生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

mitsuhiro.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2006年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧


2006年 05月 31日

悲観的な楽観主義

けさはやはり早く起きまして、ワールドカップ前哨のドイツ戦を見ました。
なかなか力を見せてくれて、このあいだの国内での壮行試合とはうってかわって見所がありました。しかし、このテレビ放映、一時間も遅れてやっているので、インターネットニュースを開けると、大きくドイツと2:2で引き分けと出てるではないですか。まったく馬鹿にしています。一日前に開けたビールを飲まされてる気分でした。こういう時間の遅れたものを放映するテレビ局の責任者の弁明を聞きたいものです。

さて、きょうのタイトルですが、研究者は研究の進め方について悲観的なのと楽観的なのとどちらが良いかです。
わたくしは、生まれつき悲観的な人の方が潜在的にはいい研究者になれるとおもってます。ただ、研究意欲を維持するにはどうしても前向き、夢を持たねばなりません。この部分はどうしても楽観的な性格的要素を必要としています。
しかし、実験の進め方、データの出し方、データの判断、どれをとっても悲観的な見方の出来る人がやはり伸びるものです。ただ、悲観してその路線の実験のやる気がなくなってしまうのではやはり駄目です。
悲観というのはいつも駄目になる可能性をあれこれ考えていける能力のことをいってるつもりです。生まれつきか努力でそうなるか、とりあえず、ネガティブな可能性をあれこれ考えて、どうしてもネガティブな可能性が見つからなければ、本物かもしれません。
ある程度大きなテーマを目指したら成功する可能性はそう高くないのですから、おもしろいよりつまらない可能性を否定していくことは研究を進める上でも大切です。
一つの珠玉のような真実を発見した実験の8割か9割の部分がコントロールの部分と言うのは良くあることです。十重二十重につまらない可能性を否定しなければなりません。それをかいくぐって真理がやってくるものでしょう。
それで、悲観的な楽観主義、つまり最後に大きく笑うためには途中では相当な悲観的考えに苛まされることがあるだろうという考えが、まあかなり健全な実験科学者の一つの態度のような気がします
きょうある学生さんの出したデータについて、話した後での感想です。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-31 18:47
2006年 05月 30日

堀江元社長と宮内氏の関係

今朝から仕事に復帰です。今回の旅行は朝から晩までのスケジュールが多く、それ以外のことはなにも出来ませんでしたので、エンジンをかけてやらねばならぬ事があります。

米原万里さんが亡くなられました。
闘病の様子を書評記のなかで知って、心配していたのですが。本当に残念です。
このようなマルチタレントの素晴らしい方が、人生の収穫期をもたずに逝かれてしまうとはなんともいえずつらい感じです。なんとかならなかったのでしょうか。向田邦子さんの飛行機事故のように、もっともっと生きていて欲しかった人が亡くなるとは日本の文化ににとってほんとうに損失でもあります。

今度は絵画の模写というか、盗作なのでしょうね、そのかたが賞をとられたということで、これまでくすぶっていた盗作問題が日の目をみたようです。本家のイタリアの画家は完全に盗作だと言い切ってます。協力などなにもしてないと。このイタリア画家の発言はかなりリアルです。「和田氏はたしかにわたくしの家に来た。しかし、単に芸術愛好家のような雰囲気で、職業的な画家とはまったく知らなかったので、かれがわたくしのアトリエで、わたくしの絵の写真を沢山撮ってもほとんど気にしなかった」。日本でもイタリアでも間違いなく、犯罪だ、とこう言い切ってます。
グーグルを見ると和田氏は大学の美術の先生で、偉い人らしいです。若い頃にイタリアで絵画の「模写」を中心にやっていたそうです。こういう大家が、日本の絵画の世界にはまだいるのでしょうか。

阪大の医学部元学生(現研修医)が二教授を名誉毀損で裁判に訴えたとの報道がありました。こういうふうになってはいけないのに、これまでの不手際でこのような状況になってしまったのです。訴訟する側もされる側も、いいことはありません。不幸なことです。大学は知らぬふりをするのでしょうか。人的なもつれを考えると、泥沼ですね。

