生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 06月 30日

戦後60年 その2 Sixty years after the war 2

うるま市のセンターを出たのが午後3時20分で比叡山坂本の自宅に着いたのが午後8時50分、それから簡単に夕食をすませました。妻はまだ東京ですから、平素わたくしが座る椅子にふんぞり返っていた猫だけです。

昨晩は学長さんが(といっても本当に大学ができるのはまだまだ何年も先のはなしですが)、このIRPセンターの交流スペースで、若者たちに囲まれて時を過ごしているのを見て、やっと、この大学院も絵空事でなくなってきたのだな、と実感しました。

きょうは朝からユニットの研究のまとめを聞いて、いろいろ議論しました。萌芽的段階としてはいいのですが、まとめようとすると、まだまだアピールの程度は足りないかな、という気がします。でもまだ一年だから、いい線いってます。

きのう、戦後60年のことを書きましたが、それに付随してちょっとだけ続きを書きたいのです。わたくしも幼児の原体験が終戦で、それから60年いろいろ日本の変化、世界の激動をそれなりに経験してきました。結局、この60年間、折々にふれ日本の敗戦のことを考えてきたのですが、でもまだ答えが出ない、それが実感です。

Takahashiさんという方のコメント、わたくしにはお気持ちよくわかります。
「隣国との摩擦も、もっとも良質な政治指導者を含めて日本人がこの前の戦争についての総括ができていないことにより、うまく解決できないでいるのだと思います。これが戦争に負けることの辛さかと思いますが、隣国からの(私からみると)理不尽な要求を、逆に日本人が自分たちの思想を深めるよい機会にできれば、と希望しています。」

同感です。われわれの先を生きてきた人たちを攻める訳にはいきません。いわんやA級戦犯のせいにして、すべて忘れる去ることもできません。中国側は、「大多数の日本人は戦争犯罪人であるA級戦犯など軍国主義者の被害者であった」という理屈で、救いの手をさしのべてくれますが、その話にのって開戦の説明をして満足すれば。これからの日本の歴史は千年間誤ることになるでしょう。開戦時、世論代表していた新聞は当然のこととして、大半の日本人は開戦を支持していたはずです。A級戦犯に騙されたなどと言っては日本の歴史はおしまいです。彼らが戦争を強行したことは事実です、開戦に不利な事実を知ろうとせず、また知る能力もなかったことも事実だし、無能と言ってしまえばそれまででしょう。でもその人たちを指導者に持っていたのが当時の日本の実像であった以上、そのような指導者をモンスターとしてでなく、われわれの一部として認めることから、日本の歴史を書かねばなりません。

わたくしが、日本の歴史で一番うさん臭く思ってるのは、戦国時代と明治維新の美化です。どちらもドラマチックでたいへん興味深いですが、一方でたいへん権力的、政治的、血なまぐさい。ある意味で本当にぞっとするような時期です。この時期を愛好する司馬遼太郎氏を筆頭として、なぜ彼らは、第2次世界大戦の前では、足がすくんでしまうのでしょう。あれほどの残虐非道な織田信長などが平気で書ける作家が、満州事変や原爆を話題にして小説を書けないのか不思議です。だいぶ前のことですが、山口県、高知県、鹿児島県、佐賀県と明治の元勲を生み出した、地域をまわったことがありますが、地方としての魅力はもちろんありますが、産業、経済的にもっとも後進的になってしまったのはなぜでしょうか。わたくしは、そのときにかなりはっきりした回答を自分なりに持ち、それいらい明治維新には確信犯的にマイナス面を探し出すようになりました。いっぽうで、わたくしは多くの人がきらいな徳川家康を「平和江戸時代」を築いた偉人と思うようになってきました。

わたくしの仮説は、日本が米英を敵にして大戦をたたかうはめに陥ったのは、明治維新の大成功にあると言うものです。

あくまでも仮説ですが、日本が明治維新以降、「荒々しくなり」、「戦争好き」になり、米英と言う世界の覇者にまで立ち向かう「狂気」を実行しようとまで思うようになったのは、朝鮮を攻め、唐の国の首都にまでいこうとした豊臣秀吉の血を受け継いだのかもしれません。昭和の指導者が家康の十訓を本気に信じていたら、とおもいます。

国民作家であり、わたくし自身もかなり愛好してよんだ司馬遼太郎氏を批判するのは気が重いのですが、かれがなぜ第2次大戦を書けなかったのか、明治の元勲と言われる人々の愚かさと血なまぐささを書けなかったことと裏腹ではないでしょうか。軍国主義こそ明治維新のもっとも直接的なスローガンではなかったでしょうか。

わたくしは、明治から太平洋戦までの歴史を、たくさんの人たちが自分の信じる形で書き直す必要があると思います。戦争を体験しなかった世代が、最も優れた歴史家になってほしいという強い願いもあります。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-30 22:59
2005年 06月 29日

