生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2006年 02月 28日

東京大学の生命科学

きょうは横浜の新子安という駅のそばにある外資系会社の本部に出かけて、沖縄で購入する高額機器の実物見学と実地操作を見に行ってきました。まさに百聞は一見にしかずで、いろいろ分かりました。これからこの装置を使ってどのように研究を進めるかよくよく考えねばなりません。

ところでこのJR新子安駅降りてから、わずか5分ほどの歩くあいだになんと、上がり下がりの場所が計6回ありました。京浜線、高速道路、廃線を越えたり下をくぐったりで、これは足の弱い人には、文句なしのきつい道路です。途中で止まって地形を眺めて、土木的な解決策を愚考しましたがありませんでした。

今週のnatureにタイトルのような「東京大学の生命科学」シンポジウムという広告がありました。東大では、「多様な生命科学が進められております」、「様々な領域の研究者から、最先端の話しを分かりやすく」、と謳ってます。
ところが、そこに出ている、15人の方々は全員男性で、名前から判断する限り全員日本人です。それで「多様」とか「様々な」とかいう言葉が踊っていると、ヘンな感じがします。なんとか女性や外国人を発表者に入れようという努力はしたのですか?とか聞きたくなります。
しかし、これは別に、東大が特殊というわけでなく、京大だって、同じようなものでしょう。たまたま見かけたから言うのですが、やはり、こういう均一性の高いプログラムでこういう宣伝をするのはいまどきかなりまずい、というセンスは欲しいものです。

お国かわればですが、ノルウエーでは女性の役員が40%だったか45%に到達しない企業は2年以内に閉鎖するという、法律が施行されるとか、いう記事を見ました。あんまりじゃないかという、反撥も当然あるようですが、政府はやる気らしいとかです。
確かに、研究の世界でも大学院生やポスドクは女性が多いのですが、教授とか主任研究員クラスともなると女性はかなり少なくなるのが、世界的な傾向です。役員クラスの割合を上げねばならないのは、男女均等という条件をみたすのに必要でしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-28 20:21
2006年 02月 27日

残された父親の絵

ここのところ、父親の絵の整理をしなければならなくなり、着手したのですが、なかなか時間がかかるものです。母も数年前に亡くなりましたので、昨年、子供達、孫たち、それに親戚などのあいだで分けたのですが、それでもわたくしのところに残ったのは相当な数です。まだ家を持たない息子二人は我々に持ち分を預かってと依頼していることもあります。

父は主に静物を描いていて、若い頃は干からびた燻製のニシン、暗い色の陶器壺、それにガラス器とその中に入った変色した西洋なし2,3個などを手作りの机の上に白い波打った布とともに、置いて、非常に重厚な油絵を描いていたものです。父の尊敬したセザンヌは売れないことでも有名ですので、本人も絵が売れないのは当然という態度でしたし、そういうセザンヌ的な描き方の絵にかなり満足していたのでしょう。若い頃はよく、尊敬する評論家のかたの受け売りで、セザンヌにも沢山駄作がある、といってました。年をとってからは、気持ちも変わったのか、すこし明るい絵も描いたり、カンバスに付いた絵の具の量も減りました。それでも、冬瓜を主題にした絵を発表することが多くて、ごく一部の愛好家を除いて、買いたいという人はあまりでなかったようです。展覧会などで発表した静物画の多くは大きな絵が多くて日本の家屋ではかける場所もあまりないでしょう。
父親の自己評価は低かったようですが、小さな作品、10号程度かそれ以下の大きさのもので、風景とか、花とかを対象としたものに、なかなかいいものが多いことに気がつきました。毎日見てもあきないし、さすがだなあと思うことがしばしばあります。わたくし自身もかなりの愛着を持つようになりました。
これらなら、手に入れた人も嫌がらずにずっと壁にかけてくれるでしょう。しかし中には、絵の具が落ちたり、裂け目が出来てるのもありますし、ほんのわずかな期間しか描いてなくて未完成なものもあります。経済的に潤沢でない頃に描いた古いものの中にはやはり絵の具の値段を節約したからもしれませんが色がくすんでしまったものもあります。しかし、それらも皆わたくしにとっては、父の歴史を語りかけるものです。

