生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2007年 04月 30日

耕地づくり3日目、食事場所

きょうもまた素晴らしい快晴でした。
借りた土地の耕地づくりに邁進して、ゆうがたにはとうとうほぼ完成し、さっそくズッキーニ、とうもろこし、青ウリの苗とそれに枝豆の種を播きました。
実験をみずからしないわたくしとしては、三日がかりの実験をまあ大問題なしに最後までたどり着いた感です。
耕地としては、まだ完成はしてませんが、とりあえず苗と種はしこみはじめました。
この経過については、英語のほうのブログで今日か明日かに写真を出しますので、興味のあるかたはどうぞ。

80才のMさん、この様子を見に来て、含み笑いをしながら、ようやるなあ、草刈りもうまいし、これ(だけの高いネットを張れば)なら猿もなにも出来ないだろうとの、ご託宣。わたくしも堅くそう信じています。誰に聞いても最近はイノシシを見ることはないとのことで、基本的に鹿と猿対策を考えておけばいいようです。ところでこのMさん、いまでもちゃんとトラクターを一日中運転して水田整備をしています。元気で現役です。連休明けの12日頃に、苗を入れるようです。水田に水はいますこしずつ入っています。
ことしは滝川の流量がすくないので、湖からポンプでくみ上げているそうです。

天気が良いので、朝、昼、晩と三食デッキで食べました。
わたくしは本当は外で食事をするのが好きですが、ただ寒いのに無理して、ガタガタ震えながら外で食べるほどではないのですが、でも出来たら外で食べたいという気持ちはいつもあります。
昔、山登りをしていたときの影響があるとおもいます。
登山中は、時刻になると、どこで昼飯を食べるか、ずっと周りを見渡しながらあるきます。
寒い日なら、日だまりの風のないところ、暑い日なら、涼風が吹きなおかつ眺めのよいところ、いちにちの大切な決めごとです。
夜泊まる、テント地を探すのは、前もって決まっています。
テント地は登山の計画の中に入っていて、どこで設営するかは前からずっと決まっていたものです。そこで晩飯と朝飯を食べるわけですから大切な決めごとです。
そういえば、食器洗いの水場が遠いとどんなにいいテント場でも価値が半減すると感じたのをおもいだしました、

食事をどこでとるか、大事なことです。人生の一大事です。
そういう点、この比良山麓のデッキは朝、昼、晩、どんな時でも十分に及第点を出せる場所です。きょうは格別に比良山が新鮮に見えました。新緑のみどりのせいでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-30 20:15
2007年 04月 29日

エリツイン元大統領の葬儀、借りた土地の畑作り

すこし前のことですが、ロシアのエリツイン元大統領が亡くなりました。
ソ連がロシアになる激動期を彩る人物でした。個性的でたいへん分かりやすい人柄だったようです。
国葬の葬儀はあたりまえかもしれませんが、キリスト教会であったようです。
クリントン元大統領やメージャー元首相たちが葬儀には出席したようですが、日本からは特使は誰も行かなかったようです。
細川元首相あたりがいけばとてもよかったとおもうのですが、いまの日本は弔問外交を展開するほどの力はないのかもしれません。力と言うよりは、必要になるような外交そのものがないのかもしれません。佐藤優氏や鈴木宗男氏のいうとおりかもしれません。
でもロシアは隣国で、ロシアが味方かそうでないかはこれから非常に大きな違いになるのに、効果的なことがなにも出来ないでいるのは大変残念です。

連休に入ってから、定番の苗などはもちろん植えたりしていますが、時間の大半を借りた隣地を畑にするのに頑張っています。隣地はもともと水田で200平米くらいあるのですが、そのうち100平米を畑にしようとするものです。ススキなどが沢山生えていたので、根をのぞくのが思いのほかたいへんでした。
それで、きょうはやっと、畝づくりまでたどり着きました。
あしたは猿よけのネット張りの作業です。鹿よけのネットのほうは、考えてあります。イノシシ対策も考えてあります。でもすぐには作業は必要ないとおもいます。連休の終わりの頃までにはなんとかしようとおもっています。
おもいのほかに時間と体力の消費で、予定が狂いだしています。
しかし、作業としてはおもしろく、はまっています。それに天気もすばらしく、大地というほど大げさではありませんが、それでもこれだけの土地をなんとか耕地にできるのはもちろん耕耘機のおかげです。今日の夕方は、畝づくりに必要なアタッチメントも使ってみました。まあ見られる程度の畝になりました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-29 18:43
2007年 04月 28日

