生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2017年 06月 18日

研究不正:起こってしまってからの対応と、起こってからいかに真摯に対応するか

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沖縄への帰りの機内で日経を読んでいましたら、エアーバッグ事故の対応で企業活動が大きく破綻したタカタの記事がでていました。読んでいるうちにこれはまるでわたくしが非常に気にしている研究不正がおこなわれた組織による開示の問題とどこかよく似ていると、強く感じました。

記事の見出しは民事再生法申請へ、とあります。エアーバッグの不具合が米国で問題になってからもう10年も経ち経営陣の拙い対応、責任感の乏しさで迅速にして抜本的な対応が遅かったので、とうとうここにまでの破綻に至ったということが記事からよく読み取れます。

この対応の遅さは現代日本の多くの組織のいまや宿痾の業病とでもいえるようになってます。

なんでこんなに対応が遅いのか。小組織のトップとして40年間やって来て、必要なら当日もしくは翌日に決断をし続けてきたわたくしにはただただ歯がゆいことが多いです。

かつてタカタは安全のシンボルでありバッグを使用したホンダのブランド力もあり優良企業、優良製品のシンボルとも言われたとのことです。

それがなぜここまで転落の経過をたどったのか。それを説明するために、記事の別の見出しは、「タカタ、失われた10年」、そして「甘えの構造、危機意識に蓋」とありました。記事をよめばまあそうですね、ということになりました。

記事のなかでわたくしが特に関心を持ったのは、故障や欠陥を防ぐ努力は企業の責務だが「要諦は起こってしまってからの対応だ」とありました。

そしてもうひとつは「不具合がおこってからいかに真摯に対応するか」だと。

これらの二点が述べられている点です。わたくしも、まさに研究不正が起きてからの対応としてはこの二点がもっとも大切だとおもうのです。これまで知っている正しい対応のケースは、発見したらラボヘッドは迅速に関係者のすべて数百人規模の研究者にことの顛末の詳細をメールなどで書いて送ってます。

研究不正の発見は多く、研究室外に端緒があります。実験が再現できないとか、データの提示自体に不正がある、とかの指摘が外部からなされるのが端緒です。再現できないのは研究不正でなく単に力不足か指摘側の誤解や理解不足もあります。

しかし、研究不正がひとたび明らかなになれば、その対応は研究室の責任者、研究室主宰者が対応するのは当然です。いざという時の対応、この時にラボヘッドの真価は試されるのです。

昔わたくしが知っている不正では、ラボヘッドが不正を確認すると直ちに関係者、研究者や研究組織のトップにも伝えられ、主宰者の謝罪の通知がきたものでした。論文が正しいと思っての研究活動をしないで欲しい申し訳ないという謝罪の通知です。

不正の後始末は、ラボヘッドがやるものでした。殆どのケースはそれですんだものです。研究組織が対応して外部に発表するという最近の日本の多くの場合はわたくしなどの年寄りには想定外の対応です。つまり、ラボヘッドが研究不正をすることはあり得ない、という前提でした。

しかし、いまやかつては考慮外だった、研究不正が主宰者自身によってなされる場合が激増しているようです。

それが真実なら、研究環境において大きな悲劇が起きているとしかいいようがありません。そのようなことが後々起こらないためには、ラボヘッドの推薦者や雇用した時の関係者は組織によって事情調査されるべきです。なぜなら、ラボヘッドの不正は何十年も続く若者達の苦難の未来の原因になるのです。

日本ではこれまでいろいろな研究不正があり、残念ながら研究不正大国といわれても反論できないのが今の実情です。驚くことは、ラボヘッドが不正を実行したケースも聞きます。稀ではありません。

その後の対応にも非常に時間がかかります。タカタについての日経記事を読むと、身内意識や仲間意識が解決を遅れさせているとのことです。組織全体が仲間意識をかき立てるのです。同世代という厄介な仲間意識も日本はたいへん強いです。

わたくしも日本の場合にこの身内、仲間意識が著しく状況の改善を妨げているように思えます。そして多くの驚くべき不正事実が表にでないで隠されたまま事態の終息に向かっているのです。それにたいして関係者というか責任者の多くが深く憂慮しているように殆どみえないのです。


