生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2018年 08月 07日

せかせか論文を書いてます

京大で用事があり、大津の家に戻って週末は過ごしました。比良の家の、銀杏が大木になってあらためて驚きました。Iさんの意見ではこれからすごく太くなるという事でした。どうするか考えないといけません。あの極端にやせこけていた銀杏の木がこうも変身するとは。

ラボのNさんより連絡があり、かれが筆頭著者の論文がJCS誌に速攻ででたとのことです。ともあれ、最後早いのはめでたい。

この論文はセラミドがらみ、膜の構築形成と栄養取り込み問題にどっぷりはまってしまった顛末を記録したものです。長期間沢山の人達がからんでとうとうNさんの献身的努力で公表にたどり着けたものです。わたくしも自らの見方に寄ればアホですが、でも研究テーマには格段の腰の軽さを有するな、と我ながらあらためて思ってしまいました。やらせられる方はたいへんなんだという声が聞こえてきます。
わたくしがなぜそんなセラミドのような遙かに離れた話題の研究を長い期間かけてやるのをラボメンバーにお願いしたのかか、はなせば長くなりすぎてしょうがないのでやめておきます。まあ化粧品の基礎研究というよりは、やらないやらないと言い続けてた脂質の解析、リピドミックスをとうとうしてしまった、告白の記録というか、その経緯を思いおこせる個人的にはかなり感動の作品です。
この遺伝子はcwh43という変哲ないのですが、はやりの言葉でいうとハンパじゃなかったです。
今年はラボから論文を10報ちかくださねばと元旦に誓いをしました。なんとか目的に達せるかちょっときわどい。しかしかなりの野心作も含まれているので、77才翁としては、よくやっていると自らの肩を叩いてやりたいです。


# by yanagidamitsuhiro | 2018-08-07 10:56
2018年 08月 07日

オーム事件についての意見 追記

その後、A新聞で作家のIN氏のかいたオーム事件についての、評論を読む機会がありました。
なぜか非常に失望しました。
この方についてはわたくしはある種のリスペクトがありました。また沖縄にしばらく住んでいたこともあり親しみも持っていました。しかし、残念ながら、わたくしにはこの評論は非常に失望せざるをえない内容でした。
機会があるかどうかわかりませんが、いつか論じて見たいような気がします。
なるほど名のある人達が、ほとんど論じないのはやはり論じたくないのだな、とわかりました。IN氏は人がいいのだなとも思いました。



# by yanagidamitsuhiro | 2018-08-07 10:29
2018年 07月 20日

オーム事件について

オウム真理教の事件の被告たちの死刑執行が行われてから、だいぶ日がたちました。この間、骨太な評論が読めると期待していましたが、今にいたるまで見つかりません。探し方が悪いのかもしれませんが。
戦後のいろいろな事件のなかでも特殊であり、非常に規模の大きな事件を引き起こし、多面というか見える部分が多々あったので、簡単に一刀両断できるようなものではありません。
わたくしなりに整理すると、宗教的な側面を強く持った、一人の教祖のもとに絶対服従の原則のもと集まった集団でした。多数の死者、6000人以上という極めて多数の被害者を生み出しました。東京の地下鉄車内や長野の住宅地などで無差別化学テロを引き起こしました。軍事組織的なテロ集団とみなせる。
日本の法体系では多数の死刑犯を生み出したのも当然でしょう。しかし、殺戮を繰り返したテロ集団とひと言ではいいきれないような、オウム集団の歴史的な変化の推移があった。初期には、その本質が表に出る以前には、テレビのバラエティ番組などにもメンバーがよく出てきたものです。スポークスマンがテレビで延々しゃべり続けていると多数の視聴者がいるという状況もあった。このスポークスマンは自分の属した集団の犯行などは知らなかったのでり、そのために饒舌さが失われなかったのだそうです。
それゆえ、オウム集団は最初のころはそのような凶悪な犯罪集団というイメージでは社会にまったく受けとめられず、社会改良をめざすヨガを行う善意の集団という認識すらあり、そのためにテロ集団になっていく過程の理解に大変時間がかかった。実際に参加者の大半が自らの所属する集団の凶悪化にきづかず、さらには凶悪犯行の共犯役となってもその認識に乏しかった人々もいた。参加者自身はもちろん、社会的の側にも誤解が多々あり、極めて危険なテロ集団という認識にたっするのに思いの他に時間がかかった。
ある時点から軍事的行動をくりかえすテロ集団に社会認識がえられた。一方で、最後のころは何を目的とした集団であったのかわからない存在にもなったようです。裁判などに密着していてないとなかなか全体像の変化をつかむのは難しい。
軍事的組織に近いテロ集団、国家転覆も意図しかねない組織。わたくしは、殆どの参加者が逮捕収監されて以来そのような認識で過ごしてきました。第二のオーム事件がおこる気配もいまのところないようです。

