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2006年 04月 30日

流行語としての格差社会

流行語としての格差社会というのは、どうも収入のちがいとか、職業の安定性とかで格差があるとされてるようです。家柄とか学歴とか人間的能力とかそういうものではなくて、とりあえず収入とその収入がどの程度安定に得られるか、そのあたりできまるようです。
というか、格差の低い方にこの言葉の強調点は向かってるようにみえます。つまり、格差社会の中で自分は低いところにいるとはっきり認識する人達が非常に増えてる、こういうことらしいです。
団塊の世代を中心にほぼ8割が自分は中流と思っていたのに、いまは若者を中心に6割から7割近くが下流社会に属すると感じてるようです。
これが本当なら大変な変化です。
小泉内閣5年後、小泉内閣に批判的な人達が、総括に使い出したようです。
これも流行語ですが、自分は下流社会に属すると感じる人達が増えてきたようです。
小泉内閣の終焉時にこういうかたちで社会の変化を意識するのも決して偶然ではないでしょう。

先週二日間の研究報告会の終わったあとで、鶏肉をたべさせるところで食事をしながら研究室の若者たちとしゃべっていましたが、当然というか予想通りというか、大半が自分は流行語で言うところの下流社会に属するとかんじてるようでした。博士をとっても安定した職が予想されないし、現状も極貧とまではいかないまでも、かつかつの生活をしてるのですから、現今では当然の感覚でしょう。
わたくしたちが若い頃も似たような生活をしていたはずですが、でも社会のなかでのエリートと思いこんでました。格差は何をやってるかで、研究など出来るのは、社会の最上層部と思いこんでましたが。格差が何を意味するのか、随分変わったものです。40年も経てば変わるのは当然でしょうが。でも研究をする若者たちが、エリート感覚はゼロ、下流社会感覚で、でもなおかつやる気をかなりもっているという事実は行政サイドはぜひ理解して欲しいものです。

京都の研究室ではまだ20人近く研究しているのですが、そのなかで常勤的な職についてる人間は一人もいません。わたくしも含めて、一年毎の契約です。なにかあれば、翌年から失職です。給与は日給と時給の二種類がありますが、時給のほうは正直ほんとに低賃金でこころから申し訳ないと思います。しかし、研究費にも限りがありますし。それに時給でしか払えない職もあります。ですから、あげたくても給与が上げられないのです。
日給でも民間なら相当低い方になるのでしょうが、わたくしの研究室はまあ小企業ですから、そのあたりと比較すればまあまあでしょう。
大学院の学生達は親の支援と、月額数万円の支援を研究アシスタント費で研究費から払えますので払ってます。ですから、学術振興会の特別研究員かなにかで月額20万程度で生活している院生が1年でなく2年とか3年間は保証されているので、いちばん安定してるのです。後は、全員世間でいうところのフリーター的な状況で研究しているのが、うそ偽りのないわが研究室の状況です。

こういう下流社会チームで、世界に冠たる学問的成果をあげようとしてるのがわたくしたちの現状です。
まあ心意気です。
世界は当然として、とくに京大内では誰からも指一本指されない業績をあげるのがわたくしの心の中にある目標です。そのあたりは食事会でかなりしつこく若者たちにいいました。かれらもよく分かってくれたみたいです。

下流も上流も、月給の額と安定性で格差が決められるのであれば、われわれは最下位かもしれません。しかし三度の食事ができるうちは、生みだす学問になんのハンディキャップもありません。ないはずです。
金銭的格差も、そこから生ずる上流も下流も研究では関係ないのです。

ただ、フランスあたりでは、まだまだ学生が社会の先端の役割を果たしていますが、日本では研究を目指す若者たちは、気持ちの上でも社会的にも低くみられ、孤立して元気が出にくい環境にいることはあまり知られていません。
このことはぜひ社会の人達にも知って欲しいことです。
武士は食わねど、とかやせ我慢とか、職業に貴賎ありとか、そういうのはいまの時代まったく説得力がないのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-30 19:40
2006年 04月 29日

