生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2007年 12月 31日

12月31日、朝日新聞の3つの記事、高校生達に

大晦日となりました。
次男が北海道からやって来ました。こっちのほうが寒いとか。北海道出身の皆さんそういうのですが、どうも風の強さとも関係があるらしい。体感的な寒さがどうも違うらしい。きょう夜は移動しまして、年越しそばをたべることになります。義母が亡くなりましたので、年賀状はださずでしたが、新年になってから、寒中見舞い状を出す予定です。

きのうA君の論文をアクセプトしましたという通知。ものすごく早い。こういう優れた論文は出来るだけ早く公表することに意義があるとのご意見。ありがたいことです。さっそく彼にメールで連絡しましたが、静岡県の家に戻ったのでしょう。返事ありません。しばらくは、レビューにまわって返事が来ないと思っていたのでしょう。かれはわたくしのブログは読んでないようなので、新春になってから知って、学位請求論文の準備などで大忙しでしょう。
そういえば、今年の研究室、原著論文がこういうインプレスのは除いて、たしか6報のはずです。うち、ふたつは、世間的にもかなりインパクトがあったと思っています。いわゆる御三家には出ませんでしたが。12月号にでたKT君の論文はきのう別な論文を調べて気がついたのですが、過去1か月のあいだにダウンロードされた回数がこの雑誌(Developmental Cell)の堂々2位とかでした。かれも知らないようなので、このブログを見れば喜ぶでしょう。
引用回数が多いことが研究者の勲章とか言う人もいますが、同じ研究分野でなければ論文は読んでも引用しません。すごい面白いと思った異分野の人が人達がいてもカウントされません。それで、その論文を読むために論文ファイルをダウンロードした回数も一つの寄与の基準になっています。しかし、これは雑誌によってはまったく公表しませんので、分からない事が多いのですが。この雑誌は一種の人気投票みたいにして、ダウンロード数を公表して、世のトレンド(流行)をしめしているのです。
わたくしはそういうことは重要とはおもませんが、でも無視もしません。世の流行を知りたいときにはそういうのを知って、世の変化を感じたいと思っています。潮流を感じるとか、そういう言葉は嫌いではありません。
EFさんはこのKT君の論文の解析がここまでやるのは、ちょっとわれわれのところしかないのでは、と賞めてくれました。そういえば英国のIHさんもまったくおなじことをFY君の論文についてもいってくれました。

今朝の朝日朝刊、3つの記事を読みました。
わたくしのあまり好きでない、夕刊の素粒子欄を5年間書いた人が割合長めの述懐エッセー。
途中でいやになって読むのをやめました。ひとことで、くだらないというか、なにも感じないエッセーでした。やはりなにか真の魂が所持してなければ、こういうものは駄目です。
二番目のは、通称モギケンとかいわれる茂木氏のご意見でした。テレビで一度みただけですが、ダラッとした印象でした。
なるほどたいへん聡明なかたらしい。もっともと思う意見も多いのですが、目を開くようなご意見はなにもないと、結論しました。こういう人が今の論壇(そんなものがまだ残ってるとも思えないのですが)のメンバーなのか、それともマスコミで有力な意見をいえる方なのでしょうかね。つまらないですね。

三番目のは、山中伸弥さんのインタビューです。なんか一日おきに山中さんと賞めてるようで気がひけるのですが、これらふたつの後に読んだので、読後感のあまりの違いに驚きます。
なんとさわやか、言うべきことはいって、率直にやるべきこと、やりたいことを述べています。
いま日本中の前途有為な高校生のなかで、山中さんのこういうインタビューを読んで、自分もこのようなふうにやってみたい、と自分の将来と重ねている人達がいるでしょう。山中さんお一人の仕事で、日本の医学や生命科学の基盤が大きく異なり得ることを感じます。彼は、神戸大の医学部で、大阪市大で博士号を取ったとありますように、別に東大理三や京大、阪大の医学部に行く必要が全くないことも彼が自ら示してくれました。真のすごい仕事は奈良先端大の大学院生達とやったはずです。このような事実もぜひわかい高校生達に知って欲しいものです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-31 17:17
2007年 12月 28日

