生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 04月 07日

偏差値学生とのつきあい その2

きょうは沖縄に来てます。那覇空港からのタクシー(他に公共的な交通がない)が沖縄南のインターから出たこともあり、運転手が道知らず、またわたくしも依然沖縄では土地不案内で新しい場所に来ると方角が分からなくなる傾向があるので、だいぶ遠回りとなった。目印のジャスコの紫色の大きな看板を非常に変な角度にて発見。一種の観光ツアー的状況。それからセンターに到着。技術補佐の候補のかたの面接もありましたが、他にいろいろ研究推進上の議論が山積。昨年の今頃はまだまったく何もなかったわけなので、たいへんな変化と進歩。

さて偏差値学生の続きです。
偏差値制度から生まれてくる学生さんは、頭の中が輪切りなのですね。偏差値輪切りというと、当事者は知ってるはずだし、分かってるはずです。しかもこれを全国規模でやられてしまうのだからひどいものです。輪切りが全国隅々まで行き渡ってるようです。こんなもの完全に結果を忘れてしまえたらいいのですが、そうはいきません。長い期間、引きずってしまうような人までいるようです。
研究者になるための修行が待ってるものにとっては、このようなランキングはまったく無意味だし、役に立ちません。それでも、K大やT大、H大などを始めとする旧帝大系は偏差値ランクの高い学生が集まります。しかし、残念ながら、前回わたくしが申しましたように、研究上の才能とはほとんど相関があるようにはみえません。少なくともわたくしには。
せいぜい制限酵素のマップをより精密に正確に作る能力に優れてるくらいです。わたくしの研究室では、K大出身者は多数派ですが、でも平均的に他大学出身者より、研究業績が上かどうかは必ずしも言えません。たとえば、国際基督教大学学部出身の院生を二人学位まで世話しましたが、院生時代の成果だけ見れば、平均的にはK大よりは成果は上でしょう。いま、信州大学繊維学部出身の院生がひとりいますが、K大出とどこになんの違いがあるのかわたくしには分かりません。たぶん、内面とか意識では異なるのかもしれませんが。研究能力には差がありるようにみえません。

偏差値意識を完全に心から除去というか、排除して影響されてないのなら、たいへんよろしい。でも、偏差値世代になってから、そんな影響されてない学生はほとんど会えなかったですね。もしもいたら、大いに見込みがあるというか、悲しいかなあたりまえなのですが、まともな人としてスタートできます。
輪切りから来る、優越感、劣等感、いずれも研究に対しては悪影響しかありません。どちらかといえば、劣等感のほうがましでしょう。上昇志向があるのかもしれませんから。でもゆがんだ上昇志向になりがちです。ただ、優越感があってなおかつなんの研究面での才能がなかったら、フィクションの世界の人間、つまりほんとにもぬけの殻人間となります。
ボトムラインで言えば、研究は好きというのが前提で、これは安全です。好きでやれるのなら、まあ保険がかかってます。でも、収入、つまりご飯を食べていく、算段は自分でちゃんとつける覚悟がいります。この一番簡単な常識中の常識が分かるのに、偏差値世代はやたらに時間がかかるのですね。
それで、学部生や院生にひと言。
あなたに才能があるのかないのかですが。
たいていはありません。
なぜなら、才能がある人を目指した選抜をほとんどしてませんから。
明々白々な事実です。
才能のある人はたぶんどこかにいるに違いありません。もちろん、可能性としてですが、あなたかもしれません。ただ、生命科学のように生涯学習的で、50代でもチャンスはあるし、わたくしのように60代でもまだチャンスを狙うこともできるのだから、好きなら努力すればいいじゃないですか。
それはさておき、どこかの大学で「才能発掘係」の適任者をみつけて、そのかた(達)に全国行脚(外国人も含めて)するようなことを始めませんかね。どこかで、「才能ある少年、少女あり」という、一報が来たら、わたくしも会いに行きたいです。
(この項、不定期につづく)

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-07 17:19
2005年 04月 06日

偏差値学生とのつきあい

今日は、自主研になって始めての、ゼミ。わりあいよい調子。質問も活発。わたくしも、ゼミでの介入的な教育の放棄宣言。みんな自主的にやりましょうとのこと。このような感じでいければよいのだが。

K大ではずっと学部教育講義、経験が長くなってからは入学ほやほやの新入生の講義もやりました。わたくしの講義はそうたいに評判が悪く、先生のは何も教えてくれないという、文句もよく聞いてます。わたくしのほうは、数人でもわたくしの講義で興味を触発してくれれば十分という、少数派志向の考えなので、そのあたりは完全なすれ違いです。わたくしとしては、講義のかたちで研究哲学のようなものをしゃべってきたつもりです。でも、まあ一方通行なのでしょう。
K大の教育好きの先生がいちばん目のかたきにしそうなタイプの講義をずっと続けて、最後の退職まできてしまいました。
最終講義とかいうものも、最終という言葉にカチンと来て、やらずじまい。というか、その点も何年も前から考えていたとおりに実行しただけですが。
つまり、1年半くらい前の学部のわたくしの担当した分子生物学講義の最終コマに「これがわたくしのK大での最後の講義でした」とぼそぼそいったのですが、最前列の学生がキョトンとした顔つきで、わたくしの顔を見てました。ですから、あれがわたくしの最終講義でした。
平均的な学生から見たら、わたくしの講義は歓迎できないタイプのものでしょう。でも、まあごく一部の学生にはそう悪くなかったはずです。自らの研究への情熱のようなものは自然出てくるようなスタイルでやっていましたから。
わたくしは、基本的に偏差値学生が嫌いだし、K大ステロタイプの学生とは5分間会話がもちません。そういう学生とは、わたくしは石ころ程度の関係しか持ちたくありません。そのうえさらに、K大偏差値エリートの鼻持ちならない感覚を出されたら、気分が悪くなるだけです。この学生は何様だと思ってるのだろう、親の顔が見たい。わたくしの後年の口癖が、親の顔がみたいでした。25年前に偏差値学生が入りだしてからは、学生に対しては全般的に失望の連続でした。いわゆる砂をかむような日々がわたくしの学部教養教育の体験でした。

偏差値教育では人格はまったく判定できないので、K大で前途有為な人格の若者が入ってくる機会はほぼ世の中の若者からランダムに学生を選ぶのと変わりないのですね。しかも、偏差値が高いという誤った価値観を持ってる分、前途有為な人物の頻度は相対的により少ないかもしれません。

でも個人的に幸いなことに、わたくしの研究室での大学院生には他大学出身者もふくめ、まあまあそこそこの若者が入ってきてくれたので、研究室自体での若者とのつきあいに特別な不満はなかったのでしたが。それでもおりおりに親の顔が見たいなどとぼやいていますが。
大学院生に対しての主たる不満のひとつは、研究室にくるまでに、研究をするための準備をなにもしてない人達が多かったことですね。もちろん例外はおりますが。
数は少ないのですが、女性院生の学位取得者に対してはその様な不満は相対的にはずっと少なかったです。ただまあ大失敗もありますが。女性研究者はもっと育てたかったという感覚は残ってます。
学生さんのことや教育については、これからも何度も触れると思いますが、今日はまずその第一回目。ちょっとネガティブなトーンがきつかったのですみませんが、しかし正直にものをいわねばこのような問題は理解されないとおもいます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-06 15:08
2005年 04月 05日

