良かったみたいです。
写真を撮ったのは今年二度目の房です。かなり大きめのができました。はじめのはこの3分の2くらいのサイズでした。
しかし、島バナナは依然成功していません。
かなり大きくなったのがあったのですが、不在中の風で倒れてしまいました。倒れただけでなく隣にあったバナナの幹にぶつかってしまいそれも倒れてしまい、共倒れ、やれやれでした。
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# by yanagidamitsuhiro | 2017-09-01 17:33
2017年 08月 18日

本土時間と沖縄タイム

8月の始めに仙台での国際シンポジウムに行ってきて帰ってから数日して、関西にもどりまして、割合長めの夏休みをとっています。ゆっくりできましたが、それもそろそろ終わりに近づきつつあります。
沖縄では会えない人々が沢山いますのが、旅行と関西でかなりの数にひとびとにあえました。休暇のあいだには家族にも全員会って、気分的にはとても充実しました。やはり色々人に会うのもいい充電のようです。
それに比良の家にいると自然に囲まれて全身が自然に満たされる気分になりました。
比良の家はもうすっぽり森に囲まれた感じになりました。この家を作ってもう15年近くたちましたが、この間樹木はしっかり成長しました。
またそれとは正反対に今回は祇園のような日本文化の粋のような場所でも一夕親しい人との時間も持ててこれも気分的にとても充実しました。

わたくしはいまや沖縄生活をこよなく愛している面もあるのですが、こういうわたくし流の沖縄時間とは著しく異なる本土時間があるので、それでバランスがとれて、沖縄タイムもゆったりと愛せるようになったのだと思います。ダイナミックなバランスが心の中でとれているのだ感じています。

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この木の栗のいくつが自分の口の中に入るか、毎年の関心事となりました




# by yanagidamitsuhiro | 2017-08-18 16:37
2017年 07月 18日

ある朝ひとり身のわたくしの朝食

これは昨日の朝のわたくしの朝食です。
温菜はなく、パンだけトースターで焼いて、後は紅茶です。
ヘルシーかつ、美味かつ、おなかいっぱいになります。でもカロリーは適切です。
ルッコラは比良の家の畑で生えたものを妻に手渡されたものです。
ベーグルは半分です。
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# by yanagidamitsuhiro | 2017-07-18 23:27
2017年 07月 10日

若者はなぜ奨学金返還で苦しむのか

奨学金返済でくるしむ若者が増えているとききます。今の大学の奨学金はなまえばかりで実際には金融機関から借金するのとなんら違いはないと聞きます。取り立ては厳しく苛烈で、払えないとブラックリストにのり、兄弟までもがそのチェインに入ってしまうというブラックな話もあります。大学院まで500万円程度の借金を作るのはざらなので、返済のことがその後の人生の最大に気がかりになってしまうとも聞きます。
いっぺん払えないとかお金的に困った状態になると、文字通り借金地獄になるとも聞きます。
高校卒業時のバラ色の未来とはまったく異なったとんでもなく暗い人生になってしまう。
週刊東洋経済で特集しています。
まだ未成年の高卒生徒が数百万円の利子付き借金をする決心をすることの危険性も強く社会は意識すべきだとありました。
まったく同感です。
また奨学金を昔のイメージで返さなくてもいいのが大半という完全に誤った認識でいる年寄りが多いのも大きな問題。
実情はその正反対。ほとんどが親も含めて返済に苦労している。
最近その苛酷な状況が社会でも意識し始めたのは少しましか。
日本が高等教育に税金を使わない点で、OECDの最劣等国であると聞きます。そのことはどの程度認識されているのか。
苦学もある水準を超えると一般のひとには転落のみちしか見えてこないのです。

日本の社会の視点を変えてほしいと強く思う。
金銭で困る若者たちに優しい目を向けてあげないと、いけない。借金という金銭で苦しむ、若者の人生は暗すぎると思うのです。愚かといわないで、社会は一緒に考えるべき。
西村賢太さんクラスでないと、このような苛酷な状況や借金を堂々とやり過ごせないはずです。
でもそんな人は百人にひとりくらいでしょう。
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# by yanagidamitsuhiro | 2017-07-10 15:59
2017年 07月 08日