体罰について

比良山麓の方にきています。
孫たちと娘が一緒ですから、いつもとはことなり賑やかです。猫まで、興奮して、クヌギの木に登ってました。14才の老猫にしては元気なものです。わたくしも疲れた体にむち打って、せっせと土を耕しました。
目の前の水田にも水が入り田植えも数日後でしょう。
夕方は遠望もきいて、山懐の黄緑色の木々の色がとてもこころを穏やかにさせます。

三年経った案山子を修復しようと思って部分的に解体して驚きました。レインコートも、ワイシャツもズボンもちゃんと原型をとどめており、レインコートなどはほんのすこし変色してる程度です。なんという耐久性か感心しました。製造元に教えてあげたいくらいです。

 戸塚ヨットスクールの戸塚氏が刑期を終えて出所したそうです。
ネット新聞によると、体罰は教育だ、と改めて記者会見で主張したそうです。
四人死んでる(二人は行方不明)のにいうのですから真に確信してるのでしょう。ふつうなら、ひるんでしまうでしょうから。
ただ、このあたりはご本人がいったことを正確にその場で聞かないと、なかなかその真意は分からないものです。
体罰とはいまや先進国ではけっしてやってはいけないものになってると思うし、それが当然だとおもいます。
社会が荒々しい時代には、体罰はありえても、社会がそのような荒々しさを忌避してるときに、体罰などを実行するのはまったくの逆効果に通常はなるでしょう。
日本では親からものごころついてから、体罰どころかからだに触られたこともないような子供が増えてます、学校の教師やクラブのコーチや職場の先輩、上司に体罰でも受けたら大ショックでしょう。親が、自分の怒りにまかせて子供を叩けば、子供はたんに恨むだけでしょう。
言葉で分かる子供に体罰で分からせようというのは、まったくの逆効果なのでしょう。
ただ、いまでも体罰を効果的な方法を思ってる人々は相当いるに違いありません。
特に小さな子に対して、お尻を平手で叩くとか、痛みでやっていけないことを分からせることの、効率性に気がついている大人は沢山いるにちがいありません。
スポーツ根性とか言う世界では、いまでも気合いを入れるために、殴るようなことが横行してることはたしかです。
相手がおとなで納得してるのなら、ありうるとはおもいます。
しかし、それは例外的な世界でしょう。
おやが子供には体罰の方法がベストの教育と決めて、子供をスポ根的な世界に入れるというのはやはり危険なことだとおもいます。

わたくしも長男が小さいときに、やんちゃをしたときにこつんと頭をこづいたりしたことがあります。ところがある日、子供が真顔で、痛いし、口でいえばちゃんと分かって止めるから、止めて欲しい、と理路整然といわれて、その日を境に止めた記憶があります。何歳だったのでしょうか。たぶん4,5歳だったとおもいますが、もうすこし上だったかもしれません。
子供に体罰はいけないと、教えられたケースです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-29 17:53
2006年 04月 28日

研究報告会二日目、堀江氏保釈、神戸大教授の捏造

初夏の感じのする、快晴です。
朝と昼食時に歩きました。
研究の報告会、なかなかめざましい進展をした人も数人いるので、まあよしとしましょう。心が燃えたら、この三倍くらいは仕事が出来るのにな、と思うことはよくあります。もう何年もまえからですが。燃えてバリバリりやってる人達をみて、よそ事のように思う若者がふえたのでしょうかね。でも、まあもちろん頻度はすくないけれどもいまのわかものだって、燃えに燃えるかんじで突っ走ることができる人たちがいるのですから、今も昔も人間は変わってないのでしょう。ただ、社会の風潮がどうも、燃えようとする人達には居づらい感じなのでしょうか。

