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2006年 12月 31日

2006年の最後の日も

年の最後の日となりましたが、いつもと同じようにやらねばならぬことがあります。
それを済ませてから、他のことを余裕でやれるといいのですが、そうなりません。
たまったメールの返事をしなければいけないのですが、相当数は年を越しそうです。しかたありません。優先されるものがあるので。
ともあれ、K君に送るべきものはおくりました。
他に、2,3人どうしても今日中に送りたかったものを、メールで送ったのが午後3時過ぎでした。
雪の中を散歩して、次男のやっている胞子虫なるものを詳しく聞きました。なるほど面白いものです。
孫たちは、楽しそうに遊んだり、おりおりに抗争もあるのですが、すくすく育っています。

百万遍の角のすぐそばに、松屋というほとんど若い男性だけが入っている食べ物やがあります。研究室のランナーである、H君が愛好する店らしいのですが、いつ覗いてもカウンターでひとりで黙々食べている客が多いです。ある時、この店の看板にさりげなく年中無休、24h開店とか書いてあるのを見て、感心したものです。このさりげなさが、頼もしいと感じる客は多いのでしょう。きょうも、いつもと同じように、黙々と食べる客が沢山はいるのでしょうか。年越しそばがメニューにあるのでしょうか。

天気は良くなって、うららかな日となりました。しかし、雪はまだだいぶ残っています。蓬莱の山頂のスキー場も相当量の雪に恵まれたでしょう。
月は半月近く、明日のびわこからのご来光でも拝みに行きますか、と言っても、100メートル歩けばいいのでしょうが。

来年はどんな年になるのか、予測はできないし、あまりしたくありません。
この一年も長く感じましたが、来年もそうだとおもいます。
わたくしとしては、ますます個性的に独自の生活をしたい気持がつよくなっています。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-31 17:12
2006年 12月 30日

サダムフセイン元大統領の処刑、ことし一年のブログ

ネットニュースを見ると、BBCはフセイン元大統領の死刑執行を断定してますから間違いないのでしょう。
このアラブのかつての英雄、と同時に悪名たかい独裁者も生涯を終えることになりました。わたくしのほとんどの知識は一冊の邦訳本サダムによっていますが、罪ばかりでなく、功もまちがいなくあった独裁者でしょう。
米軍の侵攻によって、いまもイラク国情は混乱を極めています。しかし、イラクにとっての大きな救いは死刑判決がでた法廷がイラク人によって行われたことでした。外国の影響があろうが無かろうが、裁判長もイラク人、被告もイラク人で、大声でやり合っている法廷は世界に放映されました。ですから、フセインの命を奪ったのがイラク人であるからには、これから先いかなることがあれ、この法廷の論議はイラク人によって、納得できるいまで行えるでしょう。
それに引き替え、日本の東京裁判はまったく違うものでした。東京裁判と同時に行われた多くの戦犯裁判は外国人が法廷で日本人を裁いたものでした。日本人はただの一度も日本が起こした戦争の責任者を裁く機会を持てませんでした。
日本人はあの裁判以来、「ふぬけ」になったというのがわたくしの個人的感慨です。
その「ふぬけ、腑抜け」状態が半世紀以上も続いているのです。
わたくしは日本人でありながら、可哀相な日本人と、感じます。イラク人がこの点で羨ましいです。
日本における社会的病いの大半はあの外国人が日本の戦争犯罪を裁いて、それにたいして日本が世界になにも言えなかった状況に起因するとまでいいたいくらいです。
風が吹けば桶屋がもうかるという類のロジックに聞こえるでしょうが。

これで2006年もあと一日で終わりとなります。
この一年、雨の日も風の日も、国内にいるときも海外に居るときも、とうとう一日もやずまずにこの1年間このブログを続けました。
小学校の頃にわたくしが熱しやすく冷めやすい、三日坊主になりやすい、と批評してくださった、あの先生にこのブログを見せたら褒めてくれるでしょうか。

