生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2006年 10月 31日

勉強一筋のTさんのベストセラー、高校校長の自殺

けさ朝刊を見たらTさん(橘木さんのこと)の「格差社会」が10万部突破とのこと。おもわずすごいなあ、と言ってしまいました。この調子では、50万部くらいはいくのかもしれません。
わたくしの遊びの誘いは全部断りますので、勉強一筋のひとと会えば冷やかしてましたが、こんどはベストセラー先生と冷やかしましょう。もちろん本の内容はたいへんrespectableなものだとおもいました。実は買ったのではなく、頂いたのですが。
彼と最初に会ったのは、米国のJohns Hopkins大学のそばのCharles Streetの食堂でした。35年前でした。それで、いまは同じ湖西線仲間なのですが、途中で飲み屋にいくでもなく、通勤の間だけのおしゃべりですが、つきあいが長いので、あうんの呼吸で分かるところは分かる関係です。実は、わたくしの娘がいっとき秘書をさせていただきました。

この高校の必須科目の補講問題、とうとう校長先生がおひとり自殺しました。なんといういたましい出来事でしょう。こういうのは日本人のいちばん悪いところで、わたくしなどは、ぜんぜんたいした問題でない、補講なんか無理してすることない、と思ってしまいます。不平等とかなんとかいってますが、高校生が悪いのでないのだから今後はやらないということで十分だと思うのですが。周りが追いつめていくのでしょうか。どうしてこうも真面目すぎるのか。それで、気がついたのですがいまの高校の校長さんてみな似たような雰囲気ですね。同じタイプの人物群と見ました。なにか、理由があるのでしょう。野人的なひとや、面白そうな人は皆無のようですね。
これだけ、大騒ぎしても高校教育にはたいしていいことは何も起きないと思います。結局、高校では勝手なことができないというだけでしょう。
ところでなぜ世界史だけが必修になったのでしょう。それを知りたいのですが、分かりません。わたくしの頃は、社会は一般社会、日本史、世界史、人文地理とあってうち3科目を選んだような記憶があり、わたくしはなぜか、日本史を取りませんでした。年取ってから後悔しました。しかし、しかたのないことです。必修にするのなら、日本史でしょうが。

最近、研究にかんするいろいろな経費関係のルールが変わってきています。なぜかと聞くと、例の早稲田大学事件以降かわったのだといわれます。
細かい理由はわからないのですが、より手続きが面倒というか煩雑になったというのが現場的な感じです。しかたのないこととはいえ、困ったことです。
毎年、予算を一年間で消費するという研究にはなじまないルールが厳然とありまして、諸般の状況は、ますます窮屈になってきてるようです。心配性のひとにはつらいでしょうね。
きょう昼時にF君と一緒に行きましたが、道中、ある人物についてなるべく追いつめられない環境で研究できるといいのだけれども、わたくしが言ったら、彼が研究者をやっていて、追いつめられない環境なんてあるんですかと、笑いながら言ってました。
たしかにその通りです。もちろん、わたくしもいまでも折々に追いつめられています。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-31 17:05
2006年 10月 30日

イノベーション、ふたたび

わたくしは、京大特任教授といっても研究遂行面ではそのような役割を果たしていますが、教育にかんしては閉門状況なので、外部での学生の講義などは、刀が錆びない程度にはやりたいものです。さいわい、今年はこれからも奈良先端での客員教授としての大学院講義や、名古屋大学の大学院生達の招待での講義などがありましてそれなりに教育もやらしてもらっていますか。
若い学生さんの表情など見ながら講義をするのはそれなりに刺激があるものです。
来月は、台湾、再来月はニューヨークとワシントンに行って講演しますので、そろそろ旅準備も具体的に必要な時期になってきました。米国で学生さんがわたくしどもの昔の論文などを読み込んでいて、鋭い質問をしてきます。そう言うときには研究者稼業でのいちばんの楽しみです。つまり、これだけ年の離れた若い研究者に昔の論文が読まれて、質問が出て、それに直接答える楽しみです。