堀江元ライブドア社長の保釈のテレビ画面昨夜みました。
短いフレーズのあいさつがあったようです。
わたくしが、いちばん興味があったのは、現在のライブドアの社員が冷静、クール、無関心とかでこの保釈のニュースに対応した、というニュースでした。ホントにそうならば、どうしてそうなったのか、理由が知りたいものです。本当のところは期待感があるのか、それとももうかつての経営者、創設者がスキャンダルにまみれたので、まったく興味を失ったのか、そのあたり関心があります。
わたくしもこう見えても経営者みたいなものなので、彼と同じように逮捕されて、百日ほど経って保釈されたら、ラボの全員が背を向けて知らんぷりしたら、結構ショックだとおもいます。
残りの罪状をみとめたとかいわれている経営陣だった人達と、裁判でどう関わるのか、そのあたりも興味あります。わたくしは、経済音痴なので堀江氏のやったことが、万死に値するような悪事なのか、万引き程度の犯罪なのか、判断する物差しを持っていません。ただこれで、こどもが楽してお金を儲けようという気持ちをもたなくなったから、素晴らしい社会効果があったという、言説はピンときません。

拘置所前に集まった、300人の報道陣(?一般人も沢山いたとか)と聞くと、悪人と断罪されても、人気があった江戸時代のいろんな有名人が思い浮かびました。司直に断罪されても庶民のあいだで人気があるというのは昔からあった現象ですね。わたくしは、この堀江さんにどうしても悪感情はもてません。ただ、かれのせいでひどい目にあった人達が沢山いることはよくわかります。でも、まあ検察にある日突然捕まったからこうなった面も多々あるので。かれだって、人生の有為転変のトップにいるわけですし。

神戸大の捏造事件。これもまたあらたな観点というか側面を教えてくれました。
特許申請なのでまったくの予想データを数値まで書き込んだけれども、それほどのまずいこととは思わなかったという、本人の弁解だそうです。おどろきですが、本人の弁ではそういう理解のうえで予想データを書き込んだ、とかです。
特許申請に出てくるデータは、だれが審査するのでしょうか。もしもちゃんと審査してなければ、こういう内部告発がなければ、なかなかわからないでそしょう。
論文公表でのルールと特許申請でのデータのルールが違っているのかどうか、わたくしには分かりません。特許申請におけるデータも論文公表と同じだと、思いこんでましたが。
推移を見ていきたいと思います。



by yanagidamitsuhiro | 2006-04-28 16:59
2006年 04月 27日

継承された研究テーマ

今日一日で報告される研究テーマでいちばん古いルーツがあるのは何かを考えてみました。
午後にしゃべったA君のDis1とみなすのが妥当かなとおもいました。
1988年に最初の論文が出ています。やはり午後に、N君が報告した、いまはコンデンシンと呼ばれるCut3とかCut14の研究も同様に古くて、変異体の分離自体は2年ほど早いのですが、Dis1は興味深い表現型とあわせて遺伝子の分離にとんでもない苦労をしたので、印象が強いです。
製薬会社で活躍しているT君はこの遺伝子がどうしてもとれずに副産物で取れた遺伝子の研究で博士の学位を取りました。なぜか多コピー抑制遺伝子ばかりが取れてしまうのです。
最初にDis変異体を分離したのは英国のエジンバラで研究室を持っているO君とエジンバラから帰国していまは長崎大学にいるA君のふたりでした。同じようなスクリーンで、低温(20度)で染色体の挙動がおかしいものを見つけようとしたのです。Crm1とよんだ核クロマチンが異常に凝縮するものはより難しそうなので、上級生のA君がやり、相対的にやさしそうなDisと呼んだものは、下級生のO君が性質を調べ始めました。Crm1はのちにタンパク質の核外移行に重要な役割を果たすことが判明したものです。

Dis変異体では染色体はまったくわかれないのにスピンドル紡錘体は伸びてるようにみえるということで、不可解な欠損表現型として興味しんしんでした。Dis1,2,3と類似の性質を持つ三つの株がとれ、それぞれことなった遺伝子機能を持っていることが後にわかったものです(Dis2はタンパク質脱リン酸化酵素、Dis3はRNA分解酵素、このDis1は微小管結合にして、M期では動原体結合性をゆうします)。

