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2009年 01月 30日

おきなわ晴れ、国際誌編集からみる日本人研究者気質

あさから晴れ晴れとしたいい天気、この時期おきなわでなければ味わえないような気分のよいさわやかな暖かい日です。しかし、この天気をあとにして、出発せねばなりません。たまには観光もしたいな、と思うのですが、思うだけでもう5年経ちました。この間、いちど週末に島北に出かけただけです。
日本サッカーまたバーレーンに負けました。アジア大会ですが、結構深刻ではないでしょうか。岡田ジャパンかなりの危機でしょう。
わたくしは岡田監督に才能というかひらめきをまったく感じません。
人気がないのも当然でしょう。前監督も人気をまったく無視したので、サッカーでも人気が非常に大切という当たり前のことが忘れられて久しいです。
そのうえ弱いのでは、もう論外でしょう。
オーストラリア戦が負けるようでは、もう監督のすげかえ必至とみています。

午後から夜にかけて東京で研究の話を理研のM君とそれから雑誌の将来について関係の先生と話し合う必要があるのです。

わたくしが編集にかかわる国際誌の任期は自ら決めている期間がもう終わったのですが、次のかたがまだ決まっていません。できるだけ早く決めてもらって雑誌の面目を一新してほしいのです。決まらなければ、退任できないので今年の目標の一つは、後の方が決まるための努力をわたくしなりに一生懸命せねばならないことです。日本人研究者にとって非常に大切なジャーナルになったと思うのですが、かならずしもその考えが共通なわけではありません。
編集をやってるあいだに、気がついたことがあります。
そうじて日本人のレフェリーはコメントがきびしいんですね。そして、論文著者への要求がきつめであることに自分で気がつかない、こういうタイプの傾向が強いことです。ときたま、個々の編集者がハンドルしている、論文に対するコメントをみて感ずることです。しかしコメントは悪意にもとづいていませんから、しかたがないかな、といわざるを得ません。
このジャーナルの人気がもう一つ上がらない原因も実はこのあたりにあるようです。つまり、真面目に対応すれば最低3か月、下手すると半年かかるようなコメントがあるので、このクラスのジャーナルでそれだけの努力をする価値があるのか、そう思う論文の投稿著者が多いようです。直接何人もの人たちに言われました。しかし、いろいろな編集者がいるので、一様には対応出来ません。編集長というのはトラブル時に出動するのが本務と思っていますので、通常的なところには決して口を出しません(わたくしのポリシーです)
外国人レフェリーからいわれたら我慢できるのに、日本人レフェリーにいわれたら、我慢できないこういう傾向もあるのは事実です。
また著者たちが急いでいるのが、ありありと分かる時には、きつめの長期の時間のかかるコメントには著者はいったいどうするのだろう、と心配になることが多いものです。

国際誌編集というのは、ある意味で人気商売でして、それも水商売に近いものです。一週間も一つも論文投稿がなければかなり心配になるような意味での水商売なのです。国際誌の人気はもちろん論文をちゃんと読んでくれてなおかつ反響があれば高まるのですが、一方で速報性も評価されます。わたくしが関わるこの雑誌は、国際誌とはいえ日本人著者の論文がまだまだ圧倒的に多いし、インパクトファクターという定量性から見ても世界的なランクは中堅どころでしょうか。よく読まれている割に、引用度がそれほど高くない。こういうところです。この状況をあらためるには、編集長を変えるのがいちばんてっとり早いとわたくし自身は思っているのですが。

日本人の著者の特徴は自分の論文の引用が一般的に上手でもないし、またみずからの引用頻度が低いのです。つまり自己宣伝をしないのですね。名誉か不名誉か知らないのですが、わたくしが関わるこの雑誌の著者の自己論文引用頻度はもっとも低いと、出版社からいわれています。それで最近は極力自己引用を高めるようにお願いしているのですあまり効果はありません。日本人の通性なのでしょうか。
日本人の研究者は自分がレフェリーになると、職人的良心性にもとづく意見が多くなるケースが多いようですが、これはある意味で世界の中での日本人のおかれた立場を物語っているようです。
つまり日本の研究者の社交性の低さの現れかもしれません。