15年ぶりの歯科

きのう午後仕事の報告会が終わって、食事会までのあいだに歯医者に行きました。
食べ物がどうもうまくかめない感じになったからです。
受付でどうされましたか、と聞かれましたので、かぶせたものが取れてしまいましたので、と返事しました。おそるおそる、もうずいぶん前にお世話になってましたが、カルテは残ってますか?と聞くと、残ってますよ、との返事。
エー、いつ頃でしたか?と聞きますと、受付のかたはちょっと間をおいて、15年くらい前ですよ、との声でした。なんと、わたくしは15年間も歯医者に行ってないのでした。

誰にも無頓着な部分があると思うのですが、それがわたくしの場合歯でした。
若いときに、一年に一度は歯医者に行く習慣を持つようにしつけられると良かったのですが。
なにしろせっぱつまらないと行かないのです。若いときは、痛くてたまらなくなるまでは行かないのでした。というか、痛くなることが、30才くらいまでなかったと思います。
子供の時に、ペンチで歯を抜くとか、糸を歯に巻いて、片方は石につけてそれを思い切り投げるとか、そんなマンガの読み過ぎだったのでしょう。歯医者の門をくぐるのがなるべく避けるようにしていました。それにたぶん歯がわりあい強くてひどくなるまで時間がかかるのかもしれません。
そうか、ここで最後にきたときは15年前だったのか、と思うと気恥ずかしくて歯科医師にあわせる顔がありません。
だいぶ予定の時間より遅れて、診察が始まりました。
医師が無言でしたので、わたくしも最初にすみませんという類の挨拶のあとは、無言でした。
X線の写真を撮られてから、おもむろに歯科医師は説明を始めました。極端にひどくなってはいませんが、二三カ所で大々的に虫歯が進行をしていますとのこと、ひとつずつ鏡で見せられ、説明を受けました。冷や汗がでました。
なんと、かぶせたものが取れたというよりは、その下の歯がほとんど消失していたのでした。奥歯のほうも細くなっています。
でも思いのほか、ダメージはすくないので、なんとかひとつずつ処置をしていきましょう、とのありがたいおばこと。かすかに台だけ見えているのを抜くのと、奥のかみ合わせの相手のない歯を抜くとのこと、あと虫歯の処置が何カ所か、やはり予想通りでした。数ヶ月はかかるでしょう。
もっと叱られるかと思ったら、それほどでもなく、ほんとにこの間、どこの歯科に言ってなかったのか?と聞かれたときは、絶句のような返事しかできませんでした。医師も助手の女性もあきれていたのかもしれません。
それでも前歯全体には虫歯が一本もないとのこと、まだ歯は29本あるとのこと。80才に20本自前の歯があるのがいいらしいので、なんとかこれから歯科の門を頻繁にくぐることにしましょう。

きょう、連休の初日。仕事はいっさいせずに、畑仕事をいちにち一生懸命やりました。その内容は明日書くことにします。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-28 21:05
2007年 04月 27日

ハナミズキの記憶、仕事の報告会二日目、連休入り

けさも早く家の周りをすこし歩きましたが、八重桜がおわりつつあって、そのかわりハナミズキが沢山咲き出しています。最近、街路樹でハナミズキは非常に多いです。
わたくしが最初にハナミズキを見た強い記憶があるのは米国の東海岸でして、フィラデルフィアの郊外の立派な家の並ぶ地域でひときわ目立つ大木の花をみてあれはなんの木かと友人に聞きますと、American dogwoodといわれました。1970年の頃です。
Dogwoodというのがその後記憶に残っていて、後にそれが日本名はハナミズキといわれる、ミズキ科の樹木であることをしったものです。
モクレンやコブシともどこか似ていて、春が来ると見事に咲く花、という記憶がありました。やはり最初に見た印象から、米国由来の木というふうに思っていました。
30年くらい前に自宅を持てるようになったときに、ハナミズキも欲しかったのですが、当時は相当な値で諦めたのを思いだします。そのかわりヤマボウシというミズキ科の木を買いました。しかし、ヤマボウシはまず葉が出てそれから花が咲くのですが、ハナミズキはまず花がが咲いて、そのあとに葉がでますので、印象はぜんぜん違います。
この木はいまでも坂本の家にありまして、きょうあたりやっと葉がつきだしています。花は葉に隠れて地味について、2階の上から見ないと分かりにくい。

