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2015年 05月 31日

長寿社会の問題について

きょうは五月も最後の日となりました。特別な日ではありませんが、日曜でいますこし時間があるのでなにか書いて見たいとおもいました。何を書きたいかというよりは、なにか若い人に向かって書いて見たいとおもいました。
わたくしが若いときは時代の流れなんて言うものの大半は前の時代と結局は同じようなものだから、ごく一部が変わるのでそこだけ気にしていればいいなどと、簡単に思っていました。それから時代の流れの変化はやはり顕著な現象に依存するので、そこの所を見ていればいいなどとおもっていました。それで当時の学識の高い人達の意見をみて自分の考えも作っていました。ひと言で、わりあい簡単に図式的に未来社会を見ていたような気がします。
しかしこの年になってみると、そのような考えは全くの間違いではないものの、先見の明のない弱い未来予測でしか無かったと思えるのです。
未来社会の予測の問題は基本的に社会科学者や経済学者が担当してわれわれ理系の人間は技術的な変化がいかに社会にインパクトを与えるか、付加的に考えるものなどど安易に考えていました。しかし、地球の規模や環境問題をしっかり考えてそこから得られる考えを基礎に将来を考えねばというのは、私などよりはもうすこし若い世代からはじまったのでしょうか。
わたくしにとって一番の予想外は、人間の長寿化がここまで大きな問題になるとは思わなかったということです。
若い人達にとって長寿の老人は社会の負担でしかないと思われるとおもいます。
いっぽうで65才以上の高齢者が人口の50%を超えたときに社会の維持と未来をどのように考えるのか、近未来と30年50年後の社会はどうなるのか、ハッキリして答えはない今の現状では、未来予測で一番の不安は社会の高齢化ではないでしょうか。
20代の若者にとっては父母の世代ではなく祖父母の世代になります。今の日本だと戦前生まれ昭和一桁近くの祖父母になるのではないでしょうか。だいたい80代前半でしょう。この人達が後10年、もしかすると20年近く生きているとすると、どういう社会になるのか。
なるべく楽観的に考えたいとおもうのですが、どう考えたら楽観的になるのかそのとっかかりがつかめません。国家の財政の破綻がないこと、それだけ高齢者が多くなっても社会の活力がしっかりあるようになって欲しいとおもうのですが。
未曾有という言葉はつかいたくありませんが、高齢化社会が未曾有の問題を突きつけてきたことはたしかです。世界の中でこのような問題で日本が先端社会であることは確かです。
こういう問題に日本の政府の動きは鈍いというかあまり力強い政策があるとも思えません。
われわれが自助の気持ちで考えて行政に働きかけるもしくは社会に働きかけることが大切でしょう。

たぶん最も大切はことは世代を超えた議論をいろんなレベルですることが大切なのでしょう。
若い人達の遠慮の無い発言も聞いて見たいものです。
高齢者は自分のことですから、もちろん真剣ですが、自分のことであるがゆえに近視眼的な考えにおちいりやすい。
たとえば、広告費の膨大なサプリメントや健康系の製品。これらの消費は医薬の金額と変わりないと聞いたことがあります。一方でサプリメントの大半は単なる気休めで効果がほとんど無いと言う意見もあるようです。サプリメントで消費しているお金を別なところに使えないか、という考えはどうか。
この一点だけでも議論始めたら大変かもしれません。しかし消費しているお金は半端でなく大きく、みかけ野放しの広告状態になってるかのようにも見えます。誇大広告とは直ちに思えないのですが。