戦後60年 Sixty years after the War

きょうはうるま市のセンターの方で、会議や研究報告会などがあります。こちらは梅雨が激しくかつ長かったそうで、そのぶん本土のほうへの梅雨の移動がヘンなことになってるのかもしれません。こちらは雨が沢山降ったので渇水の心配はないと聞きました。夏の気温はそう高くないので、直射日光に当たりすぎなければ沖縄の夏はそれなりに過ごせるという印象です。ただ沖縄の夏を休暇で過ごす本土の世代はかなり若そうですね。きのうの夜、ホテルで見かけた人達はともあれ非常に若い。わたくしの平素の生活では会うこともなさそうな雰囲気の人達が多い。
今年はいろいろ60周年記念がありますね。外国では戦勝記念が多いようですが。日本はこの夏、沖縄戦、原爆、終戦(敗戦)と次々に60年の節目がやってきます。沖縄戦のことはわたくしもあまり知らなかったので、今回いろいろ知る機会があり、ひとつひとつの重い事実に、心がふさがれるような思いでした。しかし、自分の年齢の倍もあるような昔の話しでは、若い人達、なかなか興味が持てないかもしれません。興味を持ってもらうためには60年前でも、昨日に起こったかのように伝えねばならないのでしょう。ただ日本人の多くの人々にとって、戦争体験を語るスタンスが容易には作りにくいのです。戦争で負けて、勝者連合軍国家による裁判があり、侵略と断罪され、何年も戦勝国米国軍の占領下にあり、講和を経て正常化したとはいえ、その間を生きてきた人間は同じ人間ですし、国家としての正常化という変化とパラレルに変わるわけではありません。多くの場合、結果として単にというか見かけは時代に適応してきただけではないでしょうか。適応することがあまりに多くて、自分の信ずる戦争の語り口を持てない、これが多くの日本人の心にある問題点なのでしょう。

わたくしは64才ですから、生まれたのは日本海軍が真珠湾を攻撃した約8か月前ですから戦前にうまれたことになります。東京に居たせいか戦争体験も戦争の強い記憶もあります。父親がつくった柿の木の下の防空壕に入ったのを鮮明に覚えてます。たぶん4才近く、爆弾がすぐ隣におちて、幼児とはいえ、パニックになり、疎開先に連れられて行くのを必死に望んだのでしょう。終戦の頃は父親の実家で疎開してましたが、B29が天高く飛んでるのを見て真っ青になって防空壕に飛び込んで、周囲から臆病、臆病とはやし立てられたのもよく覚えてます。でも怖くてたまらないので、誰がなんといおうと一目散に逃げる感じでした。
敗戦の夏も、父親の実家に、父親や叔父達が復員してきて、戦争体験を大人達がみな熱心に話しするのを聞いて来ました。子供心になにか世の中が変わるというか、人が変わるという感じを持ちました。疎開先は農村なので、食べるものがあったことは確かです。幼児の頃というのは、幸せならほとんど何も憶えてないとか聞きますが、やはり恐怖体験は記憶に残るようです。でもわたくしのなどはまったく取るに足らないものでしょうが。
若い人にはその差が分からないと言うか、分かりにくいでしょうが、我々の世代は、いわゆる団塊の世代とは考えも行動も非常にことなります。年も6,7才違います。大学紛争時には27才くらいで、大半はもう社会人になっていたはずです。
それではどういう世代なのか、残念ながら、灰色の世代ですか。社会に比較的よく順応してきた世代なのだとおもいます。われわれの父親は兵隊であり、明治の終わりか、大正の始めの生まれなので、母と父から日本にある伝統的な古い考えは部分的にも継承されているのでしょう。一方で日本の戦争が侵略戦争であるとの教育を素直に受け入れ、戦後民主主義が国家の正しい礎と信じて、多くの人はやって来たのでしょう。ですから、新しい考えや国際協調にも順応したいと思う人が多いでしょう。若い人達から見れば、はっきりしない、世代としての主張がないように見られるでしょう。わたくしは、若い頃はそのようなことも自覚した上で、我々は貴重な世代なのだと、つまり日本の伝統的な良さと、戦後的な新しい価値の良さの両方を信じてやってきたのだと。折衷的といわれようと、日本という国自体が折衷的である以上、この国を今後もうごかしていくのに、片方に寄りすぎは危ないし、いけないと思うのですね。

ホントは言いたくないのですが、小泉首相は生まれ年は1942年ですが、早生まれなのでわたくしと同学年だとおもいます。彼のしぶとさはよく理解できます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-29 14:26
2005年 06月 28日

誤りの元   The basis of error

今日はこれから、沖縄です。いま空港の待合所にいます。那覇は31度霧となってました。どんな天気なのか。今月は2回目です。学長がおいでになられるので、研究の報告をする必要があります。
午前中は、K大のラボの方に旧知のPFさんが来訪。今回は、お子さん二人、奥さんとおいでになったとのことでした。1時間ほど面白い話をした。考えてみると、もう20年以上も知っているのですが、顔つきも体型もほとんど変わらないですね。しかしやってることはどんどんかわる。