花と言ってますが、ミズキでは本当の花は中央にある地味なもので、周辺の大きな萼のことを花と言ってるのですね。
かつて希少価値のあった、ハナミズキも今やどこに行ってもある、街路樹になってしまって、見あきてしまうかもしれません。というかわたくしも、もう食傷気味です。でも注意深くみるとやはり可憐なきれいなはなです。
なぜDogwoodというのか、今回ネットで見て始めて知りました。かつてこの木の皮を煮て、犬のノミ取りに使ったのだそうです。ちょっと無粋な名前ですね。

仕事のはなし、二日目無事に終わりました。いろいろ感じたことはあります。
ひとりずつ、聞かれれば本人言いますが、聞かれなければ言わなくてもいいことが多いですね。
教育とはいっても、このレベルにまできてる人達ですから、キャッチボールみたいなもので、向こうから球がくれば、もちろん返します。
こちらから球を投げても、返ってこなければ、そこで止まってしまう、という類の教育になります。研究推進ではそんな悠長なことは言ってられない場合がありますから、教育と研究推進とは似ていて別物です。

わたくしは、これから歯医者にいって、そのあとは打ち上げの食事会です。
明日から、連休です。いろいろ考えるのに非常にいい時期となりました。
馬車馬のように働かねばならぬ溜まった仕事もないので、気分がよいです。
しかし、連休あけには二つの論文について、ほぼ完成したいなとは、おもっていますが。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-27 15:35
2007年 04月 26日

首相のスケジュール、研究の進捗の報告会

安倍首相は今日から米国にいってブッシュ大統領にあうようです。この時期まで訪米を遅らせたのはたぶん意識的でしょうし、タイミング的にいいのではないでしょうか。従軍慰安婦問題の発言で自ら困った立場になりましたが、その後のリカバリーで乱気流はない状態でしょう。米国ではいよいよ大統領選準備が本格的に始まるようなので、そのあたりの空気も分かる時期のはずです。
そのあとの中東5カ国訪問は、賞賛にあたいするスケジュールづくりです。
中東重視の姿勢もしめせるし、また周辺国の意見も聞けるので、日本独自の外交方針という雰囲気もだせます。米国一辺倒という外交の雰囲気はすこしずつ変わってきている、という認識をもちます。

けさから、ラボのみなさんの研究の話しを聞いています。午前3人、なかなかの進展ぶりです。
聞いてるみなさんもあらためて面白さが伝わったに違いありません。
同じラボにいるからといって、同僚の研究内容が十分伝わっているわけではありません。若いときに、同じ研究室のなかまの研究内容を熟知し、それがそのあとどうなるか見届けられれば、かなりの研究経験を積むことになるのです。

ここまで午後の休憩時間に書きましたが、そのあともみなさんの話を聞いて、午後6時に終了。
くたびれましたが、ずいぶん面白い話しもあって楽しい気分で今日は終わりました。
こんかいは沖縄からS君も参加したので、お互い刺激になっていいでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-26 18:24
2007年 04月 25日

佐藤優氏、わたくしの歯、東国原知事の正論

佐藤優氏が大宅壮一賞を受賞したとの報道がすこし前にありました。
賞の趣旨にぴったりとおもうのですが。
これまで7,8回このブログで触れていますが、最新作は読んでないのであまり新鮮なことはいえません。ただ、氏の持っている独特の乾いたユーモアがこういうことを契機により強くでてくることを期待しています。笑いの中には、艶笑ものがあるのですが、佐藤氏のなら、読んでみたい気がします。

わたくしの歯ですが、あまり書いたことはないのですが、いちおう自前の歯でいきてきました。もちろんかぶせた歯は数本あるのですが。10年くらい前に最後に行ったのですが、とうとういかないと駄目になってきたようです。痛いのではなく、かぶせたものが2本ほど、無くなってしまったのです。
もしかしたら、痩せになったからかもしれません。
それできょう、久しぶりにS歯科に電話予約したら、運良くあさってのがとれました。
明日と明後日が好例の仕事の話しなので、夕方一番遅いところに入れてもらいました。たぶん、治療がはじまるとかなりの期間かかるでしょう。そういえば、わたくしは親知らずがとうとう出てこないで、なんと永久歯のはずの一本は乳歯だったのだそうです。信じられない話しですが。その乳歯の台座を使って今日までものを食い続けてきたのです。

