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2005年 05月 31日

捏造論文について3 On scientific fraud 3

いまこの阪大での捏造論文について書き出したらブログを読んでくださる方が急増しているので、もうすこし具体的に捏造の実体について書いておきます。
日本では捏造は多いか、少ないか、わたくしはいま広汎にしかも急速に増えてるのではないかという、危惧を持ってます。モラルの喪失と捏造技術の容易さの両方が原因でしょう。それから、論文数が生きていく糧であるという要因がますますシビアに感じられるからです。
捏造は、犯罪でいえば詐欺に近いものです。作り話を人に信じさせるのですから。ただ、捏造には2段階あって、データの捏造行為とそれを発表する行為があって、前段階は沈黙的、後者は饒舌的になります。
これを読むどなたも捏造などは考えたこともないでしょうが、もしも自分が捏造をしなければならないはめになったとしてどうするか、シミュレーションすれば、心理的に非常に困難であり、実行をするとしたら心からゾッとするはずです。でも、その心理的困難を乗り越えた人達が捏造をするのです。科学の世界における相当な犯罪であることは声を大にして言っておかねばなりません。
また捏造の種類には色々あります。何でもいいから論文が欲しい、論文があれば学位が取れる、職が見つかる、もしくは維持できるというクラスのものから、ボスに気に入られたいという人間関係の願望が原因のものや、有名になりたい、一番乗りをしたい、周りから憧憬の念で見られたいというような自我の達成のようなものがあります。この阪大のケースのように特許申請までいくと金銭欲も入るのでしょうか。
捏造の発覚は意外に少ないようです。ヒソヒソと噂はされても決定的証拠がつかみにくいものです。氷山の一角のみが表に出てくるのかもしれません。
捏造の事例は出来るだけ沢山知ってることが望ましいのです。特に研究室の主宰者は。わたくしが知ってる事例だけで薄い本一冊くらいは書けそうです。バラエティに富んでいます。
捏造ではないがデータの意図的な選別、自説に不利なデータを無視する軽視する、このような問題行為はまた別の問題であり、ここではあくまでも意図的にして詐欺的なデータの偽造を考えてください。
さて、捏造をした大半の人達は徹底的に否定します。これがわたくしが知るケースです。動かせぬ証拠があって始めて認めるものです。そのうえでデータを出した本人がどのように認めるかです、将来の人生があるわけですから、当該組織となんらかの取引をするケースもあるでしょう。組織としても外聞が悪いし、できたらあまり話題になって欲しいと思うことはないでしょう。それゆえ、データを出した本人が非を認めて、静かに姿を消す場合も多いです。
今回の阪大捏造事件は、関係者が著名な研究者達で、それにエリート学生です。このケースの究明は非常に多くの意義ある教訓を残すでしょう、またどのように対策をたて解決をするか、これもモデルケースとして大変参考になるでしょう。
背景は深そうだし、どなたかがお書きのように前任教授の作り上げた研究環境を現職の教授が受け継いでいるのだったら、何となく現教授までもが人ごとのように感じる雰囲気が醸し出されたのかもしれません。そうでしたら、ますます体質、風土とそのようなレベルでの批判が阪大に向かう可能性が高くなります。
ここは阪大の名誉にかけてしっかりとそして人間的に対応して欲しい、強い願いです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-31 22:08
2005年 05月 31日

阪大での捏造論文について(続き) Scienfic fraud 2

ごく手短に述べます。
論文の捏造データを割合簡単に、もしくは気楽に考えてる研究者(もしくはその卵)の方々が日本では多いことにまた思い知らされます。それは日本がまだまだ科学の中心でないからかもしれません。わたくしは、科学の世界における最悪の行為とみなしてます。非常に深刻な事態と思われます。この存在しない、マウスの特許申請が下村、竹田両教授に当該筆頭著者の学生3人で申請されてるとのことが本当であるなら、前代未聞の出来事といわざるを得ません。

今回は阪大の生命機能研究科、医学部、というわがくにの最高の場所でこのような事が起きたことで、日本中の生命科学者が注視しています。わたくしも重大な関心を寄せています。
研究室で話したのですが、わたくしもテレビでの記者会見で下村教授の人ごとのような態度にかなりの違和感を感じた事は事実です。この学生が別な研究室、竹田教授の指導下にあったことも確かなようです。しかし、論文はあくまでもcorresponding authorが最終的に責任を負うべきと思われます。

もしも両教授が学生のいうままに信じていたということで幕引きが行われるのなら、阪大の声価は地に墜ちるどころか、両教授および関係の研究科の声望はその「無能さ」の故に、長期にわたって癒しがたい傷を受けると思われます。そのようなかたちで幕引きを行って、両教授はまともな教授業を続けられるとはとうてい思えません。
徹底的な調査と対応策を立てるることにより類似の事件が日本では起きないような素晴らしい前例を作って欲しいと願うばかりです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-31 15:26
2005年 05月 31日