今日の話題は、別にどうということを言おうとしてる訳ではないのですが、誤りはたいてい前提がおかしい、ということです。
男女関係などでわたくしに相談にくるような若者はもうラボにいませんが、昔はみんなよく来ました。わたくしも若かったので、相談しやすかったのでしょう。それでそういう話は割合パターンがあるので、回答もだいたいパターン化します。でももうそういうわたくしの知識と経験を利用するひとはほとんどいないでしょう。別に残念ではありませんが。
数年前に、その例外的な若者がラボにいまして、相談を受けました。努力するのだが女性にすぐ去られてしまうとのこと。それで、きみは生涯の伴侶は、きみが好きでたまらない人と結婚したいのですかと聞くと、まさにその通りだといいました。ところが、せっかく君がすばらしい女性と思って、アプローチしても相手はどうもそう思ってくれないのね、そうなんです、という返事。
その話を聞いていた、この若者をよく知る年配の女性が笑い出して、かれは女性の気持ちがぜんぜんわからないから、という。
そこで、かれにあなた、自分のこと好きなのかもしれないと感じた女性は今までいましたか?と聞くと、あまり興味なさそうに、いたみたいですという。
君ね、結婚はね、だいたい惚れて結婚するか、惚れられて結婚するか、だいたいその2種類しかないんですよ。きみは、どっちかというと、惚れられて結婚するタイプでしょう。というと、彼はエーット悲しそうな声を出して、それじゃ僕の好きな人とは結婚できないんですか、というわけです。そんなことより、君を好きになってくれた女性がいたらなんとうれしくありがたい、と思いなさい。結婚は相手があるのだから、今まで何十人にもふられてるというのは、君の好きなタイプは君とは合わないということじゃないの。
ちょっとショック療法でしたが、彼はこれで女性観が変わったと、後で言ってくれました。詳しく言うと誰かわかるので、これでやめときますが、いまの彼はほぼ相思相愛にちかいかたちで結婚にゴールインして幸せにやってるようです。

続けてことがうまくいかない時は、自分の考えの前提がおかしいと思うと、だいたい解決策が見つかるようです。

わたくしも馬齢を重ねてますが、あるとき突然何十年間も固定観念でおもいこんでいたことが誤りであることに気がついたりして、そのときに思わずにんまり笑ってしまうことがあります。人生における、発見ですね。そのような、固定観念というか、前提となる考えがいつ頃身に付いたのか考えてみると、やはり古いですね。若いというか幼いというか、そういう時代にまで戻ることもありますね。
そういう例を書こうかなと思ってここまで来たら、そろそろフライトに乗る時間が来てしまったようです。すみません。またいつか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-28 14:21
2005年 06月 27日

国家と個人 Nation and individual

このあいだ、佐藤優氏の「国家の罠」を読んだときに、自分の20代半ばの頃をなんどか思い出したものです。その理由がうまく自分で理解でき、整理出来たら、また書きますと述べました(6月12日)。この佐藤氏は外務省のラスプーチンとかマスコミで騒がれた人ですが、ムネオハウスの鈴木議員と絡んで逮捕され非常に長く拘置された方です。本自体は一級の面白さで、この方の思想と知識の深さに感心しました。また、現代希に見る硬骨漢と見受けました(本人は天狗と言ってますが)。わたくしとしては、まだうまく整理されていませんがちょっと書いてみたくなりました。

国家と個人の関係で、久しぶりに考えが触発されました。40年も前には、政治的な議論となると若者のあいだでは、必ずこういう対立的な議論が多かったものでした。一方で、わたくしは、30才の外国からの帰国時に、この問題にいちおうの個人的決着の答えを出して、その後は、その答えの路線に忠実に従って何十年もやって来たのだということを思い出しました。同時に、それによってこのような対峙的な考えを自ら封印したことも想い出しました。

わたくしは、25,6才の頃は大学院生で、海外留学前でしたが、政治思想的なものはノンポリラジカルと区別されるようなものでした。しかし、教条的ではなく、実存的な考えに強く共感したもので、一方でベトナム戦争の強い影響で反米左翼的な傾向があり、また60年安保からの後遺症もあり反代々木(共産党)的だったとおもいます。政治的な議論をするのは好きでしたが、だからといってこれという政治プランをもっていたわけではありません。当時の若者というか学生は、自分を国家と対峙する個人と捉える傾向が強く、一方で個人の主体性をいかに確立するかという議論が最も重要なものだったはずです。

「国家の罠」では、官僚であった佐藤氏が現代日本においてまさに、国家と対峙する個人になったわけで、逮捕前、逮捕後、拘置中、裁判にいたる彼の考えの変遷は、わたくしにとって最高にスリリングでした。自分も彼のような立場になったらどうするか、降参して罪を認めるか、それとも彼のように、徹底的に「国家」と対峙するか、問題として随分リアルに感じたものです。現代の日本では、国家と個人の関係が先鋭に問われるのは、まさに国家の枠内に入っている人々なのかもしれません。
そういう意味で、日本はかつてのニクソン大統領時代のWatergate事件の時のディープスロートなる人物に見られるように、官僚トップとか中枢の人物のなかに、あらたな国家と対峙する個人が出現する時代が来てるのかもしれません。

