生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2006年 01月 31日

BSEおよび京大学生不祥事について

ここ何日か、一階への移転作業に伴って、塗装工事がありまして、シンナーのような強い匂いが建物内に立ちこめてます。質量分析のデータにコンタミが入って困る、とO さんがぼやいてました。
樹木の移転がすみました。一本は楠のように見えるのですが、見事なものです。もう一本は銀杏でしょうか。木が二本移転したので、我々の建物の汚さが百万遍交差点から丸見えですが、しかたないです。ともあれ、これら二本の木の命が続いたこと、たいへん嬉しいです。
今の政局の三点セットのうち、BSE問題についてちょっと意見を述べようと思います。BSEとはBovine Spongiform Encephalopathyつまり牛海綿状脳症のことで、この牛の肉とくに脊髄部分などを食べると、高い確率でこのプリオン病に「感染」するわけです。もちろん非常に怖い病気でなりたくない病気のトップに来てなんら不思議はありません。日本人がひとりたりとも牛肉を食べてこの病気にならないようにする、努力はもちろんいいのですが、マスコミなどでみるものすごい剣幕での行政や関係者の手落ちを責めるのを聞いてると、なぜか違和感を感じてしまうのです。
またまたしつこくて申し訳ないのですが、たばこの害で死ぬ人は毎年何万人もいるでしょう。がんで死亡する人は日本では毎年30万人いるのですが、そのうちの少なく見積もっても20%はたばこが無くなれば減るだろうと言われています。ただ、たばこの害は感染症と違いますので、この人と特定出来ません。それでいまだに日本では、たばこの害について、BSEのケースのような剣幕で追求する国会議員もマスコミ族も居ません。
車の事故で死亡する人が毎年約1万人いますが、だれも自動車会社を非難しません。それでは、毎年日本では3万人の人が自殺をしますが、これはどうなのでしょうか。自殺の多くは、心の病が原因です。心の病の発生の原因の多くは、なにかの人為的原因、つまり社会的原因があると考えられます。3万人とはとてつもない数ですが、これを減らそうと言う努力が、このBSE問題に向かうくらいのエネルギーになぜならないのか、これもわたくしにはよく分からないのです。やはり、口に入れる食べ物の恐怖ははるかに大きいのかもしれません。それとも自殺は人ごとなのでしょうか。
毎年、お餅を喉に詰まらせて死ぬ人の数もたいへんなものだと聞いてます。ふぐの毒の部分を食べて死ぬ人も無視できない数だし、アレルギーのある食べ物で命を落とす人もいると聞きます。しかし、日本人のBSEに対する恐怖心はそんなものとは、桁が違うようです。その恐怖はもちろんうそ偽りのないものとして受けとめるとして、それで、他の人為的原因で死ぬものにたいする奇妙な無関心(とみえる)原因はなんなのでしょうか。わたくしも日本人のひとりですが、そのあたりがよくわからないのです。
わたくし、子供の頃に江戸川乱歩の子供向けの本で、ペストというのが、最もおそろしい病気という記述があり、その死に方にゾッとして、一番怖い病気はベストと、長いこと思ってました。やはりおいしい牛肉がもしかしたら、自分の脳をスポンジ状にしてしまうと思うと、食べたくない、こういうことになるのでしょうか。英国では相当の青少年がBSE事件後菜食者になったと聞きます。日本ではそれはないですね。

ところで、京大アメフット学生の強姦事件ですが、学内でもいろいろな動きがあるようです。わたくしは、正規教員ではないので、学生などと同じ程度の京大ホームページでの情報しかありません。ただ、若い人がいうには、水野監督はインタビューで深夜までそういうところに居た女子学生にも責任があるかのようなことを言ったそうですが、ちょっとそれは違うのではないかなと思いました。それだけ、友人として信頼していたのではないでしょうか。女子学生でも酒を飲んで羽目をはずすことはあってもこの時代不思議でありません。酔いすぎて寝たところに乗ずるというのはひどいと思います。
また被害者の女子学生が京大生かそうでないかでも大きく事件の意味が異なってくるのではないかと思いました。新聞で読んだのでは、女子学生が友人だと思っていたのに、ひどいことをされたという、記事がありました。男女の学生が、友人としてお互いを信頼していたのに、という背景だったら、どうもほんとにおぞましい出来事です。
総長名での掲示では、放学処分もありうるということですが、放学というと、たしかに学生からみたら厳しい処分なのでしょうが、なにか社会から見たら、この加害者学生を単に放り出すという感じで、これも違和感ありです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-31 17:53
2006年 01月 30日