もう一つの人的なもつれは、ライブドア元社長の堀江氏とその片腕であった宮内氏とのことでしょう。わたくしは、この宮内氏がどういうことをいうかその言動に興味をそそられていました。しかし、どうもあまりおもしろいことは起きそうにもないようです。ちょっと残念です。悪事をしたことを、認め、改悛するというふうに振る舞うのでしょうか。
彼の肉声はまったく聞こえてきませんが、新聞によれば、検察のシナリオを認めて、堀江氏の裁判には検察側証人、つまり敵対証人として出てくるとのことです。

宮内氏がセカンドマンとして、堀江氏に仕えてなにを思っていたか、事実上自分がこの会社を仕切っているという自負心がかならずあったでしょう。検察からみたら、二人三脚で悪事をはたらいたことになるのかもしれませんが、宮内氏はある意味でいちばん大切な、狂言回しの役回りのはずです。
僕はなにも知らなかったよね、を連発した堀江氏をかばう気持ちがなくなってしまったということだそうです。そのセリフをもしも本人が検察官の前で言ったのだったら、この裁判劇で主役を演じる気がなさそうなので、残念と思うのです。宮内氏は堀江氏より数枚上手の人物として歴史に残り得たのに。これじゃどこにでもいる人物以外の何者でもないことになってしまいます。
宮内氏はこの一連の出来事で、確信してやったことはなにも無かったのでしょうか。マネーゲームで踊り踊らされただけという烙印が押されてそれでしかたがない事しかやってなかったのでしょうか。宮内氏こそ現場を一手に仕切っていたはずなので、その人物がなにを言うか、マネーゲームの本質を知りたいので、興味があったのです。
その点、堀江氏はリーダーらしく、全面否認を貫くといってるので、彼らしい役割を演じようとしているのでしょう。さて、宮内氏は裁判でそのような堀江氏に対して、どう言うのでしょうか。
あなたの言ったとおりにしたのに、なぜあなたはそれを否定するのか。お互い悪事だと分かっていたのに、分かるはずがないと思ってやってきたのではないですか、そんな風にいうのでしょうか。いまさら、悪いことをしている意識もなかったし、とは言えないのでしょうか。もしもそういえるのなら、どうしてそう思ったのかぜひ知りたいものです。
宮内氏がこれから裁判で発するであろう肉声の言葉にまだ興味を持っています。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-30 17:49
2006年 05月 29日

時差のない隣国

きょうは朝9時半過ぎにホテルを出て、11時半の便に乗って、12時50分に関西空港に到着してトントンとはるかにも乗れて自宅には3時過ぎに着きました。沖縄での帰りよりも近いくらいの感じです。時差がないので、隣国なのに、まるで国内旅行のような帰国でした。
空港までCさん夫妻に送ってもらって、本当に最後の最後までお世話になりました。

昨日は、夫妻と一緒に慶州(キョンジュ)に向かい一日を過ごしました。のびやかな田園地帯に新羅国の首都慶州はありました。わたくしは一番見たかった石窟庵(ソックラム)の石仏を間近にみて深い印象を持つことができました。残念ながらガラスを隔て至近距離から見ることはできませんが、それでも渡岸寺の11面観音像を見たときのような感動がありました。この石仏はながいこと忘れ去られていたのが、20世紀になってから偶然郵便配達人によって発見されたとか。優美な姿は忘れがたいものがあります。

ついで仏国寺(プルグクサ)にいきました。大きなお寺でした。八世紀当時のものは石塔のようなものしかないようですが、伸びやかな自然のなかに大きな伽藍がとけ込んでいました。建物のかんじは奈良の寺との類似、特に東大寺などとも似てるような印象をもちました。建立が750年頃ということですから、東大寺の730年とほとんどかわりません。
このあと古墳群がある公園を散歩しました。それによって慶州という土地がまた身近に感じられるようになりました。
昼食には、C夫妻のおすすめの庶民の店にいきました。大変な人気で人々で溢れてました。30分も待って2時過ぎに食べられるようになりましたが、なるほど人気のある理由がわかりました。大変おいしい。豆腐鍋料理(チゲ)なのですが、それ以外に色んなものが頼まなくともでてきます。こういう潤沢な食べ方は日本ではないです。韓国の人が日本に来て食事に不満があるとすれば、この注文すると、とりあえず運んでくる基本料理が日本ではごく少量のつきだししかないことなのかもしれません。

