生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2013年 08月 30日

追加して言っておきたいこと

前回書いたのにはもうすこし追加したいことがあります。
わたくしはもう国内学会にも真面目にいかないし、研究費も一緒にもらうような仲間がいないので国内の様子があまりわからない。でもだからこそというか、孤立者の感覚で、捏造の新時代に日本は入ったという感触があるのです。その理由は研究費の流れが新時代にはいったので、とうぜんそこでおきるストレスや軋轢もタイプが変わってきて、生存のためにやってしまう捏造のタイプも新時代に入ったということなのです。世間ではあまり知られてないですが、捏造論文をだしたとして懲戒処分をうけたひとたちが裁判に訴えて、かなり高い確率で勝訴であったり示談になったりしているのです。
でも今日言いたいことはそういうことではないのです。

つまり捏造データが生みだされる環境はかなり単純でない。外部からみると、研究主宰者の意にそいすぎるようなデータがでてくる不自然なしくみがラボ内にあることが多いのではないか、と疑わせるのです。
学問の世界は民主主義とはおよそかけ離れた世界になりがちで、合議や多数決などではなく、主宰者の意向でおおむね動いていくものです。高額研究費を使っているラボでは特にプレッシャはハンパでなく、そのプレッシャはいろいろなかたちでラボ内ではストレス誘導の尋常でない人間関係症状を生みだしうるのです。
捏造の実行者は現場のポスドクであっても、ポスドクが実際にボスから強い捏造の指示があったといい、主宰者は金輪際そんな指示などしていない、こういう状況は充分にありえます。

つまり芥川龍之介の藪の中の小説にあるように、ひとりひとりいい分を聞いていると、真相は分かりにくい。誰が首謀者なのか、主宰者が示唆をだして、実行はポスドクがした、そんなことは今の日本のラボ内を考えたらありえます。
まともな人間ならいくら主宰者がこうなるはずだと言っても、まさか捏造はしないものですが、なかには捏造をある種の予定調和的行為と考える人物がいれば、やましさを感じつつ実行することはありうる、としか解釈出来ない事例があるようです。
主宰者側は、ポスドクに情熱を込めてこの実験をやればこうなるはずだと言って、なにが悪いと言うでしょう。
こんなことを書いてきたのも、わたくしが最近感じる事は、そういう人間関係が存在するのをすべて分かった上で、いまの時代こういう研究成果がでれば評価を受けるはずなので、この線でどんどん行こうじゃないか、という研究室の主宰者やその追従者というか学生やポスドクが増えて来ているのではないか、ということです。いいたくないのですが、共犯者的な人間関係になりがちラボ内です。

高額研究費で運営される研究室の内部は密室になりやすく、研究自体の内容もおおむね秘匿されることが多く、内部においても外部からも批判というものがほとんどあり得ないものです。

批判があるとすれば研究費の中間評価や事後評価です。この評価を乗りきるために有名ジャーナルに論文を公表するのが至上目命令的状況になる。
国内トップクラスの研究室のほとんどがそのようになればいったい日本の生命科学の未来は?と考えるのは自然ではないでしょうか。ちょっと悲観的すぎるとはおもうのですが。

どうしたらいいのか、わたくしの持論ですが、高額研究費のたとえ10分の1でももらえてただし職の保障があるところで、主宰者はそれ以上の欲もなく、しかし元気よくしかも質素に研究をするのであれば、捏造とも無縁、無茶なストレスも受けない研究環境を作れる人たちだと思うのです。
日本の未来はそういうラボがどの程度の数あるかにかかっていると思います。日本にあるラボの8割がそうであるのなら安心ですが。
でも政府は重点と集中に邁進するようですね。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-30 23:21
2013年 08月 29日