このDis1遺伝子はどうしても通常の方法では分離できなくて、染色体ウオーキングという尺取り虫のようにゲノムDNAを歩いて印をつけて、その印を目印に遺伝解析をしながら、Dis1座位に距離が近づいているのを確かめながら、分離しようとしたものです。この苦労を一身に背負ったのがいまは福井大にいるK君でした。いまからおもうと、よくぞやってくれたものと、感謝の気持ちが湧いてきます。後にも先にも染色体ウオーキングで分離した遺伝子は、この研究室ではDis1一つと思われます。

わたくしがなぜこのDis1に執念を持っているかというと、染色体を分配するときにはモータータンパク質が必要だろうと素朴に考えている時期があって、随分一生懸命調べて、結局は否定的な見解を持つようになり、このDis1タンパク質こそが微小管を縮めて染色体を運ぶ原因を作るのではないかと思い至ったからです。
いまはマンチェスター大学にいるIHさんが英国からポスドクできて、キネーシン系のタンパク質Cut7を同定して、これが染色体分配に必須とわかったときには大変喜びました。しかし論文はnatureに二報もでましたが、Cut7モーターが微小管を介して、染色体を分配しているということを示すデータはどうしても出ないで、出る結果はすべて、紡錘体装置を作るのに必須ということがわかり、がっかりしたものです。まだ他にもモータータンパク質があり大事そうなものがありそうですが、わたくしのグループではやる理由もないのでやってません。
Dis1はそのようにながい歴史があるので、いまはこれをもう少し許される時間は調べてみたいと思っています。ヒトなど脊椎動物にも類似の遺伝子がありまして、その役割については、まだいろいろ意見があって、一致しません。だから面白いとも言えます。染色体を引っ張るのに、微小管の脱重合が重要というかんがえがあり、このDis1類縁タンパク質がその引き金を引くという仮説があるのですが、そうなるかもしれないし、そうでないかもしれないのが、現状です。
A君の仕事はやり方次第でその問題にも鋭角的に入って行けそうな、端緒となるデータを持っているのですが。

今度は神戸大学の工学部教授のかたが特許申請のもととなる実験が捏造とか、きょうのネットAsahi.comに出ていました。教授クラスのひとが自ら手を下して捏造データをだすというのは、本当に由々しいことです。
やりたくはないでしょうが、過去の研究や特許を全部あらしざらい調べる必要があるでしょう。

もしも過去のレコードが潔白なら、昨今の研究費プレッシャに負けたのかもしれません。本人も捏造を認めていて、これが本当に最初の捏造ならば、どうしてそのようなことをしてしまったのか、本人の正直な弁をもしも聞くことができるのならば、処罰よりもずっと意味があるとおもいます。もしも過去の研究の多くが真実でないのなら、どうしてそのような人物が教授になり得るのか、そこのところを徹底的に調べるべきです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-27 16:49
2006年 04月 26日

研究報告会、前日

昨日の朝日新聞の夕刊で捏造問題が記事になっていました。だんだん、この問題についても、日本国内でも社会的な通念が作られていきつつあるような気がします。
決して稀な出来事ではなく、どこにでも起こりうることなので、どこででも適切な対応ができないといけないでしょう。わたくし自身の意見も記事の中にありました。研究室の主宰者が自分のラボの中で起きたことに、適切かつ誠実に対応すれば多くの問題はそのレベルで解決するはずです。大切なことは、習慣的な捏造行為をする研究者を決してつくってはいけないとおもいます。ラボ内での平素の研究環境が大切でしょう。

明日明後日と、恒例の研究室の仕事の報告会です。
それが始まる前に、F君の論文も決着をつけるべく、きょうはそれに集中しています。
まずまず妥当な論文の結論が見えてきた感じです。やれやれという感じです。

沖縄の方の会議の議事録を読んだり、対応したり、ちょっと考えねばならぬことが、ありました。だんだん所帯が大きくなってきて、末席にいてもそれなりに取られる時間が増大しています。人間圧とでもいうのでしょうか、傍にいれば無関係ではありえません。

ジャーナルの方の編集のしごともスタッフの絶大な支援によって、順調に四ヶ月が経って、今月くらいからわたくしなりに編集業務が把握できるようになりました。ぼちぼち、ポリシーを出さねばならぬのかもしれませんが。

