生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2011年 12月 31日

大晦日の願い、石談義とバイパス終点工事

大晦日。平成23年、2011年いろんなことがありました。考えだすときりがありません。
来年は良い方向に向かう年でありますように。
しかしわたくしては、色々嬉しいことや良い事もありました。また、多事多忙な年でもありました。来年はもっと落ち着いて生活したいと願っています。

昨夜から次男が来たのでいろいろ話しをしました。子供三人のなかでひとり学究生活をしていますので、共通の話題も多いです。
午後に比良のほうの家にふたりで行って、話しの続きと、最近購入した土地を見せました。
石談義もしました。結構前向きに乗ってくれました。
話しをしながらキッチン台の拭き掃除を完了しました。

それからバイパスの終点工事がいよいよ行われているので見に行きましたが、どうなるのかよく分からずでした。誰が考えたのか、それに里道もたくさんあったので、複雑な終点になるのでしょう。

次男のTwitterについての知識はそう豊富ではないもののわたくしよりははるかに知っています。話して見ると、無理かな、という感想を持ちだしています。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-31 15:52
2011年 12月 30日

メモを書いて見ると、twitterとはどんなもの?、これからの日本の国柄

来年論文としてかたちにせねばならぬのをひとつずつメモ的に書いてみるとなんとかなりの数になるので、ちょっとショックです。今まとめているのが、思いのほかに時間がかかることもあって、こんな調子では起きても覚めても論文書きかと、げんなりする気分です。
しかし、前に進むためにはこれまでの成果を公表するのが大切で、公表の努力の過程でいろいろなことがまた分かってくるはずです。
一年の計を立てるに当たって、このメモを捨てずにおりおりに確認のために見ないといけない、さもないとまた幸せに忘れてしまうのです。
もちろん今進行中の研究も進めなければいけません。

来年やってみたいと思ったことのひとつにtwitterなるものがあります。
いったいどういうものなのか、やるとどうなるのか。正直ぜんぜんわかりません。
見当もつきません。でもなんか面白いかも、と思いだしています。
子供のだれかはやっていると思うので聞いてみたいと思っています。

増税のスケジュールが民主党で決まったようです。でも、2014年だし、その頃は今の政権はないだろうと多くの人は思っているので、実感がないのでしょう。そういうことを決める前にやることがあるのではないか、というのが反対論の主たる根拠です。わたくしには分かりません。経済のはなしは、当たった人がいないので。ただ対立の軸みたいなものはだんだんはっきりしてきたようです。鎖国か開国か、というよりは米国従属か米国から独立か、のほうが分かりやすく思えます。でも米国に対する従属独立は、米国とあまり関係なく日本の思い込みでそうなっているようにおもうのですが。

日本が大量の移民を引き受けずに経済的にも強い国であり続けるのはなかなか難しいと思います。経験的に。
ただ、日本人の多くが海外に出稼ぎにいくという、これはかなりありそうな路線に見えてきます。わたくしの知り合いも相当数、海外にでて働いています。規模はまだ小さいがこれから、かなりの数が海外で働くようになるのだと思います。海外と言ってもアジアが多いのでしょうが。
いまの人口の10%くらいつまり1000万人くらいが海外居住になると、国柄が変わってくるとおもいます。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-30 17:53
2011年 12月 29日

来年の計、クヌギ4本切る、追記来年は下克上の年?