改めて捏造データを含む論文を考える

なんべんも捏造データ論文についてこのブログでも触れています。わたくし、この問題について若い頃はゴシップ的な知識は割合豊富でした。そういう知識を基に捏造データを避けるために、ラボ内では極力「正直がすべて」という方針でいきました。つまり論文での明白な過ちは恥ずかしいがしかし人間である以上過ちはしかたがない、しかし意図的なデータ改竄はこれは学問上の犯罪なので、判明したら、即刻永久レッドカードと、ラボヘッドとして、躊躇なく言っていました。しかし、それは近辺にそんな人物など出るはずがないという強い思い込みがあったことも事実です。
運良く今日まで京大の生物物理で若い仲間と研究を始めてから、40年になりますが一度もありませんでした。

いっぽうで、いわゆる2勝1敗のデータをどう扱うかは難しいものです。
つまり繰り返す実験の結果データが2方向に向いた場合です。正直、難しい。どうにもならなければ実験回数を増やすか、データを公表しないというものです。
でもこういう考えはあまり元気が出ない。
それで発展的によく分からない結果を生みだす実験を回避して新しい実験を始めてなんとか答えを生みだそうとするものでした。
正しい答えはそれがそもそも出るものなら、未来で分かるはずですから。
学生としてわたくしと一緒にやった若者たちはこのあたりのわたくしの悩みと克服の努力を理解してくれたはずです。
しかし、意図的でなくてもなんとか思った通りの実験結果がほしいというのは、仮説にドライブされて研究を進めるすべての学徒にはまさに避けられない性であるでしょう。
しかし、こういう問題には正直というかたちでしか対応出来ないということがあるのですね。正直のうえにバカがつくような正直さがベストです。研究室の主宰者と現場ではそこで激しい応酬があって仕方ないのでしょう。
わたくしが科学研究というのはある意味宗教的行為と感じたりするのはこのあたりです。つまり全知全能の神様のまえで学問をやるので、嘘をついたら舌を抜かれるという類の必罰の畏れですね。それと未来の神様が真の解答を知っているという,信仰ですか。
ですから正直以外に簡単な救われるすべがない。
それで、話を元に戻すと、もう50才台に入ってから、捏造をする研究者を親しかった人物にみてしまったものです。
この体験ある意味わたくしの捏造観を根底から変えるものでした。それ以来わたくしは捏造をする人間に興味を持ち始めたのです。なぜ彼らは捏造をするのかそれで教授になったり名声をかちうるということが本人にどういう意味があるのか、そういう強い関心を持ったのでした。
つまりレミゼラブルとか罪と罰の主人公たちではないですが、悪事ではあるが本人の内面ではかならずしも悪事を犯すという意識がないのはなぜか、そのようなことについて黒と白だけでなく、なぜ学問の世界では一定の頻度でこのような人物がでてくるのかその生成の仕組みのようなものにも興味を持ちました。
これがわたくしが持っていた過去形での関心でした。古典的な悪漢つまり捏造研究者の人間像はわたくしのような旧式な研究者観を持つ人間にはそれなりに関心を持てたのでした。

ところが最近はだいぶどころか全然人間像が違ってきたのではないか。
共通点は、教授になるもしくは高額研究費をえる研究者の仲間になれる道として捏造をする、タイプの人間であることには変わりはないように見えます。
しかし悪漢的要素よりも紳士的な要素のほうが高い、つまりエリート教育、恵まれた家庭、温厚な人柄、こういう人たちが捏造に手を染めているようだ、ということです。
貧困から這い上がりたい、這い上がるためには自分を愛する女性も殺してしまうような三国連太郎が演じた飢餓海峡での逃亡者、つまりそういう古典的な捏造研究者はもういないのだ、というか元々いなかったという、ことがわかって来たような気がします。学問は所詮ある程度恵まれた人がやって来たものなのだ。わたくしは大きな勘違いしていたのかもしれない。
今後、エリート教育、恵まれた家庭、温厚な人柄、こういう人たちが研究社会で増えるのなら、捏造論文も捏造行為者もそれに比例してどんどん増える様な気がするのです。成功へのプレッシャが生みだす人々の行為なのだろう、と。捏造はその気になればあまりにも容易にできるからです。