年末の天気、ブット元首相の暗殺、今年の10大ニュース、

年末天気が悪いようです。今晩からあしたにかけて雪が降るかもしれないとのこと。そういえば、昨年も大晦日あたりに雪が降ったような記憶があります。年始にかけて、天候は大荒れとか。

パキスタンでブット元首相が暗殺されたとのニュースです。暗いニュースです。独裁国家になってますが、イラクなどと同様に世俗性は多くの国民に拡がっているのですから、ある意味もっとも民主主義に近い国なのに、可能性を沢山持っているのに、残念な展開です。
イランの原理主義的な政治が終焉すればイスラム世界は大きく変わるのかもしれませんが、いまのところその可能性はまったく薄く、なにを契機にどう変わるのか、見えてきません。

今朝の朝日新聞ですか、今年の記者が選んだ、10大ニュースのトップが山中伸弥さんの研究室のiPS万能細胞の作成成功ということです。とても嬉しいです。
国民の目線で見て、それだけ期待されているということが分かって、改めて生命科学は人類の福祉の役にたつという基本的な立場を確認しました。

きょうはラボでも多くの人は、仕事納めです。わたくしも明日からは家にいます。
天気が良くないので、晴耕雨読が、雨読雨読になってしまうかもしれませんが。
ことしのお正月は、仕事が持ち込まれる度合いも低くて、わたくしに残された研究人生をゆっくり考える良い機会になりそうです。
来年頑張ってもらわねばならないひとたちとも時間をとって話をしています。
午後からはかつてのラボメンバーのEFさんがおいでになって、関係の人達と研究の話などをしています。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-28 15:26
2007年 12月 27日

年の瀬一瞬ののんびり、わたくしの細胞研究の観点

年の瀬です。あしたまで大学に来ますが、きょうはポッカリと一日あいた感じです。
この12月中はじめて仕事に追われているという印象を持たない日でした。
A君、N君の論文も終わったし、例の本の一章も最終的なものをPDさんに送りました。
年度末、研究費もまあまあ残ってるし、気にしなければいけないメンバーの研究進捗もそれなりに対応しました。
明日は来客がありますが、きょうは希な本当にのんびりした気分になって、昼飯にお餅の二個入っている大力うどんを食べたてしまった後、キリン館で正月にくる孫たちの遊び用のカルタを買ってそのあと自分用に金平糖屋のある通りの古書店で数冊本を買いました。正月用です。当たり外れがあるので、5冊買いました。
最近買った、悪党芭蕉という嵐山氏の本はまだ終わってませんがかなり面白い。それからこれも途中ですが、黒澤明の10年間とかいう本もまあまあで並行して読んでるので、正月には役にたちません。
比良のほうには、読んでない本はそれなりにかなり買ってありますが、正月の気分に合うものがあるかどうかは疑問でした。

