2005年 03月 29日

匿名レフェリーとの対話

昨日、今日と二日間朝から夕方まで、TK君の投稿論文のレビジョンつまり改訂原稿の作成をしていた。彼に隣に座って貰って、パソコン画面を見ながら、レフェリーのつけてきた沢山の批評やコメントに一つずつ対応しながら、キーボードに打ち込んで改訂原稿を作っていく。まだ終わらないが、もう1日かければ峠を越すだろう。
彼の論文は2月始めに某有名誌に投稿して、わりあい早く3人のレフェリーコメントが来た。駄目もとなどというと、本人に悪いが、高望みしたのに、感触のそれほど悪くないコメントで、これなら精一杯頑張れば何とかなるかと希望のもてるコメントだった。かれは、それから非常に頑張って1か月ちょっとで、相当の数の新データを出した。これで、批判の多くに対応できそうだ。偏差値世代の優秀学生は、目標がはっきりすると、目一杯頑張る。たいしたものであった。
そういうわけで思いのほかのスピードで改訂原稿作成段階まで来た。
研究の世界のことを知らない人にはピンと来ないだろうが、このレフェリー3人がこの投稿論文の生殺与奪を握っている。彼等は匿名で、誰だか分からない。誰だか当てたくなるのだが、やめた方が無難、あまり当たらない。
しくみがどうなっているかというと、この投稿論文を受け取ったジャーナルの編集者が、レフェリー3人を決めて頼んでいる。もちろんこの編集者は誰が何を言ってるかは知ってる。編集者は場合によっては純粋に編集的役割しかしない場合もあるが、たいていは最終判断をするので、ある意味で決定的なパワーを有している。この編集者が誰かはわれわれ著者側には分かっている。レフェリーと著者のあいだに立って、論文をアクセプトするかどうか決める立場にいる。

改訂論文作成で大きなウエイトを占める作業は、原稿に添付するカバーレターなるものを作ることである。難しいジャーナルほど、沢山の批判やコメントがついてくるので、当然それらに対応する実験をすることが多いが、しない場合でも、著者はいかにして対応したかどう考えるかを、批判に対して、一つ一つ書いていかねばならない。場合によっては長いカバーレターになることがある。
恐ろしいことに、一人のレフェリーのリポートが10ページとか場合によると20ページ近くなるようなとんでもないケースもある。相手は匿名なので、文句を言いたくてもどうしょうもない。
たいていはそんなに長くない、数ページ程度である。しかし、油断は禁物である。たった一行、「この結論は疑わしい、はっきりさせる実験をしなさい」などと言われれば、何をしたら相手を満足させられるか一生懸命考えねばならない。たった一ページのコメントでも半年くらい改訂のための実験をすることはしばしばある。
匿名者との対話である。彼等の厳しい批判には、忍耐心を高めて、怒りを抑えることが大切である。意地悪だと怒ったところで、なんの足しにもならない。かれらがOKと言ってくれなければ、論文は決して日の目を見ないのだから。論文が通った後なら、レフェリーのコメントに対する批判を、同業者と一緒に飯を食うとき言っても良いが。それまでは用心するべき。当の飯を一緒に食べてしきりに同情してくれる相手がレフェリーだったなどということ、はよくあることだ。
大切なのは、批判の裏にあるものである。トーンというか、調子である。コメントには通常感情的なものは普通ないはずなのだが、でもそう受けととめがちなコメントは多い。レフェリーの全般的な判断を感じたい。一方で、表面的なコメントの調子に騙されてはいけない。
たとえば、「このような粗雑な実験でこんなことがいえるはずがない」とか「この結論は完全に間違ってるし、しかもそれをサポートする実験データと称するものは大変疑わしい」などと書いてくれば、だれでもこれは自分を嫌ってる人間のコメントと思いがちだが、それらが実は著者のごく親しい友人であったなどということはざらにある。
つまり、匿名者のコメントはほんとに正直なのである。意図的なものと言うより、正直なのである。
ただ、これが一番のポイントなのだが、非常に厳しいコメントも、それは「善意」に基づくものなのか、それともなんらかの「はっきりした理由」があるものなのか、これの見極めが可能なら、見極めるべきなのである。
直接の競争相手がレフェリーなら、やはり厳しめのコメントが当然でがちなものです。それに、編集者は甘いレフェリーは好まないので、出来たら厳しめのコメントを欲しがる。一流とか言われてるジャーナルは往々にして、一番の競争相手にレフェリーを頼むものである。コメントが厳しいからといって、unfairと言ってはいけない。サッカーのデフェンダーの守備のようなものである。ぎりぎりのところでfairと言わざるを得ない、厳しいコメントをくぐらないとなかなか沢山の人目に触れるジャーナルに論文を公表できないのは当然である。結果が面白ければ面白いほど、フェンスが高くなりがちである。それに厳しい批判は本当のところ、非常に建設的な批判であることが多い。怒る前に、本当は感謝しなければいけないのだ。
いまのところ匿名レフェリーに代わるシステムは、見いだされてない。このシステムには大きな欠点がある。つまり最新のデータとアイデアが競争相手に知られるし、しかも盗まれる可能性もある。巧妙に論文の公表を遅らせて、先に発表してしまうことだってある。しかし、そのような犠牲を払っても、匿名同僚によるレフェリーが今のところベストなシステムと多くの研究者は思っている。

このTK君の改訂論文も論文の改訂そのものと、カバーレターを完成するまで、まだ何回かの検討ラウンドが必要なことはまちがいない。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-29 18:56
2005年 03月 28日

汚いデータ

汚いデータはピンからキリまでありますが、どれもそれなりに意味があるものです。汚いデータを見せてくれない院生は好きになれません。
年の功で、研究室内で出てくるデータは誰が出したか聞かないでもだいたい当てることが出来ます。不思議ですが、汚いデータの汚さが違うのです。個性の違いですか。

エピソードを一つ。Fred Sangerがインシュリンのアミノ酸配列をトリプシン分解などを駆使して、20代半ばで決めたのは有名ですが、彼の出した実際のデータを見た人を知ってます。その人の話では、あのぼやっとしたペプチドスポットから、どうしてああいう配列結果がでたのか、データの説明を聞いてもぜんぜんフォローできなかったそうです。
それでは、「心眼で結果がわかったのでしょうか」と聞いたら、「そうとしか思えない」との返事でした。真相は知りません。でも、人が見たら、汚いデータとしか思えなくても、実際には「ピン」のデータだったのですね。彼のデータがいかに良かったかは彼の後で大規模で当時のハイテクで決めたRNaseとかLysozymeはかなり配列決定に誤りがあったそうですから。でも実物のデータは一見そういうものであったのかもしれません。宇宙物理学のデータなんかは一見ゴミに見えますね。

院生が汚いデータと決めて、すぐどこかにしまってしまうようなものの中に大切なものがあったことは今まで枚挙にいとまありません。ですから、最低限数日は人の見えるところにデータを置いて欲しいものです。だいたいデータを自分で何でも十分に解釈できるなどとおもう修士1年や2年の学生がいたら傲慢だと言いたくなります。

データの汚さを突き抜けて、真理がちらっと垣間見せてくれてるような状況に出会ったら最高です。研究の醍醐味です。汚いシミやスポットの陰に、真理が隠れてることは本当によくあるのです。

わたくしが経験したエピソードを一つ。
むかし、ファージT4を毎日電子顕微鏡で観察していた、スイスのジュネーブにいた頃のことです。ある日、半分遊びがてら、T4粒子を希釈した抗血清液と混ぜて観察しました。方法は2話で触れたネガティブ染色でやりました。何かやたらに汚い画像が見えるのですが、でもよく見ると、ウイルス粒子が雪だるまのように抗体で覆われてるとしか思えないような像がたくさん観察されました。
当時T4に対する抗血清は感染に必要な細菌表面への吸着器官である尾毛(tail fiber)に対する抗体のみが含まれていると、信じられていたので、わたくしの得た電子顕微鏡はまず汚い画像の典型とでも解釈されるものでした。
この写真を机の上に置いておくと、その画像のみたこともない汚さがもの珍しいのか、デスクの脇を通るラボのいろんな人達が、これはなんなのだ、と聞きます。わたくしは、これはファージ粒子に抗血清をふりかけると、こんな風にsnowmanのように見えるんだと説明するのですが、みな首をふりふり去っていきます。
口惜しくなって、どうしたらそうだと証明するか、2日ほど考えました。そして思わず膝をたたくような良いアイデアを思いついたのです。
つまり毎日使っているファージ変異体(ナンセンス変異なので特定タンパク質が欠失している)の抽出液とこの抗血清を混合すれば、変異体のタンパクに対する抗体があれば、それだけ生き延びるのではないか、その生き延びた抗体がファージ粒子のどこか特別なところに結合しているのが観察できるのではないか。このアイデアは、大当たりでした。
見事に頭、しっぽ、首、尾毛の先端、膝部分などを作るタンパク質が沢山の変異体抽出液を用いて、またたく間に同定できました。2か月ほど馬車馬のように働きました。論文を送ったらこれは「小傑作」だからこのまま公表せよというありがたいレフェリーコメントを貰いました(J Mol Biol 1970 51:411-421)。汚い画像が一転して、思い出深い研究になりました。またこれは特定遺伝子産物に対する免疫電顕法の始めての研究となったのでした。

