生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 04月 15日

動原体の研究について

動原体と聞いてなにかわかったら、かなり染色体のことは知ってる人です。
ヒトの染色体はペンチのようにX字型に見ることができますが、動原体はこの交叉する場所をいうのです。この部分は、染色体が分かれる時に微小管というものが付いてびっぱる部位となりますので、染色体を親の細胞から、子の細胞に分離分配するときにたいへん大事な部位なのです。
c0075365_16522156.jpg 左に図を示しました。遺伝子が沢山あるところは腕部といい、動原体には遺伝子はなく、もっぱら分離分配の用途にあると考えられているのです。DNAは、腕部でも動原体でもコイルのように巻かれてたたみこまれているのです。
わたくし達が、この動原体そのものに興味をもって本当に研究を始めたのは1983年頃でしょうか、20年以上前でした。できるだけ簡単な動原体を調べようと思っていたのですが、その当時もう既にパン酵母を使って重要な研究がなされ1980年には発表されていました。専門家なら誰でも知ってる米国のかたで、JC博士です。この方奥さんのLC博士とともに、見事な実験でパン酵母の動原体DNAを発見し、これを用いて人工染色体の作成に成功していました。面白いことに、DNAの非常に短い断片でも動原体の働きがありました。DNAの長さの単位でわずか数百塩基対で十分でした。高等な生物はいざしらず、簡単な菌類(カビです)ではそんな短いDNA断片があれば十分に動原体活性があるのか、とわたくしなどは半分拍子抜けしたものです。
その頃、私どもは分裂酵母という別な菌類を用いてましたので、たぶんJC博士が用いたのと、同じような方法でやれば人工染色体ができるだろうと、わりあい気軽な気持ちで分裂酵母の動原体DNA分離の研究に着手したのでした。まさか、何年も続くヘビーな研究の幕開けとは、思いもよりませんでした。

この研究を実際に始めたのは、当時博士課程の大学院学生だったNY助教授でした。彼は体育会ボート部出身で、だからというわけではないのですが、無敵な頑張り能力を発揮していました。しかし、わりあいあっさりいけるとおもったのに、どうもそうではない、何か非常に難しそうではないか、という感触のデータがぞろぞろ出てきます。染色体ウオーキング法という技術で尺取り虫のように腕部から動原体の方向にDNAレベルで向かっていくと、ぞろぞろと反復DNA配列が出てきました。まるで高等生物のように反復配列をたくさん持った動原体なのではないか、という疑念がわいてきます。でもパン酵母はあんなに簡単なのだから、われわれのは何か、つまらない困難さにぶつかっただけにすぎないのかもしれませんでした。当時研究室のスタッフだった今は千葉にある研究所の部長をしているNOさんはその頃分裂酵母で人工染色体の作成に成功しました。彼の方法は放射線の効果で、腕部の大半を両側からばっさり切り落としたものでした。ですから、人工染色体は作れる、でもクローニングできるほど短いDNA断片としては動原体は分離できない。このあたりの研究は結局1986年に論文として公表したのですが、確かその年だったと思うのですが、論文を書き始めた頃に、米国の学会に呼ばれ、そこでJC, LCご夫妻の話を聞く機会がありました。
わたくしはその時は研究室でのまったく別な内容の研究成果を話したのですが、お二人の話を聞いたらびっくりしました。
なんと、かれらも分裂酵母の動原体DNAの分離、同定を試みているのでした。しかも、機能的な短い動原体DNA断片を分離したというのです。えーっ、それは変だぞ、と思わず小さな声が出るくらい、緊張しました。
なにしろ、JC博士は動原体分野での飛ぶ鳥を落とすような大立て者です。わたくしは、この世界での新参者です。面識すらありません。どうしたものだろうか、話を聞きながら、悩みました。
ところが、ここに一人の男がいました。中国人の(たしか台湾から来た)ポスドクでした。わたくしは、彼にうちでも同じようなことをやってるのだけれども、どうも結論が全然違う、といったのでした。彼は、それ以前にわたくしがファージの仕事をしていた頃にやはりファージの仕事をしており、さらにJC博士を知っており、JC博士に、柳田は信用できるので、一度会わないかと言ってくれたのでした。
わたくしはその頃はいまよりははるかに血気盛んでしたので、夫妻に会ったときに、ついついなんの修飾もなく、われわれはぜんぜん違う結論で、分裂酵母の動原体はとても大きいようだと、言ってしまったのでした。
彼等は、自分たちの結論に自信を持っていたのでしょう。はっきり言って、会話は冷え冷えとして、あまり長く続きませんでした。わたくしが一方的にるるといかにして、動原体が大きいかという結論に達したかを説明したような記憶があります。
その後、LC夫人があんなクレージーな男に会ったことはないと、言ったそうですから、どうもわたくしも真理追究に忙しすぎて、友好を深める努力が全くなかったのでしょう。
おかげで、それからはひと言でいって「六年戦争」でした。彼等も、いつの間にか、われわれと同じ結論になり、分裂酵母の動原体はたいへん大きいとか、いいだしはじめました。こちらはまったく望んでないのに、毎年一見類似の論文を出すようなはめにになりました。米国の大立て者のほうが常に米国人は引用して、われわれのは無視に近い状態でした。しかし、われわれは苦しい状況でも次々に重要な仕事を成し遂げ、今は神戸の研究センターにいるCY博士の異能的タレントもあり、とうとう全構造をあきらかにするすべを手中にしました。この間に用いたテクニックは、難解ではありましたが、高度にして華麗と表現していいと思います。ただ、いまK大の教授であるMT君の学位論文なども含めて多くの素晴らしい論文が実に地味なジャーナルに発表せざるをえないことが多かったのでした。主流中の主流のパン酵母の100倍も大きな動原体でしたから、パン酵母研究者から見れば、いわゆる「うざったい」というような類のものなのでしょう。また、構造決定に苦労がつきまとったのは当然でした。しかし、この分裂酵母動原体こそが、パン酵母よりはるかに勝る分裂酵母のモデル性の典型例と言うことで、いまやパン酵母の地盤沈下の最大原因となったのでした。
でも、われわれは競争相手と、きちんと紳士的な関係は維持したと思います。
わたくしは、論文を書くときに最大限彼等の論文は引用しました。アンフェアーとだけは、言われないようにしようと努力しました。しかし、詳しくは書きたくないのですが、腹が煮えくりかえるような、出来事は動原体の仕事ではいっぱいありました。いちばん、つらいのは、われわれが最初にやったことがさっぱり米国人研究者を中心に認めない傾向があったことです。
風向きが変わってきたのは、本当に最近のことです。数年前から、分裂酵母の動原体が素晴らしい系だと言うことが分かったことと、われわれが構造決定の終了を宣言し、一九九四年の時期から、動原体の変異体を分離始めて動原体タンパク質の研究を始めてからです。その成果が上がりだして来たこともあります。いま、久留米大のTK教授はその流れを強力に推進した、チャンピオンの大学院生でした。彼のに限らず、動原体の研究は、なかなか地味でなおかつ非常に難しいので、周囲には理解されない研究でした。同じ研究室の中でも、細胞周期がらみの研究の華やかさがなかった点、つらい研究だったと思われます。
ひとりひとりの名前を挙げる必要はないでしょうが、こ分裂酵母の動原体の研究は、まさに大学院生の汗と涙の結晶と言っていいでしょう。
風向きが変わったのは、いろんな原因があると思いますが、分裂酵母の動原体研究が飛躍的に進んで、いまやだれでもが簡単に理解できる2ドメインの機能構造を持った系になったのが大きいと思います。サイレンシング、RNAiとか減数分裂での役割など、非常に重要な研究がなされてることもあります。そのような研究の土台を作ったわたくしたちの努力は今や十分に正当に認めて頂けるようになりました。
JC,LC夫妻との関係もいつのまにやら良いものになりました。われわれの仕事を十分にみとめてくれるようになったのでした。競争相手に認められるのが、この世界ではいちばんいいことだし、大切なことです。わたくしのほうからは、初期の時点から、彼等の研究に対して、深い尊敬の念を持ってたのですから、そうなれば何も問題ありません。結局今となれば、「終わりよければすべて良し」状態になってきました。
本当のところ、わたくしにとって、動原体研究は、まだまだ終わりにはしたくないです。終わりどころか、今から始めたいくらいです。
ヒトの動原体タンパク質の研究が素晴らしい勢いで、いまわたくしたちの研究室で進展してるのです。
この研究に、新しい若い学生が参加する機会がないのがほんとに残念でつらいことです。今なら、本当に心の底からすばらしいいといえるる研究が、直ちにできるのに、なんと口惜しいことでしょうか。制度の問題とは言え、一流の研究者が育つ最高の土壌があるのに、それを利用もできないし、見向きもしない大学など、わたくしに言わせれば、「○○くらえ」です。

きょうは、15日なので手作り市でした。昼時の知恩寺はたいへんな人波でした。
探していたある夫妻の出店が見つからず、残念でした。

明日から、米国への数日間の旅行です。
昨日、石垣についての公開説明会があり、ちょっと会場まで聞きに行きました。
計画の具体的な内容は分かりましたが、あまり収穫はありませんでした。失望でした。
ただ、ある一回生が秀逸な意見を述べてました。つまり、K大はレトロ的なものを大事にするべきだというもので、そうだよな、と同感した次第。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-15 18:57
2005年 04月 14日