歩け歩け

旧の正月の頃(中国では春節というのですか)になると、なんとなく空気がぬるみだして、体を動かしたくなります。最近週末以外の運動不足強く感じてるので、歩け、歩けの心境です。
先週はなんべんか、大学から三条通りまで歩きました。時間的には30分弱、丁度よいくらいの距離です。
構内を抜けて、正門から東一条の通りを横切って総合人間の構内の塀に沿って外側を南下して、近衛通りをわたってからもかなり細い道を歩いていくと、蕎麦の河道屋と聖護院のあいだを抜けて、その後がちょっと分かりにくいのですが、駐車場を抜けていくと、丸太町通りのハンディクラフトセンターのわきに出ます。そこから先は、疎水わきの通りをいけばじき仁王門通り、そして三条通りです。車が通れないか、通れてもほとんど交通量がないので、気分のよい歩きとなります。
歩くと分かるのですが、下り坂ですから歩もどんどん進みます。逆に東山三条から歩き出すと、ゆっくりとはいえ登り道なことに気づきます。道中格別に面白いところもないし、それに飲食店もコンビニもにもない通りなので、人気がありません。
くらいところから、かなりお年をめされた感じの人が家の中から突然出てくるくらいです。一軒お風呂屋とおぼしき「温泉」と看板が出ているところがあり、両隣がマッサージとかあんまなどと看板があるのですが、まだ人の出入りを見たことがありません。
通るのは夜8時以降が多いのですが、人気のない畑とか野原だと寂しいでしょうが、大都市の一角だしそういうことはありません。ただ、岡崎公園あたり以外は、人家が隙間なくびっしりと建ってるので、人がみえないのが不思議なかんじです。

なんとなく人が懐かしくなる道中です。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-30 17:49
2006年 01月 29日

助けつつ邪魔をする

きょうはうらうらとよい天気でした。午前に前から頼まれていた論文をひとつ読んでリポートをだいたい書きました。後でもういっぺん読んでから、送りましょう。

昼頃に妻と比良山麓のほうに向かい、途中でよく食べるそば屋により昼食をとり、けさの読売新聞を見ましたら、中曽根元首相の論説がありました。皇室典範の改正は急ぐべきではないという意見は同感ですが、女系天皇はいけないと言う意見、分かるような気もするが、同感とはいえませんでした。もう少し、時間をかけて考えてみたい問題です。
中曽根元首相は終わりのほうで、注目すべき意見を靖国参拝問題で述べてました。つまり、靖国神社に天皇陛下が参拝できるように神主は真剣に考え直すべきだという提言です。戦争で死んだ軍人の多くは陛下のために死んだのであり、天皇が参拝できるように靖国神社は努力すべきだと言うのです。これに、わたくしは、はっとしました。中曽根元首相の指摘する通りです。首相参拝は、今もかつても、もっとも重要な問題ではないのです。天皇参拝こそが、もっとも重要な課題ではないか。戦争で死んだ人達は天皇陛下の参拝を最も望んでるでしょう。卓見というか、ある意味でコロンブスの卵的な正論だと思いました。小泉首相が参拝しても、陛下が参拝されなければ、戦死したひとたちにとって、ほとんど意味がないのかもしれません。そういう意味で、それを出来るようにするのは、靖国の神主の権限の範囲ではないのか。そもそも陛下が参拝出来なくなったのは、靖国神社神主がA級戦犯を合祀した以降なので、その時代に戻さざるをえないのではないか。元首相の論旨は明解に思えました。

さて、きょうはタイトルにあるように、助けながら邪魔をするという、コンセプトにちょっと触れてみます。この場合、助けるはむしろ扶けると書いたほうが適切かもしれません。もう長いこと、研究しているあるタンパク質はこういうヘンな働きをしているのです。パートナーとなる別のタンパク質に結合しているのですが、結合はパートナーを助けつつ、なおかつパートナーが働けないように邪魔する、阻害するといってもいいのかもしれません。そんなふうに働くのです。助けながら邪魔するなんて、ずいぶん変な話しだと感じるかたもおられるかもしれません。
いつもいつも邪魔をしてるかというと、そうではなく、パートナーから離脱する時期があります、離脱すると壊されます。というか、壊されると離脱すると言ったほうが正確かもしれません。この邪魔しつつ助けるタンパク質の結合から自由になると、パートナータンパク質のほうは自らの本来の働きを果たせるのです。
それじゃ、助けてるというのはどういうことなのか。パートナーのほうはそれだけではかなり不安定で、助け役のタンパク質がないと、壊れやすくなります。そういうわけで、いつも助け役に結合してもらってないと、不安定なのです。その本来の働きも、ごく短時間発揮できればいいので、大抵は助け役に結合して安定化され、なおかつ、その本来の働きも邪魔されてるのです。