昨日の続きみたいなことを、すこし書いておきます。
わたくしの長年の関心は染色体ですが、幸運なことに沖縄で新規の研究を開始でき、そこでは細胞そのものに挑戦しています。どう挑戦しているかというと、増殖しない細胞(つまり神経とか、心臓とか筋肉とかの細胞は増えませんというか細胞分裂はまれにしかしません)がいかにして生き続けるのか、こういう問題を遺伝子レベルで解明するというのが課題です。細胞はこれまで長年付き合ってきたわたくしのペット、分裂酵母細胞です。
窒素源を枯渇すると、まったく増えないで長期に生き続けます。これをモデルに研究しているのです。
3年半やって、これに増えない細胞はなぜ長生きしているのか、とう問題も加味して考えています。細胞老化の問題は目の前にあります。
こういうテーマはわたくしがいちばん得意とする、増殖中の細胞の中での染色体の挙動とか娘細胞への分配とか、そういうことには一切頼れませんので、自分の両手をくくったあとで、問題に挑戦した気分があります。研究費コンペに応募したので、自分のまったく得意にしていない分野で挑戦しなければならないという使命感がありました。
そういうわけで、増えない細胞が増えるようになるとか、増えない細胞がいつまでもその状態で生き続けるとか、誰もが知っている現象ですが、その背景にある必須な働きを持った遺伝子はどんなものでどんな風に働くのか、こういう興味を持って始めたわけです。
この三年半で、色んな事が分かってきました。これまでわたくしが長年つちかってきた遺伝子やタンパク質がこういう研究にはまったくでてこないことをいやというほど味わいました。その一方で、栄養吸収、糖やビタミンの代謝とか細胞内外のアミノ酸や種々の物質輸送とか、オルガネラ、ミトコンドリアの制御とかいろんなこれまではまったく専門的な関心を持たなかったことにいやがおうでも真剣にかかずらう必要性が出てきました。ほんとに、寸暇を惜しんでこれらについての最新の論文を読み込んできました。
医学研究での幹細胞の形成とか、細胞死とか、ひとごとでない関心を深めてきました。
頼りになるのは、わたくしたちが関わりだした遺伝子群の働きで、それがどんな働きを持っているのか、考えだすと、やはり研究進展の著しい医学畑での接点が多くなります。いっぽうでわたくしが沖縄での研究を昨年の北海道の循環器関係の夏の学校、それに今年の初めニューヨークを皮切りに発表してから、国内外多くの人達が関心を示しだしてくれてます。これまで経験のない分野とか会ったことのないような人達が興味を示してくれています。はっきり手ごたえがあるのです。論文もまあわたくしの目では順調にでだしてきました。
山中さんの研究でのiPS万能細胞に必須な四つの遺伝子のうちの一つがこの沖縄でやっている研究での一つの遺伝子と遠い親戚くらい似ているので、どういう働きをそれはiPS細胞でやっているのか、具体的な関心を持ち始めていたのでした。
4月にわたくしどもが沖縄でやる国際ワークショップに、山中さん極めてお忙しいのに来ていただいて、講演をしてくれるとのこと、ありがたいことです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-27 16:34
2007年 12月 26日

万能か全能か、医学と科学

きのうの話題の続きみたいなものです。
万能細胞と最近は呼んでいるようです。
このあいだまでは全能細胞といっていたはずでしたが。
いまは両方使われているのでしょう。正確にはの山中さんの研究で作成される細胞はiPS万能細胞と呼ぶようです。体細胞のなかに四つの遺伝子を導入すると、幹細胞のような性質をしめし、発生中の胚に混ぜればどの組織にもなりうる、そういう点で万能なのでしょう。

全能というと、全能の神とか、神様的な存在ですが、万能というと機械というかなんでもこなすツールというかんじです。
言葉としてこれから医療でどんどん使われていく可能性をかんがえれば明らかに万能のほうが良いのでしょう。
英語ではPluripotentつまり多能性になるのでしょうが、やはり万能のほうが語感がいいのでしょうか。iPSとはinduced pluripotent stem cellの略です。

ニンジンでしたか植物の組織細胞をすりつぶして、一つの細胞から培養を続けると、また植物個体が実験的に作られるということはかなり昔から知られていました。
そういう性質には植物細胞の全能性と表現されてわたくしも若い頃に学んで植物はすごいもんだな、と感心したものです。
でも動物は海綿のような簡単な生物では似たことは出来ても、高等動物になったらいっぺん分化した細胞は後戻りできないとか聞いたものです。わたくしが大学院生の時に学びました。
カエルのクローンができるとか、はそのすこし後です。
岡田先生と江口さんはイモリの眼の水晶体の再生の研究を一緒にされていましたが、そのうち分化した細胞が転換するに成功したと、麻雀しながら聞いたのを思いだします。
こういう話は科学の話です。
科学では、たいていの研究には、源流が次から次に出てくるのです。
分化細胞のもっている多能性は長い研究の歴史があるのでして、理学部で教授をしている阿形さんが研究をしているプラナリアの再生能力などの研究はほんとに昔からあるのです。
ですから、医学の世界での進歩を聞くと、科学系の生物学者はそんなことは植物なら50年前、扁形動物なら20年前とか、できてましたよ、とか例えばですがそんなふうにいうのです。
科学出身の生物学者は下等な生物をやっている人ほど、高等な生物の研究の個別的な研究にはあまり興味を示さないものです。

