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2005年 12月 31日

2005年12月31日

万事デジタルの世の中となってきましたので、今日がいつどういう日で、何時何分に何があったのかと経過的に記していけばなにか全体が分かるかのような錯覚があります。
もちろんそんなことは、全くないのでしょうが。
しかし、タイトルに一度くらい日付を入れてみるのもいいでしょう。
今日は、特別な日ではないのですが、でも2005年という年の最後の日であったと言われれば、なにか格別な感もあります。
この一年、いろいろな出来事が世界中でまた国内でありました。
わたくしも個人的に大きな変化がありました。この9か月、変化に適応する期間でもありました。いろいろなことがありましたので、ずいぶん長く感じました。

大学での仕事は研究以外は何もしてないので、忙しいとはいえ、気分転換にこのブログは大変役に立ちました。わたくしは、日記をつけたことがほとんどないのですが、一時短い職業的なメモ的な日記を書いていましたが、それもこんなに続いたことはありません。読者の存在を意識していますので、長く続いたのはまちがいありません。
当然ながら、ほぼリアルタイムで公開していることから、書く内容とかにいろいろ気をつけなければいけないことはだいぶ学習しました。

このブログを始めた頃のニュースを見ると、西武の会長が株操作で逮捕されました、またソニー経営が不調で、トップが外国人に変わったということでした。世相はなんだか淀んでいるような感じがありました。
夏の頃にあった、「小泉劇場」というのですか、衆議院選挙があり、その結果郵政民営化が完全に支持される結果がでました。そのせいか、どうかわかりませんが、その後は、株式の値段が上がり続けてきたようで、大晦日の新聞を見ると、株は40%も年初から上がっているようです。株は庶民も参加しているのでしょうから、懐が潤った人たちも相当いるのでしょう。
やはり不況は脱したのでしょうか。米国の経済動向を金魚の糞みたいにフォローすることも最近ではなくなっているようですし、京都のようなあまり変化しない町ではたらいていても、なにかすこし変わってきていることを感じます。

個人的には、沖縄のことがわたくしなりにすこしずつ見えだしてきました。
いまは、わたくしに何ができるかということを、考えてます。たぶん、2006年にはもっと具体化して来ると思ってます。
もう一つ個人的には、2006年には京都で溜まった(失礼)学位未取得者を全部一掃(失礼)すべく全力投球だなと、思っています。というか、そういうことが言えるような状況になってきたので、わたくしの心は大変明るいです。

そういうわけで、個人的には2006年早く来いです。
しかし、大学にいまだ生息させて頂いている立場としては、大学運営が全般的に後ろ向きのようで、気がかりです。

書類作りが目的化してしまいがちで、会議をやったという実績で安心してしまうし、それに組織が出来たのだから、これでいいだろうとおもいがち
外科手術は成功したけれど患者は死亡しました、というフレーズに似ていて、教育改革はりっぱに成功しましたが、学生の意欲は死にました、という感じになりがち。
このあたり、自分はもう終わった人間なので、引っ込んでればいいのでしょうが、でも
どうも口をださないといけないのではないか、などとこのあたり迷いがあります。そのあたりも2006年でははっきりさせたいものです。

大晦日、次男がやはりちょっと帰るということで、年越しは3人でということになりました。次男は博士学位論文の準備で忙しいのでしょうが、一休止と親孝行もかねてきたのでしょう。妻が急に元気になりました。長男はフランスで、娘の家族は桑名で正月を迎えます。みんなが元気に健やかに今年過ごせたし、また来年も同じようにと願う点ではわたくしもやはり家庭人です。
今年の紅白は視聴率50%を絶対越えるというディレクターの言とか。これも、視聴率をあげようとする作戦のひとつでしょう。
SMAPというのは特別歌の下手なグループという印象があるのですが、それが最後とは、なんだか変ですね。そのあたりが理屈でないなにかがあるのでしょうね。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-31 17:12
2005年 12月 30日

整理はたいへん

数日前のブログに書きましたように、写真の整理を始めてます。
整理というのは具体的に昔風のアルバムを捨てて、そのかわり電子的に保存するというものです。数冊のアルバムくらいで60年の人生を語ってくれるのならいいのですが、我が家の場合にはそういうことがなくて、ある時期は実験ノートくらいのスピードでアルバムを作ったこともありますので、占める空間というかボリュームははんぱではありません。
一つタンスを占拠して、なおかつ家のあちこちにあります。
分厚くて重いアルバムをこの際DVDにしてしまえ、とこういうプランです。

それで始めてるのですが、最初頑張ってあとはおりおりにやれば、半年後には終わるだろうというペースです。
アルバムのはスキャナーでとっていきます。ネガは捨てるほどのこともないし、写真もはがず必要のないものはそのまま箱に入れておこう、要するに台紙の部分がゴミで出ていくという算段です。