データの「嘘」について

三回実験をやって、のぞみ通りの結果が一回、のぞみとは反対の結果が一回、データがとてもものにならない結果が一回、こんなことになることは、ありふれた出来事です。これで、この実験の結果を忘れてしまえば簡単ですが、こののぞみ通りの結果を、「まあいいや」ということで、論文に発表してしまいました。
さあ、これはどういう「嘘」に相当するのでしょうか。このようなごくごく単純な「悪事」でも、詳しく考えると、複雑な問題になります。この「まあ、いいや」と思った人は誰か。現場の大学院生かポスドクとして、それをボスには黙っていて、のぞみ通りの結果だけを見せたとします。ボスがなんべん実験をしてこうなったか、聞かなければ、現場的には「嘘」は自分の内面で一回だけついたことになります。聞かれて、複数回このような結果がでたと言えば、二回嘘をついたことになります。これはかなり深刻です。
もしも、これをボスが一勝一敗だということを知りながら、なおかつこの望み通りの結果を公表してしまえば、ボスは現場と共犯関係で嘘をついたことになります。公表した論文のデータは再現性はもちろん前提ですから。
この「嘘」のある論文が誰も気にしないような、引用もまずほとんどされないようなものだとすると、この「悪事」は誰も気がつかないことになります。
ところが、結論が重要で、大切な論文だとみなされる論文となり、なおかつ、一勝一敗のデータの部分が実はのぞみ通りの結果でなかったほうが本当は正しかったことになると、厄介な問題となります。単に誤った論文ということでなく、現場の研究者がボスがこの誤ったデータをまあいいや公表しようとしたと、証言すると「データの捏造」という嫌疑がかけられる可能性が高まります。これは、たいへん怖い話です。データの捏造は、科学研究の世界では最悪の行為とみなされるからです。簡単な悪事がとんでもない極悪的な悪事になりかねません。誰も気にしないつまらない論文だったら、そんな問題は起こらなかったはずなのに。このようケース、どうかんがえますか。
さて、次の問題です。
論文に発表したいデータにちょっとまずい余計なバンドがあります。これをできたら見せたくありません。写真なので、カッターナイフでその部分を切り落として発表しました。審査委員は特にこの切り落としたこと(いまならフォトショップで簡単に切り抜けますが)に文句を言われなかったので、そのまま公表されました。実際同じような見せたくない部分を切り落とす(トリムする)事は誰もがやっています。
ところが同じデータを、この余計なバンドを修正インクか何かで、隠してしまいました。フォトショップなら、消しゴム機能で余計なものを消してしまったのでした。これはたいへんまずい行為です。データに改ざんを加えているので、「捏造データ」になってしまいます。
ところで、このようなデータがあるにせよ、論文の他のデータは正しく、結論も正しかったとします。それですめば誰も気がつかなかったのですが、フォトショップの消しゴム機能で変えたデータを公表したと、内部告発があってしまいました。
さあ、この問題にどう対応しますか?
それほどの罪ではないのではないか、という意見と、結論と無関係に「明白な捏造」なのだから、罪は重大と考える意見があり得ます。これらの中間にいろんな意見があるでしょう。若い人の中には、困ったデータ部分を切り抜くのは悪くなくて、消すのは捏造というのは、どうも納得できないというかたもおられるでしょう。
それでは、もっと悪質なデータを意図的に捏造したケースを考えましよう。その様な場合はたいてい、ある特定な結論を出すために、それに合うようなデータを意図的に捏造したケースです。このような場合該当実験は実際にはしてないし、データは完全に人工的なものとなります。グラフやパターンなら自分で勝手にかく。画像なら何か偽のものを結論に適合したようなものを作り上げる。このような捏造データは上で述べたのとは次元がちがう悪質さとなります。
このような悪質な捏造は決して起きてはならないのですが、経験的には折々に起こるとおもわねばならないのです。どんな平和国家にも犯罪はあるようなものです。わたくしは長年こういう問題には性善説で考えていましたが、ある時期から、かなり性悪説に近くなって、悪質な捏造は常に起こりうると考えるようになってきました。それに伴って、いろいろなデータの嘘を考えるようになりました。
データを改ざんするのはもちろん言語同断だが、切り抜くのもそれが意図的なら非常にまずいことだということを認識する必要があります。余計なバンドもデータ的に見せて夾雑物だと説明すればいいことなのです。
さて、一番の問題はこのようないろいろなグレードの異なる嘘に対してどのように対処するかです。自らの問題として考える必要があります。
そして、大いに議論する必要があります。
臭いものには蓋をするのはいちばんよくないのです。
過剰な処罰はいけないし、しかし一方で不正直さを知りながら見逃すのもよくない。
表に出して、議論することが一番。データ提示に極端な潔癖さを要求するのはどうかと思うが、一方でなあなあ的な態度は、最悪の意図的捏造への道を容易につくることになる。
データの嘘に触れて議論することを、怖がることはないのです。
真の正直というのは気弱のものでない、力強いものです。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-05 22:42
2005年 04月 04日

96のコメントの中から

今日は、このあいだ触れたTK君の論文の最終段階の打ち合わせをして、改訂版はほぼ完成。すべてのコメントに対応した。しかし今回は編集者が英語をちゃんとせよというのに対応しないといけない。審査員は英語について、文句言ってないのだが、たぶんこの編集者が内容をよく分からないらしい。平たく言えば、自分に分かるようなスタイルの英語で書けと、言ってるようだ。それも一理あるのだが、英語を改善してそうなるかは分からない
このジャーナルは一流との評価だが、編集者の質もそうだとは言えないかもしれない。
むかし一流といわれたJMB誌はいまは普通になってしまった。わたくしは昔たくさん論文をJMBに出したのだが、ジャーナル的な資産価値はもうまったくない。
このジャーナルもTK君が中年熟年になる頃は、そんなジャーナルになってるかもしれない。
ともあれ英語については、旧知のIH博士が親切に直してくれるとのこと。ありがたい。
今日はその後、別の論文の考察部分を考えて、かなり作業をした。どこに投稿するかはまだ決めてない。考察の出来映え一つで読んだ印象はがらりと変わるので、どう変わりうるかをいろいろ検討中。
そのあとで、誕生日を祝ってくれた、秘書さん達とお茶を飲みに一時外出。
帰ってからも考察の続きをしていたが疲れたので、ブログをやろうかな、というのが今日の経過です。

「退職間近にしてその3」でのコメントが96件もありました。
前々から気になっています。
内容はみなさん短めに書いてるのですが、たいへん重い問題が続出。これをきちんと読んでわたくしの意見を開陳しようとすると、とうてい休憩時間の範疇ではなく、「仕事」になってしまいます。それでさぼっていましたが、短めの感想をまとまり無いかたちで以下に記しておきます。

やはり、「小役人」さんと「おばさん」のお二人がいろいろなかたちで建設的な意見を述べて居られます。研究者には目新しく感じられたり、また刺激的だと思いました。本当は、ここに登場するいいろいろな人達が一場に会して、直接お話をしたらとても面白いし役にも立つのでしょうが。

今日は、いろいろ議論のあった、応用と基礎の件、わたくしもちょっと横から意見を述べます。

わたくしは、「役に立つことを目標」としている研究と、「自分の好奇心を満たす」スタイルの研究と言うことで、分けて考えてきました。わたくしが、この研究科に移ってからは、わたくしの研究スタイルは「役に立とうとする研究」にシフトしてます。自分自身、相当な努力で、約6年前から研究スタイルを変えたはずです。わたくしの最近の研究が、知的好奇心のみでmotivateされてる時代とは、相当変わってきていることは、周囲からも認知されていると思います。
ところで、どう役に立とうとするのかですが、「人類の幸福、健康、安寧」に役立つ生命科学研究をしているつもりです。そんな大上段に構えたもの、ぜんぜんピンと来ないと言われるかたが多いでしょうが、わたくしは自分の研究成果がこのような大きな課題に将来相当に役立つことを確信してます。そういっても全然恥ずかしくないようになったというか、そのように本気で思い込めるようになったのです。これ、本当の話です。
また、わたくしは今日明日役にたつような研究をするようには訓練を受けてもないし、そういう方向を目指す気は今はありません。将来(あるかどうかですが)はわかりませんが。
わたくしどもの研究は10,20年後には確実にたぶん驚くほど役に立っているはずです。生命の継承の根本メカニズムをやってるのですから、とんでもなく役立つはずです。ただ、とんでもなく危ない方向に役立つ可能性もあります。だからこそ、人類の幸福、健康、安寧に役立ちたいと、強調してるのです。
もっとはるかに卑近でありしかし切実な癌研究で言えば、癌がいかにして生じるか、その根本原因は何か、それを明らかにするような研究に結局関わっているのですね。わたくし自身、10年前ですと、その様な問題に間接的に関わっていたのでしょうが、今なら直接関わりだしています。しかし、それは特にそれを意図してるのではなく、自然に関連してしまうのです。
研究を始めて、最初の25年くらいは、わたくしは自分の知的好奇心を満たすのみで、まっしぐらでやって来ました。しかし、それだけではないものを持つこと、学風の広がりを真剣に考えていた期間があります。しかし、考えてはいたものの、なかなか手を出さない時期がありました。しかし、下で述べるRNAi法の広がりを契機に一気にヒトの染色体の問題に着手できるようになりました。
わたくしは、この研究の広がりを「応用」とはまったく思ってません。研究の必然的な広がりが可能になったから、自らもその広がりに参加してるだけです。
がんの治療方針を決める為の診断技術を開発すると言えば、応用研究に聞こえると思われます。しかし、基礎中の基礎の研究をヒト染色体を対象に行っていた内容が、ある日突然「応用的意義がある」と本人も周囲も理解する、生命科学の発展とはそういうものです。

わたくしが今までやって来た研究分野では、応用とは以下のような状況にたいして使われました。
酵母菌で遺伝子を壊す技術が確立しました。それとほとんど同じ方法を「応用」して、ほ乳類で遺伝子を壊す技術が何年も経ってから、確立しました。方法は同じようなものですが、もちろん手順は随分違います。ほ乳類で成功した人は、有名になり大きな賞をたくさん貰ってますが、酵母で成功した人はその基礎を作った人ということで、専門家のあいだではそれ相応な尊敬を得ております。さて、どちらもアメリカ人ですが、米国ではどちらにもしっかり研究費をサポートしてます。わたくしはそれで十分だと思います。つまり、アメリカで芽が出て、アメリカで収穫されるようにしたのですから。もちろん、酵母で成功したあと、誰がほ乳類で成功するかずっと話題になっており、技術として当然応用せねばならないし、誰かに成功して欲しいものという認識でした。酵母での創始者はその後もオリジナル研究を続けてますから、彼に研究投資したのは成功でした。
RNAiという革新的技術がヒト等のほ乳類細胞に応用可能になりました。もともとは線虫とかハエでは、かなり前からRNAiは可能だったのですが、風変わりな技術(その原理があまりはっきりしなかったのも一因で)でもあり、ヒト細胞への応用は無理だと、囁かれていました。わたくしもその方法の存在は知ってましたが、線虫でだけ効くとか聞いていて、それ以上の関心はありませんでした。ところが数年前にこの方法がヒトで培養によく使われるHeLaという細胞で応用可能という論文が発表されました。
その時、わたくし達も色めき立ちました。HeLaででもできるのなら、さっそくやりたい。われわれが分裂酵母でやっていたことを。そっくりそのままヒト細胞に移してみたい。
これに乗ってくれたのが何回か前に話題にした、GG君でした。彼はきわめて短期間でRNAi法を研究室に導入するのに成功させました。そこから先は驚くほどのスピードで研究が進展しました。
わたくしは「実例」で、応用というものについてのわたくしの考えを述べました。
中村修二氏の青色ダイオードの実用化の研究はあまりにも有名ですが、いっぽうで赤崎勇氏のそれ以前の青色ダイオードの基礎研究も同様にきわめて重要だし有名です。中村氏の研究は赤崎氏の研究の応用では決してなく、オリジナルな技術開発ですが、先人である赤崎氏の業績に基礎があることは歴然としてます。どちらが偉いかなどと言う議論は、先ほどの酵母の遺伝子破壊とほ乳類の遺伝子破壊をやった人間のどちらが偉いか、というのと同じで意味があるとは思えません。
最後になりますが、わたくしが今もいるこの研究科の発足時にどれくらいの数の特許があるかと言うことで調べたら、100程度はあることが分かりました。しかし、その中でお金を現実に生み出している特許は一つもありませんでした。ことほどさように、「応用=役に立つ、お金になる」、というのは意味があるコンセプトかどうか疑わしいです。わたくしは、役に立つかどうかというのが一番大切だと思います。

