生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2015年 12月 31日

知力の衰えの効用

去年の今頃何を考え書いていたのか気になってみると昨年の12月は以下の4つのエントリーがありました。
日本国の借金について
[ 2014-12-25 16:45 ]
再現できなかった実験ーわたくしの場合
[ 2014-12-20 08:07 ]
わたくしが受けた初等教育
[ 2014-12-15 14:56 ]
ダメよー、ダメダメ
[ 2014-12-01 23:17 ]

斜め読みすると、そうかなるほどと一人で納得してしまいました。二番目と三番目のは書いておいて良かったと感じました。備忘的に。
それで今年ですが、書き忘れたくないことはなにかないかと考えたのですが、ひとつありました。
わたくし自身の知力の老化です。
これはいろいろあっていままだ晩ご飯までにやりたいことがあるので、持ち時間10分として書きます。
まず人の名前が出てこない。不思議なことに5分前に楽々でていた人の名前がなぜかこんりんざいでない。経験的にはあと30分後か明日くらいにはまたでるでしょう。この気まぐれな記憶、圧倒的に人名が多い。誰かと話していて、固有名詞を言わなければいけないのにいまは思い出せていない。ところが土壇場ででることもある。でないこともある。この違いの原因はわかりません。摩訶不思議、実存的な生の不思議です。
論文を書いたりすると、自分の頭が煮詰まってきたことを強く感じることがあります。枚数で一枚二枚分くらい書くと、自分にはなじみのない分野での論文だと煮詰まりかたは相当ひどくなって、読み返しても、そこそこなのか、ぜんぜん駄目なのかわかりません。こういう感覚は年を経るに従って漸増しているようです。どうしようもないので今日は駄目、この書いたのは寝てみないと駄目だな、と無音で独り言です。
そのあとは深夜のことが多いので、テレビの面白そうな番組があれば30分か1時間かみることがあります。寝る時間はですから12時半とか1時とか。
寝る前にもう一度、その日書いた文をよみなおしますが、やはり煮詰まり状態はなんの改善もないみたいです。興味深いのは次の日の朝にもう一度読み返してみると、往々にして新しい発見というよりは、煮詰まりの一部が解決される事に気づきます。解決としてもたいしたものではないのですが、でも煮詰まりに明らかな一部解きほぐしが起こっています。そうそう、とこれも無言でひとりで首をふりながら納得して仕事がやや進んだことに納得します。こういうことが何度も起こって論文ができるというのが最近の経験です。わたくしの創造性はいまやこういう睡眠による新能力を必要としています。
こういう類いの経験は50代60代にはまったくありませんでした。新しい知識にはもっと滑らかに煮詰まりなく対応出来たような気がします。
わたくしは寝てる間にもつれたニューロン回路がすこし解きほぐされたと勝手に思っています。寝てる間も働いている神経細胞に感謝感謝です。
知力が衰えたのでみえてくる、わたくしの頭脳の働きの仕組み、我ながらおもしろいなあ、と思います。
何というのでしょうか、すだれから透けて見えてくるような感じの頭脳の働き具合は、ある意味スピード速く動いていた機械の動きがだんだん遅くなってきたから見える、つまりスローモーション化したことによる自らの理解の進み方なのかもしれません。
これからますます知力は低下するが自分の頭脳の働きを分かって来たことによる、効率化というか自己改革の高まりを考えると、衰え悪くないじゃやないか、けっこうこれからも楽しめそうじゃないかと思ったりするのです。
時間が来ました。
いっぺんプレビューで読み返す時間も必要ですから。