きょうは、夕方からある学術会議の会議に出るために、昼を過ぎてからラボを出ました。月曜なので、朝からそれまで結構忙しくいろいろ用を済ませてからです。イノベーション推進検討委員会なるもので、委員のみなさんが何を言うのかそれらを聞くのがとりあえずの興味です。

研究室に届いた通知で、12月の分子生物学会の会合で、組織が衣替えして、あたらしい組織になるようです。いろいろな議題の中に、研究不正問題を扱う委員会設立の件がありました。ぜひやるべきことなので、ありがたいことです。
わたくしもいまは音無しですが、杉野教授の事件では、海外を中心にいろいろな情報が入っています。
学会の調査は時間をかけても綿密にやるべきです。しかし、なかなか真相はつかみきれないかもしれません。科学研究と同じで、真実はそう簡単に姿を全部は見せないでしょう。しかし、調査をきちんとしないと、このような出来事は際限なく再発するでしょう。日本にはこのような問題が起きる温床がかなり前からあるのです。微温的な処理をすると禍根が残ります。なんといっても研究室主宰者の責任は重大です。

ここまでは、今日の会議の前に書いたのですが、イノベーションの会議はなかなか興味深いものでした。つまり政府筋の要望があったとのことでしょう。担当大臣もあいさつにわざわざ来られました。会議は公開で、マスコミの方も相当もいました。会員と連携会員全員から意見を募る百家争鳴方式とこの委員会がコマンドするヘッドクオーター方式があるのでしょうが、どうもとりあえずは百家争鳴的にやってアンケートの様子を見るのだと、わたくしなりに理解しました。それも一つのやりかたなのかもしれません。わたくし自身は、イノベーションの担い手の国民自体が積極的になれる方向付けが非常に重要といったつもりですが、どうもそのあたりは、この会議の趣旨からは、ずれていたようでした。あまり理念をいってもはじまらない、というようなコンセンサスがこの委員会の設立過程にあったのかもしれません。20年先の社会をかんがえつつのイノベーションですから、なまじの占いよりはずっと難しいでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-30 22:22
2006年 10月 29日

動物三題、「DNA学のすすめ」

昨日午後、比良山麓のほうに来たら、Hさんが最近鹿の出没がはげしくて前夜懐中電灯で夜の水田あたりを照らすと20匹以上はいたとの話しでした。それから森に入って、ドングリを食べてるようで、器用にドングリのいがを取ってるそうでした。
そうすると、わたくしが庭のドングリを草原にまいたのは食べられたにちがいないと、きょう点検したら、案の定全部きれいさっぱり食べられていました。食べたとおぼしきところにはたくさんの鹿の糞がありました。
昼頃、カリンの木に一匹、樫の木に一匹、ヘビがいました。枝とそっくりなので、すぐは気がつきません。こちらを見ても逃げる気がまったくありません。ノンビリと枝のうえを這っていました。一匹は短小で、もう一匹は結構長かったです。
昨夜、ストーブをつけましたが、デッキにあった薪を室内に入れたときに小さいカエルも一緒に入れてしまいました。ほっておいたのですが、夜寝てから,階下ですごい大きな声で鳴いてました。ちょっと聞いたら、カエルとはとうてい思えないような、音でした。

むかし、DNA学のすすめという本を書いたことがあります。20年以上前のことです。ブルーバックスという科学技術関係の新書版の本の一冊です。これを新しくしないかと編集の方にいわれて、いました。
本当は今頃は作業が佳境に入っていないといけないのですが、まださっぱり始まっていません。折々に考えるのですが、時間がひねりだせないのです。端的にいえば心の余裕がないのです。これではいけないのですが。
たぶん、あと残った博士の学位の必要な人たちのうち、あのふたりが済めば作業に入れるような気がします。その時がいつくるのでしょうか。なるべく早く来ないかと思ってるのですが。