ここまでのはなし、擬人的に理解しようとする人もいるかもしれません。わたくしも研究の過程では、いろんなことを理解するために、無意識のうちに擬人的に考えたりすることがよくあります。

パートナー分子の本来の働きは、平素は細胞にとって毒というかあっては困るので、しっかり邪魔をしてないといけないらしいのです。ですから、毒性発揮を邪魔することにたいへん意味があるのです。細胞の側わからみれば、そんな毒が長時間あっては困るのです。それで、短時間で毒性が失われるように不安定にしているのでしょうか。そうなると、この助けて、邪魔をするとという役割の、助けてというのは、本来不安定なパートナー分子が、ごく短時間大切な働きをする瞬間のために、その能力を抑え込むことと一体的な働きのようにもおもえます。
この助けつつ邪魔をする分子を壊す仕組みはとても複雑です。いろいろなタンパク質がこの分子をあるタイミングでしっかり壊せるように働きます。

わたくしは、その仕組みにとても興味をもっているのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-29 20:21
2006年 01月 28日

なぜデータ捏造をするのか

わたくしは若い頃(といっても50才くらいになるまでは)は研究の世界でのデータ捏造事件などにはゴシップとしての軽い興味くらいしか持ちませんでした。そんなことをしてもしょせんすぐに分かってしまうし、そもそもほとんど例外的な出来事なので、真面目に興味を持つほどのことはないと思っていました。
ところがそのような考えではすまされない出来事(事件といってもいいでしょう)に遭遇していらい考えが変わりました。そしてデータ捏造は人間的に深刻な問題を提起するし、そもそも捏造をする人間の心理をそれまではぜんぜんわかってなかったのではないか、と反省したものでした。
そのことを詳しくここで書く気持ちは今日はないのですが、そもそも捏造をすることをちょっとした心の迷いでやってしまったような「性善的」解釈では事の本質にまったく近づけないのです。捏造をする人間は、「確信」してやってるのでしょう。捏造する人間を見つけて、本人の更生を迫り、本人も反省しなければ、一生そのような捏造行為を続けるだろうということです。
つまり、データ捏造というかたちでしか、科学に参加できない心的傾向を持った人間がいるということを、知らなければいけないのです。なぜそのような事をするのか。いろんな理由があるでしょうが、捏造を助長するような研究室の雰囲気があるに違いありません。しかしたぶん一番の理由は捏造が「成功」への一番の近道と確信してる人間がいるのです。

しかし、そうは言っても研究の世界に入ってから、最初の日からデータ捏造するのではなく、ある時それに近い行為をしてるはずです、その時ラボの中で発見されるか、もしくはその結果が誤っていることを指摘され、正しい実験をおこなわざるをえないような状況であれば、そのような素質をもったひとも、データ捏造をしないですむのではないかと思います。
つまり、「性悪説」に立って考えた方が、データ捏造問題は理解しやすい対応しやすいのです。稀な出来事ではなく、気をつけないと相当の割合の人がデータ捏造をしかねない素質を持って、科学の世界に入ってきてるかもしれないと思うべきです。ですから、データをきちんと解釈できないラボは、捏造者が生まれる温床です。
一般的にいえば、データを好意的に解釈するのは禁物です。あくまでも客観的に、しかもなおかつ恣意的な要素が入る可能性を研究の現場から排除すべきです。ひとつのきれいなデータがあってあることを指し示していても二重三重にデータの厚みを増やさなければなりません。場合によっては、研究室の別なメンバーが実験に参加したり、支持する結果が出るかどうか調べるべきです。わたくしは処理しすぎたデータを持ってこられるとよく注意します。生のデータを見たいと。研究室のボスが、捏造データを発見出来ないのは、たとえ無実とはいえ、その無能力ぶりは責められなければいけません。捏造者が極めて巧妙にデータを偽造している場合以外は、研究室主宰者は捏造論文の発表の罪から逃れるののは困難です。

こんなことを書いてきたのも、東大の多比良教授のグループの一連の疑惑の論文についての、東大の報告についての記事を見ての感想です。
まず「性善説」に基づいての、調査をなぜしたのかという疑問です。たぶん、データ捏造問題に経験のある、第三者が研究室での全メンバーの実験データの記載、保存法、試料の保管状態などを調査し、さらに研究室のメンバーとのインタビューを詳細に行えば、かなり正確に捏造データが生まれるラボ環境かどうかは分かるはずです。それをデータの信憑性を本人達に任せていては、どれだけやっても不透明な結論しか出ないと思うのです。疑いをかけられて、それを晴らす事が出来なければ、完全に黒というのが捏造に関するルールでしょう。
ただ東大は、すでに研究室の大学院生など全員が多比良研究室を去ったということなので、実際的な対応はかなりしっかりやってることになります。事実上、研究室は閉鎖状態なのでしょう。しかし、教授と川崎助手は残っており、今後どのような処遇をするのか、大きな問題がまだ解決せずに残ってるようです。さらに筑波にある産業技術総合研究所には大きな研究室があるということです、そちらの調査、対応はまだまだのようです。

