<   2012年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧


2012年 05月 31日

ラボ研究報告会の続き

きょうは長い一日でした。きのうからのラボの研究報告会の続きです。
それにおわった後で食事会でした。いま自宅に戻りました。
食事会、みんな元気で、かなりのいい雰囲気でした。

仕事の発表内容も、なかなか目覚ましく、わたくしとしては言うところありません。
久留米大から参加してくれたSさんも楽しんでくれたようです。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-31 23:36
2012年 05月 30日

新藤兼人監督亡くなる、大飯原発の再稼働の流れ、小沢一郎氏の存在意義

新藤監督が亡くなったとのニュースを知りました。長い長い期間にわたって監督を続けておられました。ちいさな独立映画社におられて独立不羈を続けました。生々しくないと理不尽なものにぶつかる気持が続かない、と言っておられました。いつまでも現場にいて映画を続けたい、といわれ100歳まで実際現場にいました。
わたくしは、若い頃の作品がなんとなく不器用ながらユーモラスでかつ不思議な現実味があって、たまにしか見ませんでしたが好きでした。
わたくしは若いときにみた「鬼婆」が好きでした。1964年の作品というので、わたくしがまだ大学生だった時かと思いました。あといくつか見ましたがどれも国際映画祭で上位入賞したものでした。
新藤監督のすごさは80歳を越してからであくなきエネルギーでその後20年も現役でした。

いよいよ大飯原発再稼働の流れができたようです。
関西の知事たちはおもてだった反対を止めたようです。かれらの腰が砕けたかな。
再稼働はこれだけなのか、それともこれが次々の多くの再稼働となる出発なのか。
それとも、これが広く国民の大反撥を買うのか。
わたくしには分かりませんが、こんごの日本を占う決定的なポイントオブノーリターンに近づきつつあると思います。
「日本中が流される」、という言葉がわたくしの頭の中にあります。もうラストチャンスも残ってないのでしょうか。

そういう点で、さっきNHKニュースでみた小沢一郎氏は増税の圧倒的議論には流されないように見えました。橋下氏が出て以来、もう古くさいといわれそうですが、こういう存在感はこの時代それなりの価値があるのでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-30 22:11
2012年 05月 29日

同窓会誌、菊池寛、再出発

きょうは旅行日でした。昼過ぎから沖縄のオフィスで働きました。

京都から、生命科学研究科同窓会誌いぶきが送られてきました。わたくし、このあいだ勲章授与時に感想文を依頼され、書いたのでした。何を書いたのか、思い出せないので、みてみるとなるほどわたくしは研究者としては流浪者というか放浪者なのかも、という感想が書いてありました。まちがっているとはおもえません。でも、百姓がまいにち同じ場所で土地を耕すような生活が基本でした。ただ、土を耕しながら、おりおりに空を眺め、おおぞら高くどこか遠くに飛んでいく、渡り鳥を羨むような,気分も持っていたのでした。それで、おりおりに学問的放浪を再開したのかもしれません。

飛行機の中でiPadで菊池寛の短編を二つ読みました。「恩讐の彼方に」、と「俊寛」でした。10代の終わりに読んだのでしょうが筋は憶えていませんでしたから、初読の印象です。筋は、あざとい感もありますがそれなりに感動できるので、研究者の論文書きの参考になるかも。

昨日は講談社のSさんが百万遍オフィスに来られました。「子供たちに生命科学を!」というスローガンの本を作るべく途中まで準備していたのがその後わたくしの怠惰さで進んでなかったのですが、その再出発ができないかをSさんと模索しました。
お昼をはさんでいろいろよもやま話をしまして、再出発を「誓い」ました。このブログをやめると、たぶんさっさと完成できるような気もするのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-29 21:29
2012年 05月 28日

