生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 11月 30日

やはり直接会うと

長いこと会わなかったCCさんが昼頃においでになって、わずか30分程度ですが、お話ししました。関空午後5時の便に乗るとかでしたが、それでもこの僅かな時間で、もう15年かそれ以上会ってないのに、旧交を暖められました。
それにこの短い時間でも話せる量は、メールにしたらその10倍くらいかけて書いてもかなわないくらいあるので、やはり顔を見ながら話すことの意義を改めて感ずる次第です。
すこし分野が違えばなかなかほんとのところ何をやっているのか分かりにくくなっているのですが、互いに持ち時間を一杯に使って自分の現状を語り合い、わたくしも改めて彼はすごいなあ、思った次第です。
次ぎに米国に行くときにはかならず寄って、ゆっくり時間をかけて話したいと思いました。一方で、彼がOkinawa freakでよく旅行で個人的に沖縄に遊びに来ていることを知り吃驚しました。だから、次回は米国になるか、沖縄になるか、わからないのですが、出来るだけ早い時期に会って、彼の研究室と会社二つを持つ生活における意見を詳しく聞きたいと思ったものでした。また彼のあたらしい技術の話しも詳しく聞き出したいとおもいました。
わたくしも生活がかなり広範になっているのですが、彼に比べればたいしたことはないと、安心もしました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-30 13:35
2005年 11月 29日

沖縄でのインフラ

ここのところ研究面での現場の仕事が非常に多大で過重なかんじです。ときたま、あたまが破裂しそうなくらいに、いろいろ沢山のデータなどのことを考えねばなりません。もちろん、自業自得でしかたがないのですが。
それを反映して、ブログでさっぱり研究の話しを書かないのも、その時間ぐらいは研究のことは考えたくないのです。
とはいえすこしネタ切れなので、きょうは沖縄での大学院大学組織の準備の様子などを書いておきましょう。
どうですか、進捗具合はなどとよく聞かれます。
そういうときは、たいていまず、会議はいちおう全部英語になりました、と返事します。
外部からのセミナーも英語です。会議やセミナーの通知も、もちろん英語できます。
なかには英語とその翻訳の日本語が一緒のメールもたまにあります。
外国なみになっているのも、会議の資料はすべて英語で、かなりの量の資料が会議前にきちんと綴じられて準備されています。
会議中は、速記者が座って、ほとんどの議事進行が英語であとで書類となって、おくられてきて、内容的に問題があれば議事録の変更を頼むようなことになっています。
事務職員が英語が出来るというのは、ほんとうに多大な恩恵があります。
わたくしが出る会議は研究だけの会議で、マネージメント関係はでないでいいのですが、研究面でも事務職員が2−3人おられて、随時質問に答えることになっていますが、もちろん英語でやっています。
日本語のできない研究員やテクニシャンが来ても、事務職員がすべて勤務の倫理から就業規則まで全部説明してくれるし、アパートも探してくれます。
普通の日本の大学から来たわたくしのような人間には外国人を雇った場合の面倒さから考えれば天国のようなものです。
このような話しをすると、それはすごい、沖縄でのインフラは完全じゃないですか、といってくれる人が多いです。
完全というのはまだまだとしても、日本国内にある研究機関としてすでにユニークなインフラが出来てきました。
もう一つのすごさは、このセンターの建物の清潔さというか、きれいさというか、クリーニングの完璧さです。
わたくしは行くたびに、ここはユートピアだな、と感じます。長い研究者稼業でこれ位床がぴかぴかのところで働いたことはありません。このようなレベルのインフラは単に予算があるから出来るのではないでしょう、そこで働く人達の熱意と雰囲気がうみだすものでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-29 17:08
2005年 11月 28日