夕食は釜山の北にあるところで、伝統食をたべました。なにかのおりにまた触れたいとおもいます。いろいろ韓国と日本の文化の類似性や違いなどをおしゃべりしました。C夫妻は日本語がしゃべれますが、わたくしたちはハングル文字ひとつ読めないわけなので、なんとか滞在中すこしでも憶えようと努力しました。この五日間で、ハングルなるものにだいぶ興味が湧いてきました。こんごも韓国に行こうとするのなら、とりあえずハングルはわたくしのドイツ語くらいになるべく努力したいとおもいました。

今朝は6時にホテルから歩き出して、有名な魚市場にも行きました。

5泊6日でしたが、沢山の人のおかげでいろいろな価値ある経験をさせて貰いました。これからもまた交流を持ちたいものです。
近くて遠い国でスタートしましたが、やはり近い国、そして帰るときには時差の無い隣国、もっともっとつきあう必要性を強く感じました。
わたくしとしては、自分の持っているなにかが韓国のひとびとの役に立つことがあるのなら、ぜひ協力させてもらおうと思った次第です。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-29 19:56
2006年 05月 28日

大田市にて

昨日は土曜でしたが、早朝からスケジュールがあり、9時前にはこのテジョン市にあるKRIBBという国立の(日本の独立行政法人に相当するのでしょう)研究所を訪問して、いろいろ運営やまたその一角で行われている分裂酵母のポストゲノムプロジェクトの研究室も見せてもらいました。この町は人口百五十万人ということですが、その一部が筑波のように国策的な研究所がずらりと並んで、聞くところによるとPHD博士取得者が5千人住んでいるそうです。
自然は豊かそうですから、ここが将来の韓国のいろいろな科学技術の中核を担うことになるのかもしれません。しかし、やはりどこでも研究所運営は大学との関係で難しい面があるようで、大学院生の確保とかまた研究費をもらいすぎと言われるとかそれなりの悩みがあるようです。
一番の悩みはいまの国側の行政政治トップがお金をうみだす特許をとれ、それしか価値がないというニュアンスの発言が多いとか言ってました。わたくしは、それは古い考えで百の特許のうち金を生みだす物はほとんどないし、企業の本当の利潤を生みだす技術は特許にもしないで真に秘密にしてることが多いので、研究所や大学での特許至上主義くらい愚かなものはないと、言いましたら、それはみなさん米国からきたNさんも含めて全員が賛成してました。
それから、利潤を既に生みだしている特定企業技術の改善をするのを、大学や国民の税金で行う研究所が行うのもヘンな話しで、やはり国の研究所は特許をとるのならもうすこしあか抜けた考えがひつようだとわたくしはいつもおもってます。このあたりは、狡猾な技術系研究者に行政が騙されている面もあって、特許至上主義にはメスを入れる必要があります。つまり費用対効果で徹底的に精査すべきです。これは日本のはなしですが。
さて、このあと、バイオテクノロジーのB社を訪問しました。これは非常に興味深いものでした。わたくしは、かれらの持っている技術が相当なものであることはよく分かりましたが、それよりも真摯でオープンな態度に好感をもちました。外国から来たVIPには日本でもかなりオープンに見せることはわたくしも知っていますが、それはそれとして、ともあれここに韓国に一社世界に通用するバイトテクノロジーの会社があることがよく分かりました。