絵のかなり多くは額縁が付いてないので、小品は一点ずつ、額縁を買って自宅や大学のわたくしのオフィスにかけて楽しみだしてます。しばらく置いてから、順次お世話になった知り合いで絵の好きなかたたちにさし上げようと思っています。4,5年かければ小品は大部分整理出来るのではないかと思い出しています。
そうでないと、今度は妻の描いた日本絵がだんだん家の中であふれるようになりそうです。妻の絵は一部に愛好する人が出てきてるようで、買いたいという人も出そうですが、本人は惜しいと思うのか、売る意欲がまったくありません。一点以外はすべて家にあります。

そういえば、父親もどちらかというと、絵を売りたがらないほうでした。大事な絵をいつまでも手元に置いておきたいという気持ちが強かったようでした。絵で生活する作家の多くは、人気があった絵の類似したものを沢山描いて、いちばん気に入ったものを手元におくような傾向があることを聞いたことがあります。
若い頃から、父親の友人には変人が多くて、滑稽なエピソードもよく聞いたものでした。そのうちのひとりは、戦後の困窮期に自転車とかリアカーに絵をのせて、さおだけを売るような声色を出して、「絵はいらんかねえー」と住宅地を歩き回ったそうです。もっと才覚のある人は、喫茶店とか不動産屋に飛び込みで持って行くとたまには売れるのだそうですが。

父が戦争へ出征する前に赤ん坊のわたくしを描いた絵も一点ありまして、格別面白い作品ではないのですが、まだ30そこそこの当時の父がどのような気持ちでこの絵を描いたのか、と考えることもあります。
これから整理する過程で、父の絵がそれぞれどういう運命をたどるのか、それを決めるのがわたくしの責務のようです。そのために、亡父と対話をする必要がありそうです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-27 20:12
2006年 02月 26日

未来性が感じられない民主党執行部

大雨で外で何も出来ないので、テレビを見て、今回の永田議員のメール質問とその後の雲隠れ問題についての、前原民主党代表、鳩山幹事長、野田国会対策の3人のトップの弁解というか弁明を聞きました。
大方のみなさんとおなじ、これは駄目だという感想ですが、それでは終わってしまうので、もうすこし気になったことを、書きます。

100%正しいといえない、という表現、これは普通の言葉としては、ほとんど正しいという意味です。ですから、ほぼメール自体は堀江氏によるものでないことは明らかだと大方が思っているときに、代表、幹事長、国会対策トップが口をそろえて言うのを聞いてると、一般的感覚からのひどい乖離を感じます。

わたくしが、研究報告で、100%正しいとはいえないかもしれないと表現すれば、それはそれが正しいと確信してる場合にしかいえません。
政治家とはこんなふうにあやふやなことでも強弁するのか、と国会への政治不信は増大するでしょう。まさに子供に対する政治教育に最悪のケースです。

大きな闇、という言葉を連発しますが、張本人はとっくの昔に逮捕されていて、検察が取り調べ中なので、何を言ってるのかわかりません。裏で3千万円を直接自民党幹事長の子息に渡したのだと、メール問題をそらそうとするのか、民主党の幹部が言い出すと、政治家はデマをまき散らして、生計をたてるのだと、大昔おとなからから聞いた言葉を思い出してしまいます。

前原代表の説明を聞いて、唯一意味のある情報は、わたくしはアナログ人間だといったことです。
この人、京大の法学部出身で実社会での勤労経験はなく、松下政経塾出身とかで後は政治の世界をずっと来たようですが、どうもIT関係は不得意のようです。
この人についての知識はゼロでしたが、今回の対応を見て、最悪だと思いました。党のトップになど立てるような力量があるとは思えません。鳩山幹事長については、むかしから、その能力のなさは明確であったと思ってましたので、今回はそれを再確認したような気がします。野田議員も質問自体は良かったと強弁していますが、自分で自分の首を絞めてる感じてます。大方の国民は今回の永田議員の質問の準備はもちろん、質問自体の態度も大変感じが悪いと思っているのだと言うことが分からないのでしょうか。。