我々が、20代半ばの頃には、国家と対峙する人物が官僚にいるとは到底思えず、学生という社会のなかでの先端部分にいると思い込んでいたものです。実際、わたくしはこの本を読んでいるあいだ、なんどかある人物のことを思い出しました。Y氏、Yさんというのはしっくり来ないのでY君とします。大学時代顔見知りで、ときおり山など一緒に行った仲間です。彼は物理専攻でしたから同期の理学部生とはいえ、そう交際があったわけではありません。しかし、わたくしにとってはとても気になる人物で、かれが社会参加、社会における闘争を語るときの断固たる口調には相当な迫力がありました。しかし、平素は、穏和で柔軟性が高く、ゆったりとした生活感をもっており、たいへん感じのよい人物でした。そういうわけで、わたくしは彼に敬意を抱いておりました。当時のわたくしは非常に生意気で人を認めようとしない頃でしたから、そういうことは滅多にないことでした。
その頃、権力の打倒とかいうスローガンも、当然対立概念から生まれてくる発想でした。国家がよくならなければ自分もよくなり得ない、という考えが多くの若者に支配的な考えでした。しかし、ノンセクト共闘系といわれる学生達は自分の頭だけで、善悪理非を考えようとしたわけで、いろいろな政治イデオロギーに影響されていたとはいえ、自立性自体はかなり高かったと思われます。
1967年10月にわたくしは大学院を休学して渡欧したのですが、出発の頃、すでに大学紛争の兆候は東京では歴然として出てきており、T大本郷構内も不穏な空気に包まれていました。留学後、手紙などで日本中の大学での大規模かつ長期の紛争を聞いてはいました。しかし、当時情報からは隔絶していたので(わたくしは18ヶ月間一度も日本語をしゃべりませんでした)、実感はまったくありませんでした。
ある日いつものカフェでの朝食時に読む町の新聞、スポーツ新聞的なものの一面トップ記事に安田講堂が煙に包まれた写真と一緒にY君のヘルメット、マスク姿の写真がでていました。見た瞬間、彼だと分かりました。新聞にもフルネームでこの若者が怒れる学生のリーダーだと記してありました。その後の潜伏、逮捕、長期の獄中生活によって彼が人前に姿を現さなくなる前の最後の写真だったのでしょうか。
当時、国家に対峙する個人として、多くの若者が自分の信条に忠実に突き進んで行った、つまりそのような生き方を貫徹(当時の言葉ですが)したのでした。Y君以外にもたくさんそのような人たちがおりました。その中で、Y君が最も有名であり、その生き様に多くの人々が関心を持つもの当然でしょう。彼らの多くはぎりぎりのところで、決断せざるを得ない状況があったであろうことは想像できます。それが厳しいまでの二者択一的であったことも確かだったと思います。国家の持つ論理がこれら若者を長期にわたり捕らえたのでした。
わたくしは、30才の帰国した頃は、元気いっぱいで、後ろめたい気持ちはありませんでしたが、一方で自分を幸運と思うだけでよいはずがないことも感じてました。4年間の国外生活で、政治的ものを自分の人生の選択肢には決して入れないことを自ら誓ったものでした。一方で秘かに自らをpatriotと規定したものでした。

Y君は予備校で物理の講師をしていたこと、最近集大成的な物理学の作品によって、大佛次郎賞など受賞されており、注目されていることも知りました。もう35年以上も会っていないので、懐かしい感じだけが強く残ります。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-27 18:33
2005年 06月 26日

総合科学技術会議 Council for Science and Technology Policy

暑いですね。
それでも、今日はだいぶましです。
論文書きは一服状態で、きょうはのんびりしようと決めました。ブログ日記も休もうと思いましたが、ひと言だけ書いておきます。
総合科学技術会議http://www8.cao.go.jp/cstp/って知ってますか。知らなければ、ぜひ知っておいた方がいいとおもいます。
今月16日づけで「科学技術基本政策策定の基本方針」が公表されています。
インターネットから、siryoとして簡単にPDF fileがダウンロードできます。基本政策調査会という専門部会のつくったもののようです。これからの政府の方針の総論的なものが記されているものとして、非常に重要なものだと思われます。
政府の施策はおおむね総論は良さそうで、各論になるとおもわず「えっ」と思うものが多いのです。知る人ぞ知るような方からうかがうと、総論から各論の作成過程で、ロビー活動の強いものがどうしても採用される傾向が高いということです。つまり問題ありのロビー活動がある、しかし、対案が無ければ声の大きくて強いものの意見が通るのはどこの国でも社会でも同じでしょう。本当かどうかわかりませんが、もっともらしい意見です。
やはり、個人が一人ずつ、ロビー活動をすればいいのです。その総和が、国民的な意見として認識されざるをえない社会に我々は住んでます。

この会議は、国民に広く開かれているという方針をとっているようです。ホームページ中に以下のような記述があります。

ご意見を募集します。
 内閣府科学技術政策担当では、国民の皆様のご意見を募集しています。
 下記に記載の上、[送信]ボタンをクリックしてください。
 
とありますので、個人が意見を表出することは大いに意義があると思われます。
わたくし自身の体験では、真剣に書かれた意見は驚くほどの効果があるものです。現場の担当者の熱意も相当なものであり、また閣僚レベルでも個々の意見を注意深く読み、対応に心をめぐらしてくれるものです。
ポスドク問題などぜひ個人、個人の意見を表出することを勧めます。
特に今回は「箱ものから、人材育成へ」とありますから、格別に大切な時期に来てると思われます。ただ、匿名の意見表出は望ましくありません。意見への対応を得るためにも、ぜひ実名での意見をどんどん述べたらいかがでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-26 11:51
2005年 06月 25日