ここでうっかりいっぺん投稿してしまいました。
このあいだテレビで東国原知事と記者クラブのメンバー(の一部)と言い争いをしてるのを見ました。わたくしは、知事の言うとおりだと思いました。
つまりこの記者会見定期でこんな長い時間を決めてやる必要ないだろう、とい提起に対して、記者クラブのほうはちゃんとやれ、というものでした。
ようするに、毎日一時間くらいクラブでいろいろ話しても次の日の新聞に一行も乗らないことがあるのでしょう。
必要な時だけやるので、十分でしょう。一種の既得権の維持を記者側が主張しているのですが、そもそも記者クラブなんていうのも、規制緩和の対象になるべき組織なのでしょうから。平素はたぶんだらけた雰囲気なのでしょう。

学会が決めたことに国が従うとかいう行政の流れもわたくしにはわかりません。学会などにやたらに権威などをあたえてはいけないとおもいます。
病腎移植は学会がお墨付きを与えた研究のみ許すなど、わたくしにはかなり問題と思いました。
気をつけないと、個人の創意と工夫をつぶすのが日本の多くの学会です。つまり、日本は集団での決まりになると凡庸になりがちなのです。
ただ、金銭がからむとすごい創意工夫が組織からもでるのですね。そういう意味で、外国人が一時の日本人をエコノミックアニマルというのは表現はひどいけれども、日本人の創意工夫の源の一つを言い当ててると思いました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-25 18:23
2007年 04月 24日

関西電力の光ネット、学術振興会、不可解、良いデータ

今朝は朝から最後の片付け作戦をしました。大きな洋服ダンスを部屋から部屋に移動です。これでかなりリフォーム後の家のなかの移動は終わりに近くなりました。
おっ、こんな上着があったか、とかこんなズボンがあったとか発見もあります。そのあと関電の子会社の人がきて今回設置した光ネットの設定を見てもらいました。連絡をしたときは出来てなかったのですが、そのあと気合いをいれてわたくしが自分で設定できました。ですから、きたサービスの人もメールの設定とか、その程度の作業で無料でした。これでめでたくも、両方の家で東京とチャットを楽しめることになりました。ワイアレスだとちょっとチャットは万全ではないのですが、KDDIのADSLでは全然チャットが出来なくなったのでした。大津ではいまは関電のが強くなっているようです。

例の学術振興会の件、やはり書類を見直すと、常勤研究者とかいてあります。わたくしはこの石頭の組織からみれば、いまやまともな研究主宰者ではないのだとよく分かりました。腹が立ちますが、なにも対応出来ません。本人と相談して、善後策を講じています。幸い、担当の事務のひとがいろいろ考えてくれていて、また本人も応募したいと必死なので、なにか方法がありそうな気配があります。しかし、常勤研究者でも助教(旧助手)は駄目とか、ほんとうにこの学術振興会の後ろ向きの態度は困ったものです。社会保険庁みたいに解体して民間組織にするといいかもしれません。

ここ一週間、このブログの訪問者が見かけ数値上激増しています。理由がまったくわからないので、不可解です。誰か知ってる人がいたらこっそり教えてください。それとも、このブログの胴元のカウンターが壊れているのかもしれません。

きのうも良いデータが出ていましたが、きょうもまた別のふたりが、とてもいいデータを持ってきました。正直、ニコニコです。
考えてみると、木金と4か月ぶりの仕事の報告会です。気合いを入れて実験して
いたのでしょう。
そういえば、仕事の報告会、Current Reportとタイトルを付けて、レジュメをかく人達が今はおおいです。
昔はProgress Reportとしてレジュメを書いていたのに、あるときわたくしが激怒して「なんのプログレスもないのに、Progress Reportはなにごとだ」と怒鳴ったという、おはなしが一部国際的に拡がっているのだそうです。と、拡げた本人が言ってました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-24 19:50
2007年 04月 23日

