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2005年 07月 31日

才能ある大学院生 続き  Talented graduate students continued

けさ池のそばにいったら、ヤンマがいて、上がったり下がったりしていました。しげしげ見ようとしたらさっと飛んでいってしまいましたが、オニヤンマだろうとおもいます。眼鏡をかけていなかったので、色がハッキリしなかったのですが、もしかしたら、ギンヤンマだったかもしれません。それに、みたことのないトンボがいました。シオカラトンボより一回り小さくて透明感の高い感じ、しっぽはハッキリしない色でした。あとで図鑑でもみてみましょう。
どんよりした天気ですが、朝から虫の音が高く、7月の最後の日なのにもう秋の気配がどこかにあるのでしょうか。完熟したトマトを朝食に食べました。もぎたてですから、贅沢でした。
今日の写真はこぶしの実です。

きのう、「革新的な院生は科学の公道を歩もうとする普通の大学院生の5%もいれば十分です」、と書きました。わたくしは、自分が研究室を主宰できるようになったときに、自分の研究グループだけは例外にして、100%そういう若者だけからなるということを、夢にえがきました。もちろんK大理学部という特殊な環境だからこそ、考えられたのですが。結果、100%は無理だったかもしれませんが、ほとんどそういう若者達からなるスピリットの非常に高い研究室を維持できたとおもいます。あとから考えると、つぎつぎにそういう若者がK大のみならず国内のいろんなところから集まってきたものだと、自らの幸運に驚くばかりです。出身者は現在も革新的な研究を目指してるのが大半にみえますので、ああいう研究室運営をしてよかったのだと回顧します。

それから、「オリンピックというかフォーミュラーカーを目指す若者の気持ちはよくわかるのだけれども、気持ちだけの場合が多くて、」とも書きました。これは一般論として受け取って欲しいですが。構造研のかつての院生も、「きみ、研究者になろうと小さいときから思っていたのなら、いったい何をそのために準備してきたの?」というわたくしの質問(一種のいやがらせに聞こえたでしょうが)に絶え間なくさらされていました。これは今でも同じです。指導者としては、いかなる動機で研究者を志したのかそれを知りたいということです。動機は本当にやりたいと単に願っているのか、それとも公然かそれとも密かになにか特別な才能があると信じているのか、そのあたりです。後者なら、ぜひその信ずる才能を聞かせて欲しい、ということです。こういう質問をボスから聞かれて、ただちにうまい返事が出来るとも思えませんが、それでもなかなか納得した返事をもらえたケースは少ないです。でも時が経過してみると、かれらの「才能」は見えてきます。実地の研究の開始時は本人すらも、当然ながらわたくしも掴みかねていた、「才能」が10年くらいたつと結果論として見えてきます。その「才能」はわたくしの考えているものとはちょっと違うのですが、それでも彼等から見たら見事な「自己実現」なのかもしれません。わたくしも形而上的なものを捨ててしまえば結局彼等と似たような自己実現を目指していたのかもしれません。以下にいくつかの例を挙げてみましょうか。

トランプを一枚ずつ縦に立ててピラミッド状組み立てを作る。この極めて困難そうに見えるものを作る特異な能力は、まだ小さかったわたくしの息子の感嘆と尊敬のまなざしをうけました。彼の帰宅後には玄関にあったスリッパがいつのまにやら、ピラミッドに立てられているのに気がつきました。ユニークにして不思議な若者でした。今から考えると、彼は学問の世界でもおなじようなことをしたくて、たぶん子供の頃からその技を磨いていたのでしょう。そして、いまの彼はそのような能力をうまく学問能力に転化しているようにみえます。自前のラボを持ったら何をやるか、出身者のなかでは一番興味を持ってます。しかし、彼はそういう状況になることからうまく逃げてしまうかもしれません。逃げて欲しくないと、おもいますが。

勘、これで生きていた若者もいました。かれは高校時代伝説的に成績がよかったらしいが、大学にはいって、そのような学校能力がほとんど役に立たないことを「勘」ですぐ分かったのでしょう。それから、彷徨があったらしいが、ふらっとわたくしのラボにきたのでした。たぶん、誰かの助言と彼自身の何か「勘が」働いたのではないでしょうか。そこで頭脳的な抜群の優秀性が一挙に花が咲いたのですが、しかしあくまでも彼の真骨頂は「勘」にあるとおもいました。ラボ内で「読心術」なる人間関係ネットを創始した功績もありました。これも「勘」が必要な術でして、面白いですよ。でも気持ちがすさむというので、絶対やらないのもいました。どう実行するか、いつか書きましょうか。いまの彼の学問が彼の勘に基づくのか、そこのところはハッキリしませんが、たぶんそのうちなるほどと思わせられるでしょう。

勘ではなく、ギャンブル的なものに賭ける若者もいました。今でも、彼の研究がギャンブル的なことは間違いありません。でも、危ない橋を渡りながらも、思いのほかうまくいってるので驚きます。たぶん原点が数学を目指して、それが見事に失敗したので、ギャンブルの怖さが分かってるのでしょう。若いときに大きな賭けに負けるのはいいみたいですね。

笑う、これが人生の生きがいというか、モチーフの人(複数)がいましたね。これは、ある水準まで達すれば、間違いなく優れた才能でした。そのうちの一人は、笑うと、100メートル先でも分かるくらいです。大声でなく、通る声なのですね。ハイピッチの会話を聞いてると、どこで合いの手に笑い声が入るのか、その瞬間を待つのが楽しみになる点でも人物でした。研究の世界は笑うことが自由に出来ます。ですから、笑い(上戸)には住み心地がいいはずです。学問的に成功したらたぶんおもいきり大笑いするのでしょう。笑う研究者、笑い続けられれば間違いなく大器です。

きょうは長くなったのでこのケースで終わりにしますが、コンピュータが得意な、時代の子である、若者が何人かこれまでにおりました。得意というか職業としても十分やっていけるだけの能力を持っていました。彼等がラボに来たのは、ここなら彼等の能力を発揮させられると思ったのではないでしょうか。コンピュータと生命、この結びつきを狙っていたはずです。この若者達に対してその能力を十分に発揮できるテーマや環境があったかどうか、さらにわたくしが十分に応える能力がなかったことが一番問題でした。コンピュータと生命現象をいかにうまく結びつけるか、そのあたりわたくしのほうが準備不足でした。残念というか、申し訳ないという気持ちもあります。いまならもうすこし、彼等の能力を十分に発揮できるだけの環境とテーマを提供できると思われます。