まあ家で仕事しながら、時折スキャナー取り込み併行してやっていますが、やはり前途多難です。実際わたくしのように忙しい人間がこんな事を始めてはいけない、とも思えるのですが、始めた以上しかたがないという心境、毒をくらわば皿までですか。
きょうは、学位が一年遅れているAK君の論文原稿がマラソンで言えば35キロをすぎたくらいで、彼に点検を頼むべくメールで送りました。データ的にもう揃ったといえるので、彼も新春を元気に迎えられるでしょう。
その後妻と比良山の報の家に行って、いろいろ正月準備をしました。

さっきちょっと未整理、つまり自分がとったのでなく、誰かからもらった写真が箱に入っているのを見たらびっくりした写真が出てきました。

まず最初のは左端、あきらかに二重らせんのJim Watsonさん,その右はJohn ToozeさんながらくEMBOの事務総長だったし、EMBO JournalのEditorも長年やってました。その右はインドのTATA研究所のSiddiquiさんと思えます。その右わたくしです。ずいぶん前でちょっと分かりませんが、たぶん80年代始めと思います。みんなわかいですね。あたりまえですが。
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いろいろ考えると、AMBO Asian Molecular Biology Organizationを作ろうとした時代の頃で、そのためのシンポジウムかなにかがあったのだと思います。AMBOというとなにか言いたくなるのですが、ぐっとこらえておきます。

次のは、おなじ箱の同じあたりから出てきたので、たぶん同じころもしくは同じ会議でのスナップでしょうか。わたくしの現在の沖縄でのボスのBrennerさんです。
このブログの読者には沖縄関係者も居るので、ちょっと興味をもたれるかたもおられるでしょう。
写真が横になってないのですが、uploadする前の写真は正しい向きなので、どうしたら正しくなるのか、誰かに聞かないといけません。
(その後、正しい向きの写真を入れましたが、場所が最後になりました)。

わたくしかなり長いことひげをはやしてまして、この写真をだしてもいまのわたくしを識別するのはまず無理でしょう。

もう一枚、ずいぶん、おとなしそうなBrennerさんです。どこでとったのでしょうか。分かりません。わたくしが撮ったのではなく誰かから頂いたのでしょう。ネクタイも背広も前の写真と同じように見えるので、同時期の写真に違いないと思います。

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こういう事で、引っかかってると整理にかかる時間は無限大となりそうです。
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by yanagidamitsuhiro | 2005-12-30 18:16
2005年 12月 29日

年の瀬におもう

韓国のファン・ウソク教授の経緯はため息がでます。最悪に想定されたコースを歩んでいる印象です。と数日前に書きましたが、きょうはまたソウル大学の委員会の報告で、やはり胚性幹細胞などはまったくないとのことでした。完全な捏造だとの断定です。
胚性幹細胞が盗まれた、当局に捜査を依頼したとの報もありましたが、もうこれも最後のあがきだったのでしょうか。米国にいるポスドクに口止めと思われる3万ドルをあげたとか、出ています。
日本では、関係研究者かこの問題を熟知している研究者の発言を気をつけて探しているのですが、ほとんどありません。不思議です。やっと見つけると、わたくしとしては、共感できるどころか、なにをとんちんかんな事を言ってるのだと、腹立たしくなるような意見でした。
もう一つ感じるのは、このソウル大学の委員会の対応の早さです。明らかになんらかの検査をしてデータを集めて、なおかつ結論を出しています。研究者集団として、立派です。わたくしは、日本の研究機関での捏造問題の対応の遅さをなんども指摘しているのですが、それよりも全般的なdecision makingの遅さのほうがずっと深刻なのかもしれません。わたくしも長年、大学におりしたから遅くなる理由は想像がつくのですが、やはりこうやって辞めて大学の会議に出なくなって、外部の人間になれば、その遅さは痛感してます。
日本の大学にダイナミズムがやってくることはもうないのでしょうか。

こんなことばかり書いてると気分がめいりますが、昨日は第2忘年会、Zでいろいろおしゃべりして面白かったです。
ラボの半分くらいが参加しましたか。この時、大掃除の後でも厳しくラボで仕事をしている人たちもいました。31日、元旦と実験のスケジュールを入れている強者もおります。もちろん、のんびりしてしまう人たちもいますが。一年のカレンダーはこうやって巡って行くのですが、研究のテンポがそれに合ってるわけではないので、研究者が9時5時ワーカーになり、休みにはきっちり休んでいるようでは、なかなか目立った研究成果をあげるのが難しいのは当たり前のことです。