鳩のトレーニング Training of pigeons

週末に過ごす家の傍には鳩の飼育小屋があって、毎日持ち主の方が来て、鳩を外に出します。そうするとかれらは一斉に空に飛び立ちます。
ざっと100羽空をぐるぐる回って飛びます。
半径100m位でしょうか、ともあれ団体行動でのこの飛翔を続けます。
10回から15回位経つと、飛翔をやめる鳩が出始めます。4,5羽がぱらぱらと舞い降りる感じで鳩小屋の屋根に留まります。そうなると毎回10羽くらいのテンポで舞い降りるのでそのうち数が半分くらいになります。
わたくしにはどの鳩がまだまだ飛び続け、どれがもうすぐ止めるのかまったく区別がつきません。どれがリーダーなのか分かりません。そもそもこのぐるぐると飛び続けるのにリーダーがいるのかも見てるだけでは分かりません。
飛んでる鳩の数はだんだん減ってくるのですが、20羽くらいになってもスピードは下がりません。これくらい少数になってからでもますます元気よく飛んでるのがいるので、ふーんこれはエリート鳩か、と思う一方で、止める鳩と続ける鳩の間には何のコミュニケーションも存在しないのかな、と見えます。伝書鳩とはこんなものなのかな、とも思えてきます。
そういえば昔、新聞で伝書鳩が記録を争うとかいう記事を見たのを思い出しました。最初は団体行動だから、みな一緒に心を合わせてやってるのかなと思っていたのに、実際にはマラソンみたいに競争行動だったのか、と思えてきて拍子抜けしました。こういう勘違いはよくあるものです。
見てると少数の早い奴らはまだまだぐんぐん旋回運動を続けてます。止めた鳩達は、最初の頃は鳩小屋の屋根に止まっていたのが、電線などにも止まり出しはじめ、みな結構ばらばらになって、本当は個性が色々あるのに気がつきます。見てると、またもう一度参加しようと旋回運動をするのも出てきます。何を感じてるのでしょうか。
結局、30分くらい経つと、全員の運動は終わりで、小屋の上はびっしりと鳩だらけです。
みな白色なので、飛翔中にあったあれだけ鮮やかな個々の鳩の違いはまったく分からなくなります。
これらの鳩達は関西のお葬式でよく見かける、葬儀の最後に一斉に飛び立つあの鳩達だと持ち主の方に聞いた記憶があります。飛び立つのは一緒でも、帰宅はかなりバラバラだろうと、予想したのですが、本当のところどうなのか、こんど持ち主のIさんに聞いてみます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-25 22:57
2005年 06月 24日

わたくしの労働時間 My work time

わたくし、働き過ぎだなと正直おもいます。
でももう40才になった頃にはかなりそう思ってまして、そのうち大病するのではないかという恐怖感もありました。実際、米国でいっぺん救急車で病院に行ったことがありました。猛烈な腹痛でした。40才になった頃です。尿管結石でした。尿に血液があることがわかったら、もうそれで病院でのあつかいはおしまいでした。次の朝には病院から出て行けと、いわれました。麻酔を何本も打たれた後でしたから、ひどい病院と思いましたが、結石がでると、後は腹痛の残存以外病状というものは存在しなくなったので仕方ないのかなと思いました。この時の、結石は間違いなく、働き過ぎが原因でした。毎日論文書きで座りっぱなしの不健康きわまりない生活でしたから。宇宙飛行士もなるそうですが、骨が溶けて結石が出来やすいという、医師の説明でした。しばらく、縄跳びしたり、スイカを食べるとか、2時間以上は続けて座らないとか、やりましたが5年再発しなかったので忘れてしまいました。ただ、もう若くないので健康に気をつけようとよく思ったものでした。腰痛もその頃がピークだったような気がします。それから、いつのまにか4分の1世紀経ちました。
ただ働く時間が減った感じはありません。やる仕事が無限にあるように感じるのです。まさに朝起きてから寝るまで。ひどいものです。でも、沢山仕事をぼろぼろ落としながら、生活してるような感じです。典型的な仕事中毒に見えるでしょうね。
ただ、わたくしはかなり生来楽天的なのと、3年ラテン系文化で生活したので、頭のどこかに「今日できることは、明日やれ」「まず楽しめ、苦しみは後へ」という考えがありますので、働く時間数は一見過激ですが、結構余裕はまだ残ってます。
それに何年も前から、土曜はラボにでないで家で仕事をするようになってから、生活が格段に楽になったような気がします。それに週末の勤労は基本的に楽しみのあるものに限るようにしてます。わたくしには論文書きの相当部分はまだまだ楽しい勤労です。
わたくしは、関西地区では職住近接とはまったく言えず、通勤に片道1時間はかかってます。でもこの1時間がいろいろ雑事も含めて考える時間となり、仕事と家の緩衝帯となっていて、わりあいクリエーティブな原因をつくってくれたような気がします。
年取ってくれば明らかに低下するものがありますが、知恵は増加してるようで、わたくしは、10年前より研究者としての能力は上がったし、労働時間もまあまあ同じくらいだし、定年になってからは雑用が極端に減りましたので、研究にかける時間は相対的に格段に増えてます。まだまだどんなポスドクに負けない研究意欲を持ってるつもりです。
ですから、これであと学生諸君の学位の目途さえ立ってくれば、義務的な勤労が相対的に最も低下した人生における最高のバラ色の時がやってくるのではないかなどと、感じてます。労働時間は、今より増やすことは無いでしょうが、出来たら今くらいの感じでやっていけたらと思ってます。家族は妻だけですし、最近は東京での孫二人というアミューズメントがあるので、文句も言いませんし。

