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2014年 12月 25日

日本国の借金について

年の瀬、日本の抱える借金を考えてみたい。
経済学などを学んだことがない人間が国の財政など論じる資格などまったくあるはずがないのですがでもちょっとなにか書いてみたいという誘惑に負けて。
日本の国が千兆円を越える借金を抱え、かつ毎年100兆円の予算をつくり税収はその半分しかないので借金が積み重なる。よく見かける記事です。このことには悲観的(一見よくわかる)な意見と楽観的な意見(わからないがでもその意見に頼りたい)が二つある。
悲観的な代表的意見は20才以下の日本人はこの国を去るのがベストの案という外国の事情通の意見とかがあります。
悲観的でない意見は、借金はほとんど日本人からなので国内のやりとりなので心配ない。さらに日本は国外に膨大な資産を抱えており全体的にお金は沢山あるという、なかなか信じるのが困難な意見も聞いたことがあります。
何で専門家がこんなに極端な違いのある意見を言えるのか不思議です。言論の自由とはいえもうすこし意見はまとまらないのか。
生命科学になにか借金とか負債のようなコンセプトがあるか。考えてもありそうもないです。
人間は借金をするが、犬とか馬が借金をするとは聞いたことがないし、植物も微生物も負債を抱えた一生は聞いたことがない。
やはり借金を返済する生活などは余りないようです。
ここまで書いてはたと気がつきました(実はこれを書く前から計画していたこじつけですが)。
あります。
借財の様なものが。
ちょっと里芋を考えてください。これを一個ずつ地面に埋めます。
地温が高くなると芽が出てきます。虫に食われなければそしてほどほどに肥えた土ならば太陽光に当たってすくすく大きくなり、そのうち大きな葉が出来てきます。雨の日には子供が傘代わりに使ったりするくらい大きな葉です。
順調にいけば晩秋には根元にはごっそり20個くらいの大きな里芋が出来てきます。つまり20倍になります。猿も食べようとしないので作る人間側には安全な労働投資で、今年は猫の額のような狭い土地なのに100キログラムくらいの里芋が収穫出来ました。嘘のような話に聞こえるでしょうがホントのはなし、わずかな勤労と種芋投資で沢山の成果があがったアベノミクス第3弾のような話です。
収穫がなければ人間側には労働に対する報酬なし投資もゼロになるのですが、わたくしの書きたいのはそういうことではありません。
里芋は芽がでるまで地中の生活を送ります。この時期に里芋自体のもっている全能性を利用しているのですが、ある意味資産を食いつぶしているわけです。芽がでても虫などに食べられると資産を失います。つまり里芋の次世代への人生がなくなります。土質があわないとか、連作障害とかで資産を食いつぶしてそれで終わりという危険性があります。
うまくいけば葉が出て幹がのびどんどん巨大化します。しかしこの状態ではまだ駄目でしっかり大きな芋が沢山出来て初めて次世代につながるわけです。
芋が地中で芽を出すまでは借金生活をしているともいえます。というか芋の存在がそのような生活を可能にしているわけで。土中の生活をするための蓄えがあるので、芋の人生の生活が可能になるわけです。
種芋が大きいと総じて秋に収穫される量も多い様です。借財の投資が多ければリターンも多い、そんな風に感じます。
さてこれで生き物の借財、こじつけが出来ましたでしょうか。
教訓はあまりありませんが植物は地中での生活がわからなければ地上での生活はわからない。地中での芋の生活は太陽光の恵みを使わずに蓄えを利用して次世代にかける芽を出せるようにする。

植物の借財は次世代のためにしているのに、今の日本人の借財は自分世代の時のためだけにしているのでやはり駄目だといわざるを得ません。
天罰を受けるのがその世代ではなく、次世代ならやhり酷い残酷物語になるとしか思えません。
なんとか今からでも遅くないので次世代に役立つように借財利用を向けていかないと。
子供達を育てることなのでしょうか。