年の終わり、研究室の出身者のことなどを考えめぐらします。どうしているかな、彼等はという気持ちです。ひとり、ひとり、顔が浮かんできます。外国に長年いる人達もかなりいるし、ご両親もお年をめされてきて、本当は、日本に戻れば家族的にはいいのだけれども、どうなんだろうな、と考えたりします。今、一時帰国している人達もいます。やはり家族は大切です。しかし、研究か家族かと二者択一を迫られたら困る人たちがたくさんおられるでしょう。

日本ではいまでもお正月には家族があつまるという良き習慣があります。
わたくしたちは今年は珍しく、元旦は二人だけになりそうです。三日以降に賑やかになるようです。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-29 18:35
2005年 12月 28日

家のリフォーム

今朝もすこし雪が道路に残ってました。
この坂本の家はおよそ30年住んでまして,建物自体はしっかりしてますが,そろそろ大々的なリフォームが必要な感じです。
まず,寒いのです。比良山麓の家のほうから戻ると特に寒さを感じます。わたくしは,この家はそれほど寒いと思わず長年住んでました。なぜなら,京都の知り合いの家などではやたらに寒いのに自宅に戻ると,あったかいのではるかにましだなと思っていたのでした。しかし,比良のほうでは,暖房を消して一日経っても暖気が家の中に残ってるのです。ストーブ一つでも、一日も燃やすと家のすみずみまで暖かく感じるのです。家全体をくるむという発想の勝利です。こちらのほうの家がなければ、こんなものと思って坂本の家に住んでいたでしょう。暖房すれば暖まりますから。しかし夫婦ふたりでも、暖房器具はあちこちに置いてあります。
リフォームしてもこの寒気の問題はなかなか解決できず、結局立て替えでもしたほうが根本的解決になるのかもしれません。風呂,台所,ほとんど使ってない和室などなど問題も色々あります。それに収納がたくさんあるはずなのに,実際には家の中にものが多すぎる印象です。日本中,われわれくらいの年齢の人間は似たような問題を抱えているでしょう。
それでいよいよわたくしも家の根本的リフォームに立ち向かう気になりました。相当な難事業でありまたかなりの発明的センスが必要でしょう。
このあいだ、Iさんが家に来たので,来年6月あたりをメドにお願いすると言っておきました。まず期日を定めて、後戻りできないようにするという作戦です。
それまでに、家の中の無駄のものを出来るだけ減らす,これが第一期のわたくしの目標です。わたくしは、本関係,自分の衣類関係それに写真アルバム整理をすると、妻に宣言しました。これの整理は相当な労力と無数ののdecision makingが必要です。つまり,何を捨てて何を捨てないかを決めねばならないのです。

ただわたくしたちはいままでに二回この家でリフォームをやっています。
最初は7−8坪建て増しをしました。20年くらい前でしょうか。二回目は家の中のリフォームをしています。これは数年前です。予算的にも生活的にもリフォーム中のことは体験的に知っていますから、そのあたりの不安感はありません。結局,あとでやった甲斐があったとすごく満足できるような結果を適正予算でだせるか、これが一番の問題です。
まだ時間があるので,とりあえずは,家の中でなんとか家具のいくつかを不要品にしたいと思ってます。また間取りの大胆な変更も含めて,計画の細部を決めねばなりません。そのうえで、屋根とか壁とか最終的に予算とあわせてプランを確定せねばなりません。
いや,たいへんです。でも、まあライフスタイルの点検でもありますから、やる甲斐のあることだと思ってます。子供たちにも話して,意見を募ろうと思っています。

きょうは、研究室のほうは大掃除です。わたくしは,勘弁してもらって,楽をさせて頂きました。このあと、二回目の忘年会でもやろうかといってます。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-28 17:01
2005年 12月 27日