なおたしかにわたくし15年前U2のかなりのファンでしたが、いまはさっぱり聞いてません。いまはわたくしとほぼ同年齢で頑張ってるBritsih rock singersに親近感を感じてそっちを聞いてます。でも、ながら的にはやはりclassicで、なおかつ論文のinitial draftを考えるときは音楽は聞きません。集中できないので。そういうときは、雨とか風とか鳥の鳴き声とかそういう音が聞こえるといいですね。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-24 19:31
2005年 06月 23日

サッカー、音楽、捏造問題 Soccer, my favorite music and the fraud problem

ブラジル戦、日本としては勝てなかったのですが、素晴らしい一戦でした。最初の10分起きられなくて見られなかったのですが、その間に加治のまぼろしのゴールがあったのですか。大黒、中村はもちろん、すべての日本選手が輝いてみえました。柳沢のひたむきさ。いいですね、彼こそ成功して欲しい。日本チーム、いつからこんなに強くなったのでしょう。大黒参入以来ですか。それと、中田の強い意志が試合全体を支配してましたね。世界一流の仲間入りはもうすぐというか、ギリシア戦とこの試合だけなら完全に一流です。やはり神様ジーコです。サッカーの世界が羨ましい。研究の世界にもこういう刺激がこころから欲しいです。口惜しいです。

koneckoさんから、音楽の趣味について聞かれました。
音楽のことは、文章に書かないのです。というか、書けないというのがより正確です。その理由は、他人が自分の音楽の趣味について書いたものを読んで感心したことがほとんどないからなのです。感心するのは吉田秀和氏だけです。ええと、植草甚一さんという人もいましたね。このひとのはいいですね。小林秀雄、大岡昇平、その他いろいろ、音楽本については読んでも途中で放り出します。自分の好みを押しつけられるように感じるのでしょう。このあたり、わたくしは異常体質かもしれません。だから、自分の音楽の趣味についても書きにくいのです。ただ、聞くのは好きですし、好みもはっきりあります。音楽の趣味を語ることのほうはもちろんありますが。でも聞き手が同好の士だとわかるときだけかな。音楽はどうも文章とはなじまない、つまり音楽をどう言葉で表現するのかよく分からないのです。それに他人がこれはいい、素晴らしいと書いてあってそれで聞いても、自分でいいと思わないことが非常に多いのですね。つまりあてにならないのですね。そのあたりがどうもやりにくい。それにわたくしは直接聞きに行くことがほとんどないリスナーなのです。ClassicとBritish Rockを愛好する、くらいにしておきます。

先週、雑誌編集の方がおいでになられたときに、阪大での捏造データによる論文の取り下げについても意見を聞かれました。その時、取り下げとはきわめて希な出来事ということはそれほど知られてないようだな、と感じました。この問題、うまく意見をいえたかどうか心許ない感じもありました。その後、考えることもあり、今の段階でのわたくしのこの問題についての意見は以下のようにまとめることが出来るかなと思えます。

1.今回の出来事は、なによりも真相を十分に明らかにすることに最大の意義がある。口頭発表や論文発表時に、学界的にも社会的にも反響が非常に大きかった。しかし、その成果発表が捏造データを元にしたものであり、著者全員により否定されたこと、また捏造データをつくった本人がそれを認めていること、などを考慮すると、生命科学の世界の歴史の中でも特筆されるべき出来事である。真相解明は社会的義務でありましょう。しかし、論文の取り下げ自体は、この全体の出来事の中の一幕でしかないとおもってます。
2.真相を徹底的に明らかにすること、がこのようなことを再発させない、ベストの方法と思われます。であるからして、どのようにして、真相を明らかにしうるかという方法論と、誰が真相究明の役割を担うのか、このあたりもはっきりする必要がある。
3.一罰百戒的な扱いはしてほしくない。処罰を目的にする真相究明はして欲しくない。それは、悪効果をもたらすだろう。今後、類似なことが起きても当事者が徹底的に否定したり、もしくは隠蔽をする可能性が高くなる。
4.捏造データをつくった、ご本人はまだ医学部の学部すら卒業していない未熟度を考慮すると、本人の処遇などを担当する当局は厳罰的態度で接してほしくない。ぜひとも更生を目指す処分をしてほしい。
5.論文の責任著者がなすべき義務は、何がどのように起きたのか、どうしてこのような捏造が起きたのか、外部に対して、詳しく真実を伝えることにある。いっぽうで、それが真実であることを判定する第三者(機関)もあって欲しい。また責任著者(corresponding author)の責任の範囲についても、きわめて正直に陳述してほしい。それが同様に再発防止にいちばん役立つであろう。責任著者の十分な説明が真に待たれます。撤回論文は2報あり、責任著者は複数になりますが。
6.この問題に対応している関係当局は、今回の出来事の詳細な真相解明は当事者もしくはその近傍のかたがたに任せるのでなく、学外者を主要メンバーとする委員会によって、十分な時間をかけて行ってほしい。これも、再発防止に役立つと信じます。一方で、最終決着がつくまでは何も報告しないというのではなく、途中経過については逐次明らかにした方がよいと思われます。そうでないと、不測の出来事が起きやすいと思われます。この問題についての社会の関心はきわめて高いがゆえに。
7.最後になりますが、学生が所属研究室に対して寄付金を提供していたという報道について、それが事実なら、このような学内慣行が全国的にどの程度あるのか文科省にでも調査して頂いたうえで、そのようなことは一般論として是か非か議論する必要があるでしょう。わたくしは、「非」の立場をとりたい。ただもっと大きい単位、大学、研究科レベルへの寄付なら理由次第で認めてよいと思う。ただ、所属研究室に対しては「非」の立場をとりたい。理由は指導者と学生との関係が寄付によって望ましくないものに変わりうるからです。またこのような寄付行為は全国的にも極めて珍しい出来事と思いたいのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-23 12:01
2005年 06月 22日