この視察というか見学で、わたくしの任務も終わりかと思いました。お昼ごはんを食べてから午後4時の新幹線で釜山に向かう予定でしたから、ここからはリラックスしてとおもったら、なんとこのNさんグループとこのB社が分裂酵母の共同研究をKRIPP社と一緒に始めての5周年とかのレセプションがあるとかで、また車に乗せられてのどかな田園地帯である郊外のB社の旧社屋のあるところでパーティがあり、そこに連れて行かれました。わたくしは到着までなにも知りませんでした。そこには国会議員3名といま選挙真っ最中の市長選の候補の政治家VIPが4人もおり、なぜかテレビカメラマンらしき人達が10人もいたのです。そういえば今回の旅行はすべてお世話になったこともあり、一時間後になにが起きるのかよく分からないことが何度もありました。かなり、それを楽しんでいた面もあります。実際この経験もおもしろいというか、おかしいものでした。たぶん当事者は大変に真剣だったのでしょうが。
Nさんもこりゃなんだという顔を一時してましたがさすがにロックフェラー大総長ですから平然と見事な祝辞をしまして、わたくしを感嘆させたものです。
この市長候補は太田市をbiotopiaにしたいと言ってるらしいです。つまりバイオ生物楽園ですか。彼の祝辞は、これをうまく入れて、政治家が21世紀にバイオを中心にすえて社会をかんがえるのは素晴らしいという趣旨ですが、まあ利用されているのを百も承知でなおかつ、ぜひどんどんやりなさいという激励にむすびつけるのはすごいものだと改めてNさんのスーパーな能力に関心したものです。ところでNさん、20才のころはれっきとしたトロツキストでした。佐藤優さんもふくめ若い頃の過激政治思想の持ち主は社会は十分にとりこんでいないといけないな、結局そういう人達が何十年もたつと社会にとって非常に役に立つことになるのだからと、強く思いました。若いトロツキストの全員が将来社会に役にたつなどととはわたくしも申し上げませんが。
この後わたくしは急いで、B社の本社屋に戻り、昨日のブログを投稿してから、駅に向かい列車に乗れました。妻は車の渋滞に巻き込まれギリギリに着きましたが、またまたKさんという若い方ご一家と同伴して、大変お世話になったようです。世話に成りっぱなしです。
列車の印象を書いてる時間がありません。
釜山に着いたら、かつて京都にいたCさんが奥さんと一緒に迎えて来てくれました。懐かしい顔を見つけてホッとしました。
かれらの親切に甘えて、ゆっくりした時間を夜過ごすことが出来ました。感謝、感謝です。

今日はこれから、Cさん夫妻と慶州まで行きます。明日は帰国するので、せいぜい楽しもうと思います。きょうは日曜でもありますから。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-28 09:00
2006年 05月 27日

韓国の研究者

きのう一日はかなりの強行で、晩ご飯を食べてから車で大田市まで移動したので、ホテルに到着したのが11時でした。でもめまぐるしい一日でしたが、色々な経験と沢山の韓国の研究者や企業研究者とも会えてたいへん有意義でした。一年間に数日あるかないか、色々なことをめまぐるしく考えた一日でした。
特別講演そのものはかなりうまくできたと思います。ただ、リモコンがきかないのと、長いコードが無かったので、会場の真ん中に立って発表するはめになりましたが、それはそれで面白い経験で、ともあれ発表してなかなか楽しい経験でした。会場では質問がなかなか無いようですが、わたくしのは二番目の講演も含めて結構質問もありました。韓国ではリーダーは相当数出ているようですが、その次の学会などで鋭い質問の出来る層はまだ無いのでしょう。
わたくしの発表時の紹介をしてくれたN先生は大変おもしろい方で、韓国の女性リーダーのトップを見た感じでした。昼飯時のお話しもこの人だから言えるセリフがどんどん出てきて感心しました。彼女との会話は本当に有意義でした。
なるほど、韓国はどんどん変わる、ということを実感しました。わたくしも、色々こまかい質問しました。たとえば電源プラグが220Vのヨーロッパ大陸型なのは何故か、と聞くとこれは同席していた人達がすぐ、エネルギー対策つまり220Vのほうが節約できると返事がありました。お米は一日何回食べるのかと聞くと、最低2回、わりあい3回という人達が多くて吃驚しました。日本に長く留学したかたが、日本人は麺類が好きだからともいってましたが、細かいところで違うところが沢山あるようです。たしかに飛行機で空から見ても、水田が多かったでした。
午後の酵母のゲノムセッションは、わたくしと英国からきたHさんとあと韓国研究者が3人しゃべりました。うちひとりのHさんが今回のお世話をしてくれたもうひとりの方です。レベルの高い内容でたぶんそのうち、ロックフェラー大にいるNさんとの共同で優れた論文がでるでしょう。このセッションが終わった後で、関係者みんなで食事に行きました。戻ってきた妻も同伴のかたがたに大変世話になって、ソウル市内を色々見物出来たようです。表情をみればすぐ非常に満足していた様子が分かります。
伝統レストランでは食事が終わった頃に、古典音楽と踊りがあってとてもよかったです。やはり何でも現地で見たり聞かなければ本当の価値は分からないものと確認しました。どのような意味のある踊りかと同席していた方に聞くと、内面からでてくる悲しみという返事でした。店の名は「草の匂」という物で、本来は菜食者のためのものでしたが、それでは立ちゆかないので肉も魚もでるのだそうです。韓国の持っている優雅な面を知った感じでした。
ソウルからは2時間、Nさんと車で同席していろいろ四方山話をしました。二年前には自宅に来てもらって、坂本に一泊、比良山麓に一泊してもらいましたが、それ以来ゆっくりしゃべれた感じでした。バイオテクノロジーB社の社長さんに道中はずっと運転してもらったのは、わたくしが車に乗り込んだからが理由でそれはたいへ恐縮でしたが。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-27 14:27
2006年 05月 26日