赤木のある首里の石畳のみち

つい先日、那覇首里近くにある石畳あたり丁寧に歩いてみました。
いいところです。石畳も印象深いが、大木の赤木が沢山あるあたりは戦災の激しかったことをおもえば驚異でした。
写真を撮りましたのでそれを見てもらうといいですね。石畳と赤木です。
なかなかの深山のおもむき、訪れる人はおもいの他にすくない。一見の価値ありです。ただ、登よりはモノレール駅から道を探して下ったほうがだいぶ樂です。
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# by yanagidamitsuhiro | 2017-07-08 13:02
2017年 06月 18日

研究不正:起こってしまってからの対応と、起こってからいかに真摯に対応するか

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沖縄への帰りの機内で日経を読んでいましたら、エアーバッグ事故の対応で企業活動が大きく破綻したタカタの記事がでていました。読んでいるうちにこれはまるでわたくしが非常に気にしている研究不正がおこなわれた組織による開示の問題とどこかよく似ていると、強く感じました。

記事の見出しは民事再生法申請へ、とあります。エアーバッグの不具合が米国で問題になってからもう10年も経ち経営陣の拙い対応、責任感の乏しさで迅速にして抜本的な対応が遅かったので、とうとうここにまでの破綻に至ったということが記事からよく読み取れます。

この対応の遅さは現代日本の多くの組織のいまや宿痾の業病とでもいえるようになってます。

なんでこんなに対応が遅いのか。小組織のトップとして40年間やって来て、必要なら当日もしくは翌日に決断をし続けてきたわたくしにはただただ歯がゆいことが多いです。

かつてタカタは安全のシンボルでありバッグを使用したホンダのブランド力もあり優良企業、優良製品のシンボルとも言われたとのことです。

それがなぜここまで転落の経過をたどったのか。それを説明するために、記事の別の見出しは、「タカタ、失われた10年」、そして「甘えの構造、危機意識に蓋」とありました。記事をよめばまあそうですね、ということになりました。

記事のなかでわたくしが特に関心を持ったのは、故障や欠陥を防ぐ努力は企業の責務だが「要諦は起こってしまってからの対応だ」とありました。

そしてもうひとつは「不具合がおこってからいかに真摯に対応するか」だと。

これらの二点が述べられている点です。わたくしも、まさに研究不正が起きてからの対応としてはこの二点がもっとも大切だとおもうのです。これまで知っている正しい対応のケースは、発見したらラボヘッドは迅速に関係者のすべて数百人規模の研究者にことの顛末の詳細をメールなどで書いて送ってます。

研究不正の発見は多く、研究室外に端緒があります。実験が再現できないとか、データの提示自体に不正がある、とかの指摘が外部からなされるのが端緒です。再現できないのは研究不正でなく単に力不足か指摘側の誤解や理解不足もあります。

しかし、研究不正がひとたび明らかなになれば、その対応は研究室の責任者、研究室主宰者が対応するのは当然です。いざという時の対応、この時にラボヘッドの真価は試されるのです。

昔わたくしが知っている不正では、ラボヘッドが不正を確認すると直ちに関係者、研究者や研究組織のトップにも伝えられ、主宰者の謝罪の通知がきたものでした。論文が正しいと思っての研究活動をしないで欲しい申し訳ないという謝罪の通知です。

不正の後始末は、ラボヘッドがやるものでした。殆どのケースはそれですんだものです。研究組織が対応して外部に発表するという最近の日本の多くの場合はわたくしなどの年寄りには想定外の対応です。つまり、ラボヘッドが研究不正をすることはあり得ない、という前提でした。

しかし、いまやかつては考慮外だった、研究不正が主宰者自身によってなされる場合が激増しているようです。

それが真実なら、研究環境において大きな悲劇が起きているとしかいいようがありません。そのようなことが後々起こらないためには、ラボヘッドの推薦者や雇用した時の関係者は組織によって事情調査されるべきです。なぜなら、ラボヘッドの不正は何十年も続く若者達の苦難の未来の原因になるのです。

日本ではこれまでいろいろな研究不正があり、残念ながら研究不正大国といわれても反論できないのが今の実情です。驚くことは、ラボヘッドが不正を実行したケースも聞きます。稀ではありません。

その後の対応にも非常に時間がかかります。タカタについての日経記事を読むと、身内意識や仲間意識が解決を遅れさせているとのことです。組織全体が仲間意識をかき立てるのです。同世代という厄介な仲間意識も日本はたいへん強いです。

わたくしも日本の場合にこの身内、仲間意識が著しく状況の改善を妨げているように思えます。そして多くの驚くべき不正事実が表にでないで隠されたまま事態の終息に向かっているのです。それにたいして関係者というか責任者の多くが深く憂慮しているように殆どみえないのです。