村上龍氏の言葉 A quote from Murakami Ryu

きのう東京からの帰り読売の夕刊を読んでましたら、村上龍氏のエッセーがあり、時代遅れのトップダウンという見出しで、その中に以下のような言葉がありました。

これからの組織は、トップダウンで指示が降りてくるピラミッド構造ではなく、決定権と責任を合わせ持った小集団が有機的につながって構成されるようになると言われる。それらの小集団は互いに情報を交換しながら独自の方法論と戦略と持つことが求められる。

村上氏はW杯最終予選での北朝鮮の姿を見ながらの感想というスタイルをとっているが、わが国の社会状況批判であることは明確で、前段ではトップが情報を独占する非対称的なコミュニケーションでは、現代では通用しない。変化のスピードが速く、しかも多様化・複雑化しているからだ、と理由づけしています。また中田英を例に、「言いたいことはほとんど伝わりません、非常に疲れます]、と言わせておいて、そのあとで、「伝わらなくても、コミュニケーションは続けなくてはならないだろう」、と村上氏は自らの言葉で言ってます。

わたくしの理由づけはすこし異なるものの、わが国のこれからの研究室運営について、まさに村上氏が言うとおりのイメージを描いていたので、興味深かったでした。
わたくしは村上龍氏の熱心な読者ではないのですが、常に日本の社会的状況に大きな疑問を投げかけるかたちでのかれの社会参加のやりかたに敬意を持っています。遠藤周作(だいぶ前に亡くなられましたが)、五木寛之氏らのように広汎なファンと社会的影響力を併せ持った作家として、なぜかわたくしの頭の中でこの三人がつながって存在してます。

MS君の論文はほぼ完成、まもなく投稿。渡英までにまさにとりあえずですが、間にあってよかったです。
最初は機嫌がわるくなったMT君の論文もかなりの完成度に到達。論文を書いてる過程で旧データの新価値発見などもありまして、いまは機嫌は悪くありません。
でも、かなり疲れました。ただ、油断はできません、まだDiscussionが途中までしか出来てないので。

きょうはというか、明日早朝ついにブラジル戦ですね。前回のギリシア戦、素晴らしかったですね。ですから、当然見たいのですが、しかし3時ですか、この時間に起きるのはかなり難しい。しかし、何とか起きる算段を考えてます。早めに寝る以外方法はありませんが。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-22 19:50
2005年 06月 21日