個々の参加メンバーをみると人間的な魅力もあり、また後には激しく後悔し、自責の念を持った人達がいたことも事実。集団に参加さえしなければ有意な市井のひとたちとしてまっとうな人生を送れたはず。このあたりを重視すると、オーム関係者に同情的な感情を持つ人達がいることもたしか。しかし戦後最大のテロ事件、世界でも希有な実行能力をもったテロ事件という認識で見るのが一番まともとわたくしは思う。
集団死刑執行には批判がある。たしかに、あまり気持ちはよくない。
しかし、ここで間違えていけないことは、欧米ではテロ犯については現場での射殺がしばしば行われており、現場での死刑というか処刑が頻繁に行われており。これは、市民を守る為に当然と見なされているようです。
むかし、テルアビブでの空港テロの直後など欧州の空港はどこも軽機関銃を手に持った兵士で満ちていました。
集団テロは軍事行動との理解であり、対応も警察でなく軍事的になるのは当然と。

わたくしは上に述べた自分の素朴な考えが間違っているのではないかとおりおりに感じるのですが、でもいまのところまだ考えを改めるような論考には出会っていません。




# by yanagidamitsuhiro | 2018-07-20 13:33
2018年 06月 23日

6月23日、慰霊の日に考える

きょうは6月23日、沖縄慰霊の日です。
沖縄戦がどれだけ悲惨であったかは住んでみないとなかなかわかりません。また、住んでもなかなかわかるものでもありません。相当な想像力が必要だし、戦争体験者の証言をしることも必要でしょう。
でも長いこと住むと折々の体験から沖縄の戦争はどんなものであったのか段々見えてきます。

今年は読谷村にある戦争末期住民の集団自決の場のひとつだったチリチリガマを少年達が荒らし壊した事件があり、県民に大きな衝撃を与えました。少年達はその場所がどういう場所であるか知らなかったのでした。でもこの事件を契機に若いひとたちも戦争がどういうものであったのか伝わったようでした。

沖縄戦では20万人が亡くなりました。地上戦での死者が非常に多い。逃げまどった住民達が逃げ場を失い銃弾でもしくは自死した経過を考えれば、沖縄での民間戦死者を一瞬でも考えれば厳粛な気持になるのは当然でしょう。
住民の4人に一人が亡くなったと聞きます。
民間人を白兵戦の中に放置して多数を死に至らしめたことを考えれば、日本の軍事組織の犯した歴史上の大罪としていつまでも記憶されていかざるを得ないのでしょう。
沖縄への慰霊に心を砕いた昭和天皇が、ついに沖縄慰霊の旅に出られなかったのも致し方ないと思うのです。
平成天皇と皇后はとくに沖縄慰霊に心を砕きました。それでも天皇制があるかぎり、昭和の時代の天皇制下の日本がどうしてあのような国を作ってしまったのか、二つの原爆の投下と沖縄戦とともに日本の歴史が続く限り常に反芻する必要があるのでしょう。
わたくしも沖縄に住んだおかげで、明治以降の日本の国としての軌跡を沖縄からの視点でも考える事が出来てより深く理解したいとい気持が強まりました。
今月は石垣から西表に行く機会があって、西表の島でも明治の頃に大変動があったことを知りました。