阪大医下村グループ等捏造論文事件について On scientific fraud

夕刊で、この捏造論文のデータを出した学生が申立書を出したという記事を読みました。相当数の捏造データは認めたが、データ捏造時は心神喪失状態だったという。下村教授からはデータが汚いといわれ、直属上司の助手からはデータを出すことを急がされたのであり、データ捏造自体は幼稚なミスだと申し立てしてるそうだ。このような説明が通るとも思えないが、この論文の筆頭著者と責任著者の言い分が食い違うという事実は重要である。
このNature Medicineに発表された論文は相当数の研究室と研究者がかかわっており、内分泌代謝学の権威といわれている下村教授が責任著者であり、肥満、脂肪組織、インシュリンなどがキーワードなり、我が国の代表的な医学的な代謝研究者達の共同研究が生みだした大きなヒットという認識が一部にあったらしい。しかしこの論文の根幹となるはずの、あるはずの遺伝子改変マウスが存在しないという。データの捏造どころではない。論文は取り下げられたというが、事の重大性からみてそれで終わりになるはずのものでもない。
ひとつずつ判明する事実はいろいろな意味で驚きを通り越して怒りがわいてくる。

下村教授の責任は重い。
その理由は、責任著者であるということだけではない。そもそも研究者としてまだ資格があるかどうか分からない若者を筆頭著者にすえてこれだけの社会的インパクトのある論文を出すことには相当の「覚悟」が必要だったはずである。この方のホームページを見ると、「野心的な研究をしたい」とある。それは素晴らしい。しかし、野心はそれに伴う遂行能力(つまりこのようなことを起こさせない)を実現の為に必要とされる。
この論文が正しいと世の中で通ればその果実の大半は下村教授が受け取っていたはずだからである。間違っていたから知りませんでは通らない。いわんや被害者のような態度を取ってはいけない。
そもそも学生は学部学生だという。大学の学士の学位すら取ってないという。それなのにもう既に数報も原著論文があるという。これらの論文も大丈夫だろうか。これまでの多くの捏造事件は一度あれば大抵複数回あったのである。この学生は周囲では天才扱いだったのだろうか。そうだとしたら、なおさら周囲の教授などシニアーな研究者はそういう若者にありがちな「倫理面」での未熟さを持つ可能性を知っていなければならなかった。
わたくしは、教授などの研究室主宰者になるためには研究室内での捏造などの不正事件が起こらないように管理できる能力を持っていることが必須条件だと思う。
この学部学生は研究の世界では「未成年」と同じである。大学院生でもないとしたら、研究行為を行うとしたら未成年でもかなり若い方となる。周囲の指導者は保護者に近いつまり親のような役割をも演じなければならない。
若年者は功を急ぎ、焦りがちである、このようなことが起きたときに本来親権をもつ保護者的な教授達が知らぬふりをするか、責任逃れをするのなら本当に見苦しい。
真相を理解する前に即断は禁物と思いながらあえて一筆をしたためた。
ともあれ、捏造をしたこの学部学生がいかなる経過によってこのような捏造データや存在しない遺伝子改変マウスについてのデータを生み出せたのか、詳細な調査を大学は行い、公開する必要がある。時間はじゅうぶんにかけるべきである。こういう事件は1年くらい調査にかかってなんら不都合はない。調査が同一大学の同一研究科などであっては徹底的なものにはなりにくい。わたくしが知ってるケースはことごとく外国人を含む極めて大がかりな調査委員会を作っている。この阪大のケースも特異なケースでもあり、関係研究室は我が国を代表するようなところでであり徹底的にやって欲しい。
また、このまだ長い人生の始まりにしか立っていない、明らかにある種の才能を有した、しかし科学と人生を甘く見ていた若者を、大学、関係研究者はぜひとも、教育的なおかつ人間的に扱い、更生させて欲しい。

わたくしは5月10日のブログで以下のように述べました。この考えはこの捏造事件に当てはまります。
データの改ざんや捏造は論外です。そんなことがラボ内でおこりだせば、腐敗はラボの深層に達するでしょう。
もしも公表論文で困った事態が起きても、正直にしかも上手に説明すれば、たとえしばらくは世間の不信や怒りを引き起こしても、そのうち許されるはずです。正直に勝る、説明はない、というのが科学をやるうえでの鉄則かと思えます。一方で、科学論文の公表で過ちを起こしたときに、最大の誠意をもって事に当たり、正直な事実開示で示す、これが組織内部と周囲をしっかりさせる唯一の方法だと思うのです。

深夜12時を過ぎてから書きだしたので一日に二回ブログを書いた気持ちです。

追記:最初に書いたブログがすこし舌足らずなところがあり、後でなおしました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-31 01:07
2005年 05月 30日