東京に着いたら激しい雨でした。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-30 15:21
2009年 01月 29日

不健康な島

慌ただしい一日でした。
これからまだ行事がありますので、きょうはごくごく手短に。

タイトルが大げさですが、沖縄にくると不健康になりがちです。その理由は歩く時間がまったく短くなるのです。
きょうはなんとか朝にがんばって50分あるいたので帳尻はあいましたが、この数日どうしたら体を動かせる時間というか状況というか、場所をつくるのに四苦八苦です。
沖縄ではみな車をつかっているかんじです。楽しく体を動かしたり歩く環境がとても乏しいのですね。これはいけないと思います。なんとかそういう場所、常緑の大きな木が生い茂るような公園とか散歩道とか欲しいです。
沖縄の最大の課題は新産業の振興と、健康環境をつくること、でしょうか。あと望むらくはパチンコとかそういうものの代わりになるお金のかからない成人の娯楽を沢山つくるこおではないでしょうか。
小学生のうちに健康第一、いかにしてお金を無駄にしない楽しみを見いだすか、しっかり教育する必要があるでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-29 18:32
2009年 01月 28日

きょうは沖縄らしい天気、2兆円の税金による「給付金」

きょうは暖かい日です。太陽もさんさんと照っています。

ラボの前の廊下の壁面にポスターがありまして、このあいだの一般の方がたへの公開時に作成したものです。ラボのかわいいマスコットキャラクターを決めたのでそのマスコット図入りの説明で非常にいいです。後で写真をとって、このブログで紹介いたします。

2兆円の「給付金」ですか、国会で決まりました。でも関連法案がまだまだですから実際の「給付時期」はかなり遅くなるだろう、ということ、誰でも知っているニュースでしょう。でも、このブログはわりあい海外在住の日本のかたも読んでいるので、あえて話題にします。
この給付という言葉にカチンと来る人たちが多いでしょう。税金で国民からふんだくったものを「給付」とはなにごとか、まっとうな納税感覚をもっていたら、まずこの言葉に自民党—霞ヶ関体質を感じたはずです。それに、これをあの首相が、そんな金をもらう金持ち人間はよほどさもしい、わたくしがもらうはずないでしょう、とかそんな発言をしてしまったのが、最悪でした。いまの内閣への不支持を上昇させた最大の原因のひとつでしょう。この、給付金というお役所のお上意識に、さもしいという本来はお金を使って景気をあげるという単純な動機に、わけのわからない倫理観をだしたものですから、せっかくの2兆円、ケチがつきました。同じように感じた人は沢山いるのでしょう。
この2兆円、ひととは違ったことでもいいたいのですが、言えません。お金もらったら、百万遍のてづくり市で消費しようとおもっています。

日本の官僚制度はまだまだ強いので、いまの内閣も官僚制度に寄生しているのがよく分かります。いくらマスコミや政治家の言動で叩かれても、官僚はまだまだ自分たちが国を動かしているという絶対的自信があるのでしょう。民主党が政権をとってもそのあたりは変わらないでしょう。
わたくしが見るところ、官僚の一番の弱みは、大学をでてからずっと官庁にいるのでどんなに頭脳明晰俊敏博覧強記でも、やはりお上意識で生きているので「給付」ということばしか思いつかないし、もっと庶民感覚にフィットした名前が身につかないのでしょう。このあたりはどんなに努力しても無理だろうな、とわたくしは思います。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-28 13:13
2009年 01月 27日

寒い!沖縄、参謀の喜び、大団体の朝食

風が冷えて強い沖縄でした。
昨日の夜もなかなかの冷え込みでしたが、けさはまた一段と寒い。摂氏10度以下でしょう。まさかと思うのですが、関空まできていた厚ぼったいコートを出して,着てしまいました。
島の北のほうにいけば桜並木が満開だそうですが、ここ中部あたりでは桜の木はパラパラとあって、どれも花は咲いています。ピンクというか赤というか、本土の白い桜をまず見て4月なかばにピンクの桜を見ることのおおい人間にはどうも感興が湧かないのですが、それでもいちどはこの時期の北部の桜をみたいものです。

