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2007年 03月 31日

春の来訪

たっぷり寝たので元気もでてきました。これくらい長く寝たのは最近記憶にありません。
庭にでると、コブシが満開でした。思い切り咲いてるので見ているうちに気分が良くなります。サンシュユも満開です。それにレンギョウも。
どうも梅はことしはちょっとしか咲かなくて残念。収穫はどうなりますか。それに三本あるわが家の桜もまだ咲きそうな気配がありません。4月半ばになってしまうのでしょうか。
畑もさすがにいろんなものが急に大きくなっています。アスパラガスは何十本も出てきています。ブロッコリーも沢山ついておいしそうです。キャベツも冬のあいだどうなることかと思っていたのに、どれもぐんぐん大きくなっています。絹さやもスナップエンドウも花をつけ出しました。それに200個くらい植えたタマネギも頼もしく大きくなってきました。あと、ニンニクとかエシャロットもこの一週間で一回り大きくなってきたような気配です。やはり春だな、と実感します。

きょうは昼からPFさんがこの比良の家に遊びに来てくれます。彼は昔わたくしの研究室に短期滞在したこともあり、日本のことはよく知っています。電車もひとりでどこでも行けるので、JRの駅まで迎えにいけばいいので楽です。彼とは考えてみると、もう25年くらいつきあっています。いわゆる団塊の世代ですが、英国人なので日本の同じ世代とどこが似ていてどこが違うのか分かりませんが、似ているところはあるように思います。つまり社会に対する関心の持ち方とか、もちろん映画とか音楽の好みなど。
前回彼がここに来たときには、このあたりをハイクしました。その時は古家だけでした。わたくしも彼の家には何度か泊まりましたので、気心は知れています。やはりつきあいは、家に行かないとなかなか深まりません。


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by yanagidamitsuhiro | 2007-03-31 11:26
2007年 03月 30日

質問のしかた

どうも風邪をひいたみたいで、寒気がします。軽い腹痛もあります。
たぶん疲れがたまってきたのでしょう。
会食は早めに切り上げて、帰ってきました。
寒いので震え上がりました。これから、長風呂に入って、早く寝ようと思います。

きょうはTHさんが研究室を訪問されて、夕刻にはセミナーをしました。ずいぶん聴衆は集まったのですが、あまり質問がなく、講演が終わってから、かれの傍によっていって質問をするという、よくある質問のしかたが多かったでした。いまの日本の大学の若者は、こういう類の人達が非常に増えています。なにか理由があるのでしょう。
質問というのは、自分の考えをさらす面もあるので、たぶんかれらはさらすのが生理的にいやなのと、用心深いのだとおもいます。
また、質問をするのが楽しいという感覚はないのでしょう。もちろん英語で質問をするのはそれなりに大変なことは認めますが。
わたくしも最近は講演をしてもシニアなひとたちからしか質問がなくてもそれでいいと思っています。

そういえば、4月11日に阪大で講演をします。沖縄でのG0細胞の研究をしゃべるつもりです。まったくのゼロから始まって、3年たってなんとか話せる内容の研究になってきました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-30 21:23
2007年 03月 29日

京都に戻る、異常気候、食料難

無事会合も終わって、朝食を海辺でノンビリとって、10時頃にホテルをチェックアウトして、THさんに研究所の現場を見せてから空港に向かいました。
明日はかれに京大でセミナー講演をお願いしていますので、京都まで同行するわけです。
いい機会でいろいろ話しができました。まさにもろもろの話しでわたくしの研究室の誰の研究の話しをすればいいかもわかりました。
京都に戻ると、まだ桜がちゃんと咲いてないのに驚きました。川端通りをタクシーで通りましたが、しだれ桜が5分咲きくらいのはありましたが、大半がまだ咲いてない状況です。
これじゃまったく早く開花するなどの予想はちがってしまったことになります。でも運転手さんはあしたかあさって咲くとかいってましたが数日はまだまだという感じをもちました。
予測がつきにくい、不安定な気候ということで、異常気候なのでしょう。
作物が世界的にまったく不作とかそういうことが起きるのではないかと、そんなこともTHさんと話題になりました。考えたくないですが、異常気候による世界的な食糧危機がいちどでも起きたら、日本人の食に対する感覚はまったく変わってしまうでしょう。
今の飽食系グルメ系食賛美系の食事のテレビ番組など、すべて消えてしまうかもしれません。そのかわり日本はいかにして食料増産をするかにすべての関心が向かうかもしれません。
日本の将来のためには、そのようなことが一度起きたらいいのかもしれないと、彼と話しながらふと思いました。

