生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2013年 11月 24日

胡桃と銀杏の木のはなし

いま日曜の昼時、午前に2時間刈り払い機で筋肉労働をして遅めの昼飯にソバを食べてやすんでいるところ。
ソバのあとに食卓にあったクルミを5つほど一つずつ割って丁寧にたべて、甘味はないけれどもこれで満足かなとの感想をもちました。
もうすぐたかんじんの番組が始まるのですが、最近はそれほど渇望感はなく、メンバーも大きく変わったしそろそろ卒業かなと思いだしています。
このクルミですが、ことしはわが家のクルミの木沢山実をつけました。送ったりもしているのですが、食べきれません。さっき雑草を刈っていたら相当数見つけました。味はフツーですが、耐久食品です。皮の中にあれば,皮の外へでても一年たっても味は変わらずです。。

この今や大木となったクルミの木もとは直径1センチにも満たない苗木でこの比良の土地に植えたのでした。高さも50センチくらい価格も500円くらいでした。寒風吹きすさぶ土地の外れに植えたのですが、3年くらいまったく育ちませんでした。夏のあいだに葉が20枚くらいつく程度でした。さらに何度も刈り払い機でうっかり切ってしまっいました。根が細くて地面から抜けたこともあり、あきらめたこともあったのですが、でも地面にもう一度植えて生き延びて、でもこんな遅い成長では遅かれ駄目になると思っていました。

ところが、猿,イノシシ、鹿の被害にたまりかねて立派なケージを作ったときに、クルミの幼木は端にあって捨てられずに残ったのですが、これを機会に激変がおこりました。
なんと成長知らずだったのに、たった一年でわたくしの背をはるかに越えるスピードで伸びました。ケージの存在で風が弱くなりかつ日陰も出来たのが原因かもしれません。
それからはあれよあれよというまに伸びていまは樹木の先端をつめる事態になりました。実も100個を越えるくらい。これからは木が太くなるように背はあまり伸びないで、余裕のある樹木になって欲しい。こう思っています。
教訓は単純で、ちょっとした環境変化を契機に生き物は激変するということですね。
植物は花粉や鳥の糞になって子孫で遠くにいけても、成木は人が介入しないと動けないので、ためしに環境を変えるのはたいへんな可能性を生みだすかもしれません。

クルミの木から3メートルくらいにある銀杏の木、ことしは随分きれいな黄色となり眼を楽しませています。高さも5メートルくらいでクルミの木よりすこし低い位です。
この銀杏には悲話があります。苗を買ったのはクルミとほぼ同じざっと10年前でした。この苗木も寒風に弱くいつまでも背が伸びずしかも風のせいで幹がくねくねと曲がってしまってすっきり伸びる銀杏の木の面影はありませんでした。
ある年、もういじけてしまってもう駄目かなとおもって何枚か残った黄色になった葉を見つめた記憶があります。
不思議なことに、次の年根元からすっと素直に伸びた細い幹がでてきました。ケージを作った次の年だったでしょうか。おもしろいことにこの新しい幼木にまえからの古い母木は巻き付いたのです。
その年の秋には幼木はずんずん伸びましたが、母木はやはりいじけたままでさっぱり伸びません。
それで暮れの頃に、幼木に巻き付いたまだまだ若い母木を切ってしまいました。
それでどんどん幼木はまっすぐ伸びました。もう幹の太さは青年の木の貫禄です。
あの母木を残していたらどうだったろうか、考えることがあります。
もうすこし待ってあげるべきだったのかもしれません。

by yanagidamitsuhiro | 2013-11-24 14:02
2013年 11月 20日

日本代表がベルギーに勝利とは心底びっくり

ありゃりゃ。
なんと日本がベルギーに3−1、試合の後半23分です。
予想もしないというか、願望ではあってもまさかといっていい展開です。
けさは、試合開始直前に目がさめて、ベルギーとの親善戦をみています。スタジアムは親善のムードはぜんぜんないアウエーな雰囲気ですが、日本チーム実に見事な試合運びです。
まず柿谷、次いで本田、そして岡崎で三点という見事な願ってもないゴールでした。日本の失点はまさに失点で、ずっと互角かそれ以上の日本代表の試合展開です。