晩飯もしくはnight boiled rice

日本チーム、UAEに行きましたね。嫌な予感がします。これ負けると後が厳しいのですが、それがやって来そうな気がするのです。イタリアにいて最近実戦のまったくないあのひとが、今回の不運のシンボルにならないか、心配です。一方で、この間のキリンカップの2戦では勝てそうな雰囲気があまり感じられないのでした。小野と中村に任せて、大黒と大久保あたりに思い切りやらせたら大勝するかもしれませんというのは素人の考えで、ジーコ神様はやはり、古い言葉ですが、あの人と心中する覚悟なのでしょうか。
最近、プロ野球交流戦とかやってますね。わたくしは野球はほとんど無関心状態で、どこが勝っても負けてもどうでもいいのですがこの交流戦が意外に長くやってるので驚いてます。いったいいつまでやるんでしょう。やりすぎでもないのですかね。これでは、一年中、12球団総当たりの方向にいくのでしょうか。
それから、サッカーくじまったく人気ないようですね。どうしてなんでしょう。難しすぎるのですか。どうもこのまったく人気がないのが分かりません。これほど、ギャンブル好きの国民なのに、よくわかりません。プロ野球もくじで同じようなことやったらかなり興奮する人達が出るような気がするのです。やはりサッカーファンはお金を持ってないのかもしれませんね。

今朝メールを開けたら、JH博士のメールがありました。非常に長文で読むのに30分くらい(ちょっと大げさですが)かかりました。いろいろ面白いこと書いてありました。ここに許可を得て掲載したいくらいです。この間の日本人の英語や自動翻訳についての彼の意見でした。
そこで、彼の質問にあなたの書いた最後のところ、翻訳するとヘンな字が出てくる、あれは何を意味するのだという質問がありました。

これから、JHさんを晩飯に連れて行きます。このアイデアについて彼がなんといいますか。
という文章に対して、これが以下のようにやくされているのでした。
F r o m n o w o n , M r . J H w i l l b e t a k e n t o fiéÒ . W h a t d o e s he c a l l i t a b o u t t h i s i d e a ?

かなりいい線をいってます。でもこのfiéÒとは、そこで彼が使っているサイトに行ってみました。
http://ocn.amikai.com/amitext/indexUTF8.jsp
そこで変換してみると、
From now on, Mr. JH will be taken to 晩飯. What does he call it about this idea?
と出ました。つまり、晩飯は辞書になかったのです。JHさんのコンピュータには日本語フォントがインストールされてないのでした。
そこで、晩ごはんと変えてみました。すると、
From now on, Mr. JH will be taken to evening boiled rice. What does he call it about this idea?
なるほど、何が問題かよく分かりました。そこでだめ押しに晩めしとしてみました。すると、
From now on, Mr. JH will be taken to an evening meal. What does he call it about this idea?
バッチリではないですか。それでは、夕飯はどうか。なんと、
From now on, Mr. JH will be taken to supper. What does he call it about this idea?
これでもいいけれど、それなら何で、晩飯はhopelessに駄目なのか。ばんめしとひらがらなら、
FFrom now on, Mr. JH will be taken to a ばん meal. What does he call it about this idea?
こう言うのを見ると、自動翻訳は極めてpromisingではあるが、まだまだdevelopingな状態と思えます。ただ、わたくしは今回のこの翻訳とか、マックのタイガーについてきたダッシュボードにある日本語の英語への変換を見て、これからこれらを辞書代わりに使おうと決めました。上手に使いこなせば、かなり役立ちそうです。
休憩時間はこれで終わりとなりました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-30 17:49
2005年 05月 29日