by yanagidamitsuhiro | 2015-12-31 17:05
2015年 12月 29日

日韓関係の著しい改善があれば

年末まで数日になって、日韓の外務大臣が慰安婦問題について画期的な同意をしました。
日経による要約では以下のよう。
日韓、慰安婦問題の「最終解決」で合意(タイトル)
 岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が従軍慰安婦問題をめぐりソウル市内で会談。共同記者会見で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」し、問題の妥結を表明した。「日本国の首相として、改めて心からおわびと反省の気持ちを表明する」とする安倍首相の見解や、元従軍慰安婦を支援する10億円程度の新基金設立、慰安婦を象徴する少女像の扱いなどについても合意した。
朝日の要約では、
慰安婦問題めぐり日韓合意 「最終的かつ不可逆的解決」(タイトル)
日韓両政府は28日、ソウルで外相会談を開き、慰安婦問題を決着させることで合意した。日本政府が軍の関与や政府の責任を認め、元慰安婦支援で韓国政府が新たに設立する財団に日本から10億円を拠出すると表明。日韓双方が、この枠組みを「最終的かつ不可逆的解決」とすることを確認した。
 日韓関係の最大の懸案の一つだった慰安婦問題は、安倍晋三首相と朴槿恵(パククネ)大統領の政治決断により国交正常化50年の節目に決着を迎えた。両国関係は今後、改善に向けて大きく進む可能性がある。

わたくしは率直に喜びたいとおもう。安倍首相の決断によるこの決断が結果おおきな変化と成功をもたらすことに期待したいです。
わたくしが日韓関係に寄与できることなどほとんどないのではありますが、研究の面でなんらかの寄与ができるべく努力することはやぶさかではありません。長いこと研究生活で生きていますので韓国からの研究者も受け入れたこともありますし、何度か訪問して知己もおります。しかし、深い親交をむすぶようなことには残念ながらなっていません。
中国との関係ではずっと深い絆が生まれているのに、より近い韓国とはそうならないことは大変残念でした。なにが足りなかったか、考えるといくつかの要因が考えられます。
何しろ、関係を温めたり熱くするような社会的政治的環境に乏しかったのは間違いなかった。政冷民熱とか言うような言葉を聞いた言葉もありますが、日韓についてはなかなかそうならなかった。
近くてすごい遠い、本当はとても近いのになぜか近くなれない、このようなもどかしさを強く感じます。わたくしの知り合いの研究者にはずっとコンスタントに韓国の留学生を引き受けた方を知っていますので、日韓の研究の絆が一部では強くあることは間違いない。
それが若者レベルでの広がりになかなかならないようです。
わたくしもいまさら大学院生はしんどいのですが、ポスドクならいつでも引き受ける気持ちがあるので、今後の日韓関係が良好になることを見越して韓国の若者が研究をともにしようとやってこないものかと期待したいです。
日本の研究の優れた面を学べば韓国にもどっても相当な意義があるに違いないとおもうのですが。

by yanagidamitsuhiro | 2015-12-29 18:32
2015年 12月 18日

日本の戦後科学の夢をかなえた大村智さん

わたくしがまだ20代の学生の頃、日本人の科学者はいかにあるべきか、議論もしたし考えたものです。当時はやはり左翼系の考えもつよく自国に根ざした科学、もっと恥ずかしながらいえば人民の為の科学などと考えるひとたちもけっこう多かった。一方で科学は個人の努力によって最大限の結果が生まれうる分野で科学者の職業はそういう点とても魅力がある。わたくしなどはどちらかとしては後者の側で、このような方向で成功者になりたいと強く思い願った若者でした。

ことしのノーベル賞医学・生理学賞の大村さん、まさに夢で描いたとおりもしくはそれを遙かに超えるかただったのではないでしょうか。
さらにいえば、大村さんは日本が戦争に敗れて新生日本といわれた時代に始まったあらたな社会が夢見た理想をすべて具現化したようにも見えるのです。
わたくしは大村先生の名前は知っていましたが、極めて残念ながら一度も講演を聞いたことがないのです。さらに人となりさらには業績をほとんど知らなかったのです。
しかし、おかげで大村さんが戦後の科学者が課題としたほとんどすべてを成し遂げたというか、とほうもないレベルで達成していたことを今年知ることになったのです。
外国からのニュースでこの偉大な科学者が日本にいることにわれわれが気づくことになったのです。
なんという喜びと驚きでしょうか。

