2017年 04月 11日

岡田節人さんを偲ぶ

京都に休みに来た一つの理由は、「ときんど」さんつまり岡田節人さんの偲ぶ会に出るつもりでした。一に奥様に会いたい、お顔を拝見してひと言でも二言でも言葉を交わしたい、これがわたくしの強い気持ちでした。それが満たされてとても幸せです。
節人さん、奥様あっての節人さんでした。奥様にあえれば元気な時のときんどさんが芋づる式に記憶のひだから立ち上がってきて、おい柳田さん、どうしとる元気かという、例の声色が聞こえるようです。
しのぶ会ではときんどさんの独演会の録音でも聞けるとかと思っていたのですが、工夫をこらした音楽が流れていて、聞いたことがない曲が沢山、でも岡田先生のウイット溢れたことばでの説明が欲しかったのでしたが、ご子息がそのさわりをすこしやって頂いたので満足です。
壮年期で元気な時組織の長になる前の岡田さんのすぐ傍で日常生活を送っていた時代、なんかあれば昼飯時、お茶のみ時、麻雀の時間帯など、会ってえんえん四方山話をしたものです。
こうやって考えて見ると失った時間はあまりにおおきい。
でも余りある豊穣な時間、ときんどさんの話を聞いたおかげで会話を空想することはできます。
ときんどさんと研究不正のことを話題にしたことはありませんでした。我々が30代、40代の頃、不正事件は日本国内では大変珍しい、たとえあったとしても、表現悪いが実行者は小物(こもの)が多かった。ボスの学説に合うように、ハエの目玉眼を色で塗ったとか笑いはあっても知的というか不正の技や知的に感心するような不正は殆どなかったのでしょう。
今の時代のように有名ジャーナルに毎年論文を発表したり、知名度も高く、大きな賞ももらうような人達が不正を働くなどありえないし、想像できないでした。
ときんどさんだったらなんでそんなことをする、いったいどういう人なんだという疑問が前面にでるでしょう。あんがいこわがりで心づかいをする細やかな方でしたので、一体どんな人、そういう人と喋らねばならぬ羽目におちいったら、どうしようと好奇心はあるもののでもまず誰かの意見を聞いたでしょう。先生は大変な蛇嫌いで、漫画でもぱらぱらめくって蛇が出ないことを確認してから読みだしたと、Yさんが言ってました。
それでこういうことには鈍感で乱暴な気性もある程度所持しているわたくしにたぶんきくでしょう。柳田さん、あの例の噂の御仁、ほんまにやったのか、とたぶん聞かれるでしょう。わたくしがどうもそうらしいですよ、と返事をすると、若い奴をそそのかしたのではないか、とたぶん聞くでしょう。まさか、自ら身の破滅となるようなことを自ら実行などするはずがないと。それで、わたくしが、どうもおそろしいことに自分でやってしまったという噂を聞いたし、それが一番わかりやすい説明みたいといえば、たぶん次から次になんでそんなことをやるのだと沢山質問があったでしょう。恐がりの先生としてはそんなことなどあって欲しくない、と。
頭脳明晰、人間の理解が格別に深いかたでなので、目の前にあの学会講演などで脚光をあびていた御仁がそんな人物であったととは到底信じたくない、そんなおぞましいことはあって欲しくない。先生はやはり上品なかただったな、とおもいます。
不正などする人間を理解出来ないでしょう。たぶん、ひと皮剥けば高名な捏造者も粗雑な人間なら納得するのかもしれません。

こんな想像まったく間違ってるかもしれません。でもわたくしがこの何年間、不正の問題にぶつかったときにあって話したかった人のナンバーワンがときんど先生でした。
おぞましいものにであった時に先生の考えはどう動くか、それを知りたかったです。つまりわたくし自身の感じ方は大丈夫なのか、という不安がいつもありました。
彼とはなすことによりバランスをえたかったのでした。

しかしいくら偲んでも答えはでてきません。しかたないな、もう時は決して戻らない、これも生きるうえでの沢山のことの一つなのでしょう。




# by yanagidamitsuhiro | 2017-04-11 10:33
2017年 03月 29日

わたくしが生命保険をかけない理由

わたくしは生命保険に入りたくないタイプの人間です。
自分で生命保険をかけるときは海外旅行にでる時に掛け捨てのに入るくらいです。あとクレジットカードで交通事故などでの傷害保険とかの自動的なものくらいです。もしかしたら、わたくしが知らないか、忘れているだけでなにか入っているのかもしれません。でもわたくしは、積極的に入りたくないという主義をずっと通してきました。独身の20代だけでなく、30代で結婚してこども3人に恵まれてからもです。生命保険は掛け金が沢山かかって、薄給の大学教員にはたいへんつらい、というのが理由とすると、随分、家庭人間として無責任と思われる気もします。
でもそのかわり、別なことに相当に気を使って生きてきたつもりです。
その第一は、家族皆健康であること。そのために体を鍛えるというか体を動かすことですね。週末忙しいときでもなるべくそのあたりにハイキングなどはよくいったものです。毎日、家族全員と顔をあわせ、顔色の悪い人はいないかそれなりにかなり気をつけて来たつもりです。ただ悟られないようにしていたつもりです。これが、わたくしの第一の保険で、ありふれたものです。
第二は、子供達は将来、ご飯がちゃんと食べていける人間になって欲しい、そためにありとあらゆる時に自分で飯を食ってください、とつたえる。そんな保険的発想です。子供達がいい方悪いですが、安価に育って、逞しく社会でちゃんと生きてほしい、これがわたくしのいちばんの願いでした。主義思想とか教育方針ではなく、そうじゃないと食べていけないくらい国立大学の教員の給料などはまさに薄給だったからです。そういえば昔は月給は封筒の中に入っていました。薄給は実感があったのでした。
幸いなことに子供三人、みな健やかに良くそして強く育ってくれて、社会でちゃんと生きています。なんとありがたいことです。感謝感謝です。おかげで人生で最大の夢だった、わたくしの夢もかなえられました。
この第二の保険がうまくいったので、後はわたくしと妻が元気に健康に生きていく、このことがもちろんこれまでのそしてこれからの関心事です。

これがわたくしの保険にはいらない代わりの考えです。まったくなんにも変哲もありません。わたくしが今や後期高齢者にたどり着きましたのでこんなことを書いてもあまりだれからも叱られないでしょう。
日本の医療制度がしっかりしているので(他国と比べて相対的に)、その上に乗った考えであることはいうまでもないです。また、運良くそうなったと言われるかもしれません。まさに、そうかもしれません。しかし、人生は所詮運でしょう。
だから、たまにはこういうわたくしの生きる上での小さなギャンブルについても書いておいていいでしょう。

 