生命科学では。昨日まで単なる一片の知識であったものが、必要性や場合によっては規制緩和によって突然にお金を生み出す知識となりえます。創薬のようなたいへん地道で時間のかかる分野もありますが、生命科学技術には即時的に役立つものもありえます。これが面白さでもあり、怖さでもあります。どう怖いかはまたいずれ。
ブログのコメントに対しるレスポンスとして、脱線気味ですが、お許しを。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-04 20:46
2005年 04月 03日

時代の子

朝起きて外を見ると、雨模様。雨戸を開けると、庭のレンギョウが咲き出していた。小さい株だが、背景が竹垣なので、映える。
隣にある、カエデは、昨年だったか、植木職のひとに、この木肌は素晴らしいといわれてから、しげしげと見るようになったが、確かに美しい。晴れの日も曇った日も、特に雨の降った時になんともいえない魅力がでる。気がつかずに、25年も経っていたか。ものの美醜は誰かに言われて、始めて気がつくことがある。全体ではなく、局部での美が全体を決めているのか。
モナリザも「微笑」といわれて、始めて全体が見えてくる。人間の不可思議な感性。
狭い庭なので、スギゴケで木のあるところは全部地を覆ってしまった。それ以来、よく庭に出るようになった。スギゴケから出る精気を吸収したくなるような感じ。きょうはスギゴケのあいだに立っている、どの木も小雨の中で元気良さそうだった。
この時期は黄色の花をたくさん見る。庭とはいいがたい北小松の畑地では、マンサク、サンシュユは先週満開だった。敷地の端に植えた、レンギョウはまだ咲きそうにもなかったが、今日あたりどうだろうか。午後にでもでかけてみてみるか。
朝は洗濯、一週間分。部屋は目で見て、ゴミがあるように見えたら、掃除することにしている。
猫がよくなきすり寄ってくるので、水、食事を与え、トイレ掃除。老猫になったのか、最近水をよく取り、トイレの固まりも大きめ。腎臓機能の低下の可能性とか獣医さんは言ったそうだが、検査をしようとしたら大暴れしたので、検査はしなかったとは、妻の言。老猫のくせにときおり、信じられないようなスピードで走り、高い木にまたたく間に駆け上がり、あとで降りられなくて、泣き続けることもある。三毛猫。目の色とか、顔にあるごく小さな斑点から、シャム猫の血がすこし入っているのではないかと勝手に判断している。起きてから、家の中のことなどをして一休みする。こんな感じが主婦の感覚かなとおもう。
仕事を始める前に、日曜なので、すこしぼんやり考える。家には誰もいないので、考え事にはたいへんよろしい。
「時代の子」、そんな言葉がわたくしの頭のなかにある。
自分は時代に関係なく生きてきたつもりでも、実は完全に「時代の子」だったのではないか。わたくしは、心理学を勉強したことはないのだが、自己流の心理判断をよくする。他人も自分もその判断の対象とする。わりあいよく当たるような気がする。判断の基準は、おおざっぱに言えば、「いきがい」のようなものを知って、判断する。いきがいには深層と浅層があり、またひだというか複雑な房があるので、難しく考えればわけが分からない。そこを、おおざっぱに第一近似する。しかし、生きがいなど人はそう簡単にいってくれない。そこで、「骨相」から判断する。これはわたくしの周辺の人間は誰でも知ってるが、わたくしが人を煙に巻きたいときは、たいていは、骨相学の話をすることにしている。とりあえず、偏見と独断にもとづくような「骨相」から、その人の生きがいなりを知ろう、まあこれがわたくしの心理判断なのですが。

それで、時代の子ですが、わたくしはどうも10才になる前に、時代の子のインプリントをされてしまったようだ。インプリントとは印を押すというか、心に焼き付くとかそういう意味ですが、細胞生物学では、遺伝子発現の様式に最近よく使われるのです。よく、氏と素性といいますが、この素性に相当するような、遺伝子発現があって、いっぺん素性が決まればなかなか代わることはないというようなもの。ひと言で言えば、時代の子とは素性ですね。どんな時代をどんな環境で育ってきたのか、どんな人や自然が周りにいて、どんな影響を与えてきたのか。
この年になって、わたくしはだんだん自分の素性が、インプリントされたものが分かってきたような気がします。というか、この年齢になったので、始めて分かるようになってきたのかもしれません。
そろそろ仕事再開なので、今日はここまで。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-03 09:27
2005年 04月 02日

いまの研究の発端

きょうは所用で東京へ日帰りで出張。早朝に出て、所用の前に、東京に住む娘夫婦のふたごの孫二人を見ました。5か月になったとか。かわいい。しかし、土曜日の出張は疲れる。妻はまだ東京。

わたくしの研究上の興味は染色体にある。遺伝子の担い手の染色体である。ヒトには46個の染色体があるが、23個ずつ母と父から継承されているのは誰でも知っていることでしょう。この染色体が親から子の細胞へ正確に継承されている仕組みを長年調べています。染色体の数がいかにして恒常的に保たれてるか、そういうふうに問題を言い換えてもいいでしょう。がんの細胞ではほとんど例外なく、染色体数が異常になっているので、染色体数の異常が細胞のがん化の原因なのか結果なのか、ながいこと論争になっています。
わたくしの研究者の出自は分子生物学という分野で、目にはまったく見えない分子のレベルでの生き物のいろいろな性質をしらべます。この分野はもともと過激な考えが強い人達が創始しました。ばい菌で分かったことは、すべてヒトでもゾウでもクジラでも正しいと、平気で断定するようなある意味で非常識な人達でした。つまりウイルス、細菌とか普通の生物学者が見向きもしないようなものを、モデル生物として取り上げて、これで正しいことは、他の生物でも正しい、と言い張る研究者達です。この過激派集団はたくさんの成功者を生み出してますし、20世紀後半の生物学の激しい進展を引き起こした、代表的な一派でしょう。
若い頃のわたくしはそういう過激派の末裔でした。細菌に取り付くウイルス(ファージといいますが)を染色体のモデルとみなして結局十年くらい研究しました。しかし、だんだんこの考えの旗色が悪くなってきました。ファージの構造が詳しく分かるにつれ、どう考えても、ファージが高等生物の染色体と似ていると言い張るのは難しいようでした。特に染色体の基本となるクロマチンと呼ばれるものがスッキリと分かりだしてきてみると、どこを見ても、わたくしが日夜研究していたファージの構造との類似点を探すことは無理でした。潮時かなと、思わざるを得ませんでした。そして、30代半ばには「ほんとの染色体」をやはり取り上げないと、いけないと思い出しました。
そして、顕微鏡でよく見えるヒトの染色体ではなくて、そんな染色体なんてものがあるのかどうか疑わしいと、当時の染色体専門家がみなしていた、菌類の染色体を研究の対象にしました。なぜ菌類である酵母を選んだか。ウイルスでわたくしなりに熟達した遺伝学的なアプローチが可能だからでした。それに、見えないものを見えるものにする、これがわたくしの個人芸でした。若くして教授になれたのも、見えそうもない不可視的なウイルスの構造を、あの手この手で見えるようにした業績のおかげでした。
酵母菌(実際には分裂酵母というものですが)の染色体なんてほんとにあるのですか?と疑わしい顔つきできかれたことが当時何度もありました。染色体のDNAが一続きなのかどうかが全然分からない時代ですからしかたありません。
そんなとき、カビの染色体をちゃんと見えるようにするということと、カビの染色体が親から子にうまく伝わらないようなミュータント(変異体という)を作ろう、こんなものがわたくしが教授になった頃のスローガンでした。28年前になります。
そんなテーマが成立するのか、疑わしい顔をする人達がまだまだ多い時代でした。そんな時に、わたくしはまあカビにもヒストンがあるのだから、大丈夫でないの、とうそぶいてました。ヒストンはヒトの染色体にもあるDNAに結合するタンパク質です。案外こんなことを心の支えにして、数年間のある意味で賭の研究に乗り出すのですね。だから、数年後に、染色体を一つずつ見えることが可能になったときはほんとに嬉しかったものです。
これを最初に見たのが早逝した梅園和彦さんでした。彼はわたくしが所属している研究科の初代の教授の一人でしたが、発足の最初の週に亡くなりました。。このカビの染色体を仲間だった登田隆さんたちと一緒に見始めたときには彼はまだ20代の始めでした。
わたくしは、定年退職の機会に多数の一緒にやった若者達の顔を思い出しましたが、死者となってしまったのは梅園さんだけでした。
話がずれたかもしれませんが、わたくしの今の研究の事始めのエピソードをちょっと書いてみました。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-02 23:35
2005年 04月 01日

きょうおもうこと

昨日は、午後に研究室で、花束を頂いた。やはり嬉しいものです。その後、お茶とケーキで和やかにおしゃべりをした。わたくしとしては、昨日も今日も同じような日々でありたいのだが、やはりこのようなセレモニーを持つのも楽しいし、研究室のみなさんにも意義があるのだろう。