付記、これを投稿してからミシガンの浅野さんのコメントを読みました。批判もっともです。わたくしが舌足らずでした。すれ違いが起こり、結果非常に挑発的になってましたか。おっしゃるように今の若者のほうが我々をはるかに超えるものがたくさんある、特にコンピュータの面ではまったくおっしゃるとおりでしょう。このうえにも書いてあるとおりです。ただし、わたくしが頭にえがいていたのは、学者が口舌の徒であるという、前提に立った時の「口舌の徒」ぶりのことを言ってるのです。激しい議論、厳しい議論、相手をとことん説得、時にはねじ伏せるような議論をやって生きぬいていくパワーのようなものをイメージしてます。しかし、またそのうち議論させてください。たぶん、きょうのブログが一部は返事になってるとおもいますが。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-31 13:09
2005年 07月 30日

才能ある大学院生  Talented graduate students

この一週間は水やりなしでは作物はほんとに厳しかったでしょう。すみませんでした。でもけなげにも葉を枯らせながらもナスもキュウリも精一杯収穫を生みだしていました。こう言うときにはどういう言葉を植物にかけてやればいいのでしょう。
収穫10kg。スイカも順調でした。桃の一つを食べました。おいしい。まだ堅いけれども。ただ無農薬の欠点で芯に虫が入っているし黒くなってる部分が多い。
久しぶりに一人で比良山麓でのセカンドハウスでの生活をすると、とても楽しいので驚きました。今日の晩ご飯に使う野菜をどれにするかなど平素は妻の独壇場の部分が自分の領域になって。妻に頼み放しのところが自分の仕事になって、新鮮な感じです。
午後3時頃にIさんが現れて屋根裏部屋のテーブルの具合を聞きに来ました。迷うけれども仕事の便利にあわせての手直しをお願いしました。コーヒーを飲みながら雑談。
この暑さの中でいろいろ畑の仕事がありました。それにT君の論文を進行させました。
暗くなってから、晩飯の準備。料理は見栄えは悪いながら、我ながらうまいのに感心。料理こそ男の仕事とおもった魯山人の気持ちにわずか一時間程度ながら同化。しかし、男の料理は酒をいかにうまく飲むかそればかりかんがえているのではないかと深く反省。酒のない場合の料理のこともかんがえないといけない。しかし、この冷蔵庫の中に入ってる食い物の量はちょっと多すぎる。わたくし一人では、1か月くらいは食べるにかかりそうでした。

ところで学位のことについてのブログ、コメント多いですね。でもちょっと筋が違います。かなりずれてる感じです。
博士の学位は科学の公道を歩むのに必須の資格。つまり運転免許証です。それ以上でもそれ以下でもありません。はっきりいって、この博士の学位がなければどんな会合にいっても相手にされません。でもあればそれでいいのです。そのうえでのすべての話しが始まるのです。科学の世界では博士の学位は成人であることの資格です。わたくしが、「10か条」の本で書いたのはあくまでもこの科学の公道で歩くための資格を得るための一般的なお話しです。自分のラボで実行してる過激な研究などするはずがありません。
わたくしの研究室に来る学生は科学の公道を歩むための資格を得るためにきたのではありません。そういう平均的な発想は、K大理学部というけったいなところでは、最もさげすまされてるのでした。フォーミュラーカーを運転してレースナンバーワンのポジションを得ようというアンビションを持った若者達がごろごろいるのです。その資格があるかどうかなどは問題ではありません、その気になってる若者であることが本質的に大切なのです。
わたくしももちろんその若者のスピリットを利用して、だれかがコメントで書いてるように、野心的な成果を得ようとしているのでした。ですから、常識が通用する世界ではありません。
しばらくやればフォーミュラーカーを運転できるかどうかはわかってきます。冷厳な結果がつきつけられます。つまり天才と思っていたのが単なる凡人だと分かるのですね。教師も学生もそういうときはつらいものです。でもそれでもわたくしは公道で普通にやっていける連中を育てることもうまいのですよ。
もうわたくしも、大学院生を育てる仕事はやってるものの形式的には終わってるので、言わせてもらえれば我ながら類まれな才能をもっていた、と思いたいくらいです。どうしてそんな才能があったのか、これは誰かに分析して貰いたいですね。ひそかに自分では天才的だとおもってるのですが、でもこれはわたくしのところで既に学位を取った50人以上の連中の賛成がなければホントとは言えませんが。
オリンピックというかフォーミュラーカーを目指す若者の気持ちはよくわかるのだけれども、気持ちだけの場合が多くて、長年のつきあい、ほんとに疲れました。彼等にいいたいのは、気持ち以外の何かリアルなモノをもってわたくしの前に現れて欲しかったですね。ホントに。これが正直な気持ちです。
わたくしの側から言わせてもらえれば、いまの日本の社会は本当におかしいとおもいます。若者がなんの実力もなしで大人の前に平気であらわれるシステムになってるのですね。わたくしは自分の胸に手を当てて、自信を持って言えることは、わたくしが大人の前に現れたときには、彼等が恐惶をきたすというか、慌てるだけの実力をもっていたといえます。22才か23才のわたくしが彼等に肉迫する実力は、今かんがえてもたいしたものだったとおもいます。これ、誇大妄想ではありません。ホントの話しです。今日はホントが多い。
いったい日本はいつの頃からこんなに薄弱な文化になったのでしょうか。
ともあれ、大学院生は本当の使命は新しい実験をして新しいデータを生みだすことです。革新的な概念をもって、あたらしい実験をして、あたらしい概念を生みだすことです。これが革新的な大学院生の使命です。でも革新的な院生は科学の公道を歩もうとする普通の大学院生の5%もいれば十分です。革新的な院生を目指して、あっさり挫折してもそれでも学位をえられるのがわたくしの研究室だったのですから、ほんとにいたれりつくせりでした。
きょうはわたくしの自慢話のブログでしたね。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-30 22:18
2005年 07月 29日