# by yanagidamitsuhiro | 2017-03-29 07:21
2017年 03月 20日

豊洲市場の安全、安心についての専門家会議と「政治」による判断

朝刊をよんだら豊洲市場について新たな展開があるようなので、昨日書いているのですが、例外として今日も。

ニュースの要旨は、昨日(19)都の専門家会議は、豊洲市場敷地内の地下水から環境基準の最大100倍のベンゼンなどの有害物質が再び検出されたことを公表。複数地点で基準超の有害物質が出た1月公表の暫定値とほぼ同様の結果で、1月の数値が確定した、とのこと。

会議の座長さんは「地上と地下は分けて判断している。地上の観測値に変化はなく、科学的には安全。ただ、(消費者が)安心できるかは専門家会議では判断できず、政治的な課題になる」と話した。ところが、知事さんは「(結果を)非常に重く受け止める。今後どうするかは専門家会議などに判断材料をいただく」と述べた。ベンゼンなどの値が高いことについて、専門家会議は有害物質が突然検出された理由について、都が昨年8月以降に本格稼働させた「地下水管理システム」の影響で、水の流れが変わったことなどを指摘した。(以上引用は朝日より)。いかなる判断材料が今後どこから出るのか、不透明ですね。

この報道をよめば、読者はそれじゃどう決まるのだ、これからどうなるのだと、思うでしょう。せっかちな一部の報道は早くも決断しない知事批判を初めてます。はやく、結論をだすべく態度を鮮明にせよというような感じです。都議選にからめるな、ともテレビのコメントで聞きました。そうでしょうか、絡むに決まってます。東京の報道も人々もせっかち、なのか。

専門家でも当然いろいろ意見があるようです。ベンゼンは地下に封鎖されて問題なし、というのと、(市場で)飲まないし使わないので実害はないが、望ましい環境ではない。豊洲に移転するのが適切かの議論は避けられないと。知事は、安心、安全以外に都民の納得が得られるかと言ってます。

ベンゼンは揮発性で発がん性はもっともたかいグループ。もちろん空気中にあるべき物質ではない。地下にあるのもしみ出して空気中に放出されれば室内であれば芳しくないのはもちろん。ですから、コンクリートでがっちり封鎖してあれば安全だろうと、座長さんが言ったとおりです。

ただ、その封鎖期間は何年何十年何百年?また地中から空気中に絶対漏れてこないか?という疑問がでるでしょう。コンクリートの亀裂や腐食は?東京ガスがフルに稼働した跡地です。石炭の蒸し焼きや原油から容易に大量nベンゼンはできます。ですから、地中には大量のいろんな化合物があるでしょう。でも封鎖してあるのだから、安全、安心とどこまで言い張れるのか?

この問題は原発の安全、安心、信頼とどこか類似していることに気がつくのです。

東京都民にとって、東京電力が福島や新潟で原発を作り電気を大消費地に送る仕組みにおける「安全、安心」の享受は行政が担保したでしょうか?やはり、専門家会議や報道識者集団のような人達が安全だけでなく安心感も提供したはずです。

そもそも地中封鎖は本当に安全でしょうか?どのような天変地異もしくは人災でも封鎖が壊れる可能性は無いでしょうか?かつて原発も安全を疑う人はごく少数だったはずです。しかし、物理学者を主とする一部の専門家は少数だったでしょうが、危険の警鐘をずっと鳴らしたはずです。

ベンゼンやヒ素は検出も容易でしょうし、爆発性でもないので、代替え地があれば検出されてから待避すればいいという議論も当然あるでしょう。

ですから、原発のようにもしものことがあれば、国家が喪失するような想定される事態に比べると遙かに温和な危険性といえます。最近知ったのですが、韓国南部の原発が壊滅的な破損をすると日本の西部南部では数千万の人々が避難せねばならないとかいう予測もあるようです。偏西風の影響で場合によっては放射能の大半が日本に飛来するという予測もあるようです。

きょういまの時点では豊洲についての専門家集団が豊洲は安心、安全だと言って、後は政治がやってくださいというのはあまりにも浅い意見ではないかと個人的には感じます。

やはり、広く専門家の意見を聴取してほしいです。少数意見もぜひ表に出したほうがいいでしょう。事ここに至っては、正直が最善の対策でしょう。ただ、これは今の専門家会議でなく知事があらたな会議を作るのが妥当と思いますが。

さらに一抹の不安があるのは、豊洲の地下に何が潜んでいるのか、完全に明らかになっているのか、です。元副知事さんの百条委員会での証言を聞くと、豊洲の地下のクリーニングはどうもまだ明らかになってない何かが隠されているのではないかという危惧を感じました。いっぺん洗いざらい表にだして、それで判断するのがいいでしょう。知事さん一人にまかせるのは良くないでしょう。

一日電気代500万円とか叫び立てる報道が多いですが、でもここは時間をかけてこの重大な岐路で真剣にかつ公開で論議をするのが大切でしょう。しかし、決めるのは知事かそれとも選挙に間に合えば選挙民が決めるのか。わたくしは、選挙民が決めるのがベターだと思います。



# by yanagidamitsuhiro | 2017-03-20 08:49
2017年 03月 19日

fake news新時代での生き方

fakeニュースという、言葉を聞いたのはトランプ米大統領が記者会見でなだたるマスコミに対してあんたのところはfake newsウソニュースと決めつけているのをテレビで見てというか聞いてからです。その後、fake newsということばは数え切れなくきいています。その間、この言葉はなにか深い実体があり、今の時代を優れて反映すると思うようになりました。
今国会で連日大問題になっている大阪の森友小学校敷地問題、ニュースのソースは多数多方面ですね、大量のニュースが出てきますが、どれが本当でどれがウソかわたくしには判断するのは殆ど不可能です。これほど、混迷したニュースはかつて経験がありません。思い出せる範囲で、ニュースに出てくるひびとは、安倍首相、首相夫人、籠池氏、夫人、子息、稲田防衛大臣、夫、松井大阪知事、橋下前大阪知事、鴻池議員、沢山の財務省関係者、もう止めておきますが、まだまだ登場人物はこれからもいるとのこと。そもそもこの学校は教育勅語を教えるということなどで一部識者がその右翼傾向を批判していたのが、いまや話は多面的になりすぎて収拾がどうなるのか。

そのカオスの中心にfake newsがあるのだとおもいます。今回はfake newsを生み出すかもしれない危険人物に野党の偉い人が自宅に行って色々その後で情報を発信しているので、ますますわかりません。
そのうえ、この間まで籠池氏批判の先頭にいたかたが突然態度を変えて籠池擁護に成り、同時に籠池氏は百万円を首相関係者(たぶん夫人)から寄付をいただいたという、聞いたらそれはfake newsでしょうといいたくなることを大声で叫びだしたのですから、しかもそれが全ての大マスコミで報道されたのですから、驚きました。
このニュースの意義は今は分かりません、政府の発言を聞けば好奇心はわきますが、それほどたいした問題ではないような、気もします。そのことの決着は今週の3月23日の国会でつくのだと聞くと、つくはずもないが、でもあらたなウソとホントのニュースが沢山出るのだろうとおもっています。
ただ、今回国会審議はウソをいうと罰せられるのだそうで、みなさん言葉には気をつけるでしょう。しかし、ウソではなくてもセンセーショナルにことを大げさに言い立てることは可能なので、まあ大マスコミから小マスコミ、それに高級から下級までどこもかしこも言い立てるでしょう。