しかし、医学には病気という体系の大本があるので、研究の価値観が折々にまったく違うことを理解する必要があります。
今回の山中グループの研究は、医学的な基礎研究と医療面での大きな可能性の両面でわたくしは、素晴らしいとおもうのです。
しかし、わたくしの内面に2つある価値観の内の一つにもとずいて発言していることも確かです。
素晴らしさの感覚のもとになる価値観は普通の基礎的な生物科学のものとはかなり異なって、やはり人間への応用の無限の可能性を感じるからです。わたくしの場合、医者じゃありませんから、医学ではなくてむしろ人間生物学とでもいう者ものから来る関心です。

理学部あたりにたくさんの頭脳優秀な若者が入って生物学をやるのですが、医学と科学の価値観の違いに鋭敏に反応して自分の将来を考えてほしいなあとむかししばしばおもいました。
どちらが上とかでなく、それぞれの研究にはそれぞれの背景があり、また異なった可能性と将来性があるという当たり前のことに早く気がつくことでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-26 18:30
2007年 12月 25日

山中伸弥さんの場合

K君が博士学位取得の謝恩会を関係者が新春に北大から来る機会にぜひやりたいとのこと。とても素晴らしいですね。わたくしは長いことそういうものに招待されたことがありません。
学位がとれて当たり前という気分の人達が多かったですからね。たとえパーティをやるにしても、わたくしを呼んでパーティなんてなんとうっとおしい、楽しくない、そんなふうに多数派の人には思われていたみたいですから、こういう少数派の人に呼ばれるのは嬉しいものです。

さて今日は山中伸弥さんの関係の講演会が京都駅の近くのホテルであったようです。
毎日のように新聞にでますから、わたくしが今さら触れるのはどうかとも思うのですが、こういう素晴らしい研究成果は何回論じても飽きないですからまあ許してもらいますか。

研究費の増額については、さいしょは3億円と聞こえてきたので、それは一桁か二桁少ないと思ったのですが、一桁上にいったので、とりあえずは行政サイドは最大限頑張っていただいたと外野席からですが見ています。
こんかいのこの山中さんの業績は本当にすばらしいので、かれを国民的ヒーローにする流れというか動きにわたくしはなんの躊躇もありません。ノーベル賞当確、わりあい早い時期にという類のこともそうではないですか、と無責任ですがいいたくなります。
米国では早くも山中さんと同時に今回発表した研究者(追随者のようにわたくしにはみえますが)を国のナショナルヒーローに仕立て上げつつある記事が大新聞で見ますので、要注意です。日本はなるべく早く国のヒーローであるという完全な証拠を山中さんに与えないといけないと思います。まだお若い山中さんには迷惑かもしれませんが。
今回のことでとてもすがすがしいのは、山中さんひとりが前面に出てほかの人達、とくに先生筋とか上司筋とか、研究費のパトロン筋とかがまわりからごちゃごちゃいっているように見えないことです。これはとても良いことです。
かつて日本が二回生命科学で金のなる木を育てられなかった経験があるといわれています。一つは、行政の動きも周りの動きも鈍くてみすみす米国にとられてしまったこと、もうひとつは先生というか上司というかそのあたりが本人を差し置いてやったので海外から見てまったく評価というか競争相手とみなされ無かったことでした。

今回は、教訓も生かされたようですし、山中さん自身のお人柄と経歴のかんけいで、彼の代わりにしゃしゃり出る人が居なかったのは本当にスッキリしていました。
日本の生命科学にとっても素晴らしい起爆剤というか、若い人達、特に学生さん達が山中さんの業績と世間の受け止め方を見て、わたくしもと思ってくれたらいいのですが。そういう点で、山中さんのプライシーもあるのでしょうが、幼少の頃からのことなど、ぜひ知りたいものです。
京大にとってもとんでもないほどのメリットでした。毎日のように京大と出ますから、京大関係者にとっては本当にありがたいことでしょう。
しかし、わたくしが考えるのは最初の仕事をなしとげた奈良先端大にいまもいて、そこで今回の研究成果をあげたらどうだったのでしょうか。
山中さんはもうひとつワンランク上の国家的ヒーローになったかもしれないな、惜しかったな、と思ったりしています。
湯川秀樹博士のノーベル賞業績は大阪大なしとげたのですが、なぜかそういうことはほとんど重視されないものです。
今回は知名度がはるかに低い奈良先端大でこの研究がもしもずっと行われていたら、山中さんの能力的すごさが最大限に理解されたかもしれません。
もちろん奈良先端大の関係者もかなり複雑な気持ちでいることは間違いありません。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-25 17:54
2007年 12月 24日