少子化の行く末 

とうとう日本の人口が減ったと聞きました。朗報だと、わたくしはおもっています。何度もこのトピックスは書いたことがあって、本にまで長々と書いたことがあります。
日本人がいちばん輝いていた時代は安土桃山時代から江戸の終わり王政復古の前くらいまでではないでしょうか。わたくしは、そう思っています。特に江戸時代はすごいです。その頃の人口は三千万人くらいとか、それでも江戸は世界最大の人口だったとか、何かで読んだ記憶があります。
何しろ、今のこの国土に1億2千万人は多すぎるし、本当は5千万人以下でもいいと思うのです。ただ人口の急激な低下が、短期間で起きると社会体制的にたいへん具合が悪いので、人口減でなおかつ維持できる社会ににどう軟着陸するかです。
しかし、どうなのでしょうか、田舎では過疎ですから、人口が多すぎるという実感はないでしょう。もうすでに未来を先取りしていますね。いっぽうで首都圏の人の多さにはほとほと疲れます。ただ、わたくしなどは人の少ないところにいても生活基盤があるのでいいのですが、若者にそんなことは言えません。かれらは一部を除いてどうしても人のある程度たくさんいるところでしか、生活基盤をつくれません。首都圏の人口を無理矢理減らして、あちこちに中堅都市をつくってもなかなかうまくいかないのでしょう。首都圏や、京阪神などの大都市での人口減少が、そのうち話題になるのでしょうか。それは、長いこと日本人は経験してないことですね。
昨日話題にした30歳位の人たちはたぶん同年齢が200万人くらいいるのではないでしょうか、ところがいま年間の新生児は百万人くらいとか、次の30年後にこれが50万人くらいになったら、たぶんその後に急激な人口低下現象が起きるのだと思います。
体重を減らすのに、ダイエットして、適当な体重になったとおもったのに、どんどん体重が減り続けて、パニックになるようなケースになるかもしれません。
やはり現在政府が考慮中の政策的な少子化対策が必要なことはまちがいありません。
そもそも今の日本は子供を作っても、なにか優遇措置が格別にあるとはおもえません。
それで老人福祉にまわしていたお金の一部を幼児というか幼児を持つ親というか家族にまわすというような、流れなのだそうです。多分、強い反対はどこからも出ないでしょう。消費税の増加の布石でもあるでしょう。
確かに、老人に対する優遇措置がこれだけあるのに、子供をもつ親は元気づけられませんでした。優遇措置が顕在すれば、少子化傾向が幾分はくい止められるでしょう。
でもどうでしょうか、やはり人口は減らざるを得ないし、政策だけでこの流れを止めることはできないとおもいます。
子供を二人、三人どころか、四人でも平気という感性を持った、若い男女がたくさん出てこないと、むりでしょう。そのためには、狭い家でも平気とか、かなりタフな人たちでないと無理でしょう。お金持ちが子沢山というのはありえません。
政策も大切ですが、文化的にも社会的にもかわらないと少子化を止められないでしょう。昔、貧乏人の子沢山とか言う言葉がありました。これ、真実味があります。
これまでの一億総中流時代では、少子化は必然だったのでしょう。
多数の下流と少数の中流と上流という社会がもしも日本の未来像なら、そして子沢山に多額の優遇措置を払えば、あんがいおもしろいことがいろいろと日本の社会でも起きるかもしれません。

実は、生命科学技術には生殖に適用されると潜在的に人口増に向けてパワフルなものがありそうです。しかし、妊娠しやすくするような技術を、多くの正常な人々が利用すれば、おおきな問題が起きるでしょう。少子化対策もあまりやりすぎると、問題がおきることはまちがいありません。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-27 19:18
2005年 12月 26日

ホリエモンさん世代の動向 今年、日本人は何を学んだか その2

昨夜は、晩飯に突然思い立って、京都の地方裁判所のそばにあるスペイン料理を食べに遠路行きました。クリスマスディナーなるものを妻と食べました。また出かけてもいいかな、という感想です。良心的でした。

さて、今日は昨日の続き、今年日本人は何を学んだかの、その2です。なおここでいう日本人にはもちろんわたくしも入ってるというか、自分も平均的日本人のひとりの範疇には入ると思って書いてます。
やはりホリエモンさんに象徴されるものを論じたいです。

好きでも嫌いでも、ホリエモンさんのような人が日本に出てきたのです。33才で超大富豪です。大富豪なんて古くさい表現ですが、他に言い方を知りませんので。この人の企業拡張意欲というのもなかなかすごいようですね。まだまだ大きくなるのでしょうか。自家用飛行機を持ってるとか、自分の会社の株も一株でも買えるとか、経営者として型破り、たくさんの話題を作りました。スタイルの透明性において、新しいタイプの経営者であり、多くの若者のアイドル的存在に違いありません。しかし、年齢の高い人たちからは拝金的とみなされるかもしれませんから、反撥も相当あるでしょう。