ラボにもどって2,3の人としゃべって、これから比良の家のほうまでかえります。THさんにも泊まってもらいます。前回泊まってもらったのはいつのことだったか。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-29 17:26
2007年 03月 28日

国際シンポジウム四日目

いままでに何回国際的なシンポジウムを主催したのか、ちゃんと勘定しておくべきなのでしょうが、今回のは最も成功した方の一つでしょう。もっと規模の大きいものもやりましたから、簡単に比較はできませんが、でも若い人の楽しそうな姿を見ていると、やはりこれはかなりうまくいったのだなと実感しました。海外から来たひとたちもトピックスがうまく拡がっていて良かったと言ってくれました。
いずれにせよ、この会を献身的にサポートしてくれたユニットのみなさんに感謝です。

午後のエクスカーションで久しぶりに読谷の陶器やちむんの里にいきました。
持病がでて、ついついいろいろ買ってしまいました。
たいした額ではありませんが。
天気がよく、自分が主催者でなくて、もっとのんびりしていたら、もっと楽しくショッピングができたのに残念です。でも買ったものについては、けっこう気に入りまいた。

きょうのわたくしの発表、時間はたぶん約1分超過でしたか。これを一分早く終わるように持っていけたらいいのですが、このあたりが研究者的な欲張りがでてしまうのでしょうか。

沖縄大学院のことをなんども聞かれましたが、もうワンパターンの返事しかできません。
まあわれわれは完璧なマイノリティですから見る目が変かもしれません。
また気も楽です。
懇親会ではエーサーの踊りがありました。みなさん大変喜んで、終わりには沢山参加して踊っていました。
わたくしもちょっと参加しました。体を動かすともっとやりたいと思うようになります。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-28 22:34
2007年 03月 27日

講演時間について、日本人研究者の英語能力

前に中曽根元首相の講演を聞く機会がありましたが、たしか20分という講演時間を、10秒の単位でピシャッと終わったのに感嘆しました。いわゆるセレモニーの挨拶でそういう時間がおしている状況ではきちんと頼まれた時間で終わる技術を持ってるのだな、と深く感心したものです。
そういう意味では、次から次に講演者が登壇するシンポジウムでの自分の講演時間の使い方、わたくしなど何歳になってもなかなか熟達しないな、と自覚しています。
聴衆は自分が思ってるほどにぜひ聴きたいなどとは思ってないので、自分の出来る最大のサービスは時間通りにきちんと終わることだと思ってるのですが、それがなかなか出来ないのが研究者の癖かなとおもいました。明日は、自分の番が来ますので、気をつけましょう。

それに対して、日本人の研究者の英語発表能力は最近非常に上がったのではないかと、今回は感じました。どうしてそう感じたのか、今回だけの現象なのか、よく分かりませんが、みんな上手じゃないか、下手なひとはちょっとしかいないじゃないか、と正直思いました。
これなら、フランス人よりも書く能力だけでなく、しゃべる能力でも上回ったかな、などと余計なことを考えながらきいてました。
このように感じた伏線は、講演者のある程度の割合は前から知っている人達が多いのですが、その彼等の英語のでの発表能力が向上していると感じたのです。
外国語は生涯学習の最たるものですから、そういう意味で、みなさんが努力しているあかしなのかもしれません。
聞き苦しい発表がまずなかったのは大変良かったでした。時代の変化を感じるべきなのかもしれません。
英語っぽくしゃべるのが今の時代は当たり前、昔はむしろ下手にしゃべるのが男意気みたいな人も結構多かったようにおもいます。ある先生など、関西弁でずっと日本語でしゃべってると思っていたのが、しばらくして、それが英語らしいと気がついて愕然としたのが、懐かしくおもわれます。

ただ、質問などは若い人があまり出て来ないので、ちょっと残念です。アグレッシブな若者は少ないです。アグレッシブになっても意味がないと思ってるのでしょう。本当は意味があるのですが。