興奮さめやらず、講演の予定、

竹内洋岳さんの偉業達成の興奮がまださめません。この人のことを書いたものならなんでも読みたいという気持です。
東京新聞の筆洗欄で以下の記事を見つけました。
「最強のクライマー」と呼ばれた山田昇さんが十座挑戦を前に遭難死するなど、日本人の登山家には十座の厚い壁が立ちはだかった。竹内さん自身も二〇〇七年、十座目のガッシャーブルム2峰で雪崩に遭った▼腰椎などを骨折する大けがだった。奇跡的に助かったが、ドイツ人とオーストリア人の仲間を失った。背骨を固めるチタン製のシャフトを入れる手術も受けた▼一年後、取り外し、ガッシャーブルムに再挑戦、登頂を果たした。その直前、作家・塩野米松さんの聞き書きにこう答えていた。「成功だけではなくて失敗をちゃんと語らないと。失敗も自分のキャリアですから、それを語らないと、共感というのはないですよね」▼瀕死(ひんし)のけが、仲間の死を経験した人の言葉だからこそ重みがある。半年前の本紙の取材には「登山をスポーツ文化として普及させたい」と語っていた。日本登山界の悲願を成就した山男の無事の帰還を祈る。

遂にあらわれた日本登山界の救世主という言葉をいってみたい気持です。なぜこんなに興奮するのか、自分でもわからないのですが、でもやはり自分の原点というか自分の能力の相当部分は登山から来たと思っているのでしょう。二人の息子に岳という字をいれればよかったかなあと、今日も夕食時妻に言ったところです。

きのうこれから7月から9月の会合での講演の要旨を三つ書いて送りました。これ以外に、6月は台湾の科学院と台南市の大学で講演予定です。アジアでの講演はかなり一生懸命になります。

7月前半の理研でのチュートリアルという若手向けのものですが、
「日本の生命科学の過去、現在、未来: 個人的な体験」
まさにタイトル通りの話をするつもり。歴史はほんと重要だし、わたくしももうそんな役割つまり歴史について語るような役割をもってもいいでしょう。

生命科学夏の学校の講演ですが、これはオーガナイザーの希望に沿って、
「面白く独創的な研究を展開するにはどうすべきか」
というものにしました。わたくしの研究史的な話になるかなとおもいます。

それから、代謝国際シンポジウムでの講演は、
Study of Human Longevity using Fission Yeast as a Model and Red Blood Cell as a Marker
というものです。9月末に東京であります。

10月は忙しくて、前半にバルセロナ、後半にドイツにいく予定です。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-28 22:00
2012年 05月 27日

竹内洋岳氏のひとがらと考え、登山学校の校長さんに、平尾誠二氏の理不尽が自分を鍛える

竹内洋岳氏の偉業でまだ興奮が続いています。
長男がこの4月頃にでた朝日のフロントランナーという記事を教えてくれました。
なるほど国際登山隊のメンバーとしてもなんども8000メートル級のヒマラヤを登っているのだ、表情や考え方も欧州的のようです。酸素を使わないでなるべく登るという考えも分かりました。超人メスナーがやったのと同じことをやろうとしているのだ、と。そのための工夫というか技術を高めているとのことでした。
新鮮に驚いたのは、身長180センチで体重60キロを目指しているとのこと、つまりできるだけ自らの体を軽くして超高山に登る、つまり筋肉増加でなく、体重低下が一番のポイントなのか、ということでした。
竹内氏は信義に厚く、先輩の登山家へも礼儀正しくかつ情にもあついことがよく分かりました。人物としても、本当に立派な方であることがひしひしと分かります。植村氏も立派だったが、竹内さんはよりカリスマ性の高い人柄と言っていいのでしょう。奥さんが子供の連絡欄のところに父の職業欄に会社員(実際にそう)と書いたのを消して登山家としたそうです。その心意気や良しです。
日本には国立登山学校のようなものがないのが残念です。ぜひ作って欲しい。奉加帳がまわってくれば、なにがしかの寄付はぜひしたいです。でもぜひ国立で。つまり税金も使ってぜひ。竹内さんはその初代校長の資格十分というか、その資格を持った人がとうとう日本に生まれたということで、嬉しくかつお祝いしたい気持になりました。

母親が生活保護をうけたコメディアン氏の記事を読みたくて、週刊ポストを帰国時に購入して関空京都間でよみました。しかしその記事以外のものに注目しました。
ラグビーの平尾氏のインタビューを読んで非常に感心しました。
体育会系の理不尽さ理屈に合わない、スパルタというか苛酷なあつかい、理屈では駄目だけれども,実はこれがすばらしくいいのだという、意見です。
平尾氏は最近PHPから理不尽に勝つ、という本を出版したことも知りました。理不尽は自分を鍛える、というものです。
かれがインタビューアーにしゃべっているひと言ひと言、がわたくしが最近、細胞が飢えを体験することからより強くより長寿になる、と研究でみつけかんじだしたこととほとんど同じことを言われています。
フーン、とうなってしまいました。