わたくしが、着眼してるのは、この世代の人達の生活と意見と、この世代の人たちがどこまで日本を変えていくのだろうかという、素朴というかナイーブな疑問です。

いま30才から33才くらいの世代では、他にイチローとか松井秀喜選手とか光の当たってる人達もいますが、一方でいわゆる引きこもりの若者たちが出現してきた世代でもあります。引きこもりを15年以上続けてる人もいるはずです。また、就職氷河期も経験した世代です。
漫画の読みすぎを親に叱られた世代の後で、ゲームをやりすぎてはいけないといわれた始めての世代のはずです。ソ連が崩壊したのが15年前として、十代後半でイデオロギーに頼って生きることが完全に不可能になった世代とも言えます。
もちろんIT情報をいち早くものにしてそれにのめり込んだ若者がたくさんいました。その代表的成功者が堀江さんでしょうが、別に成功してなくても、同じような体験をしている若者たちがたくさんいるはずです。
この世代にはこれといってなにも「規範がない」というのが、研究室でこの世代のひとりであるN君の発言でした。特に信じるなにかを持たないというのでしょうか。
しかし、世の中の変化を敏感に感じてるようです。わたくしの娘と長男もこの世代に入るのですが、こういうことをあまり論じたことはないのですが、それでも時代の変化を敏感にかんじてるようです。ライフスタイルみたいなものが、規範の一つになってるような気がします。
この世代の多くはまたいわゆる団塊ジュニア的なので第二ベビーブームとかで人口も多いのですね。それで、マーケット解析の標的になりがちです。とうとうわたくしも下流社会なる用語で、日本の現状がマーケット的用語と概念でかなり説明できることに気がつかされて、愕然としたわけです。まさにグローバル化(地球化)の起き出した、日本での第一世代なのではないでしょうか。世代内でかなりの選別が起きたり、流動的になるのは当然でしょうか。

わたくしは結局、この世代がこれからの日本を先導していくのだと思ってます。適応能力に問題があって引きこもってしまった人達もいますが、この世代はそれなりに幼少の時からIT革命を始めとしていろいろな激動を通過してきているのです。そして、彼等の後に、大なり小なり似たような考えをした若者が続くのではないでしょうか。20代前半から30代くらいまで世代の激しいギャップがないように見えます。

なるべくわたくしもポジティブに見たいのですが、気持ちのやさしい若者がたくさん生まれてきている気がします。町中で年寄りや障害者を助けようとする若者は確かに増えてます。いっぽうで「切れる」という表現もこの世代が成長する過程でだれでも知っている言葉になりました。感情の持ち方としても、日本人として新型が生まれてきているのかもしれません。
わたくしのような旧型日本人は、この30歳前後の若者にやはり期待すること大です。どんどん目立った人たちに前へ出てきて欲しいと思っています。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-26 18:59
2005年 12月 25日

今年、日本人が学んだこと

年の瀬です。
師走ともいい、平素は走らないような「師」も走ってしまうくらい忙しいのが古来からの習わしなのだそうです。新春にはのんびりして先のことをゆっくり考えたいからでしょう。しかし、さいきん、「師」をつける職業もだいぶ増えたし、平素から忙しそうな職業が多いので、師走はもはや実感がありません。
さて、ここで今年を振り返るとやはり「災害」がキーワードの一つになるのは間違いないですね。しかも、その上に人が付くような、人為的災害が多くなりました。社会の中に、災害を起こさないような、大切なモラルというか、わたくしなりにいえば「社会の芯」が細ってきた印象を強く持ちます。本当に、こわいことです。

最初の頃の姉歯氏の表情とJR西日本の大事故の直後に出てきて、JRが被害者かのように発表した二人の表情が、ことしの二つの代表的表情でした。かれらを個人的に誹謗するのではなく、まさに職場での日常的な考えが、大事故というか大事件化したときについ出てしまったと受け止めました。
ほかでは、幼い子供たちや女性が殺人の被害者になることが多く、日本は女性や子供にとって、本格的に危ない国になってきつつあるとの印象を持ちました。

しかし、今年起きたことで、印象の最も強いのが、なんといっても中国との関係がどんどん悪くなって来ていることしょう。経済はまだまだ残ってますが、それ以外はほとんどすべて政府間レベルでの良いことは無くなりつつあるという印象です。
中国政府は不退転の決意で日本を徹底的に叩こうとおもってきていることは間違いないようです。韓国との関係はもうすこし複雑なので、同列には論じられませんが、中国政府はルビコン川を渡ったな、というのが印象でした。
小泉首相の靖国神社参拝を理由にしてますが、それでは次の首相が参拝を止めて、関係が劇的に改善されるとは、日本人の誰もが思わなくなってきたことですね。そのようなことを、多くの日本人は今年しらずしらずのうちに学んだのではないでしょうか。特に若い世代を中心に。劇的に良くなるとしたら、中国に日本が完全に屈服してひれ伏すような状態なのでしょうか。
中国側の読みがなにに基づくのかはよくわかりません。台湾を武力侵攻しても独立を妨げると、はっきり宣言しているのですから、日本が台湾寄りになったら、冗談でなく中国は日本を武力の対象にすると公に言い出すかもしれません。
ちょっと前なら、このような事をいえば笑い話に近かったのですが、今の日本人、特に若い人達を中心に本気に武力的な争いが、日中間で起きても不思議でないと思う人達が、増えているのでしょう。しかも、日中間で紛争がおきても、米国はなにも介入しないだろうという判断をする日本人が増えていることも事実です。仲裁くらいはしようとするでしょうが。