この一年間、色んな人達にブログについてコメントを頂きました。
ありがとうございました。
最高の賞賛は、柳田さんはロックシンガーのようなキャラクターなのですね、でした。
最悪のコメントは、(自分のラボの院生が)先生のブログを読む時間があるくらいなら実験でもしてほしいとわたくしの面前で言った、ある若手教授のものでした。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-30 17:45
2006年 12月 29日

杉野教授と多比良教授の懲戒免職におもう

雪が降りました。寒波襲来です。沖縄のT君夫妻が結婚あいさつに今晩くるとかですが、寒くて気の毒です。次男も一日はやく帰省するとのこと、あしたからは娘の家族や長男もくるとのこと、賑やかになるでしょう。

多比良教授と杉野教授がそれぞれ東京大学と大阪大学によって懲戒免職されたことについてなにか書かねばと思いつつ、気持が重いのです。また、松本早稲田大学教授も最近退職されたという記事を見ました。
実は分子生物学会が最近研究倫理委員会をたちあげましたが、わたくしがこの委員長になってしまった経過があります。それで、「休憩時間の」話題になりにくくなりました。この件について書くことがよく考えねばならないような状況になってしまいました。
会長名ででた委員会のたちあげアナウンスは以下のサイトで読むことができます。
研究倫理問題に取り組む学会のアプローチが理解されるとおもわれます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mbsj/ethical_committee.html

多比良教授と川崎助手のことにつきましては、大学側は捏造の絶対的証拠をつかむことができなかった、しかしこのお二人の研究のやり方はあまりに不誠実な態度であり、誤った結論の論文を公表することにより、東京大学の名誉と信頼を著しく傷つけたというもので、そのことを理由に懲戒しております。お二人は、懲罰が重すぎるという理由でなんらかの法的対抗措置をとるかもしれない、新聞にありました。
いっぽうで、杉野教授のケースは捏造には確証がありました。いくつかの論文であることを大学側はつかんでいますが、教授はいまだに捏造の一部しか認めず、論文を撤回したのもその一つだけと聞いています。大阪大学も懲戒の理由に教授が捏造行為をするという行為自体が懲戒の対象になることを指摘してますが、同時に大学の名誉を著しく傷つけたことも理由にしています。

ここから先はもちろんわたくしの個人的意見ですが、懲戒免職は予想された懲戒だとおもいます。
大学がこのような悪質な捏造問題に乗り出せば、結論としての懲戒はこのようなレベルのものになるのは予想されることでした。多比良教授のケースは自らが手を下した捏造でもないし、大学側も絶対的な確証は得られていない、と言ってますが。かれの科学者としての不誠実な態度はまったく信じがたいレベルにあるおもいましたし、このレベルの懲戒はしかたがないと思われます。
しかし、ここでよくかんがえておかねばならないことがあるとおもいます。