by yanagidamitsuhiro | 2014-12-25 16:45
2014年 12月 20日

再現できなかった実験ーわたくしの場合

もう45年近くも昔、スイスのジュネーブ大学で研究をしていたまだ20代のわたくしに、実験の再現が出来なくなったことがありました。非常に残念で、今でもかなり強く記憶に残っています。
当時わたくしは電子顕微鏡を使って細菌ウイルスの一種T4がつくる構造体の観察をしていました。突然変異体を用いたので、正常なウイルス構造のかわりに長い筒状の構造がよく見えました。ウイルスDNAは入っていないので前駆体のようなものというのが関係研究者のあいだでの理解でした。わたくしは、当時としては斬新な画像解析方法光濾過法を使って、この構造体の詳細に観察する実験をやっていました。
ある時、その筒状構造を含む試験管液を一晩放置して次の日に観察したら筒状の表面に見える格子の模様ががらっと変わっていました。顕微鏡の視野で観察していても歴然と違って見えるのでこれは面白いと思いました。ほとんどの筒状構造がそのようになっていました。
それで沢山の顕微鏡写真を撮ったものです。いつも見えている格子模様をラフと呼んで試験管内でしばしおいてあった時に見えた模様をスムースとよんだものです。
格子の単位が約20%長くなっていてそのおかげで別なタンパク質と思われるものが格子中に加わっているものが小数ながらありました。
わたくしは興奮しました。成熟したウイルスの頭部はスムースの格子に模様によく似ているので、これだ、これこれ、前駆構造が成熟構造になるのを試験管で再現出来たのでは無いかと考えたのです。
最初の数日は頻度が変化こそすれこのスムースな構造は再現出来ました。ラフよりスムースのほうがずっと丈夫で安定なようだったでこれも成熟ウイルスとにていました。
ところが一週間ぐらい経ってから、組織的に実験条件を検討したら、突然というかまったく再現出来なくなりました。まだ若かったものですからこれという対策もなく、しゃかりきにパラメーターを変える実験を繰り返したのですが、やればやるほど駄目でした。非常にがっかりしたものです。理由はわからずじまいでした。
他のプロジェクトを進行させてこの実験は数ヶ月であきらめたものです。試験管内反応実験で最初に味わった挫折でした。
何年かして、この筒状構造体に一部含まれるタンパク質がタンパク質の分解酵素で、その分解酵素によって模様が変わるということがわかってきました。この分解酵素が活性化させるのが難しかったようです。6,7年経ってから筒状構造でなく、ジャイアントウイルスなるものを使うことに京都大学に移ってから成功して成熟反応の一部については詳細な研究ができようになりました。それは誰もがすぐできる再現性の極めて容易な実験でしたので大変喜んだものです。
しかしその初期のラフな筒状構造からのスムースへの試験管内での変換反応は自分の手では再現出来ませんでした。文献をその後追っていないので、ハッキリしたことがわかりません。だれかがある程度成功したとか、しかしそれも誰も再現出来てないとか、そんなことを70年代に聞きましたが分野自体が静かになってしまって、今の状況はわかりません。
何十回もうまくいかない実験は若かったわたくしにはなかなかの失敗感覚が残ったものですが、逆にその実験をやめて方向転換すればすぐ別な問題に夢中になれたものです。
染色体の分離に必須と言われるセパレースと呼ばれるタンパク分解酵素の試験管内の反応も大変難しいようです。タンパク質を純粋にして活性を検出するのが極めて困難なのです。ところが生物種によっては比較的容易ともいわれます。わたくしも一時ラボで試みましたがわれわれの愛用する分裂酵母では実現が難しいようです。タンパク分解酵素はピンキリですがいろんな意味で厄介なものです。

理研のSTAP検証実験の結果についての報告が昨日ありました。小保方氏も丹羽氏も否定的な結論でした。小保方氏は最後まで出来るといっていたのは事実ですが、NHKニュースは随分彼女に対して酷な記者会見画像をこれでもかこれでもかと出していました。彼女の作ったものは万能細胞と言えるようなしろものでは無かったということです。一部緑色には弱く光るようですが。STAP細胞もこれで一段落でしょう。
わたくしも朝日新聞にコメントを求められました。否定面よりは肯定面を言いたかったです。検証実験もわたくしは非常に意義があったと考えています。特別扱いされた研究、検証という特別実験も必要でしょう。われわれの研究はほとんど国費、つまり国民の税金で行われているのですから、わたくしにはこの検証実験は国民にたいしての説明責任でもあったと思います。研究者は研究は密室で行われているので、密室の正義を振りかざす傾向があるのでは。

これで神戸の理研もぜひ一歩前に進んで欲しい。報道も全体としてこの長丁場とてもよくやったとおもっています。日本人の生命科学への理解や関心は増したし、また表だけからだけではみえない裏につながるものもわかったでしょう。飽きずにいろいろな角度からの報道を希望したいです。

またこのような状況でも、それでもなおかつ生命科学研究の世界で一旗揚げたいと希望する若者がぜひいて欲しいとおもいます。

後日談ですが、結局どこにも再現失敗の実験は報告できずででした。しかし撮った何百という電子顕微鏡の写真の濾過像はあまりに美しく見事で、筒状構造の一つとして生理的意義も何も記述せずにこのようなスムースな構造を観察できることもあると論文の中でごく短い記述をしたものです。
でもこの不完全燃焼感は後の研究の原動力にもなったような気がします。あのような興奮をもう一度味わいたいという気持ちが研究に自分を駆り立てたものなのです。