かなり物騒な予想ですが、でもまあ案外多くの人たちがうなずくのではないか。
平和で質素で正気に生きる多くの人が作り上げている日本社会の危険な一面がこのあたりから露出しているように思えるのです。
穏和そうにみえる大きな社会層での上澄み部分にある病的な様相です。成功へのストレスがどんどん増えてそれに容易に負けてしまう人々が静かに増えているのかも知れません。

わたくしにはもちろんこの問題の解決策など持ち合わせておりません。
むしろそういう推測があたってないことを祈りたい気分です。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-29 10:47
2013年 08月 29日

改めて捏造データを含む論文を考える

なんべんも捏造データ論文についてこのブログでも触れています。わたくし、この問題について若い頃はゴシップ的な知識は割合豊富でした。そういう知識を基に捏造データを避けるために、ラボ内では極力「正直がすべて」という方針でいきました。つまり論文での明白な過ちは恥ずかしいがしかし人間である以上過ちはしかたがない、しかし意図的なデータ改竄はこれは学問上の犯罪なので、判明したら、即刻永久レッドカードと、ラボヘッドとして、躊躇なく言っていました。しかし、それは近辺にそんな人物など出るはずがないという強い思い込みがあったことも事実です。
運良く今日まで京大の生物物理で若い仲間と研究を始めてから、40年になりますが一度もありませんでした。

いっぽうで、いわゆる2勝1敗のデータをどう扱うかは難しいものです。
つまり繰り返す実験の結果データが2方向に向いた場合です。正直、難しい。どうにもならなければ実験回数を増やすか、データを公表しないというものです。
でもこういう考えはあまり元気が出ない。
それで発展的によく分からない結果を生みだす実験を回避して新しい実験を始めてなんとか答えを生みだそうとするものでした。
正しい答えはそれがそもそも出るものなら、未来で分かるはずですから。
学生としてわたくしと一緒にやった若者たちはこのあたりのわたくしの悩みと克服の努力を理解してくれたはずです。
しかし、意図的でなくてもなんとか思った通りの実験結果がほしいというのは、仮説にドライブされて研究を進めるすべての学徒にはまさに避けられない性であるでしょう。
しかし、こういう問題には正直というかたちでしか対応出来ないということがあるのですね。正直のうえにバカがつくような正直さがベストです。研究室の主宰者と現場ではそこで激しい応酬があって仕方ないのでしょう。
わたくしが科学研究というのはある意味宗教的行為と感じたりするのはこのあたりです。つまり全知全能の神様のまえで学問をやるので、嘘をついたら舌を抜かれるという類の必罰の畏れですね。それと未来の神様が真の解答を知っているという,信仰ですか。
ですから正直以外に簡単な救われるすべがない。
それで、話を元に戻すと、もう50才台に入ってから、捏造をする研究者を親しかった人物にみてしまったものです。
この体験ある意味わたくしの捏造観を根底から変えるものでした。それ以来わたくしは捏造をする人間に興味を持ち始めたのです。なぜ彼らは捏造をするのかそれで教授になったり名声をかちうるということが本人にどういう意味があるのか、そういう強い関心を持ったのでした。
つまりレミゼラブルとか罪と罰の主人公たちではないですが、悪事ではあるが本人の内面ではかならずしも悪事を犯すという意識がないのはなぜか、そのようなことについて黒と白だけでなく、なぜ学問の世界では一定の頻度でこのような人物がでてくるのかその生成の仕組みのようなものにも興味を持ちました。
これがわたくしが持っていた過去形での関心でした。古典的な悪漢つまり捏造研究者の人間像はわたくしのような旧式な研究者観を持つ人間にはそれなりに関心を持てたのでした。