多比良グループの研究成果は筑波大学に研究室があった初期から注目されていました。それで、いち早く共同研究を申し込んだり、短期ラボに滞在経験のある人達がおり、わたくしはそのような経験のある人達(複数)から、どうも怪しい、不可解な事が沢山ある研究室で共同研究はとてもできないという話しを聞いたことがあります。たしか、7,8年前だったような気がします。もっと前かもしれません。それ以降、このグループの成果を聞いたときにわたくしの最初の反応は、それらは他のグループが支持する結果を出したのですか、というものでした。しかし、一方で、成果をもてはやす有力研究者や研究費交付機関があったことも事実のようです。確かに本当だったら面白いのでしょう。この研究室の論文のレビューアーはどのような実験をやれといっても、しっかりそれに沿った新たなデータが付け加わって、再投稿されるので、拒絶出来ないと聞いたことがあります。
噂はそのごもずっとあったわけですが、早く調査が入れば、何も知らずに研究室に入り、気の毒な事になった若い人達がでないですんだのでしょうが。
大阪大学医学部での捏造事件はその後なんの報告もありませんが、どのようになっているのでしょうか、これは東大の場合とはまた状況がかなり異なるので、大学の対応が注目されます。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-28 18:22
2006年 01月 27日

京大生の不祥事

今日のポスターセッションで、ある若い人の研究内容を聞いていましたら、終わりに先生のブログ見てます、あのCut物語はよかったですね、という意見を聞けました。わたくしも似たようなものをほんとうはまだまだ書きたいのですが、どうも書かれた人達が喜ぶどころか、浮かぬ顔をされるので、どうもやりにくくその後書く意欲が湧いてきません。ちょっと、残念ですが。

京大生の不祥事件による逮捕、かなりまずい出来事、大学としては大不祥事のようです。女子学生2人の強姦事件、それがもと京大のアメリカンフットボールチーム選手3人が起こしたときくと、チームの名前「ギャングスターズ」はまったく洒落になりません。水野監督はもうやめていたのかと思ったらまだやっていて、談話がでてましたが、最近は成績もパットしないのでうつろにしか聞こえてきません。最近はあまり人気がなく、厳しい訓練も出来ないとか。新聞に出ていたことをここで繰り返してもしかたないのですが、下宿で女性達を一気のみで泥酔させて前後不覚になってからの事件の様なので、あの忌まわしい早稲田大学だかのサークルでの事件をおもいだしました。合意の上だったとか、パーティはこんなものとか、弁解としては文武両道大学体育会として最悪かもしれません。

これを学部生が1万人以上いるのだから、たまにはそういうのも出ると弁解してはいけないと思います。こういう衆をたのんでやる女性暴行事件は伝統的に京大生がやるはずがないとみなされていた類の出来事なので、わたくしは学生も当然ですが、教職員はかなり深刻に受け止めた方がいいと思います。

こういう出来事と結びつけなくてもいいのかもしれませんが、しかし、わたくしが前から憂慮しているのは、京大が研究より教育を重視するとしたことです。これは大きな誤りだと思ってます。なぜなら、教育といってもしょせんアメリカかぶれのカタカナ文字での教育「改革」ですから、学生の勉学意欲が高まるとはとうてい思えません。むしろ低下してるかもしれません。無理矢理勉強させたって、学生には何もいいことありません。あこがれの大学に入っても、空虚感が増えるばかりです。というか功利的な学生が増えるばかりです。教員も教育に時間を取られ、ますます帳尻合わせにせわしくなり、教育の意欲も低下してるのではないでしょうか。
学生と教員の距離がどんどん離れていくような教育重視というのはどうなのでしょうか。

結局、大学では、精神性の高さが一番問題になるのだと思います。特に京大みたいなところでは、研究面での教員の精神性の高さが問われてるのでしょう。それしか、取り柄のない大学だったはずです。

極論的に言えば、経済学部や法学部などではひとりのずば抜けて精神性の高い研究業績をあげた教授がひとりいれば、他はそこそこでもいいのではないでしょうか。そのひとりが、学部全体のレベルをあげる、それが研究のメカニズムなのだと、わたくしは思います。理系でも同じようなものでしょう。ただ、理系は文系ほど厳しい倫理性を問われなくても極めて高い優れた研究成果が上がる点がありうることも事実です。