こんなことをここまでゴチャゴチャ書いて来たのは、こんな感じいまのわたくしが棲息している研究の世界とどこか酷似しているのです。と感じています。

我々の世界では、fake newsは本人はtrue newsと思っているのに後でウソと分かるのと、最初からfake newsと分かっているのに自らの利益のために、fake newsを世に出して自らの知名度を挙げてさらには高名な地位を獲得するためにやります。前者が圧倒的に多く、後者は珍しい、でも分かれば、我々でもそれなりに大騒ぎします。

そんなこと、研究面のウソニュース、ばれたら元も子もないと考えがちですが、最近はfake news事件が多くなって、また大学の中には自らの体面もあり、罰せずにほっておくケースが多くなり、ある意味やりどくという傾向も相当にあります。怖いですが真実の一部です。やりどくが増えるのは極めて問題ですが、ばれると組織全体に累が及ぶので、穏便になりがちです。しかし、体質の悪化になることは間違いありません。

ところがもっと悪辣というか知恵があるというか、天真爛漫というか、そのあたり分からない人もいるのですが、データの改ざんなどで自分が考えるとこうであるに違いないという結論を論文としてだすひとびとも増えているのです。
元々かなりいるのですが、昔は大物がやっていたのが最近は小物がやるので、割合早くばれてしまうのですね。
でもその場合、あまり悪気がないというか、みんなやってるじゃないかという理屈でなんにも反省しない、こういう人々が増えているようです。
このfake newsの出してとfake newsの内容吟味、数が増えると収拾がつきません。しかし、fake newsを出したいという出して世間の耳目を集め、地位を高め世俗的な満足をえたいという誘惑は相当に強い時代です。
fakeなのか、trueなのか、決着がつくのに何年かかればその間にいろいろな経過が起きる、批判者と擁護者が拮抗してくれば、わけが分からなくなる。
日本は、権威者が少数でも大きな声を出すと、もしくは小声でも裏で手を回すと、なかなか素直な展開はしません。
そういう意味あいで、この大阪の予定小学校の顛末を詳しく理解してみたいとは思います。しかし、枝葉が非常に多いので、なかなかシンプルなストリーにならないかもしれません。
学術世界のほうではわたくしも環境改善に微力を尽くしたいとはおもっています。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-03-19 09:57
2017年 03月 11日

東日本の大震災ご6年目の日です

仙台には折々に訪問することがあっても被災地へは長いこといっておりません。
被災地がなかなか正常にもどる気配はないように見受けています。
被害があまりにも大きいのと、また津波に対する対策が巨大過ぎて途方もなく長い時間がかかるのでしょうか。
原発被害地の福島になるともう時間のスケールは非常に長くなるような気がするのですが。
しかし、実は被災地は帰還が可能な地域になっている部分が最近相当に増えているようです。
放射能被曝の度合いは気をつけると相当に低く事実上影響なく生活をすることが可能になっているようです。ただ、専門家の間では議論に差があります。しかし、生活者はどれかを許される中で選択しなければなりません。
日本全国のなかで福島県だけがこのような目にあうのはあまりにひどすぎるとおもうのです。
しかし、こういう問題は誰かと話し合わないと見えてこない部分がおおいのです。そういう人は周囲にはなかなか居ません
わたくしも女川と石巻は確かに行きまして、いかなければ得られないものは得ました。
しかし、これもその後の生活の一部にはなっていなくて、その訪問時が点のようになって記憶に残っているだけです。
幸い今年はあと二回東北にいく機会があるので、見聞と体験の巾を拡げる努力をすることが可能でしょう。ちょっと期待しています。

6年前のブログを今日は久しぶりに読んでびっくりしました。
あの頃は、勢いがあって、元気のよいこと。今と呆れるほどの差があります。

なぜそうなのか、わたくしにとってわかりきった理由があるのですが。
しかし、ここまで差があったのか、と苦い気持ちを持たざるを得ません。
この6年間、沖縄での職場では何があったのか、研究の遂行はいろいろ難しい問題に直面していますが、なんとか出来る。それどころか、我ながら感心するくらいうまくいっている。成果という観点からみれば。

しかし研究の根底にあるべき、精神のもっとも大切な部分は、どうだろう。
わたくしの内面には間違いなくあるのですが、しかしそれは発揮出来ない。

なぜ発揮できないのか、それを納得できるかたちで外に説明出来ないことがこの5年以上の困難な日々の根底にあるのです。





# by yanagidamitsuhiro | 2017-03-11 21:57
2017年 02月 26日

21世紀を日本の歴史から学ぼうとすると

応仁の乱の本、那覇のジュンク堂で購入して読み始めました。
中世という奥深い時代を扱っていますが、著者呉座勇一氏はかなり若いみたいです。
なかなか頭にはいるような予備知識のない話題ですが、しらないことばかりなので面白い。わたくしとしては、ゆっくりまあまあ丁寧に読んでます。
戦乱の時代、やはり分かり易いのは源平とか東西とか二大勢力の間のあらそいですが、この応仁の乱、まず奈良の興福寺でのトラブルから話が始まって、軸には足利将軍がいるのですが、それと各地の貴族や豪族なのか侍大将なのかが争いと葛藤を繰り返していくのでまあいわゆる乱世、かつわかりやすい対立軸がない。また巨大な権力があるわけでもなく、足利将軍の権力も経済力や軍事力を背景にしているのでもなくまさに「権威」のようなものらしい。
当時の状況はいまの世界の様相とどこか似ていますね。
今の世界、わたくしには消化できない状況ですが、はっきりしていることは小競り合いみたいに見えますが、沢山の争いが世界中で起きている印象です。イデオロギーの対立でなく、単純に貧富や宗教、人種の争いとも見えません。
でもこの多種多様な争いがいつか大きな戦乱になるのではないか、というおそれをもっています。
たぶん多くの人達がおなじような感じを持っているのではないでしょうか。
日本も韓国や中国やロシアやそれに米国に対しても火種をもっていて何かをきっかけに大きくなるかもしれない。
国内も、沖縄の新聞を読んでいると絶え間なく大和、ヤマトと本州勢力をひとまとめにする言論が盛んだし、いつなんどき大きな問題になりうるようなことが起きるかもしれません。
ともあれ21世紀の応仁の乱は大変困るので、なにかヒントになるような解決への道筋をみつけたい、そのためには日本史だとこの時代の理解をいっぺんしてみたいと、まあそんな風に考えてます。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-26 18:15
2017年 02月 15日

