生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2006年 06月 30日

陸路ロスに向かう

最終日は午前中で終わり、ホッとした気持とこれが最後の参加かもしれないな、などと悲観的な気持が交錯しました。次回のオーガナイザーは、JK,SB,RRさんとなりました。
沢山の人達に、今はどんな風に生活しているのですか、聞かれました。先回りして冗談ぽく、研究室が二つになってしまったリタイア後の生活はいかがですかなどと、わたくしの気持ちを忖度した心遣いのあるかたちで聞かれたものです。みんな知人は気にしてくれてるのだなと、ありがたく思うと同時にそう思われてるうちに消えるのがいいのかな、などと思ってしまう面もあります。
それにこのブログはみなさんよく知っていて、わたくしが書いてることは知っている様でした。しかし、さすがに読んでいる人はほとんどいないようでした。ただ、自動翻訳で読んでいる人もおられます。わたくしの退職後の社会参加であるという説明でまあ分かって貰えるのでしょう。
荷物事件で懲りたわけでもないのですが、Kさんの好意もあり彼の車に乗せてもらって、ロスに向かいました。途中で簡単に中華風の昼飯を取り、ナビのおかげもあり順調に向かいましたが、やはりロス近辺のあたりから渋滞がはじまり、結局着いたのは4時半くらいでしたか。砂漠の景色に緑の色が増えだすと温度も低くなりました。ロスの温度は快適でさわやかでした。
UCLAキャンパスはビバリーヒルにも近く、かなり気分のいいところにあります。ここで教授をされているTさんが迎えに来ていただき、ホテルに向かいました。その後、Tさんのラボにいき、今回の訪問の目的であるマンダラプロジェクトで分かってきた脂質修飾関連遺伝子の相互作用というか、ネットワークの存在について、データを示して、議論をしてもらいました。
そのあと、近くのお寿司さんやでラボの若い人達をまじえて、それにKさんも合流して、四方山話をしました。カメラに詳しい人がいて、わたくしが今回の旅行直前に買ったFujifilmのデジカメF30を見てくれて誉めてくれました。なんとなく決めたのだけれども、いい買い物だったのだとわかって安心した次第。
それからなんと、レストランの前でFEさんにばったり会いました。ちょっとでも会えるといいなと思っていたので、なんとも言えない不思議なことでした。十数年ぶりだと思います。
ホテルにはネットの設備がないので、この文章をどこで投稿できるかは分かりません。たぶん、あす午前にいく、ロスの空港のどこかにあると期待しています。
これを書いてから、ホテルの部屋の電話機を使って昔使っていた、AOLのサイトにつなげたら見事一発でつながりました。ということは、この間毎月お金を払っていたのですが、まあメールチェックも出来るし、ブログも投稿出来るし、保険の掛け金みたいなものかなと思った次第です。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-30 15:14
2006年 06月 29日

最終日の前日

きょう午前中は、ポスターセッションがなくて、自由時間です。多くの人たちは、近辺の観光や有名なヨシュアツリーとかを見に出かけて行きましたが、わたくしは、今晩にある自分の発表の準備に使いました。こういう会のいい点は、平素研究室にいるときはいくつかのプロジェクトを進めている関係で考えがあちこち飛びやすいのですが、さすがに発表と言うことになるので、その点に集中して深く考えるからです。おかげで、ずいぶんためになりました。
特に今回はいまはカナダのモントリオールに移った、AVさんと詳しく話す機会を持てました。おかげで知識量が増えました。確実な知識なので安心して考えを組み立てら得ます。論文を読むのではなかなか短時間で最近までの結果を頭に入れるのは至難のことですから、ほんとに有意義だし、助かります。それと同時に、AVさんが研究人脈的にわりあい近いところに居たということもよく分かりました。つまり彼の昔の先生がわたくしがよく知ってる人だったりするので、研究の世界も狭いものです。