鳩山幹事長は多分そうでしょうが、この松下政経塾出身の野田議員も、もしかしたらアナログ人間なのかもしれません。さらに問題を起こした張本人永田議員は旧大蔵省出身だそうですが、このかたも偽メールなどの知識がほとんどないのかもしれません。

いずれにせよ、嘘や人をたぶらかす目的のメールなどについての知識がほとんどなく、噂話的な政界情報をまともに受け止めてると仮定すると、これら民主党の4人のかたたちの言動はかなり程度理解できました。国民をリード出来るような将来性をまったく感じません。

ともあれ、外の雨はますますひどく、大阪の天気予報は晴天になっていましたが、正午のニュースでは、関西空港への橋が強風のため閉鎖と言っていました。これじゃ、孤島です。クルーがいなければ飛行機は出ませんが、乗り継ぎ便の人は、便に乗れなくて、旅行初日の予定が大狂いになることがあります。2,3回経験してます。あの空港の最大の弱点です。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-26 12:06
2006年 02月 25日

つぎなる日本女性のトップは?

きょうは晴天なので、ひさしぶりに畑にでて、雑草取りや春になってから植え付けをするところを耕したりしました。汗ばむような、暖かい日でした。ブロッコリーとニンジンの収穫がありました。
マンサクが満開になって、これからは次々に花が咲きます。サンシュユはもうつぼみの真ん中に黄色が見えてきました。

比良にはまだかなりの雪がみえています。63才の女性が蓬莱山の谷で遭難して亡くなったとのニュースを見ました。二人の山行で、道に迷って、はぐれて一人は自力で下山していたとのことでした。山で道に迷うとどうしても無理な下りに行きがちで、それが急な沢にでてしまって、降りることも戻って昇ることも出来なくなることがあるのです。

昨日の続きですが、日本の女性がスケートフィギュアの世界の頂点に到達したことは日本人の歴史に大きな出来事だとおもうのです。マラソン世界一と並んで、身体能力での優美さとスタミナの発揮の両方に秀でていること、これに世界一の長命の実績と、併せて考えれば日本の女性は世界の中で卓越して来ました。
この西洋的優美さの頂点に立ったのは、快挙という言葉しか思いつきません。

しかしまだ足りないものがあります。
それは、やはり言葉をつかう世界でのナンバーワンになることです。こういう方向では
成功例がほとんどないようです。日本語だけを使うのでは無理で、英語とそれに願わくはもう一つの外国語を使えるといいのですが、もちろんただ使えるだけなら意味がなく、やはり傑出した人間的魅力と能力の両方が必要なのでしょう。
日本の男性は国際レベルではそのような仕事について、お先真っ暗ですが、女性のほうは可能性がかなりあるとおもいます。

たとえば、国連の事務総長に日本の女性が立候補するのはどうなのでしょう。お隣の国の外務大臣が立候補するのを黙って見てることはありません。
これはわたくしのアイデアではなく、数日前の新聞でどなたかが提言をしていたのを見ました。たいへん、よいアイデアに思えます。
スポーツの世界とは異なり、1人の人間の個人的な努力でどうにかなるのでなく、日本政府とかが推薦してさらによその国もバックしてくれなければなりません。
よく考えると候補がおるようです。この提言をしたかたは複数おられるようなことをいってましたが、わたくしは小池百合子大臣くらいしか思いつきません。このかたは、エジプトに留学されていて、アラブ系文化も熟知してるようだし、かつてテレビのキャスターもされていたので、国連総会の議事進行などは立派にこなせられるかもしれません。立候補したら、面白いことになるかもしれません。

わたくしの生息している研究の世界でもそういう女性がこれから出てきそうですが、さすがに実名をあげて話題にするのは避けておきます。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-25 18:04
2006年 02月 24日