この捏造論文が研究者のコミュニティーを離れて、大学当局の手に渡って、そこで対応が行われたことです。
捏造論文の多くは、関係研究者が事情を十分に説明をして、それで終わるケースがこれまでは多かったのでした。しかし今回は研究の主宰者自らが捏造するという未曾有の出来事や、研究室の主宰者が何度にも渡る疑義について誠実に対応をまったくしなかった、ために研究者コミュニティーの「自治」を離れてしまい、大学当局という本来は捏造問題に対応するには不向きかもしれない組織が出て来ざるを得なかった。またひとたび「当局」が出てくれば、処分はそれなりにきびしいものになりがちです。
特に大学の名誉と信頼を著しく傷つけたという理由が出ることからも、その点は明らかです。
つまり、捏造したもしくはその嫌疑をかけられた人達の対応一つで本来は違ったかたちで結末を迎えたかもしれない出来事が、大学の名誉と信頼を著しく傷つけたということで決着を見てしまったのです。
かれらのふたりを教授にした人達から見れば、晴天の霹靂であるでしょう。しかし、人事で結果責任を追及されるかもしれないことになってしまうのですね。多比良教授のケースは、東大に行く前からとかくの噂があったことはわたくしも前に書きました。杉野教授にしても、詳しく書けませんが、捏造行為がかなり昔に遡る可能性が指摘されています。そのような情報をしらずに枢要な職につけさせることの結果責任は今回の行政改革大臣の辞任にもありますね。つまり、名誉と信頼を傷つけると言うロジックになると、なぜそのような人達を教授にしたのだと、それは誰の責任だという風に、捏造の本来の問題からずれてしまう恐れがあるのです。
しかもマスメディアにここまで書かれてしまうと、かれらへの社会的な懲罰はとてつもなく重いと感じられます。
ですから、このような経過をたどると、もっとなんとかならなかったのか、と思わざるを得ないのです。実際にはそれはほとんど不可能だったろうと思いはするのですが。
大学当局が乗り出して決着することの苦い味は関係者、当事者にはよくよく分かっているはずなのです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-29 16:33
2006年 12月 28日

ことし最後の理髪、Vさん来訪

今年さいごの散髪に行きました。髪の毛は死体でも伸びるのですから、老化とあまり関係なく、伸びてきます。ヘンな風に直毛風の毛が眉毛とか耳とかに少数生えてくるのが、あまりいい気分ではありません。年取っても鼻毛も伸びるし。
やはり混んでいて、一度ラボに戻って、出直しました。

カナダモントリオールのVさん昼頃にが来られて、ラボのメンバーもまじえて、研究面でいろいろ意見交換をしたあとで、彼にセミナーをやってもらいました。新しい話しでたいへん面白かったです。それに平素考えたりしないトピックスですが、本来考えるべき問題で、わたくしの教養が足りなくて考えてなかった面が多いので、大変教育的でもありました。
彼には、これまでも折々に助けてもらってことがありました。

これで今年最後のラボでの研究活動はおわって、あすから新春4日まで自宅研修です。その間に進めなくてはいけない例の論文がありますが、とりあえずきょうは、年の終わりの気分で、このあとVさんと晩飯でもくいながら歓談しましょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-28 18:07
2006年 12月 27日

イノベーション会議、集中できる環境、血糖値を自分で測る

きょうは学術会議の二つの委員会にでました。イノベーションのほうはなかなかおもしろかったでした。あとで、Kさんに面白かったといいましたら、わたくしがいちばんしゃべっていたと、言われてしまいました。20年後の娯楽についてのイノベーションも話題になりました。アニメみたいなものがいまの日本人の一つの自信の元になるのは、理由のないことではないらしくて、例えばドイツでは20年前は日本の経済の成功が日本に関心を持った人達の主たるトピックスだったのに、いまはコミックとアニメなんだそうです。
わたくしは国民ひとりひとりが自分の興味とか関心を強く押し出すようになると、いろんな意味でいいイノベーションがたくさん出てくることも言いました。その時、家庭風力発電のことをちょっと例に挙げたら会の終わったあとで、出席していたかたのひとりにいろいろ経験談やなにかを聞けました。やはり言ってみるものです。そのうちぜひ一台購入しようと思いました。

そういえば、わたくしも大学院の頃にマンガ雑誌などを見ました。がろとか、白戸三平のものもたくさん読みました。あと名前を忘れましたが、色んな面白いマンガがあったことを思いだします。いまは、まったく見ませんが、子供には見ることは奨励まではいかないまでも、見るのが当然という態度で接してました。

新幹線では、となりに誰も座ってないと、すごい「勉強」の能率が上がって、行きも帰りもあっという間に2時間が経ってしまいました。なんとも言えずうまく集中できるのは、売り子さんや車掌、乗客などがそばを通り過ぎるからかな、等と思いました。案外ラボでも、学生さんがそばで実験をしてるところでデスクワークをしたら能率が上がるかもしれません。もちろん彼等は非常に嫌がるでしょうが。