わたくしは沖縄では当初、縄文時代以前の歴史に関心がありましてそちらのほうにばかり関心がありましたが年を経るにしたがいいろんな事がつながってきて、沖縄全史とでもいえるような関心に拡がってきました。

同時にこれだけ長いこと沖縄で生きて来たいじょうお礼の気持がなにかはっきりしたかたちにできないか、と最近は考えるようになりました。







# by yanagidamitsuhiro | 2018-06-23 13:03
2018年 06月 08日

北朝鮮にいつの日か。石垣島再訪。

一ヶ月もの長きにわたって何も書いてないとは。日々あくせくと忙しいというよりは特に書きたいことがこの間無かったのでした。

北朝鮮のことがよく脳裏をかすめます。近くなのに一度も行ったことがないので、一度はぜひ訪問したいと感じてました。
でも、わたくしにその機会があるのだろうか。いまの日朝の関係では遠い日々の話なのでしょうか。としたら残念です。
韓国にいっても、近くて遠い国、それでからか感慨が深いです。
中国と比べると、韓国は静かな国というのが第一印象。それから日本とよく似てるなという印象も。韓国の町をあるいていると、いろいろ似てるのが印象で、字がハングルという事を忘れそうです。

北朝鮮は、どうなのでしょう。もちろん社会主義、軍国的なところもあるし、生活レベルの苦しさもあるでしょう。大きな違いが沢山あるでしょう。
しかし大きな違いよりは庶民の考えることは近いのかもしれない。

日本は北朝鮮を長期にわたって植民地支配した。深い影響があったにちがいありません。申し訳ない。
もちろん日本に対する反発も批判もあるでしょう。しかし、隣国なので行ってみて、科学者とも話して見たい。気持ちや考えが通じるところはあるに違いありません。
なぜか、いちど行ってみたい、と最近はおりおりに強く思うのです。

そういえばあした石垣島に行きます。研究室のAOさんの結婚披露宴です。
これで二度目、石垣にはなんの縁戚もないのに、訪問するのが懐かしい感じがするのはなぜでしょうか。
前回は、石垣島と竹富島に行って、西表はいけませんでしたが今回は行けます。楽しみです。台風も避けてくれました。ラッキーです。

前回の石垣島は白保の海岸にたってなぜか自分の先祖はこの海岸から来たにちがいないという、不思議な強い感覚が湧きました。
あのような感覚は日本中他の何処でも感じたことはありません。
西表島から何かを感じるだろうかと、ちょっと期待があります。



# by yanagidamitsuhiro | 2018-06-08 17:21
2018年 05月 06日

たとえ、日本の科学技術の競争力が低下しても、変わらないものが

若手を対象のアンケートで8割が「日本の科学技術の競争力が低下した」と回答した、との日経記事を読みました。不安定な雇用や予算の制約で短期的な成果を求められることを疑問視する声が目立った。科学技術の土台が揺らいでいるとまとめています。
問題はそれでどうしたらいいのかです。残念ながら、現場でみていると、すぐ意見が分かれてしまう。問題意識は共通なのに、対策をどうするかで一緒になれない。

まず科学技術の競争力が低下したか、どうかです。競争力は実際にはまだまだあるが、しかし個人個人が十分に発揮する環境にいない。競争力をフルに発揮できる状況になってない。
そういう状態が長く続いている。それで、多くの研究者の不満が高まっている。
不満の高まりは非常なものであるが、行き場がないので、表からみると静かに見えるかもしれない。
しかし俯瞰的にみればおそろしいほどの損失がいまの日本で進行中であると、いう実感を持っています。
あの人も、この人も、そしてこの人も今が一番のいい時期なのに、将来の希望の代わりに、来年の雇用がなくなるのではないか、路頭に迷うのではないか、という強い不安に苛まされている。
なんでこんなことになったのか、これまで日本の科学技術の現場を常に調査して、これからどうなるという、客観的なマクロな予想を立てる能力が非常に脆弱と、いわざるを得ないのです。
いま起きていることはどういうことか。
客観的にみて、大学院で博士をとろうとする日本人の若者がどんどん減っている。そうならば大変な危機と思いたいが、どこの誰がそうおもうべきか、大学にいる教員の多くの実感であるが、それが産業界や国のレベルでの危機感につながってない。
なんとかなるという楽観的な考えがいまだ強いのかもしれない。

