生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2013年 10月 29日

誤表記から偽装へ、阪急と阪神、リッツカールトン

けさ阪急阪神の社長さんが辞任を発表したのだそうです。
それについての感想はあまりありませんが、でもこの誤表記であるとの主張から偽装とみられても仕方ないへの言い訳の変化は興味深いです。研究発表論文などでのデータ偽造というか捏造というかそういうものとどこか類似した問題で,関心がもてます。
そもそも阪急、地味なようだが関西では隠然たる信用をかちえた企業です。でも商売は非常にうまいとはいえない、野球も地味堅い人気は阪神のような強烈なものはない。しかし清らか純潔を標榜する宝塚歌劇団を擁する阪急は悪意のある商法などするはずがない。でも、阪神はーーーーはったりは結構あるし。だから今回の事件でもああ阪神に引きずられたのかななどとつい関西よそ者40年生活のわたくしなどは思ってしまうのです。でもたぶん真相は違うのでしょう。阪急のほうが真の牽引的役割をしていた可能性も台です。

論文投稿の研究室が高い名声と信用を勝ち得ていると,論文データ中に捏造データがあるなどと思えないものです。最初から疑いの眼でみることはまずありえません。しかしご承知のとおり夢にも思わなかったような人々が捏造データ作成に手を染めていることがいまやはっきりしてくると、この阪急のケースなども同根の病から生じたものではないか、と思いたくなるのです。
まず関西でいうええかっこし、これが行きつくところまでいくと,内容がない癖にいい方で相手を信用させ騙す。見かけがなによりも大切。つまりNCSとかいう頭文字の雑誌の論文があれば見かけは最高になる、だから生きる目的のすべてがそこに向かう。
次ぎにおかしいことがばれたら、誤りであったと言い抜ける。相手をあざむく気はまったくなかったと言い張る。悪気はまったくなかったし、こういう表現がいけないと言うことも気づかなかった。いつもはとかなんべんかはちゃんとしたものを提供しました、などといいぬける。これも研究の世界ではすぐ使えそうな気がします。
そもそも捏造データなどその気になれば絶対見つからない方法はいくらでもあります。中学生レベルの捏造などはいまややらなくなったと思われますので、捏造は同一ラボ内か同一装置などをつかう同じ建物の研究者しか見つけられないようになるかもしれません。
だから同一大学で箝口令をひくようであれば捏造者は非常に嬉しいでしょう。
偽装で最初に出てきたのが、阪急阪神とリッツカールトンというのは本当に象徴的です。日本と世界の超一流が偽装としか思えないことをやって誤表記と言い張る。
リッツカールトンの国内トップが日本語をしゃべれないのにも驚きました。このホテルはいったいどう経営しているのでしょうね。お客さんは大多数は日本人でないのかな。
捏造研究の現場も日本は国内トップの研究費の非常に潤沢なところで横行しているのですから、なにか同根の問題があるのでしょう。
つまり国内トップといってもたいしたものではないというところでしょうか。
表面を飾り立てることにきゅうきゅうとしている職場の雰囲気がたぶん同根なのでしょう。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-29 10:32
2013年 10月 27日