マーケット用語の氾濫

きのうのいろんな話題の中で、「癒しというくらい卑しいことばはない」というのがありました。わたくしには調べようもないので聞いた出典をここに書くのはやめておきますが、O夫人、これがたいへん立派な意見だというのです。直感的にそう感じるという意見でありましたが、うなずける点はあります。
そもそも癒しとかって、結局なにかの対価として得られるという形で使われてるし、結局マーケット人に踊らされているのではないでしょうか。
わたくしは、あの「至福」とかいう表現がそうじて、いやです。これもどこそこにいったらとかなにかをしたら、至福の思いがしたとか、結局お金とかちょっとした経験をそういう表現で表してるのですね。
よくよく考えると、どうもわれわれはマーケット人のしかけに乗らされていることが多いと思うのです。
最近では、広告媒体も多岐にわたっていて、テレビや新聞での広告だけが広告じゃなくて、雑誌が丸ごと一冊全部広告料から成り立っているなんて言うのは多いです。それ自体は悪いことでもなく、企業であれば宣伝は当然、ありとあらゆる媒体を使って企業の活動しやすいようにしてくるのは当然でしょう。
問題は、そこで使われる言葉やコンセプトで、これがわれわれの頭の中に忍び寄ってきて、いつのまにやら定着して来るのですね。
たとえばの話し、毎日スポーツドリンクや、最近流行のサプルメントをとる場合、その行為を恒常化している何かのコンセプトがあるはずです。そのコンセプトはたぶんそれらの商品をつくっている会社にとってありがたいし、商品の販売存続に不可欠でしょう。
コンセプトが強くて、深くしみ込むものであれば、ますますいいに違いがありません。そんなものにわれわれは相当犯されているような気がします。わたくし自身、そういうものに相当抵抗した生活をおくっているつもりですが、やはりマーケット人に一本とられているものもかなり多数あるかもしれません。
しかし、一本とられても、笑い話ですんでればいいのです。毒にも薬にもならないものを、本人が効くとおもって毎朝摂って、何十年それでしあわせな生活が出来ればそれでいいでしょう。癒しの旅行に出かけて、癒しの気分が得られたら、癒しがキーワードで幸せが得られるなら、目くじらを立てることはないと思います。高価な食事をしたら至福なというコンセプトでも無ければ損したと思う人にとって、至福もしあわせに生きるうえで必要な感覚なのでしょう。これも他人がとやかく言うことではないのでしょう。

しかし、素晴らしく安くて広いマンションで、とてもいいものを買ったと、得したとニコニコ喜んでいたら、それが震度6程度で倒壊する可能性が大の住居であったというのはひどすぎます。安い、広いということばで引きつけられたら、とんでもないものをつかまされてしまった。安い、広い、しかし非常に頑丈で安全、という宣伝では無かったということなのですね。住居知識として、やすいのは危ないという、知識もマーケット人が教えてくれたら良かったのですが。これは、まず論外として、しつこくわたくしが話題にするたばこはニコチンが多くの人にとって麻薬性が高いということをどこまでJTが伝えてるかです。癒しと、ときおり至福のひとときが得られるのだから、しかたないという方は確信者ですから、他人に迷惑をかけない範囲で喫煙すればいいのですが、そこまで確信してなかった人達は、麻薬におかされて、いろいろな病気になって始めて、そんなはずではなかったとなってるはずです。

わたくしは始めて関西に来た頃、大阪の町に出かけていつも感心したことがあります。
それは、「値打ちありまっせ」という言葉でした。端的にこれほどマーケット言葉として優れたものはないとおもうのであります。いまでも、大阪の店で、中年のおじさんやおばさんに、これ値打ちありますよ、といわれると、どう値打ちがあるのか、すぐその理由を考えたり、聞きたくなります。機会があれば、ねほりはほり聞くと、いろいろ人生勉強ができます。そうか、そういう値打ちだったのか、へえーなるほど、そういう「価値感覚」があったのか、常に発見がありました。大阪の町をぶらぶらするのはほんと「値打ちがあります」。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-28 19:18
2005年 11月 27日