ところが最近はだいぶどころか全然人間像が違ってきたのではないか。
共通点は、教授になるもしくは高額研究費をえる研究者の仲間になれる道として捏造をする、タイプの人間であることには変わりはないように見えます。
しかし悪漢的要素よりも紳士的な要素のほうが高い、つまりエリート教育、恵まれた家庭、温厚な人柄、こういう人たちが捏造に手を染めているようだ、ということです。
貧困から這い上がりたい、這い上がるためには自分を愛する女性も殺してしまうような三国連太郎が演じた飢餓海峡での逃亡者、つまりそういう古典的な捏造研究者はもういないのだ、というか元々いなかったという、ことがわかって来たような気がします。学問は所詮ある程度恵まれた人がやって来たものなのだ。わたくしは大きな勘違いしていたのかもしれない。
今後、エリート教育、恵まれた家庭、温厚な人柄、こういう人たちが研究社会で増えるのなら、捏造論文も捏造行為者もそれに比例してどんどん増える様な気がするのです。成功へのプレッシャが生みだす人々の行為なのだろう、と。捏造はその気になればあまりにも容易にできるからです。

かなり物騒な予想ですが、でもまあ案外多くの人たちがうなずくのではないか。
平和で質素で正気に生きる多くの人が作り上げている日本社会の危険な一面がこのあたりから露出しているように思えるのです。
穏和そうにみえる大きな社会層での上澄み部分にある病的な様相です。成功へのストレスがどんどん増えてそれに容易に負けてしまう人々が静かに増えているのかも知れません。

わたくしにはもちろんこの問題の解決策など持ち合わせておりません。
むしろそういう推測があたってないことを祈りたい気分です。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-29 10:46
2013年 08月 25日

寂聴さんの言葉

今朝の阿川さんの対談相手は寂聴さんでした。
面白かった。内容も濃かった。
25才で子供一人を置いて不倫相手と出奔するときにお金がないので親の家というか仏壇屋の自宅の家から金箔を盗んだのだが、まったくお金にならなかった、というエピソードが面白い。本当はたぶん非常に困ったのでしょうが。
人間いつも非常に困ったときのことはよく憶えていますし。
それまでは超真面目だったのが不良になってしまって、初めて人生を歩み出したのだということを言ってました。それで、その後もずっと不良がすきだったとのこと。最近はたいした不良がいないとも。
親にはなぜ出奔するのか説明出来ないのでとりあえず小説家になるのだ、といったことがその後ほんとうにそうなってしまった、というのも、なんかリアルに聞こえました。
今東光氏の世話で尼僧になったときに、まず髪の毛は切らんでもいいといわれたが、やはり切りますと。下腹部のほうはどうする?と聞かれて絶ちますと返事してその約束はその後もずっと40年間守って恋はしたがずっとプラトニックだったとのこと。これは寂聴さんに関心あるひとには重大発表なのでしょう。そもそもなぜ出家したのかそうせざるをえない状況があったのだとずっと寂聴さんはいってもそれ以上詳しいことはいいませんが、たぶん人生で大きな出来事が当時あったのでしょうか。

原発についても忌憚のない意見をいっていました。いまの時代、勇気のいることです。
坊さんも本当は結婚すべきでないともひと言いっていました。正論でしょう。でも僧籍にあればいいにくいでしょう。
わたくしがおもわず大笑いをしてしまったのは、いまの若い人は元気がない、かれらには革命と恋が必要だといったときでした。
なんと、これほど元気のいい発言をながいこと聞いたことがありません。
というかわたくしの周辺ではこの30年間くらい革命という言葉を耳にしたことがありません。
すごいなあ、と感心しました。
革命と恋が若者には必須なのだという、セリフはタイムスリップするとわたくしが20代の頃、酒を飲むとかならずだれかそんな感じのことをいってました。そのセリフがでないことには元気が出ないのでした。古いなあ、といってしまうはずなのに、寂聴さんがいうとなんとも新しく聞こえるのでした。
寂聴さんはわたくしより20才くらい年上ですが、わたくしなんかよりずっと気持ちがわかいなあ、と思いました。
戦後のある時期の元気のいい日本のスピリットをまだまだ持ってるんだな、と。最後に好きな歌手はと阿川さんに聞かれて、美空ひばりでした。なるほど、革命と恋と美空ひばり、わたくしも大昔の若い時を思いだしてしまいました。
わたくしにとってはその20代前半は学問第一だったので革命も恋も捨てるところから自分の実人生が始まったという実感がありました。
寂聴さんの説話、いちどわたくしも生で聞いてみたいと思いました。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-25 00:52
2013年 08月 18日