今日は昼過ぎ研究科長から、辞令をいただいた。
二通あって、一通は研究科長からの通知書で、現職研究員とあり、異動内容として、生命科学研究科教授(特任)の称を付与しますとある。この称は上手に使えば価値があるわけ。名刺には入れる気はないが、グラントの申請にたいへん役立つ。
もう一通は使用者職としての学長からでこれには労働条件通知書とある。契約期間、職種、業務内容とあり、ここには有期雇用教職員、研究員(学術支援)とある。ふーん、支援研究員かと思った。始業は8時半、就業は17時半、休憩12時から13時まで1時間とある。後いろいろ書いてあり、休暇も取れる。裁量労働制が無くなるので、これからは朝8時半に来るのかな?と思わずつぶやく。あと、有期雇用というところで、茶々を入れたかったがこらえた。受領サインをして、これでこれから一年間頑張りましょうと、心から思った。

わたくしのようなケースは、K大としてはまだまだ珍しい出来事。つまり、名誉教授はどんなかたちであれ、キャンパスには残れないという不文律が長年あった。数年前にわたくしが研究科長であったときに、その様なことを変えるべきだと、本部の人事の上級職員と話したときに、彼は事務職員であるのに(だからというべきか)、言下のもとに「先生それは絶対いけません。かならず院政になりますよ」と言われた。教授会で話題にしても、若い教授の多くからは、やはり「院政」への危惧が強く出た。
K大は、たしかにそういうことを考えたくなるような歴史が長年あった町に存在するのでしかたないかもしれない。
わたくしとしても、そういう気がなくても、どう勘ぐられるかしれないので、もといた研究科の教授の人とはこんご私的には極力会わないのがいいのだろうと思った。お茶を飲んでいるのを目撃されても、何を言われるか、分からない。相手のかたに気の毒になる。幸いわたくしのいる、この建物には同じ研究科の教授は一人もいないのでトイレや廊下で会うこともないし、教授会にも出ないのだし、その点安全でしょう。
ただ、わたくしはK大でたしかに研究室を経営してるのだが、同僚という人間はどこにもいないことは確かだ。そういう点で、誇張だが、天涯孤独のような不思議な感覚。
これからは、創造性の高い研究を試みるのが、それは研究科の興隆の為ではなく、たぶん世界の生命科学の為にやるのだと、心から思う。そういう気持ちなら、よもやわたくしが院政に興味があるなどというかつての同僚はいないだろう。
新入学生を受け入れることもできないのだから、よほどの創意工夫が研究室運営に必要。しかし、わたくしは今まで逆境にはとことん強いという自負があるので、むしろこの様な環境をバネにしたい。日本か世界のどこからでもやる気のある元気な若者をスカウトしよう。そのためには研究費がどうしても必要、やる気が高揚してくる。

わたくしの今後は、研究能力だけでの評価で生きていきたい。他にもあるかもしれない能力は、夾雑物としてみなされたほうがほんとにありがたい。
研究能力の評価が墜ちたときにはいさぎよく、現場を去りましょう。

夢想だが、これからは野に放たれた狼のような生き方をしてみたい。

しかし、「狼」になるには、体型もまったく不似合いだし敏捷性はゼロだ。しがらみ、係累も多すぎて、狼などになれるはずがない。それに年も取りすぎた。だから、バーチャルな気持ちだけでも、一匹狼だった昔の時代に戻りたい。

興味のない世界には近寄らないようにしよう。好きなものには好きといって近寄り、嫌いなものは嫌いと宣言し近寄らないようにしよう。良いものは良いと、よろしくないと思うものにはよろしくない、そうはっきり言いましょう。
心の自由のために。

研究のできる時間がまだあることに、深く感謝しつつ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-04-01 22:44
2005年 03月 31日

論文ライターのひとりごと

今年の正月休みに、「毎月論文を1編書いて投稿せねばならないなあ」、とため息をつきながら計画を立てたのに、もう早くも3月31日三ヶ月経って、退職の日になったというのにまだ1編しか投稿してない。準備中のものは多数あるのだが。博士の学位を取らねばならぬ人達が多いのだから早くなんとかしないと。
ひどい計画の遅れだが、わたくしだけが悪いわけだけではない。わたくしとしては、これ以上無理というくらい勤勉に土日も忘れずに、多数の論文準備の作業をして働いているのだが、なかなか計画通りにいかないのだ。基本的に頭というか、頭部と手を使うのみの作業で、不健康なので、そればかりやっては結局非効率だし、体調だって悪くなる。それに、思わぬ雑用が入ったりしての遅れもある。サッカーのイラン戦、見ないで論文をかくなんてことはさすがのわたくしでも出来ない。このブログ書きのような、気分転換は、論文書きに特に大切です。
ともあれ、これ以上の時間をかけて論文書きで働くのは気力体力的に無理、とわたくしは思ってるし、周りも分かってるので、あとはどうわたくしが工夫して、関係者も協力して、計画を実現するかである。計画の遅れはあるが、年間的にはまだまだ可能性はある。
昨年5月から改訂中の論文がある。懸案事項のトップに来ていることは事実。しかし、関係者の多大な努力でもまだ満足すべきデータが出てこない。関係者も最後のデータをいつまで頑張るか、ジャーナルのランクを落とすか、祈るような状態。
わたくしのパソコンのデスクトップにはそれも含めて8編の論文フォルダが置いてある。うち2編は事実上ほぼ終わっているのだが、なぜか筆頭著者が急ぐ気配がない。それに、もっときめ細かく協力してくれないとまだすこし時間がかかりそう。心を合わせた最終段階というふうになってない。
他の論文もデータはみな沢山ある。しかし、フィニッシュには足りない。フォルダーが2G以上の大きさなのに、まだ終われないのはつらいのだが、しかたがない。
かゆいところに手の届くように協力してくれた、GG君がほんとに懐かしい。彼はやはり特別だったのか。でも、彼が出来たのだから、他の人達も出来るはずではないか。こう考えるのはいけないかな。彼は、考察に必要なあるセンテンスを書くために、その背景になる引用論文がなにになるか、ちょっと聞くと、素早く完全なリストを説明付きでメールで送ってきてくれたものだ。何を聞いても間髪を入れずに返事があり、頼んだことを忘れたことは決してなかった。
いまは、わたくしが最低2回お願いしないと、対応の返事が来ない人達が多い。わたくしが、忘れた頃に「あの件ですが」と代名詞でやってくる。「あれ、これ」とやたらに代名詞が多いか、省略語が多い若者が増えてる。
論文書きの最終段階では、そのお話というか主たる結論がこれまで既に知られている知見とどう関係するかをきちんと明確に関係づけて、論じなければならない。さらに、いろいろな気になる可能性も論じなければならない。文献上の実験結果や、研究室内でかつてやられた未発表や既発表の実験結果を思い出して関係づけるとか、知的には大車輪の忙しさと最大限の活性化状態になるのである。
こういう時期に、のほほんとしてるみたいで活性化してない(かのように見える)関係者には腹が立つのだが、しかしかれらも、たぶん協力したいと思っても、どうしていいのか分からないのでしょうね。
結局、考察の一つのパラグラフを書くのに、半日くらいかかることがある。論文引用漏れがないように自宅でインターネットから大量の文献を一つ一つを見る作業などがある。このあたり、関係者の弱さがわたくしへの負荷としてかかってくる。わたくしとしては、対話がほとんどできないような著者の論文を書くのがほんとにしんどい。ボスの言うとおりにしか出来ないポスドクを抱えての研究室運営など、たぶんもっともつまらないでしょうね。わたくしにはそれでも、この未熟な学生もいつか立派な研究者になるのではないかという、希望がもてますから。
どうも、今日のは、ついつい、ぼやき、なげき節になってしまい、すみませんでした。たぶん、研究室の人達も首をすくめて、これを読んでるかもしれませんね。やはり退職日ですから、気持ちがネガティブになってたかもしれませんね。
そうはいいながら、いまデスクトップのフォルダ内のほとんどの原稿はかなりの完成状態なので、気持ちよいフィニッシュのデータと、かゆいところに手の届く協力と、わたくしの気力が充実してれば、残り9か月で全部投稿までいけるはずなのです。でも、それでも計画の3分の2です。残りの時間は、予想外の研究の進展の為に取ってあるのです。下級生というかラボで一番若いクラスの人が素晴らしい研究成果を挙げたことは今まで何度もありました。誰かの仕事が突然ブレイクするかもしれません。そういう状況になればわたくしも他のことは全部捨ててでもその論文を書きだします。
ほんとにエキサイティングで内容がズバリと決まった実験結果がそろえば、3日もあれば論文が書けるのです。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-31 19:00
2005年 03月 30日

オウンゴール

いやー、勝てましたね。オウンゴールとは。でも、勝ちは勝ち。これで一歩前進。
今日はバーレーン戦の試合を見たいので、早くラボをでました。出る前に、セミナールームでの雑談で、今日負けたら大変と言ったら、AK君が「絶対勝ちます」と力強く言った。彼があんなに自信を持って発言したのは聞いたことないので、そうかもしれん、と説得されました。彼は将来あんなふうに言えるのなら、良いボスになれるかもしれない。
試合は、中村は当然として、やはり三都主アレックスが出たので、戦意高揚、後半特に締まりました。しっかり、終了数分前にイエローカードを貰うところがアレックスの愛らしいところ。今回は中田、福西、中沢をはじめ皆いいところが守備で出ていましたね。わたくしは、フォワードは鈴木の不器用ながらも「えぐい」ところが好きです。高原の良さはどうもよく分からない。まあしかし、相手も強かった。勝負の差は紙一重だった。だからハラハラして、面白いのでした。
いくさを楽しいとはいえないかもしれないが、いくさを始めたら止められないほと面白いのでしょうね。オウンゴールで勝つ味はどうなのでしょう。それに一方で負けた方の味の苦さは。