今日から出したブログのロゴの猫の写真は猫がカメムシをじっと見て、ちょっかいをかけようかどうか迷っているところです。この直後にちょっと手を出しましたが、それで止めました。カメムシはストーブの薪の中にひそんでいて、薪を室内にいれて温度が上がると目が覚めて(?)ごそごそ動いたり飛んだりします。

今朝はおきてから、すこし頭痛があって、今日はこのあたりで止めておきます。
仕事をしてると、忘れていますが、休むとおもいだす程度ですが。
韓国での学会用の要旨やタイトルを急いで送らねばならないのですが、明日にまわしましょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-26 17:45
2006年 04月 25日

福知山線の事故の一周忌

JR福知山線の事故から一年が経ちました。突然に家族を失った肉親の人達のほとんどはJRとの接触を断っているようです。それはそうでしょう、いまだに事故の原因なるものは明らかになっておりません。悲しみは癒されるどころか、深まっている場合も多いのではないでしょうか。運転手がどういう精神状態であったのかどのように運転していたのかすら、十分には明らかになっていないようです。分かった範囲での状況について、きちんとした報告がないようですが、警察も入っているので、対応について、JR西日本の組織はたぶん硬直してるのではないでしょうか。
JR西日本は民営化後、苛烈な組合対策や、あらたな利潤追求の経営方針で突っ走ってきたわけです。その過程で、経営トップで生き延びた人達の純化が起きたのに違いありません。それがいまのJR西日本的な体質をつくっているのでしょう。ひと言で言えば、対抗的な経営態度だったのだろうと思います。関西は私鉄の強いところですから、経営資源をギリギリに生かして、内部的な反対者に対しては徹底的に処分し、余剰人員は切る、という方針だったように見受けます。それがある程度成功していたからこそ、経営トップの自信満々の態度が作られたのでしょうか。いまでも、出来ることなら、一人のおかしな運転手のおかげでこうなったと、いいたい体質が残ってるような気がします。鉄道会社というよりは、テナント業、セールス業、ホテル業で成功したいという願望などが非常に強い会社になったのではないかと邪推したいくらいです。

わたくし、なんでこんなにいつもきついことを言うかといいますと、何年も前ですが、
京都駅プラットフォームの駅務室や車掌さんなどに運転の荒さや、アナウンスのない遅延とかで文句をいいに行ったことがあるのですが、その時の対応者の、まったく真面目に相手にしない態度を見て、これは上から下まで職場の雰囲気は相当悪いに違いない、と思った経験があるのです。それともちろん信楽線事故の時の対応です。あまり良い方向で学習できない組織に見えます。毎日しかしわたくしも命を託して乗っています。

さて、昨日のDNAのおりたたみの話しの続きを書きたいのですが、ちょっと時間がないのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-25 18:06
2006年 04月 24日

研究の背景では

研究には事務的な仕事がつきものですが、この事務的才能については、驚くほどの個人的な差異がありまして、事務量をこなすスピードは大げさに聞こえるでしょうが、10倍くらいの個人差があります。しかも、総じて早い人がいい事務的な仕事をするのですね。事務的な仕事の多くは書類書きもありますが、経理とか学会の開催運営とか、なんでもかんでもあります。
事務的な仕事というのは、お役所などへの提出書類の場合、たいていは及第点をとればいいのです。結局は雑用ですから、こなせればいいのです。ただ、不合格になるような事務的な仕事では、周りも困るし、本人も困るのですね。
雑用的な事務について、能力のある研究者は、あまり才能の片りんを他人にみせずに、及第のレベルの仕事を、迅速にやって、出来ればすぐ忘れるか、いわれればおもいだすくらいの程度に記憶にとどめるのが、この世界で生きぬいていく、こつです。
ただ、書類書きのなかで研究費の獲得や組織作りとか、それができないと路頭に迷うようなものは雑用ではまったくありませんので、まったく違う次元の努力を傾けねばなりません。