ギネスに連想 In association with Guinness

金曜日なのとたぶん愛知万博の影響で、新幹線は混んでいて東京駅で一時間ほど出発待ちとなりました。ちょっと早いけれども晩飯代わりに何かを食べながら時間をつぶすことを考えて、地下に降りたらADと言う名前のギネスを飲ませるところがあり、ここの椅子に座って、このブログを書き出しました。
今日はちょっと笑える話しを聞きました。どこの官庁だか、ともあれblogという4文字を含むサイトにはインターネットでまったくアクセス出来ないようにしてあるそうです。つまり勤務中にブログをみて遊んではいけないということですか。勤務時間にたばこを吸いに行くのは許せても、ブログはまかりならぬ、事前拒絶ということでしょう。でも情報収集にブログは役立つし、時代に逆行してるんじゃやないのだろうか。官僚だった友人は、毎朝役所で主要新聞を読むひとときが大事な仕事とか言ってましたが。

ギネスは最近よくZで夜にラボメンバーと軽くお喋りするときに飲むので、ひとりでもアットホームな感じで飲めます。スタウトの品格というか、何かがあるのでしょうね。これを飲むと話題も高尚になりがちです。Eという、ちょっと値段のはる国産ビールがありますが、どう飲んでもすこし苦みが弱い以外に格別な感じはありません。やはりこのギネスとは、歴史の格が違うのかな。今日のギネスはドラフト(生)ビールで瓶ビールでない。泡の立ち方がなかなかよろしい。

ギネスというとおもいだすのが、戦友、同志とでも表現できるPNさんで、かれは若いときにギネスの工場で培地作りの技師としてしばらく働いたとのことでした。大学受験がうまくいかないので、しかたなく就職したので、失意の底にいた時代なのでしょう。しかし、企業で彼が働いた経験は明らかに後に彼の長所になっています。バーミンガム大学の入試に落ちた受験生のなかに、タレントを発掘するのが仕事の人の目にとまらなければ彼はギネスの会社でもしかしたら一生を終えたかのかもしれません。あれほどの才能があるので、ギネスにいても、ビールかそれともギネス記録かなにかであっと驚くようななにかをしたでしょうが。

わたくしも恥ずかしながら、企業で働いたことがあります。大学を卒業した年の3月に短期間数週間ですが、製薬会社の研究所で大量培養をさせてもらい、そのあと酵素の純化のために働きました。これはその時の指導をして頂いたEF教授の示唆によるものでいまでも感謝してます。大崎のそばにあり、その時も今も一流の製薬会社です。その間なにも不快な経験をしたわけではありませんが、じぶんは企業では働きたくないと強くおもってですね、甘い考えはなくなりましたし、その後の経歴の選択が背水の陣になりました。そののち、立川のそばにある、測定機器制作会社で短期間実験をさせて貰ったことがあります。これもなかなかユニークな経験でした。あの時の親切に教えてくれたおじさん今どうしてるのかな。職人魂のひとでした。データはちゃんと出たのに論文にしなかったのは残念でした。やはり学生だったので公表するという責任感が弱かったです。でも、あの時に勉強した放射線物理学や放射線生物学に関する知識は今でも役に立ってます。製薬会社へいったときの大量培養のあとの生化学も役にたったし、やはり企業現場での体験は価値あるものですね。

ギネスといえば、ギネスの記録ですが、日本人はギネス記録に挑戦するのがホントに好きですね。バラエティの広さに、おどろきあきれる記録がありますね。こちらのほうが、ビールよりも世の中に貢献してるのではないでしょうか。そういう点でもギネスという会社は面白いですね。日本で似たような会社ありますか。伊藤園のお茶ボトルの俳句いいですね。でもまだ国内ですらそれほど有名ではないですね。

さいきん特に感心したのは円周率を8万桁以上も暗記してる方のテレビでのドキュメントでした。このひとは数字を言葉によみかえてなにかストリー性のある文章を延々お経みたいにして、それをどうもうまいこと憶えるのですね。たしか60才近いので、その点もたいしたものでした。円周率の暗記は熾烈な記録争いがありそうなのがグーグルで円周率、暗記、ギネスでみると分かります。
ギネスの記録、面白い文化ですね。わたくしも一冊持ってます。10年くらい前の版ですが。ギネスを目指す人達を見ると、日本にとって、すごく意味のある文化だと思ってます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-29 22:44
2005年 07月 28日

学位論文と原著論文の公表 doctoral thesis and publishing

やれやれ今日は非常にあわただしい一日でした。疲れました。

ラボジャルゴンというのでしょうか、ラボ内でしか通じない言葉がありますが、それを気がつかずに書いてると、いろいろ誤解されますね。なまじ同じ言葉をつかってもやってることが違いますからね。

わたくしの研究室はヘンな変わったところのある研究室です。ですから、このブログを読む人も常識とはかけ離れたところのあるへんてこりんなところがある研究室の慣習を読んでることがあるのだと理解してくださいね。違和感を感じるのことがあって当然です。もともとヘンなのですから。普通やらないことを色々やってますし。この研究室にくる若者でわたくしのかなりの悪評を何も知らずに来た人は一人もいないはずです。ですから、彼等もちょっと変わってるのでしょうね。だからわたくしは、彼等が好きなのです。変わったボスに変わった若者達のお話しというのが、このブログのトーンというか、前提なので、おかしなラボジャルゴンが横行してることも寛容であってください。また、あまり見習ったり、参考にしないでくださいね。

だから、外での常識で周りからいわれても、無駄とおもってください。

それで本題です。学位請求論文ですが、これはご本人にに書いて貰ってます。わたくしは提出前に見ない、文章書きの指導もしません。落語家の世界みたいなものです。
わたくしが口を差し挟むのはタイトルだけです。かつて、提出寸前にタイトルを見たら「細胞の研究」というのがあり、君、博士の学位論文にそれはなんぼなんでも広すぎるタイトルでないのと、替えて貰って記憶があります。あと、学位論文の審査の要旨とかの書類を本人に代筆して書いて貰ったら、たまたまその文章を提出前にみたら「20世紀最高最大の発見」というフレーズがあり、これはちょっと大げさなので、トーンを下げた記憶もあります。