植木等さんが亡くなられたとのこと。わたくしは、かれの無責任男の映画をみて、こういう風に生きたいと思ったものです。その時、自分が中学生だったのか、高校生だったのか、そのあたりの記憶がはっきりしません。
いまネットで調べたら、1962年とありました。大学生の時のようです。そうか、そんなおとなになってから、影響を受けたのかと分かって驚きました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-27 23:02
2007年 03月 26日

国際ワークショップの二日目

主催者のわたくしが言ってはどうかと思うのですが、大変楽しく有意義な国際ワークショップとなっています。
天候はちょっと涼しすぎるくらいですが、食事もホテルも会の運営もいまのところすべて順調です。参加者のみなさんに喜んでいただけてるとおもいます。沖縄は海外の人達にはたいへん遠いのですが、それでもみなさん旅行の疲れも見せずに、活発に昼夜発表、議論をしていただいています。
講演をする部屋もたいへん快適で、外へ出ると海が見えるというたいへんすばらしいセッティングです。
沖縄のユニットの人達も一生懸命やっていただいているので、ありがたいことです。
今日は、食事後にポスターセッションがありますので、いま短時間の休憩時間に投稿しておかないと機会がなさそうなので短いですが、しておきます。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-26 17:01
2007年 03月 25日

沖縄ワークショップへ、前夜のあつまり

昨日帰ってきて、きょうは沖縄なので、東奔西走というか東奔西飛で、ちょっと疲れています。ここのところデスクワークもきつくて、そちらのほうの疲れが相当出ている感じがします。
日韓の三人の美人スケーターが金、銀、銅とのニュース、テレビで見ませんでしたが、このような分野で東アジアが世界最強になるというのはなかなか予想のつかないことでした。金の安藤嬢はもうそこそこのベテランかとおもったらまだ19才、十代半ばから出ているので、そういう感じになるのですか。新聞によるとコーチを変えたのがよい結果をうんだとか。
サッカーのペルー戦、今日の旅行の準備をしつつ横目で見ていましたが、なかなか面白かったのではないでしょうか。ただ、比良の家のテレビの画面は世間的な極小サイズなので、どうサッカーのボールが動いているのか、詳細がみえないのであまりよく分からなかったのですが、それでもかなり面白い試合、勝ったので気分の良くなる試合だったのではないでしょうか。

能登半島の沖の地震、ちょうど電車に乗る頃でしたので、知りませんでした。
新大阪に着いたら、雷鳥の特急すべてが運行停止とかアナウンスされているので、何かと思ったら、地震でした。運良くかそれとも湖西線は影響なかったのか、時刻の遅れもなく、着きました。
きょうは、伊丹の空港からでまた久しぶりに全日空を使って那覇に入りました。

沖縄の恩納の現地では、夕刻から、参加者が集まって、機構の所有となった、旧国民宿舎の建物内の会場で立食で親交します。いまはseaside Houseと呼ばれています。

今日の夜のあつまりは、get together, receptionなどといいます。明日の朝から始まる発表の前に、おしゃべりをしましょうと言うことです。
今回は約70人の参加者で、たしか外国からが半分くらいのはずです。4泊するので、新しい知り合いも古くからの知り合いも、ゆっくり研究の話しができるでしょう。

わたくしも、会合が始まる前に、ひとつの仕事を終わりたくて、今朝からずっと、飛行機の中ででも働いて、なんとかひととおり終わりました。完全ではないのですが。

しかし、もう頭の切り替えをして、この国際ワークショップの主題である、細胞増殖をする細胞と細胞分裂をしない細胞の生活スタイルの違いに集中しなければいけません。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-25 16:55
2007年 03月 24日

親子関係を認めず、代理出産についての判決、義母の法事

きょう午前中、義母の49日の法事が都内G寺でありました。そのあと、義父の法事があったときと同じところで故人を偲んで、昼食を親族とともにとりました。ついこの間まで元気にしていたので、義母の思い出には強いものがあります。時がたつにつれて立派な人だったな、とおもいます。
孫のAのインフルエンザは快方に向かっているらしいのですが、大事をとって、娘はもうひとりのRだけを連れてきました。わたくしがプレゼントに買って持ってきた4冊の本のうちの一冊に特に強い関心を示したようです。あの本に関心を持てるとすると、じじ馬鹿の推測ですが、知能のほうの働きはかなりいいほうでしょう。