沖縄色が出る気運

今年の夏にしばしばおもったことは、沖縄で研究を始めてからほぼ10年が経ったか、という感慨でした。
10年前うるま市での最初の頃はすべてが手探り状態であって、でも白紙の上に何かを描いていく作業に近いのでふり返ればたいへん楽しく意気盛んな時期でした。
沖縄でなにを始めたかというと、ともあれ細胞分裂をしない細胞の特徴を掴もう、分子的な特徴をなんとかつかもうという研究の開始でした。幸い長年研究材料にしている分裂酵母では窒素源を飢餓状態にすると分裂しない細胞になり、これがたいへん長生きであることがむかし台湾出身のコロンビア大学で学位をえたソフィア・スーさんがラボでポスドクをしていた時にかなり沢山のデータを出してくれたので、これをネタに始めたものでした。
これが出発点でしたが、研究はどんどん進展して願い以上予想をはるかに越えて発展してしまいました。最初の5年で基盤を築き、その後の5年ではっきりした成果があがるように研究方向を明確にしました。その成果を世に問う時期になり、発表の努力をしています。ヒトの血液を対象にする研究も成果を世に問う時期になりました。
それでなんどもこの10年という期間のあいだにあったいろいろな情景がおりおりにフラッシュバックのように思いだされました。
不思議なことに沖縄の風土が深く絡むような情景がほとんど出てこないのが不思議でした。

京都での研究の進展はいろいろな京都的な場所や人物と深く関わりながら起きたのに、なぜ沖縄での研究はこうもローカルな色づけがすくないのか、よく分かりません。
たぶんわたくし自身が京都でのラボが3年くらいまではあって二重生活をしていたからかもしれません。京大にラボがあったときには沖縄での研究とは峻別していたつもりでしたが、それが原因かもしれません。
今となると、ラボは一つだし、その結果進行するプロジェクトは増えたものの、沖縄でのメタボの研究、G0期の研究は独自の成果を色濃く出しているのに、なかなか京都の時のような特有の色がつかないのはなぜか。
わたくしがまだ沖縄での研究が単に設備があり研究費があり、という点をはるかに越えた土地柄と密着した研究成果として打ち出せてないのでしょう。
生活スタイルの問題かもしれません。
沖縄色が濃くなるにはもうすこし時間がかかるな、というのが正直な感想です。

その時間がどれぐらいと聞かれると困るのですが、でもそういうものが出る気運はすこしある、と感じています。
年の功で気が散るようなものには関心を抱かないし、研究一本やりで行くことが出来るのですが、伏兵は予想外のところから現れるので、それがいちばん用心しなければならない点ではあります。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-18 23:27
2013年 08月 12日

2013年夏の日本人

日本人の7,8割は今の生活に満足しているということなのだそうです。満足度はかなり高い、と。
ほんとかな、と思ういっぽうで、そうだろうという気も起きます。
食べ物がこの20年間、美味しくなった割に値段が高くなってないです。
衣類も選択肢が沢山ある割に高くない。ユニクロのようなそこそこの安価な服装に一点か二点高価な良いものを足すと個性的なファッションとなるので、男性はどうか知りませんが、女性は華美でなく美しく生きることが可能になっている。
仕事の内容ですが、不満は無いはずがないのですが、失業率は統計的にかなり低いので、なにか働いて収入を得ることが出来る。これで国家レベルで危機でないのなら、庶民はまあ満足、こんな理由づけになるのでしょう。でも誰もこれがいつまでも続くなどと思ってないし、いつからひどいことやとんでもないことが起きるかもしれない、という気分的な身構えはもっているのでしょう。
これが2013年の8月の社会的なムードすると、最近の激しい天候の変化や、地震予知の誤報とか、韓国や中国との関係の悪化を背景にして、非常な不安感を有する人たちが少数派ながら出てきたことも確かです。
日本は,塀の上を歩いているのかもしれません。いまは塀の上はそこそこ広いので歩き続けることに困難は感じませんが、狭くなり細くなると困るに違いありません。できるだけ広くしてあんぜんにかつ視野を広く持って行きたいものですが。
いまの日本、いちばん大切なことは世界中から人々に来てもらって,日本での見聞をひろめてもらいたいものです。
日本が将来に保険をかけるのなら、訪問者に良い経験、好もしい経験、またぜひ来たいとおもってもらう強い印象と同時にまたきてもらうのに簡単に来れるようなしかけを作ることだとおもいます。
いろいろ経済復興とか強化の案があるようですが、日本の将来を考えると一人でも多くの外国人に日本にきてもらい理屈抜きに好もしい記憶をもって帰ってもらうことが最善だとおもうのですね。
そういう点、いまの日本人がしずかに声高くなくいまの生活に満足している姿をみてもらえるのはたいへんいいと思うのです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-12 17:22
2013年 08月 06日