今わたくしどもの研究室では染色体のいろんな側面を明らかにする実験研究をやってるのですが、何がきれいで何が汚いのか、データを偏見なく見ることの難しさをしばしば感じます。もっともらしい定量データが実はひどく汚いものかもしれませんし、わずかなパーセントの細胞しか示さないような変異体やRNAiの表現型がmessyなようで実はたいへんな発見なのかもしれません。

蛍来いではないですが、汚いデータよ、やってこいです。

ところで、明日は明日の風が吹くとうそぶいていた30代が懐かしいと言う、何回か前のわたくしのブログに、コメントがありました。それで背景説明をすると。
この30代はまだかなり前半で、わたくしが面倒を見る正規の院生もゼロの頃で、論文もsingle authorで書いていた時代のことです。
最近、single authorの論文は滅多に見ませんね。いまいちばんかっこいいかもしれませんね。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-28 19:29
2005年 03月 27日

ブログのコメントを見て

畑地にある、梅の木まだ花が咲きません。つぼみはたっぷり大きくなってますが。比良の山頂は真っ白でした。

ブログのコメントはなにか自律的に議論が動き出してるので、わたくしは参加しないで興味深く読んでいます。
これが新しい、メディアなのかなと思いました。なるほど、みなさん匿名ながらとても真摯に、非常にレベルの高い意見の交換をしてますね。匿名だから、議論に参加できる人達も多いのだと思います。わたくしが、ブログなるものよく分からずに飛びついたのも、こういうことを漠然と想像していたのかもしれません。
わたくしもちろん意見があるのですが、見ていく方を優先したいと思います。
わたくしの出所進退、批判される余地は絶対に相当あります。わかってます。
旧帝大系の大学で33年間も飯を食って、なおかつスカッと消えるのでなくぐずぐずいるのですから、たたけば埃はかなり出ます。
ともあれ、研究者としての生き様を正直にさらそうと決めてます。
誤解に基づく意見もあるようですが、それもしかし、一つの意見ですからその意見の出てくる背景にはなんらかの真理が存在します。 

ところで、第2話を褒めて頂くコメントがありました。わたくしも自信作だったのですが、どうも周囲では難しすぎて、分からんとか言われて、ちょっとあの類を止めてました。
またどこかで書きます。
まだまだ試行段階です。
それから、コメントでわたくしはジャガイモはもうやりましたかと聞いてきた人が居りました。わたくしの山にいる猿はジャガイモが異常に好きなのと連作が出来ないので、サツマイモをやってます。もちろんネットで囲ってます。ただ、このネット囲いが雪でつぶれるので苦労してます。今年こそ抜本的対策をしようと決意しました。
それから、メールで読んでますと言ってきてくれる友人が数人おりました。インターネットでの口コミ何か特別な用語ありますか。インコミというのはちょっと、語感が悪いですか。
沖縄のワークショップであった人の中にも読者がいるようでした。
わたくしは、まだブログの使い方を十分分かってないようなので、コメントへの対応の仕方どうもよく分からない点があります、研究室のよく分かった人に聞くつもりです。

しまらない内容ですが、今日はここまで。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-27 22:14
2005年 03月 27日

研究費についてのわたくしの考えです

基礎科学に対する研究費の絶対的な額がまだまだ非常に少ないのですね。現在文科省の科学研究費補助金(科研費)が総額はたしか約1300億円ではなかったですか。これでも毎年増えてるのですが、我が国のすべての科学技術分野をカバーする補助金ですから、やはり少ないのです。比較として、K大の年間経費がちょうど同じくらいだし、薬品会社のトップである武田薬品の年間純利益3800億円を考えてください。
科研費以外にも競争的研究資金はあります。JSTの戦略研究費は約500億円ありますが、JSTは重点領域しかサポートしないし、完全にオープンに公募するのも一部だけです。多くの戦略分野はかなり限定されており、応募するのがなかなか難しいものばかりです。
そういうわけで、大学で基礎科学を続けようとする人達にとって、競合して獲得せねばならぬ研究費の総体としてのパイの大きさは絶対的に足りないのですね。
それではどうしたらいいか?
一つは、文科省等の研究費を提供する省庁に頑張って頂いてもっと研究費の総枠を増やして頂く。そのためには、研究者は無言ではいけませんね。その必要性を主張しなければいけませんよね。
それから、一方で研究者のなかにもイチロー、松井クラスが相当数いなければ納税者はなかなか納得しませんよね。これは省庁サイドから常に言われることです。日本国民のみなさんに誇りに思われ、親しまれ喜ばれる基礎科学でなければいけません。つまり科学者はお高くとまってはいけません。科学について、絶え間なく親しみ深いシグナルを発していなければいけない。マスコミとも良い関係を作る必要があります。
わたくし自身は研究の現場でもまだまだ頑張ってるつもりですし、また一方で社会的発言もそれなりにしてるつもりです。つまり現役最前線を目指してます。
わたくしの研究室のホームページhttp://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/から「わが国大学における生命科学の研究と教育推進の危機的状況」pdf fileをダウンロードして読んで頂ければ、日本の研究教育の状況についてのわたくしの意見はきちんと言ってるつもりです。これは文科省の政策研究所内での講演記録なのですから、本丸での発言ですので、わたくしも腹をくくってやりました。
文科省の科研費の関係者の努力によって、科研費の申請資格や利用法などは、随分改善されてきました。大学にいる人間として恥ずかしいことに、大学当局が文科省担当者よりはるかに頭が堅く、ずっと遅れた発想でいることが多くなってきました。文科省担当者が、大学がいいというならどうぞおやりください、というようなことが大学の事情で出来ないことが多くなっています。
わたくしの知り合いのかたは首都圏である大学の非常勤講師を長年やってますが、彼女は大学が許可すれば科研費申請できるのに、大学は決して認めないそうです。なぜなら、非常勤の分際で研究費などを取ろうとするなど、もともとけしからんし、もしも取ってしまったら、上にいる正規の教授や助教授が面目丸つぶれになるから駄目なのだろうと、憤慨してました。
ですから、大学の経営能力や学問に対する態度がまだまだかなり低いという事実、まずこれが第一点ですね。ご存知とも思いますが、K大などの国立大学の事務担当者は英語書類はすべて翻訳を要求してきます。その翻訳を担当するのは給与のはるかに少ない秘書さんだったりするのですね。芳しくない大学組織がたくさん温存されてます。
次に本来有力なサポーターであってもおかしくない、企業と大学のあいだが、あまり良好でないというか、円満でないのですね。大学の工学、農学、薬学関係の研究室は思いのほかに貧しい研究環境ですね。こういう分野で、いい形でのつまり発展的な研究資金の流入が企業サイドから起きるといいのですが。
しかし、企業のかたに言わせると、秘密保持とか契約事項遵守とかで、日本の大学研究室は甘いのだそうです。そうかもしれません。しかしたぶんそういうことだけでなく、研究者が国内企業に親しまれ支持される雰囲気がないことが問題なのでしょうね。大学の研究者が企業での研究者より一歩高いところにいるかのような錯覚を感じているのも、問題かもしれません。また企業サイドも大学研究室の利用のしかたがまだまだ上手でない。ひと言で言えば、もっと発展的な大学、企業関係が存在すれば、総体としての研究費のパイが大きくなるはずなのです。
それから、これはわたくしも半信半疑なのですが、日本でも税制が変われば研究費の世界も、がらっと変わるのでないかということなのです。つまり寄付に対して税金がかからなければ、かからないどころか、税での優遇があれば個人も企業も研究にたくさん寄付するであろうというものです。
英国では事実がん研究のほとんどすべては民間寄付金でまかなわれてますね。また米国では最近映画になった主人公のハワード・ヒューズの巨額な遺産による医学生物学への基金が目立った研究室300程度の全運営資金を賄ってますね。たった一人の企業家の遺産が非常に大きな影響を及ぼしてるのです。
英米の研究の足腰の強さは実は良質な民間資金が豊富に研究費に向かってるのですね。これは税制だけでは説明が出来なくて、やはり国民の「強い善意」が研究に向かってるのだと思います。わたくしには税制を変えるような方向の努力はどうしたらいいのかわかりませんので、やはり日本国民のあいだに「科学に対する強い善意」が生まれるよう微力でも努力を続けたいとおもってます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-27 00:40
2005年 03月 26日