その日暮らしの国政、今からでも遅くない

比良のほうの天気は朝から良くなくて、外での作業が出来ないのでしかたなく書類の仕事をしていました。昼には天気は好転しましたが、年の瀬の用事もあるので、坂本のほうに帰宅しました。この時期の連休ですが、いまの日本は国政も経済も天皇誕生日をお祝いしているムードにはなかなかなりにくいのでしょうか。

福田首相の決断で、薬害によるC型肝炎ウイルスの感染者を全員救済するとの方針がだされたのは大変よいことでした。議員立法の理由を首相はくどくどいってましたが、一般国民にはあまり関心がないことでしょう。むしろ首相がこのような事態に至った経過の過程での責任というか行政のかかわりについてなにも言わなかったのが印象的でした。わたくしには、国民をまもるよりも行政の担当者をまもることに首相は熱心な感があります。たぶん官僚に文句を言われるのが嫌いなのでしょう。
その日暮らしの国政という印象が強くなりました。
支持率が急落していますから、支持を上げるために毎日毎日きゅうきゅうとなれば、そうなるのは当然でしょう。
年金問題をみても言われたら動き出すという具合なのです。年金でまた支持率が下がれば大変ということで、言われたことにつぎつぎ対応するだけで年もくれつつあるのです。
国政も個人の生活も、その日暮らしになっていいことなどあるはずがありません。
しかし、いつの頃やら、そんなふうになっているのです。
郵政民営化選挙あたりから、日本は地に足がついた政治ができないようです。
岐阜県での一選挙区についての報道などがこれでもこれでもかと出てくると、日本は本当にどうかしてしまったのではないか、とおもいます。メディアもほとんど自制心を失ってしまって。

わたくしは、本当は問題はもっともっと前、だいたい15年くらい前から根っこにある問題が生じたのだと思っています。少子高齢化という日本の抱える大問題に、しっかり対応せねばならない時にそれをサボってしまったのが、いまになって取り返しのつかないような、問題になってるのだと思います。でもまだ遅くないし、いまからでも取り返しがつくように日本全体で努力するのがいいのだとおもいます。
その問題というのは、まだ人口が多い、ポテンシャルの非常に高い黄金世代が青年から成人に達する頃に、かれらを大学に行けない、就職にもつけない世代にしてしまって、極めて多数の社会的脱落者を作ってしまったのです。脱落者は言葉が過ぎますので、非成功者にしてしまったのです。毎年50万以上、5年間で250万人以上の若者たちがいまも世代的な塊になって非成功者になっているのです。かれらの親が生きている内は問題の顕在化が抑えられてていますが、もう10年もすれば、問題は爆発的に顕在化すると予想します。
佐世保での銃撃事件の犯人はその一人で、この世代が社会に対して出した有力なメッセージの一つとおもいます。社会はそう受け止めた方がいいでしょう。
メディアはなぜか書きませんが、就職にもついてない若者がなぜこれだけの消費が出来るのか、おかしいではないですか。そのような親がかえの生活を送ることに、まともな社会的感性があれば、本人はそれ以上に内面的にもだえ苦しんでいたはずです。