匿名批判と質問についてのわたくしの考え

この一ヶ月ちょっと、ブログなるものを始めて、非常に興味深い経験をしました。まず第一に多くの同業者の人に直接やメールでわたくしのブログを読んでいるといわれたことです。面白いといってくれる人ばかりですが、もちろんなかなか面前では文句も批判も言いにくいでしょう。なかには正直に、意見違うな、と思うことも時々ありますと、言ってくれる人もおります。当然です。意見は十人十色、日本は健全な社会です。わたくしは、批判(特に建設的批判)が好きな人間です。また面前で批判をずっといいながら、人生を送ってきた人間ですから。
でもブログをやっていて、わたくしには折々に、ぼんやりとした不満とはっきりしないイヤな気分になることがありました。
まず匿名による質問です。なかにはひと言で返事できるものがありますから、時間を取られないものもあります。本当は、返事をしたいと思います。しかし、ある時点で匿名の質問にはいっさい答えないと、決めました。もちろん、たとえ実名でも答えようもない質問に答える義務があるとは思ってませんが。いまのところ、実名で質問をしてきた人は、おりません。他人に知られたくなければ、わたくしに直接メールを書いてください。なるべくならば、返事をします。ただわたくしも、なにぶん激務ですので、すぐ答えないのはあるでしょうが、大抵は読んで、答える努力をしようとするはずです。
わたくしがいろいろな質問に答えないのは、けしからんと思ってるかたがたも、この訪問者のかたがたにはおられるかもしれません。そう思われるのはイヤだな、という気分になることがあります。
次は匿名の批判です。昨日のにもさっそく、皇族の人権が損なわれてるから、天皇制は反対だと言うような、ご意見がありました。ある部分、真実で心がたいへん痛むことです。天皇陛下ご自身もある意味で個人的には多大な犠牲を払った人生をおくっておられるのです。でも、このような反対意見をここで匿名で述べることにどのような意義があると考えてるのでしょうかね。
わたくしは、実名の発言者に対して、匿名で批判的議論をしかけてくるのが、ブログ社会の「習慣」なら、その社会に「問題あり」と言いたいです。ブログ社会が若者に支持されるのなら、このような習慣は一刻も早くやめた方がいいでしょう。実名者対匿名者のあいだで議論の応酬がありうると考える、あえていいます、「アホな考え」はキッパリと捨ててください。でもそういう、物好きな実名者が居ても、もちろんかまいませんが。もちろん、匿名者同士の面白い議論があるのもいいでしょう。それなら、同じ土俵でやってるのですから。
「マナーが良くない」、もしくは「品性が劣る」、もしくは「卑怯」、といういくつかの批判用語が、匿名による批判的なコメントを読んだときに、わたくしの頭のなかでチカチカと、またたくことがあります。
もちろんわたくしは、そのような匿名批判に対応をする気はありません。ただ、そのようなコメントが反論もなく、コメント欄に放置されてるのを見てると、不愉快になることは正直あります。消すのはわたくしの感性では、マナー違反になりますので。
わたくしがここで言うことは、批判を潰そうという意図ではありません。ただ、匿名者がわたくしに議論を吹きかけてくる姿勢には、わたくしがひと言「卑怯」とラベルしたい心情が存在するといいたいのです。最大級のきつい言葉とは承知のうえです。批判する姿勢に一番大切なものは「勇気」です。
さらにすこし、とりなして言えば、人には単なる感想とみえるものが、実際には「巧みな批判」となることがあるのです。そういう巧みな技術を学び、磨きなさい、といいたいです。あくまでも匿名でいきたいのなら、「批判の芸を磨きなさい」と忠告したいです。ユーモアでも駄洒落でも、笑いのある批判的空間はわたくしは好きです。川柳的世界、こばなし的世界、大好き人間です。

今日のは、「休憩時間」でなく、仕事をやってるような気持ちで書きました。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-14 07:29
2005年 04月 13日

園遊会にて

きのうで、TK君の論文改訂も終わって、やれやれ、です。次の論文のfinishingに移れるようになりました。沖縄に移ったNK君の原稿はもう新データが出ないので、「迷い」なくfinishできます。他の原稿ははどれもあと一つ実験が加わると、どうなるのかとわたくしが思いがちなので、ふんぎりが付かない面があります。欲張りなのはいけないのですが、最後の最後まで最善を尽くすのは、研究者魂の基本です。

きょうは天皇陛下ご主催の赤坂御苑での園遊会に招かれまして、日帰りで東京へいきました。「百テレビ場面は一現場にしかず」と思いました。なるほど、なるほどと、これまで、テレビ画像で何度も見ていたけれども、分からなかった部分が、現場に来て、いろいろ納得しました。
CDB所長の竹市さんと奥様に会い、良い時間を過ごせました。竹市さんは大きな賞をまた授与される。めでたい。むかしむかし30才の頃からのつきあいで、気心が分かってるので、こういう場でも、まるで毎日一緒に生活しているかのような会話になる。

天皇陛下のお仕事は(皇后様も)激務だなと痛感。ぜひお言葉をいただきたいと強く願うたくさんの人々としっかり顔をみながら会話をされていかれる。話す人達の一部は前もって決まっていると、聞いたこともあります。でも、陛下の歩かれる通路の前列で待っていて、陛下にお話すれば、お返事をいただけるような感じを持ちました。非常に多くのかた(約2千人とか)が招かれているので、かなり前の時間から辛抱強くじっとその場で立って待っていなければなりません。わたくしは昨年、一昨年と天皇、皇后両陛下と畏れおおくも同じテーブルで短時間ながら話す機会がありました。その時、天皇陛下の真摯ながら、気さくで軽やかな人柄をかんじました。
妻は、皇后様の美しさとエレガントさに感動したようでした。
天候は寒さを感じるほどでしたが、雨も降らず、美しい樹木と花々をみて東京にはこういうところもあるのだと感心しました。ただ、皇居の奥深い自然の感じはありませんでしたが。
妻はそのまま娘のところへ行き、わたくしは、まっすぐ帰宅。このブログは新幹線内で書いてます。
わたくしは、20代半ば頃まではフランスかぶれだったので、漠然と共和制支持だったのですが、欧州で数年間過ごすうちに、30才の頃にはすっかり天皇制擁護となってしまいました。理由は分かりませんが、3年間毎晩のように政治談義をしてる過程で、日本という国を数限りなく説明してるうちに、いつものまにやら、わたくしの頭の中で何かが起きたようです。
その頃から、考えはまったく変わりません。象徴といわれる現今の天皇制は日本の政治体制の中で、文化継承能を持った体制として、世界の中でもっとも誇れるし、今後も守るべきだし、政治に絶望しないですむ点、ほんとにありがたいことです。
政治に宗教を入れるのはいけないと言われますが、天皇制は日本の文化継承、国の過去と将来への継承存続のための祭祀的な役割を果たしているのではないでしょうか。キリスト教を信じる人が日本ではなかなか増えず、2,3%に止まるのも天皇制の存在が原因だとわたくしは推測してます。
陛下はもちろん神ではありませんが、陛下個人は日本という国家の現在と将来を日本人の中でいちばん真剣に考える立場におられることはまちがいありません。誤解を恐れずにいうならば、日本という国家が神を必要とするなら、天皇がその祭祀役をしてきたのですね。今上天皇もまちがいなくそのような役割を社会に対して非常に穏和なかたちで、はたしておられるとおもいます。もちろん皇居内では非常にたくさん儀式的な国の安全と将来を願うお仕事があろうかと推察します。しかしそのようなことをおくびにもださず温顔を絶やさないところがほんとうに素晴らしいです。昨年、国歌や国旗についての園遊会での陛下のご発言が広まったのも、よい社会的な効果があったと記憶してます。
今年は、新潟地震や三宅島噴火被害にあった村長さん達が園遊会におられたようですが、どのようなお言葉があったのでしょうか。(帰ってNHKテレビを見たらやはり、中越村と三宅島の村長さん達が陛下と親しくかなり長くお話をしてる場面がでていました)。
わたくしがこんなことを書きましても、研究の話とは異なり、まったくの個人的感想ですので、大きな誤りを書いてるかもしれませんが、そうならばお許しを。また敬語の使い方が誤っているかもしれません。わたくしもそういう部分には自信がありません。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-13 20:18
2005年 04月 12日

旅行におけるカルチャーショック

最近ではアメリカの飛行場での検査きつくなってますね。靴を脱がされて、ぺたぺた床を歩く経験は誰でも持つでしょうが、わたくしは一度、テキサスのどこだったか、コスタリカからの帰途に、変な部屋に連れ込まれたことがあります。5分程度でしたが、わたくしのパスポートにインドの入国ビザスタンプがあったからだと、係官は言ってました。理由を聞いたら、知らんと怒鳴られましたけれど。このコスタリカ旅行では、電気カミソリを盗まれたのが、記憶に残っています。
わたくしは、若い頃は(といっても40代半ばくらいまでですが)、もっぱら米国とヨーロッパだけしか旅行しませんでした。年間平均5回くらいいったりきたりしてたわけです。それでも、訪問する場所の合間に、土曜と日曜とかに急いで東ベルリンの壊された壁を見るとか、チェコのプラハの激しい変化などもかいま見る機会はありました。しかし、そうはいってもヨーロッパはどこへ行っても基本的によく似てます。

ある時期からは、へんぴなところや、珍しいところも、招待状がくれば嫌がらずに行くようになりました。イスラエル、南アフリカ、ニュージーランド、インド、トルコ等ですが、ほかにも中国、台湾、シンガポールなどの比較的近い国でもある程度年がいってから、始めて学会で行くようになりました。いちばん近い韓国に行ったことがありません。飛行場の通過は何度かありますが。

この中では、イスラエル、インド、ニュージーランドの旅行はいろんな意味でわたくしの後半生の考えかた、生き方に大きな影響をあたえた旅行でした。行く前はそれほどは期待が大きくなかったので、特に印象が強かったでした。
特にインドは好きです。なんとも言えない、気分になることが何度もあります。忘れていた感覚がすべてよみがえるような。日本人が忘れている、すべてがある、帰国後しばらく興奮して誰にでも言ったものでした。
ニュージーランドもまた行きたいのですが、今後は完全な休暇としていくことになるのでしょうね。イスラエルは、矛盾の塊のような国でもあるのですが、インドと並んで眠っていたたくさんの遺伝子が活性化するような、いい意味でのストレスに満ちた国です。招待があれば、家族や研究室の院生諸君(わたくしが死ぬと院生諸君がいちばん困る)が反対してもすぐ行く気はあります。実際のところ、危険は感じません。むしろインドの交通機関や飲み物が怖いです。
妻と一緒に行ったトルコはその親日度と人々の気持ちの良さが忘れられません。最初はイスラエルでの学会のはずだったのですが、情勢が悪化してトルコに変化したのでした。
いまどこに行きたいかと聞かれれば、行ったことないところなら、どこでもと答えたくなります。若い頃にはなかった、買い物の趣味もあるので、研究を忘れて旅行できたらほんとすばらしいでしょう。
さて、そろそろ学会の準備もしなくてはなりません。きょうもまとまりのない話でした。