週末ひさしぶり天気よい

うーん、イラン戦負けてしまいました。テレビ観戦者としてはなるべく早く忘れてしまいたい試合内容でした。誰がどうこうと批判するより、次回、ホームで勝ってください。それに1週間後のホームでのバーレーン戦ではいいところ見せてくださいというところですか。それにしても、日本の強さをまったく感じなかったですね。福西による一点の瞬間はありましたが。サントスとか川口とか戦意を強く示す選手もいなかったせいかな。ぼやけばいつまででもできますが。

あさ家でTK君の論文のrevisionをしようと思ったら、彼がいろいろ対応した文章が入ってるテキストファイルがなぜかフォルダ中にないのでしらけた。彼の言うようにサーバーからフォルダをコピーしたのだが。これでは仕事開始できず。すぐメールでテキスト送れと書いたものの、まだ朝の7時半なので、土曜だし、彼は朝遅めなので、ファイルが届くまでに早くても4時間くらいはかかるでしょう。仕方ないので、恒常的に溜まってるメール一部に返事。返事しにくいメールも多く、そのうち忘れると、えらいお叱りのメールなども舞い込む。すぐ返事しにくいメールを自動的に思い出すしくみないかな、みなさんどうしてるのですか。

外を見れば天気も良さそうなので、寒そうだが、午前中はまず畑仕事でもしようと決めた。もう7,8年畑仕事を週末にはしてる。最初はヘタでしたが、いまは割合上手になって、猿に横取りされなければ、思わず満足の笑みをしてしまうような収穫もいろいろある。いまや唯一の健康法でもあるし週末の1日は出来たら地面と遊びたい。
自宅からはすこし距離があるので、週に一回しか畑地にいけない。日照りが続くと気になったりするが、自然にまかせてじたばたしない、農法です。この時期本当は忙しいはずなのだが、今年は寒いので、準備は遅れがち。それに今年は、抜本的な猿対策をするつもりなので、畑地の間取り(?)も変更必要。
論文のrevisionは午後ファイルが届いてからにする。
それから、盛り上がってる、議論にも参加したいが、仕事がぜんぶ終わってからにします。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-26 10:09
2005年 03月 25日

仕事、会議、そしてイラン戦

これで2週間分、14回ブログ書きました。
最近はこのブログ、毎日訪問者が450人以上あります。数がほぼ一定なので、同じ人達が見てくれてるのでしょうか。それに、始めの数日は数人だったのに、今では合計5000人になりました。本当に、刺激あるし、励みになります。

朝は家で一仕事。完成に近いある論文の考察部分を考えた。考察のモチーフについて、かなりいいアイデアを思いついたので、機嫌良く家を出る。

11時頃ラボでNature誌の東京支局の記者さんによる電話インタビューがあった。日本の研究資金および応募制度についての色々な質問に答えた。なにかの折りにこの問題には触れたい。

昼飯は文系学部の旧知のTさんと一緒。文系の人と話しをするのはいつも刺激になる。平素使わない脳の一部を使う感じ。活性化し、楽しかった。

午後2時から研究科会議(人数多いほう)と研究科教授会(教授のみ15,6名の小さな会議)。これが最後なので、手短な挨拶をした。創立してまだ6年の若い研究科なので、これからの発展を楽しみにしてると。これで、K大での理学部(研究科)27年間、生命科学研究科6年間のfaculty生活にピリオド。特別な感慨はない。

会議の後に、最近出た面白いデータを、関係者3人と話し合う。これがものになってくれるといいのだが。しかしいずれにせよかなりもう煮詰まってるので、決着はつくはずだし、つくべきだ。

今日の夜は10時半からサッカーワールドカップ、イラン戦、どうなるのだろう。昼飯時の予想では、ジャパンは苦戦か。敵地スタジアムもいろいろあるが、ここは特別デモーニッシュクラスの敵地らしい。ジーコ様のカリスマ力に頼るか。それとも、中村俊輔の妙技に期待するか。こう言うときは、神風とか神様だよりになる傾向がわたくしにもある。しかし、フィールドにいるジャパン選手は何を思って戦うのだろうか。祖国ジャパンか、それとも熱い応援ファンか、選手連帯か、それとも我が道の先に見える栄光か。

ところでここ3回のブログに随分コメントありますね。盛り上がってるではないですか。
これらについても、わたくしも何かコメントしたいのですが、今はちょっと忙しすぎるので、また後ほどさせてください。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-25 17:56
2005年 03月 24日

退職を間近にして その3

朝、警察署に行って免許証の更新。優良運転者なのは当たり前、更新するのみで運転しないのだから。我が家では運転好きの妻が車を事実上所有してる。しかし、最近「あなたももういい加減運転再開したらどうか」などと、言い出されてる。妻が東京に行って娘の手伝い、孫達を世話にいった時に、わたくしは長期放っておかれるので、その間空いた車を使えという意味。わたくしとしては今更という気持ちが強いが、また始めるかという気分も少しある。しかし、危ないというのがまあ正しい判断か。30分の優良運転者の講習会を聞く。わたくしのようなペーパードライバーも居るのだろうが、参加者のみなさん、確かに優良ムード。

昨日は研究室のメンバーとの研究上の話し合いや、多数の父兄(7人)と会ったので、今日は溜まった仕事を処理。それに研究面ではいくつかのデータを今後どう検証するか色々考える必要がある。

さて今日でこの表題の話題も終わりにしたいので先を急ごう。
わたくしは4月1日から、K大で非常勤研究員となることは昨日述べた。一研究員とはいえ、大型の染色体継承メカニズム研究プロジェクトの代表なので、運営責任があり、重責である。ポスドク、テクニシャン、秘書さん達の生活も守らなくてはならない。
それでは大学院生はどうなるか。彼等の生活面でのサポートもこれまでは、この研究費で行ってきた。彼等院生達は4月1日以降も同じ場所で研究するのだが、指導教員は全員変わる。わたくしは、大学の教育組織に入らないし、教員でもない。大学の規則としては指導をする資格がない。それでNY助教授の指導下の大学院生ということになった。NY助教授はこれまで長年わたくしと同じ講座の同じ分野に居たが、今後も同様に居続けるので、形式的には学生は今までの分野に居て、わたくしがそこから居なくなるという構図になる。これまでわたくしがいた分野部門は5月頃、オープンされる新築の建物に入る。この一時的に出来る、わたくしが4月から所属する分野は分子継承学と名前を付けた。ややこしくて分かりにくいでしょう。

これまでの研究室は通称「構造研」と呼んでいた。わたくしが最初に担当した講座名が生体高分子構造学といったからである。この構造研もこの3月31日で解散する。4月1日からは「自主構造研」と呼ぶことに決めた。研究室ホームページ(http://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/)に挨拶文を載せている。学生さんの自主性が高くなる期待を込めている。

わたくしは自分でいうと自慢げだが学生を育てるというか彼等に一定の能力を付与する点で、世界中のどの教授にも負けない力量を有していると、自他共に認めていたのだが、その様な能力は定年になれば日本国内ではまったくのマーケット価値がないことに気がついた。そのうち触れるであろう他の研究機関への就職活動でもみなさんわたくしのその様な能力に言及どころか、利用する気が全くないことに気がついた。世の中、「教育、教育」と叫んでるけれども、教育能力のほうの差別化については鈍感なのか本当は必要性をかんじてないか、ですね。