わたくしが、くりかえし、京大の長期低落を警告しているのも、この研究から教育へのシフトの形骸的な内容と、研究面での精神性の高さを追求する教員が顕著に減っているようにみえること、そういうことを感じているからです。ただ、誤解されると困るのは、わたくしが精神性の高さといってるのは、仙人みたいに俗な欲望を捨てるとかそういうことを意味してるのではまったくありません。
精神性の高さには、ありとあらゆる可能性があるのでして、それを追求するのが大学の使命なのだと思うのです。
人間活動、どんなものでも卑しくも高貴にもおこなうことが出来るのだと思います。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-27 22:00
2006年 01月 26日

染色体ワークショップ

石垣カフェのその後は書きませんでしたが、新聞やテレビにも出てましたとおり、円満に解決が出来て、石垣はのこし、階段を新たに付けて道路から構内にすぐそのまま入って歩けるという案がいまちょうど実現しつつあります。
昨日は巨木が二つ丁寧に根切りされて、大きなクレーン車で近くの別なところに移されているところでした。わたくしとしては、木をきらずにこのようなかたちで決着したことがたいへん嬉しく、関係のかたがたの努力に感謝、感謝です。
今となるとあの名物石垣カフェが無くなって寂しい感じです。その後に、玄米弁当なるものが売られ出していて、若者が毎日口上を述べて販売してます。どの程度うれてるのでしょうか。
最終的にはこの百万遍の角の雰囲気もまた大きく変わるでしょう。近辺の構内のほうも、美観に気をつけたとおもわれる工事が進行中です。

きょうは広島のほうに来ています。宮島口のそばのホテルで染色体ワークショップなる会合です。ここのところ来た記憶がないのですが、久しぶりです。プログラムを見ると、もう23回目とか。驚きました。一回目は京都で鴨川べりにある私学の共済会館のくに荘というところでやったものでした。あの頃はわたくしも若くて、不慣れな会の運営だったような記憶が残ってます。その後、なんとなく定着して、いまは何代も若い層に会の企画も代わって、続いているのは嬉しいことです。
今回は、150人弱の参加者で、若い人が多くて活発な発表、討論を聞くことが出来ました。口頭発表とポスターの両方で、こういうところでもまれて若者が成長して欲しいものです。
発表が終わった後の、別室でのにぎやかなおしゃべりの会が今も続いているそうです。大学も研究環境も違う若い人達が全国から集まって、気軽にしかも本音の話しが出来ればたいへんよいことです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-26 20:42
2006年 01月 25日

読書についてのインタビュー

午前はゼミ、昼すぎに京都新聞のかたがおいでになってわたくしの読書についてのインタビュー、そんな真面目な読書人でないのにちょっと恥ずかしいのでしたが、いろいろ質問に答えました。そのあと、この4月からポスドクで来て頂くことになるかたのセミナーをやって頂きました。妻は長逗留していた娘と孫ふたりと東京に行っていないので、夜飯は、院生のひとりと仕事の話しをしながらとりました。
ちょっと疲れました。
インタビューでは、いろいろいいましたからどの部分が記事になるのかはまったく分かりませんが、自分の読書のヒストリーみたいのものと、読書の癖のようなものを主に話したつもりです。若い頃は読書欲はかなりありましたが、収入が低かったので、月に購入する本代も潤沢でなくて、古本屋によく出かけたことを思い出しました。いまは、読書に使える時間はすくないので相対的に本は好きなだけ買えます。それで無駄な本もありますが、購入するときにかける時間が短いのでしかたがありません。ちょっと見て少し役に立てばそれで十分と言う気でいます。すごく気に入る本はやはり一期一会みたいなもので偶然的な出会いであったような気がします。昨年読んだ本では、ブログでも触れましたが、佐藤優氏の国家の罠がおもしろくて、その知的パワーの強さに感心しました。

ところで今朝の朝日新聞にでていた、藤巻健史氏(投資顧問会社社長)と佐藤俊樹(比較社会学者)のライブドア事件どう見るのインタビュー記事は、印刷されたコメントで始めてまっとうな意見を見た感じでした。
このような素直な、まっとうな意見のインタビュー記事がもう少し前に、さらにもっと大勢の人から聞こえくれば、日本の社会も健全なのでしょうが。
それに引き替え天声人語のほうは噴飯もので、こんな駄文をかいていて、どれだけの高給をもらっているのだろうと、思いました。まさに佐藤俊樹氏いうところの、「一部の良識ある人だけが社会を動かせばいい」と考えている典型人種なのでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-25 18:40
2006年 01月 24日

