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2009年 06月 30日

今年の分子生物学会年会の予告について

朝は雨が降っていました。この時期雨を見ると、なめくじが地面から出てきた、若い芽をぺろぺろと食べているようなイメージが目の前に浮かぶのがいけません。ムシのなかでいちばん腹が立つのは、わたくしの場合ねきりむしです。

来週の沖縄行き、その次の週のオランダ行きのスケジュール確定、さらには8月末のイタリア、その直後のシンガポール行きなどのスケジュールや要旨作成やら、いろいろすませなければならないことが多くて、しんどいことでした。
でもいちおうそれもだいたい終わりつつあって、ホッとしてます。ラボの皆さんとの議論もかなりやっています。なんとなく、先行き明るい気分です。

今年の分子生物学会、学会の原点、すべては議論から、というのでした。数日前にプログラム予告が来ていたので、パラパラとめくって見たのですが、どうもあまり論争的なものがほとんどない、ことに気がつきました。ただひとつ、ちょっと刺激的な文字がありましたが。旧知の小原さんや荒木さん達のやる年会ですから、ケチをつけたくないのですが、ちょっとガッカリです。でも、趣旨をよく読むと、年会とは「より効果的に議論する場としたい」とありますので、わたくしのように、議論といえば「論争」の「争」をついつい思い浮かべるので、羊頭狗肉と思ったのは、早とちりでこういうプログラムが「効果的」なのでしょう。でも効果的なんて言うのは、どうなんでしょうね。魅力ありますか。
しかし、お友達があつまって、微温的な議論するのはいくら効率的でもどうなんでしょうか。シンポジウム世話人の自己(分野)顕示になりがちです。対立的な内容を発表しそうな有力研究者を続けて発表させて、激しい議論を誘起させられたら、世話人冥利に尽きるでしょうが。まあ、そんなものも今の時代はやらない考えなのでしょう。やはり自己宣伝の時代なのでしょうか。

この程度のものだったら、合同年会をやめる理由が、本当にあったのかどうか、疑問という印象が強く残りました。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-30 17:19
2009年 06月 29日

カラスの被害と撃退法、

昼から雨になって、いまもすごい勢いで降っています。
きのう植え付けをしたものもあるので、日照りよりはもちろんいいのですが、でもほどほどの雨がありがたい。
里芋につく大きな青虫かなり除去しましたが雨がふるとどこから出てきます。

最近の比良のいえでのカラスの被害についてちょっと書いておきます。
われわれが10年前に来た頃に一匹カラスがいて、トンビと電柱のてっぺんの先取を争っていたのをみていましたが、最近というか同じカラスかどうか分かりませんが、仲間が増えました。
先月から、4羽くらいになりまして、かれらは一日中水田で忙しく何か働いています。
勤勉なのはいいのですが、われわれがいないときにこれらのカラスたちがやって来て、デッキのうえにかなりの量の糞便を落とします。これはかないません。白っぽかったり、むらさき色ぽかったりします。
それで、テグス糸をはったりして、その量は減ったのですが、十分ではありません。それで例の優れ物のジェット水流で落としたりするのですが、どうも抜本的な解決策がないものが、ネットで調べたり、店屋にいって商品をみています。
それで、超音波を発生するもの、これがどの程度効果があるのか、調べようと思っています。
もう一つ、おもわず笑ってしまったのは、風車みたいなもので、磁石がまわって地場が乱れて、カラスは困惑するというものです。安価なので、だまされたというか、冗談としても面白いのでこれを買ってみました。しかし、風がかなり吹かないとまわりません。
向かいの水田では、マネキンの頭部のみがポンとおいてあります。ホンモノのようい立派なマネキンなので、なんだか獄門にあった頭部のようにも見えます。カラスは、この水田には決してこないので、効果があるように見えます。わたくしも一つ購入して不在時デッキのテーブルの上に、獄門台のうえに鎮座させたらどうだろうか、と思っています。最後の手段でしょうか。

ともあれ、とつぜん一羽が4羽になったカラス連中とはしばらくつきあわざるを得ないでしょう。しかし、鳥の中でいちばん賢いといわれているのですから、糞以外は特にイヤだと羽思いません。夕方頃にカラスが集まって、ゴロゴロ懇ろに声を出して聞いてると、人間が数人いるみたいです。