きょう向こうの学会のほうで予約してくれたホテルの名前を見たら、ディズニーランドホテルアナハイムとなってました。目の前がディズニーランドのようです。食わず嫌いで、マクドナルドハンバーガーとかディズニーランドは誘われても行く気がなかったのですが、今回はどうなのでしょう。やはり意固地にならずに、休憩時間を取って、入ってみて、それなりに、楽しんでくるべきなのでしょうか。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-12 19:02
2005年 04月 11日

きょうは心配性的感想

通勤にJR西日本を使っているのだが、この10年間で電車到着の時間の正確さは顕著に落ち込んできている。前は2分とか遅れれば、何度も何度もすみませんの連呼があったが最近は4,5分遅れるとアナウンスがある程度。それがうるさく感じるくらい頻度も高い。きょうは、「次の電車は各駅停車」というアナウンスがあったのに、実際には新快速が来る。訂正放送もなし。乗客も、小首をかしげて乗り込む。誰も、文句をいわない。そのうちひどい事故でも起きるのではないかと、心配になります。

今週は、週末から米国のがん学会に行くので、他の仕事の合間をぬって講演の準備をしなければなりません。それでブログもかなり簡単なものになりそうです。それから、偏差値学生についての、怒りのコメントや元K大理生とかいうかたからのコメントを読んでるうちに、すれ違いのあまりの落差にがっかりして、ちょっと筆がかなり鈍り出してることも感じます。しかし、励ましてくれてるかたもおられて、ちょっとほっとはしてますが。

ブログを書き始める時に、情報通から、政治的なことはいっさい書かない方がいいという、賢明な忠告を受けてます。しかし、政治的なことにわたくし自身関心があるのだから、何かを書くのもやはり自然とおもわれ、今日感じたことを気をつけながら、書きます。単なる感想以外のなにものでもありませんが。
中国での反日デモは「自然発生」と中国スポークスマンがいったとか。たぶんそのとおりなのでしょう。でもテレビの画像は正直に投石デモ隊と警察のあいだの以心伝心ムードがでていましたから、「官許的」なものでもあるのでしょう。このような事態を引き起こしたのはすべて日本に責任があるとの言明も中国外務省からあったとか聞くと、ますますそう感じます。
日本としては、理念国家と商人国家とのあいだで揺れ動かざるを得ないのでしょうが、まだまだ冷静な対応ができるはずです。国内的に反中国のマグマはまだまだそれほどは溜まっていないでしょうし。しかし、わたくしは今の中国政府は危ないゲームを始めだしたな、と思っています。台湾を対象にした新法律の制定とあいまって、いったい何を近未来像として考えてるのだろうかと、いやな推測をもちつつ訝しく思います。日本の多くの人達のあいだでも、中国政府の意図について、悪い方、悪い方へ考えが向かっていくのではないでしょうか。今年は、日中関係の決定的な悪化が起きる可能性があるのではないかと真剣に心配です。10年かけた友好の努力も一朝にして消え去るような危うさが隣国とのあいだにあるというのはつらいですね。それに日本は腰の据わった理念無しでこの外交をやらざるをえないのがたいへんきついですね。理念もてといわれても、日本国内意見がほぼ半々で割れてるでしょうし。
なお、イザヤベンダサンですが、もちろん山本七平氏によるものでしょうが、彼は自分の意見を出すよりも、フィクションの意見としてこのイザヤベンダサン氏を使ってる、とわたくしはおもってます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-11 19:52
2005年 04月 10日

時間のかかるコミュニケーション

親子が同じ家に長年いても、意外に意志の疎通がちゃんとできてないように、研究室で何年も議論を繰り返しながら、やってるのにちゃんと分かり合えてないことがほんとによくありますね。
いちばんコミュニケーションがしにくいのは、その研究がどこにたどり着くだろうか、というイメージのようにおもえます。
ある意味では、これは当たり前だと思います。経験の差が大きいのです。着地経験が何度もある指導者と、一度もないような大学院生では、実験の具体的な内容では十分意志の疎通があったとしても、結局この研究がどのような「おはなし」になるのか、思惑がまったくかみ合わないことが多々あります。
だから、相互に理解し合えると充実感がうまれます。さらに達成感がうまれます。
そのような契機はやはり大抵は新しいデータが生み出してきました。
ごく最近、難解なテーマを着実にやってきたTY君ともそのような「充実感」を共有できる機会がありました。
次々に難解な実験を彼がこなしてるうちに、新しい問題が存在することがはっきりしてきました。
わたくしとしては、その様な問題が存在すればたいへん面白い、と考えていたのですが、そのことの理解はたぶん、彼にとって非常に困難だったろうと思われます。着地体験の差からでる、ちがいですから、しかたありません。こんご比較的短時間で問題は解けるのではないかと期待され、答えがどうでるか、興味津々です。

考えのすれ違いは、ほんとに多いですね。
偏差値学生のわたくしのブログにはいろいろ意見がありましたが、わたくしの意図が「昔はよかった、昔の学生はいまよりずっとましだった」、と言いたいために書いたと思われる人が多かったようでした。しかし、そんな考えはまったくありません。このブログで、研究のことで、わたくしは過去がいまより良かったという、類の言動は一度もしたことはないはずです。今回、そう取られたのは、わたくしの書き方がその点あいまいだったのです。
昔の学生にも問題がありました。しかし、それでいまの学生の問題がなくなるわけでもないでしょう。いまにはいまの問題、しかもそれが相当に深刻なのがあるのではないでしょうか。わたくしは、昔の学生と比較してがっかりしてるのではありません。比較なしにがっかりしてるのです。しかし、そのトーンはどちらかというと、わたくし流の激励のつもりでしたが、一部のかたには通じたようですが。
今より、昔が良かったのなら、自分のこれまでの努力を否定するようなものです。未来が良くなるように一生懸命自分流で努力してきたつもりなのですから。
話がずれますが、日本の生命科学が現在順調にかならずしも進歩してないのではないかと、心を痛めています。もっともっと良くなるはずなのに、なぜそうならないなのだろう、としばしば考えます。わたくしには、その原因が掴まえられません。わたくしの目が大学、特に従来の有力大学や研究所の状況に行き過ぎなのかもしれません。もしかしたら、他の場所ですばらしいいぶきが生まれてるのだといいのですが。
ただ、急いで付け加えると、海外の研究者には日本の生命科学の躍進はすごい、というかたが多いのです。そう見える部分は確かにあります。しかし、これまで過小評価されすぎていたのがまともになってきた面があるのです。正当に評価されだしてきたので、いまが躍進のチャンスなのですが。

時間のかかるコミュニケーションの代表例は、日本と隣国の韓国や中国ですね。最近の出来事を見ると、次々に芳しくないことが起きてますので、悲観的な気持ちが先に立ちます。隣国間の友好の基になる建て前としての考えが、国ごとに全然違うのではないか、とも思えます。多分そうなのでしょう。そうならばたいへんに将来が憂慮されます。仲裁役がいないので、日本は、適切なおとしどころというか、解決策をみずから見いだして、みずから仲裁役の分の役割も演じないといけないのかもしれません。そんな、政治的な忍耐心と賢明さを必要とする役割を戦争から60年も経った今の日本の政治家が演じられるのだろうか、と憂鬱になります。民のレベルでは、韓流ブームとかで、日本からの韓国文化への親近感は非常な高まりを見せてるのですが。
最近、イザヤベンダサン(山本七平訳)の幻の書とか言われる、「日本人と中国人」を読みました。日本人と中国人は2千年間一度も互いに理解したことはないという主張の本です。難しい本に感じましたが、啓発されました。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-10 21:58
2005年 04月 09日

わたくしはなぜ少数派なのか

昨日の記事で30日経ちました。三日、三ヶ月、三年という時間経過から言えば、今日はまだ安定期にはほど遠いです。この間、13000人が述べ数で訪問していただいてます。最近は平均ウィークデイで650から700人を越えるくらいです。わたくしには驚くべきです。
海外からも噂を聞きつけて、英語で書かないのかといってきてます。

沖縄はもうシャツ一枚で十分という陽気でした。

わたくしが、自分は少数派であると気がついたのは小学校の3年か4年くらいだったような気がします。クラスである盗難事件があって、その対応について教師に呼ばれて、生徒がいろいろ聞かれた時に、自分が考えていることが他の生徒と非常に違うことに気がついてしまったのです。意見があまりにかけ離れているので、とうとうその意見は口に出せませんでした。
わたくしの親はどちらかというと、世間の常識に近い人生観で生きていましたので、どこかでなにかよく分からない原因で自分が異端的な発想をする傾向があることに気がついてしまったのです。
大学でのT大ではどうだったのでしょうか。在学した科類400人のうち30人程度のフランス語履修をしたことからも、やはり少数派なのでしょう。当時は医学部志望は絶対ドイツ語と決まっていたので、天の邪鬼のわたくしは、「よし、それなら珍しい医学部生になってやるかも」、という姿勢でしたが、そのうち医学部志望ではなくなり、新しもの好きな自分を満足させる理学部の生物化学科にいってしまったものです。しかし、そこでも満足できず、院生の学業半ばで海外にでてしまいました。

海外生活ではどうだったのでしょう。わたくしの親しくした友人はみな少数派だったので、自分が少数派であることを意識したことはヨーロッパではありませんでした。しかし、米国人は研究者でもステロタイプが多いので、米国にいるときは少数派の意識を常に持ちましたね。わたくしは、研究者のなかでは少数派でありながら、実質的な影響力は非常に強いユダヤ人を多く友人にしてますので、いつの間にか、彼等の影響でしょうが、少数派である自分がそれなりに居心地のよい存在になってきました。