人工染色体  Artificial chromosome

Q&Aの原稿の中でも書いたのですが、研究者の力の一つはやはり運だとおもいます。わたくしの考えでは運には二種類あります。
わたしたちは研究意欲をもって実験にいそしみますね、そういう点ではだれもが似たような境遇です。でも何を研究するか、何を研究上のスローガンとするか、これは一人ずつ違います。そこで、何を選んで何をやるか、それを決める、ここに「運」が介在します。若い頃わたくしは学生にはよく「犬も歩けば棒に当たる」と言ったものです。自分のやろうとすること、いろいろ理屈をこねる人は多いが、研究の発端は大抵のところ運が大きいのです。「何かとの出会い」、偶然的要素が高いですね。院生を犬にたとえて申し訳ないが、犬が棒に当たる、でもそれが「運」なんだと自分の体験から伝えたものです。歩かないと運にもぶつからない。一つ目の運はそういうわけで、「出会いの運」とでもいいましょうか。
二つ目の運は、確率的な運です。普通の意味での運ですね。低い確率を引き寄せる「運」は、強運ですね。運は釣りのように餌にかかった魚は上手に引き上げないと逃げてしまうし、運を傍に引き寄せる部分にいろんな人生の綾がありそうです。一方で、高い確率なのだから、出来ないはずがないのに出来ない、よほど運が悪い、こういうこともあります。でも長い目で見れば、人生でのこういう確率的な運はみな平等にやってくると思います。
もう20年くらい前になりますが、NOさんが人工染色体を作成した時の経緯は、この後者の運に恵まれました。NOさんはいまは千葉県にある著名な研究所の部長をしていますが、構造研の助手と助教授を長年にわたってやってくれました。
そもそも分裂酵母で人工染色体を作ろうという計画は比較的容易なものという考えで立てました。なぜなら、動原体の話しの時にも説明しましたが、既に米国のJC博士が出芽酵母で動原体と複製起点を有する環状プラスミドが人工染色体として振る舞うというのを示してました。基本的にはそれと同じような方法でやればいいだろうと思ったわけです。ところが分裂酵母の動原体はどうも非常に大きいということが当時院生のNY君の仕事ではっきりしてきてどうも、動原体DNAはプラスミドなどに挿入できそうもないくらい大きなものという推測が出てきました。
NOさんは今から思うとこの問題に最も正統的なアプローチで接していました。
そもそも分裂酵母では異数体は安定なのか?こういう疑問から研究を開始しました。異数体とは染色体の数が変化したものです。分裂酵母の染色体は半数体で3本なので、どれか一本増やしたらどうなるのだろうか。こういう疑問です。それに答えるために、triploid meiosisという2倍体と1倍体を交雑しました。その結果は、第3染色体が一本増えた異数体はかなり不安定ながらなんとか存続(継代)出来ることが分かりましたが、他の異数体はみな致死的でした。わたくしたちは大変喜びました。なぜならこの結果は高等生物に似てるからです。ヒトでは染色体は2倍体で23x2の46本ありますが、異数体として許容される染色体はごく少数です。ダウン症とかご存知ですね。
ところがこの結果を書いた論文を送ると、レフェリーのレスポンスはさっぱり良くなくて、面白がってくれません。出芽酵母での異数体が致死的でもなく、安定に存続するからだったのか分かりません。仕方ないので、Current Geneticsというジャーナルに1985年に発表しました。
優れた遺伝学者であるNOさんは、次なるアイデアを出しました。それはこの不安定な異数体に人工的に染色体切断を入れて、2本ある第3染色体の一本が非常に短くなれば安定化するのではないか、というものです。染色体の腕の部分を失っても、動原体と染色体末端テロメア配列を持てば人工染色体になるはずです。異数体の多くが致死的な理由は染色体が一本よけいあるので、過剰遺伝子発現による悪い効果によると考えられていたので、理屈も合います。わたくしはそれは大変良いアイデアなので、ぜひやったらどうかと賛成しました。
このアイデアは生きました。Ch16と呼ばれた3番染色体由来の人工染色体が第4番目の染色体として、不安定な異数体を放射線照射することによって得られたのです。大成功でした。我々は有頂天になって、次々に実験を行い、短期間で論文をまとめて投稿しました。
しかしこの論文も手厳しい扱いをレフェリーから受けました。価値を認めようとしないレフェリー達によって抹殺されかかった気が今でもします。この当時分裂酵母をやっている研究室は世界でも10箇所もなく、染色体をやってるグループもほとんどないので、レフェリーはどうしても別な生物の研究者に行きがちです。また前のブログでも書いたように分裂酵母動原体同定をめぐる確執もありました。50年経つと論文のレビュアーが誰で何を言ったか情報開示されるとか聞きますが、わたくしはもう生きてないでしょうが、どの連中がこの論文をあのような否定的表現で拒絶したのか、知りたいものです。この論文は抹殺はされませんでしたが、ふさわしい舞台には出せず、Molecular and General Geneticsというジャーナルに1986年に出ました。内容的にまったく誤りもなく、この分野のMile stoneになるべき論文だったはずです。他にもこのような目にあった論文はいろいろありましたが、その中でも特に記憶に残るものです。
 さて最初の運の話しに戻りましょう。この人工染色体は両腕が切断され、そこに染色体末端配列(テロメア)が結合したものでした。このようなものが一回の放射線照射で得られる確率は非常に低いものです。NOさんのスクリーニングはかなり感度は良かったかもしれませんが、たかだか百万に一回の確率程度のものを選抜出来るくらいです。しかし、確率的にはそれよりもさらに格段に低いものの分離に成功したのです。いっぺんに両腕でなく、片腕で欠失した人工染色体はその後も何度も分離できましたが両腕とも欠失したのはこのCh16ただ一回だけでした。このCh16を使ってその後長きにわたって、多くの重要な実験が行われました。いまでもCh16やその誘導体の人工染色体は世界中の研究室で使われてます。
一期一会わたくしも好きな言葉です。一回ずつの実験は、まさに一期一会です。二度とない機会を与えてくれる実験かもしれないからです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-29 21:14
2005年 05月 28日

鹿害  Harmful deer

きのう送ったQ&Aはすぐ編集長から返事ありまして、これでいい、発表させて貰うとのことでした。ちょっと拍子抜けでした。こんなことがオリジナルな論文でもあるといいのですけれども。