農閑期のたのしみ

10月から翌年の5月くらいまでは、雑草が生えませんから、敷地の管理は非常に楽です。つまりこの間は、農閑期に相当します。じっさいにはいくつか野菜などもやってますし、里芋などのように収穫したり、イチゴのように植え替えたりしたりすることもありますが、春から夏の忙しさに比べると格段に暇です。
積み上げた草を地面にすきこんでいくと、さっぱりきれいになってきて気分も良いわけです。時間もあるので客人をおよびするような余裕もでてきます。
きょうは前々から、おねがいしていたOさんご夫妻に来て頂きました。
天気予報は雨だったのですが、とても気分のいい天候で眺めもよく、ご夫妻は景観も楽しまれていきました。
世の中森羅万象、いろいろよもやまばなしがありました。うちひとつはライジングインディアでありました。人類をインド好きとインド嫌いに分けることが出来るという、単純にして卓抜な意見もでましたが,訪問経験のあるOさんとわたくしは、インドは偉大な民主主義国でありまた文明国であるということで、意見が一致。共にインド愛好者であることが判明。中国訪問についてのあまりかんばしくない感想もおおむね一致でした。わたくしは持論の北朝鮮にくさびを入れることと、ロシアにとられている領土についての共にわりあい抜本的な意見を言ったりしました。
昔の農村もこんなふうに農閑期にはみなが集まっていろいろ話し合いしたりして、考えを高めたり、まとめたりしていたのでしょう。ミニ体験ではありますが、農閑期なるものを実感した日でした。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-27 22:00
2005年 11月 26日

下流社会

下流社会なるタイトルに惹かれて買ってしまい、ぱらぱら読んでみました。
ほんとはこの週末は本など読んでる暇はないのですが、昨日の夜、遅くなった帰宅のための電車の待ち合わせ時間入った本屋でついつい手が伸びてしまいました。でも、30分もあればこういう新書本は様子がわかるものです。
著者はマーケットの世界に長くおられるひとらしくて、なかなかキャッチフレーズがリアルで分かりやすいので、ふーんと感心してしまうところがありました。

実態はどうであれわれわれの世代の多くは自分は中流であるとおもっているけれど、その子供達の多くは下流にいると認識しているか、もしくは下流にむかっていると予想しているのだそうです。
わたくしは、団塊世代に入らないのですが、妻がしっかり入っているし(1100万人もいるとか)、団塊ジュニアなる世代には娘はギリギリ入らないけれども、息子二人はぴったり入ってる。
わたくしは、昭和ひとけたでもないし、新人類(なつかしい)でもないので、結局なんの名前もないななしの世代なのですね、誰かつけて欲しいものです。
紘一という名前の男性がわたくしの一才か二才上に多いのですが、これは八紘一宇からとられたものですが、アジア主義の時代に生まれて、高度成長期を団塊の世代の一歩前を歩いてきたのですが、どうも団塊の世代とはどこがどう違うのか、ひと言で言えないのですから、駄目ですね。
ところで、この本に戻ると、この本のいろんな人種の分類に即して、われわれの知っている人達を分類してみることを、運転している妻を話し相手にやってみました。
マーケットを調査解析する人はおそるべし、わたくしもこの著者の考えに染まっていくようでした。40%くらいの人達が下流とおもう世代がどうも大量に存在するようです。下流と貧乏は似ていて非なるものなので、とりあえず中流と思う親が生きているうちは、下流なので貧困ではないのでしょうか。

わたくしとしては、このマーケット的人間分類とは抜本的に異なるもので人生を生きてきたつもりなのですが、でもわたくしが好む食堂とか、服装とか、住みかたとか旅行のスタイルとか調べられたら、たぶん消費者というかそういうなかでは、ある種の既存のものにしっかり分類されてしまうのでしょう。たぶんシニアなんとかという名前がつけられて、消費行動はかなり簡単に予測されてしまうのかもしれません。
わたくしは、貧富の差が日本はこれから激しくなるといういろいろな学説をきいても事実はそうかもしれませんが、あまり感心したことがなかったのですが、この下流というネーミングにはちょっと感心しました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-26 18:32
2005年 11月 25日

自転車談義

このあいだ沖縄に行ったときに、ラボからかなり離れた、車でも10分くらいかかるところまで行ったところで会食をしたのですが、メンバーの1人のT君はなぜか自転車でやってきました。沖縄は海岸沿いは平らですから、朝とか日没後は自転車はまあまあですが、すこし内陸に入れば、坂が急で自転車は結構きびしいものです。
夏など、バイクに乗ってる人は見かけてても自転車はまず日中見たことありません。会食が始まってしばらくして汗びっしょりのT君到着して、自転車はやはりバッドアイデアだったかな、とか言ってるように聞こえました。ギアが何段と聞いたら、6段とのことでしたが、急なところでは6段でもきつい感じでしょう。
わたくしも当初、電池のついた電動の自転車を買って、そこらを散歩しました。かなりな急でも楽々のすぐれものでしたが、その後はさっぱり利用せず、眠っています。