今日の発表で、話してるうちに、一つ重要な事に気がつきました。やはりやらねばならぬ実験を思いつくのは、発表の真っ最中であることが多いものです。
きょうの夜のセッションは、7時から始まって、7人しゃべって、10時過ぎに終わりました。時間を長く延長してしゃべる人もいないので、あまり疲れません。座長は、シアトルの研究所におられるSBさんで若く、とても優秀な人です。
明日、午前中いっぱいで、この会も終わりになります。ありふれた言葉ですが、とても勉強になっています。
12時になったので、部屋に戻りましたが、まだまだ沢山バーにいましたから、やはり解放感があるのですね。

米国ではいま研究費が極めて厳しいと聞いてます。がん関係の研究費は特に競争が厳しくて、10%しか通らないそうです。それで、このような立派な人がと驚くような落選があると聞いてます。日本はそれに比べるとかなりましです。
環境が緩くなるとどうしても、研究者も研究を進めるうえで、厳しさが足りなくと思うのです。
昨日の夜は日本人の若い参加者で、ラボ主宰者にはまだなってない人達4人としゃべりましたが、つい辛口の事を言ってしまったのも、日本の環境の緩さと、「コネ社会」の継続性が頭にあったものでした。励ましととってくれるといいのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-29 17:04
2006年 06月 28日

アメリカの国内研究会的に運営する国際会議

この会議は、かなりの国から参加者が来てますが、あくまでも米国の生物関係学会の連合会のようなものが主催しているので、国内的に運営されています。もう来てから、足かけ5日にもなりますので、感じが分かってきました。やはり米国流の会議です。気分はかなりいいです。昔の米国にあった、明るくて、フレンドリーな、そして上品な感じが強く出ています。いまとなると、米国では古典的な感じを残しつつ、諸外国から来る参加者も違和感なしでいられる(暑さは別ですが)、珍しい会なのかもしれません。
ここ何回か連続してきてますが、その理由も思い起こされてきた次第です。
まだまだ日本では無理でしょう。その理由は、たとえば、招待者でも、参加費を宿泊費込みで前もって払って、旅費もまったく出ない可能性が高い(というかわたくしは毎回辞退してますが)のに、これだけ外国からくるのは皆それだけの価値があると思ってるからです。米国の招待講演者の多くも自分の研究費で旅費や滞在費を払って来てるはずです。このFASEBという組織から出ている金額の総計は知りませんが、決して多くないはずです。
わたくしが研究している分裂酵母も2年にいっぺん国際会議をやりますが、参加者は皆手弁当できます。何年か前に京都でやったときも300人以上の人達が、外国から、全部自弁で来ました。国内参加者より多かったものです。それでも家族連れで来たりして、みな大いに楽しんでいってくれました。
さすがにこのPalm Springsに家族連れで来ている人達はいませんが、みなさん日本からの参加者も幸せそうな顔をして参加していますから、水準の高い会をすればどういうやり方でも皆着てくれるものです。ただ、発表は英語でなければいけません。
当たり前ですが。
きょうは、かなり時差に慣れてきたのか、居眠りした時間も非常に短くなりました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-28 12:31
2006年 06月 27日

長い一日でした

チケットレスの航空券で米国に来るのがいまや必須となったようですが、これはかつてたぶん30年以上前に米国のホテルで現金とかトラベラースチエックで宿代と払おうと思ったら、とんでもなく汚いものを見せられたような顔をホテルのフロントでされた記憶がありますが、それに近い感じです。その後、慌ててクレジットカードを準備した記憶があります。
結局、航空会社は大きなお金を投資してチケットレスにして、人員を減らしてしまったので、カウンターで沢山の人員をつかう体制になってないし、またたぶんコンピュータのシステムもたぶん動きにくいのだと思います。
米国の航空会社がどれもうまくいってないのは、これまでが非常によかったので従業員も高給に慣れ、辞めた人達も高い年金を当然と思ってるので、未来はない、しかしいまから新しく作る航空会社はましなのではないかと言うことです。
日本もそうなるかもしれません。