日本の大学はもう随分前からトップダウンになってきて、学長の権限は驚くほど強いと言われています。しかし、この日本の科学技術の土台が揺らいでいるという事実を最重要項目として徹底的に検証する作業はどこかでやっているのか?
残念ながらあまり希望の持てるニュースは聞こえてきません。
若者に聞かれたら、なんとかなるという楽観的な人生観を持っていたら、才能より情熱が大切、ダメで元々くらいの気持があったら、研究の世界にいらっしゃいと、いまのわたくしに言えるのはそれくらいです。
ただ最近わたくしは役に立つ研究もやりだして、特許とかそういうものにもはまり込んでしまっています。ですから、そういう実利的なものもたいへん面白いし、運がよければ大金持ちか資本家になれる(!)とすらいってみたいです。
研究のおもしろさは昔も今もなにも変わっていないのです。そこをわかってほしい。
つまらなくしているのはその時代の人間のせいだと。
特に指導者がつまらなければ、世の中はどんどんつまらなくなる。
しかし、かれらがいつまでものさ張っているわけでない。時代は変わる。
若い人達も、参加すれば至上の楽しさが味わえるかも、といいたいです。
でもダメなときは自分でけじめをつけましょうね。
この点はホントに昔も今もかわらない。





# by yanagidamitsuhiro | 2018-05-06 11:51
2018年 04月 30日

アマリリス、ことしは立派

先生、ブログどうしたのですか、とあちこちでいわれます。書く頻度が低すぎるということです。
日中はたらきながら、こんな事書こうかとおもっても晩ご飯を食べた後に、まだ書きたいと思うことは稀になってしまって。
きょうのはアマリリスです。開花期は終わったのですが、今年は一本ひょろっと出ただけで、残念とおもっていましたが。なんと2本目も出てきて(手前)、一本目が一つ花が綺麗に咲いてこれ以上は望まなくてもおもっていましたら、次々に咲きだして、結局大きな花が九つも咲きました。長いこと楽しませてもらいました。
見事というか、肥料も意識してはあげないのに、なんと素晴らしいと心から感心しました。
その後ですが、2,3日後のあさマイマイカタツムリが茎にとりついているのに気がつきました。
よく見ると茎をむさぼっています。美味しいらしいです。
色を見てもいかにも美味にみえました。

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# by yanagidamitsuhiro | 2018-04-30 13:04
2018年 04月 07日

太閤桜




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# by yanagidamitsuhiro | 2018-04-07 08:08
2018年 04月 07日

大津・京都満開桜の縦断のたび


先週末に近畿の桜は満開だろう、という報がいくつも直接、間接聞こえてきたので、1週間は早いという判断は捨てて、他のことはなげうって大津と京都の桜を見に行ってきました。
大津・京都縦断と銘打った旅行で、あまりのんびりした気配はありませんが、でも最大に堪能しました。

まず地元ですが、わたくしは大津の北にセカンドハウスを持っていて、そこに3本の桜があります。二本は最初の孫が同時に2人も産まれたのを機会にお祝いに若木を二本購入したものです。もう一本はそのもっと前に購入したセカンドハウス用の土地の内庭にいれたもので、これらがどれも見頃の花をつけるようになりました。植物もれっきとした生物ですから一生懸命咲いているその時に主が見ないというのはこれは大変まずいというので、万難をはいしてわたくしの体が動く限りは一年に一度、沖縄のように遠くに住んでいても花見の時期に見たいと思っています。
これら三本はきれいに咲いていました。日を変えて二回見に行ったのですが、後の日が満開に近く、ここまで育ったかと、比良の山々の雄姿を背景に感動してめでました。2人の孫も中学生です。もっともっと大きくなって私がまだ元気なら桜パーティをここで開きたいと強く思いました。