大学人、先頭に立って

島根大学にははじめての訪問でした。島根医大とは、既に合併している、とのこと。迂闊ながら知りませんでした。台風が来てるので、空路はやめて、岡山まで1時間新幹線、それから特急で松江まで2時間半の旅の計画でした。ところが安全確認とかで松江のすぐそばまで着いてから突然の遅延がはじまり自転車並のスピードとなり、結局30分おくれの到着。
特急の揺れがきついので車内での講演準備はできず。PCの画面を見ていると頭がくらくらして。30分ほどであきらめ。後で聞くと振り子電車とかで中央西線でもつかわれたスピード優先のものです。乗り物酔い止めを飲むべしとか、車中で吐きたくなる、とか聞きました。わたくしは早めに画面をみるのをやめてじっとしていたので被害はあまり無かったです。ただ、講演中ずっとなんとなく船酔い感のような不快感はありました。
川向先生の宣伝がよかったのかビックリするような大勢の聴衆でした。質問も沢山あって約2時間講演と質問をこなしました。疲れましたが、分かってもらった手ごたえはありました。充実感あり、です。
そのあと、学生さんと話をしたり、晩飯を若手教員の方々と話せて、これでなんとなく島根大学のことはすこし分かった感があります。恵まれている部分と恵まれてない部分と。
ひとことで言えば応援してあげたいな、という気持ちですがどう応援できるものやらまったくわかりません。
島根県は僻地でなく文化、歴史的に日本のフロントの一つ。沖縄と似ている。こんな風に思わないと、いけない。いまは、交通僻地のことはまちがいない。しかし、交通僻地は空路の値段次第で、まったく変わってしまう。そういう考え抜きで、未来プランは作成できないでしょうね。
日本のフロントになるには、外来人を出来るだけ多く引き寄せないと。日本の中のよそものと外国人を沢山呼び込まないと。
そのために技能、能力があれば外国人には住めば、無税とか。特典が必要。産業よりは学術文化芸術こういう方面で人集めをする必要があるのでしょう。人が集まれば自然産業もついてくるはず。地場産業は農漁業それに観光なのでしょうか。県の将来の中核に大学をおくべきなのでしょう。競争する大学が複数有るとはるかに良いのかも。半分くらいはすべて英語で授業するとかそういうことも考えたらどうなのでしょうか。
ただ、結局はいまの交通アクセスの悪さを変えないことにはどうにもならない。
人口が百万を切った弱小県です。小さな飛行場が二つ(出雲、米子)あるのでこれを最大限活用していくのがベストかな。安いフライトが来れば距離感は著しく減少します。
食べ物は非常においしいし、お酒もおいしいし、温泉は沢山あるし、古い歴史はどこにいっても思いおこせるし、それに人々は穏和ですから、沢山の人々が気に入るはず。地価も物価も安いと聞きました。
飛行場の位置から、出雲市と鳥取県の米子市これら二つの市を中核にしてこの一帯をダイナミックに発展させるのがベストなのでは。松江は開発が似合わないのでそっとしておくのがいいのかもしれません。過疎の弱小県の鳥取県とは合併するよりも、それぞれの良さを発揮する協調と競争の関係がいいに違いありません。これら二つの県の、大学人めざめよ、先頭に立って、といいたいです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-27 08:50
2013年 10月 24日

島根大学での講演

またまた台風、うんざりです。沖縄近辺ではやたらに動きが遅い。実はきょう沖縄から本土へきて明日松江市の島根大学生物資源科学部を訪れる予定でしたが、あぶないのですこし前から来ていました。
明日の予報も分からなかったので、空路をやめて陸路で行くことにしました。実質3.5時間なのでそれほど長くはありません。生命工学の川向教授のお世話です。
講演タイトルは「酵母の飢餓レスポンスとヒト長寿理解へのメタボローム解析によるアプローチ」なるものでちょっと垢抜けないのですが、90分という講演時間を頂いたので話題が二つとなりました。
まあ聞いていただければ、面白いと思っていただけるものと信じております。ヒト長寿理解へのメタボローム解析のほうは完全にヒトの血液の研究しかも化学がどっさりの話ですから、かつてのわたくしの研究を知っている人にはちょっと唖然とするような内容なのです。でも、わたくしは面白がってやっています。遺伝学抜きでの研究はわたくしは出来ないと思っていましたができるのでした。
この年で芸風が拡がるのを自慢してもしかたがないので、ともあれこういうだれもが関心を失ってしまったような対象に非常に面白い問題が山積しているというわたくしの主張を聞いてもらいましょう。
血液中に含まれる低分子化合物にはたぶん有益なものがどっさりあるはずです。また、体の調子を暗示するようなものも沢山あるでしょう。
残りの半分は堅い話なのですが、こちらは遺伝学もあってヒトが対象でなく手慣れた分裂酵母の話しですが、染色体ではなくメタボリズムのお話しです。来年にはすべてはき出して公表しようとは共同研究者の久留米大の斉藤くんとの話です。
わたくしもいまや共同研究者あって初めて成りたつ研究が多くなりました。
われわれだけの自前の研究はこれまでの研究の歴史で残ったものだけになりました。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-24 16:30
2013年 10月 22日