やはり最後は女性頼みの日本

きのう夜遅く大津の自宅の方に戻りました。door to door6時間のうち、タクシーでのセンターから空港までの1時間が肉体的にいちばん疲れることに気がつきました。沖縄のタクシーはあまりいい車でないしそれに道路も良くないからでしょう。それから、伊丹の場合だと、京都行きのバスに乗るか、JR新大阪までのバスに乗るか、決めるのが心理的にうっとおしい、ことにも気がつきました。

みなさんお待ちかねの女子フィギュア、わたくしもしっかり見ました。年をとるとよいことは何も努力しないで、朝はやく目が覚めることです。居間に行って、テレビを付けたら、ちょうど安藤美姫選手のひとり前の選手でしたでした。
見映えに華があって、一番人気があるようですが、4回転4回転と騒がれて、かわいそうな感じです。5回くらい転んだので、見てるのがつらかったです。さいごは観衆からは励ましの拍手も出ていました。だからいいのかな、とも思ったりしました。でも、なんだか神風特攻の若者を見ているみたいで、どうも日本文化には、若者をそういうところに追い込む良くない面があるな、と思いました。特に、彼女がこの経験を楽しみましたと、けなげに言うのでますますそう感じた次第です。

米国のコーエンさん二度も転んで、後半かなり巻き返したように見えましたが、かなりひどい点かと思ったら、意外にいい点でした。

それでとうとう、荒川静香選手の登場でした。テレビをみた誰もが思ったでしょうが、優雅、優美でなめらか、美しくて強い、素晴らしい演技でした。身長も166センチもあるとかで、見映えもすごくいいので、世界中の男性がため息をついたことは間違いありません。たぶん女性もでしょうが。英語のあだ名がクールビューティとか、たぶんはにかみというか恥ずかしがりのひとだったのでしょう。子供の時に優勝すると朝礼で褒められて高い壇にあがるのがいやでわざと負けたことが何度もあったとか、いうエピソードをネットでのニュースで知りました。
それから、村主選手惜しかったですね、日本の女性には村主選手の方が好きな人は多いような気がします。感情と情緒がはっきり表に出て、涙もろそうなので、人気のあることがよく分かります。彼女は終わった後で、すぐこれからのことを言いましたので、選手生活続行なのですね。
最後のロシアの選手、ヨーロッパで圧倒的に人気があるとか、闘病の話しなどを聞くと、人間性も深いものがあるかたで、よく分かります。転んだりしましたし、わたくしにはよく分かりませんが、いつもの彼女の演技ではなかったのだそうです。重圧がすごかったのでしょうか。

わたくし、自分が贔屓なので言うわけではありませんが、荒川選手がインタビューかなにかで答えてるのを1週間前に聞いて、その自己分析の明晰さにほとほと感嘆したものでした。24才で、これだけびしっと自分が分かっているのだ、凄いものだとおもいました。世界の頂点に行く人はやはり他とはぜんぜん違います。
やはり日本は、最後は女性頼みですね。上から下、津々浦々まで。
この金メダル、これひとつでおつりが出るくらいの価値があったのではないでしょうか。

わたくしがほんとに感動したのは、メダル授与式の時に、荒川選手が国家君が代を歌っていたことでした。それがJ1サッカー代表選手のあのいい加減な口の開け方でなく、小さな声だとは思いますが、しっかりとはっきりと口を開けて歌っていたのです。
あれはなんども放映して貰いたいものです。アジアで最初のフィギュア優勝選手になりアジアだけでなく世界中のアイドルになりうる資格は十二分にあると思いました。

それともうひとつ、今回の冬期オリンピックの成績が芳しくないひとつの理由はかつて冬期スポーツを強力にバックアップしていた、雪印とか西武、国土などが色々な問題で姿を消していることも無関係でないと思います。
荒川選手がプリンスホテル所属ということなので、かつての堤氏のいい意味での影響があったことがここで効いてきたともいえます。
スポーツにはやはりパトロンがいるのでしょう。そういう点も、忘れていけないことのようにおもいます。冬期スポーツはファン層が薄い割にお金もすごくかかるようですし。支えていた誰かが退場すると、その後に大きな空白が出来ることがあるという、ことです。

話は違いますが、民主党のひどさ加減にあきれています。ちょっと形容できないくらいひどいと思いました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-24 17:46
2006年 02月 23日

マンジャーレ!