きょうは長い一日でいま部屋に戻ってきたのですが、こちらの時間で午前1時です。途中で何度か居眠りをしましたが、とりあえず、一日がたちました。

なるべく早く寝たいと思うのでブログもちょっと短いので子のあたりでやめておきます。わたくしのブログは米国の知り合いも皆知っているようです。たださすがに日本語を読める人はいませんので感想は聞けません。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-27 17:05
2006年 06月 26日

外はとんでもない暑さ、しかし

一日目、まだトークが数人残ってますが、頭がだいたい満杯になったので、撤退して部屋に戻ってきました。
このPalm Springsというところは暑いと聞いてましたが、外にでるととんでもない暑さです。確実に40度近くあると思います。湿気があろうがなかろうが(15%という低さだそうですが)、これだけの温度になれば本当に暑いものです。
湿気が低いので脱水状態になり死の危険があるとおどかされました。なるほど昔西部劇の映画で見た、砂漠の怖さです。
この暑さはインドやシンガポールの暑さとも違い、前回の会議の時のアトランタのすさまじい暑さとも異なり、どこか似た記憶がある場所があると、記憶をたどると、コスタリカでした。
もう二度と行きたくない国の暑さとしては、コスタリカでしたが、しかしこのPalm Springsは全米での所得が最も高いとか。ハチドリが飛んでいるのを見かけましたが、これら三カ所ではハチドリがいるのでした。
こんな暑いところで、いったいどうして生計を立てるのかそれが聞きたかったのですが、どうもここはリゾートでお金がよく落ちるらしいです。全米での比較で所得が最高とか。にわかに信じがたい情報ですが。
季節をえらべばゴルフに最高だそうです。わたくしにはなんの関心もないのですが。
それにこの季節でも子供連れの家族が沢山来ています。何をしてるのでしょう。この暑さの中で。
きょう午前に、group photoを撮る時間がありましたが、みんなが並ぶのに15分くらいかかりましたが、その間はこの暑さに耐えるという感じになりました。停電でエアコンが効かなくなったら、何が起きるのか、素直にして真剣な疑問です。
きょうは朝からポスターセッションがありで、それで結構エネルギーを使ってしまった感じです。午後夕方までの話しを聞き、それから晩飯の後の話しを聞きというので、あいも変わらない米国流のエネルギッシュなスケジュールなので、適当に休みたい感じです。食べ物はあと何日もつかな、ともう思い出してます。
きょう聞いた中で、データが見事なのは米国にいるインド人と英国にいる日本人のラボヘッドのところからのものでした。
ネットでニュースを見ると、総合科学技術会議の議員である岸本さんがおやめになって、本庶さんが後任とか。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-26 13:41
2006年 06月 25日