利根川進さんのわたくしの履歴書のなかでの言葉

日本経済新聞の私の履歴書のシリーズは現在は利根川進さんです。わたくしは日経を購読していないので毎日は読んでいませんがそれでもこれまで4回ほど読みました。どれも、おもしろい。今日、機内で読んだのは21回目で「記者からの吉報」とあり、見出しがノーベル賞に半信半疑、単独受賞、審査に高い信頼とありました。
利根川さんのノーベル賞は、その業績を理解すると他の受賞者の業績が凡庸に見えるくらい、すごいものです。当時は破天荒とおもえたものです。
ノーベル賞の中でも、特別に三重丸がつくようなもの、と昔よく学生さんに言ったものです。今日の分はそのノーベル賞受賞を知った日のことを話題にしていました。
電話で知らされた利根川さんの最初の返事が、共同受賞者はだれですか?というものでした。すると、他の研究者の名前は出ていません。単独受賞のようですとの答え。
どうしてそんな質問をしたのか。その理由がはっきり書かれていました。この年1987年、ラスカー賞が利根川さんと他の米国の2研究者に与えられました。利根川さんはこの著名な2研究者について、以下のように書いています。
残りふたりの研究者は抗体多様性の謎を解く研究で,私(利根川さん)と正反対の[生殖細胞系列説]に立っていました
ところがわれわれが次々に発表するデータを見て、形勢が悪いと判断したのか、途中から主張を180度転換したばかりでなく、いかにも自分たちが「体細胞変異説」の証明者であるがごときキャンペーンを展開していました。(中略)
その点、ノーベル賞委員会とカロリンスカ研究所は研究の成果のみに的を絞って私を単独で選んでくれたようです。ノーベル賞が,他のもろもろの賞とはかけ離れた権威を維持し、広く尊敬の対象になっていることの理由を,身をもって感じた一瞬でした。
と述べています。
なるほど、とうなずけます。
ラスカー賞がある程度政治の対象になるのに、ノーベル賞は全然違っていた。当時の日本の分子生物学者の多くがうすうす感じたことが、受賞者自身から語られてたいへん貴重な言葉と思いました。
わたくしも人づてに利根川さんがこのように思っているとはきいていましたが、このようなかたちではっきりとした氏の言葉として証言されました。それを、たまたま旅行中の機内で読めたこと幸運と思いました。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-22 20:29
2013年 10月 15日

医療に従事しない医師免許取得者はこれからの社会にとって極めて重要な人々

十年に一度とか言う大きな勢力をもった台風が本土にむかっているそうです。
あしたの朝、沖縄に向かう予定ですが、どうなることやら。出発時の風は比較的飛行機は強いと聞きます。あした朝が駄目なら早めに通報が入るはずですが、ぎりぎりいけるのではないか、ともおもえます。駄目なら午後遅くでもなんとか戻らないといけません。17日に用事があります。

東北地方にあたらしい医学部をというニュースを最近よくみます。もちろん賛成ですが、どうもこの論議つまり例外的に新しい医学部を作るのを許可する、という議論の流れは根本的におかしいとわたくしは思っています。これからは沢山の医療に従事しない医師資格者が必要になるでしょうに。
これからの日本(実はこれまでも)、医学教育を受けて医師の免許をもちつつ医療にたずさわらない人々が増えることがたいへん望ましいのではないか,と思っています。
医師になるための教育の大半は疾病についての知識と疾病をどう治療するかを学ぶことにありますが、人間の広い意味での生物学を実験的にやろうとするのなら、医師の免許がなければほとんど何もできません。これからは健康な人々についても体の研究をすることが非常に大切だとおもうのですが、人体のことをくわしく学ばなければどうにもなりません。ボランティアの方から血液を一滴もらうのでも倫理委員会をパスし、医師の参加が無ければなにも許可されません。当然のことです。
医師が大学で学んだことは社会的に非常に大切なことですが、いまは治療か医学の基礎研究にしか利用できないのです。しかし、実際のところ通常の人間の関わる研究や企業活動にしても医師の参加が強く望まれる研究や企業活動は非常に多いのです。特にこれからはますます増えるでしょう。
しかし、現在の医科大学では学生のほとんどは医療に向かい、基礎医学を志望するものはほとんど例外的と聞きます。いわんや医療でも医学でもない人間の広い範囲での生命科学や産業や技術にむかう医師免許取得者ほもっと少ないでしょう。
サマセットモームや安部公房や手塚治虫や山田風太郎が医学教育を受けたなどと言うことは世間でよくしられていますが、これからは非常に驚くような分野で医学の専門教育、特に人体の精緻なはたらきについて豊かな知識を持つ専門職が多数必要になると思われます。
わたくしも実際のところ,医師としては例外的に広い興味をもって研究に参加してくれる方がおられるので研究が可能になっています。
世の中のトレンドがぜひとも変わって欲しいと願っています。
医師はあまりに忙しすぎて、本来かかわるべき大きな社会的問題があっても横目でみていることが非常に多いのです。
それをいいことに世の中では沢山の問題なことが起きているのです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-15 13:44
2013年 10月 12日