血糖値のことなど興味を持って読んでくれるひとたちが案外多いらしいです。
わたくしいま血糖値を自分で測ることにかなり入れあげています。
大抵は一日一回朝食前ですが、たまに夕飯前と夕食後2時間で測ります。
自分の血糖値の癖を知るために、一日に4,5回測ったこともありました。
一万円ちょっとした装置で、針が指先に刺さって血の小さな球が出る装置を使ってます。最初に医師のF君にやり方は教わりました。ちょっとちくっとしますが、痛いほどではありません。測定には頻繁にやると馬鹿にならないお金がかかりますが、インシュリンを使う必要のある患者でないと、保健にかからないので、趣味の一環としてやってる気持です。

血圧も最初の2か月は朝晩測ってましたが、最近は安定してるので、朝だけにしています。ずいぶん低くなって、上の値が120くらいの日が多いです。110くらいの時もあります。測りだした頃は、140のこともあったのですが、血圧は顕著にすぐに下がりました。病院に持っていって同時に測って、つかってる機械が正しい値を示すことは確認してあります。朝の血圧のほうが夜より高いのは間違いないです。
体重も減るだけ減ってしまったので、残りは血糖値だけとなりましたが、こちらはかなり克服は難しいと感じてます。最初の一ヶ月はその値が変動するのですが、その変動の根拠がよく分からないのですね。でもだんだん前日に1時間半くらい歩くと顕著に効果があることが再現性よく起こるので、一つの解釈の基盤ができてきます。それにやはりお酒は血糖値にはマイナス効果があるみたいです。飲むときはしかたないとあきらめて飲まざるを得ません。わたくしは甘い飲料はまったく飲まないのですが、たぶん甘い飲料も良くないのだと想像しています。
2月の次の再診時は、今回のHbA1Cの値の6.5よりは下げたいものです。
カニを食べたあとで、二回とも血糖値は顕著に低かったのですが、偶然なのか意味があるのか、それほど好物でもないカニを毎日食べるのは、経費的にも趣味的にもあまりいいとも思えませんが、気にはかかります。
世の中、サプルメントが全盛のようですが、なんとなくわかります。アジアでは心の奥底では、漢方薬みたいものが結局いちばんいいのではないかなどと、思う人が多いのですね。
薬膳などと見たりすると、ついふらふらと食べたくなるのはそんな気持があるからでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-27 21:47
2006年 12月 26日

いろいろあるのですが、血糖値を上げないために

ここのところ色々あるのですが、血糖値にはストレスが良くないらしいので、極力ストレスにならないように気にしないように、気をつけています。ただわたくしの血糖値などはたかがしれていて、空腹時で最近は110以下のこともおりおりにあるので、糖尿病と言う名前には違和感があって、高血糖値症とか、準高血糖値症とかいうなまえだと無症状でも自覚が出ていいような気がします。

色々ある中のひとつは今日発売の週刊誌にでた、沖縄大学院の記事ですが、いちおうみましたが、関心はあるのですが、これは感想を言いにくいです。ただ、最近沖縄大学院のマスコミでの記事は非常に増えてきているという実感があります。どの方向に向かうのでしょうか。
強いて言えば、この週刊誌としてはずいぶんデータがたくさん出ている記事だと思いました。

もちろんいろいろある筆頭は、半年以内のいまの京大の研究室からの退去とどこかへの引っ越しですが、実は明日が研究室の大掃除の予定です。年にいちどの大掃除なのですが、全員ガクッとしたあとなので、気合いが入らないとは、だれもがいうぼやきです。まったくそのとおり。
耐震工事は床まで全部壊してしまうのだそうです。億単位のお金を投入してきれいにしたのですが、全部壊すと聞いています。しかたないですね。こう言うときに使ういい言葉があるような気がします。セラビでもないし、なんでしょうか。