ある時期わたくしもそうとう熱心な自転車ファンとなり、毎月サイクルスポーツという雑誌を購読している時期がどうでしょう10年弱あったような気がします。自転車にもこって、シマノのDura-Aceを装備したものにのってたものでした。これは高かったですが、正解で、なにしろ自転車の静寂さというか、かすかなタイヤの音を聞きながら、風を切って疾走する心地よさを堪能できました。琵琶湖は自転車には大変向いていて、湖岸道路ができてからは特に乗りやすくなりました。南湖一周とか近江舞子往復なら昼飯を食べてから、夕方までのあいだとか、安土とか近江八幡ならお昼前にでかけるくらいで楽に往復できるので、いろいろ楽しみました。
なにかの想念にひたるのに自転車はいいです。わたくしはジョギングは苦手なのですが、自転車なら4時間でも5時間でも平気でした。
いまよくでかける国道161号でもサイクリングを楽しむ人がそこそこ見かけます。ただ欧州あたりと比べると数はずっと少ないのでしょう。なぜなのか分からないのですが、たぶん列車も自転車運搬にはあまり好意的でないからかもしれません。
なぜ自転車をやめたのかははっきりしていて、ガーデニングが忙しくなったからです。いまでもときどき乗りたいと思ったりするのですが、このさび付いた自転車をまず修復することを考えるとちょっとうっとうしくなってしまうのです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-25 19:02
2005年 11月 24日

子供度について

優れた創造者は子供のような新鮮な感覚をいつまでも持とうとするものです。努力しないで持ち続けられる人もいれば、そうとうに努力しなければ子供らしさを維持するのは無理な人もいるでしょう。
岡本太郎などはそういう子供度の高そうな人でしたが,それでも晩年に芸術は爆発だと、テレビコマーシャルにまで出て叫んでいたのは、意識して自らを励ましていたのかもしれません。棟方志功も年とともに昂じるというのか、しゃべりまくりながら版画を刷る姿はすごい雰囲気でした。
こういう振る舞い自体がこどもぽいとは思わないのですが,そうとうに年をとっても子供度が高ければそんな感じになってくるのだと思います。
しょせん、こどもそのものの純粋にしてあどけなさが残るような姿を人生70年を過ぎた人間がおなじように示せるはずがないでしょう。見かけで分かる,子供度は自分の気持ちにそって行動する訳ですから,分別がない、自分勝手,羞恥心が足りない,などと思われる行動に、みえるのでしょう。

司馬遼太郎氏の書かれたものを読むと,小説を書くのにも,子供度が相当ないと駄目なようです。子供度が低くなると,小説は書けないと言っています。
すくなくとも、司馬氏のばあいにはそうなのだろうとおもいます。ご自身でも正直にそのあたりのことを書いています。子供度が低くなると、小説を書くのがばからしいというのか、その気持ちになれないのだそうです。司馬氏の言葉をかりれば子供的エネルギーでかれのいろいろな小説は書かれたのだということになります。
小説を書かなくなってからも,たくさんの評論や紀行記で新しい境地をひらいたのでしょうが、なぜそのしごとは子供度が低くてもできるのか,そのあたりの説明はありません。
わたくしなりに、解釈をすると前人未到のだれもいない世界での仕事をこころざすためには結局好奇心が異常と言えるくらい高くなければ行けないのですね。しかもこの好奇心は年をとるにしたがって、発揮することが困難になるのですね。束縛が多いのです。
司馬遼太郎氏はたぶん束縛を甘受してその範囲でできる評論のような仕事に移ったのでしょうか。そういう意味では司馬氏の生涯では,分別が勝ったのでしょうか。

科学の世界はもう少し楽な気がします。子供度がそうとう高くてもそれほどの束縛があるともおもえません。その点,芸術家の中では、絵画とかに似てるかもしれません。

谷崎潤一郎が晩年色々性的なものを書いて物議をかもしたりするような経験はしないですみます。
ただ問題は科学者は一部を除けばその生をまっとうするはるか前にその現場から追い出されてしまうので、真の意味での晩年を経験することができないのですね。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-24 18:10
2005年 11月 23日