昨日はTK君と論文のよみこみに精を出してやりまして、夜にずれこんでまでやりました。なかなか充実した議論で、よかった。
ただ、彼のいうとおり、参謀本部の意見と塹壕戦を戦っている戦場フロントの意見の違いはかなり有ったかもしれません。ただ、参謀側としては、戦況の見通しに自信をもって現場に意見をいわざるを得ないのです。もちろん現場しか、戦う喜びは実感出来ないのですし、また勝利の瞬間もフロントの人間しか味わえないのです。
だから、参謀は違った喜びを見いだしてやって行くのです。それは大局観を毎日考えるところからくるものでしょう。一度も考えた事のない可能性を、フロントの戦況報告から考えだすのが一番の楽しみでもあり、わたくしにとっての生きがいでもあります。

けさのホテルは、いったいどうしたの、というくらいのひとひとまた人です。何百人という団体客が大挙朝7時から食堂にいました。かつて見たことのない人数です。

わずかに残った小さなテーブルで、そそくさと食事をすませて、部屋に戻りました。みんな日本語をしゃべっていましたし、また等質な感じでしたので、どこかの地方の人たちのかなりでかい(農協的な)団体旅行と推測しました。静かで穏和な雰囲気でしたし、年齢は高齢から若い人まで、男女も半々くらい、でした。いまどきめずらしい大団体なにかタイムスリップした感じでした。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-27 08:42
2009年 01月 26日

今週は沖縄へ、京都産業大学での益川塾、佐藤優氏とクルーグマン教授へのインタビュー

きょうから沖縄です。この時期は、衣服の準備で考えてしまいます。厳寒期の本州と15−20度の沖縄、春先と考えればいいのでしょうか。しかし、夜などはすこし寒い感があります。
今回は会議が3つもあります。うち2つは大学開設準備の下書きのようなものを作る会議です。あまり例のない大学を作るための準備なので、わたくしのように旧来、既存のものをよく知っている人間はほんとうは出ないほうがいいのかもしれない、と思ったりします。新しいものをつくるのには邪魔な存在ではないでしょうか。ここもだんだん会議が増えて、最初の2年くらいの会議のまったくない時代が懐かしいことです。しかし、大学人は会議が大好きですから、だんだん「らしく」なってきてるのでしょう。皮肉でなく、会議に沢山でないと、大学にいるという実感はなかなか得られないものです。
京都産業大学が益川塾なるものを作った、というニュースを興味深く読みました。地元では京産大といって、昔京大の農学部におられた柏ゆうけん(漢字名どう書いたか自信ありません)教授が創設したもので、同志社や立命の知名度はないかもしれないが、就職率が大変よい、京都にありがちな左翼系学生はまったくいない、とか聞いたものです。
益川塾が京大でなく、京産大に出来たという事実はかなり重いでしょう。
京産大は益川さんを終身教授としたというのですが、京大はそんなことは逆立ちしてもできないでしょうし。かつてスタンフォード大学はカリフォルニアでもランク的に高くはまったくなかったのに、有名なコーンバーグ教授などを引っ張ってきていまでは世界でも有数な大学になっています。京産大も遠慮しないで、年など気にせず、どんどん偉い先生をスカウトされたらいいのでしょう。ワールドクラスの大学になるのに、ほんの数人の真にワールドクラスの人材を持ってくればいいのではないかと思います。

日曜日に見たテレビ番組で佐藤優氏と経済学者のクルーグマン教授のインタビューを聞きました。たいへん有意義な意見を聞けました。ふたりとも相当な人物ですね。佐藤氏は誰かがかいてあるとおり、西郷さんに似ています。

キャスターの田原氏は佐藤優氏に対しては冴えていたのにクルーグマン氏のほうはもうひとつでした。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-26 20:32
2009年 01月 23日