もうひとつは、K君の論文でここのところ何日か連続で一緒に昼飯をくいながら、ああでもない、こうでもないの話し合いです。だんだん考えは煮詰まってきているのですが。ひとことでいえば、まだまだ難航しています。

そういえば、どなたか、この研究室が移転するとしたらどれくらいのお金とスペースがいるのですか?とかいう、質問がありました。どなたか分かりませんが、お金はいらないのですね。研究費はかなり持ってますので。設備もものすごくあります。
スペースがいります。その広さは要面談でしょうね。普通の一研究室の規模でいけるはずです。これからもセルとかnatureとかそういうところに論文がでるかという質問ですが、それは結果であって、それを求めてやってるのでないので、返事はできません。2年おきに一報はずっと出てはいますが。
そういえば、沖縄のほうの論文のレビューが帰ってきました。ひとりのがえらい難しいので、考えが全然違うので、困ってしまうのですが、これも担当のSさんになるべくまかせて血糖値を上げないつもりです。

きょうはあしたの朝早くからの会議のために午後から東京に出てきています。あまりのひどい雨に驚いてます。京都から車窓はずっと雨でした。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-26 21:49
2006年 12月 25日

死刑4人執行、風がふけばーーー9号館からの退去通告、クオバディス

今日の新聞では、大臣が署名したので、死刑囚が4人執行されたというのが比較的大きなニュースです。それに対して、抗議をする声明がいくつもあったとか。
もちろん死刑廃止運動は一つのりっぱな考えでそれ自体は尊重します。
ただ、大臣が死刑のはんこを押さないことを褒めて、押した大臣を非難するのは法治国家としてはおかしいと思います。それじゃ、大臣は死刑を執行しないという新たな法律的なものを法の上に個人的に作ってしまう、そんな感じがあります。
やはり執行せざるをえないでしょう。死刑が確定しているのなら。だれもが、たとえ悪法だと思っても、法に従っているわけですから。前の法務大臣ははんこは絶対おさないと就任会見で言ってましたが、ずいぶんひどい大臣だとわたくしはその時思いました。どうしても死刑はいけないと主張する人がいると同じように、犯人は絶対に死刑にしてほしいと願っている被害者(の親族など)がいるのも事実です。いまの日本は、死刑を認めている以上、大臣ははんこを押すのが業務のひとつでしょう。

週末の話題には適当でないので、触れませんでしたが、実は金曜の帰宅直前にわたくしたちにとっては、おどろくべきニュースがやって来ました。
研究科長のNさんが急遽説明されました。補正予算で工学部9号館(わたくしたちが働いている場所)は耐震工事が認められました。これを聞いた瞬間に、すぐわたくしはここを半年以内に退去せねばならぬ、予想よりずっと速かったな、というショックと同時にしかたがないという、あきらめの気持が交叉しました。
今年度の税収が非常に良くて、京大には相当額の耐震工事費が国の予算としてついたのだそうです。京大は桂キャンパスもあるし、この9号館の工事にお金が回ってくるのはだいぶ先と、勝手に思っていましたが、そうではありませんでした。思いのほかに早くその時期がやって来たのです。そうなると、耐震工事がすんでもわたくしたちがここに戻れる可能性はゼロです。本来は借りていたのですから、本来の予定居住者に返却するのが大学内の鉄のルールでしょう。ここは文科系ゾーンということですから。とりあえず、この9号館の住人すべてに退去通告がでたのでした。生命科学に限らないので、いろいろな波紋があるのでしょうが、没交渉なので、聞こえてきません。
こうなると、生命科学はお隣の分子棟は折角手に入れていたのに、てばなしてしまったようですが本当に惜しい。それに、生命科学研究かは情報学研究科建物に将来的に移転するはずだったのに、情報学研究科は桂キャンパスに行かないとか、そうなると、この研究科の将来像はどうなるのでしょうか?

