生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2013年 05月 26日

二刀流でいくしか

明日は京都駅近くで会議があります。わたくしには重要会議で出席者のご意見を注意深く聞かないといけません。

前からラボや昔の研究室の仲間に会ったときには折々にいっているのですが、まだこのブログではあまりいってないようなことを今回書いてみようかと思います。

生命科学をやるものにとって時代が変わった、という認識は多くのかたたちが共有しているのだとおもいます。
現状はけしからん、もっと基礎科学を大切にしないと、というのももちろんありだと思います。
しかし、いっぽうでわれわれは生き続けなければいけないので、先の長い若い世代にどう三度の食事を得られるようにするか、こちらのほうが現状の改革よりまったなしの急務になっているわけです。

それでわたくしが自分の言うことをあまり誤解しない人たちにいっているのは、ひらたく言えば、二刀流でいきなさい、頭を切り換えて基礎と応用、どちらもやりなさいよ。というものです。そんなふうに言い出してから3年以上たちます。わたくし自身の研究グループもそういう二刀流のラボになっていますが、これを個人のレベルでも二刀流でいくべきというのがわたくしの最近の考えです。
これしか抜本的なだれにも適用出来る方法はないのではないかというものです。

ただわたくしの応用的な研究というのは、ラジカルなもので本当に役に立つもので、二昔か一昔書類で適当に誤魔化すようなものではありません。本当にすぐに役に立つようなものを狙う研究です。
まさにわたくしの場合、狙うという表現がぴったりで、狙撃兵のような気持で狙撃すべき獲物がでてくるまでじっと何年でも待つ、そういう気分です。
ひとつあたればいいのだし、そこから芋づる式に発展するでしょうから、わたくしの場合は焦ることもありません。ただ狙いをつけた分野については、出来るだけ関係学会というか聞きに行くことにしています。はなしも最低30分は聞いてそのあと質問もしたいので、出来るだけ100人程度の会合が適切と思っています。日本で無理なときは海外にも行きます。わたくしがこれまでの研究とは無縁の会合にいましたらそういう二刀流関係の会だということです。
ただ若い人たちは焦ったほうがいいでしょう。世の中、変わってしまったのです。

わたくしの場合、二刀流になってから、もともとの一刀のほうはどうなったか。わたくしは決してレベルは下がってないと思っています。むしろますます独自路線を歩めるようになってきたと思っています。そしてそれまで、それなりに興味を持って聞いていた細かく詳しい隣接分野の話などはあまり関心がなくなりました。興味が尖鋭になってきた感じがします。アルジェブラボーイの話など聞いているヒマはないという気分になることはあります。

実績がでるまではなかなか信じてもらえないと思います。でも、そろそろそういうこともいってもいいくらい今の日本、生きていくこと自体が難しくなっているので、若いかたもお年寄りにも、とりあえず二刀流をお勧めする次第。二刀流がうまくいき出すと、1つのかたなのほうの話は、誰に話しても結構うけます。まあわかってもらえるのですね。

こんなことを言わなくてもとっくの昔から実行している人たちが沢山います。
医療で基礎研究している人たち、バイオ産業に直結した研究をしつつかつ基礎研究で高いレベルの成果をあげている人たち、おります。だからその人たちにとってはどうと言うこともない意見でしかありません。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-26 13:16
2013年 05月 18日

女性の社会進出、健康長寿社会の実現

安倍首相の成長戦略のトップに、女性の社会進出とあったようです。
これは素晴らしい、としかいいようがありません。
女性の社会進出のために政策をいろいろ作る、たぶん長期育休の保障とか保育所の充実、さらに一番大切なことは雇用での男女均等化でしょう。
社会組織で会議を始めようとして、男ばっかりだったら、その時点で開催を中止するとか、最低15%は女性がいないと会議は開催できないくらいの社会ルールができるといいですね。
しかし、これは時代の流れで、どんどん女性の進出が出来る部分と最後まで遅いところがあるだろうとは思います。安倍首相は夫人に随分自由にやってもらっているみたいなので、フェミニストなのかな。

