生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2016年 07月 26日

ある危機感

fund agencyとは研究費を研究者の申請に応えて審査して、目的にかない内容の優れたものの申請者にあたえる機関のことをいいます。我が国では大きなものは国もしくはそれに準ずるものです。米国や英国では民間財団の資金力が強くたとえばがん研究などは英国では民間の財団に著しく負っています。

わたくしが今日こんなタイトルで書こうと思い立ったのは、日本の生命科学関係の研究費はかなり危機的な状況にあり、だれかが意図的に引っ張っていないのに、ある方向にずんずん向かっている。大げさにいえば破滅的な状況かもしれないが、誰かが意図的にしてないがゆえに、批判すべき特定組織があるわけでもなく、研究者がまるで自発的にそういう方向に向かっているかのようで、それがわたくしの危機感を高くしているのです。

研究チームは育てることにより優れた成果を上げることができます。
若い研究者が一人で頑張ってやっていたことが周囲の評価をうけ、研究規模を大きくしてますます成果を上げる。日本はこの部分はまあうまくいっているのです。すこし辛口にいえば若手で目立つ成果を上げる人達がかなりすくないので、funding agencyもこのレベルの研究者を待ち望んでいるからです。
一つ目立った成果を上げると、5年くらいの研究費を得ることができます。うまくいけば次なるステップにいけるかもしれません。
次の段階は目立った研究成果を複数連続的にあげた研究者の段階でこのクラスは大学なら教授になれるはずです。研究費も年間3千万円とか5千万円以上になるでしょう。それぞれの分野で我が国の代表研究者になっているはずです。この層の研究者はいまの日本それほど多くないこともありだいたい手厚く対応される可能性が高いです。少なくとも研究費のラウンドを一回あたり5年として、10年くらいまでは。
このレベルで新顔のリーダーが沢山出て、切磋琢磨が起きることが望ましいに決まっています。
問題は、この層の研究をその後国はどのようにあつかうか確かな方針はどこにもないのです。
40代前半か半ばで高い研究能力と運営遂行能力に達した研究者はどのようになるのか、誰かからはっきりした意見を聞いたことがありません。ある程度の規模に達したラボが研究費を絶たれたらどうなるか、あまり想像したくありません。しかし、いまの日本そういうことが沢山起き出しているのです。
もしかしたら、ラボは見かけ続いているかもしれません。でもほんとうにやりたいことではなくて、研究費を獲得するため、さらにはラボに新顔の学生やポスドクを得るためにプロジェクトが言葉は悪いがねじ曲がるもしくは長い目でみればほとんど無意味な研究の方向に向かっているのかもしれません。
頑固にやりたいプロジェクトを出せばそれは研究費をもらえなくなる。人件費も払えなければ若手研究者家族もろとも放浪せざるを得なくなる。

現今の日本の研究の問題は、国を代表するような研究者たちが長期的な研究費を絶たれて、実質的にラボを閉鎖するかもしくはやってはいけない研究の方向に向かってなんとか延命を図るかの岐路に立たされているのです。
このようなエピソードは少数の研究者しか該当しないと思われる方々もいるでしょう。
しかし、ニュートンもダーウインもファラディーも一人しかいません二人も三人もいらないのです。
国の学問の水準は結局切磋琢磨の最後に残ったごくごく少数の人々によって評価が定まるのです。
ある水準以上に達した研究者たちは自由にやらせることが一番大切
。周囲は羽目を外しすぎたら止めるぐらいでいいのだとおもいます。

研究費を与えるfunding agencyの側は祈るような気持ちで研究費を各研究者に渡しているのでしょう。
有効に使われて素晴らしい成果が生まれることを。
そのお金でまさに無から有が生ずるような成果が生まれるかもしれないのです。
研究者の情熱が非常に高ければ、その可能性は高いのです。
非常に高い水準の研究が多数あって初めて世紀にひとりとかふたりの歴史上の科学者がうまれるのです。
わたくしはいつもそう思っています。

by yanagidamitsuhiro | 2016-07-26 10:49
2016年 07月 25日

妻の日本画個展、京都にて

バナナ、試食しました。びっくりするくらいおいしいです。やはり流通をへないのはおいしいのだとあらためて実感。

昨日日曜は京都寺町御池下がる鳩居堂の隣にある画廊カトー(2階)で妻の日本画個展の搬入と展示準備につきあいました。といっても、わたくしは見るだけです。妻の友人達が何人か駆けつけてきてくれました。

妻の日本画はもう20年たつのだそうですが、ほんとうの初心者から始まったのですし、絵のトレーニングなど皆無でしたからよくここまで来たと感心です。運良く学生時代の友人の紹介で大津市の絵画教室というのでしょうか、そのコスモスというグループに参加させてもらって、折々のグループ展に参加していました。ですから、今回の出品作30点の大半はそのグループで描き続けて来たのです。