どうなるにせよ、わたくしはもう現役ではありませんので、日雇いの研究員ですから、学内的には何の発言力もありません。
大学というか実際には研究科のほうで手当をしてくれる(だろう)移転先の研究スペースに遅くとも半年以内に引っ越しをせねばなりません。それだけは、はっきりしています。
そんなことを、きょうラボの全メンバーにお話しをしました。全員、相当なショックのようでした。そうでしょう、前回の引っ越しはついこのあいだのように感じるでしょうし、ほとんどが引っ越しを体験しています。まあ、トラウマのようなものでしょうし。

わたくしは、どこかこの研究室を引き取ってくれるようなところがでてこないか、夢想しています。
野球のフリーエージェントのように、トレードみたいなものはないでしょうか。球場を失った球団の選手のほうがよりよいアナロジーとも思えますが。

わたくしの京大での研究室は経費的にはほぼすべてJSTの丸抱えみたいなものなので、しかもわたくしは、京大の単なる研究員なので、大学からの縛りはほとんどなにもないのです。気持的には研究科に迷惑をかけたくない、どこでもいいから迷惑のかからないところへ、出ていきたい。まさにクオバディスの心境となりました。

ただ、これはあくまでも夢想でして、実現しないのが夢なのだそうです。
研究科からはいったいどのような移転先を申し渡されるのか、固唾をのんで待つことにしましょう。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-25 17:55
2006年 12月 24日

稲荷山古墳、近藤重蔵の墓

なんとかお正月までに完成させたい論文があるのですが、まにあいますか。無理かなと、すこし弱気になってます。議論のところが、ちょっと難航気味。来週はまだ東京に行ったりせねばならないし、いろいろ年末に対応せなばならない問題もあって、どうなるか分かりません。しかし、昨日も今日も暇さえあれば、ああでもないこうでもないとやってました。

A医師のお話では、血糖値のコントロールにストレスがいけないのだそうです。しかし、このわたくしたちの稼業はストレスのかたまりみたいなものですから、困ってます。しかも、自分では感じないストレスが多いのです。というか、ストレスが時折減ることがあるのですが、それを感じることはできます。研究の一線にいようとすると、ストレスなしの生活はなかなか難しい。たぶん、ストレスを感じないための人間修養が一番大切なのでしょう。それが、わたくしには一番苦手なのです。

昼に外食して、買い物してそのあと、近くを散歩しました。風は冷たいのですが、運動もせねばなりません。農閑期なので畑ですることはほとんどないですから。
稲荷山古墳というところを通りました。素朴な建物のなかに、なかなか立派な石棺が置いてあります。そこからまたしばらく行くと、ちょっとした博物館があり、これはこの稲荷山古墳のためにできたらしいのですが、そこで説明を聞くと、ちゃんと保存しておけば、すくなくとも高松塚古墳くらいの価値は十分にあったらしいです。
しかし、見つかったのが明治の頃だったので、古墳は無造作に壊されてしまい、真っ赤な色をした石棺も雨ざらしに長いことあったらしいのです。これを京大の文学部の浜田教授たちが本格的に研究して、その世界では大変有名なのだそうです。
町内のK教授からこの古墳のことは、聞いていたような気がします。その現物を見たわけでした。素朴ですが、背景を聞くとなかなかすごいものでした。
これは昨日歩いたときに見たのですが、近藤重蔵というかた、この人が江戸末期に国後択捉を探査したこと、記憶のなかにはありませんでした。簡単な伝記をみると、おもしろい。失職のことも、晩年の蟄居のことも、いちどぜひ詳しく知ってみたいものです。お墓の効用です。

ディープインパクトですか。すごい馬のようですが、知識がないので、なにも言えません。
亀田選手の名誉回復ですか。良かったですね。いまは興味を持ちにくい人になってしまったように見えるので言うことがありません。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-24 19:30
2006年 12月 23日