高校の補講の事件、だんだん分かってきました。
ようするに、話題作りとルール順守の呼びかけ、なのでしょう。これで、いまの高校が受験対策という大義名分でルール違反をやっていたことが白日にさらされ、ルール順守が起きるでしょう。お上からのお達しが良く通る、つまり、地ならしが行われるでしょう。このルール違反は事情通にはよく知られていたことなのでしょうが、見逃されていたのでしょう。
官庁や大学における空出張は15年くらい前にはよくあったのですが、いまはまったくないでしょう。それと同じで、必須科目に必要な時間、授業しなければいけないのですよ、というかたちで高校の自主性というか勝手性の高い受験対策的、授業計画がこれで粉砕されるのでしょう。過渡期の高校生は補講で可哀相ですが、高校が勝手にルール違反をするのはまずい、という流れには背けないでしょう。
しかし、これで何が起きるのか、それは知りません。何もいいことは起きないような気がしますが、いまどきの高校の授業はどうなのだという、ことを考えるいい機会なのでしょうか。しかし、テレビで聞く、この問題についてのコメントは実につまらないです。そんなつまらないことを言うために、テレビ局に来ているのか、と言いたくなるくらいです。外部から見ると、高校の授業なんて言うのは、秘境なのかもしれません。それくらい、よく分からない世界みたいです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-29 17:46
2006年 10月 28日

上野の山、歩く人たち、世界史

昨日の朝は、ホテルの近くの不忍池から上野の山にかけて40分ほど歩きました。朝6時台でもたくさんの人たちが歩いていました。後ろ向きに歩く人たちがいて、これは関西では見かけません。20年くらい前からドイツあたりで見かけてましたが、さすが東京はすこし違います。
歩く人たちは、まさに歩くために歩くという感じで、散策を楽しむという雰囲気はこの時間は無いようです。犬連れもいますが、しかしノンビリではなく速歩というところでしよう。わたくしもせっせと歩いて、池の真ん中を突っ切って、山の森の中をさっさと歩いて国立博物館や動物園のあたりをぐるぐる歩いてから、西郷さんの銅像をしばらくぶりに見てから、寛永寺でしたか灯籠の沢山あるところを通って静養軒からくだってまた不忍池に戻るというコースで歩きました。
やはり上野のやまには史跡が多くてもうすこし詳しく見たくなるところが何カ所もありました。江戸、明治、大正以降の近代にいろいろ関わりのある、建物などがあるので、やはり興味深いものです。それに、この森もうっそうとしているし、不忍池もすかっとしてさわやかで、いい気分でした。京都の史跡にはまったくないものが、このあたりにはあるな、と思いました。
ホームレスの人たちもいっときほどは多くなく、こざっぱりとして元気良さそうな人たちもいました。猫を2匹飼っている人もいましたが、どう食べ物をかくほしているのでしょうか。
池のそばに、奇抜というか一見醜い高層のホテルがありまして、名前がフランス系なので、いっぺん泊まってみたいのですが、ちょっと値段が高すぎてその価値があるのか分かりませんでした。さいわい、昨日そこでコーヒーとケーキを食べる機会がありました。ケーキはそこそこおいしかった。客種を偵察したら、まあまあの人種ではないかと判断しました。自腹でも払ってる人も相当多そうです。一泊くらいならそのうちトライしてみようと思った次第です。

世界史などの補講が全国的な話題になってるようです。世界史が必須になったけれども、なぜかやらなくてもいいだろうという判断をたくさんの高校がおろしたみたいですね。なぜなのか、わかりませんが。たぶん、だれもそんなことを問題にしないだろうとたかをくくったのでしょうか。なぜこれが急に問題になったのか、仕掛け人はだれか、その意図はなにかとおもいます。ゆとり教育はいけませんよ、というメッセージなのでしょう。わたくし、世界史がいちばん好きでしたが、範囲が膨大なわりに、試験内容も細かく、しんどさでは社会科でいちばんでしょう。でも、日本史がなぜ必須でないのか。あれよあれよの進展で背景説明がないと、理解できません。文科大臣がなぜかえらく強くでているのが正論とはいえ不思議です。