長いこと働いてきたK大ではどうだったでしょうか。教授になって、学部の教授会でぼちぼち意見を出すようになってからは自分が少数派であることを強く感じました。しかし、研究室内では自分の考えてることを常に実行できたのでそういう意識は皆無でした。また専攻レベルでも居心地のよいところで、おもだった同僚教授は個性派が多かったので、小さな世間レベルではK大では長いこと幸せにやってきました。
しかし、学部レベルでの仕事をやらされてからは、これは駄目だという意識が強くなりました。つまり何を言っても、互いに理解し得ないのですね。少数派転落です。物理、化学、数学、動物、植物、どことも家風が違いすぎると言うべきか。ここにいては、自分の意見が通ることは未来永劫ないと、確信しました。しかし、それはそれでいいのかもしれないが、自分に近い研究分野を拡大するのにはまったく不利な状況でした。
わたくしは、大学院重点化のときは、反対側から見たら狂犬的な反対議論をしました。当時の研究科長があとでわたくしに笑って言うには、事務官が「きょうは柳田教授欠席です、今日は大丈夫です」、と報告があったとのことです。
偏差値試験には恒常的に反対意見を述べていました。しかし、偏差値試験はいまはどうか知りませんが、理学部は当時強硬に反対してましたから、この点ではわたくしは当時の学部の多数派の意見と類似していました。
わたくしが、またまた少数派になったのは、理学部での4回生の卒業研究が一年となり「必須」にすると変化があったときです。詳しいことは覚えてないのですが、この時は専攻内でも強く反対をするのはわたくしだけになってしまい、孤立したので、教授会ではそれほど狂犬的には怒鳴らなかったと思います。
卒業研究が必須になって、わたくしの頭の中での本来あるべきK大理学部像は消えてしまいました。99%のaffinityを失いました。

もうそろそろ次にやることが待ってますので、結語にします。
わたくしは少数派を選択しようとする若者が好きです。
少数派こそが歴史を作るのだ、と確信してるからです。
自分について言えば、わたくしにもしも独創性があると認めてくれるのなら、その源泉のほとんどは常に少数派を選択したところにあったと思ってます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-09 10:18
2005年 04月 08日

年寄りのくりごとですか

どうもすみません。
かなり、不快に感じたり、ひどくお怒りの意見が出てますね。感情を害するようなことがあれば失礼しました。
読み返してみて、自分では平素おもってることをたんに書いたまでなのですが、やはりこれではまずいのでしょうね。年寄りの愚論、と思ったかたもおられるようですね。昔から、そんな応酬がありますよね。わたくしは、制度の問題をこういうかたちで論じたつもりなのですが、よい効果はまったくなかったようですね。
ただ、最近このブログはわたくしの研究室のメンバーとのコミュニケーションに、かなりよく用いられてる感じになってきて、ついついわたくしの言動に免疫がある人間相手の文章になっていたのかもしれません。今後気をつけます。研究室内では、これはかなりの激励的な文章で通るはずなのですが。でも、すみませんでした。

才能とは何ですか?という質問がありました。才能の意味は辞書に書いてあるとおり、他の人にはなかなかできにくいようなことを達成、実現化する能力とでもいいましょうか。つまり達成能力ですか。英語ではタレントですね。わたくしのパソコン内にある辞書では、ギリシア語で貨幣単位の意味だそうです。タレントに応じてお金を払ったというのですね。
むかし、聞いた話では、船のマストの上で遠望する水兵さんは、応募者の中で、特別に遠目が聞くものを選抜したそうです。まれにとんでもなく遠くまでよく見える人がいるとか。そういうタレントは生まれつきかもしれませんね。走るのが早いとか、美しい声をしてるとか、生まれつきの能力はたくさんあります。でも一方で玉も磨かなければ光らない、努力が重要、こういう風になると、話が当たり前すぎて面白くありませんが。でも、才能は後天的な訓練で発揮されるというのが、当然の真理なのでしょう。わたくし流には「特異な達成能力」というものが、才能あるなあーということにしてます。
相撲の高見盛ですか、真面目に闘争心を燃やすと、周りが笑い出すのですから、思わず「才能あるなー」と言ってしまいます。わたくしにとっての才能はこういうタイプのものも含まれます。

研究上での才能とは何か、ひと言で言えるようなものでしたら、ことは簡単なのですが、そうではありません。非常に複雑です。研究が複雑なのですから、しかたありません。
しかし、結果論で言うのは簡単で、素晴らしい研究業績をあげた人達が才能をもち、なおかつ努力をしたのでしょう。でもこれも、頭にとどめる真理ではありますが、あたりまえで面白くないですね。

ある側面で、相当な才能があっても研究者として成功しない人も、もちろんいるでしょう。というか、非常に多いと思います。いろいろな人間的要素で研究社会的に生存できないケースはあり得ます。研究者で身銭を切って、研究費を工面してる人はほとんど居ないのですから、誰かを納得、説得、もしくはたぶらかして、研究費を獲得せねばなりません。はっきりしてることは、研究達成の才能だけでは、成功しないのですね。研究の世界は。つらいところです。
それでは、たいした才能もないのに、成功している人はいるか?、もちろんいるでしょう。日本社会の風通しの悪さというかいつまでたっても進歩しない大学あたりにはいっぱい居ますね。こういうことを人ごとみたいに言うので、またまたお叱りを受けるのでしょうね。
脱線しましたが、研究上の才能は主観的にはたいていは結果として気がつく場合がほとんどです。ですから、若いときに、本人はなかなか自分のタレントに気がつかないので、「才能発掘をする才能を持っている人」がたくさんいて欲しいですね。
わたくしは、誰でも最低一つは才能を持ってると思います。研究は非常に多様性に満ちた人間の営みなので、うまくいけば自分の才能と自分の研究活動をドッキングすることが可能になると思われます。ですから、研究は好きでやって、しぶとくやって、あきらめないことだと思います。いつか自分の才能が花開く時がくるのですから。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-08 22:45
2005年 04月 07日

偏差値学生とのつきあい その2

きょうは沖縄に来てます。那覇空港からのタクシー(他に公共的な交通がない)が沖縄南のインターから出たこともあり、運転手が道知らず、またわたくしも依然沖縄では土地不案内で新しい場所に来ると方角が分からなくなる傾向があるので、だいぶ遠回りとなった。目印のジャスコの紫色の大きな看板を非常に変な角度にて発見。一種の観光ツアー的状況。それからセンターに到着。技術補佐の候補のかたの面接もありましたが、他にいろいろ研究推進上の議論が山積。昨年の今頃はまだまったく何もなかったわけなので、たいへんな変化と進歩。

さて偏差値学生の続きです。
偏差値制度から生まれてくる学生さんは、頭の中が輪切りなのですね。偏差値輪切りというと、当事者は知ってるはずだし、分かってるはずです。しかもこれを全国規模でやられてしまうのだからひどいものです。輪切りが全国隅々まで行き渡ってるようです。こんなもの完全に結果を忘れてしまえたらいいのですが、そうはいきません。長い期間、引きずってしまうような人までいるようです。
研究者になるための修行が待ってるものにとっては、このようなランキングはまったく無意味だし、役に立ちません。それでも、K大やT大、H大などを始めとする旧帝大系は偏差値ランクの高い学生が集まります。しかし、残念ながら、前回わたくしが申しましたように、研究上の才能とはほとんど相関があるようにはみえません。少なくともわたくしには。
せいぜい制限酵素のマップをより精密に正確に作る能力に優れてるくらいです。わたくしの研究室では、K大出身者は多数派ですが、でも平均的に他大学出身者より、研究業績が上かどうかは必ずしも言えません。たとえば、国際基督教大学学部出身の院生を二人学位まで世話しましたが、院生時代の成果だけ見れば、平均的にはK大よりは成果は上でしょう。いま、信州大学繊維学部出身の院生がひとりいますが、K大出とどこになんの違いがあるのかわたくしには分かりません。たぶん、内面とか意識では異なるのかもしれませんが。研究能力には差がありるようにみえません。

偏差値意識を完全に心から除去というか、排除して影響されてないのなら、たいへんよろしい。でも、偏差値世代になってから、そんな影響されてない学生はほとんど会えなかったですね。もしもいたら、大いに見込みがあるというか、悲しいかなあたりまえなのですが、まともな人としてスタートできます。
輪切りから来る、優越感、劣等感、いずれも研究に対しては悪影響しかありません。どちらかといえば、劣等感のほうがましでしょう。上昇志向があるのかもしれませんから。でもゆがんだ上昇志向になりがちです。ただ、優越感があってなおかつなんの研究面での才能がなかったら、フィクションの世界の人間、つまりほんとにもぬけの殻人間となります。
ボトムラインで言えば、研究は好きというのが前提で、これは安全です。好きでやれるのなら、まあ保険がかかってます。でも、収入、つまりご飯を食べていく、算段は自分でちゃんとつける覚悟がいります。この一番簡単な常識中の常識が分かるのに、偏差値世代はやたらに時間がかかるのですね。
それで、学部生や院生にひと言。
あなたに才能があるのかないのかですが。
たいていはありません。
なぜなら、才能がある人を目指した選抜をほとんどしてませんから。
明々白々な事実です。
才能のある人はたぶんどこかにいるに違いありません。もちろん、可能性としてですが、あなたかもしれません。ただ、生命科学のように生涯学習的で、50代でもチャンスはあるし、わたくしのように60代でもまだチャンスを狙うこともできるのだから、好きなら努力すればいいじゃないですか。
それはさておき、どこかの大学で「才能発掘係」の適任者をみつけて、そのかた(達)に全国行脚(外国人も含めて)するようなことを始めませんかね。どこかで、「才能ある少年、少女あり」という、一報が来たら、わたくしも会いに行きたいです。
(この項、不定期につづく)

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-07 17:19
2005年 04月 06日

偏差値学生とのつきあい

今日は、自主研になって始めての、ゼミ。わりあいよい調子。質問も活発。わたくしも、ゼミでの介入的な教育の放棄宣言。みんな自主的にやりましょうとのこと。このような感じでいければよいのだが。