風評被害、お正月準備、ネギを食べる動物

牡蠣(かき)養殖業者がノロウイルス感染の原因といわれて非常に困っているようです。ほとんどのケースは、牡蠣が原因でないのは正しいのでしょう。これを報じている新聞やテレビが、人ごとのように風評被害と報道するのが、どうもおかしいというか、養殖のひとが気の毒というか、しかし簡便な解決策もないので、みんなが困っているのだとおもいます。しかし、報道側はひとごとと思わないでほしいとは思います。
牡蠣の食あたりはたしかに昔は非常に多かったと思います。でもいまでは、トリの刺身のサルモネラ中毒のほうがずっと多いでしょう。わたくしは絶対に食べませんが。
しかし、世の中には風評被害で困っている人はたくさんいるのでしょう。一方で、風評でうまい目にあっている人達も沢山あるのでしょう。実体のない権威みたいなものはその典型でしょう。

このあいだ、佐藤優氏の獄中記を買って読み出しています。米原万里氏が亡くなったので、わたくしが愛読する数少ない現存の論客です。お二人とも、ロシアがらみの知識人というのが興味深いです。わたくしも、若いときにはロシア文学にかぶれたので、なんとなくお二人の共通点を感ずるところがあります。

もうすぐ、お正月なので、きょうしめ縄を買いました。手作りで立派な縄でした。こういうのは、たぶん70才代か場合によっては80代の人達が作っているのかもしれません。この人達がいなくなっても、わたくしの世代が代わりになれません。いろんな手技が日本から消えていくのでしょうか。

きょう、比良山麓に来たら、このあいだから気がついてるのですが、ブロッコリーやレタスを食べる生き物がいます。猿がたべるかどうかでずいぶん長いこと妻と話題にしました(別に議論はしません、話題にするだけです)。結局、猿は食べないのではない可という結論でした。きょうはそのうえ、ネギまで食べられていました。それが不思議なことにネギのてっぺん部分がちょんちょんというかんじで、食べられているのです。鹿かなとも思うのですが、フェンスをして以来、鹿のフンを敷地内で見たことがありません。この動物はなにか。よもや、烏とも思えませんが、しかし、烏は色んなことをしますから分かりません。妻との話し合いでは、いまのところウサギではないか、といってるのですが。コンポストも脇から穴を掘ってる生き物がいるので、これと同じかもしれません。ウサギならまあいいか、というのが今のところの感想ですが。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-23 21:09
2006年 12月 22日

今年なった病気ー糖尿病ーわたくしの場合

杉野教授の懲戒免職についてなにか書こうと思ったのですが、どうも気が重くて書きにくいので、もうすこし頭がこの件で前向きになり、整理されてから書くことにしました。
懲戒ではないですが、事実上解任された本間教授のほうも、身辺があまり清潔でない印象を与えてしまった以上誰も彼を救えなかったのでしょうが、彼が税務調査会長を辞めて溜飲を下げてる人達と同列ではいたくありません。政治に巻き込まれるのはいやなものだなと、思うだけです。

それで、きょうはわたくしの身辺のことを書くことにしますと、今月初めに今年なった病気として「良性回転性めまい」のことを書きましたが、これは一過性でした。また再発するかもしれませんが、いまは忘れています。
もうひとつわたくしが今年の10月に京大病院でA医師に宣告された病気は糖尿病です。いそいで付け加えると糖尿病特有の病状はなにもでていませんが、しかし、長年の境界型を脱して糖尿病と診断されてしまったわけです。あいまいな状況が20年も続いていたので、ある意味、せいせいしたというか、これでだれにもわたくしは糖尿病患者といえます。犯人が自白した心境は分かりませんが、それに似たような心境です。