わたくしはノーベル賞の第一報を聞いて、大村さんが大学を卒業したあと夜間高校の教諭になって東京で働きながら勉強する、若者達とせっすることで自らが大きな刺激をうけ自分も大学院で勉強するぞと、決意したと知りました。自分の先生はこの夜間学校でまなぶ若者達だと。
ほんとにこれにはしびれました。
かつてこのようなセリフを功成り名遂げた日本の科学者の言葉として聞いたことがありません。

しかし考えてみれば新生日本、新生大学の卒業生である大村先生が新生日本の夜間高校の若者達の生きる意欲に発奮して自分も頑張るぞとおもった、これこそがある意味、戦後日本が目指した廃墟から立ち上がる新生日本が目指したもっとも素晴らしい理想とするできごとでは無かったでしょうか。

学者としていかに生きるか、わたくしなどは基礎と応用というような陳腐なレベルで両者を融合した研究もできずにいましたが、大村先生はその問題を軽々と乗り越えてしまったようです。
いま読んでいる本でそのあたりの先生の考えを知りたいと思っています。
先生は250億円の特許料を北里大学に寄付したとのことです。かつて聞いたことが無い巨額です。
そういう日本の科学者がすでにいたことをまったく知りませんでした。
本を読むと、それどころか先生は実に多彩な文化社会活動に膨大な経費をお使いのようです。
科学者が自らなしとげた成果でこのような多大な社会活動と研究への貢献をなしとげる。かつて聞いたことがありません。
でもそのようなことも敗戦にうちひしがれた日本が渇望していた人物とその行為ではないでしょうか。

先生がノーベル賞受賞のためにストックホルムに出かけてからのひと言ひと言にこれまでの授賞者とはずいぶん異なった印象を与える発言を続けているように感じました。
たぶん自ら思うことを率直に正直に言っているだけだったのかもしれません。
時がたてば大村先生の業績の偉大さと人間の大きさはますます理解されていくに違いありません。

日本は敗戦によって特に科学に従事する人々は相当に変わったはずです。帝大から新生大学へ、権威者から普通の人達のやる科学に。
そしてできるだけめざましい成果が生まれることが国と世界の為に望まれたのでした。
大村先生はまさに新生日本の申し子として世界の中に入り、世界の人々に多大な貢献を成し遂げた初めての生命科学者として日本人が心から誇りに思えるまさに永遠の科学者となったのでした。

大村先生の偉大な業績とひととなりを日本中の人々に知らしめたスエーデンのノーベル賞選考委員会に心から感謝したいです。

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by yanagidamitsuhiro | 2015-12-18 17:34
2015年 12月 13日

研究不正をさせないためのラボの条件

とうとう年末になりました。この1年長かったというのが素直な印象でした。
最近はさっぱり研究不正について書くことが無くなりました。
考えてないのではなく、色々想起することはあるのですが、書いて楽しいことはなにもないので。
いろんなひと達と話したりするのですが、どれも複雑な側面が多すぎて一刀両断に論じるには口が重すぎます。

小保方氏事件というかSTAP細胞事件というか、時間が経つにつれて、研究不正行為そのものについての理解が深まったことはないようです。
ただしハッキリしたことはSTAP細胞があるということを示す証拠はない。
なぜあのような論文がでてしまったかについてはおおよその説明があるようですが、確たる説明はない。
小保方氏がどのようなことをしたのかも確たる説明はなされていません。小保方氏がどのような研究不正をしたのか、ここが肝心なところですが、論文などにある不正な画像やデータなどは歴然としていますが、関係研究者を巻き込んだかたちでどのように進行していったのか、よくわかる説明がなされたことはないでしょう。もちろん小保方氏は歴然としたデータ画像における不正については謝罪していますが、それ以外についてはSTAPはできましたと言い続けています。