日本の研究不正の特徴は、真相が表に出にくいのです。身内や仲間の不始末はできるだけ隠してやりたい同情したい。罪を軽くしてやりたい。どこの研究機関でも、特にエリートと言われているようなところではなるべく隠したい。具体的人名がでたらたいへん、というような「人権」の枠で研究不正の真実は外部にでないまま終息して、それが次の不正を起こりやすくしているのです。とくにラボヘッドの不正に対して、驚くほどのシンパシーが聞こえるのには唖然とするばかりです。わたくしには犯罪に加担するひとたちの意見にしか聞こえません。

タカタと類似の風土の中で起きているのに、その後の展開はひかなり違ったかたちになってしまう。タカタの場合は米国の基準で対応が厳しくされたのに今の日本では、研究不正は人権の名の下に、仲間意識やそういう類いのもので真相はどこにも出ないでしまうケースが非常に増えています。

過去の失敗に学ばない組織や人々は同じような過ちや場合によってはもっと悪質な不正にさらされていくのです。若い世代に研究不正に対して怒る感情を失った人達が著しく増えているとおもうのは老人のひが目でしょうか。




# by yanagidamitsuhiro | 2017-06-18 16:23
2017年 06月 03日

生物物理教室50周年式典

きょうはこれからわたくしがかつて30年ちかくも在籍していた京大理学研究科の50周年式典にいきます。時計台のホールでシンポジウムもあるようです。

わたくし昭和46年ですから19718月に、生物物理教室の教員として採用されました。非常に喜んで、たしか5月くらいから米国から戻って京都で住み始めました。独身だったので身も軽くスーツケース一つで引っ越したようなぐあいです。46年も前で教室もできたのほやほや、建物もあたらしかった。

希望に満ちて新緑のあざやかな東山をみつつ、下宿から歩いて10分農学部グラウンドの傍を通ったのをよく覚えてます。

当時なにが特徴だったのか。生物物理といっても岡田節人先生のように動物発生とか小関さんのように分子遺伝とか学問分野にこだわらない、面白ければいいというのが特徴でしたか。理論物理の寺本英先生の考えが濃厚にあったような気がします。かれがある意味ドンだったのかもしれません。

コントワールという喫茶店があってちょっと年配の先生がおいでになって色々話をする。後から思うとゴシップが多いのですが若者には面白くてゴシップがこんなに面白いのかとは岡田さんから学びました。それから、岡田さんは麻雀がお好きでよくさそわれました。小関さんも好きでしたが、寺本さんは「女波」というお酒を飲む店があってほぼ毎日のように夕方には出勤していなくなりましたのでつきあいはもっぱらそっちに行かないとできませんでしたが。

麻雀をやる時は、後に奈良先端の学長をやった安田国雄さんが岡田さんの指示でしょうか誘いにくるのですが、安田さんは決して遊ぼうとは言わないでドアの向こうでチラッと姿を見せるだけです。ですからこちらも積極意欲をしめさねばならずで、できるときは、「やっさん、やりますよ」と大声で返事します。

そうすると彼はなにも返事せずに姿を消すのですが、それで商談成立で夜は遊べるので急に一生懸命働き出したりして。おもえばよくあそびよく学べでした。女波はちょっと若手には高級でしたので、本蔵(もとくら)というおばちゃんの店によく行ったものでした。雀荘のなまえはたしかさくらと言ったようなきがします。