ノーベル賞ウイークもほぼおわり

ノーベル賞ウイークもほぼ終わりました
今年は感じるところがあって何かを書くこと自粛しました。というのも、その前から報道が過熱気味というか、そんな書き方されちゃ困るな、という記事が立て続けに続いた感がありました。
予想もまるでこうなるはずだ、そうならないとヘン、おかしい、というトーンに近くなってきたような感じもあります。
人名のあげかたも、節度がちょっと欠けるし、また思慮の浅さも見えて、わたくしは昨年までは気軽にコメントなどしていたのですが、もう今後やめようか、という気持ちになりました。
何かを書けば、結局おなじように見られがちです。

きょう午前中、教育講演なるものをやりました。いい機会なのでラボでこの2,3年やってきた血液メタボロームの個人差について30分ほど概要を話しました。わかって頂いたかんじでした。

そのあと北大のMさんと話をしました。
昨日は北大のOさんとベンチャーのNさん夫妻と一緒に晩ご飯を食べました。ラボのE君もいっしょで、昔話もいろいろあって、なごやかな良い時間でした。

やはり札幌は沖縄よりはずっと涼しく、大津よりももちろん涼しいです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-12 11:38
2013年 10月 05日

血液中のコンパウンドの個人差

一週間後に札幌にでかけます。日本血液学会で教育講演なるものを朝早くからやります。
もちろん医師が集まる学会ですから、人間の血液の話題をせねばなりません。
講演タイトルは「血液メタボロームの個人差からなにがわかるだろうか」というものにしたはずなのですが、プログラムでは仮としたはずのごくごく地味なものになっていました。まあいいでしょう。
この場合の個人差とは、病気による違いではなくて健康人のあいだでの違いを研究対象にしているわけです。
食べるものが違うのだから違うのは当然、というのはただしい。一日の時間帯でもちがうのではないか、とかそういうのもある程度当たっています。例えばグルコース量である血糖値の変動は食後かなりあります。
でも興味があるのは、ともあれなんでもかんでもひっくるめてどれくらいの血中コンパウンド(小さな分子、メタボライトともいいます)に個人差があるか。血漿ではなくて赤血球内での違いでみたい、赤血球はいちおう細胞ですので、いろいろ興味深いコンパウンドがあるので。コンパウンドのなかにはあまり個人差がないものがありますから、そういう不変なものと比較して、変動するのには理由があるでしょう。本当は一回測っただけではその個人のかたのデータとしては不完全で、2年くらいおりおりに調べると色々なことが分かって面白いのですが、まあそれは沢山の人たちで出来ることではありません。
狙いとしては、年齢差のでるコンパウンド見つかると面白いのだが、でした。
じっさい少数ですが見つかりました。その意味はすぐには分かりません。若さのシンボルとか、老齢のシンボルのようなコンパウンドがあるのでしょうか。分かりません。興味深いと思ってやっています。
だいたい80くらいのコンパウンドが個人差がはっきりあることがわかって来ました。ひとつずつ吟味していきたいと思っています。
なかにはカフェインのように個人差をあまり吟味しなくてもいいようなものもあります。でもカフェインの量は今朝コーヒーを沢山飲んだから血中にも多いとかそんなものではありません。体内蓄積によるものでしょう。からだのどこにため込んでいるのか分かりませんが、日毎に大きく変動するのでなく、もっとゆったりとした変化の波があるようです。
80という数のコンパウンドはかなり多すぎるので、せいぜい数種に絞りたいと思っています。でもどのようにして絞るか、これらが体内の存在意義は分かってるものもはっきりしないものもあるので、そのあたりの吟味を分裂酵母でやって見たいです。
じっさい血液でのコンパウンドの大半は酵母の細胞にもあるのです。
驚く血液学の研究者が多いかもしれません。
血液学に無知なわたくしは、またまたそうだったのかと無感動に感じるだけです。
そういう人間のやる教育講演なのですが。ちょっと恥ずかしいという、感覚もあります。

by yanagidamitsuhiro | 2013-10-05 15:00