こういう研究室体制になったので、これから一年間は確かに研究は出来る。しかし、来年以降はどうなるのか。
次年度中にでも新たな研究費が獲得できるといいのだが。昨年、早めにどこかに申請したかったのだが、大型研究費申請資格はわたくしにはなかった。ルール的には今の研究費に専念しなさいということであった。
次年度は、まず申請資格があるのかどうか確認する必要がある。もしも科研費にこの10月に申請しても、来年の7月頃にならないと大型のグラントは審査結果がわからない。非常に困るが、しかたがない。
それで、来年4月から7月まで、いったん研究室を閉めて、運が良ければ再開するという可能性が現実味を帯びてきている(しかもそれを許してくれる研究機関を探さねばならない)。そうなったら、わたくしの競争相手は祝杯を挙げるのかそれとも同情のメールが送られて来るのか。興味深い。
なるべくなら、そうなりたくないのだが、そうなった場合の「危機管理」も今から考えている。この間、JST等の戦略研究にも可能なら申請したいのだが、染色体分配メカニズムのような基礎生命科学の分野は今の日本の「重点、重点」のかけ声にはまったくそぐわないので、応募自体が難しい。本当は「がん研究」の中道を行くような研究のはずなのだが、がんの研究費はもう既にきっちり陣容が定まっていて、そこに入ることはまず無理。つい先日、生物物理系の戦略総括の某大先生にもわたくしの研究分野は申請可能か聞いてみたが、平たくいえば「無理でしょうね」という返事をもらった。

そういうわけで、わたくしのこれからの一年半は研究費獲得の為に、労力と神経をすり減らすことになる。研究成果の論文を書きながらだから、心身共に相当大変です。
実はこのブログを始める最大の動機は、この過程のわたくしの考えと心の動きを同時進行的に日記的に書き続けて公開していきたいと思ったのである。研究関係の人にはかなり面白いドラマになる可能性があります。
同情はまったくいりませんが、わたくしが何を考えどう努力してるか、世間の不特定多数の人々に知って欲しい、そういう気持ちなのです。

明日は明日の風が吹く、とうそぶいていた30代の頃が懐かしい。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-24 12:20
2005年 03月 23日

退職まぢかにして その2

今日は、学位の授与式。体育館の周辺は平素見かけない背広姿やあでやかな若い人達が沢山居る。当研究室からは4人が今春に博士の学位にたどり着いた。めでたい。修士学位取得者も4人。彼等はこれからもわたくしと共に研究して博士学位取得を目指す覚悟なので、ありがたい。申し訳ない気持ちもある。残っている学生は他にまだ相当数いるのだが、とりあえず、今日はめでたい。
博士号取得者も、もらった学位の価値を下げずに、人間として、社会的存在として大いに頑張って欲しい。父母のかたがたも何人か研究室までおいでになったのでお話しをする。末は博士か大臣か、などと言われた時代ではまったくないが、しかし5年(今年は一人9年かかった猛者がいる)以上苦しい修業時代を送って専門家になるためのライセンスを受けるのは大変意義がある、とわたくしは思う。後で思うと、苦しい時代が実は一番楽しい時代であったことに気がつくものだ。自分の為だけに、5年も6年も修行するなんて、なんて贅沢なのだろう。将来は、専門家として、広く社会にたいして、もしくは自分の狭い周辺でもいいから使命感をもって、精進して、仕事をして欲しい。

さて昨日の続きだが、わたくしの机の上に「人事異動通知書」なるものがあって、通知は任命権者K大総長何某と紙の下部に記してあり、氏名欄にわたくしの名前がある。異動内容欄には、K大従業員就業規則○○条○号により平成17年3月31日限り定年退職とある。つまり、定年退職とは、人事異動のひとつらしい。

それでは、4月1日からわたくしはどうなるのか。まだ何も紙切れは貰ってないので、4月1日まで確かでない。ただ、研究科長からのお話と、事務方からの連絡では、わたくしは4月1日より非常勤の研究員になる。わたくしの場合は日々雇用といって、働いた日数分だけ給与が出るものである。時間雇用よりは給与的にましだが、一年限りの雇用で、それ以上に更新されるかどうかは分からない。
研究科ではわたくしを特任教授と呼んでくれるらしいのであるが、大学当局は知らない話である。教授と呼ばれても同僚も居ないし教授会にでるわけではないので、わたくしとしては境遇にぴったりした非常勤研究員の呼称で十分である。
実は、給与がでるらしいと決まったらしいのは、この3月になってからで、2週間くらい前の話である。先月までは無給の(交通費もでない)研究員のはずだった。そうだとすると、これは大学にとって存在しないのと同じだと、事務方は言う。「先生何をやろうとこれから完全自由ですよ」といわれて、わたくしも憮然とした記憶がある。
無給には、わたくしも怒ったが、まあ仕方ない、これで一年間はいくかと、あきらめていた。だから、今ははるかにましな話である。給与が出れば妻に対しても、おどおどしないですむ。

それでは、4月1日よりわたくしはいったい何をやるのか。わたくしとしてはもちろん毎日研究室にきて、研究をしたい、それ以外に興味はないのだが。しかし、大学的に客観性のある表現をすれば、まだ一年間期間のある文科省の「染色体の継承メカニズムに関する特別推進研究(COE)」の研究代表者を務めることである。4年目だった昨年一年間のこの研究費は5研究室に対して3億数千万、それにK大本部に間接経費として1億円以上が入っている。かなり大型の競争的研究資金でありこの拠点型と言われる研究推進の責任がわたくしにはある。実際には、この研究で雇用してるたくさんの人達の社会的雇用責任もわたくしにはある。

わたくしはもう一つ21世紀COEと呼ばれている2億円以上の文科省の大型競争的資金の代表者でもある。世の中でかなり話題となったことのある、トップ30とかいう、研究資金である。こちらは個別の具体的研究をサポートするのでなく大学院生などの研究生活や能力向上に資金を使う目的で頂いたことになっており、交代の代表者をたてることが出来るので、わたくしの役割はこの3月で退職と同時にお役はご免となる。

しかし染色体継承のほうは、代表者交替はあり得ない。そういうことで、退職のことと、研究代表者続行をいかにして学内規則に抵触しないで出来るか、これが大変なことであった。わたくしに言わせれば大学当局には巨額な間接経費を入れてるので、大学が考えて欲しかった。しかし、それはないものねだりであった。色々な可能性を探ってきたのであるが、結果として、本当にくたびれ果てるような、難しい問題の連続にはまりこんでしまったわけである。その間の事情を詳しく書くことはまだ無理なので、やめておくが、ともあれこの4月から一年間は今までの研究室でもう一年間この研究費での研究生活を送れることとなった。土壇場で有給となったのだから、まあ良かったのだろう。

しかし、わたくしは正直まだすくなくとも10年間は現役で現場の研究をやりたいので、来年4月以降のことを考えねばならない。しかし、これは現状ではお先真っ暗である。このままでは来年4月になればすべての人への給与も払えず、研究費用の代金も払えなくなる。当然今の研究スペースから追い出されるだろう。
今日はだいぶ長くなったので、この続きはまた明日にします。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-23 17:03
2005年 03月 22日

退職を間近にして その1

あと十日もすると定年退職だが、ここに来るまで色々あったので、感傷にふけるようなことはない。しかし、これからやってくるであろう研究者としての相当な苦難の日々を想像すると憂鬱になることは事実だ。しかし、日本で研究を続けようとすれば予想される当然の困難なのだ。

わたくしは数年前から退職後、現場の研究者をいかにして続けるか、思いめぐらしていた。米国に移ったらどうかと勧めてくれた人達も居たが、最初から選択肢にはなかった。その理由はちょっと申し上げにくい。
心がかなり傾いた一つのプランとして、英国C大学の遺伝学科に研究室を持って、年間の半分くらいは海外で過ごし、残り半分は出来たら国内のどこかで小さめの研究室を維持しながらやっていけないかというものがあった。幸いなことに、研究費をわたくしが日本国内で獲得できれば、C大学の可能性はかなり高いものとなった。英国にも定年制はあるので、非常に例外的にラッキーな話であった。しかし、わたくしの年齢ではウエルカムトラストも含めて、英国のグラントの新規申請は難しいとのことだった。
世話をしてくれた旧知で研究分野も非常に近いG教授は熱心に動いてくれて、ラボスペースも用意してくれた。彼はわたくしを呼ぶことが意義があるとして動いてくれてるのだが、細かいところまで気を使ってくれて、本当に友情に篤い男だ。わたくしも実際に遺伝学科を訪問して、いろいろ楽しいイメージをふくらませたものだった。
国内ではJSTの国際協同研究というものがあり、自ら応募は出来ないが、二年前には幸いその候補にもなれたので、かなり本腰を入れたグラント申請書を書いて、期待したものだった。しかし残念ながら、申請はアクセプトされなかった。どういう理由かは分からないが、漏れ聞くと審査委員の支持はほとんど無かったそうだ。そういうことはままあるので、しかたないのだが、わたくしのこれからの研究者人生を考えるうえでもっとも決定的な敗退であったことは間違いない。誤解されるのを恐れずに言えば、あのJSTグラントが通っていたら、いまのわたくしの研究者生活とはかけ離れた日々がおくれたであろうと、いまでも折々に思う。またわたくしが、研究者として自分が生まれたこの日本という国にもっとも貢献できる道ではなかったかともおもえたのだが。しかし、思い通りにいかないのが人生なのだと思わざるをえない。