きょうは米国のシアトルの研究所のSBさんのラボで大学院生をやっている、東大出身のABさんがやってきてセミナーをやってくれました。なかなか面白かったでした。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-29 17:34
2009年 06月 26日

罪ほろぼしができるか、人材の枯渇続き、

昼食時に、講談社のかたと会いました。約束を果たすことができないうちに、担当の方は部署が代わり、別の方がおいでになりました。すみません、ということになります。罪ほろぼしの気持もある一方で、もういちどああいう濃密な啓蒙書を書くエネルギーはいまのわたくしにありそうもないので、できたら若くない、年寄りの落語家をどう使うか、そんな風に考えてほしい、とお願いしておきました。

きのう政治のほうでの人材の枯渇ということを話題にしましたが、その原因は世襲が多すぎるのが最も大きいでしょうが、他には、以前の政治家の人材源だった上級官僚がもう枯渇して上級でなくなったことも一因なのかもしれません。それにこんなに官僚叩き、天下り叩きでは、官僚を志望する若者も減るでしょうし。

人材は日本のどこかにいるのでしょうが、本人も気づかず、誰もおしえてあげられないのでしょう。

日本の研究のほうも人のことを言っていられません。
ワールドクラスの人材がかなり減っているのではないか。
だいたい、いまの60才を境に総じて、大学学部での勉強量がガクッと下がって、必要最低限の資格に必要な分しか学ばないのが大学に残っている疑いがあります。
いまの多くの教授連に、第二外国語をどの程度やったか、聞けばそのあたりがわかります。
実用の段階にまでもっていった人はほとんどいないような気がします。
それから、研究者に必須の哲学もどうでしょうか。
端的にいって、知的に有り余るエネルギーがあるような人間こそが研究の世界に向いているのに、カリキュラムだのシラバスのヘチマだのという教育側の御仁に限ってせせこましい知識しか持ってない傾向がつよいのです。

研究の世界には余剰な知的エネルギーがいっぱいのような人物こそがやってくるべきなのです。
別にいうと、遊び好きということです。
語学などは知的なエネルギーや好奇心の源泉みたいなものです。
若いときに、外国の女性にもてようとおもったら、その国の言葉を学ぶ必要があります。
遊び好きで、人生いかにいきるべきか、後ろ向きでなく前向きに旺盛にそのことを考え、行動するようなひとたちが研究の世界に来てくれたらいいのですが。
極言のように聞こえるかもしれませんが、日本の研究の世界の人材枯渇は、既に教える側の方にあるのかもしれません。

きのうだかの新聞に例の90億円を受領する30人の研究者を決める、委員会のメンバー名が出ていました。
知っている人があまりいませんでした。アステラス製薬のトップの人がいるようです。一流製薬会社から見たらはした金程度の額なので、あまり緊張せずにさっさと自分の意見が言えていいのかもしれません。
公募とあるのでなにかと思ったら、広く国民に研究テーマを公募するのだそうです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-26 16:59
2009年 06月 25日

東国原知事の立候補に思う、人材の枯渇、陣笠→親の七光り→コメディアン首相

自民党の古賀某氏が宮崎知事を訪問して、人気にあやかってぜひ立候補をお願いしたら、立候補の条件の一つがわたくしを総裁候補にすることと、いう破天荒な条件がついたので話題になっています。
周囲は断るためのジョーク、しゃれとかいっていますが、この東国原知事は大目玉を開けて本気です、本気です、と連呼しています。宮崎県民はやめてください、知事でいてほしい、東京にいってしまわないでほしい、とこう要望しています。