それで思いだしましたが、大学での第二外国語の必須性はいまどういう趨勢なのでしょうか。わたくしの知る限り、いま50才代の前半くらいからそれ以下の世代で、第二外国語をまともに勉強した人物に会った試しがありません。理系の特徴かもしれませんが、わたくしは色んな意味でいつもひどすぎると思っています。
わたくしの前の世代はたいてい、第2外国語をそこそこ勉強したものです。ある程度の実用性にまでたどり着いていたはずです。外国語は英語だけではないし、ちょっとした人なら、外国語を二つくらいはなんとかものにするのが奥ゆかしいのではないでしょうか。必須だからやらんといかんと言っても、必須の第二外国語がまったくからっきし駄目な長期にわたる世代の人間達をみていると、教科なんていうのは、必須にしてもほとんど無価値だと思うのです。やはり、価値があると思えば、勉強するでしょう。
そのあたり、いい加減分かるべきではないでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-28 18:41
2006年 10月 27日

東京経由、名誉会員、新庄選手

今回は東京経由となったのは、東大のYさんに沖縄での研究の関連のことでいろいろ教示していただきたいことがあったのでした。研究面で一部非常に近い所が出てきました。同時にYさんと同じラボの講師をされているTさんにも教えを乞うことがありました。彼女はもうすぐ英国でラボを開設されるので渡英されるとのことでもあります。あえて惜しい人材が英国に流出するとは言わずに、何年かたったら、帰国して日本を変革していくうえでの重要な人材が英国に一時貸し出しされると、考えたいものです。お二人にはいろいろ貴重な情報をいただきました。ありがたいことです。
それともう一つは、日本生化学会が貴殿を名誉会員とするという、意外にしてうれしい驚きでもあり、またありがたい通知がありましたので、本郷のほうの学士会館の分館に参りまして、長田重一会長から、直々にいただきました。わたくしの日本生化学会自体に対する貢献はまったく無いのですが、生化学の出身者の一人として、その領域をわずかながら拡げたとみていただけるのなら、ありがたいことです。
たしかに、大学院生の頃は生化学の学生でもあり、地元学会はたしかに生化学でもありましたが、学会にいっても、ほとんど領域外の先生の話を熱心に聞くという生化学の先輩から見れば、まじめではない若者でした。ただ、学部の4年生の頃から、最初の4年間はかなり猛勉強をしましたので、今でのわたくしの生化学の知識の基礎はほとんどその頃の蓄積によるものです。いまは、メタボリックな仕事を始めてもまったく違和感がないのは、やはり初期の頃への回帰的なものもあるのかもしれません。こういうわたくしの現在しか知らないものから見たら、驚きの証書はオフィスに掲げておこうと思いました。

日ハムが4勝1敗で日本シリーズに優勝しました。
新庄剛志という端倪すべからざる人物が、日本中を席巻しています。
かつて阪神にいる頃はほとんど迫害といってもおかしくない仕打ちを受けた人物が、いまやこの多くの人たちをとりこにする、カリスマ性というのか、求心力の強さはどうでしょう。
北海道の熱狂性は当然としても、日本中のアイドルと化しているのはまったく、「現象」といわざるをえません。わたくしは、このような人物が人気が出ること自体には非常にポジティブです。特に若い人たちにはこの珍しい人物を研究して欲しいと思います。意外に、新庄選手がまともで古い日本的感覚を21世紀的に衣替えをしていることに気がつくと思われます。
わたくしがこの人物について、「おや?」と思ったのは、いつだったか、現役バリバリなのに、「自分には才能がないから野球を辞めたい」というセリフを吐いたときです。
江本の「ベンチがアホやからーーー」という即物的なセリフよりも芸術性の高いセリフに聞こえました。当時、新庄は亀なんとかという選手と同類かとわたくしは思っていましたが、ちょっとこれは違うなと思いました。本当かどうか当時の監督の藤田平氏が新庄の人物性をまったく認めず、かなりいじめたあげくに本人から出てきたセリフなのではないか、となにかで読みました。
ニューヨークメッツにいけたこと自体にわたくしも驚いた一人なのですが、予想をはるかに超えた大活躍をしているときに、「記録はイチローさんにまかせて、自分は人気でいきます」というセリフをなにかのおりに聞いて、これもなるほど、自分をうまく表現出来る人だな、と感心した記憶があります。
イチロー選手はたぶんひそかに、新庄の端倪すべからざるを能力というか才能をいち早く認めていたのではないでしょうか。つまりこのあいだの、WBCでのイチロー選手のパフォーマンスは、新庄を意識していたのではないかとさえ思いたくなります。
わたくしが改めて新庄選手を面白いと思うようになったのは、なにかの番組で新庄選手の父君が登場してインタビューに答えているのをきいて、ほうこれは日本社会において日本中どこにいっても尊敬をかちうることのできる、浪花節も信義も充分わかった伝統的な人物なのだな、と理解できたことでした。この男性の息子の新庄はみかけによらず、生活感と信条は伝統的な人物であるに違いないと、思ったものでした。
それが確信になったのは、彼自身のインタビューでしたか、かれが自分がいま使っているグラブは野球を本格的に始めてからずっと同じグラブ一つを大事にして今日まで来たということを聞いたことでした。聞き間違いかもしれませんがそのように聞こえました。たしか、値段もいってたと思います。それを大事に大事にしてずっと使ってきたというのです。
この一言で、もしもわたくしが野球少年なら、しびれてしまうでしょう。
わたくしが、大学院生になってから今日まで同じものを利用しているものがあるといいのですが、いくら考えてもなにもありません。