K大ではずっと学部教育講義、経験が長くなってからは入学ほやほやの新入生の講義もやりました。わたくしの講義はそうたいに評判が悪く、先生のは何も教えてくれないという、文句もよく聞いてます。わたくしのほうは、数人でもわたくしの講義で興味を触発してくれれば十分という、少数派志向の考えなので、そのあたりは完全なすれ違いです。わたくしとしては、講義のかたちで研究哲学のようなものをしゃべってきたつもりです。でも、まあ一方通行なのでしょう。
K大の教育好きの先生がいちばん目のかたきにしそうなタイプの講義をずっと続けて、最後の退職まできてしまいました。
最終講義とかいうものも、最終という言葉にカチンと来て、やらずじまい。というか、その点も何年も前から考えていたとおりに実行しただけですが。
つまり、1年半くらい前の学部のわたくしの担当した分子生物学講義の最終コマに「これがわたくしのK大での最後の講義でした」とぼそぼそいったのですが、最前列の学生がキョトンとした顔つきで、わたくしの顔を見てました。ですから、あれがわたくしの最終講義でした。
平均的な学生から見たら、わたくしの講義は歓迎できないタイプのものでしょう。でも、まあごく一部の学生にはそう悪くなかったはずです。自らの研究への情熱のようなものは自然出てくるようなスタイルでやっていましたから。
わたくしは、基本的に偏差値学生が嫌いだし、K大ステロタイプの学生とは5分間会話がもちません。そういう学生とは、わたくしは石ころ程度の関係しか持ちたくありません。そのうえさらに、K大偏差値エリートの鼻持ちならない感覚を出されたら、気分が悪くなるだけです。この学生は何様だと思ってるのだろう、親の顔が見たい。わたくしの後年の口癖が、親の顔がみたいでした。25年前に偏差値学生が入りだしてからは、学生に対しては全般的に失望の連続でした。いわゆる砂をかむような日々がわたくしの学部教養教育の体験でした。

偏差値教育では人格はまったく判定できないので、K大で前途有為な人格の若者が入ってくる機会はほぼ世の中の若者からランダムに学生を選ぶのと変わりないのですね。しかも、偏差値が高いという誤った価値観を持ってる分、前途有為な人物の頻度は相対的により少ないかもしれません。

でも個人的に幸いなことに、わたくしの研究室での大学院生には他大学出身者もふくめ、まあまあそこそこの若者が入ってきてくれたので、研究室自体での若者とのつきあいに特別な不満はなかったのでしたが。それでもおりおりに親の顔が見たいなどとぼやいていますが。
大学院生に対しての主たる不満のひとつは、研究室にくるまでに、研究をするための準備をなにもしてない人達が多かったことですね。もちろん例外はおりますが。
数は少ないのですが、女性院生の学位取得者に対してはその様な不満は相対的にはずっと少なかったです。ただまあ大失敗もありますが。女性研究者はもっと育てたかったという感覚は残ってます。
学生さんのことや教育については、これからも何度も触れると思いますが、今日はまずその第一回目。ちょっとネガティブなトーンがきつかったのですみませんが、しかし正直にものをいわねばこのような問題は理解されないとおもいます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-06 15:08
2005年 04月 05日

データの「嘘」について

三回実験をやって、のぞみ通りの結果が一回、のぞみとは反対の結果が一回、データがとてもものにならない結果が一回、こんなことになることは、ありふれた出来事です。これで、この実験の結果を忘れてしまえば簡単ですが、こののぞみ通りの結果を、「まあいいや」ということで、論文に発表してしまいました。
さあ、これはどういう「嘘」に相当するのでしょうか。このようなごくごく単純な「悪事」でも、詳しく考えると、複雑な問題になります。この「まあ、いいや」と思った人は誰か。現場の大学院生かポスドクとして、それをボスには黙っていて、のぞみ通りの結果だけを見せたとします。ボスがなんべん実験をしてこうなったか、聞かなければ、現場的には「嘘」は自分の内面で一回だけついたことになります。聞かれて、複数回このような結果がでたと言えば、二回嘘をついたことになります。これはかなり深刻です。
もしも、これをボスが一勝一敗だということを知りながら、なおかつこの望み通りの結果を公表してしまえば、ボスは現場と共犯関係で嘘をついたことになります。公表した論文のデータは再現性はもちろん前提ですから。
この「嘘」のある論文が誰も気にしないような、引用もまずほとんどされないようなものだとすると、この「悪事」は誰も気がつかないことになります。
ところが、結論が重要で、大切な論文だとみなされる論文となり、なおかつ、一勝一敗のデータの部分が実はのぞみ通りの結果でなかったほうが本当は正しかったことになると、厄介な問題となります。単に誤った論文ということでなく、現場の研究者がボスがこの誤ったデータをまあいいや公表しようとしたと、証言すると「データの捏造」という嫌疑がかけられる可能性が高まります。これは、たいへん怖い話です。データの捏造は、科学研究の世界では最悪の行為とみなされるからです。簡単な悪事がとんでもない極悪的な悪事になりかねません。誰も気にしないつまらない論文だったら、そんな問題は起こらなかったはずなのに。このようケース、どうかんがえますか。
さて、次の問題です。
論文に発表したいデータにちょっとまずい余計なバンドがあります。これをできたら見せたくありません。写真なので、カッターナイフでその部分を切り落として発表しました。審査委員は特にこの切り落としたこと(いまならフォトショップで簡単に切り抜けますが)に文句を言われなかったので、そのまま公表されました。実際同じような見せたくない部分を切り落とす(トリムする)事は誰もがやっています。
ところが同じデータを、この余計なバンドを修正インクか何かで、隠してしまいました。フォトショップなら、消しゴム機能で余計なものを消してしまったのでした。これはたいへんまずい行為です。データに改ざんを加えているので、「捏造データ」になってしまいます。
ところで、このようなデータがあるにせよ、論文の他のデータは正しく、結論も正しかったとします。それですめば誰も気がつかなかったのですが、フォトショップの消しゴム機能で変えたデータを公表したと、内部告発があってしまいました。
さあ、この問題にどう対応しますか?
それほどの罪ではないのではないか、という意見と、結論と無関係に「明白な捏造」なのだから、罪は重大と考える意見があり得ます。これらの中間にいろんな意見があるでしょう。若い人の中には、困ったデータ部分を切り抜くのは悪くなくて、消すのは捏造というのは、どうも納得できないというかたもおられるでしょう。
それでは、もっと悪質なデータを意図的に捏造したケースを考えましよう。その様な場合はたいてい、ある特定な結論を出すために、それに合うようなデータを意図的に捏造したケースです。このような場合該当実験は実際にはしてないし、データは完全に人工的なものとなります。グラフやパターンなら自分で勝手にかく。画像なら何か偽のものを結論に適合したようなものを作り上げる。このような捏造データは上で述べたのとは次元がちがう悪質さとなります。
このような悪質な捏造は決して起きてはならないのですが、経験的には折々に起こるとおもわねばならないのです。どんな平和国家にも犯罪はあるようなものです。わたくしは長年こういう問題には性善説で考えていましたが、ある時期から、かなり性悪説に近くなって、悪質な捏造は常に起こりうると考えるようになってきました。それに伴って、いろいろなデータの嘘を考えるようになりました。
データを改ざんするのはもちろん言語同断だが、切り抜くのもそれが意図的なら非常にまずいことだということを認識する必要があります。余計なバンドもデータ的に見せて夾雑物だと説明すればいいことなのです。
さて、一番の問題はこのようないろいろなグレードの異なる嘘に対してどのように対処するかです。自らの問題として考える必要があります。
そして、大いに議論する必要があります。
臭いものには蓋をするのはいちばんよくないのです。
過剰な処罰はいけないし、しかし一方で不正直さを知りながら見逃すのもよくない。
表に出して、議論することが一番。データ提示に極端な潔癖さを要求するのはどうかと思うが、一方でなあなあ的な態度は、最悪の意図的捏造への道を容易につくることになる。
データの嘘に触れて議論することを、怖がることはないのです。
真の正直というのは気弱のものでない、力強いものです。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-05 22:42
2005年 04月 04日

96のコメントの中から

今日は、このあいだ触れたTK君の論文の最終段階の打ち合わせをして、改訂版はほぼ完成。すべてのコメントに対応した。しかし今回は編集者が英語をちゃんとせよというのに対応しないといけない。審査員は英語について、文句言ってないのだが、たぶんこの編集者が内容をよく分からないらしい。平たく言えば、自分に分かるようなスタイルの英語で書けと、言ってるようだ。それも一理あるのだが、英語を改善してそうなるかは分からない
このジャーナルは一流との評価だが、編集者の質もそうだとは言えないかもしれない。
むかし一流といわれたJMB誌はいまは普通になってしまった。わたくしは昔たくさん論文をJMBに出したのだが、ジャーナル的な資産価値はもうまったくない。
このジャーナルもTK君が中年熟年になる頃は、そんなジャーナルになってるかもしれない。
ともあれ英語については、旧知のIH博士が親切に直してくれるとのこと。ありがたい。
今日はその後、別の論文の考察部分を考えて、かなり作業をした。どこに投稿するかはまだ決めてない。考察の出来映え一つで読んだ印象はがらりと変わるので、どう変わりうるかをいろいろ検討中。
そのあとで、誕生日を祝ってくれた、秘書さん達とお茶を飲みに一時外出。
帰ってからも考察の続きをしていたが疲れたので、ブログをやろうかな、というのが今日の経過です。

「退職間近にしてその3」でのコメントが96件もありました。
前々から気になっています。
内容はみなさん短めに書いてるのですが、たいへん重い問題が続出。これをきちんと読んでわたくしの意見を開陳しようとすると、とうてい休憩時間の範疇ではなく、「仕事」になってしまいます。それでさぼっていましたが、短めの感想をまとまり無いかたちで以下に記しておきます。

やはり、「小役人」さんと「おばさん」のお二人がいろいろなかたちで建設的な意見を述べて居られます。研究者には目新しく感じられたり、また刺激的だと思いました。本当は、ここに登場するいいろいろな人達が一場に会して、直接お話をしたらとても面白いし役にも立つのでしょうが。