研究倫理の会合、素晴らしいデータ、選挙結果、学術振興会の○頭

午前ラボに寄って、それから大阪まで、研究倫理関係の会合に出かけました。
約4時間、みっちり話し合いがありました。
できるだけ未来志向というか、よりよい研究社会を実現するため、という大義名分なのですが、もちろん具体的なはなしとなればなかなか大変なことです。

朝ラボで、最近のなかなかすごいというか素晴らしいデータを見せてもらいました。
おもわずこれで研究費も安泰だな、などと余計なひと言が出てしまいました。
研究費の屋台骨を支えるデータがないと、研究室経営はガス欠状態になりますので、経営者としてはおりおりにタンクにそういうデータがあることを確認するというか、生みだすべく最大の努力が必要なのです。そういう意味ではたいへん気分がよくなるニュースでした。

選挙の地方選の結果ですが、ほとんどというか、まったく関心を持つことが出来ません。民主党と自民党の対立軸と言っても、なにも見えないのではないでしょうか。
そもそも民主党はいまだに労働組合のリーダーなどを選挙戦に出してるようですが、それがもっとも魅力のないことの原因のひとつです。いまの日本の労働組合の大半は正規の雇用者の互助組織なので、格差是正などといってもそらぞらしく聞こえるだけです。
沖縄の参議院補選ですが、予想通りの結果でした。民主党は沖縄県民の心の中に十分入っていけてない感じです。入ってれば楽に勝てるはずなのです。福島や岩手県では民主党が強いようですが、これは格差是正のスローガンに乗せられているというか、自民党がひどいから相対的に民主党が勝てるという構図のように見えます。
やはりフランスの大統領選のほうが興味がわきます。中道でなく、また「極右」でもない、右派と左派の対立というのは、懐かしい構図のようです。これから、5月まで二人の候補者の意見はより多くの支持者獲得のために微妙に変わるのでしょうか。

家に着いて、メールを見ましたら、秘書のSさんからインドから来ているR君の学術振興会の博士研究員応募への受け入れ研究者にはわたくしはなれないそうなので、対応をお願いします、との連絡がありました。
つまりわたくしは常勤研究者でないので、日雇い研究者なので、学術振興会は認めてくれないようです。学生の申請の時は、わたくしも前もって駄目というのは分かっていたので、別の先生に肩代わりをお願いしたのですが、ポスドクも駄目とはうっかりしていました。
これこそが、「研究者社会における格差」です。
政策的にずっと進歩的な、科学技術振興機構ではそういう扱いはさすがにしないでしょうが、やはり学術振興会は石頭なんでしょう。しかし、たしかに理屈はあって、わたくしは来年京大からクビになる可能性があるのです。ですから、そこを盾にとられれば反論のしようがありません。
しかし、科学技術振興機構はそういうわたくしに5年間の大型研究経費をだすことを保証しているのですが、その保証は学術振興会にとってなんんらの意味もないのでしょう。こういうときは京大特任教授などという肩書きがいかに無意味かを思い知らされます。R君にはあした説明しなければなりません。それに推薦書もずいぶん長いのをかいたのに全部無駄となりました。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-23 20:34
2007年 04月 22日

有給休暇、町内の知り合いの死、草刈り

このゴールデンウイークでできるだけ有給休暇をとって欲しい、というような印象のメールがきていましたので、とることにしました。現役のときよりははるかに多い回数でとるようにしています。といってもラボにこないだけで、仕事のことを忘れることも、全然なにもしない日がないのもわれながら困ったものです。仕事中毒なのでしょう。
でも前に比べれば仕事量は確実に減っています。例の血糖値をさげるためにもやはり晩飯を早く食べることが望ましいので、仕事の切り上げが早くなっています。やはり晩飯をたべてしまうとなかなか仕事の再開が難しいのです。

おなじ町内の知っているかたが、亡くなりました。まだたいへんお若い。60才をでたばかりのようです。あまりはなしをしたことはありませんが、よく道路で挨拶をしてました。この町では、60才前後で亡くなる方最近多いような気がしますが、気のせいでしょうか。