by yanagidamitsuhiro | 2014-12-20 08:07
2014年 12月 15日

わたくしが受けた初等教育

最近何度かわたくしは自分の受けた初等教育(つまり小学校の6年間)が優れたものであることに気がついたことがありました。
戦後史の一つの小さな証言として以下に書いておきたいとおもいます。
どこが優れているか、まず愚かなイデオロギーや過度のしつけや行動の束縛がありませんでした。母親が学校参観にきて活力はあるがあまりの無秩序さにあきれて先生が悪いのか子供が悪いのかどう考えたらいいものやら困っているように見えたものです。
戦争が終わってまだ2年か3年国全体が貧困かつ前途の困難さに足がすくんでいた時代でしょう。
一見無秩序にみえて実際にはそうでもなく、わたくしは国語も、算数も理科も、社会もそして図画工作や体育も力一杯めいっぱい学んだような気がします。
たとえば小学校6年で実社会で働いたとしても使い物になるようなそういう教育も残っていたような気がします。つまり役に立つ(尋常)小学校教育です。
一方で米国占領下でもあり(しかたなく)IQテストとか職業適性検査などもありました。意味もわからず自分は肉体労働でも頭脳労働でもどちらも優れている判定され誇りに思った記憶があります。
クラスは50人を越えているわけですから雑然としているのはとうぜんでした。
そこで99の暗算やそろばんのスピードを競えばトップからビリまで相当な落差があるのはあたりまえです。
でもそれでも教師も生徒も差は差、でもだからどうということはない、という程度の認識でした。東京のはずれ練馬区の畑はトイレのにおいがするようなところでの教育でしたから。
でもそこでわたくしは大人になるのに最低限必要な教育をしっかり学んだものです。度量衡が尺貫法からメートル法に変わる時期ですっかり変換を暗記したわたくしは親から見ても大変役に立つ子供だったとおもいます。
すべてがアナログの機械の時代ですから少年にとってはいくらでも頭脳を使う対象はあり、自分でいうのもなんですが、小学校を卒業した自分はもう社会でも十分働けると思ったものです。
学力的にもいまから見てもどこの国のトップクラスの小学生にも語学以外はひけを取らなかったはずです。
いまから思うと、何か特別な教育があったのか?
何もなかったのだとおもいます。
男性教師の多くは戦地帰りでしたが戦争の話などを聞いたことはなかったし、しゃべっているのも聞いたことはありません。唯一コッペ先生というあだ名の先生が昼の給食前にコッペパンを食べているのを目撃されていてなにか戦争体験と関係があるらしいと聞いた記憶があります。
愛国教育などはされたつもりはまったくありませんが、でもやはり意識下においてされたのだと思います。
敗戦国の未来はこの子たちにすべてかかっていると信じたであろう先生方の気持ちがいつのまにかどこかで伝播したのでしょう。
米国に対して恨みも憎しみも一切植え付けられませんでしたが、でもあこがれも羨望もなかったのは事実です。こういう敗戦後のおとなが虚脱していた時期に、ほったらかされていたようなわれわれはやはり親とその一つ上の世代を見たり影響を受けて育ったのでしょう。
わたくしもいまでも暗算が自分で驚くほど速いのはその頃の教育のおかげなのは間違いありません。
それだから昔の教育が良かったと言っているのではありません。

自然体の全人教育を公立の小学校で6年間、受けたということ、内容的にいまの教育にまったく劣らないと思われるということです。

by yanagidamitsuhiro | 2014-12-15 14:56
2014年 12月 01日

ダメよー、ダメダメ

わたくしはこれしかない、駄目よー駄目、駄目。
これこそ、がことしの流行語大賞になるはず、なるべきと妻に力説しました。
残念ながら発表前にそう書かなかったので後出しとなってしまいました。
でもまあ当然ながら良かったです。なにがか?いや、圧倒的にオリジナルで、かついまの世相に合っていました。

この日本エレキテル連合ですか、変な二人ですが。
このあいだのテレビ番組でいくつか謎がとけました。
白塗りの女性が努力家で不器用らしい、ひげとかしわとかを顔中に塗りたくっている方がコントなどをいくらでもかける才女。しかし、この白塗り顔はそう簡単に作れるものでなく、印刷感が必要つまり極めて平板でないといけないのだそうで。
ことしの2月くらいまでは極貧だったそうです。志村けんを崇拝しているのだそうで。
人気はいつまでも続くかどうかわかりませんが、まちがいなく日本の生み出す笑いのどこか「核」になれる人達です。初心忘れるべからずです。

それでわかったのですが、駄目とは囲碁用語だとか。それは知りませんでした。
囲碁ではもちろん駄目を詰めると言って、アホなことのいの一番ですが、でもそうか囲碁としての使用が初出とは知りませんでした。
駄目よダメダメーとは、無駄よ、無駄無駄とか意味ない意味ない意味ないとかで、否定性は強くありますが、対立とか攻撃性は全然無いのですね。
でもテレビでは若い女性に中年の男性が声をかけて誘ったときの対応の言葉が主流の解釈なのだそうです。ご本人達はいろんな状況で使っていただいて、ありがとうございましたと、言ってます。

by yanagidamitsuhiro | 2014-12-01 23:17