とりとめも無く書きましたが、次の考えを作るための準備として書いて見ました。

by yanagidamitsuhiro | 2015-05-31 09:54
2015年 05月 27日

早業シール貼り、すごい  Sugoi

5月は連休明け後にオーストリアのウイーンにSMCタンパク質の会合で出かけて、帰ったら日をあけずに香港のいくつかの生命科学系の大学院生の会合で講演をしてきました。彼らの口頭発表やポスターの賞の選定もしてきました。香港はこれまでまったく縁がなく今回がはじめてでした。関係のある研究者もいることはいますが、これが最初で最後の訪問になるかもしれないと思い会合が終わった後についでにマカオにもいきました。大正解でこの日だけ晴れで、かつてのポルトガル統治時代の雰囲気が色濃く残る町の様子も興味深くみました。かの有名なカジノも見るだけですが見物しました。昼でしたが99%は中国からの旅行者のようでした。マカオのカジノ街は中国人の旅行者の異常に近い増大もあり増築につぐ増築だということです。現場をみたら、政治家は導入したがるかもしれないが、止めた方が日本の将来にとってはいいと感じざるをえません。

さて今日の写真ですが、これ行き帰りの2枚のフェリーの切符です。この切符に小さなシールが張ってありますが、座席番号です。座席指定の仕組みは乗客がこの切符を出すと目の前の受付の女性が電光石火の早業で、船全部の座席に付いているシールをはがして乗客の切符に張るのです。台紙についていたシールをはずして乗客の切符に貼り付ける時間は乗客ひとり1秒もかかりません。もしもかかったらものすごい数の乗客をさばけません。しかも台紙は一枚で、女性一人に介添え一人みたいな感じです。
実は行きはフェリー待合室の騒然とした人混みに圧倒されて気が付かなかったのですが、帰りには気が付きました。じっと手もとをみていると、何とも言えない早業と女性の表情がいいというか、なんというか名人ここにいるという感じでした。ちょっと感動しました。
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今の中国まだアナログがすこしだけ残っているようです。こういう作業もそのうち無くなるのでしょう。早業女性の次の職場はどこになるのでしょうか。
かつて日本中にいたバスの車掌さん、揺れる車内で切符を売っていましたがある時期にいなくなりました。彼女たちもどこにいったのか。
激動期の中国、誇りと期待と不安を表情にだした人々が溢れています。香港の人達には歓迎されてないようです。でもわたくしは、そこはかとない親近感をかれらに抱きます。
かつてのわれわれの姿を見ているような気分になるからです。

by yanagidamitsuhiro | 2015-05-27 05:39
2015年 05月 05日

対馬丸 Tsushima-maru

きょうはこどもの日です。孫達もおりますし子供達もいますので家庭行事に参加しますので、ちょっと空いた時間書いておきます。
1944年の沖縄には日本の兵隊が約10万人も集結して、沖縄本島は島民の島では無く軍隊の島になってしまいました。
食料の調達は日に日に困難になり島民そして特に子供達は戦争遂行にとって困る存在になってきました。その結果軍は命令をだして、子供達を疎開させることにしました。
しかし島の周辺には米軍の潜水艦がうようよしていて極めて危険な海域でした。
しかしながら本島の小学生児童のおおくに疎開命令がでて親と子は離れてすむことになりました。
戦争も末期になったのに子供達は「安全な」本州に疎開ということで3艘のの船にのり本土に向かいました。
しかしながら、そのうちのいっそう「対馬丸」は米軍の魚雷が命中して、1500人の人達が命を失いました。
うち約1000人が児童でした。この痛ましくも悲しい話を子供の日に書きたくなるのは、沈没した船から投げ出されて漂流した子供達のなかには数少ないけれども救助された子達がいたことです。
その子達の言葉は生者のみが言えることばであり、とてつもなく貴重なしょうげんです。
この経過と関わった人達、生き延びた人たちのいちぶの証言がこの対馬丸という本にはでています。

いまの沖縄の現状を考えるともう1944年昭和19年に今の沖縄状況の原型ができあがっていてそれは70年以上経ってもあまり変わっていないのことに気づかざるを得ません。

Sorry I do not have time to write an English version.
I want to know when the US navy knew they sank a Japanese ship that carried more than 1000 primary school children.