日本の人口構成を見ると、平成17年生まれの幼児が100万人くらいとして、その二倍以上の人口をもつのが、昭和46年くらいから50年生まれだということに気がつきます。この人口急増の世代に文科省がいったいなにをして、なにを予想していたのか、今からでも遅くないので調査することに現代的な価値があります。
毎年50万以上の若者が大学に行きたくてもいけなかったのでした。大学や専門学校を卒業をしても、まともな職が無かったのでした。社会も知らぬふりをして、就職氷河期ということばをこの世代がうけたことをだいぶ経過してから報道を始めたのでした。
かれらが今や日本の30代を担う世代になっています。
わたくしは、今からでも遅くないので、かれらの世代の社会的存在と価値をを高めるために、社会はありとあらゆる努力をするべきだとおもいます。ひとりひとりに対して必要なら相談相手をつけてあげるくらいの社会的努力が必要だとおもいます。
わたくしも、できることならボランティアでもなんでも相談相手になりたいと思います。
もちろん職業人としての能力を高めることがいちばんたいせつでしょう。
そのような努力がこれからの少子高齢化社会を過ごしやすくするための大切な対策だと思います。今の一才の幼児が35才になるときに、昭和46年から50年に生まれた世代が60才代後半となりますが。人口比で二倍違うのです。
今こそ努力しなければいけないことはあきらかです。
わたくしも周囲にこの世代の若者が沢山いて、かれらの考えの甘さに驚くことがおおいのですが、彼等にはまだまだ努力とトレーニング次第で大きく変化する可能性があります。
大きな声では言えませんが、世代が下の方、若くなればよくなるのではなく、ますますひどくなるのかもしれません。
生涯学習ですから、社会が本気にかれらに向かいあえば、彼等が本来の社会の中核としての役割を果たせるはずです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-24 15:29
2007年 12月 22日

忘年会、黄昏亭について、ザトウクジラ捕獲中止、読売の偏向

昨日の研究報告会とその後の忘年会、よかったですが、疲れました。66才の翁ですから、20代が大多数の若者とのつきあいは疲れます。しかし、研究面の発表では立派なの素晴らしい人達が多いのも確かですが、ちょっとこれはかなり本人には反省して欲しいというのもありました。

忘年会は、夷川どおりにある店やで一次会、二次会は吉田なんとかいうところで二次会、沖縄京都の合同なので盛り上がっています。世間では忘年会はかなり白けるらしいのですが、そういう流れに逆行していました。

そういえば、おとといは黄昏亭にいきました。珍しく深夜までいました。
Hさんたいへんお元気そうでした。もう27年間もたったとか。もっと長いと思っていましたが、そうではなかったのでした。二階にある焼き肉やが古くて、わたくしが京大にきたときにはもうありました。創業40年とか。対角線にあった、黒潮丸とか貝とかすっかり無くなっていますので、存続していること自体素晴らしいうえに、店の雰囲気が根本的になにも変わらないので、本当に嬉しい。
そういえば、わたくしが30才で京大に来たときに最初に飲みに誰かがつれていってくれたのが、夢二でした。あれはすごく懐かしいけれども客種の一部が共闘系だったので早々に行きにくくなりました。当時からオープンに右翼系であったわたくしが勝手なことをしゃべって無事なはずがありません。でも夢二は川島監督の時代無頼者の画面にでてくるのとそっくりな飲み屋でいまでも強い記憶があります。でも長くはつづかなかった。それに対して、黄昏亭の長続きなこと、Hさんの人柄のすばらしさによるのでしょう。
3月29日に27年祭をやりたいとか。それでいま英国在住のTTさんに何はともあれ出席して欲しい、との彼女の強い願いなので、それじゃかれにメールを書きますといっておきました。いま長崎大学の医学部にいるAY君にもぜひ来て欲しいとのこと、かれはこのブログを読んでいるので、これでたぶんもう連絡できたのでしょう。

ザトウクジラの捕獲をやめるという新聞ニュースを見ました。
よいことです。前にも書きましたが、なんでこんな事を計画したのかわかりません。
福田内閣発足以来、官僚が決めたことを変えたのははじめてではないでしょうか。
しかし、誰にも傷がつかないかのような、ぼやけたニュースにしてあるので、日本国内ではあまりインパクトがないのでしょう。
たぶんオーストラリアあたりでは、新首相の手柄になっているでしょう。それでもいいでしょう。
最初からザトウクジラを捕獲するなどというアホな案を国際的に出すべきでなかったのです。