二番目は、科学技術の重点政策のひとつにたしか健康長寿社会の実現というのがありました。ネットで調べると、今年になって、何度も安倍首相は成長戦略のひとつに健康長寿社会の実現をあげる演説をしているようです。これも素晴らしいです。健康長寿とは単に長生きをするのでなく、健康状態で長生きすることです。寿命から健康であった年齢を引くとおおむね6,7年という期間が出るのですが、これをできるだけ短くする社会を実現することがよいのだ、という考えがあります。わたくしもだいぶ前から、そのようなことを言ってきました。アベノミクス政策では、これが富の創出につながるという主張なのですです。そうなのかどうか、吟味しないと私にはわかりませんが、でもより幸せな社会の実現になると予想したいです。

ネットで探すと石坂文さんという方が、以下のような記事を書いています。
産業競争力会議では、民間議員から、「健康長寿社会の実現に向けて、国民の健康寿命の延伸が必要不可欠であり、病気にならないことがより重要。予防医療こそがGDP成長をもたらす」との主張がなされている。(略)
 そして、そのように予防に取り組むことで、病気や重症化した場合に比べ負担を減らすとしている。予防医療へのインセンティブと社会保障コストの削減のために、例えば、がんなら従前どおりの自己負担3割、風邪は7割負担など疾病の種類によって自己負担割合を変えること、3年ごとに1割アップなど自己負担増を段階的に行なうこと、一月当たりの窓口負担の上限額の比例増部分(現在1%)を引き上げること、現在70歳以上75歳未満の1割負担凍結を速やかに解除すること、75歳以上の1割負担についても2割にすることなども民間議員は提案している。
 このほか、介護についても、軽度のデイサービスは全額負担、デイケアは3割負担にすることを提案しており、いざ実現しようとする際には、社会的な大問題となる可能性がある。
 厚生労働省は、これら提案に対する対応や考え方を示した「健康長寿社会の実現と成長による富の創出」という資料を産業競争力会議に提出している。特に、一番うしろの「その他の民間議員提案に対する厚生労働省の対応・考え方」を見ると、今後展開されるであろう、民間議員対厚生労働省の激しい攻防戦が目に浮かぶようである。
 産業競争力会議の民間議員の動きには、注目していく必要があろう。

考えさせられます。医療や福祉では、実際の政策としては、難しい問題が多々あるだろうとは、当然理解出来ます。
健康長寿のポイントに、体力と脳機能の維持があります。脳、筋肉、骨、これらがまともにはたらく、80才以上の人々が多ければ多いほど,いいにちがいありません。ひとことで言えば、自分で自分の生活ができるひとが大勢いれば、老齢者の社会に対する負担度は少ないはずです。
健康以外にも実は金銭的な負担度もあるはずですが、さすがに政治家はそこにはあまり触れません。
でも、年金を一銭ももらわなくとも何年くらいは生きていけるものなのか、長寿のネガティブ・ファクターとしての、年金依存を正面から考えないと、なかなか富の創出とは言い切れない面もあるに違いありません。負担度が減るという面では、大きなマイナスの軽減化という点では富の創出になるのかもしれません。
このあたりが取りあげられてきたことは、たいへん日本社会にとっていいことに違いありません。

安倍首相のここまでの大成功をみると、いかに彼の最初の失敗が意義深かったということがよく分かります。
失敗者を社会が沢山抱えても、彼らに大きな機会を与えることがどれくらい意義深いことか、安倍首相のここまでの足取りは多々教えてくれます。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-18 17:42
2013年 05月 16日

沖縄へのIT企業進出という記事だが

沖縄でのIT企業の進出の増加という見出しにひかれて日経の記事を読みました。

沖縄県は15日、2012年に県内に進出したIT(情報技術)関連企業が41社と過去最高だったと発表した。1990年以降の累計では263社となった。若者が多い沖縄の豊富な労働力を見込み、業務の一部を請け負うビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)やコールセンター関連の企業進出が増えた。

 業種別ではBPOを含む「情報サービス」が16社増で「コールセンター」は10社増だった。一方、比較的高い専門技術が必要な「コンテンツ制作」は1社増にとどまった。進出企業全体の雇用者は9%増の2万3千人となった。