年度末は好きになれない

きのうの見合い大国インドの続きの話題ですが、きょうお茶を飲みながら、インドから来ているRM君にインドでは見合い結婚率は何パーセントくらい?と聞いたら、95%という返事でした。あまり露骨に聞けないので、やんわりと誘導的質問をして、かれの結婚がその5%のほうであることが分かったので、親は驚かなかったのと聞いたら、彼の父はそうとうに進歩的なのでまったく問題無かったとのことでした。それで確認のために、インドでは離婚率はどれくらい?と聞いたら、2%くらいとのことでした。これは、夫婦仲がとてつもなくいいというよりは、女性が経済的に自立できないという社会的背景があるとの彼の説明でした。いま女性が急速にいろいろな職場に進出しているので、インドでもこれからは離婚率も高まるだろうとの、彼の説明でした。

そろそろ年度末という言葉がちらちら出てきています。年度末というのはほんとは3月31日なのですが、すべての経理的書類は2月20頃におわりなさい、報告書を何日までにまとめなさい、次年度の計画書を何日までに出しなさい、と沢山の指示がきて、年度末はほんとにいやです。作る報告書の類も経理で必要なものも、いったい誰が読むのだろうか、という疑問を持ちつつ作るので、これもいやなものです。
この単年度予算のシステムくらい、研究に悪い影響を与えるものはありません。
たとえ、五年間の研究費が当たっても、毎年毎年この時期になると、経理的な金銭の報告ばかりか、研究報告も書かされるわけです。次年度の計画もまた毎年書かされるわけです。それ以外に本当の中間報告とか、本当のサイト訪問があればその時はきっちりした報告書も必要です。これでまた時間が取られるわけです。
雇用も単年度雇用という愚かなシステムがまだ続いていますから、更新をして行かねばなりません。
こういう事務的な仕事は締め切りと期日とともにやって来て、年度末はいろんな締め切りが目白押しです。
こういうのはいわゆる、研究者にとってのボディーブロー的ダメージになります。
みなさんもちろん大過なくこなしてるのでしょうが、ゆったりした気分にはなれないし、毎年お正月があけると、せかせかこせこせと三月末まですごす人達が多いのです。わたくしもお金のことを考えるのは嫌いなどとはいってられませんので、この時期はしょっちゅういろんな類の研究費目の暗算を頭の中でやって、過ごしてます。特に雇用のことが一番気になります。
年度末はしかたないとは言え、何年やってもいやなものです。
3月末の行事の計画も予算執行上、事務的には相当な困難をともないますので、現場の事務方は非常に嫌がるものです。わたくしも、3月外国に行く出張もまもなく完全なスケジュールを作っておかねばなりません。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-24 18:43
2006年 01月 23日

見合い大国インド

段々インドに興味を持つ人が増えるのは嬉しいことです。
それほど知られてないのは、インドではいまも結婚は基本的に見合いで決まるということです。それも教育程度の高い、インテリの極致みたいな人達が、疑いどころか確信して見合い結婚をするという事実は色々考えさせられます。
しかもインドの家族の結束は素晴らしいものです。
英国の進歩的な人達にはどうしてもこの見合い結婚は承服できないので、いろいろな機会にこの見合い結婚で恋仲の若者が引き裂かれてしまうようなケースを探し出してそれを大げさに言ってますが、わたくしの知るインド人は、みじんも揺るがずいかにこの結婚スタイルが確立していることを教えてくれます。インドを何百年も支配した英国もこういう部分にはまった影響力を持てなかったようです。
ちょっと気になったのは、インドでは十代くらい先祖を遡るのは簡単という説明でした。日本ではごく少数でしょうね、そんなに遡れるのは。
いずれにせよ、日本もこのあいだまでは見合い結婚が多数派だったはずです。それでごく普通の幸せな家庭生活を営んだものでした。
わたくしも実をいうと、見合い結婚の肯定派です。
日本でもまた流行らないものかと思ったりしてます。そういう点で、インドが見合い大国であり続けることは心強いし、インドの家庭生活の良さが知られていくのもいいことでしょう。ただ、見合いなどといったら、わたくしの子供にも研究室の若者にも一笑に付されてしまうでしょう。