昨日は急いで書いたので、ちょっとだけ書き残したところがありました。
論文投稿から公表を勝ち取るまでの過程には「いくさ」と似てるところが相当あります。ただ、あくまでも似てるのであって、ほんとのいくさと思ってはいけませんね。戦闘意欲が強く出すぎては勝てるものも負けてしまう。あくまでも、やってることは投稿と審査ですからね。でも、一年くらい投稿論文の改訂を要求され、引き回されて、結局拒絶され、競争相手の論文が通れば、いくさに完敗と思いたくなるし、復讐心も出てきがちです。わたくしも投稿論文がアクセプトされた喜びよりも、つらい思いをしたことの方をずっとよく憶えてます。でも負けても結局、命をとられるわけでもなく、誤った結論の論文を出す場合のダメージに比べればはるかにましです。
それに研究の勝負は長いマラソンのようなものですから、短期の結果で一喜一憂しない方がいいでしょう。やはり10年単位の成果が結局はものをいうのです。他人は案外よく見てくれてるものです。
研究者は結局真理探究をしてるのですから、真理探究の成果を発表する過程がたとえどんなに「いくさ」に似てようとも、真理探究の徒というスタイルが根本にないと、存在自体が危うくなるし、尊敬されませんよね。
でも、尊敬されるのを選ぶか、勝者となるのを選ぶのか、二者択一なら、あなたはどちらを選びますか。最近の若い人達は、勝者を選ぶのかな。
わたくしの持ってる「教養」では常に尊敬のほうを選ぶべきというものでしたが。
でも、オウンゴールをいりませんというという類の「教養」はさすがにもっていません。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-30 22:56
2005年 03月 29日

匿名レフェリーとの対話

昨日、今日と二日間朝から夕方まで、TK君の投稿論文のレビジョンつまり改訂原稿の作成をしていた。彼に隣に座って貰って、パソコン画面を見ながら、レフェリーのつけてきた沢山の批評やコメントに一つずつ対応しながら、キーボードに打ち込んで改訂原稿を作っていく。まだ終わらないが、もう1日かければ峠を越すだろう。
彼の論文は2月始めに某有名誌に投稿して、わりあい早く3人のレフェリーコメントが来た。駄目もとなどというと、本人に悪いが、高望みしたのに、感触のそれほど悪くないコメントで、これなら精一杯頑張れば何とかなるかと希望のもてるコメントだった。かれは、それから非常に頑張って1か月ちょっとで、相当の数の新データを出した。これで、批判の多くに対応できそうだ。偏差値世代の優秀学生は、目標がはっきりすると、目一杯頑張る。たいしたものであった。
そういうわけで思いのほかのスピードで改訂原稿作成段階まで来た。
研究の世界のことを知らない人にはピンと来ないだろうが、このレフェリー3人がこの投稿論文の生殺与奪を握っている。彼等は匿名で、誰だか分からない。誰だか当てたくなるのだが、やめた方が無難、あまり当たらない。
しくみがどうなっているかというと、この投稿論文を受け取ったジャーナルの編集者が、レフェリー3人を決めて頼んでいる。もちろんこの編集者は誰が何を言ってるかは知ってる。編集者は場合によっては純粋に編集的役割しかしない場合もあるが、たいていは最終判断をするので、ある意味で決定的なパワーを有している。この編集者が誰かはわれわれ著者側には分かっている。レフェリーと著者のあいだに立って、論文をアクセプトするかどうか決める立場にいる。

改訂論文作成で大きなウエイトを占める作業は、原稿に添付するカバーレターなるものを作ることである。難しいジャーナルほど、沢山の批判やコメントがついてくるので、当然それらに対応する実験をすることが多いが、しない場合でも、著者はいかにして対応したかどう考えるかを、批判に対して、一つ一つ書いていかねばならない。場合によっては長いカバーレターになることがある。
恐ろしいことに、一人のレフェリーのリポートが10ページとか場合によると20ページ近くなるようなとんでもないケースもある。相手は匿名なので、文句を言いたくてもどうしょうもない。
たいていはそんなに長くない、数ページ程度である。しかし、油断は禁物である。たった一行、「この結論は疑わしい、はっきりさせる実験をしなさい」などと言われれば、何をしたら相手を満足させられるか一生懸命考えねばならない。たった一ページのコメントでも半年くらい改訂のための実験をすることはしばしばある。
匿名者との対話である。彼等の厳しい批判には、忍耐心を高めて、怒りを抑えることが大切である。意地悪だと怒ったところで、なんの足しにもならない。かれらがOKと言ってくれなければ、論文は決して日の目を見ないのだから。論文が通った後なら、レフェリーのコメントに対する批判を、同業者と一緒に飯を食うとき言っても良いが。それまでは用心するべき。当の飯を一緒に食べてしきりに同情してくれる相手がレフェリーだったなどということ、はよくあることだ。
大切なのは、批判の裏にあるものである。トーンというか、調子である。コメントには通常感情的なものは普通ないはずなのだが、でもそう受けととめがちなコメントは多い。レフェリーの全般的な判断を感じたい。一方で、表面的なコメントの調子に騙されてはいけない。
たとえば、「このような粗雑な実験でこんなことがいえるはずがない」とか「この結論は完全に間違ってるし、しかもそれをサポートする実験データと称するものは大変疑わしい」などと書いてくれば、だれでもこれは自分を嫌ってる人間のコメントと思いがちだが、それらが実は著者のごく親しい友人であったなどということはざらにある。
つまり、匿名者のコメントはほんとに正直なのである。意図的なものと言うより、正直なのである。
ただ、これが一番のポイントなのだが、非常に厳しいコメントも、それは「善意」に基づくものなのか、それともなんらかの「はっきりした理由」があるものなのか、これの見極めが可能なら、見極めるべきなのである。
直接の競争相手がレフェリーなら、やはり厳しめのコメントが当然でがちなものです。それに、編集者は甘いレフェリーは好まないので、出来たら厳しめのコメントを欲しがる。一流とか言われてるジャーナルは往々にして、一番の競争相手にレフェリーを頼むものである。コメントが厳しいからといって、unfairと言ってはいけない。サッカーのデフェンダーの守備のようなものである。ぎりぎりのところでfairと言わざるを得ない、厳しいコメントをくぐらないとなかなか沢山の人目に触れるジャーナルに論文を公表できないのは当然である。結果が面白ければ面白いほど、フェンスが高くなりがちである。それに厳しい批判は本当のところ、非常に建設的な批判であることが多い。怒る前に、本当は感謝しなければいけないのだ。
いまのところ匿名レフェリーに代わるシステムは、見いだされてない。このシステムには大きな欠点がある。つまり最新のデータとアイデアが競争相手に知られるし、しかも盗まれる可能性もある。巧妙に論文の公表を遅らせて、先に発表してしまうことだってある。しかし、そのような犠牲を払っても、匿名同僚によるレフェリーが今のところベストなシステムと多くの研究者は思っている。

このTK君の改訂論文も論文の改訂そのものと、カバーレターを完成するまで、まだ何回かの検討ラウンドが必要なことはまちがいない。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-29 18:56
2005年 03月 28日

汚いデータ

汚いデータはピンからキリまでありますが、どれもそれなりに意味があるものです。汚いデータを見せてくれない院生は好きになれません。
年の功で、研究室内で出てくるデータは誰が出したか聞かないでもだいたい当てることが出来ます。不思議ですが、汚いデータの汚さが違うのです。個性の違いですか。

エピソードを一つ。Fred Sangerがインシュリンのアミノ酸配列をトリプシン分解などを駆使して、20代半ばで決めたのは有名ですが、彼の出した実際のデータを見た人を知ってます。その人の話では、あのぼやっとしたペプチドスポットから、どうしてああいう配列結果がでたのか、データの説明を聞いてもぜんぜんフォローできなかったそうです。
それでは、「心眼で結果がわかったのでしょうか」と聞いたら、「そうとしか思えない」との返事でした。真相は知りません。でも、人が見たら、汚いデータとしか思えなくても、実際には「ピン」のデータだったのですね。彼のデータがいかに良かったかは彼の後で大規模で当時のハイテクで決めたRNaseとかLysozymeはかなり配列決定に誤りがあったそうですから。でも実物のデータは一見そういうものであったのかもしれません。宇宙物理学のデータなんかは一見ゴミに見えますね。

院生が汚いデータと決めて、すぐどこかにしまってしまうようなものの中に大切なものがあったことは今まで枚挙にいとまありません。ですから、最低限数日は人の見えるところにデータを置いて欲しいものです。だいたいデータを自分で何でも十分に解釈できるなどとおもう修士1年や2年の学生がいたら傲慢だと言いたくなります。

データの汚さを突き抜けて、真理がちらっと垣間見せてくれてるような状況に出会ったら最高です。研究の醍醐味です。汚いシミやスポットの陰に、真理が隠れてることは本当によくあるのです。