この病気になってる人、もしくはなりかかっているかた、もしくは正常ではないので糖尿病との境界にいる人はたくさんいますし、このブログの読者にもおられるでしょうから、折々にわたくしのケースについて、書いてみたいと思います。闘病記というにはほど遠いのですが、でも努力記というにふさわしい物語になるでしょう。

このあいだこられたHershko博士に彼が医学部で糖尿病を教えているので、わたくしも実は、と話しましたら、彼は言下に「糖尿病はなにもわかっていない、遺伝子レベルでわかってることはほとんどない」と宣いました。こういうひとことが色んなことを理解するうえで大変、役にたちます。なるほど、遺伝子レベルで分かってることはどういうことがあるのか、かれはすこし誇張して言っておられたのか、それとも本質的に彼のいうとおりなのか、これから糖尿病をまなぶうえでの一種の羅針盤的役割を果たしてくれます。わたくしも、発がんとかそういうことなら、なにか気がきいたこともいえそうですが、糖尿病となると、さっぱりです。

わたくしのケースは、血糖値はいわゆる境界値にぎりぎりおさまってましたが、HbA1Cなるヘモグロビンのなかで糖と結合したものの値が多いのです。10月に測定したときで6.8ありました。このHbA1Cの値は、健康診断で始めて測定された40代半ばの頃で既に6.3くらいありましたので、もう20年間も警告され続けて来たわけです。最初の頃はいちおうブドウ糖を飲んで血糖値の上昇と低下のパターンの検査もやりましたが正常なので、その後はほったらかし状態でした。目とか腎臓とか糖尿病で出てくる症状はないので、だれでもほったらかしがちですが、もう20年もほったらかしで、今日来たわけです。
今年、65才になった4月に、この高い血糖値と正面から向かい合うことに決心しました。症状が出てからでは、遅いということくらいは知ってるからです。
といっても多忙でなかなか腰が重かったのですが、かつて研究室にいたK医師のすすめもあり、専門医のA医師の診断を仰いだのが10月です。
その時言われたのは、
いちにち1500キロカロリーの食事でやってください。
腹8分目でなく、7分目で。
ゆっくり食べること。
一日1万歩歩くこと。
血圧を毎日測ること。120台でいたいですね。
お酒は極力控えめに。
これらが著功を示さなければ、お薬を飲みましょうというものです。

わたくしは、これにほとんどまともに挑戦することに決めました。ただ、わたくしにとって急激すぎる挑戦は失敗の元なので、自分で勝手に1600キロかローリー弱と読み替えたのと、お酒は週末は飲みたい来客時は飲みたい、徒歩は毎日ではなく、一日一万歩の日を顕著に増やすということしました。
この糖尿病は一生の病なので、一生つきあっていける自分のルールにする必要があります。挫折はしたくありません。禁煙の時の教訓です。

これだけのカロリーでは体重の減少は必然です。わたくしは、このことあるのを予想して春先からぼちぼち減量を開始して、9月頃には4キロほどの減量に成功していました。そのうえで、この1500キロカロリー作戦が始まったわけです。
11月のなかばにはとうとうわたくしの体重は高校生時代と同じになってしまいました。特に体調がおかしくはなりませんでしたが、でもこのやすやすと体重がさがっていって、春から見れば8キロも痩せてしまったのにはほんとうに驚きました。運動ではまったく無理だった減量がカロリー作戦を始めるとかくも容易に体重のバリアーを越えてしまうとは。しかし、カツ丼とか親子丼、あんパンとか、この減量作戦以降まったく食べなくなった食物はたくさんあります。
高校生から20台のおわりまでの頃は、暴飲暴食してもその体重で維持されてましたが、いまはカロリーを暗算しながらの毎日です。
65才にして、新たな人生が始まったことは間違いありません。体重はすくなくとも、青春時代に戻りました。
糖尿病にこころから感謝したい気持ちです。

by yanagidamitsuhiro | 2006-12-22 16:58