大津ではあと坂本と三井寺の桜も見ました。どちらも素晴らしいのですが、ことしの坂本の太閤桜はすばらしく感動しました。天気もよく、かぜもすこし吹いて、あの大木のすべての場所が満開で桜の枝がかぜになびいて花が輝くさまはちょっと何とも言えない気分でした。
大津の自宅のまえの高橋川の並木も満開で町の皆さんが楽しそうに散歩しているのをみてそういえばこれらの木々ももう40才かと思ったものでした。

京都では、地下鉄東西線の西端からすこし北上して嵐山周辺の桜と東端の醍醐の桜を楽しみました。
嵐山はものすごい観光客、世界中の人々を見ました。でも桜はいつもと同じように咲いていました。しかしすこし歩けば人の殆どいない所に行けます。
安倍晴明神社の桜、静かに咲いていました。星印を持った神社は珍しい。
神社のすぐ傍の喫茶店でケーキとミルクコーヒーを注文し、店主の女性としばし雑談。神社の由来を聞いたり、いまは繁盛しても通年で雇用を続けるのが大変との裏事情も聞いたり。そのあと車折神社に行きました。変わったところで表札も変わっていてユーモアというかブラックが上に着くような文章で面白い。石を袋にいれてこれを祈念するというのがすっかり気に入ってついつい勝ってしまいました。沖縄まで持って帰りました。祈念神石とあります。すぐそばに祈念が達成できたひとたちが感謝の念でもどした石がうずたかく積まれているのをみてこれも感心しました。

その後に広隆寺にいきました。京都に40年以上住んでも広隆寺はたぶん30年は来てないと思います。久しぶりに弥勒菩薩の温顔を拝謁したいとおもいましたが、予想よりはふたまわりは小さかったのが意外でした。思い込みというのはこういうものかと、しばし考えてしまいました。広隆寺の弥勒菩薩、まじまじとみたのは高校の修学旅行がはじめてですが、像の大きさの基本情報が記憶になかったようでした。
広隆寺のあとは天神川の地下鉄駅から醍醐寺まで行きました。コミュニティバスなるものがあってそれに乗って寺まで歩かずに行きました。
こちらも観光客は多かったが、桜がどれもこれも満開で桜吹雪のなかを歩かせてもらいました。三宝院のなかはあまりにも混んでそうなので外側の花吹雪だけで満足しました。

二日半、こころから堪能した大津京都満開桜縦断の旅でした。
生きる限りこの時期桜を楽しもうと強く思いました。




# by yanagidamitsuhiro | 2018-04-07 08:00
2018年 03月 29日

横目で見る世の中

ここのところ、かなり長い間ただただ忙しいのでした。忙しいと言えば生産的に聞こえますがそうでもない。でも非生産的でもない。目一杯働いているのですし、無駄なことでもないので、意味というか意義はあるのですが、でもま仕事に埋没しているといっておよそ当たっているのでしょう。こういう時は毎日世の中をすっきり正面から見るのがむずかしく、わたくしは横目で見てると自分で納得しています。
新聞記事も大ニュースですら横目ですから、まともなコメントは出せずで、横目的反応しかしません。ここのところ世情を賑わしてる政治ダネも正面からみることはまったくありません。唯一正面から見てるのは、美味しい食べ物でして、忙中閑、旨いものを食べた時間の前後は世の中も正面から見えてきます。
やっぱり旨いものはうまい、きょうは特に旨かった。
なんの変哲もない沖縄のそば屋にあるやさいそばなんかがやたらに美味しく感じられる事があります。しかしそうはいっても本当にうまいのはAしかないのですが。
このひどく忙しい、横目人生がいつまで続くのか、我ながらあまりにひどいと思うのですが、まだまだ半年以上は続きそう下手すると一年くらいまだ続くのではないかと心底怖れています。
横目生活がもうだいぶ続いていますのでいまや精神も健康とはいいがたい。