しかたなくと言ってはいけないのだが、グラント申請が駄目でがっかりした頃にNature誌に公募のアナウンスのあった、沖縄科学技術大学院のInitial Research Projectの申請に本腰を入れた。これは内閣府がJSTに委託した5年間の時限の研究事業である。申請時にわたくし自身はK大教授なので沖縄に常駐しないで研究推進の責任を負うというスタイルの提案になる。うまくいけば、新規ラボが立ち上げられるので、K大での退職後も研究の現場に居られる。
ただ問題はわたくしがK大で代表者をしている特別推進COEの研究内容と重複するわけにはいかないので、まったく新規なプロジェクトを提案する必要があった。この事情はいま考えれば幸運であった。前から機会があればやってみたいと思っていた、G0細胞維持の決定因子を見つける、という挑戦的なプロジェクトを提案することにした。幸い常駐してくれるグループリーダーの候補も見つかった。研究費の申請書は英語で書いたのだが、かなり熱がこもり、充実したものを書くことが出来た。
この後はかなり込み入った話が色々あるのだが、ごくごく短く言えば、100件以上の応募の中からわれわれの提案は昨年の2月だったか、幸運にも採択された。その結果、短期間に研究室を立ち上げることとなった。そして5月にはグループリーダーを快諾してくれたSMさんとポスドク2名、それに3人のサポート要員からなる研究室が動き出した。

それでは、K大の方の研究はわたくしの定年後、どうなるのか。染色体の分配メカニズムはいまでは非常にホットな研究分野となってしまい、研究の進展は待ったなしのペースである。わたくしのところの若い人達も必死になって研究をしているのが多く、彼らの努力には十分対応するだけの時間とエネルギーも割かねばならない。しかし、10日ほど前に書いたように、研究者としてのわたくしは悲しいかなサドンデス状態なのである。
ラボはどうなるのか、学生の処遇は?秘書さんやテクニシャンの人達は?いったいどうなるのか。彼らもそうだが、わたくしも含めて、外から見れば、まったく不可解な立場におかれている。もちろん内から見てもそうなのだが。このあたり、うまく整理して、また明日にでも書きましょう。

なおトロント在住の著明な構造生物学者である伊倉光彦教授がわたくしのブログを読んでくださり、ご自身のブログ(http://blog.goo.ne.jp/mikura2005/)で定年問題を論じておられる。ご興味のあるかたはどうぞ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-22 22:56
2005年 03月 21日

結婚式、そして地震におもうこと

昨日は沖縄G0ユニットのMS君の結婚式でお昼からお酒を飲んでしまったのでブログはお休み。
彼はK大でのわたくしのところのDNA損傷修復の研究で学位をとり、その後1年間沖縄ユニットでポスドクをしてるが、とても面白い研究成果を挙げている。修士を終わって、一時会社に就職したが、すぐ辞めてしまった。しかし、ちゃっかりと生涯の伴侶を会社の同僚から見つけている。就職経験後の彼は仕事のしっぷりが格段によくなった。誰にでも当てはまるわけではないが、実社会の経験で目が覚めたのだろうか。
始めて所帯をもった地で結婚式を挙げるのは、それなりに本人達の決意も伝わるもの。新婦がしっかりしてるので(新郎もだが)、6月からの海外生活も大丈夫だろう。
天気は快晴だし、沖縄独特の青さの海をみながら、メルヘンチックな式場と、若い人はそれなりに自己主張を持ってるなと思った次第。
それにつけても、沖縄では、リゾートのほとんどのない太平洋側の海と結婚式のあった恩納などのリゾートとではどうしててこうも違って見えるのか。先入観に基づく錯覚か、それとも沖縄の東と西は海まで違って見える地勢的な理由があるのか。そういえば、本州の太平洋側と日本海側も朝日夕日の出入と海陸との関係が違うし、海の見え方が違う。誰かに納得のいく説明を聞きたい。
結婚式の間に福岡県を中心に大きな地震があったが、まったく知らなかった。マグニチュード7とか。夜、テレビで震源地に至近の玄界島の被害のひどさも見た。ほとんどの家が半壊以上。福岡県に住む多くの知りあいの人達を思い浮かべるが、死者は一人と言うことで、これほどの強い地震と倒壊家屋の多さにもかかわらず、不幸中の幸い。被害のあった家にはすでに赤い紙に危険とか既に危険度の判断が示されている。行政の対応の早さが感じられる。自衛隊員も沢山見えた。危機対応は見た目には早そうだった。この地震の後、携帯電話はつながらなかったとか。とすると、インターネットもほとんどは駄目だったのか。
科学者は仮説を立てるのが商売なので、やはり首都圏で同じような地震が起きたらとか、わたくしの住んでいる滋賀の湖西地域で同じ程度の地震が起きたらどうなのだろうとつい考えてしまう。首都圏にはわれわれ夫婦以外の家族がみな住んでおり私的にも心配だが、一日本人として、これほどまでに中央集権、集中化した東京が大地震に遭ったらどうなるのか本当に心配だ。
神戸の震災で要職の人達が惨めなくらいに無能であったことはあまりみなさん触れたがらないが事実なのでしょう。あまりにも多くの死ぬはずのない死者が出てしまい、悲しみが怒りをはるかに超えてしまったのだ。
大空襲や原爆の被害に遭った人達が、要職の人間を責める前に、悲しみの喪に服したのと同じような理由だ。沖縄島内での激しい戦火で多くの人達が亡くなった。死者達への追悼と悲しみがあまりに強いと、その様なことを引き起こした人達への責任追及が弱くなるのは日本だけの現象なのか。同じことを繰り返さないためにも、このことはよく考えておく必要がある。
わたくしは、最近あちこちでえらい人達(と信じられている)とお会いする機会があるが、正直言って、危機に強そうな人には滅多に会えない。「このような人達がトップで組織が持ってるのはほんとうに不思議だな」と思うことが昨今多い。神戸震災のようなことは二度と起きて欲しくない。地震時に危機にどこまで東京が機能するか、日本ばかりでなく、世界中が注視してるのだろう。
ともあれ、地震は本当に怖いし、瞬間的な判断が必要なので、誰でもその人の人生のすべての能力を凝集して対応せねばならない。要職の人間は危機対応のために雇われてることを、本人も周りも良く理解してなければならない。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-21 08:47
2005年 03月 19日