仙台のホテルで見ています。
昨日は代謝シンポジウムで講演はどれも大変興味深かったでした。
わたくしどもの研究もよく分かってもらえたようでした。

さて、試合のほうは今34分で一点取り戻されて3−2でした。これは芳しくないゴール前の守備の弱が原因でした。

それで、4分の延長もなんとかしのいで3−2で勝利でした。
これはすごい結果でした。
日本強いのに心底びっくり。長友がいないのにこの結果です。これから楽しみです。

by yanagidamitsuhiro | 2013-11-20 07:01
2013年 11月 16日

桂文枝さんの父の「戦死」、母の誇り

たぶん沢山の人が桂文枝の父親を捜してどういう人であったのかを示したNHKの番組をみたでしょう。
わたくしもその一人でした。
桂文枝が父に一才で死別し、その後は母親一人に育てられ、母親が父親のことを息子に詳しく言うことがまったくなかった。その経緯が深く深く納得出来る秀作でした。最初の頃はどのように展開するのか、感動するようなドラマがそもそもあるのかどうか、文枝師匠も視聴者も半信半疑だったのですが、だんだん引き込まれて行きました。
順風満帆の経歴だった若い夫が肺浸潤になり、さらに追い打ちとして兵隊として招集され一挙に病状が悪化し招集後短期間で亡くなってしまった。
夫の姑に子供は夫の家で育てるからあなたは自由になりなさい家を出なさい言われて、そのことが原因で家をでてまったく消息がつかめなくなってしまったこと。若い母の人間としての誇りに気づかなかったのか。
ここに人生のすごい綾がありました。姑も悪気はなく、良かれと思っていったでしょうが。
ただ嫁一人孤立無援の夫の家のなかでいた若い母が息子をだいて姿を消してしまうのも無理は無かったのでしょう。
このドキュメントの背骨になっているは母の誇りだと思いました。誇りが何十年もの忍耐を支えたのでしょう。文枝が大成功してから母が夫の墓を作るエピソードも感動的でした。
このドキュメントがドラマよりもはるかに興味深いのは、文枝師匠の番組を見るあいだにどんどん変わっていく言葉と表情でした。
言葉を生命にする落語家が何をいうかわたくしも固唾をのんだ、スリリングな瞬間が何度かありました。
番組の最後に、大阪城そばの真田山にある戦死陸軍兵の記念館のなかに沢山の遺骨があったのですが、そのなかに文枝師匠のお父さんのがあったのです。番組担当者が発見したようです。
そこにいって文枝師匠が小さなお父さんの骨壺を手に取りしばらくはなんとか平静を保っていたのが、壷の蓋をあけて中を覗いてそこで、こらえたものが堰を切って。号泣しました。一才で死別した父の骨、あったのでしょうか。
涙なしには見られないシーンでした。
万感ということばがありますが、その中のどの感情が奔出したのか。たぶん無数の感情が、文枝師匠の年齢の何十倍ものもろもろの感情がでたにちがいありません。
その一瞬を最後にとって視聴者に提出した番組作成者の労を讃えたいと思います。
いつまでも記憶に残る、戦争時代の日本人の苦労を考えさせる秀作でした。

わたくしは今回文枝師匠はわたくしより一つか二つくらいわかい同世代とわかりました。
母親が天皇陛下にあっても恥ずかしくないような息子を育てるのだとずっと言っていたというエピソードもよかった。また父親が大変に真面目でそしてとても優しい人だったという証言を聞いた後、長い無言の時間のあと声を振り絞るように、とても嬉しいとひと言、言ったのが強く記憶に残ります。文枝師匠はこれから自分は父親の分も一緒になって生きていくという言葉が自然に納得出来ました。

by yanagidamitsuhiro | 2013-11-16 10:00
2013年 11月 12日

久しぶりに月刊文藝春秋を読む

久しぶりというか何年ぶりか分からないくらいですが、月刊文藝春秋を購入してしまいました。小泉純一郎氏の[脱原発宣言]を読んでみたいと思ったのでした。
でも最初に読んだのはゲゲゲの鬼太郎の水木しげる氏の月間日誌でした。これがすごく面白い。考えて見るとわたくしは水木しげる氏の怪奇漫画を若い頃20代前半から愛好していました。ことしは境港まで行って、とうとう水木しげるロードまで見てしまいました。満足でした。
この日誌も非常に面白い。これだけ読むだけで、840円の値段の価値がわたくしには充分ありました。
それでいま小泉純一郎氏が語ったという言葉をつづった、山田孝男氏の書かれたものを読みました。なるほど、これまで新聞などで読んでいたのと同じ内容でした。フィンランドに行ったときの核のゴミ捨て場のエピソードは分かりやすい。
不思議なことに偶然同じ時間にテレビで元首相の脱原発講演が見れました。なるほど、画面からも元首相は完ぺきに確信している、とわかりました。

国民に希望と夢を与える、という小泉氏の考えの脱原発にわたくしも賛同です。
小泉氏が安倍首相に翻意をせまっているのは大変に興味深い。
郵政民営化とは比べものにならないくらいの大問題と言ってました。
その通りでしょう。
小泉氏が昔の満州論議を例にだしていま即原発ゼロと主張したのもよく分かります。
日本の近代史は政府が撤退出来ないことから、誤りが起きたというのはただしく、原発撤退と満州撤退を並べた小泉氏の政治感覚に感心しました。
筋金入りの少数派(政界首脳の中で)の強硬主張者であるのですが、日本社会の潮流をしっかり掴んでいるとおもいます。