年の瀬、29日となりました。

一年の計は元旦にとよく聞きますが、わたくしはきょうあたりが来年のことを考える日としてベストです。今年の反省と来年の期待と計画を考えるうえで、きょうは比良の家で昼から体を動かしながらいろいろと考えました。
非常にはっきりしていることは、来年もめいっぱい溜まったデータを論文にして公表せねばなりません。今年は沢山論文を書きましたが来年はもっと、です。
それでまたまたデスクワーク時間がながくなることを覚悟しないといけません。
何でこんなに溜まってしまったのか、やはりみずからの活力がさがってきたことと、いまいるメンバーに学生さんがいないので学位という締め切りが無いからかもしれません。溜まったのがみなすばらしい仕事ではないことは自明ですが、でもわたくしは若い頃から小さな仕事ちいさなおはなしも決して軽んじないで論文にしてきました。それが自分の成功の秘訣でした。ですからノルマははたさねばなりません。

他の計は書くと雲散霧消するおそれがあるので、書きません。

夕方になって、比良の家から帰るまえに柚子をたくさん収穫して、それに巨大化した椎茸をいくつか、それにこれも巨大なブンタンをとりました。この椎茸の大きさに驚きます。

不在中にIさんが敷地の境界にあったクヌギを4本根本から切ってくれました。大きな木だったので、敷地がスカッと明るくなりました。桜の木も、柿の木もこれでのびのび育つでしょう。切ったクヌギは椎茸用に手頃な大きさに切ってありました。それでIさんに電話をしてお礼をいいました。

[追記」
投稿したあとで、天皇杯サッカーで京都サンガが准決勝で勝って、前に勝っていたFC東京と決勝戦という記事を見ました。どちらもJ2リーグなので珍しい。京都はJ27位とかでJ1に上がれませんが、でも来年は下克上の年になるのかもしれません。
今朝みた橋下市長の激しい口調での発言を聞くと、大阪が国政をひっくり返すような下克上もまったくありえないとはおもえません。橋下市長のあの激しさはなんとか維持して欲しいものです。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-29 18:26
2011年 12月 28日

甘い沖縄の金柑

数ヶ月前に宜野湾のほうに行ったときに植木屋というかガーデニングの店で、金柑の小さな木を買いました。高さ50センチもあるかどうか。でも、たくさん小さな実がついていました。借家の芝生の隙間に地植えをしていたらだんだん実が大きくなってこのあいだから、色づいてきました。
それでちょくちょく食べているのですが、びっくりするくらいおいしい。
甘さと酸っぱさがうまい具合にミックスしていて、実を二つくらい枝からもいで口に含むと皮の感触と中身のジューシーな部分が口の中で拡がって、あれ、金柑てこんなにおいしかった?という具合です。
ただ二つ食べればもう充分です。
何を隠そうわたくしは金柑あまり好きでありませんでした。酸っぱすぎるというか、内地ではまず口にすることもありませんし、比良の家の敷地にも一本小さいのがあるのですが、さっぱり成長しなくてもなんの痛痒も感じていませんでした。通勤途上の家に一本金柑の木があって、鈴なりになった実をなんども見ましたが、一度もちょっと無断拝借してという衝動が起きたことはありませんでした。
それでこの沖縄での金柑のこの甘さ、いい体験でした。
甘さには気温が大切なのでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-28 22:59
2011年 12月 27日

原発事故調査の委員会中間報告、橋下市長対職員組合の対立

福島原発の事故調査・検証委員会の中間報告があってたくさんの問題がでてきたようですが、これだけの歴史的大事故ですからなにが報告されても驚きません。100%安全と言い続けてきたのですから、事故がひとたび起こればまったくの無防備だったのですから、どんな不祥事があっても不思議ではありません。問題はどう改めるかです。
しかし原子力発電業界はあまり反省してないみたいです。つぎつぎに新しい国外国内の商機というのか存続新規両方でまだまだやっていけるはずだと確信しているようです。
政府自体が原発存続を前提にしているようですから、うわべの反省で終わるとわたくしは思っています。もう一度深刻な大事故がおきればさすがに反省するかもしれない、そういう程度だとおもいます。