あの頃、いったいいつ研究の話をしたのか覚えていません。実験のアイデアなどが上手くいったときにひと言、うまくいったとい言うくらいでした。

それでなんか気持ちが十分通じるような時代だったし、人間関係もそうだったと思います。後で時間をかけて何がうまくいったのか知る機会がたっぷりありました。

遊びでよくつきあっていたから、ちょっとした言葉のやりとりでかなり深く互いの学問の状況も理解しあえる。そんな関係があったのでした。

いまから40年以上前の30代の頃のはなしです。

当時は学問は面白ければいい、それにつきていたような気がします。

それと、遊びの中の学問を真剣にやる、真剣ならあそびの中の学問でいいじゃないか、そんな気持ちでした。

そういうのが当時の学問のエッセンスでした。





# by yanagidamitsuhiro | 2017-06-03 15:01
2017年 05月 25日

火山伝説と古事記

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ここに掲げた文春新書の一冊は最近読んだもので、とても面白かったものです。
火山と縄文時代、火山と古事記という思いもよらない組み合わせですが読んでるうちにどんどん引き込まれて、読み終わった時には火山が日本人の心と生活と長い歴史に深く埋め込まれてきたのだと確信してしまい、悠久の時に思いをはせるようになるでしょう。
火山で読み解く古事記の謎、と本のタイトルにありますが実は古事記には沢山の火山に関係する話が入っているのだというのが、著者蒲池明弘氏のこの本での主張です。
氏が始めに言いだしたことではなく、実は既に沢山の人達がいろいろな観点からある程度いってるのでした。知りませんでしたが、寺田寅彦なども卓抜な仮説を提唱しています。またロシアの革命家で日本に長年住み帰化した人が大変興味深い観点で日本の歴史とくに古事記を読み解いていたということです。まったく知らなかった大変興味深い話がたくさん織り込まれていました。

蒲池氏は沢山の火山仮説とでもいうものをまとめて、さらに一歩も二歩も進めて実に魅力的な本を作りました。歴史の本なのに、理系でのモデル、興味深い仮説を提示されているようで、ついついじっくり読んでしまいました。
天皇家の解釈もたいへんおもしろい。ネタを明かさない方が良いと思うのですが、巨大地震、天皇家と火山地帯、古事記、大噴火、こういうキーワードのひとつでも関心があれば、興味津々最後まで読めるでしょう。

蒲池氏は実はわたくしの姪の配偶者ですから、内輪ほめみたいにみえてしまいますが、でも正真正銘面白い本です。むかし結婚式の時に一度会ってその後はまったく会ってないのですが、いつの間にやら読売新聞をやめて小さな出版社をやっていると聞いてました。
この本を読んで、この才能の持ち主、これからの活躍を大いに期待したいと心よりおもいました。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-05-25 11:58
2017年 05月 13日

年越しのバナナ

昨年の11月頃には貧相にぶら下がっていた昨年最後のバナナがここへ来て太ったように見えたので切りました。でももうすこし待つべきだったかもしれません。味はまったく予測つきません。時間がかかったので美味しいと思いたいが。でも黄色くなるかどうか。
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# by yanagidamitsuhiro | 2017-05-13 17:59
2017年 04月 11日

岡田節人さんを偲ぶ

京都に休みに来た一つの理由は、「ときんど」さんつまり岡田節人さんの偲ぶ会に出るつもりでした。一に奥様に会いたい、お顔を拝見してひと言でも二言でも言葉を交わしたい、これがわたくしの強い気持ちでした。それが満たされてとても幸せです。
節人さん、奥様あっての節人さんでした。奥様にあえれば元気な時のときんどさんが芋づる式に記憶のひだから立ち上がってきて、おい柳田さん、どうしとる元気かという、例の声色が聞こえるようです。
しのぶ会ではときんどさんの独演会の録音でも聞けるとかと思っていたのですが、工夫をこらした音楽が流れていて、聞いたことがない曲が沢山、でも岡田先生のウイット溢れたことばでの説明が欲しかったのでしたが、ご子息がそのさわりをすこしやって頂いたので満足です。
壮年期で元気な時組織の長になる前の岡田さんのすぐ傍で日常生活を送っていた時代、なんかあれば昼飯時、お茶のみ時、麻雀の時間帯など、会ってえんえん四方山話をしたものです。
こうやって考えて見ると失った時間はあまりにおおきい。
でも余りある豊穣な時間、ときんどさんの話を聞いたおかげで会話を空想することはできます。
ときんどさんと研究不正のことを話題にしたことはありませんでした。我々が30代、40代の頃、不正事件は日本国内では大変珍しい、たとえあったとしても、表現悪いが実行者は小物(こもの)が多かった。ボスの学説に合うように、ハエの目玉眼を色で塗ったとか笑いはあっても知的というか不正の技や知的に感心するような不正は殆どなかったのでしょう。
今の時代のように有名ジャーナルに毎年論文を発表したり、知名度も高く、大きな賞ももらうような人達が不正を働くなどありえないし、想像できないでした。
ときんどさんだったらなんでそんなことをする、いったいどういう人なんだという疑問が前面にでるでしょう。あんがいこわがりで心づかいをする細やかな方でしたので、一体どんな人、そういう人と喋らねばならぬ羽目におちいったら、どうしようと好奇心はあるもののでもまず誰かの意見を聞いたでしょう。先生は大変な蛇嫌いで、漫画でもぱらぱらめくって蛇が出ないことを確認してから読みだしたと、Yさんが言ってました。
それでこういうことには鈍感で乱暴な気性もある程度所持しているわたくしにたぶんきくでしょう。柳田さん、あの例の噂の御仁、ほんまにやったのか、とたぶん聞かれるでしょう。わたくしがどうもそうらしいですよ、と返事をすると、若い奴をそそのかしたのではないか、とたぶん聞くでしょう。まさか、自ら身の破滅となるようなことを自ら実行などするはずがないと。それで、わたくしが、どうもおそろしいことに自分でやってしまったという噂を聞いたし、それが一番わかりやすい説明みたいといえば、たぶん次から次になんでそんなことをやるのだと沢山質問があったでしょう。恐がりの先生としてはそんなことなどあって欲しくない、と。
頭脳明晰、人間の理解が格別に深いかたでなので、目の前にあの学会講演などで脚光をあびていた御仁がそんな人物であったととは到底信じたくない、そんなおぞましいことはあって欲しくない。先生はやはり上品なかただったな、とおもいます。
不正などする人間を理解出来ないでしょう。たぶん、ひと皮剥けば高名な捏造者も粗雑な人間なら納得するのかもしれません。