つまり、高い専門技術が必要な雇用の会社はわずか一社で、豊富な若者労働力の必要な業務の一部委託やコールセンターなどが大部分のようです。
豊富な労働力とは、廉価な若者労働が豊富と言い換えたほうがわかりやすいのでしょうか。
現状の沖縄では、仕方ないとはいえ、ちょっとガッカリの話でした。
コンテンツ制作に向いた土地柄になるにはまずそういう能力の高い若者が沖縄に住みたいと思わせないと無理なのでしょうか。いまの沖縄県内では職業訓練の可能性でも高度なコンテンツ制作にたけた若者が沢山輩出するようには思えません。
那覇あたりは若者向けの町だし、生活費もおもいのほかにかからないし、もしも進出会社自身がわかものを教育するというふうに考えを定めれば、文化的にも風土的にもIT企業発展の可能性の高い土地柄になるような気もするのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-16 12:20
2013年 05月 10日

沖縄は中国領という人民日報論文に対する沖縄タイムスの記事

人民日報「琉球」論文:沖縄反応は複雑
というのが見出し。
本文は、以下の通りです。
中国共産党機関紙、人民日報が8日、「琉球王国は独立国家で中国の属国」だったとして、日本の「強奪」を批判する論文を掲載した。政府は、中国に抗議したが、琉球処分で「武力を派遣して強制的に併呑(へいどん)」(同論文)したのは歴史的事実。沖縄の反応は複雑で、中国批判一辺倒ではない。
 考古学者の安里嗣淳さん(67)は、自分で考えた中国名「孫中路」を名刺に刷っている。「琉球の士族は皆、中国名を持っていた。日中両国とうまく付き合った沖縄の歴史と文化にこだわりがある」からだ。
 県による県民意識調査も同じ8日に発表され、中国への印象は89%が否定的だった。「県民は現在の中国には批判的だが、歴史的な親近感はある」とみる。「その沖縄だからこそ、冷静に日中友好の先導役を果たせる」と強調した。
 「琉球民族独立総合研究学会」設立準備委員会のメンバーで、龍谷大教授の松島泰勝さん(50)は、「日本が琉球を暴力的に組み込んだ点は正当化できない」と論文の一部に同調する。
 一方で、「中国と儀礼的な朝貢関係はあっても属国ではなかった。琉球は中国のものというニュアンスがあるが、日本、中国のどちらでもない」と反論。中国での報道を「琉球の問題を国際的な視点で捉える点で意義がある」と評価した。
 北京出身で、日中関係に詳しい沖縄大教授の劉剛さん(55)は「論文には、新しい資料や見方が全くない。古い話の繰り返し」と指摘。「尖閣問題で日本側が妥協しなければ琉球の問題を取り上げますよ、というけん制で、中国側の戦術だ」と分析した。
 その上で、「中国国内の研究者は琉球、沖縄の歴史的な変化や現状に詳しくない。もっと事情を理解して論文を書かなければ、国民同士の理解は生まれない」と話した。

沖縄的には無難な記事つくりと思われます。今の中国政府に好感を持つ県民は少ないでしょうが、でも本土の日本政府にだって,煮え湯をいまもさんざん飲まされていると感じる県民は多いのでしょう。琉球独立は荒唐無稽でなく、頭の隅で考える沖縄県民は潜在的にかなりいると思われます。
伝統生活面で、中国の影響は深いでしょう。かつては、士族全員が日本名と中国名のふたつを持っていたという事実もそのひとつの例なのでしょう。琉球処分という歴史的事実は沖縄県民がだれでも学校でまなび、沖縄というか琉球が日本国で異質の存在であることは感じているのでしょう。
わたくしはこの記事で最後に意見を述べている、北京出身の劉剛さんの意見にうなずきます。
こういう人民日報論文はほんとうに日本国民を中国嫌い、中国人嫌いにするためにもっとも効果的なものです。しかも、論文を書いた人たちは日本や沖縄について無知なのです。机上の意見でしょう。
かれらの不勉強と知識のなさが、日中友好をもっとも阻害するものとなっています。
なんと、愚かなのだろう、残念だな、というのがわたくしの正直な気持ちです。でも沖縄では昨今の日本政府へのいらいらが募っているから、この記事の見出しにあるように、沖縄インテリというか、この新聞のバックである読者層の反応は複雑なのでしょう。
もうひとつの琉球新報ではほとんど記事がでていませんから、そういう反応のしかたもある意味県民の多数の反応なのでしょう。興味を持つ理由がない、というのでしょう。
本土でのメディアの大きな反応とは大違いです。
日本に対して好戦的に日々なりつつある、中国政府とメデイアの共同作戦のひとつであるのなら、日本本土においては、かなりの効果を発揮しているともおもえ、そういう点では憂鬱になる出来事です。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-10 21:54
2013年 05月 08日