向井・高田夫妻の双子の子供たちは、子供とは認められないとの最高裁判決の記事、朝ホテルで読売で読みました。代理出産ですから、まちがいなく夫妻のお子さんですが、現在の民法では認められない、だから子供ではない、という理屈らしいです。
それじゃその子達は誰の子供なのか、教えて欲しいというと、どんな返事がくるのでしょう。
たぶんその代理母になるのだと、最高裁の裁判官は答えるのでしょうか。
それじゃ、父親は?と聞けば、そんな外国でやった代理出産など知らない、と返事するでしょうか。
別に最高裁判決を強く批判しようとかそう言うことではありません。
頓智も大岡裁判もなかったな、という感想です。
向井夫妻をなんとか助けようという、気持もまったくないのだな、と思いました。
向井夫妻は、正面からこの問題にぶつかって、高裁でいちど主張が認められかかったのですが、最高裁で駄目、という判断が降りたわけです。正直者が馬鹿をみる、という好例でしょうか。
正面からいかないで、米国で子供というお墨付きをもらってくれば、それで日本では子供になれるのですから、これからはそういう方式をとる人ばかりになるのでしょう。
正直に問題を日本にもちこんあ向井夫妻のお子さんたちは、実の両親に育てられても、日本人にもこのままではなれないし、いろんな難しい問題に直面するのでしょうか。
気の毒です。
しかし、このような問題に限らず、結婚や出生については、社会と法のあいだでは大きなギャップがあるのが世の常なのだと思います。大げさに言えば、それが人類の歴史でしょう。人間は進歩しないのですが、技術が進歩してしまうので、それで変わらざるを得ないのでしょうか。

かつてカトリック教会は避妊することも認めていませんでした。たぶん、コンドーム使用を認めたくなかったのでしょう。
人工流産もいまだに認められてない国や米国だと州は相当多いはずです。
一方で、日本ではなぜか人工授精は認められ、反対の卵子を頂く方は、公序良俗に反するということになっているはずです。公序良俗の規範こそが新しい技術でころっと変わってしまうのです。

いつの日にか、人工子宮が出来て、女性は妊娠と出産から解放されるような時代が来るかもしれません。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-24 19:58
2007年 03月 23日

タミフルのありなし、原子力発電所での事故

朝外を見たら、柳の木に見かけない鳥が4匹、新芽を食べてるようです。
この柳の木は鳥ばかりでなく、夏は蝉の格好のとまり木になっています。
こぶしがとうとう花をつけました。二つ咲いていました。満開が楽しみです。

明朝の義母の法事にでるために今日は夜東京にいきます。

孫のAはインフルエンザB型と妻から知らせがありました。
そういえば、ネットでみたきょうのニュースではタミフルを服用していない、おなじB型インフルエンザの子供の患者が飛び降りて怪我をしたとか。
うなされて、追いかけられて飛び降りたと本人がいっているとかです。これでタミフルなしの患者でもおなじように飛び降りる例が出てきて、このタミフルが原因かどうかの飛び降り死の原因究明の行く末は容易ではないことが見えてきています。

また、原子力発電所での臨界事故がかなり広範におきていたようだという、ニュースも気になりました。その時の経過と実情をしっかり理解しないと。これからの教訓にならない恐れがあります。現場では、危険な事故という認識がほとんどなかったでのはないか、という状況を暗示する記事もあって、これに非常に関心を持ちました。
隠蔽以前の問題だったような気もします。だとすると、どうなのでしょうか。なるほどと納得のできる、現場を熟知した専門家の意見を聞きたいものです。
トップの非難とか糾弾だけではよくならない典型的なケースだとおもわれます。
しかし、これを契機に事故の発表は隠さずに行われると思いますので、その点だけを考えれば、良くなるのかもしれません。
メディアはせっかちで、またすぐ忘れる傾向が強いのですが、わたくしたちが原子力発電に「持続的関心」をもつのがいちばん大切なのだとおもいます。こういうケースは真の専門家の意見をききたいです。

ここのところ研究倫理関係のたちあげでメールの往復がたくさんあります。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-23 13:35
2007年 03月 22日