酷い目にあいました、しかしー

ロスまでは順調に来たのですが、それからが大変でした。
乗り換え場にいったらとんでもない長蛇の列です。チケットレスだったら簡単だったのですが、印刷したのはなぜかまったく動かない列の中に入ってしまいました。だからunited airlineはいやなのだ、つぶれた会社だしと内心思っていたのですが、まったく動きません。一時間後周りの人になんでこんなに辛抱強く待ってるのかと聞いたら、なんと今朝出発の3時間も前に来て乗れなくて、どうにもならなくなった人だけがここに溜まっているのだと言うではありませんか。あんたはまだ2時間後に出る飛行機なのだからなんとかなるはずだと行ってくれます。列は見てやるから、方策を探しなさいと、元気づけられて、あちこち出かけて係員にこの切符どうなのというと、だれもがあの動かない列に行けというのできょうはもうこれは駄目だと思い出したものです。しかし、その親切な、絶望的状況のアメリカ人がいやあきらめるな、われわれの飛行機は2時間前に発ってしまっているが、あなたのはまだ機会があるとか行って、5人目くらいになる中国人ぽい係員を指さして彼に聞け、彼は親切だからと言うので、聞きにいったら、彼は、わたくしの顔を見てあなたはinternationalかと聞いたので、そうそう大阪から来たのだと言ったら、ああそれなら43,44番のカウンターに行けと言うではありませんか。
強制収容所に行くところから逃れた感がありました。そこも結構混んでましたが、一時間後になんとか、boarding パスを貰えました。
ここで難行も終わりかと思ったら、なんとこんどはPalm Springs Airportについたら、なんとわたくしの荷物が出てきません。非常に小さい飛行機なので、しかたなく預けたら、こういう顛末でした。
もう疲れて寝たいので、詳しいことは書けませんが、あれこれ努力して、わかったのは飛行機の重量制限で最後の荷物がはねられたのだそうです。
結局、在米のKさんに多大の迷惑をかけて、DKさんの特別講演の後の本当はビールを飲む時間に空港まで出かけて荷物をとりにいくとか、ともあれ酷い目にあいました。深夜12時に荷物に対面ができてホッとしました。
シャツ、靴下、など不時の出費が100ドル以上ありましたが、まあいちおうめでたしめでたしなので、これで安心して寝れます。時差もどこかに吹っ飛んでしまいました。
DKさんの講演は、NCさんに似せた女装のぶぶんが特に印象に残りました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-25 17:42
2006年 06月 24日

Palm Springsへ

きょう出る便は、夕方5時半なので、家で仕事です。発表の準備に大忙しです。
関西空港からLos Angelesにいって、そこからすぐのPalm Springsという砂漠のなかのリゾートとかいうところでの会議に行きます。たぶん、小さな飛行機でしょう。車でいってせいぜい2時間の距離のようですから。
酵母染色体の複製と分配と名前の付いたもので、2年に一回あります。前回はアトランタ郊外でした。必ず行ってるわけではありませんが、かなりの頻度で長期にわたっていってます。会議参加者のなかでは一番の年寄りだとおもいます。
前回そうおもったことをこのブログを書いてるうちにふと思い出しました。
毎回口頭発表者は招待されるので、それに選ばれるというのは、まだ研究がマンネリ化してないのだと、思うようにしています。どの会でも、口頭発表者で招待されていけるのは、現役研究者としてはいちばん大事なことでしょう。
わたくしは、どこでも呼ばれたらこういう類の専門家だけが集まっての会では、いちおうラボ内での先端的な話しをすることにしています。理解するのが、難しいと言われがちですが、でも少し経つとその意義が分かるようなものにしています。今回は、H君の仕事で、動原体のヒストンのアセチル化がどのようにして、動原体形成にかかわるかという話しをする予定です。
Palm Springsは温度差が激しいので、日中は40度くらいまで気温が上昇するとか。夜は寒いのでしょう。衣類の選択が難しいことです。
これで、一週間向こうでいることになります。来週の土曜に帰ってきますから。
ULさんの話では、人工的な町だそうです。しかし、毎回この会議ではほとんど室内での生活ですから、短い休憩時間に外気に触れるくらいです。どこに行ったところでそう変わりませんが。会が終わったらとんぼ返りです。遊びたくても、旅費のルールで駄目と言うことになってます。たとえ遊ぶ日程は自腹を切るといっても、ルール上駄目なのですね。ですから、われわれの外国旅行も窮屈なものです。
日本からも何人か知っている人達が行きますから、雑談ができます。国内でのできごとは、あんがい海外でのそういう会議で聞いたりするものです。

準備にちょっと調べたいことがあって、ラボに電話するのですが、誰も出てきません。三カ所に何回かけても出てきません。土曜の昼時になって、20人近いラボメンバーがいて、一人もいないのはちょっとひどいじゃないじゃないかと憮然としたことでした。みんな平素よく働いているので、稀にこういう事もあるのだと思うことにしています。

というところでもう一度電話したらA君がすぐでてきました。電話がなっても、実験で忙しくて手が離せなかったとか。さすがです。かれはいまラボで激しく働いてる数人の中でも特に激しいですから。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-24 13:08
2006年 06月 23日