デービッド・アトキンソン氏の主張 ITに合わせて働き方の改革を

デービッド・アトキンソン氏というかたがいて、気になる方で、この方が何か書いたりしゃべった記事が出たらなるべく読むようにしています。言ってることに納得しているのではかならずしもないのです。いつも最初の7割くらいは頷いて読むのですが、最後の結論あたりでついて行けなくなって、本当かなあ、という??で終わることがおおいのですが。

東洋経済という週刊誌でこの方の最近の主張をのせていました。人物紹介は以下のように書かれています。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。

日本人の生産性がどんどん下がっているということに警鐘を鳴らすと言うよりは、むしろ日本を励まそうとしているのがありありと分かります。日本を応援というか日本の発展を願っているのはまちがいありません。
日本は、潜在能力は高いにもかかわらず、毎年順位が下がっています。同時に貧困化が進み、社会福祉の支出が膨らみ、国の借金も増える一方です。もはや「生産性を上げたからといって幸せになるとは限らない」などと、のんきなことを言っていられる状況ではなくなりました。生産性向上は、日本にとって喫緊の課題です。とこのかたはいってます。
それで特にサービス業が生産性が低いと指摘しています。

それでこの方は以下のように言っています。
日本の1人あたりGDPは3万6434ドルですが、先進国上位15カ国の平均は4万7117ドルでした。その差額1万0683ドルのうち、9824ドル(92%)は、サービス業で説明がつきます。経済における比重が高くなっているのに生産性が非常に低いサービス業は、1990年以降の日本と海外の生産性のギャップ拡大に、最も大きな影響を与えているのです。
あんまり引用しすぎは良くないので、原典に当たって欲しいですが、ここまではわたくしもなんか納得したいしなんか全部納得したいような気がするのです。

今回の主張はもしかしたら最後までずっと納得して読めるかもしれません。
しかし、きょうはここで時間が無くなりました。残りを後で精読しましょう。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-15 18:07
2017年 02月 13日

初心者とどこが違うのか

結局慣れてないことをやりだせば初心者とあまり変わらない、そういうのが率直な印象というか感想というのは最近よくあります。もうすこしベテランのはずだったのに、そんなこともない。
学術というか研究稼業ももう50年以上やってるので、研究については超ベテランと言われても仕方ないのですが、実際にはそんな感じはまったくない。
初心者の感じる難しさとほぼ同じようなことをいつも考えるし、決断が必要になっても初心者のように迷うものです。なまじいろんな事を知っているので迷いだすときりがないものです。
それじゃなにかいいことはないのか。考えているのですが、一つありそうなのはそう簡単にまったく新しい発見などできないということですか。つまり知識の量から無駄な時間をそぎ落とすことができているとおもう。
新規性を追求しても似たような研究はあるものです。ほんとにどこが新規なのか、何度も何度も吟味しているうちにとうとうそれまできづいていなかった新規性にはじめて気づくこともあります。

いま一生懸命やっている問題もそんな感じの問題で、マンネリのように同じことをずっと考えていたのですが、あるときちょっとしたきっかけから新しい側面が見えだしてきました。
初心者とどこがちがうのか、ほとんど違わないのですが、雑念の数が少ないような気がします。
雑念とは期待感とか不安感の類いですが、完全に無くなれば素晴らしいのですが、なかなかそうはいきません。
初心者とちがうのはどんな感情もいちどくらい味わっているので、今度はどれになるのか、なにと何の混ざりになるのかその結末をいつ頃味わえるのか、そういう雑念があることくらいですか。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-02-13 17:38
2017年 01月 30日

富沢純一先生の訃報に接して

富沢純一先生がお亡くなりになったとの報を知りました。
先生にはお世話になりっぱなしでした。
特に学会を発展させるための欧文の学会誌(ジャーナル)が必要だとの、先生の信念と情熱に頼りっきり、その結果とうとうGenes to Cellsという立派なジャーナルの創刊にこぎ着けました。先生が初代編集長をやり多くの編集委員も参加して今日に至っています。わたくしは先生のあとの編集長を拝命しておりますが、学会ジャーナルには苦しい時期ともかさなり投稿数がだんだん減ってくる苦しい時期がありました。最近明るいきざしも現れて、今月はとうとう先生の時代の最盛期の投稿数に近づきつつあるのではと喜んでいた矢先の訃報でした。
君、そんなので喜んじゃ駄目だよと言われそうです。でも報告したかったです。
息の長いジャーナルになるための試行錯誤の時を過ごしたような気がします。

富沢先生をはじめて見たというか、遠くから拝見して、ひとことふたこと言葉を交わさせていただいたのはもう50年も前です。わたくしが大学院を休んだというか止めて欧州に留学する直前でした。富沢先生は同期だったOさんの先生だったので、渡航まえにOさんに会いに行ったときにOさんがわたくしの留学先を紹介してくれたのですが、ああそう、という二言だったとおもいます。
怖そうな先生だなあという印象が強く残りました。実際には先生は気さくな方だというのはそれから何十年か先には分かったのですが、幼児の原体験は残っていて、遠くから拝謁するという感がいつまでも残りました。

いうまでもなく、先生は分子遺伝学・分子生物学の大泰斗でした。
学会で先生の議論を聞けるというのが初期の日本分子生物学会の最大のアトラクションでした。先生の議論は厳しいものだったですが、でも議論はこういう風にもやれるのか、という強い印象を大学院生だったわたくしなどは思ったものです。

先生は若い研究者の育成にも取り組んで育英資金を提供しています。

先生の大きな思想と人柄は時がたつにつれより強く感じられるようになるでしょう。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-30 16:53
2017年 01月 28日