たいへんおもしろいことです。
もちろん人材の枯渇ここまできたか、というのがおおかたの感想でしょう。面白いのは、この知事がいちばん、そう思っているに違いないのです。知事にしてみれば、自民党の議員をみて陣笠とぼんぼん、じょうちゃんの集まりだと、見抜いたのでしょう。
悪辣な(たぶん)彼の師匠の薫陶や仲間とのバトルをかいくぐって、ボトムからはい上がってきた、この知事さんからみたら、自民党の連中なぞ手玉にとるのは、おちゃのこさいさい、とこう思っているのでしょう。
イベントやテレビに出つづけて、人気を維持する方がずっと大変と、心では思っているのでしょう。
本気も本気、おお本気の総裁候補への立候補でしょうか。
米国大統領には三文俳優と一度はいわれて大いなる大統領になったレーガンとう前例もあるし、イタリーやフランスのいまのトップは悪漢タイプ、色ごと師タイプ、ですから東国原氏は十分に資格があるし、先駆的な存在かもしれません。
政権の甘い汁から離れたら、アリのいないカイガラムシみたいな自民党の利権政治の人から見たら、勝てるものなら、この知事にでもお願いしたい、こういうところでしょうか。古賀某氏はそこまで腹をくくっているのでしょう。ご本人もたぶん、自分はたいしたことないと思っているのでしょうから(そういみではフツーの人なのでしょう)、東国原氏で十分首相は務まると思っているに違いありません。
親や祖父さんの七光りでなっている、世襲陣笠国会議員などほんとうにたいしたことない連中と古賀某氏は思っているに違いありません。
政治はしょせん最後は人気、だとも思っているのかもしれません。東国原氏はもちろんそれが前提条件と思っているのでしょう。しかし、危うい路線ではあります。ただこの人物、まちがいなく性根はすわっているので、どう化けていくか、面白い。

このあと、自民党が地方選で連敗が続き、内閣支持率が下がるまで下がれば、東国原氏の立候補はありうると見ました。あとは総裁候補の条件がどう実現するかです
そうなったら、政界再編がやってくるような気がします。

しかし日本社会の活力はやっぱり(俗悪)テレビ番組あたりにあるんでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-25 14:18
2009年 06月 24日

心臓マッサージ、京都に住むイスラエルの人、

きょうは暑いです。昼に理髪にいきましたら、なんとそこのご主人が最近倒れて救急で入院したとか。わたくしはそのご主人のお姉さんに髪の毛を切るのはもっぱら面倒を見てもらってご主人には切ったあとのシャンプーとかの面倒をみていただいていたのですが、どちらも年は非常に近いのでびっくりしました。
細かく聞いてみると、なるほどそうか、生死を分ける瞬間はいろいろあるものです。不幸中のさいわいで、子息が家にいたので、直ちに心臓マッサージをしたので、後遺症も残らないでいると言うことでした。やはり最初の5分とかそんな時間が大切なのだと強く実感した次第でした。わたくしは、自分で他の人の心臓マッサージをすることが出来るのかどうか、自信がありません。
それにしても名医のご託宣とうものには、安心は無用で、自分で自分の重病は見つけるつもりでいないと、いけないとも思いました。

帰りに、百万遍の北にある和風お好み焼きのNの看板が変わっていることに気がつきました。しげしげと見に行くと、串カツとなっていました。しかし、営業をしているようにはまったく見えません。

昨夜は、二軒目に、沖縄のTP君の勧める、イスラエル人の経営する日本酒バーにいきました。
外国人の読むガイドブックにはひんぴんと出るそうなので、いったのは遅かったですが、それでも外国人が席の半分くらい、7,8人いました。このイスラエルのかたはもう20年以上京都にいるそうです。
帰り際に、他に誰もいなかったので、京都に住むイスラエルのひとは何人いるのですか、と聞いたら、他は知らない、といっていました。それで、かつて「てづくり市」でイスラエルの人の作る出刃包丁が気に入って買ったことがあると、いったら、なんと彼はその包丁を作った人が住んでいた家に今住んでいる、とのこと。その包丁の人は奥さんと一緒に米国にいるとのことでした。本当は刀を作るのが目的だったとか。世間というか世界というか、狭いものということでした。

そういえば、TP君も沖縄に来たのは空手を学ぶためでした。沖縄にはチェコ人が他に一人住んでいたことがある、いっていました。
日本の刀や空手を学ぼうとやって来た若者がそのままずっと日本にいることになるのですね。
包丁のひとも奥さんが単なる英語教師以上の役割を日本で持てたら、もっと日本にいたかったようなことを、この日本酒のイスラエルの人はいっていました。このかっこいい人物、本当は何をやっているのか、好奇心を抱きました。気さくですが、無駄口を一切言わない人物でした。