不義理の集積

ことしは特に時の経つのが早いです。
あれもこれもとやろうと思ってると、もう週末です。
きょうは沖縄から二人に来てもらって、外注していたデータの検討のしかたについての細かい相談をしています。夜は一緒にメシでも食べにいきましょう。

来週はこんどは月曜からわたくしが沖縄にいってラボメンバーの進捗を聞くことになります。
2009年、世界も日本もたいへんでしょうが、わたくし個人もたいへんです。
アヒルの水かき的なたいへんさと見かけのたいへんさと両方やってきます。
しかし、研究者としては自分はお釣りの時期に入ってることは強く自覚してます。
ある方向に自分の人生をどうしてもねじ曲げたいという気持はありません。

しかし、いろいろやらねばならないことが多くて、一部のことはどうしてもできなくて残されてしまいます。
昔気質的な人生観から見ると、人生とは結局不義理の集積のようにも感じてしまいます。
昔気質の人生観は懐かしく素晴らしいとおもいつつ、自分はきちんと実行できないので、なんとか仕事につぶされずに生き延びていますが、でもそれを感ずるレセプターはありますので、おりおりに不義理の集積を強くかんじて人知れず深いため息をつくことがあります。

オバマ新大統領はイスラム世界といかに向き合うか、期待されているようです。かつて住んだことのあるインドネシアにいって、最大のイスラム国で、融和的な演説をすることが期待されているようです。
彼の、就任演説で米国は色んな宗教の人々がいるというのを列挙した中で、仏教も儒教も無かったのですがキリスト教のすぐあとにイスラム教がきていたのが印象的でした。キリスト教国とイスラム教国が融和される方向に向かえば、いいのですが。
ところで義理とはキリスト教国の持つ英語では、duty, justiceが訳だそうです。義理堅いがloyallyとかfaithfullyだそうです。このfaithfullyがわたくしには一番ピッタリくるのですが。でもこの訳ではduty, obligation,loyally面が希薄かなとはおもいます。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-23 16:47
2009年 01月 22日

Klipschのイヤホーン

一月ももう20日が経ちました。
最近買った新しい万歩計はそれなりにまた違う面白さがあります。一週間の歩く総量というか目標値があって、それが比較的容易なので7日目になるまえに万歳サインが出てきます。過去2分間の歩くスピードのようなものがでてきます。100日分の歩行総数まで出てきます。

昨年11月に、使っているiPod用に新しいイヤホーンを買いました。愛用しています。
前から上等なイヤホーンをつけたらどれくらい音質が良くなるのか、その「差」に興味がありました。
京都駅にあるビックカメラにいきました。
ここに限らずビックカメラの店員はかなりいい感じです。フレンドリーというのか、商品知識がちゃんとあるし、人間的だし、ヤマダ電機とはまったく異なります。
という前置きですが、男性店員さん(通常男性のほうが圧倒的によく知っている)にイヤホーンのことを聞きました。高級品というか音質のいいのを聞いてみたいというと、その若い店員さん、よくぞ聞いてくれましたという感じで、Klipsch(というスペルであることは後で知ったのですが)といういいのがありますよ、どうですか、と連れてってくれましてガラスケースの中から商品を出しました。
これを使って聞いてしまうと、他が聞けなくなるのですが、といいいながら2,3聞いた後に取り出したのを耳にいれて驚きました。これはすごい、というものです。すごい、としかいいようがありません。自宅には大きなヘッドホーンで耳全体を覆うのでいい音質のはありますが、こんなちっぽけなイヤホーンでこれだけ良い音質のがあるとは想像していませんでした。
他の会社のもいくつか試しましたが、これを聞いてしまうと、という感じでした。
躊躇するのは値段が高いことです。
しばらくというか、店員さんの隣に立って、数秒考えましたが、考えるまでもなく結論はでていまして、わたくしの性格の最大の特徴である衝動買いによって、購入してしまったものです。
最初に書いたとおり、愛用しています。
ただ、耳に差し込むので歩きながら聞くと後ろの物音が聞こえなくなるので、気をつけています。米国のスピーカーの専門会社だそうです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-22 16:38
2009年 01月 21日