橋下市長が、大阪市の職員組合に挑戦状をたたきつけました。どういう展開になるのか大変興味深いです。職員組合に与えていた沢山の便宜をひとつずつはがそうとしているのでしょう。まず組合の部屋を全部廃止して退去してもらうらしいです。それからいわゆる組合専従職員がいるかどうか徹底的に調査するようです。
こういう調査はうえの原発事故調と違って、敵味方的になってやらざるをえないのでしょう。穏当に進むかどうか、ありえない感があります。組合に味方する世論は今はほとんどないのでしょうから、組合も臥薪嘗胆、敵の失策を数年かけて待つという策しかないのかもしれません。しかし、そんな策ではまだるっこい駄目と言うことで急戦になるのかもしれません。
誰が見ても、敵味方がはっきりしている方が興味深いでしょう。それに急戦のほうがおもしろい。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-27 11:41
2011年 12月 26日

那覇便の機内で

きょうは早朝におきて沖縄にむかっています。年度末までにすましておきたいことが2,3あります。
お祝いの会、研究室関係でこれまで三つありました。どれもとても楽しくて元気がでました。あともうひとつ新年の親族の会できりがつきます。

機内で書き出して、那覇に着くまでに、難しい政治問題をできるだけ軽く外側だけ触れたいとおもいます。
野田内閣の支持率がどんどん下がっているとのことです。
例の原発収束宣言。これはまずかった。いったいどこに収束ということばがぴったり当てはまるようなことが原発でおきたのでしょうか。誰かがこれを言って内閣の人気浮揚に使おうと言いだしたのでしょうか。でも国民感情に沿ってないことは歴然でした。若手の期待の星のはずの細野大臣が収束宣言の先導役を果たしていました。さすがに、くらい顔でしたね。野田首相は意気高らかに[収束]宣言をしたのでしょうか。
結果はうなずく人があまりいないということになりました。かなりしらけた収束宣言でした。理屈をこねて収束だというのですが意味があるようにはおもえません。福島原発の現状が収束という言葉とはかけ離れていることは誰もが思っているのです。新たな避難がもうないとしてもそれが[収束]という言葉と関係があるとは誰も思わないでしょう。

例の増税のために不退転の決意。かなりの噴飯ものの不退転決意と聞きました。庶民をいじめる方向での不退転決意と聞こえた人のほうが多いのでしょう。これも内閣支持急落の一因でしょう。不退転とはもっと別な方向で使うはずではないでしょうか。年末までに首相はもういちど不退転の消費税増税のスキムを発表するとのことです。それでまた内閣支持は一段と下がるでしょう。増税の前にやることがあるはずなのに、何もしてないし、その増税前のやるべきことを不退転の決意でやるといえば、それは期待の気持ちで見られるでしょうに。なんだか不退転の決意で離婚すると関係の無い人に息巻いている政府という感じです。どんなに政府の借金があるといわれても返事はおなじでしょう。

選挙に負けても誰も責任をとらない無責任内閣の連続がまだまだ続いているという庶民の実感が野田内閣をむしばんで、支持の下落を加速していることは間違いありません。鳩山、菅、野田民主党の内閣の系譜に共通していることは責任感を感ずるという発言が希薄なことです。特に不可解なのは枝野氏の重用です。この人がどれだけ能力があるのか知りませんが、民主党内閣の無責任を象徴しています。福島原発時のだいじょうぶ大丈夫発言をとりあげても数年は閉門蟄居があるべきでしょうに。枝野氏が責任をとって辞めたら野田内閣は数パーセントの支持率上昇はいまでもまだ起きるかもしれません。

内閣支持率下落のもう一つの要因は大阪の橋下市長と松井知事の誕生があるにちがいありません。橋下氏は、彼の言によると馬鹿文春と馬鹿新潮の極悪人キャンペーンにもかかわらず、選挙で圧勝しました。この勝利はアンチ同和、アンチやくざの国民感情をもりあげようと画策したひとびとを震撼させました。大阪人の健全な市民感覚(わたくしこういうときに市民というのを使うのが好きです)の存在も証明しました。
橋下氏は中央政界がなぜ不振であるかなぜまったく中央政治がうまく行かないかを短い言葉でかつ鮮明に説明しようとしています。野田内閣の迷走ぶりをみていると、橋下氏の意見は正しい、という国民感情は高まっているようです。
橋下氏はひと言でいえば日本の首相は400人だかの国会議員の顔をうかがっているにすぎない、首相は公選制にしてして4年間の任期を与えなくてはなにもうまく行かないという単純明快なものです。専門家は、百のしかし、をもってそんな簡単なものではないと言うでしょうが、しかし橋下氏はいまや松井知事と連携して改革にまっしぐらです。国政の渋滞と迷走と大阪での改革これがいまの日本の国民感情を高めかつゆさぶっているのでしょう。