朝は比良山麓の家での朝食。サラダの材料はすべてわが畑から、それにサクランボの次はイチゴの時期でこれもいけます。イチゴ、味が粒毎に差があるのは品種のせいか、日当たりの差のせいか、話題になりましたが、わかりません。ふたごの赤ちゃんたちもどんどん成長して、見ていて頼もしい。これが今回こちらですごす最後の週末でしょうか。

ちょっと仕事をしてから、あれこれ畑のほうの手入れ。スイカとキュウリが二苗枯れてました。水の量が少なすぎたかと反省。去年はこんなことはなかったが。台が生きているので、接ぎが不都合なのかもしれません。ケージの中もいろいろ細工しました。結果が楽しみです。

今年は電柵が二重三重に水田の周りに出来ていたのですが、その理由は迂闊にして知りませんでした。きょう午後側溝を流れる農業用水の貰い水を増やそうと森の中に入って水量を調整しての帰り、農家の人がまたまた電柵を増やしているので、どうされましたと聞いたら、どうもこうもまた鹿にやられてしまってということでした。ここから見たら何も見えませんがと言うと、田圃の真ん中の苗を喰われてしまってと言う返事。わたくしは鹿が米の苗を食べるというのは知りませんでした。台地に上がって下を見ると確かに水田の真ん中がそこだけ鏡みたいに水面になっていて、苗がありません。
これは酷い。せっかく気張って苗を植えたのにと、嘆くのも当然です。もう一人おばさんが現れて三人での話しになりました。だいたい夜の10時頃になると鹿は出てくるとか。此処の水田はまだましで、300メートルくらいの先のところは軒並みやられてるそうでした。夜中の2時頃が鹿のでる最盛期で、雄は角があって電柵の電線に引っかかるので、雌鹿が線の間を抜けて入るそうでした。新聞配達の人が毎朝どっかであうそうです。鹿の敵はまったくいないので増える一方とか。狼もいなくなったし、というのはその男性の農家の方の意見。わたくしは思わずいつ頃まで、ここには狼はいたんですかねと聞きそうになりましたがやめました。

湖西線も線路に鹿がでて列車が何度かはねたとか。ここらあたりの湖西線は高架でなくて盛り土になってるので鹿がよく出るとは聞いてましたが。ほんらいの鹿は奈良公園の鹿と違ってかなり行動も迅速、ちょっと荒い感じのところもあって怖そうなのは、わたくしも一度妻と早朝散歩してたら、テニスコートにいた雄鹿がこちらに向かってくるので怖い思いをしたことがありました。
電柵も実は電気が流れてないのがあるとか。電線から取り入れてるのも、電池から電気を入れてるのもあるとか、かなりまちまちのようでした。イノシシの被害も酷いのですが、詳しく話しを聞いてると鹿害もひどいですね。こういう米作の早期に出てくると、被害を受けた農家の人達の心労もかなりのものとうなづけました。
夕方からは、Rも東京から久しぶりに現れて、賑やかに談笑しました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-28 21:22
2005年 05月 27日

自己インタビュー     Self interview

ここのところ、数日間、いくつか研究関係の出来事はあるのですが、さすがに公開はできないことなので、その件でのわたくしの意見も、行動もかけません。しかたありません。すみません。
それから、このブログの写真、けさ秘書のTMさんに聞かれました。あれなんでしょう。ちょっと分かりにくいですね。これ、スギゴケです。横から撮影してます。
もちろん相も変わらず、論文書きはやってます。かなりスッキリしている仕事とはいえ、佳境に入ってくると段々難しくなります。
むかし、いつまで書いても終わらないどうしようもない論文を書くことがありました。しかし、学位を取るために必要な公表論文です、自らに鞭を打って頑張って無限に感ずる努力を続けたものですが、そういうものでもいつのまにか本人の努力による最後のデータの付加などもあり終わりに近づくと、山登りでもいえば、ああとうとう山頂についたか、はるかにきたなあ、などと思ったものでした。これは、論文の質とは関係ない、舞台裏での努力の量です。論文を送り出してから、レフェリーにたたかれたりするのは、このしんどさに比べるとたいしたことはありません。
わたくし高校生の頃から山登りに打ち込んで大学の1,2年の頃まで本当によく登りに行きました。高校2年の春休みの甲武信岳登山で雪山に開眼して夏、冬問わずよく行きました。大抵は数人で行きましたが、一人でもそこそこの山にはよく登りました。つらかったのは高校3年のときの白根三山で間の岳から北岳に着いた頃にはふらふらでした。それから、いっぺん広河原に降りて、また鳳凰三山を直登して越えた時は若さだけで持った感じでした。さらに記憶に残る長くてしんどい登りは赤石岳悪沢岳に登ったときで、夏なので水場は稜線からはるか下だし、石ころだらけの道をいつまでも歩いきました。お金もないので、山小屋などには一度も止まったことはありませんでした。冬には泊まりましたが、誰もいないのでただでしたから。ああいういつまでも続く長い登りの感じがそういうつらい論文書きの長丁場を乗り越えるときの感覚を助けてくれてるような気がします。不思議なのは、北アルプスや東北の山などではそういうつらさを覚えてないので、南アルプスに独特のつらさかもしれません。いまでも車窓から駒ヶ岳など見ると、気持ちが身構えてしまいます。
さて、昨日はブログを書いてから、家に帰る前にCB誌から頼まれていてすっかり失念していた、Q&Aというインタビュー的な原稿を書きました。自己インタビューみたいな感じになりました。
英文で1300語くらいですが、かなり早く進み、昨日の夜のうちに終わってしまいました。今朝早いうちにもう一度読み直して、編集のほうに送りました。そのうちフィードバックがあるでしょう。年を取ったせいか、それともこのブログのせいか昔話がふえてます。いっぽうでこういう気楽なものを書くスピードは我ながら驚くくらい速くなりました。