ごく最近、那覇の大病院で半日人間ドックに入りました。毎年詳細なデータをだすほど価値のある人間とも思えないので、一年おいてます。これからはもっと間を開けてもいいのではないかと思います。
大量のデータがでましたが、お医者さんが感心するくらい異常値は少ない。
高校生の時に発見されて以来続いている貧血気味のデータ、40才頃に発覚した境界型糖尿病を示すデータ、今年も律儀に同じ値を示しました。
30代半ばになった胃炎は今でもしっかり痕跡を残してますが、なんでも美味しく食べてますというとお医者さんはやや失望気味で、でもなにかあるでしょう。とのこと。
ということで、横目の生活もあまりストレスがきついわけではない。
ストレスはどうですか、と聞かれて、どちらかというとストレスをもらうよりもむしろああたえるような生活なのでと申しました。
そういうわけで、この横目生活それほどわたくしの健康をおかしてないことが大体はっきりしたのでもう少し続いてもなんとかいけるかなと今は思っています。


# by yanagidamitsuhiro | 2018-03-29 16:21
2018年 02月 22日

パソコンでの最高度のトラブル

ここのところパソコンの調子が悪く困っていましたが昨日にITセクションのNさんに解決してもらってまたすっかり調子よく使えるようになり喜んでいます。
なにがおかしくなったかというと、そんなに使ってないはずなのにハードディスクの残存記憶量がどんどん減ってなくなってしまうのです。
フラッシュメモリーで500Gも入れてあるのですが、最近はしょっちゅう後メモリーが20Gしか残ってないとか警告がでて、慌てて大きなファイルを除いたりしていました。
いよいよ新しいのを買わないといけないのかと思っていましたが、どうも納得がいきません。なぜかというとそこまで使ってルはずがない、という漠然とした確信。
いっぽうで、20Gしかな残ってないので、慌てて大きなファイルを捨てます。
でも、またすぐ満杯近くになってしまう。その残存メモリーの減り方のスピードがあまりに速すぎる、なにもたいして溜めてないのにすぐ満杯になる。どう考えてもおかしい。
たとえていうと、パソコン内になんか無用のものがヘドロのように溜まってきて、いるという不安感覚でした。
わたくしはパソコン知識はあまりありませんが、でもこういう経験はこれまでありません。
実際にパソコン内のストレージ(貯蔵メモリー)をあけると、シスステムという項目になんと330GBもあるのです、わたくしの力ではそれを開けて調べる事ができません。

メモリーのバックアップはアップルのタイムマシンを使っていますがそちらのほうの機器では特に異常はない。
また家と大学の行き来にはパソコンをもたないで、ドロップボックスを使って帰宅すると自分用のパソコンを開けて、さっきまで大学で作業をしていたものの続行をしています。便利です。
今回はこの自宅で使っているパソコンががメモリーがすぐ満杯になって困っていたのでした。

Nさん首をかしげて1時間くらいあれこれさがしていましたが、とつぜんなんかすごいものを発見したようでした。
もしも間違いなくわたくしが理解したとすると、メールファイルに絡んでなにかが大量に集積してしまった、ひとつのファイルでとんでもない200G以上のものがあるというのです。これがシステムの中にあった訳の分からない300GB以上の正体不明のもののようでした。
なんでそんなことが起こったのか。どうもアップルではかなりの人達がこの症状、状態にはまっていたようでした。
Nさんによると、その対応策についてかなり沢山の記事がネット上にでているようでした。
わたくしの場合はタイムマシンをもう何年も使っている過程で、巨大化するような事がおきたのかもしれません。
くわしいことは説明をちゃんと理解してないというか聞いてないので分かりません。
ただ、あっさりそのファイルを消すわけにはいかないようで、ファイルのなかに必要な情報がちょっぴりあるようです。
だから、だんだんとほぐして必要部分と不要部分に分ける必要があるとかでした。
それで一晩なんというのかほぐし作業というか、ヘドロと僅かな必須部分を分離するのか、そんなことをして頂いたようです。
翌日にもまだそれに続く作業があって、とうとう夕刻になって、300G以上の使えるメモリードメインが復活しました。