原著論文、これはわたくしが書きます。それがわたくしの任務です。そのために何年もあれやれこれやれと指示してきたのですから。それをやってくれた人達(多くの原著論文は3人以上の著者です)の助けはできるだけ必要としますが、書くのはわたくしです。なかにはわたくしのもくろみがはずれ、また指導もうまくいかなくて成功してない時や、本人の努力不足などもあり、書きにくいと言うか書くのがつらい論文もありますが、これもわたくしが書きます。それも一つの責任でしょう。
それはこの研究室に来た人達は誰もが知ってることですから、その点だけは問題ありません。わたくしも、自分で書きたいと言ってくる院生がいれば歓迎ですが、今のところ希です。でもこの数年間で2,3回かなりの完成度の原稿を持ってきたケースがありました。

ただわたくしが、誰それの論文という、ラボジャルゴンを使ったので誤解されたのですね。5人ほどの人間の名前を言えばより正確な論文もあるし、一人だけの場合もあります。色々です。わたくしの頭では、ラベル代わりに呼んでるのですが、それが誤解されるのですね。だから誰かの論文でなく、あるプロジェクトが進捗して、論文公表の段階になったと言うことです。客観的には。
世間では、みなYanagida lab's paperと言ってますよ。もちろんそれを前提にして、筆頭著者や他の著者の重要な役割があるのですが。
わたくしの研究室の院生もKN, MK, AMの論文とボスの名前を言って、それらの論文の筆頭著者である現場の院生の名前など憶えようともしないし、一顧だにしませんね。面白いでしょう。そのあたりはどこの院生もおなじですね。
ですから、院生諸君は学位を取るときの原著論文がホップステップ、ジャンプの最初のホップとおもわざるをえないのです。

追記:学位請求論文は僅か数部ですが、なんどもなんどもコピーされて、20年経っても読まれてるのが沢山あります。ラボの若者にとって先輩の作品であり手本であるだけでなく、原著論文にでていない貴重な情報が入ってますので、目を皿のようにして読むことが多いのです。それにプラスミドや抗体など作ったものの大切な情報もありますから。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-28 22:00
2005年 07月 27日

大学院生の学位論文への道 Road to Doctoral Thesis for Grad Students

今日しめした可憐な花はカハラナデシコという名前のもので、細い茎で今にも折れそうですが、地を這うような感じで案外つよそうです。

素朴な疑問さんの質問がありました。あっ、そうかなるほど、博士の学位のとりかたというのはそれほど公知ではないので説明しないといけないですね。ただ大学や同じ大学でも研究科により随分博士の取り方は違います。それらのちがいを説明していたら大変ですから、わたくしが過去30年以上いたK大の理学研究科の生物物理専攻と生命科学研究科でのやり方を説明しましょう。どちらもよく似ていました。

学生の側に立つとどうなるかという感じで説明しましょうか。
学位を取るためには大学院にいて研究をせねばなりませんが、そのためには学位請求論文を書くための基礎となる論文を一報まず公表せねばなりません。審査員(レフェリーとかレビューアーとかよびます)のついた国際誌(英文で発表したもの)に公表することが必要です。しかもその時に筆頭著者(論文の著者達の最初にくる)でなければいけませんし、共著者がその論文を博士論文の基礎とすることを承諾した証明書を貰わないといけません。もちろん単著(一人で論文を書く)であればそれでいいのですがまずそういうことは滅多にありません。ただ、指導者と二人で公表することはよくあります。条件としては、一報ですからわりあい簡単だと思われるでしょうが、なかなかそうでもないのです。やはり条件を満たすのに五年くらいかかる人が多いですね。

わたくしが書いてる論文はおもにこの基礎となる論文です。その間、学生さんは「のほほん」としてるどころか、非常に忙しくなります。わたくしのラボでは、英文の論文の下書きを頼む場合もありますが、大抵はデータ整理、図表の作成、それからわたくしと連日公表データの最終判断でギリギリの議論が始まります。どうしても公表したいが、しかしこのデータではレフェリーは納得しないだろうという判断になれば、また実験をやり直して貰います。さらに、データの細部の検討、複数回実験はしてますので、どのデータを公表するのが、もっともフェアーかのこれもギリギリの議論と判断が始まります。
なぜここでギリギリとかいう表現をするのかというと、院生側から見ればもうやっとこれで実験段階は終わり公表になったはずなのに、議論する過程でまたまた実験をやりなおしたり、新規にやらなければならないという判断がおりたらやはり相当なショックでしょう。
さらに最終段階でいろいろ細かい指示が「あめあられ」のように頭に降りかかってきます。
論文書き始まってからも、過酷と思えるような指導者の要求を何ヶ月も経てやっとこ最終的な投稿材料が揃うわけです。今の若者は基礎体力がおちてきていると思います。ですから、わたくしも本人の顔色を見ながら、倒れたり病気にならないようにやってるつもりです。
投稿論文を書くのはベテランのわたくしのようなものにとってもいまでも身を削るような作業であり膨大な時間をかけ、苦労するものです。ある程度の水準のジャーナルを自力で論文を書いて通す院生というのは日本では難しいでしょうね。言葉の壁もありますし、原著論文を書くのには沢山の約束事があり、それを院生に要求するのは過酷です。このあたりが、経験年数がまだまだものをいう、生物色のつよい生命科学系の大学院での現状です。
投稿したからといってすぐ論文が通るわけではありませんが、ここのところは詳しく説明している時間が無いので、ともあれ投稿、レフェリーのコメントもしくは編集者というかエディターの判断があり、めでたく通ったということとします。
そうしますと、正式な手紙が投稿誌から来るので、これで学位を請求するための基礎論文が出来たことになります。
そこで今度は自分一人で学位請求論文を書き出します。わたくしのラボでは日本語でよいといってます。思いのたけを好きなだけの長さで書きなさいといってます。
この論文中には公表できなかったデータや考えやモデルなど好きなだけ書いてくださいといってます。この学位論文は大学の図書館とたしか国会図書館にあるくらいで数部しか作りません。わたくしは通常この学位請求論文にはいっさい関わりません。本人が書いたものがそのまま提出されることになってます。書くのにはたいてい2,3か月の期間がかかります。
この学位論文の準備ができたら必要書類と共に研究科の教務担当に提出します。
研究科の教授会ではそれを受理するかどうか、審議し、OKなら審査員を数人(4人とか5人とか)決めます。主査、副査などと審査員を呼んだりします。審査員は提出された学位論文とその基礎になる公表論文(英文、審査されたもの)の両方を読んで本人の寄与を推し量り学位論文の質を評価します。最後のハイライトは学位の公聴会でして、院生が審査員、研究室や周辺の同僚、友人、仲間などの居るところで口頭で発表します。
そのあと、審査員が合議して合格させるかどうかを決めるわけです。合格したのなら、数か月後には晴れて学位記なるものが頂けるはずです。