わたくしは個人的には、このできごとに関連した誰かを責めたいという気持ちになかなかなりません。
誰かが首魁であるとか誰かがほとんどすべての責任を負うべきというふうになれば分かり易いのですが、そういうものではない。誰かが悪いと言えると楽ですが、そういうものではないようです。
STAP細胞という大発見がなされたのではないかと論文発表がなされた時点から色々なできごとが派生してきましたが、ここの派生的社会事象(記者会見、テレビ番組など)について誰かが責任をとることは困難でしょう。
科学発見ドラマとしては、たとえ一瞬でも極上の発見といわれたものが虚偽の論文発表ということになったわけですから、関係者にとっては塗炭の苦しみを生み出したわけです。
笹井さんの自死という悲劇としかいいようのないできごともあり、全体のできごとからなにか将来に向かってポジティブなことをハッキリいうにはまだ時間がかかるとおもいます。
もしも時間がかかって起きるのだとしたら、神戸理研センターに在籍していた若い研究者の中から強靱な精神をもった研究者が輩出することを祈らざるを得ません。またアドミニストレーションレベルで関わった人達からも、今後益々複雑化する研究不正について、この経験を前向きに捕らえる人達が生まれることも願いたいです。

わたくしなどは最初に実際に経験した研究不正が30年も前になります。関係研究者の人柄は今からいえば古典的人間像というのでしょうか、成功者へむけてのインパルスが非常に強い。「犯行的には」単独であるといってもよく、たとえ本人が最後まで認めなくても周囲の暗黙の理解は、目の前に来ている成功のためにはデータ捏造がもっとも手っ取り早い、というものでした。
こういう理解では今起きている色々な研究不正に向かっていけるとはまったく思いません。この一年、いろいろな話を聞くに付け、わたくしのような時代遅れの人間は発言しないのがベストかとおもうばかりです。
ただなかなか外に向かっては聞こえない話を聞く立場でもあるので、以下にごく手短に今後のヒントを書いておきます。
やはり研究不正のできごとの中に責められるべき人物はいる。ただし不正は高度に複雑化している。
ラボの主宰者の中に巧妙に自分の研究者としての成功(研究費獲得、名声)に向かってラボメンバーを利用して公正でない研究をさせている人々がいるらしい。
研究結果ががある方向に向かったもので無ければ受け付けないので、ラボメンバーがボスの意向に沿った結果がでるまで何度も実験を繰り返す。ボスの意向は実際には論文のレフェリーの意見であることも多く、研究不正がレフェリーのコメントによって誘導されうるという意見は真実味がある。
有名ジャーナルに論文がでれば研究費額も学会での発言権ステータスも飛躍的に高まり、また筆頭著者の就職もより容易になる、こういうレベルでの欲求から多くの研究不正が起きうる。
そのためにラボヘッドとラボメンバーの関係が変質してきて、ラボメンバーはヘッドが何を期待しているのか、何を希望しているのか非常に気を使うようになる。
研究不正行為は非常に広汎であり、いま明らかになっているのは稚拙な技術しか無いようなケースだけだという、意見が本当なら非常に困った時代に我々は生きていることになるのかもしれません。
結局、至近距離で一緒に働くラボメンバーの人達が何を感じ何を発言するかも問われる時代に入ってきているようです。
非常に嫌な考えですが、研究者としての成功者は注意深く観察されるという研究社会にならざるを得ない、またラボヘッドとメンバーの関係についても非常に注意深い外部および内部からの眼があるという、文字通り「監視社会」化が進行するのかもしれません。
悪貨は良貨を駆逐するという言葉を思い出します。
しかし日本の研究室が総じて非常によくなるのにはこういう関門を通過して、より成熟した人間関係が出来てくればいいのだとおもいます。
わたくしとしては根本的には非常に楽観的です。というかそう思うことがベストだと思うのです。
我々の研究をサポートする納税者や研究費を直接だす機関の方々には厳しくも、暖かい気持ちで見守りかつ助言をして欲しいです。これ変じゃない、という世間の眼がラボ内にもあるといいのですね。

by yanagidamitsuhiro | 2015-12-13 12:44
2015年 12月 02日

科学はバイタル(vital)