これまで、わたくしが経験したトラブルでもっともレベルの高いトラブルで。トラブルファイルは怪物的というか動物的というか教訓的でありました。
復活したあとの気分は特別にありがたく感謝の気分でいっぱいとなりました。

若いNさんに深謝です。



# by yanagidamitsuhiro | 2018-02-22 15:54
2018年 01月 20日

那覇・名護間の鉄軌道

沖縄県ではいよいよ鉄道を那覇と名護の間に作ろうということでその路線がほぼ決まったというニュースが新聞にでました。
それによると、那覇から国道58号沿いに北上して浦添、宜野湾、北谷、沖縄、うるま、恩納を経由して名護まで行くのだそうです。
線路は地下トンネル、高架、山岳トンネル・高架とあって名護・那覇間ほぼ1時間だそうです。

車通勤が必須で、また旅行者を中心にレンタカーが毎日3万5千台走り回る現状がいいはずがありません。やっと、という感じですが。
完成予定が15年後ということですから先の長い話です。

沖縄にとっては非常に大切な計画で、本当ならこの計画をもっと前にいの一番にはじめるべきものと、わたくしのようなよそものは強くおもいます。

工事費は6千億強だそうです。
良く比較されるシンガポールでは沢山の地下鉄があり、交通事情は天と地くらいちがってますが、まずどこからでもいいので、工事を始めて一駅でも二駅でも運行を開始してほしいものです。

沖縄の報道では、なぜか鉄軌道といいます。
運営主体は会社になるのか県がやるのかまだ決まってないようです。


# by yanagidamitsuhiro | 2018-01-20 13:25
2018年 01月 16日

困ったものです

今年2018年はどうなるのか、不安の念を持っている人達は多いでしょう。わたくしもその一人です。
予測できないのは、いろいろありますが、やはり米大統領が最初に来るのでしょうか。
北朝鮮の若い統領も二番目に来るのでしょうか。
これに諸外国の様子をみればどこもかしこも不安定、大きな問題を抱えてるように見えます。
核を持っている国は潜在的になにかが起きる可能性はあるくらいに思わないといけないのかもしれません。
しかし一方で世界景気は好調とかで、日本も新卒大学生は売り手市場とか、株式もだんだんかつてのバブルの時期の金額に近づきつつあるようです。
なんだか、世相を横目でみると◎◎狂躁曲とか表現された時代に似てきたような気がします。

わたくしは日本のバブルと言われた時代にちゃんといたはずなのですが、まったく気がつきませんでした。
研究にひがな夢中でなんだか主婦が財テクするとか新聞の見出しを見てもなにもピンときませんでした。
それがバブルがはじけたと聞いて初めてなんか世の中で大変なことが起きていることを知った次第。
人生で研究にのみいちばん埋没していた時期なので、バブルの実体験もなく何の教訓も持っていません。
おかげで何の損も得もしなかった。
そういうわけでこれからバブルがくるのならもう少しちゃんと観察したい、そのために経済の勉強もしようと言うことで、投資は何もしませんが、経済を自分なりに学んでいます。

いちばん怖いのは軍事ですが、どう学んだものやら。
衛星のチャンネルで真面目な国際ニュースなどあればおりおりに見てますが軍事についてこれといって賢くなったとも思えません。
怖い国は大国、小国はっきりしていますが、たぶんそういう国以外が核がらみでなにかを初めてしまうのではないか、とかその予兆がないか、この年ですから個人的な不安はないのですが、やはり日本の将来や家族の将来を考えると不安になることもあります。