そういうわけで、わたくしが書くのはゴーストライターではまったくなく、研究室の能力を最大限に発揮したた原著論文を一つ一つ研究室の主宰者として公表して研究分野に対して評価を求めていくわけです。その過程で、それぞれの原著論文がひとりの院生の学位論文の基礎となる構図なのです。
この方式は、国際的にも広く行われているのですが、多様なバリエーションがあり、それぞれには短所と長所があります。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-27 12:04
2005年 07月 26日

夏休み Summer holidays

今朝は台風の影響で湖西線は強風で電車が比良ー近江舞子間で運行中止、そのためにラボにくるのにいつもより時間がかかりました。でも現在はまったく風がありません。部屋の窓から見える木々の枝はまったく動いてません。天気図では台風の目は紀伊半島の南にあるので、夕刻に向けてまた強風があるのかもしれません。

MT君の論文はとうとう書き終わりました。あとは本人が図や投稿時のフォーマットを正しいものにすれば、投稿できる状態になったはずです。ところで、MS君の論文もどうもレビューアーに廻ったらしい。

それでこれからはポスドクのTY君の論文にかかります。大作なのでいかにコンパクト化して読みやすい作品にするかが努力のしどころか。内容的には書いてるうちに問題に気がつくかもしれないが、わたくしとしては大変やる気の湧いてくるデータが沢山あります。しかし、そういうときはかならず批判もきつく出ることが多いので、いかにしてなるほどと思わせうるのかストリーを細部にわたって考えなければならないのです。夏休みというか、時期的にはいいタイミングにデータが揃ってきました。

ところで、われわれのようなものには夏休みという休みは基本的にはまったくないのですが、このあたりなかなか世間には分かってもらえないようです。
大学ですか、夏休みたっぷりとれていいですね、といわれても今は否定しません、否定しても信じてくれないようですから。たしかに8月の大学構内は非常にがらんとしてます。K大では最近7月の末まで試験をやってるので学生はまだ構内で見かけますが、でも周辺の食べ物屋などはすいてきてます。

子供が家にまだ居る頃は夏休みを実感しましたし、数日はかならず家族旅行もしてましたが、いまはバスや地下鉄の時刻表が間引きされた夏休みタイプになって、ああ夏休みかと思う次第です。毎日あくせくラボに出てくるのもどうかな、とはおもいますが、仕事が次々にどこかから湧いてくるので、しかたありません。実際にはしかたありませんどころか、こうやって仕事があるのに、心からなにかに向かって感謝する次第です。

40代から50代にかけてはわれわれが夏休みもとらずに頑張っているおかげで、海外の連中とも互角にやれるのだなどと、思ってました。しかし、労働時間が多ければそれだけ優れた仕事が出るのですか、と正面切って若い人達に聞かれたら、そんなことはないと、当時でも答えたでしょう。でも、心の奥底では、向こうの連中は暇そうに見えても、実は年柄年中仕事のことを考えてるのだから、休暇にいってるからといって、安心したら大間違い、などと思ってしまったものです。

あそんでいても考えることはできますからね。
山登りに一週間行っていても、その間次ぎにやるべきき実験をずーっと考えていて、山登りのおわりに素晴らしいアイデアの実験を思いつければ、そのかんラボでしこしこと同じような実験を繰り返してる連中に、十分競合できますね。

しかしほんとうは、よく遊びよく学べタイプの人たちが、研究の世界では成功することは間違いありません。ポイントは遊んでいても学問を続けることは出来るからです。わたくしも係累がいない時代は、本当に、よく遊びよく学べタイプ型でした。

しかしわたくしのように院生主体でラボの規模をいっぺん大きくしてしまった研究者は、ある意味、研究の奴隷のようになってしまいます。自業自得ですが。
学位論文を出すためにはどんな院生の仕事もわたくしがすべて原著論文(英語のものでレフェリーがつくもの)を書いてきています。はっきり言って書きたくない、苦しいだけのもかつてありました。でもそれもすべてわたくしの自業自得ですから、そのつけが夏休みが無いという結果を招いているのですね。
きのう、きょうと外国の親しい友人は今日から二十日ラボに来ないとかなんとかメールを寄越してきます。そういうのを見ても羨ましいという感情を決しておこさないように自ら訓練してきました。しかし、そろそろ院生の博士論文を書くのも終わりに向かい、その数がはっきりしてきました。その後にやってくる研究生活があるのなら、わたくしも二十日間くらいの夏休みがとれることがあるかもしれません。
それとも一年中が休みになるのかもしれませんが。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-26 14:00
2005年 07月 25日

イチジクの味  Taste of fig

きのうは来客などもあり、お休みしました。昼のあいだはわりあい暑くて蒸してましたが、夜になると風も吹き出し、寒く感じるくらいでした。
今日の写真はミニトマトです。よく見て頂くと、中にちいさい柚子の実があります。落果したものですが、それでももう既に柚子の立派ないい匂いがします。

スイカの応急処置ですが、収穫袋なるものがあり、5枚で300円ちょっとですが、このネット袋に入れて、締める紐でケージ内にぶら下げた後で、袋の下部を別の紐で縛ってつり上げると小さなスイカでも見た目安全に支持されました。大きくなればまた紐をほどき、紐の結わえ方を変えればたぶんOKではないかと、愚考しております。