昨日今日と、この記事や、論文のレビューや論文のデシジョンやいろいろ片づけましたから、週末前に気になる宿題がないのが気持ちよいです。
でも本当は非常に大切なことを忘れてる気もします。まあそんなものでしょう。
週末には久しぶりに長男のRが東京から遊びに来るとか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-27 16:33
2005年 05月 26日

忠誠心などなくたって No problem without loyalty heart

何かまずいことがおこれば、その原因となるものを見つけて、攻撃なり批判なりするというのは、現代ではどこにいっても見られることですね。ただそれを声高にいえるのが自由社会でして、ひそひそでもいえるのは不自由社会で、それが言ってるのがわかったら官憲がやってきて、批判者がどこかに連れて行かれてしまうのは圧政社会ですね。ともあれ、声高に批判できる、これは間違いなく日本のことです。でも、よく見てると、批判しやすいものにはほとんどワンパターンの批判が出てくるので面白くないですね。昨今の靖国参拝問題、もううんざりしますね。マスコミの論調はまったく新味がないので、ほとんどの人にとって年中行事のことで、ただ今回は中国との関係でますます声高になるので、大げささがすぎてほとほと嫌になります。新味のある議論でもあれば真面目に考えるのですが。このことが今日の話題ではありません。わたくし、靖国参拝問題はかなり長期間考えてるので、意見を言い出せばきりがないのです。ただ、確かいっぺんこの件ちょっと結論めいたことはこのブログでも書きましたが。
今日は、このことを枕に書きたいことがあるのです。
日本人の英語能力が世界でビリ、とか会社に対する忠誠心が最も低い、子供が未来に夢を持つという点でも最低クラス、こういうことになるとマスコミも世間も妙に静かになりますね。この日本という国では。攻撃するのが大好きな大新聞の論調もせいぜい子供の問題は文科省がしっかりしてないとか厳かにいうくらいで、おとなしいですね。
前にも書きましたがなんで英語教育の指導者を批判しないのか不思議ですね。
この会社への忠誠心が世界で最も低いとか、これはどうなんでしょうか。批判好きの人なら誰を批判したらいいのでしょうか。今日はちょっと、この昨今の日本人が自分の勤める会社に忠誠心をぜんぜん持たないようになったらしいということを考えて見たいのです。ただまあかなりいい加減なことを言いますので怒らないで下さいね。
わたくしは会社に勤めたことがないので何もえらそうなことは言う気がありません。ただ忠誠心がまったくなくてもなにか別のことに楽しみを持って人生を送っていればそれでいいじゃないかと思うのです。自分の会社がつぶれたら困ると思う人や、会社が儲かれば即刻自分の給料が利益にスライドして上がるのならそりゃ見かけ忠誠心を持つのも大変いいでしょう。非常に運がよくて、仲間や上司が素晴らしかったら、特に経営者がとんでもなく素晴らしい人だったら忠誠心は自然に出るでしょうから、それもそれでいいことですね。
これからまた科学者にあるまじきと眉をひそめる人もいるでしょうが、わたくしは骨相学にこってます。確か前にもブログで書いたような気がします。もう30年以上はっきり意識して骨相学を実践してます。自己流で、理論はなくかなり直感に頼る一見怪しげですがあたる確率は驚くほど高いのであります。
たしかまだ子供たちが家にいた時代ですが、食事時におかずがわりに誰がこうだ、誰がああだと知り合いの人達の骨相判断を開陳したので、妻ばかりか子供にまでたしなめられてしまい、家では実践の成果を発表出来なくなりました。研究室でもわたくしの骨相学を聞いて喜んだり笑ってくれる奇特な学生はいなくなりましたので、もう誰にもこの技術と知識を伝える人間がいないのかと寂しい限りです。
閑話休題、わたくしがたまにあう大会社の経営者、なんでこんな骨相の人達がと思うような人達ばかりですね。例外は自営の経営者、創業者、この人たちはまったく違う人相をしてますね。別人種のような気がしました。例外はいくらでもあるでしょうが、経営者の骨相学的人格がかなり低いのはわたくしの見立てでは間違いありません。話しが飛びますが、グリーン車には滅多に乗りませんが、いつも感じることは、グリーン車の乗客の人品骨柄は普通の車と比べて相対的にはっきりよくないですね。ちらっと一瞥するだけなのですが、つまらないことをずっと考えてる人達が多そうな気がします。
こういう経営者のいる会社の社員が忠誠心を持たないのは当然だし、それでなんの問題もないでしょう。すこし日本の社会の上層部にいたことがある人は知ってるように、経営者は一般の人達に単に支えられてるだけでしょうね。一般の勤務者の邪魔を相当しても企業とは結構成り立ってるのではないですか。日本では大企業がたくさんかあるのでしょうが話題になる経営者はカルロース・ゴーン氏とか驚くほど少ないですよね。
わたくしは、歴史的に見ても日本人の大半は農民だったはずで、彼等が何かに忠誠心なんか全くもってなかったのは、「七人の侍」の映画で見事に描かれてますよね。歴史的に見て日本人の大半は非常にしたたかだったはずで、骨相学的にも古典的平均的日本人の相はなかなかしっかりしたもんです。だから戦後60年も経って歴史的には正常化の兆しがでてきたのですね。
こんなこと長々と書いてきたのも、それじゃこれからの日本人は何を頼りに生きていくのでしょうか、ということですね。これから出てくるのを期待したい、したたかな平均的日本人の骨相を知ることがわたくしの余生の楽しみとなりそうです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-26 18:21
2005年 05月 25日