Game is over

寝坊して、半分だけでしたが、日本がブラジルに敗北する試合を見ました。
予想通りというか、それでも前半わずかの時間は夢が持てる展開でしたから、無残な負け方ではなかったのでしょう。試合が終わった後で、中田ヒデ選手がグランドで涙を流しているのは印象的でした。多くの人の記憶に残るでしょう。それと、川口の怒りというか叱咤も表情とともに記憶に残りました。サントスや中村は派手な表現はないけれども、一生懸命やってるのがよく分かりました。しかし、ブラジル相手ですから、上手という印象がなくなってしまうのも印象的でした。

ホッとしたのは、マスコミ論調のどこにもジーコ監督を非難するものがなかったことでした。この監督責任については、ジーコご自身が見事な説明をしていると思いました。これまでのジーコの長年にわたる日本サッカーへの多大な協力を感謝したいとおもいます。日本がジーコ監督に礼儀深く対応することが、日本がこれから強くなるための第一歩だと思います。

なんといっても、すべてはオーストラリア戦でした。ジーコ監督がいったように、この試合が最後で、ブラジル戦が最初だったらずいぶん違った結果になったのではないでしょうか。勝ち点1で最終のオーストラリア戦に向かったのなら、たとえ引き分けでも、ブラジル以外の3チームが勝ち点2になったのでした。惜しかったとおもいます。
ドーハの悲劇というのがありましたが、今回は第一戦のオーストラリア戦が、本当に残念でした。審判の誤審や、最後の8分間の信じられない乱れが、語り継がれるべきことなのではないでしょうか。悲劇では決してなく、残念、なんでこんな事が起こったのか、そういう深い口惜しさをいつまでも憶えていることも大切かなとおもいます。

さて、国際会議のほうは本日で終わりです。
明日からは米国に行くので、一足先に研究室に戻りました。
メールの返事を中心にやりました。
それほど仕事もたまってないので、短時間ですみました。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-23 15:40
2006年 06月 22日

40年間の知己

わたくしが外国にいって始めてまともに口をきいたのが、その時のボスだったEK教授と奥さんのCさんです。そして、ラボにいって始めて紹介されたのが、当時最も力のある院生だったULさんです。約40年前、正確には39年前です。
ULさんはわたくしに随分親切にしてくれて、研究の実験面のみならず、ビールを飲みにいってテーブルサッカーをすることも教えてくれました。さっぱり上達しなかったのでしたが。
彼とは同じ学生ということもあり、数え切れないくらい雑談をした記憶があります。だいたいわたくしが聞き役だったような気がします。一緒に実験を始めたら、ボスに駄目といわれた記憶があります。かなり勝手なことをする二人の学生だったのでしょう。ボスが誰かに、hiro(わたくしのこと)は最初は純真でとても良かったのに、ULの悪い影響が出てきたとか、言ってるとかきいたことがあります。結局、わたくしの地が出ただけのことなのですが、ULにblameが行ってしまって申し訳なかったのでした。

ULさん今度の学会に来てくれて、明日しゃべるのですが、きょうは昼飯に前から約束していた、比良山麓の家のほうに来てもらって一緒に昼ご飯を食べました。坂本の家のほうにも来てもらったことはあるのですが、今日聞いたら、その時は三人の子供がまだ家にとのことですから、15年以上前だったのかと驚きました。あの時は、そのあと一緒に金澤に言ったのでした。妻もULさんとは随分何度もあっているので、リラックスしてしゃべれるし、なごやかな時間を過ごせました。

彼は、わたくしの農園(?)にすっかり驚いていました。よくこれだけやる時間があるな、と言うのでした。たしかに、その通りです。わたくしも自分でもそう思います。週一日でこれだけ出来るのも、結局は慣れかもしれません。
色んな話しをしましたが、本当に色んなところで意見が合うので驚きでした。特に、定年になってからの周囲の態度が変わることについて、スイス人と日本人は同一人種かと思うくらい同じなので、本当に驚くと同時に、安堵しました。これは世界共通なのだと。自分だけがそういう目にあってるのではない、と。