こちら沖縄での仕事は密度が高いので、ブログに書く時間が短くなり、かつ息抜き度の高い文章になりがちです。
昨日は午前9時から12時45分まで会議、理事長の旺盛なエネルギーにほとほと感心。休憩なしでかつ英語ですから、わたくしにはこたえました。ただ、内容豊富でおもしろかったですが。午後はユニットで研究の議論。夕方まで。

夜は洋食を食べたいと言うことで、選んでもらったのがマンジャーレなるイタリアレストラン、センターからあまり遠くない沖縄市の高原にあります。場所は非常に分かりにくいところにあったので、期待が高まります。不便とか分かりにくいところにあって、なおかつ何年間も営業していたら、たいていいいレストランなのです。
店構えもよろしいし、戸外とつながっている空間もありすっかり気に入りました。となりにアロマ系の店屋が続いているのがまた良さそうな感じでした。
じっさいメニューも豊富、味も及第点、ワインもいろいろあり、またぜひ来たいと思った初めての洋食系のレストランでした。

むかし、わたくしもイタリアに3か月ほど滞在したことがあり、イタリア語で最初に覚えた言葉のひとつが、このマンジャーレでした。食べましょう、というような意味です。朝にチャオ、夕にアリベデルチ、そして食べるときにマンジャーレ、実用イタリア言葉で、だれでも知ってるでしょうが。

研究室のAさん、いまイタリアのミラノに行っています。1か月半の短期留学です。いく直前、彼女は相当不安そうな様子でしたが、案ずるよりは、で向こうでは面倒もしっかり見てもらって、元気そうにやってるようです。
どの国にも人情味の深い人達が沢山いるのですが、そういう当たり前のことを理解するうえで、研究者稼業というのはたいへん恵まれています。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-23 10:40
2006年 02月 22日

絹の家

昨日の夜は、ユニットの仲間と晩飯をたべ、そのあと前から気になっていたホテルのすぐそばにある、不思議なかんじのカフェに行きました。
外観的には刺激がかなりありそうなので、半分の男性メンバーだけでいきました。しかし、ごくごく真面目なものでした。内側は。
飲み物だけですが、沖縄の民謡を聞かせて貰えるということでした。
店内は広く、アンティーク調というか、この家のあるじ(後にそれは奥さんであることが判明)の趣味(かなり濃い)がムンムンと満ちている感じでした。ひとつひとつ、いわくを聞いたら、朝までかかりそうなくらいに、来歴をききたいようなものが多くありました。ご夫人がいうには、買ったものはひとつもなく、芸術系の人達が来ると、帰るときに「あげる」とひとこといっていくのだそうですが、巨大な壺などそうして手に入れたのでしょうか。
歌を歌うのはご主人でなんとも澄んだ目をした、純粋でおもしろそうなかたでした。何枚もCDをつくってるそうなので、知る人ぞ知るかたに違いありません。
この、なんともいえない極彩色的なインテリアで飲み物を飲みながら、沖縄の民謡を聞きました。入口の看板が、絹の家とあり、これ何でこういう名前なのですかと帰るときに送ってこられた、ご主人に聞いたら、妻が絹という名前なのです、との返事でした。いちばんの謎がこれで解けました。

他のことはみんな忘れてしまいそうな、楽しい時間でした。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-22 16:44
2006年 02月 21日