新聞の偏向というと朝日の特許みたいなものでしたが、最近読売がひどいと思います。ただ、読売の問題とは自虐的歴史観とかそういうのでなく、ボス渡辺を一切批判も出来ないし、いわれたことをただ記事として垂れ流すだけという、偏向です。
福田内閣の支持率が急速に低下しているのでボス渡辺氏が小沢氏がいいだしたの連立とかすっぱ抜いて民主党のネガティブキャンペーンをして自民党に恩を売っているのでしょう。安っぽい政治ですが、読売の編集は忠犬のように唯々諾々したがっています。野球での偏向体質には慣れていますが、国政レベルでの偏向は相当にまずい。
毎日新聞の創価学会新聞印刷も含めて、三大新聞は内に持った偏向傾向があるので、一般読者には困ったことです。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-22 21:08
2007年 12月 21日

今日は、休み

今日は朝からずっと研究報告会、そのあとは忘年会とかでお休みします。
週末に一回投稿します。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-21 15:32
2007年 12月 20日

イ・ミョンバク(李明博)韓国大統領

今日は、午後から沖縄京都の2つの研究室の合同の研究発表がありますので、まえもって投稿しておきます。場所は今居る建物は会議室もままならないので、烏丸今出川の先まででかけて、きょうあす二日とやります。

韓国大統領は保守系ハンナラ党のイ・ミョンバク氏と決まりました。
日本ではいまだに慣習として韓国の人々の名前を漢字で表記していますが、いいかげんカタカナにしたらいいとおもいます。朝鮮の人達はもうほとんど漢字を使わないし、ハングルでやってるのですから、漢字にこだわる理由が分かりません。イ・ミョンバク氏は漢字からも想像しやすい発音なのです。新聞も最低限、まずカタカナ表記してその後、括弧して漢字名にするとか、この点で進歩して欲しいものです。
日本生まれの大統領ということですが、このかたの短い伝記的なものを見るとたいへんな立志伝中のひとのようです。特に幼少の頃に貧しくて、小さい頃から働いてきていて、大学卒後は猛烈に働き成功して、大企業のトップになったとか、さらにはソウル市長になっての手腕とか。田中角栄氏との類似性がいわれますが、わたくしはこのイミョンバク氏がキリスト教信者であること、シュバイツアーとかを尊敬すること、など経済活動でクリーンとはいえない経歴の類似性はあるものの、だいぶ異なった人物像を思い浮かべます。
現韓国大統領よりは格段に日本にとっては付き合いやすいようですが、しかし、いっぽうでかなりのタフネゴシエーターでありそうです。
中国の政治指導者はわたくしにはさっぱり理解できないのですが、ロシアのプーチン氏、北朝鮮のキム・ジョンイル氏、それにこんどのイ・ミョンバク氏と個性的な政治指導者が北東アジアには揃ったな、という感があります。
しかし、韓国にはどうも悲観論というか自滅的な政治活動がともすれば出やすい環境がありそうで、この新大統領が力をふるえる政治社会環境がそもそも生まれて来るのか、という疑問をもちます。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-20 12:30
2007年 12月 19日

12月はやはり忙しい、先住民的な研究、

今月はやはりばたばた忙しいです。N君の論文改訂版、年内に送れるのでしょうか。暗雲がたなびいてきました。あしたからは、二日間沖縄との合同の仕事の報告会ですし。
しかし、今月はA君の論文は投稿までいったし、沖縄の研究ユニットの評価のためのすべての書類をしっかり書き上げて、送りだすことができたし、例の遅れに遅れていた原稿もなんとか脱稿したし、よく頑張りました。自分を賞める気にはまったくなれませんが、自ら老骨にムチをいれるすべはすこし分かっています。でもこれでわたくしの寿命は一段と短くなってるのでしょう。滋賀県の男性平均寿命に到達するなどわたくしにとって夢のまた夢に感じます。

週末農業者としては、この12月はまだまだ新春には遠いという感じです。今年の作業の終わりを続けている感じで、やはり2月上旬に新春というか、農業的な自然の新年がやってくる感じです。

