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2015年 03月 29日

英国一家日本を食べる Sushi and beyond

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最近読んだ2冊の本。すごく面白かったので記しておきます。とっくに有名な本だったみたいですが、知りませんでした。こういう方がひとり出てくるだけで、日本を知ろうとする人が非常に増えるのですね。日本のB級グルメとか漫画とか知日という点で大変な貢献です。

These two books I recently read. Very interesting and entertaining. I hope the author (Michael Booth) will continue to write about Japanese food and others. The original English title of the book is Sushi and beyond. Japanese version book title is 'English family eats Japan'. The reason why two books exist is that the first edition cut some chapters. But after the book was well sold, the remaining chapters were published.

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by yanagidamitsuhiro | 2015-03-29 13:41
2015年 03月 18日

大学に行くのをあきらめる日本の若者を減らすことがとても大切

日本では大学に行きたいのにあきらめる若者が実は沢山いる。特に地方に大勢いる、と感じますし、それを裏づける話もよく聞きます。このあたりに着眼して日本の活力を高めることは少子化の時代特に重要でしょう。
お隣の韓国のほうが大学進学率がずっと多いとも聞きます。なぜなのでしょうか。
日本では大学の設置の基準があんがい厳しくて、職業により密着した大学教育というのはあまり考えられてないような気がします。
つまり大学には重々しい印象が与えられているのでしょう。

わたくしが考えるには、一見変で、矛盾しているのですが、米国と欧州の影響が両方でているのでしょうか。
つまり大学4年間のうち前半は教養教育をする。後半で専門教育をする。これは米国的考えのような気がします。しかし、一方で教養課程のおおくは無駄と考える大学教師は日本では昔から多いです。

大学では相当に進んだことをやるので軽い気持ちでは卒業にたどり着けない。これは欧州的かもしれません。欧州では、大学進学率は日本より低いと(昔から)聞いています。いまは知りません。
しかし欧州の沢山の国では大学の教育はタダです。日本とはまったく違います。
向学心にあふれて大学で勉強したい若者があきらめる、特に地方で多い、理由は経費がかかりすぎる。
つまり理系の大学で勉強したい若者がいても地方から大都市にでて4年間勉強するのは経済的に無理と判断するケースは非常に多いと聞くのです。とても残念かつ、悲しいことです。
沖縄では多くの若者が大学進学をあきらめているのではないでしょうか。
日本の大学の多くは、重々しく、かつ経費がかかりすぎる。遠くから見るとそう見えます。
大学教育に関しては首都圏や京阪神、中京などの大都市圏に親が住む子供達が圧倒的に有利という気もします。
しかし、この状況を早く直して行かないと、いけない。
たとえ地方の出身の若者が大学に行けても、そのまま大都市に止まればますます地方は苦しくなる。
いまより悪くなるかもしれません。
どうしたらいいのか、この問題に解答を出すのが今の日本の非常に重要な課題だと思うのです。

大学の進学率を今よりもずっと高める。
重々しくない、軽快かつ楽しく4年を過ごせる、大学をふやす。
授業料を無料にする大学の数を飛躍的に増やす。
具体的には汎用性のたかい実務能力が大学教育で得られ、高められるようにする。
基本的には大学の設置基準のなかの重々しい部分をかなり削減しても大学として十分に認める。
そのために日本の中核的な大学で短期間半年ほどは過ごせるように国がその間の経費を肩代わりすれば地方の若者が、十分に刺激も受けつつかつ経済的に可能な大学卒の資格が得られる。
日本はいまや高等教育は容易に得られる国ではまったくない、ということを最初に認識しないと未来の日本像は描けないと思ってしまうのです。

by yanagidamitsuhiro | 2015-03-18 21:43
2015年 03月 14日

5年間、10年間の感覚

10年という感覚は20台や30台の年齢の頃には非常に長いでしょうが、高齢になれば長さの実感が段々なくなるのかもしれません。時間の物差しがだんだん鈍くなってくるのです。それと時間の記憶がだんだんあやふやになってくるのです。それで10年、すぐたってしまうなんていう言葉がついでてしまいます。
一年間の記憶感がよわくなるのが原因なのでしょう。
わたくしも去年だったか一昨年だったのか、ハッキリ思い出せないことが増えて来ています。
記憶につよく刻むためには手で書くのが一番いいようです。キーボードで書くのはどうも刻まれにくいようです。
ただわたくしには4人の孫達がいまして、具合がいいことに上の二人と下の二人が同学年ずつ、かつ男女なのです。生きた時間経過と成長のバロメータとして会うたびに時の実在を強く感じます。

子達の成長を見ていると、当たり前でしょうが5年や10年の時間経過がどんなに大きいか、強く感じざるをえません。
上の二人は10才になっていますから、このブログを書き出したのは二人が生まれてすぐでした。
下の二人は、いま5才のはずですから、ちょうどいい具合に、10年を二つに分けています。
5才の女の子の孫のほうはもうだいぶ前からしっかりした感じだったのですが、男の子は3月生まれのこともありついこの間までは赤ちゃん的な幼児という思い込み感が強かったのですが、このあいだ妻と孫達の交信を見ていますと、しっかりした少年の顔だちに近づきつつあるのにびっくりしました。
たしか昔の日本、元服は5才(数え?)だったのか。そうなら、しっかりした顔立ちになったでしょう。
この子達にとってのゼロ才からの5年間、10年間の成長とわたくしにとっての5年間、10年間の持つ意味は何が似ていて何が違うのか、すぐ分かるようで実はわからないのです。

成長はいいものだという感覚は、無成長・静止があまりいいものではないということと裏腹だとするまずいのでしょう。
無成長・静止も素晴らしいとおもいます。ただ無成長・静止も新陳代謝はしているのでしょう。
大木がもうほとんど大きくならなくても毎年新芽を出し、新緑の葉を沢山作り無数の小枝を作るのが成長後の人生なら、はやくそういう時期になりたいと思う人も増えるのでは。
どんなに高齢になっても体の一部では成長と細胞の増殖が起こっているようです。高齢者の新規の記憶がどのように生み出され刻みこまれるのか、そろそろ大きな新発見がでてきてもいいのではないでしょうか。

そういえばこの数日、記憶に残るニュースが二つほどありました。
線虫を使ってがん診断ができるらしい。
土星の衛星の中に生命がいてもおかしくない環境があるらしい。

科学の進歩はとまることがないと実感します。

和光市理研の吉田稔さんが学士院受賞のニュースを見ました。彼がまだまだ学生的な感じが抜けてない時期からそばで見ていた一人としてとても嬉しかったでした。

by yanagidamitsuhiro | 2015-03-14 09:26