結局、日本人が今年学んだことは、中国も米国もあぶない、ということのはずです。米国が必ずしも、日本のことをそれほど考えてないことはニクソンショックというかつての経験もありますが、米国の指導的ジャーナリズムはどちらかというと親中であって、決して親日ではありません。

かたや、日本を攻撃の標的にしているし、もういっぽうも日中の紛争は武力レベルでも知らんぷりする可能性が高い、こういう状態に日本が置かれていることは、中学生レベルの思考でもすぐたどり着いてしまいます。

どうすればいいのでしょうか。日中以外の外国では、日中関係悪化について、日本が分が悪かったです。欧米のインテリと話せば、即座に日本は中国にたいして、謝り方が本気でない、中国の言うとおりだと、98%くらいに言われてしまいます。むかし、日本人はクジラを食べてけしからんと言われたときのように、四面楚歌的なので、わたくしはあきらめて、この件はあまり議論しないようにしています。議論しても無駄だからです。彼等は、たいした知識がないし、靖国神社がなんであるかもしらないし、そもそも日本がどのような宗教的バックボーンの国かも知らないし、どんなに話しても日本人の肩入れをする人達が増えてくるとは思えません。それに引き替え、中国ははるかに日中間の対立では圧倒的に正義と同情をかちえているのです。

しかし、日中間の対立はすでに世界的によく知られた事実になりました。しかも、日本国民のあいだで厳しい国論の分離がないことも認識されてきました。中国政府公認の激しい反日デモのおかげです。
理由はなんであれ、日本国民の多くが中国政府の言いぐさはあまりにも一方的であると感じだしてきているのです。日本は100%悪い、中国は100%正しい、たぶんこのような態度で中国側が日本に接してきていることに、この問題で日本人の多くがそれまでの中国善玉論同情論から離れてきて、日中間についてすくなくとも内省的になってきているのでしょう。
かつての中国の偉大な指導者毛沢東が言ったように、反面教師の存在は素晴らしい、日本人にとって、自分はすべて正しいという人間は大抵鼻つまみ者になっています。中国問題について、反面教師が中国政府になってきたのです。
われわれの国の政治的指導者、小泉首相が支持率がたかいのは、姿勢を低くしながらも、自らの信念を貫いているからでしょう。小泉首相が靖国神社に行くことについて国民の意見はおよそ半分ずつに分かれていますが、これも健全でしょう。わたくしも個人的には行くべきでないという意見です。でもこうなったら小泉首相は行かざるをえないし、政治的に行くべきなのでしょう。しかたがありません。
日中間は来年どうなるでしょう。
わかりません。ただ、中国政府の出方にかかってる部分が大きいように思います。中国政府の読みは時間の経過とともに明確になってくるでしょう。
ひとりひとりの日本人にとって、中国をどう考えるか、そして、米国との関係をどう考えるか、これが真剣な問題であることを、今年は強く感じたのではないでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-25 16:44
2005年 12月 24日

たばこをいかにして止めるか

アスベストや米国産牛肉にこれだけの高い関心を持っている、同じ識者や国民のかたがたが喫煙にむけては関心が低いのはほんとに困ったことです。

わたくし自身たばこを止めてもう25年くらい経ちますので、今更なのですが、しかし世の中には家族の誰かを止めさせたいと願っている人達はまだたくさんいますね。ですから、たばこをいかにしてやめるかは、社会的にかなり大切なことです。

アスベスト被害とどこか一致しているのは、副煙琉という傍にいる人がたばこの煙を永年吸えば被害がおこるのです。たばこを原因とする、肺がんもそのひとつですが、種々の病気になるということです。このあいだ仰木監督が肺がんで亡くなったということでしたが、監督はたばこをまったく吸わないということでした。しかし、お酒のほうは大好きだったと聞くと、わたくしなどはつい副煙流効果を考えてしまいます。わたくしが碁をやめたのも、飲み屋に行く回数が減ったのも、たばこを一度やめると傍にたばこを吸う人がいる場所に行く機会は減っていきますから。