ともあれ、40年の知己、いいものです。人生における大きな財産です。

ところで、例の論文のエディターの方から、返事が遅れて申し訳ないというメールが来ました。もしかしたら、このブログの内容が伝わっていることはないのだろうかなどと、あまりのタイミングの良さに驚きました。

いっぺん投稿してからの追加なのですが、いよいよ運命の一戦とかいう、ブラジル戦ですが、そういう表現はヘンですね。奇跡が起きるか、とほとんどのマスメディアが報じてるのもヘンですね。理性的に考えれば、ブラジルに勝つというのは、宝くじが当たるよりも、低い可能性なのですから、しかも2点差なんて、笑ってしまうのですが。もう少し理性的でいて、なおかつ楽しんで見る方法を教示してくれるといいのですが。このような流れじゃどうにもなりません。わたくしは、世界で何億人が見てるとかいうのですから、その見てる人達に日本サッカーのそれなりの強さと、良さ面白さを見せるいい機会だと割り切ったらいいのに、とおもいます。だいたいそんなブラジルに勝って一次リーグ突破の可能性をえんえん書きつのっても、オーストラリアがクロアチアに勝ったらそれっきりのはずです。しかし、そうはいってもブラジル戦、ほんとに見るのは楽しめそうです。かなり。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-22 18:22
2006年 06月 21日

強いスエーデン

9月になってからある学会で基調講演を頼まれているのですが、その要旨を書くようにという催促が、学会をオーガナイズしている会社の担当者からもう2回きています。でも、わたくしは、講演の要旨を書くのは依頼時に頼まれていない(と記憶する)ので、返事をしません。無視しています。こういう基調講演みたいなものの、要旨を書けといわれても困ってしまうのです。まだ3ヶ月も先だし、どんな話しをするか8月になったら考えようとしているのですから、要旨などいまは書けるはずもありません。だいたい講演タイトルだけでじゅうぶんなはずなのですが。困ったものです。担当者がこのブログを読んで、催促をやめてくれるといいのですが。

今朝のイングランドとスエーデン戦は見ごたえがありました。眠いので、部分的にしか見ませんでしたが、迫力のあるしかも展開が分かりやすい試合でした。スエーデンは点が入りそうになると、そういう気配が出てくるのですね。素人目にもその力強さと、ゴール際での激しい戦いぶりがわかります。結局、引き分けでした。両方とも一次リーグは突破とか。イングランドが40年もスエーデンに勝てないとか、信じられないような気もするし、なんとなくうなづけるものがあります。スエーデン人には非常なスケールの大きさを感じさせる人達がいます。

ここのところ、沖縄での成果の論文と京都での研究の成果の論文を並行して書こうとしているのですが、なかなか難しいものです。片や細胞、片や染色体を考える違いですが、京都のは細かいところまで熟知しているので、何が新しいの、何が新しいと主張するべきが自ずとわかるのですが、沖縄のはそうはいきません。データははっきりしていますが、その意義はすぐには分かりません。分かったと思っても、間違ってる可能性が高いでしょう。
このG0細胞というのがまだまだ分からないのです。
でもまだまだ発表には早いものの、いろいろと先駆的な発見が機能解析から出てきたので、いま書いてる論文もその余波で随分書きやすくなりました。というか、自信を持って主張ができる論文になりつつあります。
京都のほうのは、まだデータが出きってませんが、でも相当に有望な話しになってきてます。
今週末から、米国に行きますが、帰ってきたら、落ち着いてこれらの論文と格闘できるでしょう。
例の論文の編集者への手紙受け取ったとの返事も来ないのですが、アシスタントに聞いたら、どっかの学会に行ってしまって、返事が出来ないとか。
そういえば、いま京都でやっている国際会議にもずいぶん有名ジャーナルの編集者が来ているようです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-06-21 21:54