その大事なグラブを頭にかぶる仕草がいま受けていることを聞くと、それは受けを狙う行為ではなく、自分がいちばん大切にしているものを頭のうえにのせるという、一種のリチュアルな行為に見えてしまうのです。
新庄はたぶん、これから伝説の人となり、さらに時代が下れば神話的な存在になるかもしれません。
新庄選手の持ってきた美学はそれにたえうるものだと思われます。わたくしも日本中の何千万人の一人として、かれがこれからを何をするのか、興味をもっています。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-27 22:08
2006年 10月 26日

暑い日射し、ゆうゆう、N's garden

今日も暑い日です。昼飯時に車に乗ると、本州では盛夏の頃の暑さと同じとなりました。これが沖縄の秋かと、思ったら、Sさんがこちろは紅葉ありませんからね、と言われてなるほどと、納得。

きのうの夜は高原の近辺でしょうか、ゆうゆうという日本料理というか本州料理という感じのところに行きました。前から何遍も行ってます。ここは最近改装したので、部屋もきれい、食べ物もあいかわらずハイスタンダードでした。節酒中なので気をつけて、おいしく食べつつ、食べ過ぎもせず、われながら模範生でした。

中日が日ハムにまけたのを確認しました。しかたないですね。今は勢いは完全に日ハムですから、今晩決まってしまうかもしれません。

きょうは、朝から各論的にみなさんの話を聞いています。
お昼は女性達がおすすめのN's gardenというレストランに行きました。
たしかにきれいなイングリッシュガーデンに清々しい雰囲気での昼食、沖縄ではこういう場所は初めてです。京都近辺なら相当高く取られるのに、ランチ飲み物で千円をわずかながら切るとはたいしたものです。また来たいとおもいました。
みんなで記念写真も撮りました。
Uさんの誕生日でした。

最後に、来年3月の国際ワークショップの準備の話しをして、五時過ぎに空港へ。
深夜に東京にたどり着く予定です。

高校生が世界史必須なのに学校でやらないので、卒業認定ができないとか。補講が70時間とか140時間必要とか、そんなことがなぜおきるのかまったく不明です。岩手、宮城、山形で集中的に起きているので、まあいいか、とやらないのが常態化していたのでしょうか。教育再生とかいうかけ声が出たので、それに合わせて内部告発があったのでしょう。
この教育再生というのは社会的なエリーとをいかにつくるか、そういうことを考える会議らしいと、最近分かりました。
エリートは作ろうと思ってできるといいのですが、どうなのでしょう。わたくしは人工的にはなかなか作りにくい、やはり社会が自然に生みだすものだと思います。
エリートというか社会を引っ張るような人材はそれを必要とすると自然に生まれてくると、考えたいのですが。学校をいじって生まれてくるのでしょうか。首相の好きな吉田松陰の松下村塾もいわば、私塾みたいなもので、しかもほんの数年しか存在しなかったようですね。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-26 16:30
2006年 10月 25日