オバマ新大統領の演説

朝、5時過ぎ眠かったのですが米国新大統領の演説をネットで聞きました。
実況は巨大な頑丈そうな車でのパレードの時間のようでしたが、BBCのニュースビデオ欄でクリックすれば約20分の就任演説が聞けました。というか見えました。
分からない英語の部分はありましたがだいたいの内容はつかめました。

見出しは、新しい責任の時代とありましたが、わたくしには「自由」の強調がやはり初のアフリカ系大統領、とおもえました。前大統領が「偉大な民主主義」の輸出に熱心でしたが、新大統領は自由こそがこのアメリカの進展をもたらし、また自分をも大統領にしたと、いってるように聞こえました。束縛からのliberationつまり解放、それに宗教や人種の多様性が今日の米国をもたらした、強調しており、多くの人の同感を得るでしょう。また、世界の「不自由な国に住む人たち」への強いメッセージとしては民主主義の輸出よりは、はるかにいいに違いありません。
しかし、米国のいまの未曾有の苦況がこのコンセプトで軽減されるとは全く思えません。新大統領の処方箋はかなり具体的であったように思えるのですが、金融万能で最近までやって来た米国経済と、新大統領のスタンスはどう交わるのか不明でした。

しかし、いずれにせよ、政治にはたしかに高貴な部分があり、新大統領の就任演説はその方向で最大限頑張って作ったものであり、まちがいなく名演説といえるものでしょう。心を躍らせた若者たちは多かったでしょう。
わたくしの知り合いの米国人、カナダ人、それにヨーロッパの科学者たちはおしなべて新大統領にたいへん好意的で高い期待感を示していました。その理由もこの演説を聞けば理解できます。
わたくしもいちおう期待する側に立ちたいとはおもいます。しかし、半信半疑というのが正直なところです。

政治にはもちろん醜い部分もあるのでしょう。両方が存在して、始めて政治の臭いがする、とわたくしには思えます。
米国大統領は両方の役割を果たすのだからたいへんなのでしょう。

日本などで、首相に高貴なものを誰も期待しないのは、そのあたりは天皇が担当するものとの暗黙な了承があるのでしょうか。
本当はそうではなく、もう長いこと、そういう習慣の国柄になってしまったのかもしれませんが。
新大統領のこれからの100日は誰もが興味をもつでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-21 14:49
2009年 01月 20日

小関治男先生

小関治男先生が亡くなったことを知りました。
小関先生というよりは小関さんというほうがずっと実感があるのですが、もう長いことお会いする機会がありませんでした。元気にしておられるとは何人かのかたから聞いていたのですが。
理学部一号館の生物物理学科で隣の研究室におられていた同僚教授の期間はながかったのですが、お亡くなりになったと聞くと、最初にお会いした頃から、わたくしがなんとか教授になれた頃までの、10年間の記憶がたくさん思いだされます。たいへんお世話になった先生であり大先輩が亡くなられた、という感が深いのです。

小関先生というと、微笑というのか、穏やかな声でフフという笑いがすぐ思いだされます。
紳士であり、争いごとや声を荒げるようなことはまったくありませんでした。その正反対のわたくしなどは、いまから考えるとよく相手にしてもらえたものと、ありがたくおもうのです。
小関節などといわれた独得の包容力のあるしゃべりかたで、多くの人たちが小関さんのアドバイスを求めにいったものでした。
わたくしも困ったことがあると、隣なものですから、ずかずかとアポイントも取らずに教授室にいって相談に乗ってもらいました。いやな顔もせずに、研究の話でも雑事でもゆっくりと聞いてくれて、そやけどなあ、という感じで別な側面のあることをいつも教えてもらったものです。本当に古き良き時代の仲間として遇してくれたものです。
小関さんは、いつも大事なときには陰でサポートをしていただいた、父ではなく、年の離れた兄のような存在だったとおもうのです。