ハングルと教会

昨夜は分裂酵母に関係のあるバイオテクノロジーの会社の社長さんと、大田(テジュン)市にあるおおきなバイテク研究所の理事長さんもまじえて食事をしながらよもやまばなしをしました。やはり捏造問題は話題になりましたが、韓国側研究者の意見は予想通りでしたし、これに関する意見の相違はありませんでした。ただ韓国政府はこのヒトクローンに対する特別研究費はもうださないと考えてるようです。事件としてはまだ進行中でしょうが。韓国では国のGNPの3%以上(聞き間違いでなければ)を研究開発費に出してるようです。力こぶが非常に入ってることは間違いないし、色んな意味で急速に力をつけつつあり、ワールドクラスになるのは時間の問題でしょう。町を走る車のレベルと乗ったときの印象から見ても、技術レベルの高さは日本とそう変わりがないでしょう。日本はまだまだ先をいっていますが、だんだんその差は小さくなるでしょう。安心してればこの急速に力を付けてる国に予想よりずっと早く肩を並べられるようになるかもしれません。韓国にとってはそれほど魅力のない国と言われないようにせねばなりません。

ハングルについて一つ気がつきました。ハングル文のなかにアルファベットも漢字も混ざらないのです。当たり前のことでしょうが、日本の文章は、漢字、ひらがな、カタカナ、それにアルファベットが混ざりますから、4種類です。この違いは面白いです。今日誰かにその理由を聞いてみたいと思いました。数字はハングル文に混ざってましたが。日本人は折衷的なものに平気なのでしょうか。

もう一つ、きのう学生さんから聞いた話しですが、韓国では熱心に教会にいく家族が多い。毎日、早朝に行く人達も多いとか。これは基督教に限らずで、ホテルの前の禅寺でも早朝4時から本堂を開けて、信者さんが拝みにくるということです。学生さんに聞いたのは、この熱心な教会にいく親たちが子供達に絶対熱心な教会へいく異性と結婚して欲しいと言うそうです。これは教会にいくひとたちの若者のあいだでの共通の悩みだそうです。なるほど、日本でもあるでしょうが、でも頻度はずっと少なそうです。韓国の基督教信者は30%と聞いてましたが、これほど熱心な人が多いとは(つまり日曜だけいくひとでは駄目らしいです。毎日に近くないと)聞いてましたが、この国に来て実際にきけばなるほどと感嘆しました。

あと韓国のほうが一般的にアパートの居住面積は広いらしいです。わたくしは、ひとこと韓国は地震が無いからと、返事してしまいましたがホントのところは知らないのです。耐震基準は日本とどう違うのか。

きょうも一日深夜まで忙しいので、いま朝ですが、とりあえず投稿することにしました。妻は今日は夕方まで、わたくしと別行動です。妻もわたくしと違った興味をもちつつ満足してるようです。陶器のショッピングにまた来たいとわたくしは強く思いました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-26 08:25
2006年 05月 25日