オリジナル(独創的)研究 私考

 早朝の気持ちよい空気を吸いながら、勝連半島の小高い山にある城趾のプロフィールを眺めつつ、のんびり公園の中を歩いていると、なにごとにも積極的な気分になってくる。沖縄での2年目が近いということでもあり、新しいG0細胞変異体の分離をするためのいろいろな考えをめぐらしてきたが、だんだんアイデアがはっきりとした姿を現してきている。こういう時期は嬉しいし、楽しいものである。
 わたくしは人まねの研究が嫌いである。他人が人まねの研究をするのはまったくかまわないが、自分の研究室ではどうしてもやりたくない。ヘンな表現だが、人まねするくらいなら、清水の舞台から飛び降りた方がましに感じるのである。
 これはわたくしが若い頃に経験したトラウマと関係がある。わたくしは20代半ばで欧州に留学したが、その頃の日本に対する評価の一番典型的なものは「粗悪な物まね類似品を作る国」、というものであった。このような評価は、いまは世界中まったく存在しないだろう。しかし、40年近く前だったら、まずそんな評価が定着していた。しかも、そういわれてもしかたないような工業製品がたくさん日本から海外に輸出されていた。
 すぐ壊れたりするようなひどい「類似製品」をみると、現地の人ばかりでなく、研究所の仲間のようなインテリ連中でも、それが日本製品でなくても、「ジャパニーズ」といって嘲り笑うのを、何度か見たことがある。安価な大量製品に対する警戒心はもう当時からあった。そのシンボルが日本製品だった時代である。それが転じて「日本人はとりあえず物まね人種」という評価(偏見といいたいが)は欧州ではことさらに強くあったように感ずる。日本には物まねでない、完璧にオリジナルなものがたくさんあるのに、とわたくしは随分口惜しい思いをしたものである。
 人まねの研究をしないと自らに課したおかげもあり、オリジナルな研究とはいかにやるべきか、そのすべはこの年になれば体得したような気がする。
 オリジナルな研究をすること、それ自体は難しいことではない。ただ優れたとか画期的なとか、形容するようなオリジナルな研究はもちろん難しい。いまの日本だったら、オリジナルな研究は研究費が非常に乏しい研究室ではやりやすい。ある程度の研究費があると、一番お手軽な研究は人まねだからである。お金がなければ、いまの時代模倣すら出来ないだろう。
つまり、ひ弱なそのままほっておくと継承者も出ないで立ち枯れてしまうようなオリジナルな研究というのは実は割合多くみかける。そういう研究はおおむね引用もされないし、本人以外は誰もいったい何をやってるのか理解できない。オリジナルとは言え、とても重要そうな研究には見えない。立ち枯れてしまうような、もしくは忘れた頃にしか細々とした続きの成果が出ないような研究、他には世界中のだれもやらないような研究が脆弱オリジナル研究の大半である。こういう研究を実体以上に褒める必要はないが、その様な研究がなされうるような空間は相当量残しておかないといけない。ある程度のサイズの研究室なら、研究主宰者に器量さえあれば、そのようなオリジナル研究空間はもてるはずである。
 現象的に言って、優れた画期的なオリジナルな仕事は、実はそういう一見脆弱な土台から、突然とてつもなく力強い発見、もしくは万人が理解できるような画期的な概念が生みだされがちなのである。その変換はまさにある日突然起きるのである。もちろん自然におきるのではない。待ってる人だけにわかる素晴らしい発見が、ある日なされるのである。
 弱々しいオリジナルな研究がひとたび生産的な状況になると、進歩は激しく日進月歩となり、多くの人が集まってきて騒然となり、回りじゅうが大変だと走り回る。
 オリジナルな仕事をするには、静謐で誰もがやりそうもないようなテーマを自ら作り出すか、先人の仕事でそのようなものを見つけたら、それをいかにして力強くまた進歩が明確になるようにテーマを転換できるかである。つまりテーマの転換能力が試される。転換に3.4年かかるのはあたりまえだろう。
 しかし30代、40代の前半くらいまでの多くの研究主宰者は誇るべき成果を持たないのが多いのだから、その3,4年の時間の投資を非常に困難に感ずるものである。オリジナルな仕事をした人達の経験を聞けばたいていの人は信念と情熱でこの困難な転換の時期を乗り切ってる。オリジナルな仕事に一度でも大成功すれば後は一生そのことを再現しようと繰り返しながらやっていける。
 当たり前だが、一度も成功しなければ一生出来ない。機会は誰にでも均等に与えられるはずだが、それを手中に収められる人は非常に少ない。その理由はある日起きる突然の転換点までその研究が成功するかどうか本当のところ分からないからである。たいていは止めてしまうものである。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-19 17:22
2005年 03月 18日

「聖母」仲間由紀恵さん

いま沖縄に来てます。スケジュールがきつくて今日はブログ書けないかなと思ってました。でもいまちょっと「休憩時間」取れました。
去年からもう一年間毎月来てますので、沖縄のことは生活感の一部になってきました。
最初は研究面で不安でしたが、沖縄ラボ「G0 cell unit」のみなさんの努力のおかげで、いまはここでも世界の一線にたつような研究ができるのではないかとおもいはじめてます。
ただ、沖縄のことはどうしても取り上げねばならぬトピック、つまり基地問題になると、わたくしの心の難しい領域といろいろ相談せねばならぬので、筆ではなくキーボードがたたけなくなりますので、方向をがらっと考えて、いま話題の女優仲間由紀恵さんについて語らせてください。
この人「ごくせん」のヤンクミですよね。これ分からない人はこの先読まないでください。柳田もくだらんヤツだと思われるでしょうから。
この女優さん、前回のごくせんの時から見てました。わたくしなりに非常に高い評価してました。姿もみめうるわしいのですが、せりふまわしも、いいですね。妻とわたくしはドラマの趣味はほとんど合わないのですが、これだけは前回から仲良く見てました。わたくしはテレビドラマはまずほとんど見ないのですが、サッカーの重要試合とはいかぬまでも、土曜のごくせんはああ9時だなと、あまり熱心に見るのも何となく恥ずかしいのですが、それでも見ます。今回のシリーズは教室のセットがおどろおどろしくて最初どうかなと思ってたのですが、内容的に前回シリーズに負けない良いものでした。メッセージ性が非常に高いもので、安っぽくない感動を正直受けたことが何回かありました。あした、最終回ですか?
そこで仲間由紀恵さんです。このひと美人です。いまどき珍しい「りんとした」と形容できる美人ですね。沖縄出身なこと偶然ではないとおもいます。沖縄には本州からは消えつつある「りんとした美人」がまだまだたくさんおられるのではないでしょうか。
息子が仲間由紀恵さんを至近距離で見た、あの人は美人だよといったときは、興味なさそうにして「ほおー」なんていってましたが、かなり羨ましく思ったものでした。実物を見たいなんて思った女優さんなんか長いことおもいだせまん。
ところでまだタイトルの説明をしてませんでした。
仲間由紀恵さんは原節子いらいのマドンナ的、聖母的女優と思いました。その純な強さと美しさはたいしたものです。彼女がゴシップやなにかで泥にまみれないように切に祈るのみです。
将来彼女が母親となっても、旦那さんは居るのか居ないのか分からないような男性だったらいいのにとおもうのですが。
もう時間ですのでここでやめます。読み直す時間もないのでちょっと、今日の文章はどうかなと我ながらおもうのですが。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-18 17:51
2005年 03月 17日

科学者になるには

このブログを見る人達のなかに小学生や中学生がいるとは思いにくいのですが、お子さんや兄弟、知り合いで、将来は「科学者」になりたい、と願ってる小中学生がいたらぜひ以下の文章を読んでもらえませんか?

「科学者になるためには」
第一に好奇心を育てることです。何かを知りたい、やってみたいということがあって、そのことを考えると、心がワクワクするのなら、もう大丈夫です。まず第一の資格が得られました。
第二にお父さんやお母さんの家でのお仕事を手伝いましょう。お使い、家の掃除、ペットの面倒、料理の手伝い、もしくは家が農家や商家や物作りの工場かなにかだったら、そのような仕事も手伝いましょう。お父さんやお母さんが給料を貰っているようなお家なら、お父さんやお母さんの肩たたきとかマッサージとかそういうものもやってみましょう。家におじいさんやおばあさんがいるのなら、何かお手伝いない?と聞いてください。お駄賃やお小遣いを貰うのもたいへんいいですよ。こんなことが、科学者になるのに役に立つとはまったく思えないでしょ?ところが役に立つのです。間違いありません。たとえ嫌々でもいいですから科学者になるための準備と思って、やってください。わたくしの研究室で研究がうまくいかない多くの学生達は、小さい頃にこういうことをさっぱりやってなかったのです。それでは、なぜ役にたつのでしょうか? 科学をやっていくうえで大切な能力は「見通し」とか「段取り」の能力です。もっと簡単にいうと「いかにして頭と体を動かして働くか」ということです。仕事を始めたらさっさと終わらせる能力も大切ですよ。そういう能力をぜひ高めておいてください。何かをお手伝いした後、大人の人が感心するようなできばえの結果が一つでもでるようになったら、第二の資格が得られました。
第三に教養を高めましょう。「教養」ってなんか難しそうですね。でも難しくありません。自分が興味を持ったことを素直に広げて深めていくことです。読書でも、音楽でも、スポーツでも、コンピュータでも、何でもいいです。興味を持ってることをどう拡げたらいいか分からなかったら、やはり誰かそのことについて偉い人にいっぺん聞くといいんだけれども。そういう人がいなければ学校の先生や近所の人に聞いてみるのもいいかもしれません。教養とは、自分の心と体の中にある「泉」と考えてください。一生泉から「興味という水」が湧いてくるような人生を送れればいいですね。科学者はこの泉が涸れたらおしまいです。大学の先生でもとっくの昔に涸れてしまったかたが非常に多いですから、要注意です。でも、一生泉のように涸れない興味を持ち続けるために必要なものが教養なんだなと分かったら、それで第三の資格が得られました。
第四に科学者になるためにはT大やK大やH大などの特定大学に行かねば駄目とか決して考えないでください。そんなことはまったくありません。でも大学の後で大学院というところに行って、学位というものをとらないと科学者としての資格が得られないのです。科学者の世界はいわゆる地球標準というのがあって、博士の学位がないと職業的な科学者にはなれないのです。自動車の運転免許を取るよりはずっと時間がかかるし面倒ですが、しかたありません。ですから、科学者になるためには大学院で博士の学位を取る必要があることを理解してください。でも面白いことをやるためには、人よりは長い修行時代があるのだと考えてください。だいぶ先の話ですが、途中でくたびれないように、いまから好奇心を高めましょうね。
自分はもしかして科学の天才ではあるまいかと思ってる人がいたら、自分は天才かなと、回りの人、お父さんとかお母さんとかにつぶやいてみてください。回りもそうだそうだとうなずくようだったら、ほんとかもしれません。学校の先生はあまり天才は好きでないという歴史的な事実がありますので、先生の意見はそれほど気にしないでください。このままほっておくと、せっかくの天才が凡人になってしまうと心配になるかもしれません。でもたいていは大丈夫です。天才とは99%努力といわれてますので、努力を続ければその様な天才的能力はしっかり保てるはずです。でもどうしても、心配ならいちどわたくしに一報ください。
大学までの、受験の成功とか失敗は気にしないことです。でもだいぶ先の話ですが、どこかの大学院に行かねばなりません。そこではあなたにとっての良き先生に出会う必要があります。