そんなエピソードをひとつ。
わたくしが助教授でもさっぱり教育的でもなく、また学生にもまったく人気がないのを小関さんは皆川先生などとかなり心配していたようでした、小関研究室にいた沢山の俊才のなかから近藤寿人さんをそそのかしてくれて、近藤さんがいっときにわたくしと一緒研究をしてくれたものです。
近藤さんがあまりにも優秀なので、わたくしがほとほと感心していたら、小関さんがにこにこして、この世代が将来の日本を背負うのでしょうね、といっていたのを思いだします。
もうひとつ。
小関さん麻雀強かった。岡田さんのようにひんぴんとは一緒にやりませんでしたが、たまにやると年季の入った遊びをしてきたことがよく分かりました。寺本英さんの素朴な麻雀とはひどく異なる芸風で大阪人の面目が顕著なのでした。あのなあ、あがったみたいや、とかいって点棒で麻雀パイを倒す手つきがもう年季を示していたし、やすいかなあ悪いなあ、とかいいながら、ああドラが2つあったか、ああそれに裏ドラまであるのか、わるいなあ、倍万かあと含み笑いをされてしまうと、どうもまた小関さんにやられたか、などとよく戦意喪失したものです。
最近では分子遺伝学という言葉を使う人はほとんど居なくなりましたが、小関さんは英国で学位をとられ、日本の分子遺伝学の発展に尽くされ、その学問人物の懐の深さで多くの若者たちを教育したものです。わたくしもそのうちの一人であることはいうまでもありません。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-20 15:46
2009年 01月 19日

博士の学位の価値、

博士をとっても就職難という記事はよくでますが、博士の学位をとっても給料は一円も高くならないという日本の慣習を問題にする記事を見たことがありません。
わたくしのラボからも民間や官庁に就職するのはたまにいるのですが、そのたびに博士の学位をとってるとすこしは給与が良くなるの?と聞くと、全員が首を振ります。
これまでただの一例も日本で博士学位に給与を多めに出す、というのを聞いたことがありません。
これは医師の資格などとは大違いです。医師の資格があればどんなに分野が異なろうと、相当な割り増し給与が出ることは周知のことですから、日本では博士の学位は世俗的価値はまったくゼロと言うことになります。
ただ、博士の学位がなければ大学や研究所の職を得るのは難しいので、無ければ駄目、でもあっても給料が無い人より、一円も多くならない、そういうのが日本での博士学位を得た人への待遇というか仕打ちなのですね。
これで、科学技術立国、どこからそんな言葉がでてくるのか、不思議です。
博士取得者はみなかすみを食べているわけでもないし、またあまりに浮世離れしているわけでもないのに、です。
しかしこの不景気の時代、こんなことをいってもどこからなんの反響もないのでしょうけれど。でも、最近時折博士の学位をとったものに、高校教師の資格をあたえたらどうか、とかそういう意見を見たりすることがあります。わたくしは、一定の大きさ以上の官公庁やでは博士の学位をとったものを一定の割合以上雇用する義務を課してもらうのが、博士の学位取得者の質を高める最善の策だと思っているのですが。

きょうは久しぶりに京大病院での検診でした。月曜なのでかなり混んでいました。診察が終わったあとの支払いの時も長蛇の列でした。
今回は尿と血液の細かい検査がありましたが、どれも良好な値なので、なんとなく気分が良いものです。正月は食べたり飲んだりはかなり節制したし、節制しないのは仕事の量くらいだな、とうそぶいています。
血液を採る前に待合いできいた、お二人のご婦人の血糖値談義を聞いていて、なるほど血糖値の悩みはひとりずつこんなにも違うのか、と驚きました。10分ほど聞き耳をたてて聞いてましたがお二人ともいちども糖尿病とはいわないのは、症状とか治療とか糖尿病の実感がないからでしょう。というか、糖尿病がなんなのか、体験的によく分からないのでしょう。これらのご夫人はどうも合併症が出てるようなのですが、それでも実感が無いのでしょうか。わたくしもまあ、合併症が出てませんから、自分が糖尿病という実感がどうしても持てないのですね。
このあたりががん治療とはいちじるしく異なる点なのでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2009-01-19 20:54