二日ほど前に収穫して、食べたイチジクはレストランか果物屋で買ったくらいにおいしかった。こんな、こぶりの木にこんなに沢山実がなっていいのか、不安になるくらいです。いままでカラスに食べられるか突っつかれるケースが多かったのに、今回はケージ内なので無事に食べられた。妻は嬉しそうに食べていたが、わたくしはイチジクに対しては複雑な感情があり、食べるたびにアンビバレントな気持ちになります。

わたくしは前にもちょっと触れたように東京の練馬で生まれて、戦争中は柿の木の下に父が作った防空壕に入ったこともあったのだが、戦後の食糧難時代に、この家の庭では父母がとうぜん菜園をやりました。その結果、カボチャはイヤというほど食べさせられました。もう一つはいつからあったのか、イチジクの木があり、食べたくもないのに沢山食べさせられました。その結果、ものごころ付いた頃には、カボチャとイチジクはもう一生食べないと自分ながらに決めて、周囲にも広言していました。敷地の中では他にもいろいろやっていて、トマト、ブドウとか柿とかはそういう感情を持っていませんから、たぶんカボチャを主食代わりに食べさせられたのと、イチジクは完熟していないまだ未熟なものを食べたからではないかと、いまになると思うのです。それとも、母のカボチャ料理がワンパターンだったのかもしれません。
わたくしは偏食はまったくなく、何でも食べますが、この二つだけは少年時代のトラウマだったのでしょうか。

広言したからには、長年食べなかったのですが、さすがに結婚して子供も出来てカボチャを妻が作ればまったく食べないわけにもいかず、一切れ二きれは食べてました。そのうち、カボチャを食べることに違和感を感じなくなったのはたぶん40代半ばころでしょうか。カボチャのスープなんていう、おいしいものも、名前だけで避けていたのですから、先入観というか、子供の頃の記憶とか体験による行動の制約というのは相当なものです。

イチジクについては、乾しイチジクはおいしいと思うし、気にせず食べていましたが、なまのイチジクはとりあえず、食べないようにして、機会があっても常に遠慮していました。
それがどうしたことか、イチジクの苗を購入して比良の方の庭に植えてしまったのはどういうことでしょうか。無意識に、少年時代の追体験をしたかったからかもしれません。
坂本の家からJRの駅まで歩いていくと途中に畑の中に2本大きなイチジクの木があるのを見つけました。ある時完熟したのが手の届くところにあったので、周囲を見まして誰もいそうもないので、ひとつ失敬しました。歩きながら皮をむいて食べてみると、案外おいしいではないか、そういうことを経験しまして。トラウマも何十年ぶりに解けたのでしょうか。
でもやはり、ついうっかり未熟なイチジクを食べたりすると、あの白い液と共にイチジクはもう食べたくないという少年時代の舌の感覚のようなものがふと思い出されるのです。
これも、食い物の恨みに類する話しになるのでしょうか。

練馬の家にはザクロもありました。今となると、イチジクとザクロはたぶん父が画材の為に植えたのではないかとおもうのです。この家に植えてあった、ザクロを食べた記憶が子供時代ありません。花はきれいなのに、なぜかザクロは無惨な果物というイメージがあるのは、果物が割れて中に見える実が何となく子供心に怖そう、でも味は酸っぱくておいしいということで、不思議な果物というイメージがありました。自分で育てたらどうなのだろう、という好奇心がありました。
それでザクロの小さな苗木を何年か前に買って、この木がだんだん大きくなりました。今年は沢山花が咲いたのですが、皆落ちてしまって果実になったのがひとつもありません。いま、第二陣の花が咲き出し、これが果実になるのかどうか気にしてるところです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-25 15:55
2005年 07月 23日

アスベストと悪性中皮腫 再考 Asbestos and mesothelioma

7月10日にアスベスト問題に触れましたが、この間毎日のように新聞とテレビがかなりのスペースと時間を割いて報じています。
最近の新聞記事を読んでどうもわたくしは分からなくなりました。つまり80%の悪性中皮腫はアスベストが原因という欧米などの論文などでの知識がどうも日本ではすんなり当てはまるのだろうか、という疑問です。日本病理学会の報告によると明確にアスベストによるのが原因だろうと断定できるケースは日本では非常にすくないようです(手元にデータがないのですが、数分の1程度)し、そうかもしれないケースを含めてもなかなか50%に達しないようです。アスベスト従事者の家族、アスベスト工場の近隣に住んだ人達を足してもとうてい80%には達しないようです。
そうなると、ごく日常的(校舎や家屋における)な微量のアスベストへの露出でもこの現在は不治の癌になる可能性があるのか、それとも日本ではアスベスト以外に悪性中皮腫を引き起こすような環境変異物質があるのか。前者が正しいとすると、日本人が欧米などの白人よりもアスベスト繊維に感受性が高い人達がいるのかもしれない。たとえばアルコールを代謝できないような人々は日本人などのモンゴロイドではありふれているが、白人や黒人では極めて希です。こういうケースで。また、アトビーなどはどうも日本では非常に頻度が高いようだが、それが環境的なのか日本人の遺伝性に起因するのか、そのあたりはよく分かっていないのではないようです。
いずれにせよ、原因がはっきりしないと言うか、自分は安全だと断定できないがゆえに、非常に怖いという社会的ムードが高まっています。
しかし、これまではこの病気にかかっていた人の数がそう多かったわけではなく、むしろこれから飛躍的に患者の数が増えるという指摘が恐怖感を増してることは間違いありません。
今朝のテレビを見ていたら、やはりスケープゴートに役所があげられていて、薬剤エイズ事件と同じだと指摘していた人もいました。しかし、アスベストに関してどの国も対応は非常に遅かったのです。1955年にアスベスト職業病としての癌が報告されてから、どの国も対応は非常に遅かったようです。その原因をぜひ知りたいのです。日本の役所を責める前に、世界でなぜこれほどまでに対応が遅かったのか、その経緯をぜひ知りたいと思います。
しかし、この悪性中皮腫という病気は非常に厄介な大変な問題だとわたくしには思えました。
薬剤にエイズウイルスが混入して事件と異なり、この悪性中皮腫を引き起こした原因がアスベストだと断定出来ない場合、患者はいったいどこにその原因を求められるのでしょう。アスベストが原因なのかそれ以外なのか、どちらにしても現在は困難な病気のことは間違いありませんが、しかし、原因がまったく分からない場合患者の心理は極めてつらいものになるでしょう。
そもそも多くの癌はその原因が断定できません。悪性中皮腫は例外的な癌になるわけだったのでしょう。かつて、煙突のすすを払う労働者がおおく睾丸の癌になりました、これはすすが癌原性があり、男性がすすの付いた手で便所などで睾丸に触ることに起因したのだと昔学んだ記憶があります。細かい燃えた後の塵や繊維が癌原性を持つことは古くから知られています。
その最大規模のものは喫煙であることはいうまでもありません。しかし、喫煙によって、特有な癌になるのでなく、肺ガンを始めとして非常に多くの癌が喫煙を原因としていると言われてますね。喫煙がなくなれば癌患者の3分の1が無くなるという予測もあります。日本では毎年30万人が癌で死ぬわけですから、この予測が正しいとすれば、20年間で200万人の人が喫煙が原因の癌で死ぬことになります。しかも喫煙は心筋梗塞や脳出血動脈硬化などの原因とも考えられてますから、その悪影響は桁違いだと思いたいのですが。
しかし、世の中はあきらかに喫煙よりもアスベストの方がはるかに怖いし、厳しく行政責任を問うべきだとと言う声が澎湃としてあがってきています。
それはこの悪性中皮腫という聞き慣れない特異な癌のイメージが恐怖感を増強しているのでしょうか。潜伏期が30年以上もあるからでしょうか。それともこの細かい繊維がわれわれの住むどこにでもあってその存在すら見えない分からない、もしかしたら自分はもうすでにこのアスベストを致死量肺に吸い込んでしまったのではないかという、ある意味で調べようもない体内の刻印に対する恐怖からでしょうか。さらに困ったことにはもしかしたら、アスベストに超感受性をゆうする人達がいる可能性があります。
不可解なのは、このような社会全体がこのアスベスト問題に集中してかかずり出した時にこの悪性中皮腫の専門医が出てこないことなのです。論文レベルではかなりの人が報告してますが、どなたも専門医としての意見をテレビなどで述べないのはなぜなのだろうか。わたくしが想像するに、たぶんこの病気は診断、原因、治療どれをとっても極めて難しいのではないでしょうか。でもだからこそ専門家の冷静にして客観的な意見を聞きたいものです。