これからの日本その2 群れる日本人は激減する

けさ、二階の書斎(通称あなぐら)部屋からふと外を見ると猿が一匹こちらに向かって
草原をゆっくりやっててきます。
こんなに朝早く猿を見るのはたいへん珍しいことです。すぐ、きのう妻が鳥のための木の台上においたリンゴとミカン類がきれいに食べられていたのを思いだしました。
同じものがあるのではと、思ってきたのに違いありません。猿はクビを伸ばしてこちらをのぞきみてたようですが、人の気配を察して、森のほうに戻っていきました。
農機具小屋の屋根を赤ちゃん猿が走ってましたから、母子かもしれません。
そういえば、きのう昼飯時にしばらく不在のあいだに、リンゴなどが無くなっていたのを思いだしました。不在時にこっそり来るなど、ここいらの猿は奥ゆかしいです。

さて、これから日本はどうなる、その2ですが、群れる日本人は激減するというものです。
というのは、まだ群れている日本人がすこしながらいるということから始めます。
比叡山坂本の駅や、比良の家から近くのJRの駅では、あさ9時頃にときどき数十人の団体熟年登山者を見かけます。特に比叡山坂本のJR駅ではこの数年熟年登山者は非常に増えています。
ガヤガヤ、賑やかです。年の頃はわたくしくらいのひとたちから、さいきん定年になったばかりの元気そうな、ほんとうに元気そうな人達です。このような人達が、こんな平日に山で一日過ごしているのはやはりもったいないとおもうくらいに血色もはだもつやつやした人ばかりです。
かつて、パリなどを席捲した農協団体とカリカチュア化された、日本人の群れは激減して、いまやずっと上品な熟年夫人、少数ながらその連れ合いの方々をみますが、その年齢は、この熟年登山者たちの年齢を含みますが、平均してもうすこし上です。海外団体旅行者は70代の女性も相当に多いでしょう。
わたくしのみるところ、いま集団で歩き回ったり、山を登ったりしている、日本人はだいたい現在55才くらいを境にぐっと減るだろうと思います。
たぶん、少数のグループ旅行者に変化するでしょう。つまり、欧米型に変化するのだとおもいます。
わたくしも若い頃から、山歩きは大好きでしたので、湖西でもおりおりにハイキングをしていましたが、夢にもこのような団体熟年登山者たちが増える時代が来るなど思ったこともありませんでした。
なぜ団体になるのかはわかる気がします。山登りは経験がないと、ひとりやふたりだと案外不安なものです。関西の山は標高が低くても、意外に迷うところや落ちたら大怪我をしそうな難所があります。きちんとした山歩きの指導者はこの世代に決して多くおりませんから、やはりどうしてもグループが大きくなりがちです。それに、このあいだまで終身雇用で働いていた人達は、大部屋で働くことに慣れているので、20人くらいいてもまだ少ないという感覚かもしれません。
しかし、まあ山登りは4,5人くらいで行ったほうが楽しいものですが。大声で元気いっぱいの人ばかりではマイペースというわけにはいかないでしょうし。

町では見かけない、群れてるひとたちも町ではたぶんせいぜいグループ程度、海外でももう群れる行動はあまりしたがらないでしょう。やはり山なので、団体の必要性もあり、また一方で周囲に対して気にする必要もないのでしょう。
わたくしは、いまの40代やそれ以下の若い人達は、この群れる熟年登山者たちの将来の予備軍には決してならないとおもうのです。
その理由は、わたくしの独断と偏見ですが、この群れる熟年登山者たち(歩いている人達も含めて)の服装があまりにモノトーンだと思うのです。かっこいい人達がまずいないのです。わたくしの感覚では、そうです。たぶん、若い層は、羨ましいとはまずおもわないでしょう。
若い人達に羨ましいと思われる、年寄り、これがわたくしの望ましいイメージです。
彼等が決して手に入れられない生活をすごせる世代になった、と本人も周りも思うというかそうなるのがベストでしょう。
群れてる熟年世代者はその瞬間はたぶんだれからも羨ましいとは思われないでしょう。

それが、群れる日本人は激減すると予想する理由です。あと10年もしたら、山に行っても群れる熟年登山者たちは顕著に減るでしょう。その代わりに、数人や家族連れなどが増えてるはずです。それが望ましい個人史的な変化でもあるはずです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-03-22 17:06