昨日、DNAはモノであると申し上げました。
モノの科学というのは、化学と物理学でして、生命科学も分子などの微視的な研究になれば、化学と物理学の知識が全くないようでは、なにもできません。しかし、自動車のエンジンの仕組みなど知らなくても車の運転ができるように、使う機械の細かい原理など知らなくても、先端の実験装置を使えます。さらに最近では網羅的な生命科学が非常に流行っていまして、DNAのすべての遺伝子の発現量などもそのような網羅的研究で情報がえられます。コンピュータの中身がわかってなくてもコンピュータが使えるように、数量科学とかコンピュータ科学の粋を知らずしても、データを生みだしたりそれらを理解するのはいちおう可能です。
しかし、このように先端科学技術によって得られたデータの十分な理解のために、その背景となる技術や方法の原理を深く理解できればそれに越したことはありません。しかし、なかなかそれは困難です。われわれはスーパーマンになれません。科学技術の先端を何でもかんでも知っているのはほとんど不可能です。
しかし、出来るだけ知っている、理解しているに越したことはありません。
そこで問題となるのが、一人一人の研究者の素養です。そして、自分のやっている専門的背景をいかにかみ砕いて説明できるか、その能力です。異なった素養の人達が集まって、話し合っても、たがいにまったく理解できないのでなく、相当に理解し合える、これが非常に大切です。
DNAはモノだといいましたが、モノとしてのDNAおよびそれに関わるタンパク質などの研究論文を理解するには、おおくは生化学とか分子生物学を勉強していれば理解できるのですが、かなり高度な物理学、化学、計算科学が必須なものも最近では増えています。そういうものを自分の研究に取り込むためには一生懸命勉強したりする必要があります。60の手習いとかいうように、なんさいになっても新しい科学を取り入れる努力が必要です。いわんや若い人は時間を無駄にしないで、しゃかりきに学ぶ時期があるのです。
遺伝学などはモノの科学というよりは、遺伝現象の解析なので、かなり抽象的、操作的な研究の理解能力が試されます。モノの科学とはずいぶん異なります。議論がとりわけ必要な分野です。
さらにDNAの研究には医学が直結してくるような問題もあります。医学は疾病の理解と治癒や健康や老化などの研究でもありますので、研究目的がそのように特化していますから、医学の背景を知らないと、何が重要かが分かりにくいのです。

モノとしてのDNAとして、ひとつ研究上の課題をあげてみましょう。
ヒトの各細胞にはDNAが全長で1−2メートルもあります。それではこの長い(そして非常に細い)DNAがいかにしておりたたまって、わずか10ミクロン程度の顕微鏡でしかみえない細胞核のなかに収まっているのか、これを解き明かしたいとします。
このような問題に興味をもつひとは、アカデミックなタイプ、すぐに役に立ちそうもない、ごく基礎的な問題に関心をもつタイプといえます。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-24 17:45
2006年 04月 23日

DNAはモノ

おだやかな日でした。ゴールデンウイーク一週前で、沢山の木々が芽吹き、沢山の花が咲き出して、一年でいちばんいい季節がやって来ました。花も気の毒な感じで、この時期に咲いては、個性も発揮しにくく、どれもとても美しいのですが、ひとつひとつの美しさをめでるには種類が多すぎます。

早朝から、土をならして、準備もできて、昼過ぎにはいろいろな苗を買ってきて、夕方には全部植えてかなり満足状態です。忙しいけれども、余裕もあって、ほんとに楽しい一日でした。種をまいて、菜園をやるのがたぶんベストなのはわかってますが、時間がないガーデナーには、このあたりが妥協点です。
敷地の端を流れる滝川は水量も多く、じっと見てると魚でもいそうですが、じっさいのところ、ここで魚影を見たことはありません。しかし、釣り人にいわせると、ここでもイワナがいるというのです。ほんとでしょうかね。

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお子さんのヘギョンさんや親族のかたがたのDNA鑑定から、父親が韓国から北朝鮮に拉致された金英男さんである可能性が極めて高いといわれています。
親子鑑定にDNAをしらべるのがもっとも信憑性がたかいことは、いまではだれでも認めるようになりました。99%の確度というのも正しく受けとめられてるようです。
DNAはよく遺伝子暗号とか記号とかいわれてますので、それ自体が物質であることが忘れられがちです。でもDNAはあくまでも物質ですから、親から子へモノとして伝達されることがもっとも大切な事実なのです。よくいわれるようにDNAは、生命を継承する物質なのです。