近い国

インチョン空港は関空から1時間50分なので、毎月行っている那覇空港までとちょうど同じ時間で着きます。ソウル市内までは60分以上かかるのでその点も研究センターまでの時間と良く似ています。違う点は外国だし、たぶん標識など分からないことが沢山ある点です。
前日にも書きましたが、韓国の空港は何度も通過してるし、ソウルの町は一度見てます。でも今回は5泊6日の旅ですから、おのずと気分が違います。
はるかで空港に着いてから、ちょっと買い物をしました。おなじ極東の文化ですから、われわれが感じる礼儀や感謝はすぐ通じる可能性が高いとおもうのです。特にある程度の年齢になれば。(ここまでは関空でかきました)。

さて、24時間韓国に滞在した感想は、ソウルの町を車から見たり、歩いた印象からは日本のどこかとなにも変わらない、ということです。ただ、急いで付け加えると、ハングル文字を見れば、異国と気がつきます。それから、車が道路の右側を走ってます。
しかし、服装だけとか顔つきだけとか、町並みの様子とかだったら、日本と非常に近く、これは間違いなく、地理的に近いだけでなく、文化的に大変近いという印象です。

ただ、ホテルや店やなどでは、ただちに日本語で対応されたりするので、わたくしたちが日本人であることはすぐ分かるようです。聞くと、90%のケースは日本人と思って間違えないそうなので、なにか違いがあるのでしょう。

昨日飛行場に着いてから、Yonsei大学のK先生に大変世話になっています。ご家族、研究室の学生さんに大変親切にされて恐縮しています。今日はいままで世話になり放しでした。
朝、米国と英国からやって来た、NさんやHさんに会ってしばらく話しをしました。NさんはVIPなので一緒に記者会見に出ましたが、別に特になにも質問も無くすぐ終わりましたが。わたくしは、明日しゃべるので、明日は一日学会に出席するつもりですが、今日は観光を優先してしまいました。
昌徳宮(チャンドックン)という世界遺産にふさわしい離宮を1時間以上かけて見ました。その後、韓国料理の粋ともいうべき昼飯コースを食べて、非常に満足しました。
食は文化ですから、やはり何でも本場で一度は食べなくてはいけないのですね。これで、わたくしの韓国料理の一つの標準が出来たような気がしました。連れて行ってくれた、二人の学生さんとK先生に感謝です。
多種多彩な興味深い店屋が並ぶ仁寺洞をゆっくり歩いて、そのあと伝統的なお茶を楽しんで、夕方になりホテルに戻りました。ホテルは市庁のある旧市内から漢江の反対側の国際展示場の傍にあり、交通渋滞もあり約1時間かかります。

これから、学会の関係者と晩ご飯を食べます。いまから二日間がわたくしにとっての学問モードになる時間帯です。

今朝は朝食時にたまたま隣に座った、札幌からの熟年ご夫婦と四方山話をしました。やはりわれわれくらいの年齢では韓国にたいしてはなにかぬぐいがたい先入観があるのですが、今回の旅行はそのようなものをぬぐい去るのに好機会と思ってます。そういう意見で一致しました。つまり、やはり非常に近い国だということです。
ただ、だんだん入っていけばもちろん非常に違う国でしょう。でも、日本だって関西と関東、東北、かなり異なるのですから、相当な違いは、国が違うのですから、あたりまえでしょう。
ともあれ、韓流ブームのおかげで、韓国は美男美女の国であるということが認識されたようですが、そういうことが文化交流的には一番大切なことなのだと思いました。美男美女は日本だけにいるのではないという当たり前のことですが。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-25 18:50
2006年 05月 24日

地球規模と国際的先進的な30拠点

きょうは韓国に着いてから、ネット環境がどうなるかわからないので、朝のうちにブログをかいておきます。

サンケイウエブによりますと、来月の小泉首相の訪米中に日米の同盟は地球規模でというキャッチフレーズが出てくるのではないか、という記事がありました。
小泉首相の路線の一つの帰結で、イラク中東のみならず世界のあちこちで協力しましょうと、いうことでしょう。米軍と自衛隊の協力もより緊密になるでしょう。
自衛隊は早くきちんと軍隊にして、色々な意味で国家的なレベルでの議論の対象にしないといけないと思うのです。いつまでも日陰者的な扱いをするのが、将来的にはいちばん危険だとおもうし、白日のもとにさらすのが自衛隊の成長にとってもいいはずです。大学も自衛隊をこわがらずに隊員の研修、留学など、どんどん接触を深めるところが出てきてもいいとおもうのですが。横並びになれている国立大学は怖くてできないのでしょうね。