破綻をおそれることはないのでは

研究者を志望する若者たちが減っていることはわたくしにとっては大きな関心事ですが、志望者が減っているのは、志望しても先が見えない。たとえ志望しても破綻してしまうのではないか。自分のケースというよりは、周囲の年長の人たちを見てもうまく経歴が伸びている人はごく少数にしかみえない。
破綻するよりはより確実な安心そうにみえる職業にいた方がましなのでは。

ここで話題にしたいのは、「破綻」というコンセプトです。先行きの人生が破綻してしまう。
計画通りにいかない、期待通りの人生にならない、破綻人生を歩むのではないか。

破綻とは英語辞書ではfailureと訳語にあります。つまり失敗人生に終わってしまうのではないか。
しかし、破綻という言葉の字をよくよく見るとちょっと違うのかも。
破はまさに破れるです。綻はほころぶ、縫い目がほどけてしまう。つまり、布でいえば、破綻は破れて糸がほつれてしまう、ということで失敗というコンセプトは必ずしもありません。表情がほころぶとあるように、硬い顔つきが笑い顔になるような意味すらあります。
国語辞書をみれば、破綻は、破れほころびること、が一義で、修復しようがないほどの状態が第二義なのです。

修復しようがない、行き詰まる、これがたぶん破綻の意味でしょうか。
失敗という意味は三義くらいではないのか。

人生において破綻は小さいものなら山のようにあるでしょう。思うようにいくことはなかなかないものです。
しかし、大きな破綻をしても、よく考えるといつまでもそこに止まっているのではありません。何らかのかたちで、破綻の次の段階に行くのです。

「前向き」、「積極的」にとらえれば破綻によって、新しい機会をつかめるようになるのでしょう。破れほころびた下から新しい「地」が出てきたり見えてきたりするかもしれません。

破綻の後に、新しく出てくる次の「地」が大切なのでしょう。
そもそも大学院の生活など辛いことばかりではありません。人生の一番素晴らしい時代だったとふり返ることになるかもしれません。わたくしはそう思っています。

プロのスポーツ選手多くは30代で引退してしまいます。そこで破綻したのでしょうか。そんなはずありません。
それぞれの職業世界にはそれぞれの「引退後」の職業があるでしょう。ピンキリのことはいうまでもありません。
破綻というのは考えればひどく深刻な言葉でなく、軽い意味でとらえていいと思うのです。破綻にもピンとキリがもちろんあるでしょう。
破綻した後の破れたところから見えて来る新しい地がなにか、楽しみにすることも出来るはずです。

わたくしの敬愛する五木寛之氏は仏教の世界では、だいたい人生とはうまくいかないものなのだ、と言っておられます。どっちみち誰もが死ぬのですから、そうなのでしょう。
仏教の世界のことはわたくしはあまり知らないのですが、研究の世界を目指しても誰もが大成功などするはずがありません。一見、大成功したように見えてもそうは感じないものなのでしょう。
研究の世界を目指して、どこの時点で小破綻、大破綻するか、ひとりずつ違うのでしょうが、それが早く来すぎたからといっても、遅く来た人が幸運かどうかはわかりません。

研究の世界では誰もが平等だし、大抵のひとたちは運鈍根でやっていくしかないし、この極めて夢の深い世界をぜひ体験してみようという人々がぜひいて欲しい、どんどん希望する人たちが減っていくというのはあまりにも残念な気がするのです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-08 16:36
2013年 05月 03日