日本の研究不正の特徴は、真相が表に出にくいのです。身内や仲間の不始末はできるだけ隠してやりたい同情したい。罪を軽くしてやりたい。どこの研究機関でも、特にエリートと言われているようなところではなるべく隠したい。具体的人名がでたらたいへん、というような「人権」の枠で研究不正の真実は外部にでないまま終息して、それが次の不正を起こりやすくしているのです。とくにラボヘッドの不正に対して、驚くほどのシンパシーが聞こえるのには唖然とするばかりです。わたくしには犯罪に加担するひとたちの意見にしか聞こえません。

タカタと類似の風土の中で起きているのに、その後の展開はひかなり違ったかたちになってしまう。タカタの場合は米国の基準で対応が厳しくされたのに今の日本では、研究不正は人権の名の下に、仲間意識やそういう類いのもので真相はどこにも出ないでしまうケースが非常に増えています。

過去の失敗に学ばない組織や人々は同じような過ちや場合によってはもっと悪質な不正にさらされていくのです。若い世代に研究不正に対して怒る感情を失った人達が著しく増えているとおもうのは老人のひが目でしょうか。




by yanagidamitsuhiro | 2017-06-18 16:23
2017年 06月 03日

生物物理教室50周年式典

きょうはこれからわたくしがかつて30年ちかくも在籍していた京大理学研究科の50周年式典にいきます。時計台のホールでシンポジウムもあるようです。

わたくし昭和46年ですから19718月に、生物物理教室の教員として採用されました。非常に喜んで、たしか5月くらいから米国から戻って京都で住み始めました。独身だったので身も軽くスーツケース一つで引っ越したようなぐあいです。46年も前で教室もできたのほやほや、建物もあたらしかった。

希望に満ちて新緑のあざやかな東山をみつつ、下宿から歩いて10分農学部グラウンドの傍を通ったのをよく覚えてます。

当時なにが特徴だったのか。生物物理といっても岡田節人先生のように動物発生とか小関さんのように分子遺伝とか学問分野にこだわらない、面白ければいいというのが特徴でしたか。理論物理の寺本英先生の考えが濃厚にあったような気がします。かれがある意味ドンだったのかもしれません。

コントワールという喫茶店があってちょっと年配の先生がおいでになって色々話をする。後から思うとゴシップが多いのですが若者には面白くてゴシップがこんなに面白いのかとは岡田さんから学びました。それから、岡田さんは麻雀がお好きでよくさそわれました。小関さんも好きでしたが、寺本さんは「女波」というお酒を飲む店があってほぼ毎日のように夕方には出勤していなくなりましたのでつきあいはもっぱらそっちに行かないとできませんでしたが。

麻雀をやる時は、後に奈良先端の学長をやった安田国雄さんが岡田さんの指示でしょうか誘いにくるのですが、安田さんは決して遊ぼうとは言わないでドアの向こうでチラッと姿を見せるだけです。ですからこちらも積極意欲をしめさねばならずで、できるときは、「やっさん、やりますよ」と大声で返事します。

そうすると彼はなにも返事せずに姿を消すのですが、それで商談成立で夜は遊べるので急に一生懸命働き出したりして。おもえばよくあそびよく学べでした。女波はちょっと若手には高級でしたので、本蔵(もとくら)というおばちゃんの店によく行ったものでした。雀荘のなまえはたしかさくらと言ったようなきがします。

あの頃、いったいいつ研究の話をしたのか覚えていません。実験のアイデアなどが上手くいったときにひと言、うまくいったとい言うくらいでした。

それでなんか気持ちが十分通じるような時代だったし、人間関係もそうだったと思います。後で時間をかけて何がうまくいったのか知る機会がたっぷりありました。

遊びでよくつきあっていたから、ちょっとした言葉のやりとりでかなり深く互いの学問の状況も理解しあえる。そんな関係があったのでした。

いまから40年以上前の30代の頃のはなしです。

当時は学問は面白ければいい、それにつきていたような気がします。

それと、遊びの中の学問を真剣にやる、真剣ならあそびの中の学問でいいじゃないか、そんな気持ちでした。

そういうのが当時の学問のエッセンスでした。





by yanagidamitsuhiro | 2017-06-03 15:01