イスラエルとも今こそ

灼熱のあつさ、というような表現をしたくなる昼過ぎの京都の町を歩くときの暑さ加減です。
夏休み休暇をとったのですが、さっぱり休暇のムードにならず次々に仕事がふりかかって困っています。ま、自業自得の面もあるのですが。パソコンを捨てれば別の人間になれますが、たとえ休暇でもそれができないのが困ったものです。

先週の土曜日ひさしぶりに新聞を長い時間かけてよみました。紙でよむのは最近減りました。沖縄ではパソコン画面上の紙面ですから、読んでは見てもなにか感じが違います。紙面でないと伝わらないなにかがあるのでしょう。
その何かですが、朝日の場合はこれまであまり注目していなかった少数派を極力とりあげて日本を元気にしようという気持ちをもった記事作りを感じる事が増えました。
そのひとつに、イスラエルにもっと注目しようということを主張する意見を載せています。たいへんいいことだとおもいます。わたくしもなんべんか、日本はイスラエルを見習うべき、もっと相互作用すべし、と書いたような記憶がありますが。この主張では、イスラエルに来る日本の企業人はほとんどいないといっており深刻だと言っています。そうならば同感です。
新渡戸稲造以来イザヤベンダサン(山本七平氏)氏達がくりかえし日本とイスラエルは良く似ていると言っているのに、国民共有の知識となってないのは残念。
日本人の多くも中国や韓国から激しく日本が非難されて、周囲に味方の国がゼロのイスラエルの人々に思いをはせることが可能になったかもしれません。日本では、パレスチナ善、イスラエル悪、という図式がありますが、イスラエルは皆殺しに会うかもしれない危険性を絶え間なく意識して今日までやって来たのです。簡単に善や悪と決めつけるのは意味がありません。なにしろたくましく、頭が良くて、活動的な生きぬく術にたけた民族です。仲良くなったらいいことが沢山あります。
わたくしが言いたいのは、イスラエルの科学技術は実に見るべきものが多数あって、健康科学技術も世界最高レベルであることです。そういう国と日本が密につきあわないのは,本当に残念です。

イスラエルで青春をすごした日本人も何人か知っていますが、本当にみな希有な日本人となり存在感が大きいのです。
それでイスラエルにいく日本人が少ないことですが、空港での長時間の質問というか、これが結構日本人の恐れを買っているのかもしれません。わたくしも二度入国しましたが、一回あたり15分から20分よくそんなに質問のネタがあるな、と感心するくらい色々聞かれました。予備知識もあったのであまり驚かず、失言もなしに乗り越えましたが、日本人の団体旅行などどうしているのでしょうか。質問者はみな若い兵士でした。ついついあなた学生?なんて質問すると、余計なこと聞くななどとぴしゃりと言われたのをおもいだします。
イスラエル入国のスタンプを押さないで頂戴、というと何故だと聞かれました。準備しておいたので、これからアラブ諸国を旅行するかもしれないのでというと、案外あっさり認めてくれて、二回ともスタンプ無しで入国しました。
また機会があればぜひ行って見たい国です。そしていまのヘルスケア系の産業はどうなっているのかぜひ見学してみたいものです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-08-06 14:53