by yanagidamitsuhiro | 2013-11-12 23:18
2013年 11月 12日

島倉千代子さんの死

島倉千代子さん亡くなりました。
昭和の歌姫でした。
若い頃、少女のような姿で歌をうたう彼女の声に聞き惚れた日本人は非常に多かったでしょう。空から降ってくるような,鈴の鳴るような、美しい声でした。わたくしも聞き惚れたひとりです。
可憐という言葉がぴったりで、美空ひばりとは対照的でした。
特にこの歌姫を守る人がいなかったことが彼女の人生のいちばん辛いことだったのでしょうか。
美空ひばりには自分の娘をおじょうとよんで徹底的に守りかつ賛美した母親のような人がいないようでした。
つらいエピソードのなかでも,特に気になったのは最後は肝臓がんだったとのこと。
20年来の肝臓の病気と聞くと、やはりC型肝炎ウイルスのようなもののの感せんを考えてしまいます。そのまえには別ながんもあった様です。
死去三日前に、新曲をレコードをしたという、エピソードは多くのファンの涙をさそったのではないでしょうか。わたくしもその歌を聴いてみたいようなこわいような気分と半々です。

歌をとってしまったら自分にはなにも残らないと、やつれた姿でしゃべっているのをテレビでみていて、わたくし自身も歌を研究に変えたら同じような気分なので、自分の何年か先の姿をおもわず瞬間的にオーバーラップしてしまいました。

by yanagidamitsuhiro | 2013-11-12 10:41
2013年 11月 03日

港川遺跡訪問の顛末

三連休の中日、先日触れました港川人遺跡を見に行こうと思いました。
場所は南城市で沖縄ワールドという観光スポットの近くです。
このスポットには玉泉洞という鍾乳洞があるらしいのでまずそこに行ってみました。かつて一度国際ワークショップの時に外国からの参加者と行ったような記憶がぼんやりあるのですが、はっきりしません。
入口にはハブの見物もあって、一見俗悪感はありますがでも内部は悪くありません。子供連れでも家族連れでも鍾乳洞がきらいでなければかなり楽しめるでしょう。かなり大きなものです。
つぎにガンガーラの谷なるところにいってここの石灰岩でみつかるいろいろな化石などの説明ツアーを聞きたいと思ったのですが、なんと残念なことに本日はなんとか魂というライブがあって入れないそうです。残念。
それで本命とはいえたぶん、ネットでの写真でみるとかなりしょぼい感じの遺跡なのですが、港川人遺跡に向かいました。
ところが遺跡の気配がありません。車から降りて丹念にみましたが、???という感じで何もありません。住宅があるだけです。
それで道路からすこしうえにある住宅で仕事をしている男性に聞きました。
男性はすぐ、みなとがわじんね、と反応してくれて、戻って大きな橋の下にあるとのこと。
そこでもう一度もどりました。雑草の生い茂った怪しい箇所はありましたが、でもそこには何の遺跡の気配もありません。ただ白い棒が一本立っていて。それに大きな看板で果樹園とあります。
いったいどうなっているのだ。日本国内で1万5千年前の人骨が10体近くでたのにまったく何の気配も無いのはいったいどういうことだ??とだんだん不審のの感が不信的なものに変わりつつあります。
そうしたら車が一台止まりました。中の男性が、あのね遺跡探してるの?と聞いてくれました。
なるほどこの町(八重瀬町)では,地権者から土地を買ってここをちゃんとした遺跡にしたいらしい、しかしいまはまったく何も無いのだそうです。

うーん、日本最高の人骨の遺跡なのに、日本というか琉球の歴史を考えるうえでも最高の遺跡の一つになるはずなのに、という不満の念が強くなるばかり。
ちょっと写真を下に示しておきます。
しかたなく、周辺を探索しました。入り江と川があり、いかにも魚も貝もたくさんとれそうないい地形です。いうことなしの遺跡がある周辺地形です。ただ高いところにある橋は景観を台無しにしますが仕方ないのか。
八重瀬町は貧乏なのかもしれませんが、県なり国なりなんとかならないのでしょうか。
どうやったらいいかは分かりませんが、行ってみた場所にはひとつ大きな石はあったものの、いったいどのように人骨が発見されたのか手がかりになるようなものは何もありませんでした。
ネットで読むかぎり発見の経過はたいへんドラマ的でした。
しばらく周囲の奥武島とかぶらぶらしてこの太古の人々が住んだであろう場所の雰囲気を感じ取ろうとしました。
なにかすごい感じを実感して、太古の人々のイメージが取れたような気がしました。
神がかりかな。
それで結局たいへんに上機嫌で家に戻りました。
結論として、たいへん有意義な訪問でした。表に見えるものは何もなく、周辺の空気から何かすごいものを感じました。第一発見者は学者でもなんでもない市井の人だったようです。でも実績としては、とんでもない実績をあげたのでした。このかたのことも詳しくしりたいです。

八重瀬町さん、頑張ってください。

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by yanagidamitsuhiro | 2013-11-03 21:15