わたくしが経験したエピソードを一つ。
むかし、ファージT4を毎日電子顕微鏡で観察していた、スイスのジュネーブにいた頃のことです。ある日、半分遊びがてら、T4粒子を希釈した抗血清液と混ぜて観察しました。方法は2話で触れたネガティブ染色でやりました。何かやたらに汚い画像が見えるのですが、でもよく見ると、ウイルス粒子が雪だるまのように抗体で覆われてるとしか思えないような像がたくさん観察されました。
当時T4に対する抗血清は感染に必要な細菌表面への吸着器官である尾毛(tail fiber)に対する抗体のみが含まれていると、信じられていたので、わたくしの得た電子顕微鏡はまず汚い画像の典型とでも解釈されるものでした。
この写真を机の上に置いておくと、その画像のみたこともない汚さがもの珍しいのか、デスクの脇を通るラボのいろんな人達が、これはなんなのだ、と聞きます。わたくしは、これはファージ粒子に抗血清をふりかけると、こんな風にsnowmanのように見えるんだと説明するのですが、みな首をふりふり去っていきます。
口惜しくなって、どうしたらそうだと証明するか、2日ほど考えました。そして思わず膝をたたくような良いアイデアを思いついたのです。
つまり毎日使っているファージ変異体(ナンセンス変異なので特定タンパク質が欠失している)の抽出液とこの抗血清を混合すれば、変異体のタンパクに対する抗体があれば、それだけ生き延びるのではないか、その生き延びた抗体がファージ粒子のどこか特別なところに結合しているのが観察できるのではないか。このアイデアは、大当たりでした。
見事に頭、しっぽ、首、尾毛の先端、膝部分などを作るタンパク質が沢山の変異体抽出液を用いて、またたく間に同定できました。2か月ほど馬車馬のように働きました。論文を送ったらこれは「小傑作」だからこのまま公表せよというありがたいレフェリーコメントを貰いました(J Mol Biol 1970 51:411-421)。汚い画像が一転して、思い出深い研究になりました。またこれは特定遺伝子産物に対する免疫電顕法の始めての研究となったのでした。

今わたくしどもの研究室では染色体のいろんな側面を明らかにする実験研究をやってるのですが、何がきれいで何が汚いのか、データを偏見なく見ることの難しさをしばしば感じます。もっともらしい定量データが実はひどく汚いものかもしれませんし、わずかなパーセントの細胞しか示さないような変異体やRNAiの表現型がmessyなようで実はたいへんな発見なのかもしれません。

蛍来いではないですが、汚いデータよ、やってこいです。

ところで、明日は明日の風が吹くとうそぶいていた30代が懐かしいと言う、何回か前のわたくしのブログに、コメントがありました。それで背景説明をすると。
この30代はまだかなり前半で、わたくしが面倒を見る正規の院生もゼロの頃で、論文もsingle authorで書いていた時代のことです。
最近、single authorの論文は滅多に見ませんね。いまいちばんかっこいいかもしれませんね。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-28 19:29
2005年 03月 27日

ブログのコメントを見て

畑地にある、梅の木まだ花が咲きません。つぼみはたっぷり大きくなってますが。比良の山頂は真っ白でした。

ブログのコメントはなにか自律的に議論が動き出してるので、わたくしは参加しないで興味深く読んでいます。
これが新しい、メディアなのかなと思いました。なるほど、みなさん匿名ながらとても真摯に、非常にレベルの高い意見の交換をしてますね。匿名だから、議論に参加できる人達も多いのだと思います。わたくしが、ブログなるものよく分からずに飛びついたのも、こういうことを漠然と想像していたのかもしれません。
わたくしもちろん意見があるのですが、見ていく方を優先したいと思います。
わたくしの出所進退、批判される余地は絶対に相当あります。わかってます。
旧帝大系の大学で33年間も飯を食って、なおかつスカッと消えるのでなくぐずぐずいるのですから、たたけば埃はかなり出ます。
ともあれ、研究者としての生き様を正直にさらそうと決めてます。
誤解に基づく意見もあるようですが、それもしかし、一つの意見ですからその意見の出てくる背景にはなんらかの真理が存在します。 

ところで、第2話を褒めて頂くコメントがありました。わたくしも自信作だったのですが、どうも周囲では難しすぎて、分からんとか言われて、ちょっとあの類を止めてました。
またどこかで書きます。
まだまだ試行段階です。
それから、コメントでわたくしはジャガイモはもうやりましたかと聞いてきた人が居りました。わたくしの山にいる猿はジャガイモが異常に好きなのと連作が出来ないので、サツマイモをやってます。もちろんネットで囲ってます。ただ、このネット囲いが雪でつぶれるので苦労してます。今年こそ抜本的対策をしようと決意しました。
それから、メールで読んでますと言ってきてくれる友人が数人おりました。インターネットでの口コミ何か特別な用語ありますか。インコミというのはちょっと、語感が悪いですか。
沖縄のワークショップであった人の中にも読者がいるようでした。
わたくしは、まだブログの使い方を十分分かってないようなので、コメントへの対応の仕方どうもよく分からない点があります、研究室のよく分かった人に聞くつもりです。

しまらない内容ですが、今日はここまで。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-27 22:14
2005年 03月 27日

研究費についてのわたくしの考えです

基礎科学に対する研究費の絶対的な額がまだまだ非常に少ないのですね。現在文科省の科学研究費補助金(科研費)が総額はたしか約1300億円ではなかったですか。これでも毎年増えてるのですが、我が国のすべての科学技術分野をカバーする補助金ですから、やはり少ないのです。比較として、K大の年間経費がちょうど同じくらいだし、薬品会社のトップである武田薬品の年間純利益3800億円を考えてください。
科研費以外にも競争的研究資金はあります。JSTの戦略研究費は約500億円ありますが、JSTは重点領域しかサポートしないし、完全にオープンに公募するのも一部だけです。多くの戦略分野はかなり限定されており、応募するのがなかなか難しいものばかりです。
そういうわけで、大学で基礎科学を続けようとする人達にとって、競合して獲得せねばならぬ研究費の総体としてのパイの大きさは絶対的に足りないのですね。
それではどうしたらいいか?
一つは、文科省等の研究費を提供する省庁に頑張って頂いてもっと研究費の総枠を増やして頂く。そのためには、研究者は無言ではいけませんね。その必要性を主張しなければいけませんよね。
それから、一方で研究者のなかにもイチロー、松井クラスが相当数いなければ納税者はなかなか納得しませんよね。これは省庁サイドから常に言われることです。日本国民のみなさんに誇りに思われ、親しまれ喜ばれる基礎科学でなければいけません。つまり科学者はお高くとまってはいけません。科学について、絶え間なく親しみ深いシグナルを発していなければいけない。マスコミとも良い関係を作る必要があります。
わたくし自身は研究の現場でもまだまだ頑張ってるつもりですし、また一方で社会的発言もそれなりにしてるつもりです。つまり現役最前線を目指してます。
わたくしの研究室のホームページhttp://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/から「わが国大学における生命科学の研究と教育推進の危機的状況」pdf fileをダウンロードして読んで頂ければ、日本の研究教育の状況についてのわたくしの意見はきちんと言ってるつもりです。これは文科省の政策研究所内での講演記録なのですから、本丸での発言ですので、わたくしも腹をくくってやりました。
文科省の科研費の関係者の努力によって、科研費の申請資格や利用法などは、随分改善されてきました。大学にいる人間として恥ずかしいことに、大学当局が文科省担当者よりはるかに頭が堅く、ずっと遅れた発想でいることが多くなってきました。文科省担当者が、大学がいいというならどうぞおやりください、というようなことが大学の事情で出来ないことが多くなっています。
わたくしの知り合いのかたは首都圏である大学の非常勤講師を長年やってますが、彼女は大学が許可すれば科研費申請できるのに、大学は決して認めないそうです。なぜなら、非常勤の分際で研究費などを取ろうとするなど、もともとけしからんし、もしも取ってしまったら、上にいる正規の教授や助教授が面目丸つぶれになるから駄目なのだろうと、憤慨してました。
ですから、大学の経営能力や学問に対する態度がまだまだかなり低いという事実、まずこれが第一点ですね。ご存知とも思いますが、K大などの国立大学の事務担当者は英語書類はすべて翻訳を要求してきます。その翻訳を担当するのは給与のはるかに少ない秘書さんだったりするのですね。芳しくない大学組織がたくさん温存されてます。
次に本来有力なサポーターであってもおかしくない、企業と大学のあいだが、あまり良好でないというか、円満でないのですね。大学の工学、農学、薬学関係の研究室は思いのほかに貧しい研究環境ですね。こういう分野で、いい形でのつまり発展的な研究資金の流入が企業サイドから起きるといいのですが。
しかし、企業のかたに言わせると、秘密保持とか契約事項遵守とかで、日本の大学研究室は甘いのだそうです。そうかもしれません。しかしたぶんそういうことだけでなく、研究者が国内企業に親しまれ支持される雰囲気がないことが問題なのでしょうね。大学の研究者が企業での研究者より一歩高いところにいるかのような錯覚を感じているのも、問題かもしれません。また企業サイドも大学研究室の利用のしかたがまだまだ上手でない。ひと言で言えば、もっと発展的な大学、企業関係が存在すれば、総体としての研究費のパイが大きくなるはずなのです。
それから、これはわたくしも半信半疑なのですが、日本でも税制が変われば研究費の世界も、がらっと変わるのでないかということなのです。つまり寄付に対して税金がかからなければ、かからないどころか、税での優遇があれば個人も企業も研究にたくさん寄付するであろうというものです。
英国では事実がん研究のほとんどすべては民間寄付金でまかなわれてますね。また米国では最近映画になった主人公のハワード・ヒューズの巨額な遺産による医学生物学への基金が目立った研究室300程度の全運営資金を賄ってますね。たった一人の企業家の遺産が非常に大きな影響を及ぼしてるのです。
英米の研究の足腰の強さは実は良質な民間資金が豊富に研究費に向かってるのですね。これは税制だけでは説明が出来なくて、やはり国民の「強い善意」が研究に向かってるのだと思います。わたくしには税制を変えるような方向の努力はどうしたらいいのかわかりませんので、やはり日本国民のあいだに「科学に対する強い善意」が生まれるよう微力でも努力を続けたいとおもってます。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-27 00:40
2005年 03月 26日