今日のトピックスですが、先住民的な研究ということについて述べますか。

わたくしは米国に1年弱住んだだけで教育を受けたことはないので、米国先住民についてどのように米国民が教育されているのか、知りません。ニュージーランドやオーストラリアでの教育については最近知る機会をえています。

昔のハリウッドの映画ではすべて邪悪な連中として描かれていましたが、いまはどうなのでしょう。さすがにそんなことはないでしょう。米人インテリにこの話題を振り向けると、ただちに日本のアイヌはどうしたと、攻撃は最大の防御作戦で来ますので、米人移住先祖は他の諸国と比べると格段に悪いことはなにもしてないという教育をしているのでしょうか。米国先住民が土地を全部返せと訴訟してももちろん無力でしょうし、米国にとっては、存在しないかのようにしているのでしょうか。でも米国内を旅行したら、相当多くの場所に先住民が粗末な家に沢山住んでますね。
たぶん、現在の米国民の多くにとっては、存在してなればよかったのに、という感情というか感覚で結論されるような類の問題なのでしょうか。

研究でなにかとても面白い発見をしたとします。文献を調べてみると、もうすでに誰かがやっていたとします。
それがハーバードとかMITのようなところのお偉いさんかきいたことの無い人達でもCell, Nature Scienceとかに発表されていたら、ああそうか、もうかなりやられていたのだ、ということですこし引き下がった気持で対応するでしょう。
しかし、これが聞いたこともない雑誌とか、科学の世界では辺境のような場所とか、そうでなくとも、日本人が日本でやっていて、ほとんどまわりが気にしてないような研究としていたとします。しかもそれが新しい研究で、さんぜんと光り出すような研究になるとします。
欧米系の研究者ではこういう時に、この聞いたことのない研究はまあ先住民的なので、「無視」しよう、と決める人達が案外いるのです。
実は最近、日本人でもこのようなタイプの研究者が増えてきています。先住民的研究無視タイプの研究者が増えるのは、悲しいことですが、成果を独り占めしたいという誘惑にはなかなか勝てないのかもしれません。
それでわたくしのお師匠さんが皮肉っぽく、ミツヒロ、世の中には既に発見されているのに、もう一度発見したがる人達が沢山いるのだよ、とわたくしに教えてくれたのを思いだします。
わたくしも、いちどかなりひどく先住民的に扱われたことがあります。
Crm1という遺伝子についてですが、わたくしたちがまったく気がつかなかった事を見つけた研究者が、そんなふうにわたくしたちの研究を扱ってきた事をおもいだします。
そこそこのジャーナルにずいぶん沢山論文も書いているのに、よくここまで先住民的に扱ってきたな、と呆れたものです。
その時、わたくしが思ったのは、わたくしたちがいなかったら、彼等は本当にうれしかっただろうに、と思ったのでした。どこかでやましい気持をもっていたでしょう。
そんな気持を持たなければ、わたくしたちと素晴らしい友人になれたのに。前もって教えてくれたら、わたくしはどんなに喜んだでしょう。そして彼等に本当に感謝下でしょう。
しかし、残念ながら、最初のかれらの論文を読んだときに、わたくしたち先住民よ早くここから消えろ、というメッセージを強く受けたものです。
実際にはわたくしたちもその場所からは事実上去っていたので、言われなくてもそうしていたのに。実際的にはいたくも痒くもなかったのですが。
しかし、先住民的な反撥の感情がむくむく湧いてもとのところに戻って短期間、一戦を交えたのを思いだします。結局、この分野の関係者とはいちどもねんごろな会話がなく時がたってしまいました。exportinと新しい発見名をつけた人達は手柄を立てたのでしょうが、時がたてば、友情や感謝の念に勝てるものはありません。

しかし、わたくしだって、気がつかないで、どこかでどこかのグループを先住民的に扱ってるかもしれません。意図しないで申し訳ないことをしているかもしれません。
ですから、権利の主張はあるところまで来たら、やらないといけないのでしょう。しかし、研究の世界では近年になって、この先住民無視の傾向は圧倒的に強まっている感があります。

by yanagidamitsuhiro | 2007-12-19 16:25