もうひとつこれらの出来事の背景で低い音ではありますが、国民感情に働きかけているのは、検察の不明瞭な恣意的捜査、もしかしたら国家反逆に相当する大罪を犯しているのではないかという可能性がじわじわ高まっていることです。心ある法曹のひとびとはこの司法の危機においていわゆる陸山会事件はなるべく早く幕を閉めた方がいいと思いだしているはずです。でももう遅すぎたのでしょう。鈴木宗男氏の生き生きとした政治言動、佐藤優氏の深い洞察をもった発言を聞けば、この20年ほど検察特捜は何をしたのか、だれを逮捕してどのような国家的な利益を生みだそうとしたのか。検察の不明瞭な存在が浮き彫りになってきています。一部にある、検察は米国の走狗という言論がなんらかの信憑性を持ち出しています。特に証拠捏造をした前田元検事の発言をきけば、最高検察庁の米国帰りの検事達が、小沢一郎氏を逮捕できなければ検察は後がないとなどということで最大野党の党首だった小沢氏の秘書三人を手始めに逮捕したと聞けば、どこの国の話しだと誰もがいぶかるでしょう。
来年は国の政治がますます迷走するに違いありません。日本の国政政治は行き着くところまでいかないと、地獄状態に近づかないと、何も起きないし、駄目だろうなと最近とみに思います。

首相公選、国民投票の多用、たぶんこの二つが日本の混迷政治を救う方策に違いないのですが、現体制でもおいしく楽しくやっている人たちの反対の声に勝てるかどうか。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-26 21:28
2011年 12月 25日

構造研若手組のお祝いの会

きょうは昼から百万遍万里小路下がる西入るのZで構造研若手組というか厄年前というか、とりあえず若いひとびとによるお祝いの会がありました。Zは2階もありますが平素は一階だけで営業をしています。きょうはフルに上下を使うことになりました。たいへん賑やかで楽しい時間をえんえんと過ごすことができました。
まあ今日の会は、若手組から見れば親に当たるわたくしども夫婦へのお祝いプラス親孝行みたいな会だったような気がします。わたくしたちもそれを気持ちよく受けとめられることができました。
会を切り盛りした、G,Y,T君たちはいろいろ趣向を凝らしてくれました。その中でも面白かったのは、やなぎだみつひろそこまでいっていいんかい、というのでたいへんよくできていました。どこかに記録で残して欲しい、と思いましt。
わたくしもできるだけ多くのひとたちとしゃべりたいと思いました。実際にしゃべれて大変よかったでした。そりゃ20年以上の期間でつきあった人々を数時間で済ますわけにはいきません。でもまあちょっと言葉をかわすだけでもいいでしょう。みんな元気そうでなによりでした。

二次会にもしばらく顔を出して帰りました。明朝はやくから沖縄に行く必要があります。

帰路、妻がきょうは若い人たちから沢山元気をもらったと言っていました。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-25 21:48
2011年 12月 24日