長距離トレイルランナーの鏑木毅さんの食事

昨日の那覇から伊丹への機内でよんだ新聞記事(日経)に世界的なトレイルラン(山岳を長距離走る苛酷なスポーツ)の鏑木毅さんの低糖食という興味深い特集記事がありました。
ゆっくり歩行すればそういうことはありませんが、高速でかつ傾斜の激しい山岳を走り回れば、呼吸も激しくなります。こういうときに体では酸素欠乏にならないように呼吸が激しくなりますね。生命科学的には酸素を大量消費するミトコンドリアという細胞器官がフルに働くわけです。ヘモグロビンやミオグロビンのような酸素供与体ももちろん働きます。肺活動も血液の循環をつかさどる心臓もフルに働くわけです。
この記事では、鏑木さんが食生活を改めるきっかけになったのは米国のトレイルランナーに、彼がレース前にご飯やパスタなどの糖質(炭水化物)をおなかにいっぱいためていたら、あなたまだそんな食事をしているのと、冷笑されたのがきっかけだった、ということです。米国のランナーは糖質に頼らず体脂肪を効率的に燃やしてエネルギーをを得るので、低糖質の食事をしていたのです。
これはちょっと説明がいります。エネルギー効率がいいのは脂肪を燃やせたらいいのですが、糖質をエネルギーをするのに体が慣れていると、糖質ばかりが優先的に利用されて燃料切れしやすい。その点脂肪を燃やせれば効率がよく糖質よりずっと多く保存されている脂肪を使う回路を体内に築いておけば、より長い距離を早い巡航速度で走れる。そういう体を作るには低糖質の食事をして、からだが優先的に糖よりも体脂肪を利用してくれる。
これは鏑木さんによる説明ですが、なかなか含蓄があります。世界的な長距離ランナーが長年にわたって経験してきた言葉ですから、説得力もあります。低糖質であって、決して無糖質ではありません。ご飯でいったら茶碗に半分くらいの糖質をとるのは必要と言ってます(もちろん一日に高エネルギー消費する人にとってです)。
鏑木さんの食事はもう一つの大きな特徴があります。抗酸化作用のつよい食べ物に最大限気を配っています。これらがからだの中で生じる、活性酸素を除去しているのです。その結果血管や筋肉(さらに脳まで)を若々しく保つ(老化を抑制)のです。鏑木さんは低糖生活よりも最初に抗酸化生活に取り組んだといっております。
どんなものが抗酸化食品か、さかな類(さけ、いくら、かに、えび)、リコピンをふくむトマト、すいか、フルーツ、それにカプサンチンを含むピーマン、パプリカ、唐辛子、ブロッコリー、ケールそれにβカロテンを含むニンジン、ほうれん草、モロヘイヤ等を沢山食べるということです。
わたくしは読んでいてなんと理にかなった食事だろうと思いました。つまりこれはエネルギーを効率よくつくるミトコンドリアの体内活性を高める状態の体のコンディションを誘導するために低糖にする、そして低糖で活性化したミトコンドリアが作る大量の酸化物質が組織に傷害を起こすのを抗酸化作用のある食べ物で、防ぐ。
文句のつけようのない素晴らしい食事生活の基本です。

実は研究室では低糖や低窒素源の研究を分裂酵母という微生物を用いてここ10年近く、染色体の研究と並行してやっているのですが、この鏑木さんの食事はわたくしたちの研究がぴったりはまります。
わたくしたちは遺伝子でなんでも説明しようという種類の人間ですので、低糖では耐えられなくなる、低窒素源では生きていけなくなる細胞の遺伝子はなにが欠損しているのか同定しています。低糖でも低窒素源も浮かび上がった遺伝子はそれぞれ100以上ありますが、その話を始めるのは今日は控えましょう。
ただ付加的にすこしだけ一般的説明を加えますと。
細胞は自力でも抗酸化作用のあるものを色々作れるのですが、その働きは低糖になると必要性が飛躍的に高まります。つまり高糖条件なら抗酸化物質の必要性は高くないです。しかし、低糖条件にすると自力で抗酸化物質が増量するのです。しかし、スポーツをする人間の場合は供給する必要があります。それに対して、自分のからだにある脂肪を燃やせるように体をなじませる必要があります。そのために回路が発揮しやすいように体を慣らせる。たぶんここにはまだまだ未知の課題があるに違いありません。低糖にプラスアルファの条件にすると体内脂肪がますます燃えやすくなるのかもしれません。興味深い問題です。
次は抗酸化の食べ物です、人体は我々が教えなくても抗酸化物質を知っていて大事にします。血液循環の過程で一度体外に排出されそうになっても抗酸化物質を再吸収します。体質的に抗酸化物質を再吸収しすぎるとなりたくない病になることもあります。にんげんでしたら、外部から食べ物として抗酸化物質として取り込むことがもっとも賢いに違いありません。その結果老化しないで若々しさが保てるのなら。
ミトコンドリアとは大変効率のよいエネルギーを生み出す細胞器官ですが、残念ながら酸化作用のつよい物質も沢山生み出す。たとえて言えば、高速のスポーツカーが排ガスを沢山出すようなものです。しかし、人間が動物として最高にその肉体を最大限の能力を発揮するにはミトコンドリアの機能が高い必要があるでしょう。人間の肉体を循環する血液に溶けている糖質や脂質の濃度はおもいの他に低いのです。この低濃度の代謝物(メタボライトともいいます)最大限利用して脳も筋肉も血管も肺も肝臓も腎臓もフルにはたらくのがスポーツの世界です。そういう世界で極限を目指す人達の食事はたいへん興味深い問題や課題をたくさん提供するに違いありません。さらにミトコンドリアだけが低糖質にからだを対応させているのではありません。まだまだ沢山の遺伝子がちゃんと働く必要があるのです。低糖になったらちゃんと対応できなくなった体は人間なら糖尿病の患者さんのようなものです。
ですから、スポーツマンの食事、長寿や老化を防ぐ食事のすぐ隣接したところに糖尿病根本原因の解明に関わる問題があるのです。

生命科学ではこのように大きな課題が実は非常にそばにあるのです。



# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-28 17:19
2017年 01月 22日

稀勢の里、19年ぶりの日本人横綱へ

最近はあまり相撲も見なくなったのですが、きょうはぜひともと思ってみました。
稀勢の里、優勝を昨日決めてましたし、周辺はもう横綱へという気運だったようですが、きょうとうとう結びの一番で勝ちました。見応えのある一番でした。
ついに、待ちに待った横綱、19年ぶりの日本人横綱ということで国技館の雰囲気も最高に盛り上がっていたようでした。
琴奨菊、豪栄道と優勝では一歩引けをとった稀勢の里でしたが、昨年の年間最多勝とこの場所での優勝と文句なしの結果となり、めでたしめでたしでした。
わたくしは格段のファンではありませんが、でも好意がもてる、人柄の良さそうな、お相撲さんらしいお相撲さんで好きでした。優勝インタビュー、感涙とともに感謝の言葉をのべていました。
優勝の瞬間、聴衆の多くに涙があったように感じたのですが。
きょうはご両親も国技館にきていました。
お父さんが稀勢の里そっくりなのに当然ながらびっくり。そっくりというのは見た目もありますが、雰囲気というか佇まいですね。ホントにそっくりでした。
これで大相撲人気ますます高まるでしょう。ここまで場所を盛り上げてきた、モンゴル勢のとくに白鳳の貢献は大きい。