今日は、いろいろ議論のあった、応用と基礎の件、わたくしもちょっと横から意見を述べます。

わたくしは、「役に立つことを目標」としている研究と、「自分の好奇心を満たす」スタイルの研究と言うことで、分けて考えてきました。わたくしが、この研究科に移ってからは、わたくしの研究スタイルは「役に立とうとする研究」にシフトしてます。自分自身、相当な努力で、約6年前から研究スタイルを変えたはずです。わたくしの最近の研究が、知的好奇心のみでmotivateされてる時代とは、相当変わってきていることは、周囲からも認知されていると思います。
ところで、どう役に立とうとするのかですが、「人類の幸福、健康、安寧」に役立つ生命科学研究をしているつもりです。そんな大上段に構えたもの、ぜんぜんピンと来ないと言われるかたが多いでしょうが、わたくしは自分の研究成果がこのような大きな課題に将来相当に役立つことを確信してます。そういっても全然恥ずかしくないようになったというか、そのように本気で思い込めるようになったのです。これ、本当の話です。
また、わたくしは今日明日役にたつような研究をするようには訓練を受けてもないし、そういう方向を目指す気は今はありません。将来(あるかどうかですが)はわかりませんが。
わたくしどもの研究は10,20年後には確実にたぶん驚くほど役に立っているはずです。生命の継承の根本メカニズムをやってるのですから、とんでもなく役立つはずです。ただ、とんでもなく危ない方向に役立つ可能性もあります。だからこそ、人類の幸福、健康、安寧に役立ちたいと、強調してるのです。
もっとはるかに卑近でありしかし切実な癌研究で言えば、癌がいかにして生じるか、その根本原因は何か、それを明らかにするような研究に結局関わっているのですね。わたくし自身、10年前ですと、その様な問題に間接的に関わっていたのでしょうが、今なら直接関わりだしています。しかし、それは特にそれを意図してるのではなく、自然に関連してしまうのです。
研究を始めて、最初の25年くらいは、わたくしは自分の知的好奇心を満たすのみで、まっしぐらでやって来ました。しかし、それだけではないものを持つこと、学風の広がりを真剣に考えていた期間があります。しかし、考えてはいたものの、なかなか手を出さない時期がありました。しかし、下で述べるRNAi法の広がりを契機に一気にヒトの染色体の問題に着手できるようになりました。
わたくしは、この研究の広がりを「応用」とはまったく思ってません。研究の必然的な広がりが可能になったから、自らもその広がりに参加してるだけです。
がんの治療方針を決める為の診断技術を開発すると言えば、応用研究に聞こえると思われます。しかし、基礎中の基礎の研究をヒト染色体を対象に行っていた内容が、ある日突然「応用的意義がある」と本人も周囲も理解する、生命科学の発展とはそういうものです。

わたくしが今までやって来た研究分野では、応用とは以下のような状況にたいして使われました。
酵母菌で遺伝子を壊す技術が確立しました。それとほとんど同じ方法を「応用」して、ほ乳類で遺伝子を壊す技術が何年も経ってから、確立しました。方法は同じようなものですが、もちろん手順は随分違います。ほ乳類で成功した人は、有名になり大きな賞をたくさん貰ってますが、酵母で成功した人はその基礎を作った人ということで、専門家のあいだではそれ相応な尊敬を得ております。さて、どちらもアメリカ人ですが、米国ではどちらにもしっかり研究費をサポートしてます。わたくしはそれで十分だと思います。つまり、アメリカで芽が出て、アメリカで収穫されるようにしたのですから。もちろん、酵母で成功したあと、誰がほ乳類で成功するかずっと話題になっており、技術として当然応用せねばならないし、誰かに成功して欲しいものという認識でした。酵母での創始者はその後もオリジナル研究を続けてますから、彼に研究投資したのは成功でした。
RNAiという革新的技術がヒト等のほ乳類細胞に応用可能になりました。もともとは線虫とかハエでは、かなり前からRNAiは可能だったのですが、風変わりな技術(その原理があまりはっきりしなかったのも一因で)でもあり、ヒト細胞への応用は無理だと、囁かれていました。わたくしもその方法の存在は知ってましたが、線虫でだけ効くとか聞いていて、それ以上の関心はありませんでした。ところが数年前にこの方法がヒトで培養によく使われるHeLaという細胞で応用可能という論文が発表されました。
その時、わたくし達も色めき立ちました。HeLaででもできるのなら、さっそくやりたい。われわれが分裂酵母でやっていたことを。そっくりそのままヒト細胞に移してみたい。
これに乗ってくれたのが何回か前に話題にした、GG君でした。彼はきわめて短期間でRNAi法を研究室に導入するのに成功させました。そこから先は驚くほどのスピードで研究が進展しました。
わたくしは「実例」で、応用というものについてのわたくしの考えを述べました。
中村修二氏の青色ダイオードの実用化の研究はあまりにも有名ですが、いっぽうで赤崎勇氏のそれ以前の青色ダイオードの基礎研究も同様にきわめて重要だし有名です。中村氏の研究は赤崎氏の研究の応用では決してなく、オリジナルな技術開発ですが、先人である赤崎氏の業績に基礎があることは歴然としてます。どちらが偉いかなどと言う議論は、先ほどの酵母の遺伝子破壊とほ乳類の遺伝子破壊をやった人間のどちらが偉いか、というのと同じで意味があるとは思えません。
最後になりますが、わたくしが今もいるこの研究科の発足時にどれくらいの数の特許があるかと言うことで調べたら、100程度はあることが分かりました。しかし、その中でお金を現実に生み出している特許は一つもありませんでした。ことほどさように、「応用=役に立つ、お金になる」、というのは意味があるコンセプトかどうか疑わしいです。わたくしは、役に立つかどうかというのが一番大切だと思います。

生命科学では。昨日まで単なる一片の知識であったものが、必要性や場合によっては規制緩和によって突然にお金を生み出す知識となりえます。創薬のようなたいへん地道で時間のかかる分野もありますが、生命科学技術には即時的に役立つものもありえます。これが面白さでもあり、怖さでもあります。どう怖いかはまたいずれ。
ブログのコメントに対しるレスポンスとして、脱線気味ですが、お許しを。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-04 20:46
2005年 04月 03日

時代の子

朝起きて外を見ると、雨模様。雨戸を開けると、庭のレンギョウが咲き出していた。小さい株だが、背景が竹垣なので、映える。
隣にある、カエデは、昨年だったか、植木職のひとに、この木肌は素晴らしいといわれてから、しげしげと見るようになったが、確かに美しい。晴れの日も曇った日も、特に雨の降った時になんともいえない魅力がでる。気がつかずに、25年も経っていたか。ものの美醜は誰かに言われて、始めて気がつくことがある。全体ではなく、局部での美が全体を決めているのか。
モナリザも「微笑」といわれて、始めて全体が見えてくる。人間の不可思議な感性。
狭い庭なので、スギゴケで木のあるところは全部地を覆ってしまった。それ以来、よく庭に出るようになった。スギゴケから出る精気を吸収したくなるような感じ。きょうはスギゴケのあいだに立っている、どの木も小雨の中で元気良さそうだった。
この時期は黄色の花をたくさん見る。庭とはいいがたい北小松の畑地では、マンサク、サンシュユは先週満開だった。敷地の端に植えた、レンギョウはまだ咲きそうにもなかったが、今日あたりどうだろうか。午後にでもでかけてみてみるか。
朝は洗濯、一週間分。部屋は目で見て、ゴミがあるように見えたら、掃除することにしている。
猫がよくなきすり寄ってくるので、水、食事を与え、トイレ掃除。老猫になったのか、最近水をよく取り、トイレの固まりも大きめ。腎臓機能の低下の可能性とか獣医さんは言ったそうだが、検査をしようとしたら大暴れしたので、検査はしなかったとは、妻の言。老猫のくせにときおり、信じられないようなスピードで走り、高い木にまたたく間に駆け上がり、あとで降りられなくて、泣き続けることもある。三毛猫。目の色とか、顔にあるごく小さな斑点から、シャム猫の血がすこし入っているのではないかと勝手に判断している。起きてから、家の中のことなどをして一休みする。こんな感じが主婦の感覚かなとおもう。
仕事を始める前に、日曜なので、すこしぼんやり考える。家には誰もいないので、考え事にはたいへんよろしい。
「時代の子」、そんな言葉がわたくしの頭のなかにある。
自分は時代に関係なく生きてきたつもりでも、実は完全に「時代の子」だったのではないか。わたくしは、心理学を勉強したことはないのだが、自己流の心理判断をよくする。他人も自分もその判断の対象とする。わりあいよく当たるような気がする。判断の基準は、おおざっぱに言えば、「いきがい」のようなものを知って、判断する。いきがいには深層と浅層があり、またひだというか複雑な房があるので、難しく考えればわけが分からない。そこを、おおざっぱに第一近似する。しかし、生きがいなど人はそう簡単にいってくれない。そこで、「骨相」から判断する。これはわたくしの周辺の人間は誰でも知ってるが、わたくしが人を煙に巻きたいときは、たいていは、骨相学の話をすることにしている。とりあえず、偏見と独断にもとづくような「骨相」から、その人の生きがいなりを知ろう、まあこれがわたくしの心理判断なのですが。

それで、時代の子ですが、わたくしはどうも10才になる前に、時代の子のインプリントをされてしまったようだ。インプリントとは印を押すというか、心に焼き付くとかそういう意味ですが、細胞生物学では、遺伝子発現の様式に最近よく使われるのです。よく、氏と素性といいますが、この素性に相当するような、遺伝子発現があって、いっぺん素性が決まればなかなか代わることはないというようなもの。ひと言で言えば、時代の子とは素性ですね。どんな時代をどんな環境で育ってきたのか、どんな人や自然が周りにいて、どんな影響を与えてきたのか。
この年になって、わたくしはだんだん自分の素性が、インプリントされたものが分かってきたような気がします。というか、この年齢になったので、始めて分かるようになってきたのかもしれません。
そろそろ仕事再開なので、今日はここまで。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-03 09:27
2005年 04月 02日

いまの研究の発端

きょうは所用で東京へ日帰りで出張。早朝に出て、所用の前に、東京に住む娘夫婦のふたごの孫二人を見ました。5か月になったとか。かわいい。しかし、土曜日の出張は疲れる。妻はまだ東京。