8000メートルの山々を登り切る竹内氏は,身長180センチで60キロであるということと、一脈相通ずるものを感じます。たぶん彼の体は飢餓によって体が一段と研ぎ澄まされて強靱になっているのではないか、単にからだが軽いだけではないのでは、プラスアルファがあるのではと思いました。
それと同時に、かつて満天下をうならせたラグビーの平尾誠二氏が、理不尽こそが自分を鍛える、という境地に入ってきたことを知り、すばらしいなあ、となんだか会ったこともないかれらが親しい友達のように感じてしまったのです。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-27 17:38
2012年 05月 26日

竹内洋岳さんの14座目のヒマラヤ8000メートル峰「追加」

竹内洋岳氏の存在を知りました。
世界8000メートル座の山々14座のうち13座を登り、最後の山に挑戦中とのことです。
わたくしが関心を持ったのは、このかたの風貌で、われわれの同業者かとおもうくらい学術の専門家のようにみえるのです。しかし実際には不屈の登山家なのです。記録を見ると驚きます。14座を最初に達成したメスナーを思わせる、原則主義者の登山をおこうなうみたいです。
日本人登山家はこの14座を苦手というか、魔の挑戦としているようで、これまでに貴重な登山家のいのちを失わせています。竹内氏自身も、10座目の登山中に瀕死の重傷をおう滑落事故をおこしているとのことです。
このかたが今日最後の14座ダウラギリを登山中なのだそうです。
関係者は気が気でないでしょう。わたくしも経緯を知って、NHKのニュースでいま頂上の直下まで来ていることをしり、気になってしかたがありません。
はやく成功の一報を聞きたいものです。

追加
夜10時頃にニュースが入ってきました。NHKでは、以下の記事でした。率直に非常に嬉しいです。
ヒマラヤ山脈にある8000メートル級の14の山すべての登頂を目指していた日本人登山家が、26日午後最後の山ネパールのダウラギリの登頂に成功し、日本人で初めてすべての山の登頂を達成しました。
8000メートル級のすべての山の登頂に成功したのは、東京都に住む登山家の竹内洋岳さん(41)です。
竹内さんを支援している東京の事務局に入った連絡によりますと、竹内さんはネパールにある世界第7位、標高8167メートルのダウラギリの頂上を目指して、現地時間の26日午前1時ごろ、単独で最終キャンプ地を出発し、およそ16時間かけて、現地時間の午後5時すぎ、日本時間の午後8時半すぎに登頂に成功したということです。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-26 20:20
2012年 05月 25日

出発の日の朝食時に

出発日の朝食、ポール・ナースさんと一緒に時間を過ごしました。ピカデリーサーカスから5分のロイヤルソサエティの建物の外にでましたが、戻った後で、建物内にある、かれのオフィスや住居スペースまで見せてもらいました。
しばらく会ってませんでしたので、家族のことや身辺のことなどが主たる話題でしたが。
マスコミ情報では、英国ナンバーワンの人気科学者だとのこと。世界でも、という意見もあります。
あたらしい巨大なクリック研究所の所長になり、ロイヤルソサエティの院長に就任し、それにもちろん自分のラボも運営しているのですから、さぞたいへんでしょう。
30年以上のつきあいですから、大抵の話は省略できて、いまの気分や考えなんかが伝わるような話題が多いのです。
なるほど、やはりたいへんなのはロイヤルソサエティの仕事のようです。トップとしての発言は、例えば遺伝子組み換え穀物ひとつについても、はげしい批判もありるので、かなりたいへんとのこと。でも、かれは抜群に強い人ですから。歴史に残るような色々なことをしてくれるのでしょう。すごいひとです。
空港へのタクシーに乗ったあとで、彼との話を反芻しました。そういえば、前前の院長がクルーグ先生であること、わたくしが人生でまったく偶発的にバッタリ会ってその後ながく知り合いとなったふたりがこのような科学の世界での枢要な地位について大切な役割を演じていることに感慨深いものがありました。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-25 21:02
2012年 05月 24日