このDNAのモノの性質をいろいろ変えたりしているのはタンパク質ですから、DNAの研究は結局大半はタンパク質の研究でもあるのです。なかなかこのあたりは世間では理解されにくいのですね。
DNAという言葉をかなり正確に把握している表現は色んなところで見かけますが、このDNAとタンパク質の関係をうまく表現したケースを一般のかたがたの世界では見たことがまずありません。わたくしもそのあたりに挑戦したいのですが、まだ芸がそこまでいってません。
たぶんDNAがモノであることはよくてもその振る舞いが知られていないのでしょう。そのあたりを誰にもわかるようにうまく説明する必要があるのでしょう。

ともあれ、DNAがモノであることが意識されれば、そのすべての振る舞いになにかが必要なことが意識されるでしょう。そして、複製とか分配とかに沢山の種類のタンパク質が必要と聞いても当然と思うでしょう。

DNAはモノである、それはどんなモノなのか、そのポイントに好奇心を抱いていただければ、色んなことが理解されるでしょう。

また、ここがいちばん大切な点ですが、いまのわたくしたち専門家の持っている知識が一般のかたがたの疑問に答えるに十分な知識がDNAの振る舞いを決めているタンパク質についてあるかどうかです。どうもまだまだ非常に不十分な気がします。
たとえば、がん細胞がDNAの一部が他の正常な体の細胞とは異なるということは分かっていますが、どのようにDNAの一部が変わったら、細胞が悪性でになって、がん細胞として増殖をし続けるのか、そのあたりはほとんどの場合まったく説明できないのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-23 20:01
2006年 04月 22日

理数系離れ

きょうは、研究室のメンバーの何人かに比良山麓の家のほうに遊びに来てもらいました。
湖西道路の激しい渋滞がありましたが、無事昼頃にはみなさん集合出来ました。
4月からの新規メンバーラボに慣れてもらうにはこういう機会も必要でしょう。
妻がずいぶん手間をかけて準備をしたので食べるほうもたいへんすばらしくおいしくできあがりました。なおかつ今回は女性が主体だったので、昼ご飯のわりにはえらく盛り上がりました。やはりこれからは、元気のよい女性が日本の主役だなと思った次第です。

食事の後に、散歩したのですが、二年後に開通する道路の傍にとても大きな石碑が建ってまして、それに楊梅の里とありました。農地の区画整理の記念碑らしいのですが、県知事さんの筆になるもので、その巨大さと碑が建つ理由を考えて、なんとなく違和感を感じました。違和感の原因はすこし考えないといけません。楊梅(ようばい、もしくはやまもも)の滝にちなんで名をつけたので、名前自体はなかなかいいし、この石碑によればわたくしたちはこの里の住人になるのでしょうが。

最近あちこちで子供達の理数科離れとか、それがゆとり教育の弊害とか、そんな話しを聞いたり、マスコミでの記事でみます。
理数系は、将来的には収入的にも生活の安定性でも、先進国では割があわない、という、考えはかなり流布してきて、残念ながら、日本でもそれが起こりつつあるのだと思います。好きだったら、やってくるだろう、というのは甘いと思います。
日本をその例外国にするためには、行政的には相当な努力が必要だと思います。
大学や学会が努力してどうにかなるものではないでしょう。国民の考え、つまり行政の方向がしっかり定まらなければいけないとおもいます。

この一週間、なんどか触れてますように、博士達の人材供給の悪循環や、博士達の生活の将来性がなにも保証されてないことが象徴的な事実です。
理数系の勉強や研究にほれこんでも、その行く末が不安だったら、進路選択時に理数系を選ぶでしょうか。わたくしは自分でもいうのもヘンですが、高校生の時に、文系は相当得意でしたが、日本の未来のために理系の行こうと決めたものでした。いまだったら、そんな若者はアナクロニズムか頭がおかしいと笑われるでしょう。