わたくしの研究上の興味は染色体にある。遺伝子の担い手の染色体である。ヒトには46個の染色体があるが、23個ずつ母と父から継承されているのは誰でも知っていることでしょう。この染色体が親から子の細胞へ正確に継承されている仕組みを長年調べています。染色体の数がいかにして恒常的に保たれてるか、そういうふうに問題を言い換えてもいいでしょう。がんの細胞ではほとんど例外なく、染色体数が異常になっているので、染色体数の異常が細胞のがん化の原因なのか結果なのか、ながいこと論争になっています。
わたくしの研究者の出自は分子生物学という分野で、目にはまったく見えない分子のレベルでの生き物のいろいろな性質をしらべます。この分野はもともと過激な考えが強い人達が創始しました。ばい菌で分かったことは、すべてヒトでもゾウでもクジラでも正しいと、平気で断定するようなある意味で非常識な人達でした。つまりウイルス、細菌とか普通の生物学者が見向きもしないようなものを、モデル生物として取り上げて、これで正しいことは、他の生物でも正しい、と言い張る研究者達です。この過激派集団はたくさんの成功者を生み出してますし、20世紀後半の生物学の激しい進展を引き起こした、代表的な一派でしょう。
若い頃のわたくしはそういう過激派の末裔でした。細菌に取り付くウイルス(ファージといいますが)を染色体のモデルとみなして結局十年くらい研究しました。しかし、だんだんこの考えの旗色が悪くなってきました。ファージの構造が詳しく分かるにつれ、どう考えても、ファージが高等生物の染色体と似ていると言い張るのは難しいようでした。特に染色体の基本となるクロマチンと呼ばれるものがスッキリと分かりだしてきてみると、どこを見ても、わたくしが日夜研究していたファージの構造との類似点を探すことは無理でした。潮時かなと、思わざるを得ませんでした。そして、30代半ばには「ほんとの染色体」をやはり取り上げないと、いけないと思い出しました。
そして、顕微鏡でよく見えるヒトの染色体ではなくて、そんな染色体なんてものがあるのかどうか疑わしいと、当時の染色体専門家がみなしていた、菌類の染色体を研究の対象にしました。なぜ菌類である酵母を選んだか。ウイルスでわたくしなりに熟達した遺伝学的なアプローチが可能だからでした。それに、見えないものを見えるものにする、これがわたくしの個人芸でした。若くして教授になれたのも、見えそうもない不可視的なウイルスの構造を、あの手この手で見えるようにした業績のおかげでした。
酵母菌(実際には分裂酵母というものですが)の染色体なんてほんとにあるのですか?と疑わしい顔つきできかれたことが当時何度もありました。染色体のDNAが一続きなのかどうかが全然分からない時代ですからしかたありません。
そんなとき、カビの染色体をちゃんと見えるようにするということと、カビの染色体が親から子にうまく伝わらないようなミュータント(変異体という)を作ろう、こんなものがわたくしが教授になった頃のスローガンでした。28年前になります。
そんなテーマが成立するのか、疑わしい顔をする人達がまだまだ多い時代でした。そんな時に、わたくしはまあカビにもヒストンがあるのだから、大丈夫でないの、とうそぶいてました。ヒストンはヒトの染色体にもあるDNAに結合するタンパク質です。案外こんなことを心の支えにして、数年間のある意味で賭の研究に乗り出すのですね。だから、数年後に、染色体を一つずつ見えることが可能になったときはほんとに嬉しかったものです。
これを最初に見たのが早逝した梅園和彦さんでした。彼はわたくしが所属している研究科の初代の教授の一人でしたが、発足の最初の週に亡くなりました。。このカビの染色体を仲間だった登田隆さんたちと一緒に見始めたときには彼はまだ20代の始めでした。
わたくしは、定年退職の機会に多数の一緒にやった若者達の顔を思い出しましたが、死者となってしまったのは梅園さんだけでした。
話がずれたかもしれませんが、わたくしの今の研究の事始めのエピソードをちょっと書いてみました。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-02 23:35
2005年 04月 01日

きょうおもうこと

昨日は、午後に研究室で、花束を頂いた。やはり嬉しいものです。その後、お茶とケーキで和やかにおしゃべりをした。わたくしとしては、昨日も今日も同じような日々でありたいのだが、やはりこのようなセレモニーを持つのも楽しいし、研究室のみなさんにも意義があるのだろう。

今日は昼過ぎ研究科長から、辞令をいただいた。
二通あって、一通は研究科長からの通知書で、現職研究員とあり、異動内容として、生命科学研究科教授(特任)の称を付与しますとある。この称は上手に使えば価値があるわけ。名刺には入れる気はないが、グラントの申請にたいへん役立つ。
もう一通は使用者職としての学長からでこれには労働条件通知書とある。契約期間、職種、業務内容とあり、ここには有期雇用教職員、研究員(学術支援)とある。ふーん、支援研究員かと思った。始業は8時半、就業は17時半、休憩12時から13時まで1時間とある。後いろいろ書いてあり、休暇も取れる。裁量労働制が無くなるので、これからは朝8時半に来るのかな?と思わずつぶやく。あと、有期雇用というところで、茶々を入れたかったがこらえた。受領サインをして、これでこれから一年間頑張りましょうと、心から思った。

わたくしのようなケースは、K大としてはまだまだ珍しい出来事。つまり、名誉教授はどんなかたちであれ、キャンパスには残れないという不文律が長年あった。数年前にわたくしが研究科長であったときに、その様なことを変えるべきだと、本部の人事の上級職員と話したときに、彼は事務職員であるのに(だからというべきか)、言下のもとに「先生それは絶対いけません。かならず院政になりますよ」と言われた。教授会で話題にしても、若い教授の多くからは、やはり「院政」への危惧が強く出た。
K大は、たしかにそういうことを考えたくなるような歴史が長年あった町に存在するのでしかたないかもしれない。
わたくしとしても、そういう気がなくても、どう勘ぐられるかしれないので、もといた研究科の教授の人とはこんご私的には極力会わないのがいいのだろうと思った。お茶を飲んでいるのを目撃されても、何を言われるか、分からない。相手のかたに気の毒になる。幸いわたくしのいる、この建物には同じ研究科の教授は一人もいないのでトイレや廊下で会うこともないし、教授会にも出ないのだし、その点安全でしょう。
ただ、わたくしはK大でたしかに研究室を経営してるのだが、同僚という人間はどこにもいないことは確かだ。そういう点で、誇張だが、天涯孤独のような不思議な感覚。
これからは、創造性の高い研究を試みるのが、それは研究科の興隆の為ではなく、たぶん世界の生命科学の為にやるのだと、心から思う。そういう気持ちなら、よもやわたくしが院政に興味があるなどというかつての同僚はいないだろう。
新入学生を受け入れることもできないのだから、よほどの創意工夫が研究室運営に必要。しかし、わたくしは今まで逆境にはとことん強いという自負があるので、むしろこの様な環境をバネにしたい。日本か世界のどこからでもやる気のある元気な若者をスカウトしよう。そのためには研究費がどうしても必要、やる気が高揚してくる。

わたくしの今後は、研究能力だけでの評価で生きていきたい。他にもあるかもしれない能力は、夾雑物としてみなされたほうがほんとにありがたい。
研究能力の評価が墜ちたときにはいさぎよく、現場を去りましょう。

夢想だが、これからは野に放たれた狼のような生き方をしてみたい。

しかし、「狼」になるには、体型もまったく不似合いだし敏捷性はゼロだ。しがらみ、係累も多すぎて、狼などになれるはずがない。それに年も取りすぎた。だから、バーチャルな気持ちだけでも、一匹狼だった昔の時代に戻りたい。

興味のない世界には近寄らないようにしよう。好きなものには好きといって近寄り、嫌いなものは嫌いと宣言し近寄らないようにしよう。良いものは良いと、よろしくないと思うものにはよろしくない、そうはっきり言いましょう。
心の自由のために。

研究のできる時間がまだあることに、深く感謝しつつ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-01 22:44
2005年 03月 31日

論文ライターのひとりごと

今年の正月休みに、「毎月論文を1編書いて投稿せねばならないなあ」、とため息をつきながら計画を立てたのに、もう早くも3月31日三ヶ月経って、退職の日になったというのにまだ1編しか投稿してない。準備中のものは多数あるのだが。博士の学位を取らねばならぬ人達が多いのだから早くなんとかしないと。
ひどい計画の遅れだが、わたくしだけが悪いわけだけではない。わたくしとしては、これ以上無理というくらい勤勉に土日も忘れずに、多数の論文準備の作業をして働いているのだが、なかなか計画通りにいかないのだ。基本的に頭というか、頭部と手を使うのみの作業で、不健康なので、そればかりやっては結局非効率だし、体調だって悪くなる。それに、思わぬ雑用が入ったりしての遅れもある。サッカーのイラン戦、見ないで論文をかくなんてことはさすがのわたくしでも出来ない。このブログ書きのような、気分転換は、論文書きに特に大切です。
ともあれ、これ以上の時間をかけて論文書きで働くのは気力体力的に無理、とわたくしは思ってるし、周りも分かってるので、あとはどうわたくしが工夫して、関係者も協力して、計画を実現するかである。計画の遅れはあるが、年間的にはまだまだ可能性はある。
昨年5月から改訂中の論文がある。懸案事項のトップに来ていることは事実。しかし、関係者の多大な努力でもまだ満足すべきデータが出てこない。関係者も最後のデータをいつまで頑張るか、ジャーナルのランクを落とすか、祈るような状態。
わたくしのパソコンのデスクトップにはそれも含めて8編の論文フォルダが置いてある。うち2編は事実上ほぼ終わっているのだが、なぜか筆頭著者が急ぐ気配がない。それに、もっときめ細かく協力してくれないとまだすこし時間がかかりそう。心を合わせた最終段階というふうになってない。
他の論文もデータはみな沢山ある。しかし、フィニッシュには足りない。フォルダーが2G以上の大きさなのに、まだ終われないのはつらいのだが、しかたがない。
かゆいところに手の届くように協力してくれた、GG君がほんとに懐かしい。彼はやはり特別だったのか。でも、彼が出来たのだから、他の人達も出来るはずではないか。こう考えるのはいけないかな。彼は、考察に必要なあるセンテンスを書くために、その背景になる引用論文がなにになるか、ちょっと聞くと、素早く完全なリストを説明付きでメールで送ってきてくれたものだ。何を聞いても間髪を入れずに返事があり、頼んだことを忘れたことは決してなかった。
いまは、わたくしが最低2回お願いしないと、対応の返事が来ない人達が多い。わたくしが、忘れた頃に「あの件ですが」と代名詞でやってくる。「あれ、これ」とやたらに代名詞が多いか、省略語が多い若者が増えてる。
論文書きの最終段階では、そのお話というか主たる結論がこれまで既に知られている知見とどう関係するかをきちんと明確に関係づけて、論じなければならない。さらに、いろいろな気になる可能性も論じなければならない。文献上の実験結果や、研究室内でかつてやられた未発表や既発表の実験結果を思い出して関係づけるとか、知的には大車輪の忙しさと最大限の活性化状態になるのである。
こういう時期に、のほほんとしてるみたいで活性化してない(かのように見える)関係者には腹が立つのだが、しかしかれらも、たぶん協力したいと思っても、どうしていいのか分からないのでしょうね。
結局、考察の一つのパラグラフを書くのに、半日くらいかかることがある。論文引用漏れがないように自宅でインターネットから大量の文献を一つ一つを見る作業などがある。このあたり、関係者の弱さがわたくしへの負荷としてかかってくる。わたくしとしては、対話がほとんどできないような著者の論文を書くのがほんとにしんどい。ボスの言うとおりにしか出来ないポスドクを抱えての研究室運営など、たぶんもっともつまらないでしょうね。わたくしにはそれでも、この未熟な学生もいつか立派な研究者になるのではないかという、希望がもてますから。
どうも、今日のは、ついつい、ぼやき、なげき節になってしまい、すみませんでした。たぶん、研究室の人達も首をすくめて、これを読んでるかもしれませんね。やはり退職日ですから、気持ちがネガティブになってたかもしれませんね。
そうはいいながら、いまデスクトップのフォルダ内のほとんどの原稿はかなりの完成状態なので、気持ちよいフィニッシュのデータと、かゆいところに手の届く協力と、わたくしの気力が充実してれば、残り9か月で全部投稿までいけるはずなのです。でも、それでも計画の3分の2です。残りの時間は、予想外の研究の進展の為に取ってあるのです。下級生というかラボで一番若いクラスの人が素晴らしい研究成果を挙げたことは今まで何度もありました。誰かの仕事が突然ブレイクするかもしれません。そういう状況になればわたくしも他のことは全部捨ててでもその論文を書きだします。
ほんとにエキサイティングで内容がズバリと決まった実験結果がそろえば、3日もあれば論文が書けるのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-31 19:00
2005年 03月 30日