穏やかな勤労感謝の日

わたくしは勤労感謝という語感がすきで、そういうわけできょうはいちばん好きな祭日です。
例年この日はしごとの予定をいれずにのんびりすることにしています。
さいわい天気もまたまたよく、来客もおりましたがみなさん気のおけない人たちばかりで、ゆったりした気分で過ごすことができました。
Aさんは末っ子の8才の男の子を連れて来ました。わたくしは8才くらいの子供としゃべったことは長年なく、楽しくて興味深い経験でした。少年が1人で何かやってる姿を見るのは、よいものです。里芋ほりもやってもらいました。
散歩にでたら、数匹の猿と出会いました。ポーランド人でオランダから来たMさんには信じがたい動物がたしかに人の住む傍にウロウロしていることを確かにみただけでも日本という国の印象がまた変わったでしょう。
日本の風物は温帯と言うよりは亜熱帯的なところがあるのですね。夏の賑やかさはまさにその反映だと思います。
このあたりでは11月の最後の週あたりから始まる紅葉とともに端正な冬景色になっていくところが、晩秋の名残のよさなのでしょうか。

食べるものが皆おいしく感じるのは、冬眠はしないけれどもこの時期に沢山食べて冬を越えるという昔からの何かが体内にあるのでしょうか。

むかしは、新嘗祭(にいなめさい)といって、今日この日に、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧めて、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀がある、とあります。
まさにその気分です。おだやかな気持ちでわたくしも心から天地に感謝したいとおもいます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-23 20:50
2005年 11月 22日

緑寿庵清水、門前市をなす

昼飯にZに行くべく、今出川通りから鞠小路通りにでたら、長蛇の列が目の前です。なにごとがおきたのか、とつらつらみるに、金平糖のお店が延々の列なのでした。
なるほど、とおもうのに1秒かかりませんでした。
黒田清子さまのご成婚の披露宴引き出物に選ばれたとありました。ニュースでちらっと見ました。
日本人はすごいなあ、とこの立派な列に感心しました。
おかげでかどうかわかりませんが、Zは満員で入れませんでした。
市バスが百万遍に着くとこの金平糖さん屋さんの前です、とながく広告しててました(最近はどうだか憶えてませんが)から、お菓子の名門でもあるし、ある程度もうかっているとは思ってましたが、このような列はかつて見たことがありません。たぶん、昨日とか明日とかの休日はもっと長いのでしょう。
わたくしは、ここの金平糖はみずから買ったことも食べたこともありますが、それほどまた非常に食べたくなるものでもありませんでした。
何百年も床の間においとけて、いつでも食べられるとか、災害の時などの非常食用にいいのかな、などと勝手に考えてました。ただ、ここの傍をとおるとあまいいい匂いがしますので、それはなかなか優雅でいいものだと思ってました。また、建物も古いし、店員の態度も大変立派だし、宮内庁御用達的資格は満点クラスでしょう。
どちらかというと、百万遍の北にある満月の阿闍梨餅とか角にあるかぎやまさあきの黄檗とかときわ木のほうが日常的おいしさではよりよいとは思いますが、なんといってもやんごとない状況でつかわれたので、この懐かしい金平糖に関心がむかうのもたいへんけっこうなのでしょう。

結局、F君との研究の話しは、傍にあるそば屋さんですませました。この建物は二階に思文閣という博物館があり、てづくり市などもふくめて百万遍界隈はこれからも人が集まってくるのでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-22 14:10
2005年 11月 21日

あま柿、やはり渋柿

今日は素晴らしい快晴。
幸運というか、きょうは比良山麓のほうにおらねばならぬ理由があって、この秋の素晴らしい快晴の日を心ゆくまで楽しめました。
早朝から夕方まで、比良山の段だら模様の紅葉の色の変化を楽しめました。
届いた薪はずっしりと重くて、燃やしがいがありそうでした。
林の中の、渋柿と思いこんでいたのが、ひとつ食べてみたら、すごく甘くておいしいので、驚きました。しかし、別のを食べたら、渋い。つまり完熟して渋がとれたのがたまたまあったのにすぎないのでした。
夜は京都で知り合いのご夫妻に会って、会食。
にぎやかにはなしたので、思いのほか長い時間となって、帰宅は11時でした。
というわけでブログはこういう短いものになってしまいました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-11-21 23:03