稔りおおい訪問

こんかいは数日でしたが、稔りおおい英国訪問でした。
これからもう一つすませて、それで終わりです。
空港に向かいます。
旅行の効用はいうまでもないのですが、忙しすぎるのもいけませんが、ひますぎるのもわたくしには駄目です。
こんかいくらいのほどほどの忙しさが一番リラックスできて、同時にいろいろ刺激もあって、あらたな考えもできます。また色んな人たちにもあえてたいへん良かったでした。

王立協会の建物にあるフェローの部屋に初めて泊まって、その快適さにびっくり。なぜこれまで利用しなかったのか、なにごとも経験しないと。
あと、今回の温度の上下にはちょっとまいりました。寒いなあと思う日と、きのうのように暑くてたまらない日もあって。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-24 14:49
2012年 05月 23日

グルコース飢餓の遺伝学をつくりたい

昨日はDepartment of Geneticsですごしました。午前は、研究の話を聞かせて議論させてもらいました。昼は教授のDavid Gloverさんの町外れにあるカレッジで食べました。見事な建物と巨木が調和してとても気持ちの良いカレッジでした。学生さんは試験前なのでおもいおもいの姿勢で勉強をしていました。
前日とは打って変わって、気温も急上昇で、暑いという表現がぴったりの日でした。

その後で、講演をしました。Genetics and epigenetics of glucose starvation in fission yeastというタイトルでした。あとで、かつてラボにいたKYくんが、先生とても評判よかったですよ、といってくれました。優秀なケンブリッジの研究者にそう評価されるのはもちろんいい気分です。Gloverさんもえらく賞めてくれました。わたくしも内心では新分野を作ったくらいの自負でいましたので、ありがったです。共同研究者、とくに久留米大の斉藤君の貢献がすごいです。あと、献身的にたくさんの変異体の性質を調べてくれた、沖縄の佐二木君や上原さん、森さんや他のメンバーの努力がなければなにもできませんでした。京都の最後の数年でグルコースのことを真剣に取りあげたのが、沖縄でも続けて、やっと実を結んできました。

晩は町外れのパブでたべました。わたくしは鴨をとりました。前菜はベジタリアンのためのもので、野菜とモッツアレラで、どちらも美味しかったでした。スカッとした白ワインも久しぶりに飲んでなかなか暮れない英国の気分のよい夕刻から夜への時間を過ごしました。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-23 14:50
2012年 05月 22日

ケンブリッジの町、2012年

ケンブリッジ、やはりいいですね。寒いですが。
最初にここに来たのは1968年の6月ですから、まあかなりの大昔です。スイスジュネーブの次ぎに懐かしい町です。
キャンパス、外、町、食堂レストランと見て、まったく変わらない風景がたくさんあります。いっぽうで変わったなとおもうのは、食事の多彩さで昨夜はタイ料理ですが、美味しかったです。エスニックは混んでいます。欧州系のレストランはだいたい空いています。このタイ料理、もうすこしあっさりできればさらにいいのですが。お客はほとんど大学のひとでしょうね。風貌的に。男が多かった。
それと、どこでも見る、すごいアジア系の若者の増加です。おいおい、ケンブリッジ大丈夫かい、といいたくなるくらいのすごい増加ぶりです。たぶん中国本土の学生や若者の増加でしょう。一緒に食事をした人もそういっています。このアジア系の若者がこの町にあたらしい伝統を生みだしてくれるといいのですが、日本のかつてのバブル期の民族大移動みたいにならないといいのですが。日本人の若者もたくさんいてほしいのですが、どうなのでしょう。まあ15億の中国の民がみな中流になってより文化的で快適な生活を送ろうとおもえば、かれらが米国と欧州をまず見てそこで生活をするというのが当然の流れで、母数が多いのですから、流れの大きさというかうねりが明々白々になってしまうのでしょう。
わたくし、ジュネーブで住みだして、一年間、日本人に誰にも会わないで、電話もしないで、日本語をいちどもしゃべりませんでした。今昔の感です。いまやスマホ、スカイプ、の時代ですから。

昨日はGurdon研究所で一日過ごしました。

by yanagidamitsuhiro | 2012-05-22 13:52