オウンゴール

いやー、勝てましたね。オウンゴールとは。でも、勝ちは勝ち。これで一歩前進。
今日はバーレーン戦の試合を見たいので、早くラボをでました。出る前に、セミナールームでの雑談で、今日負けたら大変と言ったら、AK君が「絶対勝ちます」と力強く言った。彼があんなに自信を持って発言したのは聞いたことないので、そうかもしれん、と説得されました。彼は将来あんなふうに言えるのなら、良いボスになれるかもしれない。
試合は、中村は当然として、やはり三都主アレックスが出たので、戦意高揚、後半特に締まりました。しっかり、終了数分前にイエローカードを貰うところがアレックスの愛らしいところ。今回は中田、福西、中沢をはじめ皆いいところが守備で出ていましたね。わたくしは、フォワードは鈴木の不器用ながらも「えぐい」ところが好きです。高原の良さはどうもよく分からない。まあしかし、相手も強かった。勝負の差は紙一重だった。だからハラハラして、面白いのでした。
いくさを楽しいとはいえないかもしれないが、いくさを始めたら止められないほと面白いのでしょうね。オウンゴールで勝つ味はどうなのでしょう。それに一方で負けた方の味の苦さは。

昨日は急いで書いたので、ちょっとだけ書き残したところがありました。
論文投稿から公表を勝ち取るまでの過程には「いくさ」と似てるところが相当あります。ただ、あくまでも似てるのであって、ほんとのいくさと思ってはいけませんね。戦闘意欲が強く出すぎては勝てるものも負けてしまう。あくまでも、やってることは投稿と審査ですからね。でも、一年くらい投稿論文の改訂を要求され、引き回されて、結局拒絶され、競争相手の論文が通れば、いくさに完敗と思いたくなるし、復讐心も出てきがちです。わたくしも投稿論文がアクセプトされた喜びよりも、つらい思いをしたことの方をずっとよく憶えてます。でも負けても結局、命をとられるわけでもなく、誤った結論の論文を出す場合のダメージに比べればはるかにましです。
それに研究の勝負は長いマラソンのようなものですから、短期の結果で一喜一憂しない方がいいでしょう。やはり10年単位の成果が結局はものをいうのです。他人は案外よく見てくれてるものです。
研究者は結局真理探究をしてるのですから、真理探究の成果を発表する過程がたとえどんなに「いくさ」に似てようとも、真理探究の徒というスタイルが根本にないと、存在自体が危うくなるし、尊敬されませんよね。
でも、尊敬されるのを選ぶか、勝者となるのを選ぶのか、二者択一なら、あなたはどちらを選びますか。最近の若い人達は、勝者を選ぶのかな。
わたくしの持ってる「教養」では常に尊敬のほうを選ぶべきというものでしたが。
でも、オウンゴールをいりませんというという類の「教養」はさすがにもっていません。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-30 22:56
2005年 03月 29日

匿名レフェリーとの対話

昨日、今日と二日間朝から夕方まで、TK君の投稿論文のレビジョンつまり改訂原稿の作成をしていた。彼に隣に座って貰って、パソコン画面を見ながら、レフェリーのつけてきた沢山の批評やコメントに一つずつ対応しながら、キーボードに打ち込んで改訂原稿を作っていく。まだ終わらないが、もう1日かければ峠を越すだろう。
彼の論文は2月始めに某有名誌に投稿して、わりあい早く3人のレフェリーコメントが来た。駄目もとなどというと、本人に悪いが、高望みしたのに、感触のそれほど悪くないコメントで、これなら精一杯頑張れば何とかなるかと希望のもてるコメントだった。かれは、それから非常に頑張って1か月ちょっとで、相当の数の新データを出した。これで、批判の多くに対応できそうだ。偏差値世代の優秀学生は、目標がはっきりすると、目一杯頑張る。たいしたものであった。
そういうわけで思いのほかのスピードで改訂原稿作成段階まで来た。
研究の世界のことを知らない人にはピンと来ないだろうが、このレフェリー3人がこの投稿論文の生殺与奪を握っている。彼等は匿名で、誰だか分からない。誰だか当てたくなるのだが、やめた方が無難、あまり当たらない。
しくみがどうなっているかというと、この投稿論文を受け取ったジャーナルの編集者が、レフェリー3人を決めて頼んでいる。もちろんこの編集者は誰が何を言ってるかは知ってる。編集者は場合によっては純粋に編集的役割しかしない場合もあるが、たいていは最終判断をするので、ある意味で決定的なパワーを有している。この編集者が誰かはわれわれ著者側には分かっている。レフェリーと著者のあいだに立って、論文をアクセプトするかどうか決める立場にいる。

改訂論文作成で大きなウエイトを占める作業は、原稿に添付するカバーレターなるものを作ることである。難しいジャーナルほど、沢山の批判やコメントがついてくるので、当然それらに対応する実験をすることが多いが、しない場合でも、著者はいかにして対応したかどう考えるかを、批判に対して、一つ一つ書いていかねばならない。場合によっては長いカバーレターになることがある。
恐ろしいことに、一人のレフェリーのリポートが10ページとか場合によると20ページ近くなるようなとんでもないケースもある。相手は匿名なので、文句を言いたくてもどうしょうもない。
たいていはそんなに長くない、数ページ程度である。しかし、油断は禁物である。たった一行、「この結論は疑わしい、はっきりさせる実験をしなさい」などと言われれば、何をしたら相手を満足させられるか一生懸命考えねばならない。たった一ページのコメントでも半年くらい改訂のための実験をすることはしばしばある。
匿名者との対話である。彼等の厳しい批判には、忍耐心を高めて、怒りを抑えることが大切である。意地悪だと怒ったところで、なんの足しにもならない。かれらがOKと言ってくれなければ、論文は決して日の目を見ないのだから。論文が通った後なら、レフェリーのコメントに対する批判を、同業者と一緒に飯を食うとき言っても良いが。それまでは用心するべき。当の飯を一緒に食べてしきりに同情してくれる相手がレフェリーだったなどということ、はよくあることだ。
大切なのは、批判の裏にあるものである。トーンというか、調子である。コメントには通常感情的なものは普通ないはずなのだが、でもそう受けととめがちなコメントは多い。レフェリーの全般的な判断を感じたい。一方で、表面的なコメントの調子に騙されてはいけない。
たとえば、「このような粗雑な実験でこんなことがいえるはずがない」とか「この結論は完全に間違ってるし、しかもそれをサポートする実験データと称するものは大変疑わしい」などと書いてくれば、だれでもこれは自分を嫌ってる人間のコメントと思いがちだが、それらが実は著者のごく親しい友人であったなどということはざらにある。
つまり、匿名者のコメントはほんとに正直なのである。意図的なものと言うより、正直なのである。
ただ、これが一番のポイントなのだが、非常に厳しいコメントも、それは「善意」に基づくものなのか、それともなんらかの「はっきりした理由」があるものなのか、これの見極めが可能なら、見極めるべきなのである。
直接の競争相手がレフェリーなら、やはり厳しめのコメントが当然でがちなものです。それに、編集者は甘いレフェリーは好まないので、出来たら厳しめのコメントを欲しがる。一流とか言われてるジャーナルは往々にして、一番の競争相手にレフェリーを頼むものである。コメントが厳しいからといって、unfairと言ってはいけない。サッカーのデフェンダーの守備のようなものである。ぎりぎりのところでfairと言わざるを得ない、厳しいコメントをくぐらないとなかなか沢山の人目に触れるジャーナルに論文を公表できないのは当然である。結果が面白ければ面白いほど、フェンスが高くなりがちである。それに厳しい批判は本当のところ、非常に建設的な批判であることが多い。怒る前に、本当は感謝しなければいけないのだ。
いまのところ匿名レフェリーに代わるシステムは、見いだされてない。このシステムには大きな欠点がある。つまり最新のデータとアイデアが競争相手に知られるし、しかも盗まれる可能性もある。巧妙に論文の公表を遅らせて、先に発表してしまうことだってある。しかし、そのような犠牲を払っても、匿名同僚によるレフェリーが今のところベストなシステムと多くの研究者は思っている。

このTK君の改訂論文も論文の改訂そのものと、カバーレターを完成するまで、まだ何回かの検討ラウンドが必要なことはまちがいない。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-29 18:56