まず職場での喫煙が禁止となるのが一番です。職業人なら、これがいちばん効果的です。かなりの人はこれで喫煙習慣から脱落するはずです。勤務時間にたばこを吸いに建物の外へ出れば、その時間働いてないわけです。一本あたり5分としても10本で一日約1時間職場を離脱してるのです。軽侮と非難に近い目つきで同僚に見られている(ような気がする)なら、しめたものです。プライドの高い人ならだんだんやめていくはずです。
周囲で吸う人がほとんどいなければ、やはりたばこも止めやすいものです。
周囲ですぱすぱ吸ったり、吸うのを勧められる環境では、やめたいと思ってもなかなかやめにくいものです。家庭や職場の通常の往復で誰も吸わない、もしくはほとんど吸わなければ、禁煙環境としては理想的でしょう。
やめようと決心するときは、止めようと思うのでなく、もう今後一生吸わないとおもうのが良いみたいです。毎日吸っているのに、もう一生吸わないというのは悲壮な決意のように感じるはずですが、それくらいの決意でないと、なかなか麻薬ニコチンとの決別は難しいのです。
止めようと思う動機は、健康とか家族とか職場での雰囲気とか色々あるでしょうが、案外自分が惨めというか哀れになってくるのがたまらなくなってくるのが効果的なような気がします。
わたくしの場合はこれでした。海外での旅行をすると、友人の家に呼ばれたりしたときに、たばこが吸いたくてたまらなくなることがよくありました。でも吸えません。そういうときは、談笑したりしていても、あとどれくらい時間が立てば、ホテルに戻ってたばこを吸えるかなどと、そわそわしてきました。そんな風に考えてる自分がいやになってきたものでした。わたくしの研究分野では70年代半ばでもうすでに例外的な人しか吸ってないのが米国の状況でしたので、そういう意味では、米国研究者のおかげでわたくしも早々とやめられた方でした。
しかし、30代半ばから禁煙にチャレンジして、数回失敗しています。一回は3年禁煙が続いたのに、そのあと戻ってしまったこともありましたので、自分では禁煙のベテランと思っています。
禁煙の最初の数週間は、吸いたくなったら決して味のある飲み物を飲まずに、単に水を飲むのがいいようです。たばこを止めてしばらくすると、お酒を飲むとやたらに酩酊した記憶もあります。つまり、たばこを飲んでる時間でアルコール量が抑えられていたのでしょう。それから、体重も増えがちです。これを乗り越えるためにも、水がいいようです。一日になんべんかすごく吸いたくなる時間帯があるので、その時間帯をいかにやり過ごすかも大切なのです。
もう一つ、よく勧めているのは、たばこ購入に要している月額の30から50%を増やした金額をそれまで我慢していた趣味にまわすのもいいようです。
わたくしは、たばこを止めてからCDをたくさん買うようになりました。

外国の友人ではニコチンパッドで止めた人が割合いますが、日本では知りません。
大げさに感じるのかもしれません。しかし、喫煙は一種の病気と思ってしまうのがいちばん楽で、いいのかもしれません。ですから、医者に相談して止めるというのが意外と精神的には楽かもしれません。
仲間で一緒にやると、止められるという人もおられるようです。禁煙グループを作って、互いに励まし合うのだそうです。

ご家族で、たばこをどうしても止めさせたいと思う人がおられる場合、やはりその人にいちばんむいた方法で止めるのがいちばんいいでしょう。

ここで夕食をとるべく新聞を見ましたら、朝日新聞の視点に米本昇平さんがES細胞疑惑について、この事件は弾劾するのでなく、黄教授の人柄と立場、韓国社会の事情などを考慮すべきだと、言ってます。ちょっと違うのではないかと読み進んでみると、さいごには「韓国社会の基層には、先端医療でも早く超一級国になりたいとする情熱が流れている。黄教授はその犠牲者だと思えてならないのである。」と結んでました。途中には黄教授が母子家庭で苦学したことなどのエピソードなどもあり、黄教授が国家的な期待と圧力からこのような事態をひきおこしたと、書いてあります。
ここには、捏造データを出している研究者に対する怒りがまったく感じられません。しかも、ファン教授が大変な権力者にのぼりりつめ、多大な研究費をつかっていたという研究者としての「酒池肉林」的側面もまったく考慮されてるようには思えません。そもそもファン教授がなにかのシステムの犠牲者なら、すべての悪事を行う人間はなにかの犠牲者的側面があることは明白であり、科学の世界での捏造問題を真剣に論じなければならないときに、このような意見がわが国を代表する新聞ででてくるのは真に驚きでした。
他に意見を言う研究者はこの問題についていないのでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-24 20:09
2005年 12月 23日

日本の場合

きのうから雪がかなり降りましたが、坂本から比良山麓まで来てみると、なぜか積雪量が少なめな感じがしました。家の屋根にも雪は残ってないし、不思議です。ただ最後の100メートルは車通過がゼロだったので、10センチ程度の新雪上をゆっくり、ゆっくり進みましたが。

ファンウソク教授の経緯はため息がでます。最悪に想定されたコースを歩んでいる印象です。本人が辞任を申し出たと報道がありました。ふたつの胚性幹細胞が11個に水増しされたということは、確実なようです。さらに、そもそも二つの細胞が本物なのかどうか、患者のDNAとマッチするのかどうか、それはこれから調べるというのがソウル大学委員会の結論だそうです。他にもかなり広範囲な調査を行っており、それらの結果次第で、本人の申し出た辞任とは別に、懲戒的な処分が起こる可能性が濃厚です。