大学院生はいかにして生きぬくか How graduate students can survive

学生さんに、あなた経営者のマインド持ちなさいよ、というときょとんとした顔をします。アカデミズムの一番下っ端に向かって、何をいうのか、と感じるからでしょう。でも、これ真面目な助言です。あなたが、朝から晩までどのように過ごすか、誰が決めるのですか。大半はあなた自身でしょう。誰としゃべって、何をやって、何を見たり聞いたりするのを決めるのもあなたでしょう。将来の道を決めるのもあなたでしょう。大切な将来の道を自主的になおかつ場合によっては周囲の人の助言を入れて決めるのもあなた自身でしょう。あなた自身の人生の経営者はあなたですね。人のせいにするのはほどほどにしないと。あなたの研究指導者を決めたのはあなた自身ですよね。教授がいいと思ってそのラボにいったら、ひどい上級生につけられたとか(その逆もあるでしょうが)、しかし、それはあなたの調査が不十分かあなたがそのような状況に向いてると判断されただけですよ。ひどい大学院専攻に来たとか、ひどい研究室に来てしまったとか、嘆くのなら、別な大学院や研究室に変わればいいじゃないですか。それができっこないと思ったら、あなたはこの世界から足を洗いなさい。今からでも遅くないですよ。研究室主宰者が誇大宣伝をして被害者学生を勧誘するなどというのは、大学学部入学以来サークル勧誘などずっと知っていたことでしょう。自分の稼業ですよ、サークル選択などの甘っちょろい選択とはぜんぜん違うのです。被害の大きさは。この世界で始めに知るべきことだったのですから、それも知らないでは、自分の人生の運営は大変ですよ。でも、ご心配なく。20台は人生における失敗の宝庫なのです。失敗毎に人間は大きくなっていくのです。失敗を糧にするのも、あなた自身の人生の経営マインドにかかってるのです。わたくしなんかも、人には言えない若い頃の失敗沢山ありますよ。でも改めるのに何も憚らなかったですよ。
つぎに、あなたは自分の社会性の有無について、自ら多大な関心を持たねばなりません。自分は、周囲で人気が無いな、と思ったら、人気のない人間はいかにして人生を生きぬくか、真面目に考えなさい。ほどほどの人気が出るように、自分をぼちぼち変えなさい。でもあなたは孤高の人生を歩みなおかつ三度の食事も自分の甲斐性で購える自信が十分おありになるのなら、社会性などは忘れて我が道をいけばいいでしょう。自分は異性にもてたい、とおもう若い男女が、それじゃどうするか日夜考えるのは、「愛」を人生の最大の目標にする人達にはあたりまえのことですね。「研究を稼業にしたい」とついつい思ってしまった、あなたはやはり、研究稼業を続けるのなら、いかにして他人との関係をスムースにするか、コミュニケーションをちゃんとするか、そのうえで相手にどう好感を持ってもらうか、考えなさい。研究とは他人とのコミュニケーションですよ。おもしろいこと発見して、一人でずっとにたにた笑っていたいのですか?どこにも発表せずに。それとも、誰かがあなたの発見を「発掘する」のを待ってるのですか?

もしもあなたが、博士後期課程の2年くらいで隣の研究室や異なる大学の分野の似ている研究室で、年が5年以上(もちろん40才上でもいいのですよ)うえの先輩的な研究者と親しい関係がなかったら、あなたの将来はかなり厳しいでしょうね。先輩研究者と談笑する能力は研究稼業で最も大切なものの一つです。同輩としか話しが出来ない人達、自分のラボの人間としかつきあえない人達はこの世界ではほぼ落伍者です。そうなりたくなければ、イヤな奴らとおもっても、先輩連と話しをする訓練を自らに課しなさい。
先輩研究者がもしも、将来自分がラボを持ったら、一緒にやらないかといわれるようなことが大学院中に複数回あれば、あなたはたぶんこの世界でご飯を食べていけます。食いっぱぐれは無いはずです。ただ、自分を安く売ってはいけません。安く売ってしまって、どうにもならなくなる人は多いですね。研究稼業にはトップとボトムの両方がありますよ。トップを目指す人はボトム(失職など)に合う機会も高くなります。トップでもなくボトムでもない普通の生活を望む人が多いのは当たり前です。トップを目指す人はいろんな義務がついてきますよ。
何を目指すにせよ先輩的な研究者との交流がほとんどないとかなり厳しいです。まずそのあたりを自覚してください。それじゃどうするか、今日のブログの最初に戻って読み返してください。自分が自分の人生の経営者であることを再確認してください。
それじゃ、もう一つ、生きぬくためのアドバイスです。あなたが生みだす、データのことです。データを生むこと、当たり前ですが、これが院生稼業の一番大切なところです。アカデミズムの最底辺にいる以上、上の方にいる、口だけで頑張っている人達とは違うのです。大学院生は、自ら馬車馬(今じゃ流行らない例えですね、見たこともないでしょう。でもわたくしは見たことあるのですごくリアルな例えです。これ以上よい例えはおもいつきません)とおもってデータを出さねばなりません。文句を言われたら、その文句に理があると感じるのなら、文句を言われないようなデータを出すべきです。この点に徹底すべきです。論文を投稿しても、最後の一人の批判者までもが黙ってしまうようなデータを出すべきです。こういう気迫を持つべきです。その気迫は周囲の人間にも分かるようになります。気迫のある学生さんは、周囲がほっておきませんよ。理不尽なこともおきにくいものです。駄目とおもっても、なるべくならTKOを自分が自分に宣告しないように。できたら、周囲が出してくれるといいですね。でも周りにそんな人がいなければ、自分で自分のレフェリーになるのですね。完敗するのもいい経験ですよ。
優れた外部の訪問者が無いラボでは、ポスターを出して、学会で一流の先生に見てもらうべきです。来てくれなければ,会場で呼びに行くべきです。かくかくしかじか、説明してあなたの熱意を示せば来てくれるはずです。わずか5分でもいいから、展示中に来てもらってデータを見てもらいなさい。それらのデータをもとにどんなお話をあなたがつくったのか、聞いてもらいなさい。真に一流の先生なら、ひと言あなたがはっとするようなことを言うか、それとも肺腑を抉るようなことを言ってくれるはずです。そうでなければ、それはあなたの理解が鈍いのです。ごちゃごちゃ話し出して3分以内に自分の一番大切なデータのポイントを相手に伝えられないようなら、せっかくのデータも泣いてしまいます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-21 16:06