英国ではこのところオズボーンという政治家が現れて基礎研究の庇護者の役を演じているようで、報道記事でよく見かけます。見出ししか見なかったのですが、ここに来てだいぶ英国の科学行政も煮詰まってきていろいろわかるようになってきました。最近の英国基礎研究の予算などはかなり不調のようでして誰に聞いてもさえない話しか聞こえてきません。基礎研究の職を失ったり自発的に辞めたり人々も多く、くらい陰鬱な感じが強かったのです。一方で英国にとっては科学はvitalだという科学者自身の運動も出てきてかなり世間の関心をつかんだようでした。
今朝あたりのニュースではかなりいい線が出てきたようでホッとしたという感想が見出しにでています。詳細はもうすこし時間が経ってから、新聞ではなく知り合いの研究者達から聞こえてくるでしょう。
私がよく知っている研究者やもっと近く自分のラボの出身者の様子なども聞こえてきてそれで実感はつかめるでしょう。
事態は容易ではないのは、研究費だけではなく、若い後継者が消えつつある分野では別な深刻さがあります。わたくし自身は後継者とかこういう問題には楽観的でいっぺん廃ったように見えてもまた誰かが出てくるものだ、と経験的に思っていますが、研究自体を志す若者が減っているのならそれは深刻だとおもいます。英国では研究より金融を目指す若者(特に男性)が増えて、その傾向は日本でも同様のように見受けられるのですがそのあたりが今後の英国の基礎科学にとってどうなのか。そのあたり関心があります。
全体的に俯瞰した状況の理解や今後の政策が必要なことは言うまでもありませんが、なにが将来性があるのか、そもそも将来性とは一体何にとってか?このあたりの疑問符が一番大切と思います。
英国の科学は不死鳥のようにまた羽ばたいて欲しいですが、状況はおもったよりこれまでずっと悪化していたのかもしれません。
行き着くところまできてとうとう英国にとって科学はvitalというsloganが出てきたといっていいのかもしれません。
それに対して日本ではどうなのでしょう。
日本ではここ数年の論文の引用回数とか過去5年間でどれだけ研究費をもらったか、特許申請はしたか、鍵になる研究分野のinnovativeな言葉はなにか、そういうもので研究者の選別や囲い込みが起きて、その様子をわかい人達がじっと見つめているようです。
日本ではこの要因以外には研究不正の問題の影が深くあってなかなか吹っ切れた明るい現場になってこないようです。
わたくしはいまの日本は科学技術はvitalに誰でも賛成しても、科学はvitalかということになれば引っ込む人達もかなり増えるでしょう。
わたくしはいまの日本は研究不正よりはるかに深刻なのが、研究の過度の宣伝だと思います。
日本人の研究者は謙虚にして宣伝しないというのはもはや時代に逆行のようで、まさかというような類いの誇大な表現が横行しているように見えるときがあります。
これは生きるためには仕方ないとみるのか、研究の実力低下を加速させるのではないか、わたくしは後者のほうでかなり心配しています。確信犯的な誇大宣伝はご本人にあまりネガティブでないが、良心的な研究者が自分の心を裏切って宣伝に励めばその罪と結果はひどい、これがわたくし長年の研究生活で得た体験からの言葉です
研究者も時代の子なので、自らをも含めて近未来の日本の科学技術政策でいちばん心配のタネです。

by yanagidamitsuhiro | 2015-12-02 08:21