わたくしも、そういえば学問を学びたくて欧州に行ったのです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-24 17:34
2009年 06月 23日

パン屋の男性客、呪われた店、

きょうは沖縄のTP君と広島からUさんが来られて、共同研究のための話し合いをしています。
TP君は来月早々にヨーロッパの学会に行ってポスターを出すので、そのリハーサルもちょっとして貰いました。
新しい領域の共同研究の試みなので、未知の部分が多く、楽しみです。

昼過ぎにいつものパン屋さんにでかけて3日分をかいましたが、先客はわたくしとほぼ同じくらいの年齢の男性。自然に何を買ったのか、見てしまうのですが、全部菓子パンなのに、びっくり。甘いものばかりです。おもわず、見ないようにして顔を見てしまいました。それと、さりげなくお腹のあたりも。サンドイッチも全部、タマゴサンドなので、うーん、これは相当なもんだな、と結局感心してしまいました。

その帰り、わたくしが呪われた店と呼んで、最近は生鮮食料品なども売っているのですが、知っている人はそれを聞いて笑うのですが、外から中を覗くと、やはり買い物客は一人も居ませんでした。これはきついなあ、と思いました。
もうこの数年間で何回経営者がというか、店の種類が変わったのでしょうか。
この30年以上を見ていると、最初の約10年は喫茶店であの頃は、客がほとんどパラパラでも腐るものを売っているわけではないので、人件費がなければなかなかつぶれないのですが、ひとたびつぶれて別の店、なにかのたべもの関係になると、もう長続きしないようです。
わたくしの研究室でいっぺんみんなで出かけて、数日後かすぐに店が閉じてびっくりしたこともありました。一見場所がいいので、自分がやれば、前のようなことにはなるまい、と思うのでしょうが、この通りはなかなか客は中に入ってこないものです。
それにひきかえ、50メートル離れた、ソースの二度漬け禁止と大書した中がまったく見えない、えらく入りにくい(わたくしは一度お入ったことありませんが)串カツ家はつぶれずにもう30年くらいやっていますから、つぶれにくいところとつぶれやすいところ、店の土地神さまの違いなんでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-23 17:13
2009年 06月 22日

談合も天の声も必要なのに

夏の野菜がだんだん収穫できるようになってきました。昨日は果物のほうではびわが収穫できて、約70個とれました。こぶりですが、味は果物店にまけません。豆類のあとは、ニンジン、大根、カブがとれています。ズッキーニ、キュウリ、ナスも。

最近談合というのは絶対やってはいけない、とかいう雰囲気ですが、でも本当にそれでいいのでしょうか。
談合の語感はすっかり悪くなってしまいましたが、日本の社会をずっとささえてきた方式だったということも忘れてはいけません。
小泉はけしからん、小泉首相のせいで、貧富の差が激しくでた、といういっぽうで談合はけしからんというのは、矛盾しています。
談合があったからこそ、みんなそこそこの分け前にありつけて、しかも安定した生活ができたのではないでしょうか。関係者がいがみ合ってはいけないので、すこし距離が離れたひとが、天の声をだしたのも、競争とみんなの幸せを両立するための知恵の一つだったのでしょう。
そういうやりかたは税金を使ううえでいかん、ということで例のオリックスの人なんかが出てきて、なんでも談合抜きの入札だけでやることになったのですが、その結果がいまの地方の疲弊ということになっています。
地方では談合や天の声がいまでも本当は必要なのでは?
オリックス的や竹中チックの人などは、日本人の8割方が派遣労働者になってもいいと、思っているのではないかと思ったりします。

なんでも競争と入札だけだと、研究者も、大半が無所属研究者というか派遣研究者になってしまって、どこかで例の90億円のお金を受注したようなえらい方の研究グループに一年契約で働くようになってしまうのかもしれません。そういう世界にあこがれを持って、行くのは一握りの研究リーダーになろうとするものだけでしょう。つまり金満家の経営者になろうとする人だけになってしまいます。
ある程度の安定した研究者になるには、研究費が来るのがある程度予測できてないと難しい。
道路建設とか箱物行政にかかわる働き手も、安定した職を得られる人は極端に言えば数パーセントしかいない、受注企業に短期的に雇用される、つまり会社に就職するのでなく、どこか働けるところで転々とする、こういうふうになってしまうのでしょう。