氷河時代かな

昨日の書いたものは途中で終わってしまいました。またいつか気分が変わったらまとめて見たいとおもいます。
いろんな人々と話しましたが、米国では基礎研究の続行は非常に難しくなって来ていると言われました。端的には研究費をえるための競争率が高くなってきたので、この程度やれば前は研究を続行できたのに、いまでは駄目というケースが増えているようです。
基礎研究をするのはますます狭き門ということなのでしょう。
それではどういう研究が続行しやすいかと言えば、医療と結び着くような研究が奨励されている。基礎研究の成果を医療に応用する流れです。
もしくはバイオテクノロジーとかいわれる種々の生物をもちいたなんらかの工業や産業に直接むすびつような研究です。基礎研究がかなりおうように許されていた米国もとうとうそうなってきたようです。
しかし、そうは言っても米国の懐は深いのですね。こんかいBaltimoreでは旧友のところを訪問してセミナーをしましたが、かれはいまでも細菌ウイルスの研究を続行しているのです。だれかがぜひやっていてもらいたい,と思うテーマを続行出来ているのです。詳しく話を聞くと、なんと結構競合がきついのです。参加研究者はみな米国ですから、あらためてたいへんたいへんとはいいつつ、米国の基礎研究支援の深さというか余裕はたいしたものだと関心しました。
しかし、それは傍観者の感想発言なのかもしれません。
当事者たちはいかにたいへんか、基礎研究は氷河時代だといっているのです。
実感としてはそうなのでしょうか。後継者を見つけることもたいへん難しいということですし。
研究の存続がなく、消えてしまうのなら、氷河時代に消えたいろいろな生物種、つまり恐竜みたいなものが基礎研究なのでしょうか。トカゲやヘビみたいに今でも残っていますが、生命科学の純粋基礎研究の最盛期は1960年代から2000年くらいまでだったのかもしれません。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-03 00:33
2013年 05月 01日

あした帰国の途へ

まだワシントンにいます。昨日アカデミーの行事はすべて終わりました。いろいろ勉強というかこの国のアカデミーがどういうものかわかって来ました。
アカデミーの紹介で滞在したホテル高級ですが、部屋は立派でも、食べ物は美味しくない、つまり値段の価値はない。ホテルではなにも食べないというのがいいようです。朝食も最初の日はホテルで食べましたが、次からはそばにあるごくごくありふれた店で食べています。まあましです。一人分、6ドルくらいですから文句は言えません。美味しいと言わないといけない値段です。

きょうはこれから研究のディスカッションをしたいかたがホテルにおいでになるので、待っているところです。
時間が空いたので、米国の感想を書いてみます。ごくせまい経験だけですが、わたくしなりの感性アンテナで感じたことです。
米国はいまでも世界の警察の役割を果たす気持があり、その点で現在は、シリアについては深く憂慮している。大統領は武力介入も辞さない気持で、国内的にはその正当性の地ならしをしているように思えました。しかし米国の市民の人命が介入によって失われることは絶対的に避けたいのでしょう。
このあいだのボストンテロの時も逮捕のまえの犯人拘束前にロボットを使って現場にちかよっていたのが印象的でした。ですから、シリアについても、人命損失ゼロでの介入法を考えているに違いありません。大統領の死亡をめざしているのかもしれません。
このような軍隊の兵士といえども、人命を徹底的に尊重することは、米国という国の軍事面は弱まってきて、「普通の国化」してきたのではないでしょうか。
というか米国市民は、戦争はして欲しくない、するとしても米国軍人の命を失うことは極力避ける、こう言うことだと思います。
それでは何が目標かといえば、もちろん経済でしょう。当然ながら経済の活性化による人々の生活の向上でしょう。
環境の重視や、エネルギー節約の高まりも明らかに感じます。
米国が世界でもっとも人口の多い、中国とは経済面で良好な関係を結ぶことを最優先にするのも当然でしょう。
昨日夕方に訪れた議事堂のあたりは中国からの観光客がつぎつぎひっきりなしの多数でした。
経済では中国と米国は最重要な関係にあることは間違いありません。

軍事面での薄まりが進行したときに、経済面でのみ世界の中での帝国として振る舞ったときに、米国はいぜんこれまでの地位を保てるか、そのあたりが疑問です。
そこはかとない不満をわたくしのようなビジターが感じるのも、静かでおとなしい米国がこのままでいいのかと言うことです。
訪問者がおいでになったのでここでやめておきます。

by yanagidamitsuhiro | 2013-05-01 22:34