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by yanagidamitsuhiro | 2015-05-05 08:50
2015年 05月 02日

戦争と憲法を考える

連休、大津に戻り比良の家にある畑仕事で大忙しです。
でも二人でやる作業は思いの外にはかどるもので、土仕事はおわり苗なども大半は植えて、後残す大きな作業はしたの畑の草刈りと鹿よけネットを張ることとその後に里芋を植えることとなりました。

天気もよく温度もすこし暑めですがでも山からの風がすずしく気分爽快です。
明日には子供や孫達もきます。だんだん高学年ともなるとみんな一緒は無理でそれなりの学外活動もあり、これもまた子供の成長にともなう当然の変化です。

安倍首相の米国議会での演説を聞きました。というかテレビで見ました。終わった時間は深夜一時すぎでした。それなりの感慨でみました。
わたくしはやはり米国議会での日本にとっての歴史的な出来事だったという一部識者の意見に近いものを感じています。報道が真っ先に慰安婦謝罪が無かったなどとかき立てるというかついつい書いてしまうという国民を代表する首相に対するねぎらいの気持ちがないことに、本当に不幸なことだとついつい嘆息が出てしまいます。
しかし演説そのものに非常に満足したわけではありません。
だいたい日本の世界の中での立ち位置を考えたら、だれが首相をやっても容易なはずがありません。そもそも米国議会で演説する資格を獲得した安倍首相の政権運営の巧みさを感じます。偉いもんだといいたくなります。中曽根首相も小泉首相も出来なかったことです。

二度目の政権スタートでの安倍首相は「極右」というレッテルを近隣諸国において張られて、オバマ大統領もそれに影響されたのかかなりぎこちない関係しか無かったはずです。
安倍首相の演説は日本語も英語も完全版が読めるようですので、すこし時間をおいて読むことにたぶんよりよい意義があるのでしょう。
首相は米国国民と米国議会人を相手にしゃべったことをまず念頭に置く必要があります。
ただわたくしも人のことは言える資格ありませんが、ひと言首相の英語について言わせてもらうと、どうも子音の発音とイントネーションが聞きづらく感じました。流ちょうなので惜しいです。

さて安定した安倍政権がいよいよ悲願の憲法改正に着手しようとしています。準備は着々と進んでいるようです。改正そのものには国民の多くは賛成がおおいようです。
現憲法が米軍占領下において作られたものであるという歴史的事実は動かしがたいですから、その一点だけでも、自前の憲法を作りたいという希望は当然だし、当然のことでしょう。近隣国の韓国や中国から沢山の意見やノイズがでるでしょうが、それも当然でしょう。
この当然の憲法の作り直しがなぜ戦後70年もかかってもなかなか国民の総意として認められないのか。
とりあえず自前の憲法を持つべきだ、現行の憲法とそっくりでもいいからとりあえず今いる国民が選定した憲法を自前で持つべきだ、という意見に私はもちろん賛成です。
ただそういう意見もついこのあいだまでは発すること自体なかなか大変だったという事情がありました。
わたくしも生まれて4才までは戦争前夜と戦争まっただ中を過ごし、戦後も7年間米軍の占領下にあった時代を過ごしたわけで憲法が自前のもので無い状態でここまで続いたことを最大の屈辱と感じない日本人のノー天気さを愛したいという気持ちと同族嫌悪の感で相半ばする気持ちがあります。

憲法改正派に天佑の幸運は尖閣島事件以後中国が激しい日本憎悪に転じたことで、いまはだいぶ沈静化したものの、この時以来中国に対する日本人の7、8割は潜在的強硬派になってしまったともいえるでしょうか。沖縄にとっての不幸はこの時いらい本土では沖縄がどんなに叫んでも聞こえないふりをする人々が増えてしまいました。沖縄の怒りが沈潜をへて爆発をするかどうか、「爆発」に向けて現知事が行動をしていることは明らかです。
わたくしは沖縄の生活が長くなるにつれ、戦争と憲法を沖縄の目と頭で考える時間も長くなりました。週末にはコンビニに出かけて地元紙をけっこうじっくり読みます。全国紙はネットで十分です。


そろそろ比良のほうに向かう時間なのでここで一度中途休憩にします。下の写真は安倍首相の米国議会での演説時にわたくしのカメラで一枚撮ったものです。積極的平和主義を説明している時のものです。

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by yanagidamitsuhiro | 2015-05-02 10:04