今日の夜は近江舞子の湖岸で花火大会がありました。午後8時頃から始まり、一時間見事な花火を見ました。こんな素晴らしいのなら、見たい人達を招待すべきでした。

話し違いますが、やはりスイカ難しいです。自分の重さで落ちてしまうのがありました。シュロ紐で支えたのですが、やはり茎が傷ついて危ない状態です。
その対策で今日の午後は頭を悩ましました。なんとかネットのふくろを見つけて買ってきて明朝は被せてみます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-23 22:12
2005年 07月 22日

Suさんへの返事 Reply to Su-san

Su様、返事を書きたくなるようなコメント頂きました。あなたのような読者がいてくださると、励みになります。

教養と職業人になるためのツールとは別物という観点を明確に大学教育に入れて欲しい、教養教育は自由に好きなことをやりなさい、ツールの方の教育はある程度必須的でなおかつ達成度もきちんと見る、そうして欲しいと願ってます。ですから、必須的な教養科目などあるはずがないとおもってます。理系の人が好きなら好きなだけ文系講義を聞いて何も悪いことがあるはずがありません。英語を教養でなく、ツールとみなすのなら、いまの英語科目とは自ずとやり方も受け方も異なるでしょう。基本的な教養教育は高校ですんでるはずでしょう。だから学生ひとりひとりに選択をまかせ、必須はないほうがいいでしょう。
教養とは,2年や3年で得られるものでなく、長年の学びと体験でよりよいものを身につけることができるのではないでしょうか。宮大工の西岡さんという方の書いた本を読むとこのかたが現場での最高クラスの大工さんだろうと言うことがわかると同時に大教養人だということもわかります。このかたの教養はすべて木、木材との関わりに根ざしてるのですね。教養ある人は社会のどこにもいますよ。大学の先生がおしなべて教養が高いなどというのは迷信にすぎません。
若い18才や19才の学生さんは、教養に関しては将来のために色々なものに接して土台を広げていけばいいじゃないですか。ツールの方の教育については京大は学部毎にかなり違いますが、全体としてほったらしていて、これまでそれなりに成功していたのに、最近慣れないこと始めてかえってよくない効果が出てるとわたくしは見ています。
実はこの教養教育、K大学新聞でインタビューを受けてかなり言いたいことを述べましたので、機会があったらぜひ読んでください。編集の人の話では、来週でるというのですが。
哲学については以下のように考えます。
哲学をなぜ勉強するか。哲学を必要しているからですね。必要と感じなければ勉強する義務もなければ必要もないでしょう。あなたの言うように、鼻にかけるような哲学は確かにありがちです。
わたくしの場合にかぎらず我々の世代までは第2外国語も含めてかなり真面目に時間をかけて哲学も勉強しないといけないという学生気分が強くありました。仲間うちでの会話で話しが通じなければ困るので、概論的知識と自分の好きな学派がないと「困るという必要性」はあったと思います。当時は自己のidenityと思う若者は多かったのですよ。

わたくしの大学教養での哲学はまったく意味不明な言語をまき散らす先生でしたから授業に出ての知識などはほとんど関係ないと思いました。わたくしの場合高校での思想史の勉強あたりで、哲学に興味を持ち始め、ソクラテス、デカルト、カント、ヘーゲル(難解すぎますが)あたりの定番の後にルソー、ボルテール、ディドローあたりまで来て腰が下ろせるようになった。でも、実際には上で述べたあまり高級でない理由で(つまり議論を戦わせる材料を見つけるために)本を読んだこともよくありました。前の晩によんだ本のネタで次の日の夜に二級酒や安ウイスキーなどをのみながら議論をよくやりましたよ。そういう必要性もあったのです。だからわたくしはいまのあまり議論好きでない若い人にはまったく勧めません。でも哲学でなく、古典で発見出来る人間像はとても素晴らしいです。ですから、古いものに接することは強く勧めてます。古いものとつきあってると、やはりだんだん賢くなるとおもいますよ。現実を生きる力がえられるかどうかは分かりませんが、古典を心の中に持っていると、よりよい人生が待ってるような気がします。