わたくしも小学校の頃に相撲を習ったことがありました。土俵を作って、少年達を快く家に招いて、教えてくれたあのおじさんはどういう人だったのか。家から歩いて10分くらいのお宅でしたが。
わたくしが体験で知っている唯一の格闘技ですが、裸の体と体がぶつかる格闘のきもちよさは今も忘れられません。
練習の終わったあとに風呂に入りなさいと言われて入った記憶があるのですが。あの親切なかたはどういうつもりだったのか。
戦後、格闘技が小学校教育で進駐軍によって禁止されていたので、憂えて子供達に格闘のおもしろさを教えてくれたのかもしれません。
そうだとすると、その気持ちは十分にわたくしにも伝わったとおもいます。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-22 18:22
2017年 01月 16日

篠田桃紅さんの頭脳

篠田桃紅さんの本、「人生は一本の線」を読みました。104歳美術家、珠玉の作品集とあります。
本の終わりに、若い人へと呼びかけて以下のような文章が続きます。

わたくしは、正真正銘の老いを感じています。
老いた・・・・。
老いに老いました。もうこれ以上、老いようのないところまで老いたのですから、もうあとはは死ぬしかない。
老いに老いた以上、もう先はないのですから・・・・・。
これ以上、老いるというのは、一体、どこまで老いることができるのでしょう。
少しずつ、出来ないことが増えて、しまいにはなにも出来なくなる。それで死ぬのね、きっと(笑)。
こんなに長生きするとは、自分でも思っていませんでしたから、こうして老いる、ということの実体を、正真正銘リアルな老いを、しみじみと味わっています。
そして、すこしは若い人に伝えておいたほうがいいかなと思って、あなたに伝えています。

このあと非常に興味深い文章ですが、8ページも続きますので残念ながら、引用はここでやめます。

ここまで読まれてどう思われますか?
わたくしは素直な人間なので篠田さんは心から自分は老いたと実感され、これ以上はもう老いることは出来ないと書かれたのでしょう。
でもこの文章は老いているでしょうか。
この本では、見事な筆致で自分の書きたいことをかいています。
氏の心のありようは若々しくみずみずしい。
どうも氏は精神と肉体は関係はあるものの、体はどんなに老いても精神というか心はほとんど老いずに生きていけるとおもわれているようです。

104歳のかたの証言です。文章という証拠によって、証言しています。科学は、老化の科学はこれを容易に説明できるでしょうか。この文章は頭脳の老化と、他の部分の肉体では老化はかなり異なることをしめす証拠かもしれません。

氏は以下のようなことも書かれています。
歳をとった人が、心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔したい。後悔することで魂が休まる、と。
中原中也の詩を掲げて、なんていい詩だろう、歳をとった人の心境を的確に表現していて、彼は天才ですね、と述懐されています。
書かれていることが新鮮で生々しく、こういうことを氏の年齢で書けるのならわたくしもこういう風に年をとって見たいと正直思いました。

今日はこういうことを書きたかったのでなく、心や精神や思考のための頭脳活動の老いかたというのはどういうものなのだろうという素直な疑問を書きたかったのです。疑問を書けばそれで目的は達します。

篠田氏の肉体は氏が言うように老いたかもしれないが、この文章から判断する魂をもった心、そして思考能力はまったく若々しい。特殊な個人としても、どこに体の老化との差の実感が生まれてくるのだろう。

わたくしのように人生のほとんどすべてを、どんな摩訶不思議な生命現象もすべて分子の言葉で説明できると確信して来た人間にとっていかなるmoleculeが関わってこの精神の若々しさが保たれるのか、調べて見たい、と思うのです。こういうことを考える時には一瞬、若かったらいいのに、と思います。

でも、いまならそれを調べるすべをごく一部なりとも手中にしてきたと思いだしているのですが。

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# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-16 22:24
2017年 01月 08日

佐伯啓思氏の退位問題に思う 天皇制と民主主義の矛盾(朝日新聞)

1月6日に朝日で読んだ佐伯氏の天皇退位問題についての意見(http://www.asahi.com/articles/DA3S12734747.html)を読んで安心しました。
わたくし自身がもやもやとしながらも退位問題について考えていたことを明解に明らかにしてくれていて、これぞ有識者の意見と感心しました。氏に本当に感謝したいです。これでわたくしの持っていた違和感は説明されて佐伯氏の提起しているかたちで議論が進むことを期待したい、といえます。
詳しく紹介する余裕はありませんし、拙いやりかたで紹介をするよりは実際に読んでもらって佐伯氏の考えを理解してもらうのがベストとおもいます。
ポイントは天皇の神格化にありまして、氏がいうように’明治国家は西洋型の立憲君主制を模倣しつつ、他方では、あくまで天皇に対し「神聖にして侵すべからざる」存在としての神格を与えたからである。天皇は、立憲主義の範囲におさまる部分とそれを超え出た部分の二重性をもっていた。’氏はさらに続けて、’これは一種の矛盾であり、その矛盾が統帥権の独立などという形で現れもした。では、戦後はどうか。天皇の神格性を否定し、英国型の立憲君主制の枠の中に収め、さらに、いっさいの政治的行為から切り離した。戦後日本の「国のかたち」は、象徴天皇による形式上の立憲君主制であり、実体上は民主主義(国民主権)ということになろう。あくまで民主主義によって支えられる天皇制(君主制)ということになった。’
’ところが、話はそう簡単ではない。憲法にはまた、皇位は世襲であり、皇室典範にしたがって継承される、とある。つまり、日本国、および日本国民の統合の象徴としての天皇は、単なる王家の一族でもなければ、単なる制度でもなく、日本の歴史の持続性、国民統合の継続性を示すものとされている。それが、皇位は世襲される、ということの意味であろう。
 すると、ここで天皇の神格性は否定されているものの、また別の問題が発生する。皇位を世襲するという国民統合の歴史的継続性を示す原理と、国民主権の民主主義は決定的なところで齟齬(そご)をきたすのではないか、というやっかいな問題がでてくるのだ。’

ここから先は氏の書かれたものを直接読まれて頂くといいとおもいます。
問題は非常に深い。日本独自の文化・社会的な存在を今後も存続、継承するにはどうしたらよいのか、天皇制に限らないすべての日本独自の文化の継承に関わる問題になるとおもうのです。
日本の継承を考えるうえで非常に示唆に富むとおもうのです。
日本社会自身がこの問題をくわしく考え議論するなら、世界の中での日本の立ち位置におりおりに違和感や疑問を感じることが、実際には当然だし、これからも日本独自で発展してきた種々の文化の維持にも役立つに違いありません。
外国の人達が日本に来てえもいわれぬ安心感を感じたるするのも自然、神、人が融合して続く日本文化が探せばまだまだ沢山あることに気づくからでしょうか。天皇が庶民にしたしまれかつ尊崇されるのも、自然、神、人々を存続させる主たる象徴的な存在であることを認めているからでしょうか。
この最後のあたりは文章にすると違和感を感じる人々もたくさんいることは分かっていますが、しかし何かを言わなければ天皇の現人神的要素は将来消えてしまうかもしれません。
しかし一方で天皇の「人権」は最大限に尊重すべきです。
未来に向かっての賢い解決策を有識者達に見いだして欲しいものです。日本社会が築いてきた里山のような自然文化の存続が危機に至らなければこのような問題の解決策はおのずとあるだろうとわたくしは信じています。