すばらしい科学者になるためには、どこかで素晴らしい科学者の先生にあわねなばなりません。どこで会えるか、それを考えたら胸がわくわくしませんか?

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-17 14:30
2005年 03月 16日

残念と切腹!

この、残念と切腹と叫ぶ(のではなく、単に大きな声で言ってるだけなのかもしれないが)青年の容姿が好きだ。この人の芸風とか考えかたもよく分かってないのかもしれないが、とりあえず風貌がとても良い。それに和服を着た、素浪人ふうなのがまたまたよい。
たまにテレビで見るだけだがいつもそう思う。
芸人(芸能人というべきか)とはとても思えない。最近ではそういう職業はないようだが、文芸評論家のようにもみえる。小説家の誰かにも似てるように見える。永井龍男とか似てないかな。

「残念」と他人を批評し、「切腹」と自己批評するとは、なんと優しい気持ちなのだろう。ユーモアの根本は自己批評にあるのだろうが、しかし一方で他への厳しい批判もなければ社会は進歩しない。いいところいってるなァ、と思う。
相手を叩きにたたく、残忍な性格を売りにしてるようなマスコミ人や芸人が多いなかでこの人はきわだって別格のように見える。でも、わたくしの買いかぶりすぎなのかもしれないが。

この人はかなり人気があるらしい。これは世の中悪い兆候ではない。どのくらいの年齢のどんな風な人に人気があるのか、ちょっと知りたいものだ。

わたくしは子供の頃、植木等の無責任男の映画をたくさん見過ぎて、よかれ悪しかれひどく影響を受けたような気がする。あの当時の世相であった、真面目すぎる堅さと上下秩序が世の中を覆ってる時に、彼のような無責任男が出てきて次々と好き勝手やるのは痛快に思ったものだ。植木等はその後どちらかというと真面目な方向に向かい、作者のほうはお笑いから、都知事に転身していたが、やはり彼は根っからの無責任男だったのかもしれません。都知事を辞める頃はかなりの「残念状態」でしたね。笑いを巻き起こす無責任男を社会では許せても、笑いのない政治の世界ではやはり責任が常に問われるのでしょう。厳しいもんですね。
切腹で責任を取るという、昔の侍の態度を思い出させてくれただけでかの青年は立派ですね。ところで彼の名前はなんていうのでしたっけ。ファンなのに、名前も知らないとはわれながらひどいものです。切腹!ですか。

これでブログ開設一週間経ちました。気張って、いろいろなわたくしの狭いながらも「芸風」の巾もお見せしたつもりです。家族と研究室の秘書さんにのみ口コミしたのですが、最初の数日が10人以下の訪問者だったのですが、3日前は45人、おとといが160人、昨日は450人となりました。へエーと正直かなり驚いてます。研究室のホームページ(http://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/)にもリンクがいつのまにかありました。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-16 12:38
2005年 03月 15日

風邪でダウン

昨日朝、バスを降りてから研究室までの短い距離の間に大きなくしゃみが3回出たので、よもや花粉症ではと心配したが、どうも風邪の前兆だったらしい。
夜家に帰って、食事のあとに気分がすぐれなかったが、やはり今朝起きたら頭喉鼻が駄目で、微熱が出てるので今日は出勤中止。あしたの東京での会合もキャンセル。
金曜から沖縄に行くので大事をとってます。
昼過ぎまで寝ていたせいか、気分もよくなり、起きてこのブログを書いてるところ。
今日は知恩寺の「手作り市」の日なのに、これにも行けず残念。来月も15日は外国にいそうなので、かなりがっかり。

寝ていてそんなことばかり考えていたわけでなく、この4月から来年までに博士の学位を取って貰いたい研究室のメンバーを一人一人考えていた。
何人かはもう大丈夫か、ほんとに最後の最後のデータが出れば論文を書いて投稿まで行けるだろうが、何人かはまだ先が長い。

いちばん困るのは、その後の彼らの身の振り方。「学位を取ってからあなたどうしたいの?」と聞くと、思いもよらない質問を受けたといわんばかりに、目をぱちくりされることである。こちらこそ、思いもよらない反応をされて驚くのだが。だいたい会話はここで止まることが多い。

なかにはそういう質問をされると、涙目になってしまうのもいる。

わたくしは、内心「こりゃだめだ」と呟いて、その類の質問をやめるのだが、こんなに偏差値の高い青年達が彼らなりのはっきりしたというか割り切った職業観をもてないのはなぜだろう、と考え込んでしまう。
まともに返事が出来ないのは、あまり考えたことがないのだろうか。それともかんがえすぎているのだろうか? よく分からないが後者だと考えたい。

この問題いろいろ考えてるのだが、今日のわたくしの寝てる合間の「休憩時間」はごく短いのでここまでにします。
かつて、研究室にいたYYさんがK大生のシンデレラ症候群を説明してくれたが、あれは女子学生のことだけでなく、男子学生のことでもあるのだろうか。シンデレラ症候群を説明すると、つまり誰か王子さんのような人がやって来て、自分の持ってる素晴らしい価値を認めてくれるのだと、その瞬間を待ってる人の心理をいうのだそうだ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-15 14:56
2005年 03月 14日