秋の日射し、一キロの結石

定宿にしているホテルはとうとう修学旅行生に大挙占拠されていました。
しかたないのでしょう。この時期は。
エレベーターで会った、高校生諸君がおとなしいというか、暗い感じなのにびっくり。たまたまとは思いますが。
秋とはいえ、沖縄の日中の日射しは非常に強くて、夏とかわりません。
ただ、夜はさわやか。きのう、マンジャーレで食後のコーヒーは外に出て、夜景を眺めながら過ごしましたが、たいへん気持が良かったでした。
研究室のほうはとなりのD研が隣接する健康科学センターに引っ越したので、急にがらんとしました。来年初めからは別なグループがやってくるとのこと。

毎日新聞に、膀胱に1キログラムの結石を持っていた人物がいたとのニュースがありました。本人はまったく気がつかなかったとのこと。驚いたとは本人の弁ですが、周りはもっと驚いたでしょう。
わたくしも、恥ずかしながら、41才の時に、尿管結石が動き出して、七転八倒したことがありますが、二日後にそれが出てきたときには、目から火花が飛び散りました。しかし、その時の結石の大きさは、米粒大でした。1グラムもないとても小さなものでした。それでも、あれだけ痛かったのですから、痛くもなく体外に出したと記事にはありますが、どう出したのでしょうか。知りたいものです。わたくしは、いま肝臓にも石があると、健康診断に出ていました。こういう石は死ぬまで体内に温存するものなのでしょうか。

昨日書いた、山口瞳本、買った記憶がないのは当然で、考えてみると息子のRがお父さんおもしろいよ、とか言って置いていったのを思いだしました。

これから、研究室のみなさんと会食に行きますがどこに連れて行ってくれるのでしょう。みなさんの仕事の話しを詳しく聞きましたので、労働の後のいい時間がもてるでしょう。最近、食べるのを控えてるので、何を自分が食べてるのか、自覚してるようになりました。このあいだまでは、何も考えずにぱくぱく食べてることが多かったものでした。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-25 17:34
2006年 10月 24日

人の悩みは聞いてみないと分からないもの

きょうは、ラボに昼頃まで働いてから、沖縄へ向かいます。そのあと、東京経由で帰るので、家に戻るのは金曜日になります。
朝トイレに入るときに、山口瞳の特集本が目にとまったので、つい持っていってしばらく読んでしまいまいた。2003年刊行とあるから、比較的最近買ったはずです。でも、記憶にありませんが。
山口瞳の息子さんと嵐山氏が対談しているなかで、エッセーに書かれる対象の家族の苦しみというか怒りというかつらさが出てきたので、ドキリとしました。嵐山氏は、家族のことを一行書いたら、何十年も恨まれるのでまったく書いてないそうです。
山口瞳の息子さんも奥さんも苦しみながらも、協力して何十年もやって来たのだということがあり、規模はまったく小さいものの、このブログに時たま、家族のことをわたくしは遠慮しつつすこしずつ書いてるのですが、あまり気にしてないようだけれども本当はどうなのだろうと、こわいけれどもそのうち聞いてみなくてはいけないと思った次第です。
そういえば、この夏に米国で車でわたくしをロスまで連れていってくれた、Kさんはブログを持っているのですが、奥さんのことは決して書かないそうです。と言うか、書けないのだそうです。
この対談で、笑ってしまったのは、火宅の人の壇一雄氏が、色んな行状はあるにせよ、奥さんがお米の入っていた袋でパンツを作ったくだりを書いたのを、他のことはおいても、それがいちばん怒らせていたというエピソードです。
親しみを込めて書いたつもりでも、親しい人が怒り出すのはあるようです。わたくしも、ラボ内であった色んな発見のストリーを書かなくなったのも、どうも怒る人たちが多いことに気がついたからです。難しいものです。