週末ひさしぶり天気よい

うーん、イラン戦負けてしまいました。テレビ観戦者としてはなるべく早く忘れてしまいたい試合内容でした。誰がどうこうと批判するより、次回、ホームで勝ってください。それに1週間後のホームでのバーレーン戦ではいいところ見せてくださいというところですか。それにしても、日本の強さをまったく感じなかったですね。福西による一点の瞬間はありましたが。サントスとか川口とか戦意を強く示す選手もいなかったせいかな。ぼやけばいつまででもできますが。

あさ家でTK君の論文のrevisionをしようと思ったら、彼がいろいろ対応した文章が入ってるテキストファイルがなぜかフォルダ中にないのでしらけた。彼の言うようにサーバーからフォルダをコピーしたのだが。これでは仕事開始できず。すぐメールでテキスト送れと書いたものの、まだ朝の7時半なので、土曜だし、彼は朝遅めなので、ファイルが届くまでに早くても4時間くらいはかかるでしょう。仕方ないので、恒常的に溜まってるメール一部に返事。返事しにくいメールも多く、そのうち忘れると、えらいお叱りのメールなども舞い込む。すぐ返事しにくいメールを自動的に思い出すしくみないかな、みなさんどうしてるのですか。

外を見れば天気も良さそうなので、寒そうだが、午前中はまず畑仕事でもしようと決めた。もう7,8年畑仕事を週末にはしてる。最初はヘタでしたが、いまは割合上手になって、猿に横取りされなければ、思わず満足の笑みをしてしまうような収穫もいろいろある。いまや唯一の健康法でもあるし週末の1日は出来たら地面と遊びたい。
自宅からはすこし距離があるので、週に一回しか畑地にいけない。日照りが続くと気になったりするが、自然にまかせてじたばたしない、農法です。この時期本当は忙しいはずなのだが、今年は寒いので、準備は遅れがち。それに今年は、抜本的な猿対策をするつもりなので、畑地の間取り(?)も変更必要。
論文のrevisionは午後ファイルが届いてからにする。
それから、盛り上がってる、議論にも参加したいが、仕事がぜんぶ終わってからにします。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-26 10:09
2005年 03月 25日

仕事、会議、そしてイラン戦

これで2週間分、14回ブログ書きました。
最近はこのブログ、毎日訪問者が450人以上あります。数がほぼ一定なので、同じ人達が見てくれてるのでしょうか。それに、始めの数日は数人だったのに、今では合計5000人になりました。本当に、刺激あるし、励みになります。

朝は家で一仕事。完成に近いある論文の考察部分を考えた。考察のモチーフについて、かなりいいアイデアを思いついたので、機嫌良く家を出る。

11時頃ラボでNature誌の東京支局の記者さんによる電話インタビューがあった。日本の研究資金および応募制度についての色々な質問に答えた。なにかの折りにこの問題には触れたい。

昼飯は文系学部の旧知のTさんと一緒。文系の人と話しをするのはいつも刺激になる。平素使わない脳の一部を使う感じ。活性化し、楽しかった。

午後2時から研究科会議(人数多いほう)と研究科教授会(教授のみ15,6名の小さな会議)。これが最後なので、手短な挨拶をした。創立してまだ6年の若い研究科なので、これからの発展を楽しみにしてると。これで、K大での理学部(研究科)27年間、生命科学研究科6年間のfaculty生活にピリオド。特別な感慨はない。

会議の後に、最近出た面白いデータを、関係者3人と話し合う。これがものになってくれるといいのだが。しかしいずれにせよかなりもう煮詰まってるので、決着はつくはずだし、つくべきだ。

今日の夜は10時半からサッカーワールドカップ、イラン戦、どうなるのだろう。昼飯時の予想では、ジャパンは苦戦か。敵地スタジアムもいろいろあるが、ここは特別デモーニッシュクラスの敵地らしい。ジーコ様のカリスマ力に頼るか。それとも、中村俊輔の妙技に期待するか。こう言うときは、神風とか神様だよりになる傾向がわたくしにもある。しかし、フィールドにいるジャパン選手は何を思って戦うのだろうか。祖国ジャパンか、それとも熱い応援ファンか、選手連帯か、それとも我が道の先に見える栄光か。

ところでここ3回のブログに随分コメントありますね。盛り上がってるではないですか。
これらについても、わたくしも何かコメントしたいのですが、今はちょっと忙しすぎるので、また後ほどさせてください。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-25 17:56
2005年 03月 24日

退職を間近にして その3

朝、警察署に行って免許証の更新。優良運転者なのは当たり前、更新するのみで運転しないのだから。我が家では運転好きの妻が車を事実上所有してる。しかし、最近「あなたももういい加減運転再開したらどうか」などと、言い出されてる。妻が東京に行って娘の手伝い、孫達を世話にいった時に、わたくしは長期放っておかれるので、その間空いた車を使えという意味。わたくしとしては今更という気持ちが強いが、また始めるかという気分も少しある。しかし、危ないというのがまあ正しい判断か。30分の優良運転者の講習会を聞く。わたくしのようなペーパードライバーも居るのだろうが、参加者のみなさん、確かに優良ムード。

昨日は研究室のメンバーとの研究上の話し合いや、多数の父兄(7人)と会ったので、今日は溜まった仕事を処理。それに研究面ではいくつかのデータを今後どう検証するか色々考える必要がある。

さて今日でこの表題の話題も終わりにしたいので先を急ごう。
わたくしは4月1日から、K大で非常勤研究員となることは昨日述べた。一研究員とはいえ、大型の染色体継承メカニズム研究プロジェクトの代表なので、運営責任があり、重責である。ポスドク、テクニシャン、秘書さん達の生活も守らなくてはならない。
それでは大学院生はどうなるか。彼等の生活面でのサポートもこれまでは、この研究費で行ってきた。彼等院生達は4月1日以降も同じ場所で研究するのだが、指導教員は全員変わる。わたくしは、大学の教育組織に入らないし、教員でもない。大学の規則としては指導をする資格がない。それでNY助教授の指導下の大学院生ということになった。NY助教授はこれまで長年わたくしと同じ講座の同じ分野に居たが、今後も同様に居続けるので、形式的には学生は今までの分野に居て、わたくしがそこから居なくなるという構図になる。これまでわたくしがいた分野部門は5月頃、オープンされる新築の建物に入る。この一時的に出来る、わたくしが4月から所属する分野は分子継承学と名前を付けた。ややこしくて分かりにくいでしょう。

これまでの研究室は通称「構造研」と呼んでいた。わたくしが最初に担当した講座名が生体高分子構造学といったからである。この構造研もこの3月31日で解散する。4月1日からは「自主構造研」と呼ぶことに決めた。研究室ホームページ(http://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/)に挨拶文を載せている。学生さんの自主性が高くなる期待を込めている。

わたくしは自分でいうと自慢げだが学生を育てるというか彼等に一定の能力を付与する点で、世界中のどの教授にも負けない力量を有していると、自他共に認めていたのだが、その様な能力は定年になれば日本国内ではまったくのマーケット価値がないことに気がついた。そのうち触れるであろう他の研究機関への就職活動でもみなさんわたくしのその様な能力に言及どころか、利用する気が全くないことに気がついた。世の中、「教育、教育」と叫んでるけれども、教育能力のほうの差別化については鈍感なのか本当は必要性をかんじてないか、ですね。

こういう研究室体制になったので、これから一年間は確かに研究は出来る。しかし、来年以降はどうなるのか。
次年度中にでも新たな研究費が獲得できるといいのだが。昨年、早めにどこかに申請したかったのだが、大型研究費申請資格はわたくしにはなかった。ルール的には今の研究費に専念しなさいということであった。
次年度は、まず申請資格があるのかどうか確認する必要がある。もしも科研費にこの10月に申請しても、来年の7月頃にならないと大型のグラントは審査結果がわからない。非常に困るが、しかたがない。
それで、来年4月から7月まで、いったん研究室を閉めて、運が良ければ再開するという可能性が現実味を帯びてきている(しかもそれを許してくれる研究機関を探さねばならない)。そうなったら、わたくしの競争相手は祝杯を挙げるのかそれとも同情のメールが送られて来るのか。興味深い。
なるべくなら、そうなりたくないのだが、そうなった場合の「危機管理」も今から考えている。この間、JST等の戦略研究にも可能なら申請したいのだが、染色体分配メカニズムのような基礎生命科学の分野は今の日本の「重点、重点」のかけ声にはまったくそぐわないので、応募自体が難しい。本当は「がん研究」の中道を行くような研究のはずなのだが、がんの研究費はもう既にきっちり陣容が定まっていて、そこに入ることはまず無理。つい先日、生物物理系の戦略総括の某大先生にもわたくしの研究分野は申請可能か聞いてみたが、平たくいえば「無理でしょうね」という返事をもらった。

そういうわけで、わたくしのこれからの一年半は研究費獲得の為に、労力と神経をすり減らすことになる。研究成果の論文を書きながらだから、心身共に相当大変です。
実はこのブログを始める最大の動機は、この過程のわたくしの考えと心の動きを同時進行的に日記的に書き続けて公開していきたいと思ったのである。研究関係の人にはかなり面白いドラマになる可能性があります。
同情はまったくいりませんが、わたくしが何を考えどう努力してるか、世間の不特定多数の人々に知って欲しい、そういう気持ちなのです。

明日は明日の風が吹く、とうそぶいていた30代の頃が懐かしい。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-24 12:20
2005年 03月 23日