# by yanagidamitsuhiro | 2017-01-08 17:22
2016年 12月 30日

わたくしなりの元年へ

来年の世界、そして日本はどうなるのか、多くのひとびとが話題にしてます。
わたくしもちょっとこれに参加してなにか書いておきたい気持ちです。ここのところブログはさぼってました。忙しいこともありますが、書き出すとついバナナのことも書きたくなるので自制してました。今年は自家製バナナのおいしさに目覚めたバナナ開眼の年でありました。

基盤の安定した安倍政権もあり、日本社会はおちついた雰囲気ではないでしょうか。極東情勢的には韓国の大統領の置かれた状況や、中国の南沙諸島などへの進出の様子を見ると安心しきれないし、トランプ次期大統領の対中国政策も強硬にもみえる一方で融和的な可能性も残るので、はっきりしません。それで、国際情勢的には不安の年越しになるのではないでしょうか。しかし、安倍首相の真珠湾訪問は日米の政治的懸案条項の大きいのをすませました。これから、安倍政権は対中国、対韓国との関係改善にむけていかなる策をだしていくのか。民主党や野党側がいい策を持っている気配はないので、また自民党に安倍政権以外に期待される首相候補がいない以上、まだまだ5年くらいやってもらってかまわないというのが日本国民の50%程度の平均的感覚ではないでしょうか。安倍政権のおかげで政治にはらはらドキドキ、危なくてみておれないといういっときの感じがなくなりました。
しかし、安倍政権の基盤はなんといっても経済政策でしょう。社会の一部で不満はもちろんあるでしょうが、社会不安が明確になるような経済情勢はもうかなり長い間ありません。貧富の格差は広がるという言葉は本当かもしれないのですが、一方で収入的には全国最低クラスと言われる、沖縄での経済状況は悪くはまったく見えません。旅行訪問者の数も増え、地方空港のはずの那覇の空港の混雑には折々に驚きます。まあまあの経済状態がもうずいぶん続いているというのが沖縄とおりおりに関西を往復する人間の実感です。

経済のひずみが教育に及んでいるという意見にはうなずけます。今の日本では、子供が貧しい環境で教育を受けると親と同じように成人しても貧しくなる、という意見が本当ならこれは最も深刻な問題であるに違いありません。本当なら、手遅れにならないうちに政治のレベルでの救済が、かなり強力な救済が必要だと信じます。教育が大学や大学院レベルまで貧しくなっているのなら、長期にわたるマイナス効果、人材の枯渇現象が出ないうちに早く手をつけないといけないでしょう。

わたくしは、日本の最大の問題、一方で日本を最高に救済し発展する可能性を持っているのが、人口問題への正しい対応と最大限の健康老化への努力の2つだと信じてます。この2つの問題で成功すれば、次の50年から70年くらいは日本は国家として安泰だと思います。
一方でこの2つで失敗すると、長期間で低迷し他の多くの国々に追い越されて行くに違いありません。わたくしは今の日本人、とくに熟年以降の人々はこれらの問題の大きさと深さを予感し不安を感じているとおもうのです。この世代がまだまだ元気なうちに日本人の英知を総動員して、日本社会を作って維持していくことが最大の課題だろうとおもいます。この世代の多くはもはや年金世代にもはいってますが、でもまだまだ10年20年生きるのですから社会参加を出来るだけしてもらうべきです。

1941年に無謀だがしかし明治以降の国の趨勢からみて必然的な戦争になり、1945年に未曾有の大敗戦を喫して70年が経過した今の日本をみれば、日本の民は本当に偉かった、わたくしたちの父母、祖父母は本当に立派だった、そしてわたくしたちもそしていまの60才になろうとする人々たちよくここまで努力し働いて来たといえるに違いありません。

しかし、人口減少問題と健康老化の2つの問題は日本人日本社会にとって新規の問題ですから、しかもひたすら一生懸命はたらくという国民的な得意技でなく、ありと余るように一見見える「時間」を浪費したら、取り返しのつかない状況がやってくるとおもいます。社会不安に満ちた貧しい日本の時代の到来がくるのかもしれません。これは何がなんでも阻止しないといけません。

そういう時代はかつての日本にあったのか、昔そういうことを青二才のわたくしが当時の有識者に聞くと、「応仁の乱だ」と聞きました。ちょっと勉強しないと、応仁のの乱がどういう時代かどうしてそうなったのか分かりません。そういう貧しく社会不安に満ちた時代になるのでなく、発展的かつ融和的な日本をまだまだ70年くらい続けるためにどうしたらいいのか。
そうならないためにわたくしも微力ながらお役に立ちたいと願っています。
そのためのわたくしなりの決意の元年を2017年としたいです。

末尾に正月にも咲き誇る沖縄原産紫色のブーゲンビリアの花と、家庭の安寧のシンボル柑橘(比良の家で)の2つの写真を掲げておきます。

良いお年を!

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-12-30 12:17
2016年 12月 14日

カジノ論議のまえに

参議院でいわゆるカジノ法案が可決されたとのことです。統合型リゾートIRという休暇的な場所にカジノがあるというイメージでリゾートのほうで賛成している議員もかなりいるのかもしれません。
カジノと聞くと、これまではわたくしはパチンコをどこか類似したものとして思い浮かべました。これからは、かつて見たことがある外国の正統カジノ、メルボルンだったかそして香港の隣町マカオのカジノを思い浮かべることになるのでしょうか。しかし、行ったもののどちらでも何もしなかったので、ということでカジノ経験ゼロですので何も言えません。ただ場内の雰囲気はすこし憶えてます。健全そうな高齢者ばかりで面白そうには見えませんでした。高額を賭ける人達はたぶん別室でするのでしょう。
若ければいっぺんくらいやって見たくなったかもしれませんが、ルールも分からないのでたぶんやる気はおこらなかったとおもいます。マカオでは巨大なカジノビルが沢山建っていて、その一つの中を見学したのですが、ほとんど中国人でした。
日本ではどうなるか、それなりにお客が集まって、それなりに賭博中毒者を生み出すにちがいありません。だからといって、まだ一つもできてないカジノを責めても仕方ないでしょう。
それよりもパチンコ店にもっともっと社会は関心を持った方がいいでしょう。
わたくしが沖縄で住むところは村ですから、というかパチンコ店はありません。隣町の石川というかつて独立の市でいまはうるま市の一部に愛好家はいきます。伝聞なのでいくそうですと言っておきます。
小さな町ですが、パチンコ店はなんと三つもあります。中に入ったことはありませんが、駐車場の車の台数をみたら週末は朝から相当数の車がいます。
タクシーの運転手さんの情報しかありませんが、恩納村からもバスとタクシーを乗り継いでいくひとがかなりいるそうです。沖縄の自動車運転率は極めて高いので、人気が高いことが理解出来ます。
石川にはもうひとつギャンブルでは闘牛があります。一度みたいと思っていますが機会がありません。
ギャンブルの部分は隠れた部分ですが、でも相当に大きな金額が全国(?)からのマニアファンによって動くのだそうです。
それで石川のパチンコですが、これもタクシーの運転手さんの情報ですが、相当数の人が大金を失って、「おうちが無くなる」かたもかなりいるとか。真相は報道では出ませんから分かりませんが、競馬も競輪もない土地柄なので賭博にのめり込みやすく、パチンコにものめり込むとそこまでいってしまう人が多いのかもしれません。なおパチンコを賭博といってはいけないことはわたくしも承知してます。でも短時間で相当額のお金を射倖性のたかい機械で失うゲームで中毒になるひとがいることはまちがいないです。法的には健全娯楽の範疇なのでしょうが。