きょうは比良のほうで一日過ごしまして、ずっと外に出ていました。
午後になってから、このあいだお亡くなりになった比良山麓のほうのKさんのところの土地の草を刈りました。2年ほど放置状態だったので、かなり大変でした。それでも最後の刈った草の集めるときは妻にも手伝ってもらったので、なんとか夕方までにきれいになりました。きれいになった土地を眺めていると、なにかひと仕事をやった感じです。

あさはやくに、N君の論文のディスカッションを始めたのですが、やはりこの論文もエレガントなことを書けるのでなく、文献を調べつくして、総合的に、引用、考察するタイプの力仕事的なものになりそうなのでややがっかりです。
しかし仕事の水準はわりあい高いので、そのあたりはいいのですが。
それにまだ論文が仕上がってはいないので、これからまたなにかどんでん返しがあるかもしれません。

当たり前のことですが、次々にきれいな実験を続けて、スカッとした結論に到達するような研究は滅多にできるものではないのでしょう。
わたくしの残された時間から見ると、あと何回すごく満足できる論文を書けるのか。
わたくしとしては、欲張りなので、まだまだチャンスがあると思っているのですが。しかし、現実はもう一二回しかないのかもしれません。ほんとうはこんなことを言ってはいけないのでして、沖縄と京都のメンバーは優秀な人達が多いのですから、まだまだすごい仕事ができるはずだと、言い続けていなければ、彼等にたいして申し訳ないのです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-22 19:56
2007年 04月 21日

Rさんのセミナー、ノーベル賞をもらうような人達

きのうの続きですが、RさんのセミナーもHさんと同様に大変おもしろく聞けました。狭い部屋だったのですが、沢山聞きにきて、たっている人もいました。もうしわけないことです。
Hさんの時もそうですが、ほとんどが若い人達の聴衆で大学から正規に給料をもらっている人がほとんどいないのが特徴でしょうか。そのあと、息子さんと三人で晩飯にいきました。しっかりした息子さんです。

きょうの土曜日は彼が息子さんと、かつて彼のラボでポスドクだったKさんと一緒に家のほうにこられました。落ち着いていろんなはなしが出来ました。

昔話もすこししましたが、たしかに彼が遺伝子関係できわめて初期の時代にかかわっていたことは確かだと言うことが分かりました。いろいろ出てくる人名もなつかしい響きがありました。
わたくしも70年代のおわりに分裂酵母の研究を開始してしばらくは地盤も看板もなく苦しみましたが、そのまえのファージをやってる時代の人脈で生き延びた感じがします。というか、ファージの時代のわたくしの実績を知ってる人達がいろいろ助けてくれるというのか、良く言ってくれて新しい分野での生き方が可能になったものです。
それと同時にわたくしも無意識にも意識的にも新しい分野での知己を増やすべく努力したものです。

Rさんはわたくしよりはるかに若いですが、それでも比較的近いところの人脈だとおもうのは、彼が大学院で最初に回ったラボの人達はわたくしのよく知っている人ばかりだからです。GDさんなどはわたくしが10年間やったのと同じファージを使い、一度は非常に近い分野になったものです。当時の彼の同僚だったKNさんなんかも今ではわたくしとは驚くほどちかい興味で研究をされています。ある意味で、信じられないことdす。

ノーベル賞をもらったような人達とのつきあいというか知り合いも結局70年代半ばから80年代前半が多かったのは不思議な感があります。もっとずっと前のWAさんなどは毎日夕方ボンソワールと挨拶する隣室で研究をされていた方なのですが、研究上の交流は薄かったので、そのような報道があったときには本当に驚いてしまったのですが、70年代から80年代前半にかけて知り合った人達は、研究内容をかなりよくわかっていたので、彼等の研究の世間での認知のされかたの変化をウオッチしながら、そういう時期がくるのを期待感をもって理解していったものです。
この細胞周期の世界の活発な研究者はもうノーベル賞が三人もでてしまったので、アンビシャスなひとたちは違った世界に移っているのでしょう。そういう点、Rさんのような研究面で至近距離にいたひとがなにを問題としてえらんでいるかはそれなりにウオッチする価値は非常にあるでしょう。
わたくしは、彼はかなりいいところをついていると思っています。そういう表現は失礼かもしれませんが。
しかし、なんといっても競争が激しいので、だれがどう大きなものをつかむのかはまったく分かりません。しかし、DNA損傷の周辺には大きな問題がゴロゴロころがっているのは間違いないでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2007-04-21 18:36