理数系離れをなくすためにも、子供の時から興味を持つような体験をすることがいわれます。もちろんそれが大切です。でも、将来にバラ色の生活を描けるから、いまの日本の若者は進路をきめていくのでしょう。献身とか犠牲精神とかそういうものを要求しては、無理でしょう。しかし、理数系でそこそこの水準の能力に達するための勉強量とその後の研鑽は本来、献身とか犠牲とかにぴったりするくらいの気持ちでやらねばならないと、わたくしは今でも思っていますし、わたくしのところで博士を取るためには、それくらいのものは当然最低限を要求しているつもりです。まあ、不本意なケースもいくつかありましたが。

そのあたりの事情が、つまり理数系の勉強の大変さが、若者たちにに分かってきたこと、また理数系が文系よりも就職後に有利な事情が特になにもないことが、分かってしまったののでしょうから、そのあたりを前提に対策をたてないといけないのではないかと、愚考するしだいです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-22 20:50
2006年 04月 21日

誤算の感覚

人生には誤算がつきものですし、いつになっても生活の色んなレベルで誤算をするものです。わたくしの場合、最近では10日間で世界一周をしたことでした。これは体力的にかなり問題がありました。毎日場所を変えての上に、この短期間に大陸・大洋横断を三回することをなんとなくうっかりしていました。最後に、成田に着いて、自宅につくまで、結構しんどかったです。やはり50代前半ならまだしも、もう二度とこのようなビジネストリップを短期間ではやらないつもりです。

わたくしの個人的体験ですが、大学院で博士課程に残ったときに、しばらく経って、人生で相当大きな誤算をしたのではないかと、かなり参ったものでした。学問に向かないと思う以前に、学問をやってる人達とあまり合わないとおもったことと、こんな世界に入り込んでもうどこにもでられなくなるのではないかという不安でした。博士の学位を取っても、いわゆる足についた米粒的意義しかないことはわかってましたし、一方で学位が無ければ研究者にはなれないこともよく分かっていました。出ることも、引くことも困難、そんな感じがありました。

この誤算という感覚ですが、それほど激しくわたくしをめげさせたわけでもないのですが、でもいつもしまった、まずいところに来てしまった、という誤算感覚が日常的となりいつも浮かぬ顔をしていた時期がありました。
結局、この感覚は大学院を休学してスイスの大学で研究を始めるまで続いたようにおもいます。
わたくしの勘違いだったかもしれませんが、スイスの研究所で会った人達は国籍も人種も違うのに、なぜか、わたくしが考えていたとおりの研究者で、わたくしが東大で、自らをエキセントリックに感じたものが、すべて当たり前のこととしてありふれたものとして存在してました。それでやっと誤算感覚が解消され、解放されたようです。
わたくしの場合、初期的な自分探しは、結局外国に出て、不要になったようでした。

結婚するときに離婚するなどと最初から感じている人はほとんどいないでしょうから、現在はたぶん離婚率が30%くらいに達してるらしいので、結婚後の誤算感覚は、それ以上、かなり高いのでしょう。
いまの大学院生で、どれくらいの人が誤算感覚をいだいているか、調べてみると興味深い結果がでるように思います。かなり高いのではないでしょうか。

医学関係者に聞いても、医学生は他の分野に行くといってもめったにつぶしがきかないそうですが、大学院生もある程度学年が進行すると、つぶしがきかないものです。さらに学位をとっても、その後はずっと、なにも保証されてないのですから、誤算感覚に悩まされるのが、次々にやってくるものです。でも、案外どんな職業でも、この誤算感覚は頻度として高いのかもしれません。

わたくしの場合は、スイス留学以来は運良く天職とまで思うくらい研究が好きになったものでした。でも、30才の頃に日本での就職が順調に出来なかったらどういうふうに変わったかはわかりません。国内のどこにアプライしても適当な職がないという誤算が現実に起きたらどうだったか、まったくわかりません。

by yanagidamitsuhiro | 2006-04-21 13:13