こんな想像まったく間違ってるかもしれません。でもわたくしがこの何年間、不正の問題にぶつかったときにあって話したかった人のナンバーワンがときんど先生でした。
おぞましいものにであった時に先生の考えはどう動くか、それを知りたかったです。つまりわたくし自身の感じ方は大丈夫なのか、という不安がいつもありました。
彼とはなすことによりバランスをえたかったのでした。

しかしいくら偲んでも答えはでてきません。しかたないな、もう時は決して戻らない、これも生きるうえでの沢山のことの一つなのでしょう。




# by yanagidamitsuhiro | 2017-04-11 10:33
2017年 03月 29日

わたくしが生命保険をかけない理由

わたくしは生命保険に入りたくないタイプの人間です。
自分で生命保険をかけるときは海外旅行にでる時に掛け捨てのに入るくらいです。あとクレジットカードで交通事故などでの傷害保険とかの自動的なものくらいです。もしかしたら、わたくしが知らないか、忘れているだけでなにか入っているのかもしれません。でもわたくしは、積極的に入りたくないという主義をずっと通してきました。独身の20代だけでなく、30代で結婚してこども3人に恵まれてからもです。生命保険は掛け金が沢山かかって、薄給の大学教員にはたいへんつらい、というのが理由とすると、随分、家庭人間として無責任と思われる気もします。
でもそのかわり、別なことに相当に気を使って生きてきたつもりです。
その第一は、家族皆健康であること。そのために体を鍛えるというか体を動かすことですね。週末忙しいときでもなるべくそのあたりにハイキングなどはよくいったものです。毎日、家族全員と顔をあわせ、顔色の悪い人はいないかそれなりにかなり気をつけて来たつもりです。ただ悟られないようにしていたつもりです。これが、わたくしの第一の保険で、ありふれたものです。
第二は、子供達は将来、ご飯がちゃんと食べていける人間になって欲しい、そためにありとあらゆる時に自分で飯を食ってください、とつたえる。そんな保険的発想です。子供達がいい方悪いですが、安価に育って、逞しく社会でちゃんと生きてほしい、これがわたくしのいちばんの願いでした。主義思想とか教育方針ではなく、そうじゃないと食べていけないくらい国立大学の教員の給料などはまさに薄給だったからです。そういえば昔は月給は封筒の中に入っていました。薄給は実感があったのでした。
幸いなことに子供三人、みな健やかに良くそして強く育ってくれて、社会でちゃんと生きています。なんとありがたいことです。感謝感謝です。おかげで人生で最大の夢だった、わたくしの夢もかなえられました。
この第二の保険がうまくいったので、後はわたくしと妻が元気に健康に生きていく、このことがもちろんこれまでのそしてこれからの関心事です。

これがわたくしの保険にはいらない代わりの考えです。まったくなんにも変哲もありません。わたくしが今や後期高齢者にたどり着きましたのでこんなことを書いてもあまりだれからも叱られないでしょう。
日本の医療制度がしっかりしているので(他国と比べて相対的に)、その上に乗った考えであることはいうまでもないです。また、運良くそうなったと言われるかもしれません。まさに、そうかもしれません。しかし、人生は所詮運でしょう。
だから、たまにはこういうわたくしの生きる上での小さなギャンブルについても書いておいていいでしょう。

 


# by yanagidamitsuhiro | 2017-03-29 07:21