わたくしが20代後半にどのような心象風景を持っていたかはたしかにあのバルセロナの旅での短いエッセーに書き尽くされているとおもいます。それに50代半ばのころの心境もこのあいだ再掲した水流れる国に生まれてでほぼ言い尽くされてると思います。あなたがこれらを読んで何かを強く感じて頂けたのなら、分野は違うけれどもわたくしの学問観の中にある何ものかはあなたに伝達されたと思います。

それじゃ、その間の時期はどうなのかですが、それをどう書くか実はとても難しいのです。このブログでもみなさんは気づかれないかもしれませんが、ひそかにすこしずつトライしているのですがまだあまりうまくいってません。もちろん自分が何を考えていた(いる)かはよくわかっているのですけれども、それはあまりに個別的ですし、また生々しいというか、止揚されてないというか、他人には伝達されにくいのですね。もうすこしトライアンドエラーが必要なのだとおもいます。

人の評価は棺の蓋を閉じたら出来るというのと似ていて、研究の発展と評価も過去のものになってしまってから、出来やすいのでしょうか。そうだとすると、わたくしのやっている分野はまだすぐには過去のものにはなりそうもないので、どうしたものでしょうか。これから何年もずるずると走り続けるのはしんどいのですが、至近距離で分野の変遷を見ていくのは楽しいですから。それに最近新規のbeginning of scienceのネタもできまして、ほどほどにしなさいという自制の声が耳元で聞こえるのと同時にどんどんやれという無責任な声もかなり大きく聞こえてます。このあたりの判断はすべてわたくしの「教養」で判断してます。研究者としての判断ではまったくありません。これがわたくしが、研究は教養でやるのだ、と長年にわたって言い続けてることの真の意味です。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-22 17:34
2005年 07月 21日

内省的な時間   Reflective time

どういうときに内省的なムードになるかというと、朝の通勤時の電車に乗っている時などですか。でもすぐ10分も経たないうちに乗り換えになるので、切れ切れになりがちです。仕事を終えて大学を出て家に帰る時間もおりおりに内省的ムードで過ごせるのですが、大抵はかなり疲れていて考えも深まりにくいのですね。なるべく軽くて簡単な事を考えたくなります。時間がかかる乗り物に乗ってしまえば仕事中毒のわたくしとしてはなにか仕事をしてしまいます。家にいても一人になることはそうありませんし、家でもやはり仕事をしてしまうので、自然に内省的になる時間というのはあるようでそれほどない。ただわたくしの場合、ごく短時間でもいいから、そういう気持ちになるようにウイークデイは努めてそういう機会を掴まえて考えるようにしています。そういう意味ではラボと家の間の1時間、往復2時間はわたくしにとって、極めて貴重な時間になります。それから今朝のように沖縄で朝を迎えて朝食後センターに行くまでの1時間半くらいもとても大切な時間に思えます。
そういうときにいろんな事を考えます。やはり仕事上の事を考えることが多いのですが、不思議なことにそういう事を考えだすと、今頃比良山麓の畑の野菜はどうしてるかなどと、付随した余計な想念が湧いてくるのですね。ヘンですね。この間の日曜日キュウリが曲がってるのが多かったから、すこし液肥を今週末にはあげないといけないかな、などとかんがえると、ところですこし元気づけしてあげないといけない院生はだれかな、などと当の院生にはキュウリなみで悪いのですが、連想的にある院生の顔が浮かんできます。ここ数ヶ月、半年のその院生の仕事の経過を思い起こして見るのですね。どうするべきか、本人を前にして話すよりはずっと客観的に研究の経過が一瞬にして見えてくることがあります。インスピレーションとでも表現出来る事があります。その新しい考えは単なる考え止まりの事も多いですが、役に立ちそうな時もあります。いろんな考えを前もって掘り起こしておけば、当人と後にデータを前にして話すときに、議論も深まりやすいのですね。わたくしとラボメンバーの仕事上のやりとりは短い場合が多いのですが、それでもわたくしが前もって彼等の事をどれだけ考えているかは、彼等は知らないとおもいます。これも何十年の習慣となっている事ですからわたくしにはなんの努力もいらないことですが。

わたくしの考えるうえでのトレーニングはやはり学生時代に哲学を自分流にかなり勉強したことにあるのかな、と思います。いろいろ遍歴はありましたがフランスの百科全書派、代表的なのはディドローでしょうが、かれらの書物を漁った時期に自分の考えのかなりの部分は出来たな、と思います。かれらの信条は素直にわたくしの信条と一致していてその後何十年間も一度もぶれずに親近感を持ち続けてきた、人生を生きるうえでの根本的な考えを作りました。唯物的な思想や英国流の経験的なものの考えに深く影響されたこともあり、特に後者はわたくしが実験科学者としての人生を歩んでくる上で非常に大切なものでした。しかしまだハイティーン時代の人生をロマンとして考えたい若者としては百科全書派の燃えるような理想主義は気持ちにもぴったりだった。感覚、情念を重視して経験主義をとりながら、理性をすべてに優先するという思想はなんともいえず見事な生きるうえでの指針を与えてくれたものでした。考えることでは理系の学問は絶え間なく思考を要求されて頭のどこかを深々と使ってるはずなのですが、いくら使っても、生きるうえでの指針をなかなか得ることは出来ません。わたくしには哲学しかそのようなものを得ることは出来ませんでした。若い頃は頭のバラバラのところにしまわれていた知識や体験が年を経るに従って混ざり熟成するのでしょうか、いまのわたくしの頭の中では、みなつながったものになっていますが、それぞれの起源を考えれば時期も場所もそれぞればらばらに学んだり体験した事であることに気がつきます。

さてきょうは、やはり海の道で昼食をとりました。引き潮がすごくてこれなら歩いて昔の人が島へ渡れた話しも本当かと思えるほどでした。素晴らしい快晴で海は透き通り見える山々の緑は非常に濃かったです。
わたくしはまた、もずくを沢山買い込みました。それに例の黒糖あがらさーなど。

by yanagidamitsuhiro | 2005-07-21 17:03