このあいだ聞いた話しですが、会社にいて、優れた研究業績が上がったとして、いわゆる国の競争的研究資金をもらったとしても、周囲はかならずしも歓迎しないものらしいです。つまり、そんなことやって、会社のためになるのか、企業の利益になにかなるのか、そんな意見が強いものらしいです。役に立ったとして、それでそれを企業のカネでないものでやったとしてどうなのだと、こういうことになるらしいです。
人の悩みは聞いてみないと分からないものです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-24 23:00
2006年 10月 23日

民主党の支持基盤

昨日は長いのを書いたので、今日は短くします。

やはり、安倍首相の中韓週末旅行がきいて、選挙は自民党が勝ったので、今日昼時に食堂で読んだ京都新聞の見出しは、小沢民主党惨敗とありました。
栗東市長選でも、民主党候補が敗れて、新幹線新駅推進の現職市長がかちました。
関係ないですが、札幌の日ハムが勝って、名古屋の中日が負けました。

民主党の支持基盤てなんでしょうか。非自民というあいまいなものなら、アンチ巨人みたいなもので、巨人が弱くなってくると意味がなくなるのですが、だいたい民主党大好き人間なんているのでしょうか。自民党はいやだから、投票するというのでは、民主党は根無し草党になってしまいます。労働組合の連合あたりが強いときには、組合政党的色彩もあったのでしょうが、いまの労働組合は、フリーターや派遣社員を搾取するような特権的守旧的正社員の団体のようなイメージで清新さにまったく欠けますね。
栗東市長選でも候補者が、駅反対といえばたぶん選挙では勝ったと思うのです。この候補者は、ぬえ的というか腰が引けてるというのか、どうもあいまいな意見ばかりで、わたくしは負けて良かったとおもいます。
民主党は小沢代表の壊し能力でやはり一度解体して、支持基盤をはっきりして欲しいと思います。小政党の合体みたいなもの、むかしあった、諸派連合とか、民主戦線とかそんな風にできないのですかね。今や、年金党とか、フリーター党とか、失業者党とか、そういう小政党が群をなして、ただし強い支持者のもとにたくさん生まれるといいのではないかなどと、夢想しています。わたくしは、たぶんガーデニング党とか週末農業党とか言うのができたら、それの支持者になりたいです。
すみません、きょうはくだらないことを書き散らして。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-23 18:13
2006年 10月 22日

メタボリックシンドロームと競争的研究資金

研究資金の多くは競争的と呼ばれるものが多くなってきました。その中で、政策誘導型なる研究資金があります。
たぶん、これは霞ヶ関、永田町とそれに追随する研究者が、より役に立つ研究資金ということで、より国民の利益に直結すると考えられる研究テーマをその時代に合うように選択して、研究者の中から優れた研究計画を広く募集しようとする意図のようです。

これにたいして、文部科学省のやっている科学研究費補助金なるものは、研究者が自分の創意工夫で自発的にかんがえたものを申請して、応募するものです。自発的にかんがえたものの中でも国民の利益に直結するものも沢山あり、決して研究者がきままに趣味的なテーマを選んでやっているわけではありません。でも、なにかの政策に誘導されて研究テーマを考えるのでなく、あくまでも研究者が主体的、自主的に考えて申請するものです。

この政策誘導型研究資金なるものをここで正面から批判しようとかそういう趣旨できょうは書き出しているのではなく、その特徴をみずからの体験から記しておきたいと思うのです。