このあいだ、読売にも出ていたと思うのですが、今日の朝日新聞にも総合科学技術会議の新しい大学の30拠点の構想がでていました。たいへん良い構想だとおもいます。読売と朝日という個性のかなり異なった新聞が共通に話題にする大学関係の記事は信憑性も実現性もかなり高いとみています。
もっと外国人教員枠を増やす(女性も)のがいいのですが、一挙には難しいでしょうし、講義も完全に英語でやるとか、これで先端研究が確実に行われるのであれば、わたくしなどが長年夢のように思い、主張していたことが実現に向かうので、嬉しいことです。わたくしは外国の超一流の教員というか研究者を呼ぶためには、専任でなくとも認めるのが大切だと思います。インターネット、チャットなどモニターを通じた議論や会話が毎日出来ますので、米国と日本、ヨーロッパと日本の二カ所でラボを持つことは、極めて能力の高い研究者には決して難しくありません。むしろ楽しく挑戦的な任務のはずです。
エネルギーがありすぎてベンチャー企業と大学研究室の二つを動かしてる研究者が沢山いるのです。いっぽうでベンチャーはやりたくない、しかし2カ国で一流ラボを経営したいと思う挑戦的な一級研究者は沢山いるはずです。

実は沖縄科学技術大学院もこの30拠点構想的なものを計画しているのですが、いまのままでは大学というか、大学院がいつできるのかよくわからないので、残念ながらこれら30拠点に先を越されるかもしれません。地元も熱望しているので、はやくマスタープランが出来るといいのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-24 08:59
2006年 05月 23日

回顧的と未来的

きょうは雨が降ったので、これで今回植えた苗もみな元気良くなるはずです。
不在中の家猫はおとなりの奥様にご面倒をかけます。
ガイドブックなどはもっぱら妻にまかせてます。わたくしは母音が10種類以上あるときいただけでかすかにあったカタコト韓国語を学ぼうという意欲も無くなりました。
とりあえず韓国の研究者と沢山おしゃべり(英語で)することを今回の主たる目的にしました。

一時しきりに大韓航空を使っていましたので、ソウルの空港はなんども通過してますが、旅行は今回が初めて、近くて遠い国です。でもこれは決して珍しいことではなくて、年配の英国人と話していて意外にフランスに行ってません。逆のケースも多いです。
わたくしは正確には数時間ソウルの町をバスの窓から見学しています。米国か欧州行きの便を待ってるあいだに、観光バスにのったことがあるからですが、もうたぶん20年くらい前のことですから、今回がはじめての旅行といっていいでしょう。
台湾は漢字がわかるので、なんの難しさも感じませんでしたが、今回はハングル文字と正面から向き合わねばなりません。どの字も一見似てるのですが、かなり異なることを肌で感じるようにしたいと思います。それと、この近くて遠い国に対する関心はもちろん非常にありますので、正直かなり楽しみです。

講演のほうは、どうも準備がもうひとつ決まらなくて困りました。
結局回顧的な感じのものにしました。
通常、回顧的なトークはあまりしません。現状と未来的な考察をするというのが、通常のパターンですが、こんかいは聴衆のかたがたがよく分からないので、回顧的なものにしておきました。わたくしたちの分野の研究を知ってもらうのにも、このパターンがいいかなと思った次第です。二つめのトークはこれはワークショップなので、現状と未来的な考察を含むものです。
準備していると、回顧的なものはどうももうひとつ元気がでません。何十年もやってもこんなものかなどと、ついつい思ってしまったりします。贅沢は言ってはいけないのですが。でもやはり過去を振り返るよりは、未来を考える方が、性分にあうことを強く感じました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-23 17:19
2006年 05月 22日