全国パチンコ店で消費される金額は、年間どれくらいなのか、いまネットで調べるとかつては30兆円で、いまは18兆円だそうです。今でもすごい額ですが、かつてからは激減したのだそうです。今やスマホでもゲームで遊べるので、たぶん今後もますます減るでしょう。日本のカジノ推進者はどのあたりを目指しているのか。
そしてパチンコを楽しむ人はたくさんいるに違いありませんが、楽しみと損失や苦しむをきちんと精査する作業が社会の中で行われているのでしょうか。
カジノ論議や法案を通す前に、パチンコ産業の行く末とパチンコの娯楽性と賭博性の両方をぜひ論じて欲しかったです。かつては3千万人の日本人がおりおりにパチンコをしたのだそうです。
沖縄で見ると、パチンコはまだまだ大隆盛です。
そういえば隣県の鹿児島もパチンコ店、とてつもなく巨大なパチンコ店が沢山見られました。地方ほど多いのでしょうか。

中国からの旅行者がパチンコに興味を示したとはまだ聞いていません。
いまの日本をシャープな目で見ている彼らの意見もぜひ聞いて見たいものです。

# by yanagidamitsuhiro | 2016-12-14 23:13
2016年 11月 21日

港川人の釣り針について

週末に那覇に出て県立博物館で開催されていた「港川人の時代とその後」琉球弧をめぐる人類史の起源と展開を見てきました。感想はやや複雑で、というのは展示物が非常に多くて、教育的ではありましたが、焦点が定まりにくいのです。
目玉の展示物、2万年前の「釣り針」を楽しみにしていました。たしかにびっくりするような綺麗なものでじっと見ていますと、男性おふたりがそばに来て、これか、論争になるのも無理ないかな、というふうに話していました。どういう意味かと、聞きますとこれは人工物でなくて貝だか骨だか、自然物というものである可能性を主張する方もいるようなのです。
この展覧会は始まったばかりで、実物を見てからの意見ではないかと思います。
わたくしも見事なかたちではあるものの、針糸を通す穴があってもいい部分が折れているので惜しいなと思っていましたので、なるほどと思いました。穴があれば100%人工物でしょうが、穴がないのでまだ未確定というのが一つの取れる態度かもしれないと思いました。
いずれにせよ1.5万から2.5万年の大昔に港川やサキタリ洞には古代人がいたことは間違いないし、かれらが日々何かを食べていたことも確かなので、魚を釣るための道具があっても不思議はない。しかしこの目の前にある釣り針がそのために古代人が作ったのか利用したのかはもうすこし時が経たないと、確定しない、そういうふうに理解しました。
釣り針の写真はあとでペーストしておくことにします。

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下にネットにあった釣り針の写真と港川人の想像図を掲げておきます。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-21 15:40
2016年 11月 17日

バナナ12キログラム

このあいだ京都の高校に行った時に「先生はブログにバナナのことしか書かないのですか?」と言われてしまいました。
その通りです。今のところ。
それで続きなのですが。今朝収穫した一本というのか、ひとかたまりは重さを量ったら12キロありました。非常に重い。
なんかかなりの充実感があります。
それだけですが。
妻は宅急便で子供達(孫達)に送ると張り切ってます。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-17 11:38
2016年 11月 12日

京都市立 西京高校生たちと交流

昨日は京都市の御池西大路にある西京高校で講義をする機会がありました。2年ほど前に滋賀県の安曇川高校で講義をして以来、高校生に会う貴重な機会です。この西京高校には中学校も併設されているのだそうで、生徒の相当数は6年制になるようです。
ぜひやって欲しいという話をもってきたFさんの要望もあり、わたくしの研究内容よりはむしろいかにして自分が生命科学を研究するようになったかを主にはなしてみました。
周囲には高校生はひとりもいないので、まともにコミュニケーションできるかどうか、たいへ心もとなかったのですが、まあ無事に終われたことは以下の講演後の写真を見て頂ければおわかり出来るでしょうか。
講義で使用したスライドも2枚ほどだしておきましょうか。

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わたくしとしては今どきの高校生とはどんな若者達かなにか得るものはあるか、ということで講義の後の質問というか応答をたのしみにしてましたが、思いの外に率直な意見や感想を聞かれてほんとうに興味深く感じました。
仲間達が大勢いるなかで自分のなかにある真剣かつ率直な感想などはなかなか言えるものではありません。えらいなあ、と思いました。
彼らがいかにして生きるか真剣に考えていることがありありとわかって、もっといろいろ意見を交換したらわたくしにも非常に有意義だろうなと想えました。ほぼ2時間くらいの最近ではやったことのない長さだったので疲れて、終わりにしてもらいましたが。

短い交流でしたが、わたくしなどの世代とはなにか確実に違うという、印象も持ちました。
その場での印象ですがわたくしなどはやはり生きるということについて、雑にというか直感的かつおおざっぱにかんがえていて、男はなんとか、という博徒的な思考が色濃くありました。
今の若者にはそういうところは微塵もないことを強く感じました。彼らの方が今いきることに集中してこだわるのだろうな、と思った次第。わたくしなどは、これが駄目ならあれが、という調子でいた。
生きる目標にしつこくなったのは随分年をとってからです。

ともあれ無事に終わりました。この年でも高校生とまだまだ交流できそうでう。
西京高校のホームぺーじにいったら、赤崎先生の講演会もあったことを知りました。また本庶先生の京都賞の記事も載っており、親しい先生がたおふたりも既に関わっていることを知りました。
スーパーグローバルハイスクールということのようですが、人材を作るには学術の世界では30年くらいかかるというわたくしの持論からすればこれからもこのような良き校風を長く維持してもらいたいです。

もう一枚沢山の高校生をお見せしましょう。

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# by yanagidamitsuhiro | 2016-11-12 16:14