河合隼雄「対話する生と死」、藤原正彦「国家の品格」

きょうから、三日間沖縄に来てます。関空発の便なので早めに家を出なければなりません。それに京都でのはるかとの接続が10分弱なのと湖西線の恒常的な遅れを考慮するので、電車もひとつ前のに乗らないといけません。結局、家を8時半前に出て11時20分の便に乗ることになります。「空港まで遠いなあ」というのが実感です。お家騒動の日航は便を減らしたりしてるのか、なんだか影が薄くなってきて、大丈夫なのかなあ、ともいます。やはり伊丹便だと1時間は早く空港に着ける感じですので、今後すこしスケジュールを考えようとおもいました。

さて、河合隼雄さんの「対話する生と死」(大和文庫)とても面白かったです。再発刊ものですが、河合さんのは何を読んでも面白いのですが、これはまた格別に面白い本でした。人間何歳になっても新しいことを学べるのは楽しいことですが、そういう楽しさを満喫できます。心理分析学者の河合さんの人間を見るまなざしは、やさしく、暖かく、そして深いので、読んでるうちに河合さんの懐の中にはいっていける感じがあります。本人は聞いても喜ばないでしょうが、いまの日本での最高峰の僧侶の説話という感もありました。
いろいろな言葉がありましたが、そのなかで、日本の文化は死をきわめる文化ということも、河合さんがいうとやはりそうなのか、と思わざるを得ません。それと日本の文化は女性の文化というのも刺激的でした。
藤原正彦さんのベストセラー「国家の品格」(新潮社)との共通点はおふたりとも海外に知友がたいへん多く、年がら年中、東と西の対比のなかで日本を考え続けてる点でした。見かけは違いますが、根本を流れている思想に共通点を感じます。
この「国家の品格」は前から読んでみたかったので、空港の本屋で買ったものです。通常機内では仕事をするのですが、今日は中止してこの本を一気に読んでしまいました。中年のおじさんが読んで元気を出す効用もあるでしょうが、若い人達にぜひ読んでもらいたいと思いました。
ユーモア(ちょっと駄洒落的ですが)をちりばめて、暴論的に聞こえそうなところも用心して柔らかく書いていますが、まさにさむらい的な持論を展開したものです。ご本人は数学者で、父親は小説家の新田次郎氏で、母親は「流れる星は生きている」の藤原ていさんですので、色んな意味である家族で継承されてきたと思われる道徳観と世界観が見事にでています。

藤原さんのいうところの情緒、美に対する情緒を最高の価値に置くというのは、まったく同感でして、わたくしも何年も前から同様なことを言ったしていましたのでここに同志あり、と嬉しい気がしました。ただそういう環境が天才を生むという、ことはついぞ考えたこともなく、しかしそうかもしれないと思うのです。
また、河合さんのいう日本の文化が死を基調に発展してきたということと、藤原さんのいう儚いものへの愛情というのでしょうか、惻隠は結局同じことを言ってるのかもしれないと思いました。
わたくしも、英国についての藤原さんの感覚は同感でして、貧乏でもかっこ悪くても、尊敬される国になろうよ、という意見をいまの若い人達がどう思うかたいへん興味深いです。

那覇空港は鳥が飛行機に衝突したとかで、一時閉鎖、30分遅れで着陸でした。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-21 18:45
2006年 02月 20日

まあいいのではないですか

ここのところ数日で書いたことについて、何人かからメールを頂きました。
お一人は、米国でおきた著名な捏造事件が発覚する端緒というか、捏造データそのものを論文のレフェリー段階で見抜いたという、エピソードを知らせていただきました。
やはり、身近に捏造を経験した人は、意見が近くなってくるのは、捏造こそが、われわれがもっとも批判すべき行為だということを身をもって分かるからだとおもいます。

オリンピック、結果が芳しくないということになってますが、それは国内の予想というか評価が高すぎたのではないですか。
実力がこういうものであることが、周囲の人達(マスコミも含めて)を分からなかったということですね。結果がでればそういうことがわかってくるのですね。たしかに期待が高すぎると、失望するので、だれかに文句も言いたくなるかもしれませんが、しかし、誰に言うのでしょう。