それを減らすのは、談合と天の声しか無いのです。質の高い談合と質の高い天の声があってほしいのですが。
箱物行政や道路建設労働者も研究者も、税金をあてにして、生活をしている点で非常に良く似ています。
研究の世界では、談合や天の声がないと世間では信じられているのでしょうが、実際にはあります。
談合でなく、相談ですが。天の声はどこかの省庁での審査委員会あたりから出てくるのですね。
こういうものが完全に無くなって、研究者の世界が弱肉強食になったら、どうなるか。
いっときどこかの大学では、一人勝ちとかなんとか自画自賛する声が聞こえていましたが、談合がなくなると、そしてまともな天の声も無くなれば、一将功成って、万骨が枯れてしまうのです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-22 18:00
2009年 06月 21日

わたくしの考える科学技術政策その3 米国との関係、日本語の現場をどうする

世界の科学技術のなかでは今でも総体として米国の水準と成果は他の国を圧しているといえます。
日本の科学技術をより高めるためには、米国と同じようなことをすればいいのではないか、とこれは誰でも考えることです。
現実的に、戦後65年間だいたいそういう流れで来たことは事実です。しかし、実際には米国の追従というのはもうずいぶん前から熱心でなくなったというのも事実です。
出来ることなら、米国などに留学しないでも日本国内でそこそこの研究生活を送れるものなら、そうしたいと思っている日本人は増えています。
なぜそうなったのか?
結局日本の科学技術というのは米国とはまったく別のやりかたで行われているのです。
中国や韓国と異なって、米国の留学などを条件にするような人事などはありませんし。

一体どこが違うのか。
日本の科学技術の現場は「日本語」で行われる。講義もセミナーも研究費申請も日本語で行われます。ラボ内の言語は日本語です。
外国人と競争することは、日本の現場ではありません。
であるからして、米国と同じような研究環境はありえません。外国人は日本語を読み書きしゃべらない限り、この現場に対等で参加できません。

明白に、女性には不利な日本の研究現場です。米国ではもうそういうことはありえません。どこでも米国なら、男女がほぼ半数ずついるのが研究の現場です。
日本は真似をしたくても、日本の男性が生まれ変わらない限り無理だと思うのです。
どうしたらいいか、わたくしはこれは簡単に対策があって、男女半々の研究環境を持つ大学や研究所には他より2倍か3倍の研究費を出せば、それであっというまに変わるでしょう。

明白に年齢差別があります。米国では年齢による差別がなくなりました。
良いか悪いか別にして差別が無いのです。
これも、直すことは容易でしょう。いい結果が出るかどうかは知りませんが、いまの日本は、研究リーダーの90%以上が、男性で45才くらいから60才くらいの間に集中していますが、これはかなりヘンなことも事実だし、印象は良くないです。

日本の研究現場は、英語であることを変えられないのなら、グローバル的な競争はあり得ないわけで、そうなら、海外留学熱がいまや高くないのも当たり前です。

結局日本の科学技術は、国内現場が極端な日本語漬けであることを、まずどうするか、そのこと抜きには語れないのです。

つまり日本人は立派な英語つかいになって、米国から帰ってきてラボを構えれば米国と互角にやれる、という考えでは、世界のだれも納得しないのです。
東大や京大や阪大の教授職がなぜ日本語をしゃべらないと駄目ということでは、関税障壁で守られた、脆弱なものしか出来ないだろうと、いわれても反論は困難なのです。

道は2つに分かれます。
日本の研究現場の一般語は英語とする。
いままでどおり、日本語とする。

わたくしは適当に混在するようになれば、いいと思っています。
それで結果を20年後くらいに見ればいいでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-21 18:26
2009年 06月 19日