堀江氏、その仲間ら4人が逮捕されたというニュースです。
わたくしの興味もここまでです。ここから先は、通常あまり面白くないからです。
いわゆる事件がミドル化しました。ここからの騒ぎは大騒ぎになればなるほど真実が出てこないし、2,3年先になって、関係者の手記が出るまでは、バランスのとれた情報を得ることは、日本では不可能ですから。
日本では、こういう事態になると、逮捕された人間の意見を代弁する人間、つまり逮捕された人間側の一般社会への弁護人がいないことがよく分かります。どうも堀江氏あたりも、そういう手順をしてない様です。あれだけお金があるのに、雇用される弁護士もいないんですかね。不思議です。
ここまで極端に、ワンサイドの情報が流れる日本はホントに欧米的な意味でのバランスの取れた法治国家なのか疑問を感じます。裁判確定まではほんとは無実かもしれないと「理論的に」思う必要すらもかんじてないようです。こういうとき、日本は大丈夫かなと思ってしまいます。
大東亜戦争のときの雰囲気なんてこんなものでしょう。だからあえて、わたくしは、ホリエモンの弁護人がいない状態で報道をつづけるのはマスコミ人の恥辱だと思って欲しいと声を大にしていいたいのです。
聖戦に反対するのがどんなにたいへんだったか、いまの若者によい教育になってるでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-23 21:17
2006年 01月 22日

女性天皇について、それとホリエモン騒動

関西空港からのはるかの車中で週刊文春を読みましたら、女性天皇、女系天皇についての色々な著名人の意見が出ていました。肯定派、否定派、中間派いり交じりですが、さすが話題が話題なので、いい加減な態度の意見はありません。皆、真剣です。
わたくしはもちろん女性天皇賛成です。ただ、完全男女平等でいくべきかはまだ考えが固まっていません。仮のはなしとして、皇太子ご夫妻にこんご男子が誕生したらどうすべきかと問われたら、即答できません。迷いがあります。
ただ、側室などというのはとんでもない意見だなと思います。よくそんなことを平気で言えるものだとあきれます。
またY染色体の継承こそが天皇制の根幹とかいうのは、わたくしは完全ナンセンスだと思います。わたくしは染色体を何十年も研究してるのですが、どういう角度から見ても「ある特別なY染色体の継承」になにか深い意義があるという意見を支持するような結果を知りません。ある種の染色体、この場合ある特定Y染色体を有する人間を特別視するのは絶対にやめた方がいいと思います。天皇家のY染色体などというコンセプトが一人歩きすることはぜひやめてほしいと願うばかりです。あくまでも人間の創りあげる文化、伝統の継承を重視して欲しいものです。
すぐ決めるべきでない、皇太子が天皇にご即位されてからでもいいのではないかという意見は傾聴すべきだし、また天皇は家の象徴で、日本が家の存続を軽視するようになった以上、天皇制の存続も危機にあるという意見も、雅子様のご様子などを見ると、深い意味があるように思えました。また天皇家で相談したらどうか、という意見も重要なポイントだと思いました。
いまの諮問委員会は一生懸命やって来たのでしょうが、ここらで現在の世論の動向もはっきりしたし、すぐ皇室典範を変えずにしばらくは未定のまま進むのも、いいのではないかと思いました。

日曜なので、久しぶりに10時からの田原氏の報道特別番組を見ました。もちろん堀江社長とライブドアについて、どのような意見が出るのか、興味があったからです。

検察の意見を代弁しかしてないようなテレビに出ずっぱりの数人と及び腰のコメンテーターだけで、おもしろくなかったでした。しかし、わたくしなりに段々頭が整理されてきました。田原氏はしきりにこの番組で堀江氏がみずから意見をいうべきだと誘ってましたが、それは今は難しいでしょう。もうすでに、野口さんというかたが命を落としてますし、堀江氏自身生命の危険を感じてるようですし。ありえることです。

わたくしなりの整理をすると、これは21世紀初頭におきたネット上での株式売買を舞台にしたネズミ講と類似したようなものらしいのです。早く参加した人間ほど、儲かるのです。早ければ早いほど、つまり多数のネズミ(株式所得者)の先祖になれば成る程、財を作れる。この「講」のカリスマはもちろんホリエモンですね。株の分割こそがまさにネズミ講類似現象の最たるものです。分割を繰り返すことが富を増大させる源なのでしょう。そして、講参加者のすべてが講の株式の値段が上がることを願っているのはもちろんです。会社の真の価値など参加者にはそれほど、重要でなく、この投資会社というのか、金融会社がつぎつぎに拡大していけばいいのでしょう。
参加者の数を増やすために、一株を売買単位にしたのでしょう。値段が上がるためには、ライブドアの価値が上がる必要があるので、沢山の傘下企業が必要なのはもちろんです。次々に大きくなって、とうとう7000億円のみかけの価値になったところで、この講の危険性を前々から憂慮していた特捜部という日本で一番強力な司直が介入してこのライブドア講の息の根をとめるべく、講の価値の暴落を人為的に引き起こしてるわけです。今週にはライブドアはさらに窮地おちいるようになるのでしょう。特捜は、ライブドアの首謀者が社会の危険なアジテーターと見てるのかもしれません。