毎年の私どもの年賀状は妻の作品の写真でした。誤解されている方もいたようでしたが、わたくしは絵を見ることは好きですが、まったく描きません。わたくしの父親はずっと洋画の静物等を描いていましたので、妻の個展をあの世で聞いたらびっくりするでしょう。

明日から、31日までの会期です(午前11時から午後6時、最終日は午後4時)。
見かけは外交的ですが、やはり専業主婦でしたから、かなり引っ込み思案です。
この一週間は家庭での妻が絵を描き続けてきたひとりの女性として皆さんの前に立つことになります。
妻にも得がたい体験になるでしょう。

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by yanagidamitsuhiro | 2016-07-25 08:24
2016年 07月 19日

バナナ、ちょっと早いのですが収穫

まだ1週間はもしかしたら10日早いのですが、収穫しました。写真の順序一部誤っていますが、許していただいて。
これが初めての南方らしい植物からの収穫です。
一本(と呼ぶのか)ちょっと腐ったのがあってそれがすぐグスグスになって。
食べたらまあなんとかいけそうなので、いろいろスケジュールもあってカットして家の中に入れました。
さていつ頃たべられますか?
首を長くして待っている人達には宅急便で昨日送りました。


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by yanagidamitsuhiro | 2016-07-19 08:51
2016年 07月 09日

草舟でたどる日本人のルーツ

東京の博物館にいる海部さんという研究者のかたたちが、南から沖縄にやってきた、古代人は草船に乗っていたのだろうと推測して実践航海をするという報道を見ました。
木の船を作るために必要な道具がまだ無い時代の航海なので、たぶん堅い貝殻を使って草をきったのではないか、という推論です。
なるほど草船とは、とテレビ番組でみて感心した記憶があります。
海部さん、わたくしの知っている天文学者の海部さんのご子息ではないかとなぜか思った記憶があります。学術会議で会ったことのある海部さんは元気良くはつらつとしゃべるのでご子息ならなるほど、とわたくしが勝手に思ったのかもしれません。

このあいだテレビでたまたまその草船が出ていました。これで台湾から沖縄まで漕いで来るというのです。いそいでパチリと携帯で写真に撮りました。ちゃんと草の舟でたどる日本人の“ルーツ”とたいへん正しく魅力的なタイトルが付いています。
たしか、7月になったらほんとうに漕ぐと聞いた記憶があるのですが、その後記事をみてません。
沖縄の地元紙を読んでないので。見落としがあるかもしれません。


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いまネットで検索したら、
今月12日、当時を想像して作った草の舟でおよそ75キロの航海に挑戦することになりました。

ということですから、三日後に挑戦するようです。台風の後の影響が余りないといいのですが。
成功を祈ります。

by yanagidamitsuhiro | 2016-07-09 18:06
2016年 07月 02日

石垣白保で古代人骨が発見される

石垣島の白保で古代の人々の骨が発見されたというニュース。期待どおりとはいえ、胸が高まります。
新空港の脇のすぐ傍にある、洞窟で何体でしょうか10体くらい見つかったというニュースでした。
やはり生活に関わる付随したものは何も見つからないということなので、埋葬地ではないか、という新聞記事でした。
わたくしはかつて、白保海岸に立ったときに、心が震えるような感覚を覚えました。
こここそ日本人の起源になるような人々が2万年か3万年前にたどり着いたのだろう、と。思い込みかもしれないが、しかし確信に近い感覚でした。
胸の鼓動と頭をかけめぐる感動の高まりが、とうとうわたくしが来るべき場所に来たという感覚を益々確かにしました。
人がひとりもない海岸であったことg感覚をますます確かなものにしたのかもしれません。

100年近く前に柳田国男は沖縄が最古日本人が住んだのではないかとおもい短期住んだこともあり、しかも弟子に遺跡に米の化石がないか確かめるように言いつけていました。

2012年に初めてわたくしが石垣を訪ねた時にこのブログで、以下のように書いています。

昨日で唯一残念なことは、珊瑚で有名な白保の里付近で見たいものは全部見たのに、柳田国男氏の歌碑を見つけられなかったことです。何を彼は歌ったのでしょうか。

そうなのです。歌碑を妻と一緒に随分探したのですが見つかりませんでした。
今回の人骨は空港のそば、島の内陸側ですが、今後発掘がすすめば驚くような発見があるに違いありません。
長期間の保存が可能となった沖縄の地質環境に感謝。
私の古代沖縄人の探索は港川から始まったのですが、最近は興味を持つ人もどんどん増えているようです。
日本と沖縄の未来にとって素晴らしいことです。

by yanagidamitsuhiro | 2016-07-02 21:39