それは、政策誘導型研究費なるものは、その研究成果がもしも世間に評判良く受け止められたときには、それを自分の手柄と思う人が割合おおぜいぶら下がっているのです。これは、通常の研究者自発型とたぶんいちばん違う点かもしれません。自発的な研究計画から、素晴らしい成果が上がれば、研究者だけが褒められるのに対して、この誘導型の場合は、誘導されたわけですから、誘導者がいちばん手柄とおもうかもしれない構図があるのです。
誘導者のなかには、政治家、官僚、研究資金を実際に配る機関の責任者、さらに研究者側の責任者、色んな段階があります。このなかで、霞ヶ関の直下にあるところが色んな意味で、失敗すれば責任を取るという点でも、手柄か失敗かということで、影響がもろに出るので、研究のいろんな側面に口をだしたくなるようです。
政策誘導型の研究の立案段階だけでなく、研究実施段階でも口を出して、ノルマ達成的な言動がでる場合があるかもしれません。
こういう口を出す人が出る人たちが、研究の現場を熟知してればいいのですが、そうでないととんでもないことが起こるかもしれません。たとえば、これまでは全国でもせいぜい10カ所程度の研究グループがやっていた分野が突然政策誘導型の研究の目標になってしまい、10倍とか100倍に匹敵するような研究費が出て、若手研究者が根こそぎそのような分野に相対的な高給条件もあり、いってしまうことがあります。
その政策誘導型プロジェクトが失敗だったりすると目も当てられないことになります。たとえとしては、ゆっくりとしたテンポであるがそれなりに豊かにやってる村落に、とつぜん札びらと幻想をまき散らして、根こそぎ若者を都会に労働者として連れ去るようなものです。たとえてして良かったかどうか分かりませんが、タンパク3000とかいう政策誘導研究にきわめて厳しい批判をしてる研究者達がいますが、その批判の内容を分かりやすくいえば、そんな感じです。結局、最後は研究成果の質が問題になるのですが、そこの点まで突かれてるようです。
政策誘導型の研究費をもらうと、現場での研究の主宰者にはもろに責任がかぶります。とくに、無理して研究の線をどこかでねじ曲げて、研究費をもらうと、のちのちきびしいことが起こります。かつて、環境ホルモンという日本中が総立ちになって大騒ぎした時にあった政策誘導型研究費については、わたくしも思いだしたくないことがあります。

わたくしなどは、そういう問題があっても研究費がなければ、おしまいになってしまう立場ですから、とりあえず贅沢なことはなにもいいませんで、必要なら誘導されるのも致し方ない、それでも研究を続けられるのなら、万々歳という立場です。
自分でいうのもなんですが、いまのわたくしは研究には老練ですし、老獪といってもいいかもしれません。しのぎの筋を見いだすのは研究面でこれまでなんどもやって来ました。しのぎというのは、わたくしが考える研究を理性と良心でおこなうという前提には絶対そむかないで、なおかつ生き続けようということです。

世の中で、メタボリックシンドロームということばが流行っていますね・
実はいま京大でのわたくしの研究室運営の資金は、このメタボリックシンドロームを理解するための研究(基礎的なもののはずです)の政策誘導型の資金をもらっているのだと思います。そこのところは、それほど露骨に政策誘導性は強調されませんので、本当のところは分からないのです。しかし、そう思って研究をしていた方が慌てないですむでしょう。

このあいだの研究費の年次会合の終わった後での懇親会で、わたくしがこの研究費をもらったのは、驚きだと、言ってた人がいました。たぶん、分野がぜんぜん違うのに、けしからんと言った人もいたに違いありません。
しかし、この研究費計画を考えたときに、わたくしにはアイデアが天啓のようにひらめいたのです。わたくしの、染色体の研究はいまこそ、個々の細胞の中で、メタボリズムの観点から見直すべきだと思ったのです、そうすれば研究の新天地が生まれるのではないか。さらにいままでのわたくしの細胞周期や、タンパク質の修飾や分解の研究の経験からいえば、その方向に研究を進めるのが、ベストに違いないと、とこう思ったのです。
はっきりいって、たった一年間で、その天啓は嘘ではなく、真理がわたくしに微笑んでくれた瞬間であったことを示すことができたと思います。
染色体分配はそれが起きる場をメタボリックな環境として考えることにより、新しい発展があるに違いありません。
わたくしのラボの研究は政策誘導をした人たちに受けがいいものになるかどうか知りませんが、まちがいなく、わたくしがこれまで長らく関わってきた研究分野に新しい息吹を示すものであるに違いありません。
30代の頃に、軍事研究をするのを他人がやるのを認めるのも研究の自由の一つだといって顰蹙を買ったものです。心の底では、政策誘導だろうが軍事研究だろうが、どっこい生きているのを示すのが、研究者の心意気だとおもっています。
いまの有力な研究手段の中で、相当のものがベトナム戦争時に開発されたものがかなりあるのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-10-22 19:07