先日も書きましたが、韓国はダイナミックですね。ことの動きが早い。ソウル大学の委員長の声明はある意味で調査の途中経過なのですが、これが全世界に報道されているわけで、そういう意味で、対応が非常に早く効果的です。これまでこの問題について、韓国の大統領から庶民までの国全体でファンウソク教授を熱狂的に支持するムードに対して批判的であった科学者や科学ジャーナリズムの懸念を払拭する、非常にポジティブな意味合いがあります。
しかし、まだまだこの事件は進行中です。全貌が理解されるにはまだまだ先の話しです。ただ期待が持てるのは、この韓国のいさぎよいダイナミックな対応で、同時進行的に事件の推移と検証が理解されることです。

それに引き替え、日本の現状はどうでしょう。少子化や人工減少のことも問題になってますが、そちらよりも気になるのは、日本の体質になりつつある、なにごとも進行が遅いことでしょう。なにしろ社会の全般でのデシジョン(決定)の遅さではいまや日本は世界一だとわたくしは思います。やはり老大国になったのでしょうか。

ですから、研究の捏造問題にしても対応が遅くなるのは、特殊な現象ではなく、日本の社会全般にある遅さの問題でしょう。
それに、途中経過の報告がないのは、日本ではそれを要求する度合いが低いのですね。
大阪大学では、捏造問題についてすでに研究科の教授会レベルでは結論がでて、二教授に懲戒的な処分をするよう大学本部に申し入れがされてるようですが、マスコミも一紙しか報道しないなので、なぜか静かに決着を待ってるという、不思議なムードになってます。
わたくしもこの阪大のケースを論じたいのですが、確認されてない情報なので、議論しにくいのです。東大のケースは、RNA学会の指摘通りであれば、悪質のようにわたくしには思えるのですが、これもたぶん非常に長い経過をたどりそうな気がします。外国から見ると日本では何が起こっていて、どういう倫理観でことが定まっていくのかがさぞ分かりにくいでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-23 19:07
2005年 12月 22日

単一細胞の化学

昨日ちょっと、書こうと思っていたことです。

化学のきらいなひとがわたくしの研究室には群れてます。嫌いというよりは、そういうことを考えたことがないという人達です。
わたくしはたいへん好きでした。
いまでもおりおりに化学的なアイデアだそうだそうと、思っています。ただラボ内におしゃべりする人がわずかしかいません。

しかし、物の性質を知ろうと思ったら、化学をやらねばなりません。
そこで、単一細胞の化学などというと、化学嫌いな人も、ちょっと目が光ってきます。
つまり、1個の細胞を対象として化学をやるということです。ちょっと夢物語のように聞こえるかもしれませんが、かなり現実的な研究領域です。
チップとかmicroarrayとか微小な試験管が扱える時代ですから、極小の試験管と極小量の反応液をつかって、1個の細胞を使って、化学実験が出来るのです。
自分の手を使いませんから、実験のうまい下手もありません。
小さな穴の中に細胞をひとつずつロボットのような物を使って入れて、細胞をすりつぶせば、一個一個の細胞の性質をしるための、化学実験ができます。別にすりつぶさなくても生きた状態での性質を調べることだって出来ます。

いっぺんに10000とかそれ以上の細胞をひとつずつ調べることも可能です。
最初は簡単な性質を調べるのでしょう。

これに時間軸をかなりはやいものにする、つまり秒とかそれ以下、たかだか分くらいにすると、細胞のもっている揺らいでいる性質が1細胞のレベルで分かってきそうです。

だいたいわれわれでも、ふらふらするように、細胞の性質もふらふらしてるのです。ふらふらによって、いろんな大切な生き物の性質が生まれるのです。たくさんの細胞を、平均しては、そのふらふらぶりが見えてきません。個々に見ないと、個性も分からないし、一個の細胞の性質の変動もわかりません。

そうなると、測定機器が問題です。化学反応はモルという単位を基礎にしてますね。しかし、1モルというのは6x10の23乗とかいうとんでもない数の分子があって始めて到達する量ですね。ナノモルとかいってもまだ天文学的な分子数を扱ってるのです。ところが細胞の中にある少なめの分子は1000とかそれくらいの少なさ、DNAになったら1つとか数10、とかそんな数しか分子というか反応サイトがないようなものです。ですから、これまで化学者が得意にしていないむしろ分子生物学者が出来そうな化学なのです。

一個の一個の分子をカウントする、測定機器はありふれた物も含めて、もうすでにあるのですから、野心的な若者のような気分にさえなれれば、わたくしでも参入出来そうな分野なのが単一細胞の化学なのです。

そういうわけで、細胞一つ一つに化学のメスが入る時代がもう目の前だということを書いておきました。

by yanagidamitsuhiro | 2005-12-22 18:28