さてこの先、どうなるのでしょうか、素人になにか分かるわけ無いのですが、コメンテーターの検察の提灯持ちの意見を写し書くのも馬鹿らしいので、以下にはずれるのが当然のわたくしの意見を書いておきます。

ライブドアは講的な面も濃厚ですが、いまやそれなりの実体のある企業ですから、そう簡単に消滅しないはずです。わたくしも長年、エッジの頃から、ユードラを使ってます。そういう意味では、規模はかなり小さいながら、この業界では老舗なはずでした。最近では、ポータルサイトでブログを使っている人間の数も相当なはずでしょう。完全に虚の、講ならば、完全殲滅も可能でしょうが、その実体のある面の企業ではたらく何千人もの人達はどうなるのでしょう。それらもついでに殲滅したら、それは正義からおよそかけ離れた行為になるでしょう。そこまでやったら、特捜にはかならず反対の流れがしょうじるでしょう。特捜も引き上げどころを考えているに違いありません。また、組織暴力とか例の村上ファンドとか芋蔓の先についての、噂をマスコミ人に言わせて捜査の正当性の情報を流してるようです。そうなら、今回のこの一企業への捜索からスタートするのは変です。
結局、実業部分が官許をうけて残存し、堀江氏など数人が逮捕されて、そのあとビジネスからの永久追放を受ける。このあたりが、妥当な予想でしょうか。堀江氏の反撃は可能でしょうか。彼を助ける勢力は国内はゼロなので、海外からの強力な助っ人がでれば、事態は変わるかもしれないが、でないでしょう。ただ、彼の強みは、無借金経営で、膨大な預貯金とかがあるとかです。ですから、破綻といっても金銭的な破綻は経営陣にはおころないのでしょうか。そこでしたたかに生き残るのは可能でしょう。ただホリエモンを広告塔にすることはもう出来ないでしょう。
ありそうもない可能性は、この捜査を強力に推し進める特捜の内紛とか内部告発とかで捜査の矛先が鈍る可能性ですが、国策捜査をやってる以上、それも可能性は極めて低いと思います。しかし、小泉首相など、この捜査を苦々しく思ってる政治家はかなりいるかもしれません。少し落ち着いてから、その方向からの仕掛けがあるかもしれません。

わたくしは、堀江氏にしろ、宮内氏にしろ、どちらも文句なしの「ヒーロー」だと思います。ただ、上にアンチをつけるのも悪漢をつけるのも安っぽいも、ご自由ですが。わたくしは、現代日本の若者にとってのひとつのヒーローだと思いました。
宮内氏がインタビューをするところを聞いたら、この男出来る!と思いました。彼は、検察でももうけの手口を全面的に認めているそうで、ただそれが違法だとは思わなかったと言ってるようです。その通りなのでしょう。資本金500万の会社が6000億に短時間でなるのには、ありとあらゆる複雑にしてギャンブルに似たゲームのような「すれすれの儲かる」ことをやったにちがいありません。ぎりぎり合法なら、それを許すのも日本という国の度量の広さではないでしょうか。
まさにマネーゲーム、遂行者は面白くてたまらなかったでしょう。彼等はちょっと運が違えば、一日中、パチンコのようなものとにらめっこしていたかもしれない若者のひとりなのでしょう。
それに、詳しくは知りませんが、海外のファンドをうまいこといってたぶらかしたのか、金を引き出せるという能力、まさに日本が15年前にとことんやられてしまった、その相手が持っていた、欲しかった能力をもったはげたか的にして戦闘的な経済のできる才能人のようです。それに物腰もかなり立派な感じでした。ここで消されてしまうのか、ほんと惜しいなあ、と思いました。
堀江氏や宮内氏の才能をどぶに捨てるようなことを日本はやってはいけないと思います。ライブドアが特殊にして、唯一悪い企業だといういまのマスコミの流れもよろしくない、庶民感覚とかなりずれてるような気がします。企業なんて、しょせんーーー、と思うのが庶民感覚でしょう。企業トップの顔をみればわかるとおり、みなさん相当の修羅場を経てきてるのでしょう。

株式関係者も彼のおかげでこれだけ多くの人達が株式売買に参加したことを忘れてはいけないはずです。関係者にしてみれば、自分のもうけを作ってくれた恩人、天に唾するようなものでしょう。

きようは思わず熱がはいってしまい、日曜のこともあってずいぶん長く書いてしまいました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-01-22 17:51