退職まぢかにして その2

今日は、学位の授与式。体育館の周辺は平素見かけない背広姿やあでやかな若い人達が沢山居る。当研究室からは4人が今春に博士の学位にたどり着いた。めでたい。修士学位取得者も4人。彼等はこれからもわたくしと共に研究して博士学位取得を目指す覚悟なので、ありがたい。申し訳ない気持ちもある。残っている学生は他にまだ相当数いるのだが、とりあえず、今日はめでたい。
博士号取得者も、もらった学位の価値を下げずに、人間として、社会的存在として大いに頑張って欲しい。父母のかたがたも何人か研究室までおいでになったのでお話しをする。末は博士か大臣か、などと言われた時代ではまったくないが、しかし5年(今年は一人9年かかった猛者がいる)以上苦しい修業時代を送って専門家になるためのライセンスを受けるのは大変意義がある、とわたくしは思う。後で思うと、苦しい時代が実は一番楽しい時代であったことに気がつくものだ。自分の為だけに、5年も6年も修行するなんて、なんて贅沢なのだろう。将来は、専門家として、広く社会にたいして、もしくは自分の狭い周辺でもいいから使命感をもって、精進して、仕事をして欲しい。

さて昨日の続きだが、わたくしの机の上に「人事異動通知書」なるものがあって、通知は任命権者K大総長何某と紙の下部に記してあり、氏名欄にわたくしの名前がある。異動内容欄には、K大従業員就業規則○○条○号により平成17年3月31日限り定年退職とある。つまり、定年退職とは、人事異動のひとつらしい。

それでは、4月1日からわたくしはどうなるのか。まだ何も紙切れは貰ってないので、4月1日まで確かでない。ただ、研究科長からのお話と、事務方からの連絡では、わたくしは4月1日より非常勤の研究員になる。わたくしの場合は日々雇用といって、働いた日数分だけ給与が出るものである。時間雇用よりは給与的にましだが、一年限りの雇用で、それ以上に更新されるかどうかは分からない。
研究科ではわたくしを特任教授と呼んでくれるらしいのであるが、大学当局は知らない話である。教授と呼ばれても同僚も居ないし教授会にでるわけではないので、わたくしとしては境遇にぴったりした非常勤研究員の呼称で十分である。
実は、給与がでるらしいと決まったらしいのは、この3月になってからで、2週間くらい前の話である。先月までは無給の(交通費もでない)研究員のはずだった。そうだとすると、これは大学にとって存在しないのと同じだと、事務方は言う。「先生何をやろうとこれから完全自由ですよ」といわれて、わたくしも憮然とした記憶がある。
無給には、わたくしも怒ったが、まあ仕方ない、これで一年間はいくかと、あきらめていた。だから、今ははるかにましな話である。給与が出れば妻に対しても、おどおどしないですむ。

それでは、4月1日よりわたくしはいったい何をやるのか。わたくしとしてはもちろん毎日研究室にきて、研究をしたい、それ以外に興味はないのだが。しかし、大学的に客観性のある表現をすれば、まだ一年間期間のある文科省の「染色体の継承メカニズムに関する特別推進研究(COE)」の研究代表者を務めることである。4年目だった昨年一年間のこの研究費は5研究室に対して3億数千万、それにK大本部に間接経費として1億円以上が入っている。かなり大型の競争的研究資金でありこの拠点型と言われる研究推進の責任がわたくしにはある。実際には、この研究で雇用してるたくさんの人達の社会的雇用責任もわたくしにはある。

わたくしはもう一つ21世紀COEと呼ばれている2億円以上の文科省の大型競争的資金の代表者でもある。世の中でかなり話題となったことのある、トップ30とかいう、研究資金である。こちらは個別の具体的研究をサポートするのでなく大学院生などの研究生活や能力向上に資金を使う目的で頂いたことになっており、交代の代表者をたてることが出来るので、わたくしの役割はこの3月で退職と同時にお役はご免となる。

しかし染色体継承のほうは、代表者交替はあり得ない。そういうことで、退職のことと、研究代表者続行をいかにして学内規則に抵触しないで出来るか、これが大変なことであった。わたくしに言わせれば大学当局には巨額な間接経費を入れてるので、大学が考えて欲しかった。しかし、それはないものねだりであった。色々な可能性を探ってきたのであるが、結果として、本当にくたびれ果てるような、難しい問題の連続にはまりこんでしまったわけである。その間の事情を詳しく書くことはまだ無理なので、やめておくが、ともあれこの4月から一年間は今までの研究室でもう一年間この研究費での研究生活を送れることとなった。土壇場で有給となったのだから、まあ良かったのだろう。

しかし、わたくしは正直まだすくなくとも10年間は現役で現場の研究をやりたいので、来年4月以降のことを考えねばならない。しかし、これは現状ではお先真っ暗である。このままでは来年4月になればすべての人への給与も払えず、研究費用の代金も払えなくなる。当然今の研究スペースから追い出されるだろう。
今日はだいぶ長くなったので、この続きはまた明日にします。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-23 17:03
2005年 03月 22日

退職を間近にして その1

あと十日もすると定年退職だが、ここに来るまで色々あったので、感傷にふけるようなことはない。しかし、これからやってくるであろう研究者としての相当な苦難の日々を想像すると憂鬱になることは事実だ。しかし、日本で研究を続けようとすれば予想される当然の困難なのだ。

わたくしは数年前から退職後、現場の研究者をいかにして続けるか、思いめぐらしていた。米国に移ったらどうかと勧めてくれた人達も居たが、最初から選択肢にはなかった。その理由はちょっと申し上げにくい。
心がかなり傾いた一つのプランとして、英国C大学の遺伝学科に研究室を持って、年間の半分くらいは海外で過ごし、残り半分は出来たら国内のどこかで小さめの研究室を維持しながらやっていけないかというものがあった。幸いなことに、研究費をわたくしが日本国内で獲得できれば、C大学の可能性はかなり高いものとなった。英国にも定年制はあるので、非常に例外的にラッキーな話であった。しかし、わたくしの年齢ではウエルカムトラストも含めて、英国のグラントの新規申請は難しいとのことだった。
世話をしてくれた旧知で研究分野も非常に近いG教授は熱心に動いてくれて、ラボスペースも用意してくれた。彼はわたくしを呼ぶことが意義があるとして動いてくれてるのだが、細かいところまで気を使ってくれて、本当に友情に篤い男だ。わたくしも実際に遺伝学科を訪問して、いろいろ楽しいイメージをふくらませたものだった。
国内ではJSTの国際協同研究というものがあり、自ら応募は出来ないが、二年前には幸いその候補にもなれたので、かなり本腰を入れたグラント申請書を書いて、期待したものだった。しかし残念ながら、申請はアクセプトされなかった。どういう理由かは分からないが、漏れ聞くと審査委員の支持はほとんど無かったそうだ。そういうことはままあるので、しかたないのだが、わたくしのこれからの研究者人生を考えるうえでもっとも決定的な敗退であったことは間違いない。誤解されるのを恐れずに言えば、あのJSTグラントが通っていたら、いまのわたくしの研究者生活とはかけ離れた日々がおくれたであろうと、いまでも折々に思う。またわたくしが、研究者として自分が生まれたこの日本という国にもっとも貢献できる道ではなかったかともおもえたのだが。しかし、思い通りにいかないのが人生なのだと思わざるをえない。

しかたなくと言ってはいけないのだが、グラント申請が駄目でがっかりした頃にNature誌に公募のアナウンスのあった、沖縄科学技術大学院のInitial Research Projectの申請に本腰を入れた。これは内閣府がJSTに委託した5年間の時限の研究事業である。申請時にわたくし自身はK大教授なので沖縄に常駐しないで研究推進の責任を負うというスタイルの提案になる。うまくいけば、新規ラボが立ち上げられるので、K大での退職後も研究の現場に居られる。
ただ問題はわたくしがK大で代表者をしている特別推進COEの研究内容と重複するわけにはいかないので、まったく新規なプロジェクトを提案する必要があった。この事情はいま考えれば幸運であった。前から機会があればやってみたいと思っていた、G0細胞維持の決定因子を見つける、という挑戦的なプロジェクトを提案することにした。幸い常駐してくれるグループリーダーの候補も見つかった。研究費の申請書は英語で書いたのだが、かなり熱がこもり、充実したものを書くことが出来た。
この後はかなり込み入った話が色々あるのだが、ごくごく短く言えば、100件以上の応募の中からわれわれの提案は昨年の2月だったか、幸運にも採択された。その結果、短期間に研究室を立ち上げることとなった。そして5月にはグループリーダーを快諾してくれたSMさんとポスドク2名、それに3人のサポート要員からなる研究室が動き出した。

それでは、K大の方の研究はわたくしの定年後、どうなるのか。染色体の分配メカニズムはいまでは非常にホットな研究分野となってしまい、研究の進展は待ったなしのペースである。わたくしのところの若い人達も必死になって研究をしているのが多く、彼らの努力には十分対応するだけの時間とエネルギーも割かねばならない。しかし、10日ほど前に書いたように、研究者としてのわたくしは悲しいかなサドンデス状態なのである。
ラボはどうなるのか、学生の処遇は?秘書さんやテクニシャンの人達は?いったいどうなるのか。彼らもそうだが、わたくしも含めて、外から見れば、まったく不可解な立場におかれている。もちろん内から見てもそうなのだが。このあたり、うまく整理して、また明日にでも書きましょう。

なおトロント在住の著明な構造生物学者である伊倉光彦教授がわたくしのブログを読んでくださり、ご自身のブログ(http://blog.goo.ne.jp/mikura2005/)で定年問題を論じておられる。ご興味のあるかたはどうぞ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-22 22:56