近大ボクシング部 研究環境の悪化

近大のボクシング部が廃部とか。
部員学生が恐喝と強盗を繰り返していたとか。
だからといって、60年の歴史があったという部をそう簡単に無くしてしまっていいのでしょうか。ボクシングをやる学生は貧乏でハングリーなのがいるかもしれません。それで誤った方に言ってしまったのでしょう。恐喝、暴行して7千円を奪ったとか報道にありました。でもそういう学生が二人、三人とかいたからといって、廃部にするというのはわたくしには分からない理屈です。世間に対するお詫びというよりも、連帯責任による罰というもので、同じ体育会員は相互監視しなさい、という昔から日本の村社会を支配する連帯と村八分みたいなものを強制しようとするのでしょうか。
近大というのはたしか同族経営で、世耕といういまは国会議員になってるひともその一族なのでしょうか、もうすこし寛容さがあってもいいのではないでしょうか。過剰な罰はなにもいいものを生みだしません。

伊豆の会でおしゃべりして、ひさしぶりに日本の研究者のコミュニティーというか「娑婆」に触れたような気がします。
大学経営もやはり行きすぎのところがどこにもあるようです。
こういうことがある、ああいうことがある、という呆れるようなケースの例示のなかで、やはり東工大と阪大がどうも極端かなと思わせるものがあります。阪大はあんなに立派な研究者が沢山いるのに、どうも当局はなんかヘンですね。東工大の当局のはなしは、やはりこの大学がかつて蔵前工専だったか、なんとかという前身の体質がいまだに残っていることを暗示しているようです。
つまり工学系のぼうやが当局にたくさん巣くっているのでしょう。そういう人たちに統治されると、「脱北」したくなる研究者が多くなるようです。

それと、全般的に研究費の環境がどんどん悪化するということも何度も聞きました。
貧富の格差という表現ではうまく言えませんが、富裕層の研究者が高い業績をあげているとも言えないことも含めて、なにかまずい雰囲気が研究費の面でも拡大しているようです。
わたくしは有名ジャーナルに論文を発表しないと自分は消される、存在できないようになる、という感覚をもっている研究者が増えていることが一番問題とおもっています。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-19 17:39
2009年 06月 18日

神田日勝記念館

日曜日、大雪山高原温泉から旭川への帰路、河東郡鹿追の道の駅の隣に、神田日勝記念館なるものがあるのに気づきました。馬の絵がロゴになっていました。はっきりした記憶は無かったのですが、どこかで聞いたような名前でした。息子と妻にちょっとこれ何なのか見たいと言って、一緒に見に行きました。道の駅の目の前に建物があります。
やはり神田日勝は若くして死んだ、才能があふれるほどにあった洋画家でした。32才で亡くなりましたが、残した絵は見るものの目と心を奪うものがありました。ある意味、佐伯祐三や青木繁たちよりも心の奪われ方は強かったような気がしました。つまり、素晴らしい才能の広がりを予知させるのに、未完の程度が強くて、哀切の感が強くなります。あと数年の時間をかれに与えることは出来なかったのか、と思うのです。長い時があれば、「巨大な存在」にもなりえたかもしれません。

ほんとに見に行って良かったでした。

驚いたことに、神田日勝は生まれが東京の練馬区で南町4丁目とあります。学校は開進第二小学校とあります。わたくしの卒業した小学校と同じです。年譜によればわたくしより4才上なのですが、下に書くような事情で同じ小学校に通った時期はありません。
南町は旧称ですが現住所表記もありましたので、グーグルの地図で調べると、なるほどわたくしは南町3丁目で小学校をはさんで反対側になります。誰か級友がいて何度も遊びにいった地域ですが、もう60年前ですから、だれかおもいだせません。このあたりにも小学校以来言ったことがありません。
神田日勝は練馬が激しい爆撃にあった頃、終戦の年、まさに終戦直前に北海道のここ鹿追に父母、兄と家族ともども移ったのでした。その後、東京に戻った気配がありません。

4才上とはいえ、わたくしは父になんども展覧会に連れて行かれた頃もあり、ほぼ同じ時代の日本の洋画事情は体験的に知っていますので、神田日勝が独立美術系の若手の絵描きとして北海道に住みつつ、時代の潮流を感じながらもみずからの道を模索していたことがよく分かりました。

思わぬところで、まったく思わぬものを見るという経験をしました。
年をとっても若い頃のロマンを強く思い出せることができることが分かって、嬉しかったでした。

ここ鹿追のひとびとが、この記念館をみずから作ったことはとても素晴らしいことです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-06-18 16:15