自動翻訳について      On computer translation of Japanese

今日は午前が研究室ゼミでした。プロテアソームの最近の新しい話しと、Scienceのジャーナルクラブ。午後は疲れるまで、MS君の論文をまとめました。データは殆どまとまっているが、でもやはり書いてるうちに、すこしずつ、あちこちに穴があるのに気がつき、そのたびにメールを書きました。結局6回彼に書いてしまった。でも彼は直ちに返事をくれるので、進捗は大変よいです。
おりおりに実験室にでていき油を売ろうとするのだが、皆忙しそうな(ふり)なので、しかたなく論文のほうに戻るのでそれが仕事が進む最大の原因。

今日からブログすこし変わったところがあります。ブログとその日のタイトルに英語で副題を付けることにしました。googleのコンピュータ翻訳でアクセスするにはタイトルは英語があった方が良さそうだからです。まあJHさんは例外的な人なのでしょうが、それでも彼が日本語にコンピュータ翻訳でアクセスする我々の研究分野でのパイオニアかもしれません。これから彼みたいな人がどんどん増えるでしょう。
彼との昨夜の話しでは、彼は日本を旅行するときの宿とかをネットで調べて困ったことはほとんどないというのです。でも彼はえらい人だし、日本には知り合いも多いし、とことんは調べる必要はないでしょう。あしたH大に行くのにも、秘書のTMさんの作った懇切丁寧な時刻表と地図を持って行って、向こうの駅ではSAさんがちゃんと待ってるわけだし。我々はアメリカではそんな扱いを受けることは絶対ありませんから。
それはさておき、結局日本人は同時通訳を機械コンピュータがやるという方向で英語下手を解消するのが一番いいのではないかと思い出しました。後は機械の進歩と機械を使う側の日本語を機械に合わせるようにすれば誤訳も誤読も減るのではないでしょうか。やはり、日本語は主語がはっきりしないのが翻訳に難しいらしいです。わたくしは、あなたはと絶え間なく人称を入れないといけないのはうっとおしいですが、でもそれで正しい訳が出来るのならいいかもしれません。旅先での会話に困らないとか言う機械も販売されてるらしいので、そのあたりある時点ですごい技術革新が起きるかもしれません。
やはり果報は寝て待てですか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-25 18:12
2005年 05月 24日