秋田県での事件について

明後日からの韓国旅行、なんとか講演のほうの準備も90%くらいできました。休暇を取っていくのでいつもと異なる気分です。

秋田県で子供が殺される事件が全国的に大きな関心をよんでいます。
元気いっぱいのほんとにかわいらしい小学一年生が絞殺されてて、死体が遺棄されて発見されるという大変ショッキングで悲しい事件です。白神山地のちかくで自然がいっぱい、子供達が育つのにも最もふさわしいと考えられるような平和な町というイメージから見ると、考えられない事件であることが関心をよんでいる一つの理由でしょう。もうひとつはしばらく前にやはり同じ小学校の女の子が川で水死体として発見されるという事故(事件)がおこり、学校では登下校に大きな関心をはらっており、この少年も自宅から80メートルの場所まで、父兄がついてきて、確認されていたというのです。
さらに報道によると、この死んだ女の子の親は事故ではないと考えられていたようですが、警察は事故としていたというのですが、その女の子の自宅がこの男の子の二軒隣という事実も報道されています。

わたくしはここで推理まがいのことをしようするのでなく、また警察の対応について論じようとするのでもまったくありません。たぶん、しばらくはニュースなどで大々的に扱われるでしょうから、わたくしなどが出る幕ではありません。

わたくしが思ったことは、子供達はなにを考えているのだろうか、ということです。これほど衝撃的な事件が起きたときに、子供達がなにを感じ、考えているのか、関心があります。子供には子供の見方があるでしょうから、その見方が正しいかどうかは別にしてどのように考えているのか、可能なら知りたいものです。しかしたぶん、それは不可能でしょう。子供がなにをいってもおとなに翻訳されたりしてしまって、感受性のままの気持ちや考えを知ることは困難でしょう。またこどもひとりひとり皆考えが違うものです。最近、子供が犠牲になる事件が非常に増えてます。しかし、子供達の肉声の声はなかなか聞こえてきません。

理由は分からないのですが、連鎖反応的に思い出されたことがあり、そのことを今日は書いてみたくなりました。直接的にも間接的にも関係のない話なのですが、なぜか強く思い起こされたのでした。

わたくしが小学校の頃に、ある日クラスの給食費を集めていたお金の袋が先生の鞄からなくなるという出来事がありました。大変に真面目で真摯な先生は、衝撃をうけて深くなやんだようですが、その事実を子供達に伝えませんでした。たぶん校長先生には伝えたのでしょう。
そのかわりに、先生は自宅に5人くらいの子供を呼びました。そこで先生はお金が無くなったことをわれわれに伝えたうえで当日の様子をおもいだして欲しい、なにか気になることはなかったか。誰か、不審に思われるクラスの子供はいないだろうかと聞いたのです。わたくしの、記憶ではだれも具体的に言いませんでした。皆首をかしげていたように思います。
しかし、実はわたくしはすぐあることに気がついたのです。詳しくは書きたくないのですが、ある子がいつもとは違うものを持っていたことを思い出したのです。次の日に気をつけて、その子の筆箱の中をみて疑いが強いものに変わりました。

しかし、わたくしはそのことを先生に言うことが出来ませんでした。先生は見た目にどんどん苦しそうになり、しばらくして学校に来なくなりました。でもわたくしは、そのことを、親にも兄弟にももちろん級友にも、だれにも言えなかったのでした。その子への同情というわけでも必ずしも無かったとおもいます。このことは、ずっとわたくしのなにかの負い目になっているのですが、やはり告げ口はできない、という気持ちが強かったのだと思います。それから、勉強が出来る子だけを呼んだというのが子供心につよくひっかかっていたのです。

しばらくして、やはりその子がもっと大きな額で購入したので商店主が怪しんで、結局分かってしまったようです。先生は教師を辞めた後でした。子供たちにも知らせなかったのですが、父兄には知らせたようで、そのことで親からだいぶたったあとで聞きました。その頃にはその子はいつのまにか学校に来なくなっていました。一年か二年もともと遅れていたというのです。その子の顔はいまでもはっきり思い出すことができます。その出来事のあったあと、たぶんこっそりとなおかつなんどもしげしげと見たからだとおもいます。

by yanagidamitsuhiro | 2006-05-22 19:50