われわれには、「進歩幻想」なるものがあって、前よりは今回のほうが良くなる、というなにか確信みたいなものを持つことがありますが、そんなことは決してないのですね。進歩があればラッキーで、なければ、まあいいのではないですか、ということになりませんか。それに進歩がラッキーと感じるのはごく短期間で、時間がたつと、あの進歩はなんだったのだと、納得のいかないことが多すぎます。

わたくし、高校生の時に、仲の良かったK君が、しきりに昔は良かった昔は良かったというのを聞いて、不審に思ったことがあります。
山行のあいだの歩きながらか、それともテントの中だったか、彼になぜ昔は良かったのとそうしきりに言うのか聞いてみると、それから約1時間くらいえんえんといろいろ昔は良かったという、過去の「甘美体験」とでも言うのでしょうか、いまと比較してどんなに良かったのか(大半は家庭でのできごとでしたが)を聞かせてもらいました。これが、わたくしが知った最初の進歩幻想をまったくもたない人物でした。
それ以来、昔は良かったとわたくしの前でしきりにいう日本人は聞いたことがないのです。でもそろそろそういう日本人が沢山出てきて不思議はない時代かもしれません。
オリンピックについても昔は良かったといえば、いまの若者には案外受けるかもしれません。音楽なんかも、いまでも60年代や70年代のロックなんかが受けてます。若者に期待しすぎて、彼等をつぶすより、昔は良かったなんていってるほうが、いい大人なのかもしれません。
案外一部の若者には、どう良かったのか理解しようとする人達もいて、話しもはずむかもしれません。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-20 17:49
2006年 02月 19日

現場ではこれから真の対応がはじまる

日曜日ですので、別な話題にでもしたいのですが、このあたりでこの阪大での捏造問題対応にたいする批判を終わりにしたいと思うのでちょっと結論めいたコメントをします。
わたくしは、別に運動家でも活動家でもないし、現場の研究者として声をあげずにいられなかったので、これまで意見を述べたものです。
わたくしは、これまで大阪大学全般に常に好意的でしたが、今後なにかよほどのことがない限り、そういう気持ちは消え失せました。しかし、別に悪意をもつというのでなく、ニュートラルになるというだけのことです。
わたくしの知るほとんどの医学、生命科学系の阪大教授はこの問題について、おそろしく口が堅く、いっさいなにもわたくしは聞きもしないし、知っていませんでした。しかし、最後に出てきた結論がこれでは、いったい彼等はどういう役割を演じていたのでしょうか。途中で声をあげることもしなかったというのは、このような結論を承認、追認していたとおもわれてもしかたないでしょう。これも説明責任の範囲の問題のひとつでしょうね。わたくしは、まだ遅くはないので、ぜひいまから出来る対応を考えて欲しいと思います。
この当局の対応が出た以降、現場での実際的な問題の始まりという認識でいて欲しいものです。つまり、現場ではこれからが真の対応がはじまるのではないでしょうか。

これまでわたくしの耳に阪大医学部や病院についてのネガティブな体質についていろいろな噂的なことが入ったことがありましたが、そういうことはすべて一蹴してましたが、今回のことの顛末を見てると、本当かもしれないと思うようになりました。
ある意味で、巧妙な宣伝によって、阪大のとくに臨床系のほうの格はじっさいより高く評価されていたのかもしれません。
わたくしは、信用とか信頼というものが、研究や医療とかにおいて、もっとも大切なものと思っております。
多くの人達は、先験的に大阪大学の研究や医療に高い信用と信頼を持っていたでしょう。しかし、今回の出来事をみると、どうも相当に疑ってかかった方がいいのではないかと思いました。この組織防衛的、秘密主義的体質さらに主宰者レベルでの責任のとらなさ、は深刻と思いました。

わたくしの考えが、大阪大学における例外を一般化していると批判する方ももちろんおられるでしょう。ですから、理性としては、一般化は決してしません。しかし、わたくしは、この次元の低い対応を見ると、一事が万事と考えたくなる、心境です。

きょうは、これからゆっくり散歩でもして気分を晴らしたいと思います。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-19 11:15