日本人の英語 その3 Japanese English 3

きょうはJHさんの講演がありました。朝からラボに来て頂いて、ラボのメンバーで関係のありそうな人達と話して貰いました。彼はわたくしの数日前のブログも見ていて、自動翻訳がいかなるものか見せて貰いました。
その部分のわたくしの文章と翻訳を見て、思わず大笑いでした。完全に正しい翻訳と完全な誤訳がなんとも言えない感じで混在した文章なのです。でも彼は誤訳の部分も想像力を働かせて、ちゃんとわたくしが絶句した(speechless)とう所も分かってるのです。面白いですね。やはり外国語は、まず楽しまないといけないのと、なにか役に立つ情報をえるために使うのですよね。
わたくしも、フランス語まだ忘れてないので、コルシカ島とか英語がまったく通じないところでの食事の注文とかでは威力を発揮して、結構みなさんが、妻も含めて尊敬のまなざしで見てくれます。それから、帰りのタクシーがぜんぜん来ないので困ったときなど危急のときにも役に立ちましたよ。
外国旅行しか役に立たないと思うかもしれませんが、逆に日本に沢山の外国人に来てもらうようになれば英語は居ながらにして役に立つわけです。
日本の田舎に外国人が沢山来るようになる、近未来的に一番あって欲しい状況です。
そのためには少なくともコルシカ島よりもわたくしの好きなフランスのロスコフよりもちょっとだけ英語が通じればいいのだと思います。と言うことは、殆どぜんぜん通じないと言うことですから楽なはずなのですが。
あとは空港からくるまで1時間半以内くらいなら、外国人は状況がよくなれば日本の田舎に沢山来ると思うのです。白川郷などというとても奥深いところでも記憶では空港(小松)から2時間以内だったと思うのです。白川郷に米国からの友人を連れて行ったときなど、高山から行ったのでとても遠く感じたことは事実でした。11月にしては早い深雪でしたが、どぶろく神社の前にいたら、中から人が出てきて、どぶろくらしいものを飲ませてくれました。そのようなことと、白川郷の自然と村の様子は彼にとってもわたくしも、忘れられない体験でしたが。
イギリス人と話すと、彼等の多くはイギリスの一番いいところは田舎なのですよ、と言います。フランス人はそうは言いませんが、フランスの田舎はイギリスの田舎よりももっと農村的で、そのうえ食べ物のおいしいレストランはあるし、ワインも安いし。ですから、イギリスの田舎を自慢する当のイギリス人が心を癒せるのはフランスの田舎とかになるわけです。結局、ヨーロッパはどこでもやはり田舎がいいですね。旅行者もシーズンともなると、田舎に外国人や本国人がごっそり集まるのですね。田舎が驚くほど国際的な場所にもなりうるのですね。
日本ではどうでしょう。わたくしも、外国人に自慢したくなるのはやはり田舎の風物と人情です。日本中素晴らしい、田舎だらけです。こんな素晴らしいものを日本人だけが独占してはいけません。
でも、どうやってその素晴らしい田舎までいくのかときかれれば自分で行きなさいと言っても、JRに乗ってどこかの駅まで行けても、そこから先はなかなか難しいですね。日本での滞在経験がある程度無いと。大都市のホテルから日帰りで行ってこられる田舎的な所もありますが、やはりある程度滞在しないと良さは分かりません。ですから、やはり質から量の転換では無いですが、とりあえず、かなりの数の外国人をどさっと引き受けられる田舎が欲しいですね。
田舎の宿屋や民宿は外国から予約もなかなか出来ないのがまず第一の困難。インターネットでも英語で探そうとすると、日本の田舎は秘境すぎます。この英語的秘境状態をなんとか変えられないのでしょうか。
これまで田舎に行きたいという知り合いなどには、結局こちらが予約などの世話をしなければならないことになります。コルシカ島などでも日本コルシカ協会とか言うのがあって、日本語だけでもかなり様子が分かります。しかし、googleで探してもなかなか日本の田舎については、例外的ないくつかの場所を除くと、英語とかで詳しい説明が出てくる特定の田舎がないのです。
田舎とは言えませんが、高野山にいきたがる米国人は増えてます。独特の口コミがあるようです。田舎であるからには、安い値段で気持ちよく泊まれて、よい自然に囲まれて、毎晩食べる場所の選択肢が多ければ人気は出るはずです。レストラン付きの民宿が4,5軒あればバラエティに富んだ食事が毎晩出来るのですが。日本は欧米から遠いのは欠点です。でもオーストラリアやニュージーランドには沢山人がいってます。やはり、英語での情報の欠落が大きいですね。日本の場合。
日本人の英語ですが、またまた何カ国かの比較でビリでしたね。新聞はコメント抜きで報じてました。確か、日本の語学力が最下位とかいう見出しでしたが、英語力なら仕方ないような気もしますが、語学力ならそんなことはないでしょう。イギリス人なんか外国語の知識は殆ど欠落してますよね。米国人でも生粋の米国人も外国語なんか殆どまったく出来ません。日本人のほうがはるかにましでしょう。語学力ならば。
とはいえ、彼等はいわゆる世界語的な言葉をしゃべるのだから、我々のほうが能力的にずっと上だと言っても仕方ないですね。
やはり英語を適当に遊び心で使って、ビジネスの機会を増やしたらいいんですよ。
まず日本語で広告文を書いて、それを自動翻訳で英語に翻訳して、田舎の風景とか宿の風景とかと一緒にそのままなんの修正もなしにインターネットで出せばあまりに面白いので爆笑して、そんな面白い場所に言ってみようという外国人旅行者がでるかもしれません。とまあれ、英語の単語が並んでればインターネットで読んでくれる人はいるはずです。後は、宿の予約がインターネットで出来る、これが一番大切です。でもこれは代理店に頼めば簡単に出来るはず。

これから、JHさんを晩飯に連れて行きます。このアイデアについて彼がなんといいますか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-05-24 18:21