石垣カフェ 余聞

昨年晩秋だったか、それとももう12月に入っていたか、ある朝研究室にいたら突然地震を感じた。震度2か3くらいか。かなり強い。しばらくしてまたおなじような地震である。地震と地震との間もわずかだが揺れている。変だなと廊下の反対側の部屋の窓の外を見に行くと、大きなクレーン車が今出川通りに近い構内の廃屋を忙しく壊している。大きなバケツの先端でコンクリートをぼかんぼかんと叩き壊そうとするのが地震と感じたわけだ。
この騒音と振動の日々が何日か続いて、長い平屋のコンクリート造りの建物は完全に壊されてしまった。当たり前のことかもしれないが、どこの誰からも、この間、現場に至近距離にいるわれわれに対して、なんの説明もない。しかし、大学ではしょっちゅうこういうことはあるから、別に驚くこともない。そのうち、数日を経て、突然ぱたりと工事が止まった。
同時に(と思えたのだが)、百万遍の角の石垣の上のところに、急ごしらえのやぐらが組まれて、この工事に対する抗議の演説が始まった。帽子をかぶった青年が流暢に演説をしている。横断歩道を横切るときだけしか聞かないので彼らの主張が十分分かったわけではない。研究室の窓はこのやぐらと直線距離で100メートルもないだろうが、窓が二重に防音になってるので、研究室からは演説は聞こえない。
この工事は、百万遍の角に新しい門を作ろうとする当局の計画にもとづいていたらしい。この石垣にはいつも大きな立て看板がたくさん置いてあるので、門が出来れば、立て看板も置けなくなるし、そもそも関係者学生などの同意を得てないし、このような門を作るのはいけないと言ってるのだろうか。そうならば、それも、そのとおりだ。
当局はだんまり作戦に出たらしい。工事をストップし(2月には再開するとの連絡は事務関係者にはあったらしいが)座り込み学生を刺激しない。この寒さである、石垣の上で座り込みといってもそのうち寒さで音を上げるだろうと。ともあれ、京都の冬の深夜は、とても寒い。もちろん昼もだが。
あの吹きさらしの石垣の上でいくらこたつと石油ストーブ(らしいものが下から見えた)があるとはいえ、また屈強な若者とはいえ、とてもじゃないが深夜と早朝に風にさらされていたら、地面のほうからの寒気も含めて、寒くてそのうち退散するだろうと。わたくしも当局の人間ならそう考えただろう。
しかし、なんとかれらは冬を越してしまった。もう桜の花が咲くのに2週間と言うところまで来てるが、まだ石垣の上のやぐらは無くなるどころか、人はいつもいるし、賑やかなものである。いつの間にか居住性も高まり、本棚に本がたくさん置いてあるし、コーヒーも飲めるらしい。大きな時計もおいてあるので、時間を確かめるのにも便利だ。石垣はかなり高いので、辿り着くのには、急なはしごを登るのだが、70才以上のおじさんがこたつに入って若者とおしゃべりをしているのを目撃したこともある。京都新聞にも好意的に出たのか、けっこうの名所的な感じになってきている。百万遍、石垣カフェ舞台というような感じにいまはなっている。わたくしは特に主張に同感したわけではないが、この寒さを頑張り通したかれらの心意気には十分に好意的であった。
当局はどうするつもりなのか。予算的には3月までにお金を使わないと、工事は完了できないのではないか。
最近、当局が作ったと思われる、工事完成図なるものが、周辺に何枚もぶら下がっているのに気がついた。その図をよく見ると、構内の土地をかなりの長さで削って後退するので、歩道が拡がり、そこで新たな低めの石垣を作るかのような絵になっている。新しい門というか入口はあるのかないのか分からないような絵になっている。現在と工事後という2つの絵で比較して、何も困ることは起きない、歩道が広がっていいじゃないか、とでもいいたいような図になっている。計画してる門を見えにくくしてるのがちょっとずるいな、と思ったのだが。
この図を昼飯の行き帰りに何度か見てるうちに、はっと気がついた。
どうも構内の削る部分の今出川沿いにある、10本以上の大木をほとんど切り倒すのではあるまいか。
もしもそうなら実にけしからん、とわたくしは突然強い怒りを覚えた。この銀杏と松等の大きな木々をなぜ切り倒すのだ。そもそもわれわれが去年北部構内から引っ越してきたこの建物は人様には決して見せたくない外観をしている代物なのだ。
これらの木はけなげにもこの建物を外部に見せないように立っている、非常に役にたっている木々なのだ。たとえ役に立って無い木々でも、構内の木々をやたらに切り倒すのは言語同断。そもそも大学の紋章は楠だろうに。構内の木を大切にするのは校風ではないのか? と次々と、怒りの種が湧いてきた。
というわけで、わたくしはいまや石垣カフェの人達とはぜひとも工事反対の点で、連帯したい気でいる。(右の赤い看板の当たりの石垣上にいま石垣カフェがある。見たい人は現地までどうぞ)
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# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-14 17:39
2005年 03月 13日

二十年選手のライブドア社長

ニッポン放送の経営支配をめぐる、ライブドアとフジサンケイの株買い占め(表現古いのかな、たぶんMAとかいうんでしょうね)による激しい競合衝突が世間の多大な関心をかちえている。わたくしも人並みに、この堀江さんという青年事業家の顔や話を随分の回数見たり聞いたりしてしまった。実は、去年野球経営に名乗り出た時のドタバタで、どんな事業をやってるのかと興味を持って、この人の著書を一冊読んでしまった。今回の買い占め事件の前のことなので、今回の一連の出来事について、ご本人が何を考えてるかについて、予備知識をすこしだけ持ってフォローすることが出来た。
ひと言で言えば、このホリエモンというあだ名のついた人は若き成功者であり、そして使命感をもって自分の考えを世間に伝えひろめたいと、思ってるらしいことである。この人の本を読むと、プライベートなことも含めて経営の実態をかなり赤裸々に書いてあるので驚く。普通経営者はそんなことは決して言わないものだと思っていた。本音は知らないが、その正直な発言のスタイルに若者を中心に支持が高いことは容易に想像できる。
金があれば何でも出来るとかいうのは、ご本人による誇張的な表現なので違和感はあまり感じない。これだって、世間の庶民はお金持ちはみんなそう思ってるに違いないと、感じてるのだから、堀江さんは正直でいいじゃないか、とむしろ彼の人気の源になってるのかもしれない。日本のお金持ちで、尊敬されてる人なんていまは数えるくらいしかいないでしょ。大会社の経営者で人気があるのは誰かいるのかな。それより、野球の松井とか新庄選手のタイミングのいい寄付行為に世の中をリードする人物像を感じてるのが世間の流れでしょう。

わたくしが言いたいのは、堀江さんは若いけれど、経営者としては10年間は経験があるということ。徒手空拳から事業家としてスタートしてるので、その10年間の企業としての拡張経験はたいへんなものでしょ。10才くらいの小学生の頃からコンピュータにのめり込んで、20才くらいで事業を興して社長さんになってるのだから、ある方向の事業を志してから、もう20年もたってるわけ。だから、彼を30そこそこの若者と甘く見てはいけない。

年とってる人達が彼を侮ったような批評をしてるのを随分聞いたけれど、どうなのかなというのが正直なところ。将棋や碁の世界でも10代の終わりの頃には10年選手なので、30才の頃には勝負師として練達の手練れ、海千山千になってるはず。人を年齢で判断してはいけない。いかなる状況で何年過ごしたかが問題。

研究の世界では、大学院が5年、ポスドクが短くて3年から長くて8,9年の経験で、研究室主宰者になれるのが望ましい経歴である。ポスドクを何年やっても、研究室経営のことは分からないので、練達の研究室経営者になるのは早くても45才くらいだろう。日本では平均的にはさらに遅くて、大学教授になる年齢が50才では練達経営者になるのはとても難しい。せっかくの研究成果をあげてるのに、日本の立派な研究者が欧米の若手研究主宰者にいいように手玉にとられてるのをみかけて残念に思うことは多い。独立できるだけの人間的力量があるのなら、独立は早いに越したことはない。

わたくしの体験では、経歴の未熟なうちにまた事業の規模が小さいうちにたくさん失敗をするのがいいようだ。
負けないように硬直した態度をとったら駄目なことはわたくしも痛いほど経験してる。相手側の立場に立っての解決策を考えてみるのが、いくさの術の本道か。
研究室主宰をしてわたくしも長いが、研究に没頭しながらも、折々に「いくさ」をせざるを得なかった。気持ちとしては,自衛のためのいくさなのだが。しかし、いくさなしにことが済むものではない。

この堀江さんのライブドアのしかけてるいくさは自衛にはまったく見えない。彼の野心と使命感なるものを実現したいためのものなのだろう。それがどのようなものか、いまはまだ見えてないので、それが見えてきて始めて真の意味でのこの人に対する評価が可能になるのだとおもっている。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-13 20:07
2005年 03月 12日

名誉なのだろうか

大学に対する長年の貢献にたいして、名誉教授の称号がいただけるとかの、通知がきた。

名誉教授制度などあってもなくてもどうでもいいのだが、まあいい加減やめたらどうか、というのがわたくしの意見。トヨタが退職した社員のだれそれを、名誉社員とか名誉課長など呼ぶと決めたら、世間もそれにしたがってそう呼ぶだろうか。やめる教授の多くが名誉教授になるのも、ご同慶のいたりなのかもしれないが、実質的な特典は何もないのだし、正直自己満足でしょ。それとも、なにかわたくしの知らない、いいことがあるのかしら。そうなら、4月以降が楽しみだが。

周囲も、いいかげんだれそれ某大学名誉教授などと呼ぶのはやめたらいいのに。新聞に実際には某私立大学教授なのにK大名誉教授とでるとヘンなかんじ。現職を隠したいのだろうか。元教授で呼んでもらったらいいだろう。昔の職をそんなに懐かしみたいのなら。でも元代議士などと呼ばれたがってるのとあまり変わらないのでは。

生計の道をたてている職業をたいていの人は自分の職と呼んでいるのだと思う。画家になりたいと痛切に思っても、実際にコンビニで働いてそれで生計を立てていたら、自分をフリーターと呼ぶか絵描きと呼ぶか、悩みに悩む若者と似たような気持ちで、わたくしは人生を送ってきたつもりなのだが。

むかし、フランスで旅行をしていたとき、ホテルでの宿帳に仲間の一人が職業欄に生物学者と書いてるのを見て、ああそんな書き方もあるのかとおもった。いまの日本でホテルチェックインで職業等を埋めるように促されることはないが、どうしても職業欄を書けといわれたらわたくしも生命学者とか細胞屋とか遺伝子業とか、これから書いてみるか。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-12 07:32