比良の家での会のつづき

けさわりあい早く家をでて、比良の家に行きました。雪を心配していましたが道路にはまったくなく、山は白いですが、地面は大丈夫で安心しました。
10時過ぎには二人見えるはずが、ひとりは昨夜の三次会で介抱ぐみにまわったとかのことで、お一人。それから一時間後、2時間後、3時間後とおいでになる人たちがいて、結局10人来られました。
駅前の名物的においしい寿司をたのんで、ゆったりした続編の話しを楽しみました。
アトラクションは、最近またまた購入した新規の土地ですが、詳しくはかきませんが、結構うけました。
皆さんの近況もポツポツですが聞きました。20代の前半から知っていますので、話題になるような近況を聞けばそれなりに考えることはあるものです。みんなお子さんが大きくなってその話題も多いことです。一方でおやごさんもいるわけで、お父さんやお母さんの近況を聞きました。父兄とは大抵は一度くらいは会っていますので。

遠慮してかれらは感想は言いませんが、でもまあこの比良の家に来ればまだまだわたくしがこのあたりに強い執着をもっていることは分かるでしょう。
ホントのところ、できるだけ休暇は消費したいと思っています。
ちいさな森の中にヒンズー教の小さなミニチュアのお寺を建ててという話しは最近よくしていますが、自分で自分の本気度を高めているのです。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-24 18:17
2011年 12月 23日

今日の祝賀会

いまちょっと前に自宅(大津)に戻りました。
岡崎と言うよりは、粟田口というのかな、の古くからの料亭での祝賀会でした。
非常に楽しかったです。さすがは構造研メンバー!、といいたくなります。多士済々、わたくしの誇りでもあります。
皆さんの話で、35年前とか25年前の出来事が目の前の出来事のように思いおこされて、頭脳の活性化が起きたぞ、という感覚ももちました。
特に最初の石井哲郎さんのはなしは、構造研の縄文期のことがビビッドに思いだされて、同時に未熟な自分も強くおもいおこされて、楽しいようなつらいような。宝谷さんのはなしも、これもまたまた昔あったことがつぎつぎに思いおこされて、自分の選んだ道は大ざっぱには間違ってなくても、でも沢山欠点があったなと思いおこされます。話題の中にはわたくしに遠慮してトーンダウンしたものもあるんですが、それはそれとして、そこまででも充分にかつての修羅場みたいなものもおもいおこされるのです。
山本さんのはなしに野村先生の亡くなられたことを知り、ショックでした。まったく知りませんでした。書きたいことは色々あるのですが、やめておきます。
わたくしの頭では42才以下とそれ以上で二回、やるのがいいという意見を言ったつもりですが、どうも厄年以後とその前で別れたと聞きました。そうだったかな、と思いました。
あさってがその厄年完了いぜんの出身者の会です。

わたくしは挨拶で、日本人のルーツは何なのか、どう考えるべきなのか、ということをしゃべりました。もちろんみなさんへの謝辞を述べたうえでのことですが。
二次会が4条烏丸であって、それに9時過ぎまでつきあって帰りました。
車中で妻とよもやま話をしました。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-23 23:10
2011年 12月 22日

ふたつの非常に貴重な会、研究の将来を議論するのに向いている空間

昨日から百万遍オフィスで働いています。
明日は夕刻に京大の元構造研出身者のみなさんがお祝いの会をしていただけるとのことで楽しみです。海外からの参加者もいるのです。またかつてラボのスタッフだった皆さんもいるので本当に懐かしい。
ただ、晩飯を一緒に食べるのには人数が多すぎるので、あしたは年長のみなさんです。
25日には若手というか、より最近ラボに居た人たちの集まりということです。
わたくしにとって非常に貴重なふたつの会です。
これらが終わってとポックリいかないように気をつけます。

きょうは朝から、研究上の議論や、これからの研究の進め方など、実り多い話しが多く、大切な時間が過ぎています。
このオフィスは、そういう将来的な話しに非常に向いている空間です。
まったく変哲もない接骨院の二階がなんでそんな空間になるのかホント不可思議ですが、事実です。
なにか非常に、リラックスできる空間なのです。数人しかおれないのがいいのかもしれません。また入口がウナギの寝床みたいになっているのがいいのかもしれません。
大学構内だけが研究する空間とは限らないうってつけの証拠です。

by yanagidamitsuhiro | 2011-12-22 15:05