2018年、今年の終わりにどんな感想をもつのか、皆目見当もつきません。
悲観も楽観もできず困りました。


# by yanagidamitsuhiro | 2018-01-16 17:51
2017年 12月 30日

2017年はながい一年でした

今年2017年はわたくしには長く感じる一年でした。
メタボライトの研究を始めてから10年近くたっていますが、人の個人サンプルを調べて老化に迫るというプロジェクトが軌道に乗ってきて、あたらしい知見を沢山理解せねばならなくなりました。新データが続々えられる時期だったので、わたくしの脳にはかなりの負担だったのかもしれません。それで一年が長く感じたのかもしれません。
やはり何歳になっても青春はあるという先人の言葉は本当で、新しいことを毎日現場で学んでいく日々はまさに「青春」そのものだったような気がします。それで一年が長く感じたのなら、ほんとありがたいことでこういう状態が何年も続いてほしいものです。
12月にはConBIOという合同年会で沢山の人達に成果について発表できたこともありがたいことでした。ただメタボローム解析はまだなじみが浅いせいもあるのか、どこまで理解してもらえたかはもうひとつ分かりませんでした。

わたくしはずっと学生時代から基礎研究ばかりしてまして、無用の用、とうそぶいていました。ここ2,3年はじめて社会的価値がすぐわかるような研究も始めたものでした。特許申請なども初めてやるという初心者経験をしたものです。それも一年が長く感じる原因だったかもしれません。この研究が今後どうなるかは分かりませんが、始めた以上なんとか有益有用なものになるように努力したいとおもっています。おかげで、わたくし自身の基礎と応用というコンセプトは、実地経験も豊かになりだいぶバランスがとれてきたような気がします。
2018年ではもうすこし具体化しないといけません。

ともあれ長い一年でした。わたくしが編集長をしていた雑誌Genes to Cellsも最近投稿数が増えてきています。この数は国内災害や、捏造事件、経済状況などを反映するという経験があるのですが、ことしはその点、良い年で、来年はもっと良くなると期待したいものです。

もうひとつ、米国のトランプ大統領と北朝鮮の若い統領金正恩この2人が世界および日本を大きく攪乱しました。これからどうなるのか、不安の時代でした。沖縄には嘉手納という最強の米軍基地があり、そこからあまり遠くないところにわたくしは住んでいますので、平和の価値は日夜強く実感しています。2018年も世界情勢とくにアジア東部が決しておそろしいほうに向かわないように祈っています。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-12-30 22:36
2017年 12月 09日

神戸での合同年会の印象

シンガポールの印象をブログには書きませんでしたがツイートのほうですこし書いた。前よりもずっと好印象です。特にDuke Universityとのキャンパスはかなりフレッシュな印象を持ちました。学生も教員も大変いい感じです。これは20年30年後が楽しみです。シンガポール政府も気を変えずにずっとサポートしたらアジアの最先端的な国際大学になると思いました。もちろんシンガポール国民は全員英語をしゃべりそれ以外にもう一つの言葉をしゃべるというのが国是のようなので、日本とは事情が著しく異なります。でも違いはおそろしいほどです。

12月6日から神戸であった合同年会(生化学と分子生物両学会)も今日9日となり終わりです。わたくし別なところで怠け参加者と自認しましたがその割には、真面目でした。
会の印象については大きすぎて、全体の会の印象を得るのは不可能。
会場分布の地理をおぼえるのが難しく、その3次元的な複雑さが記憶最終日頃にやっと頭に入る次第。
人数は非常に多いはずなのに意外に少なく感じる。会場分散と、皆が通るもしくは溜まる場所がないからか。
会いたい人を思い浮かべて何人も居たのですが、だれとも会えませんでした。たぶん来ていないのでしょう。合同といってもそれで参加者が単純に足し算で増えるわけでなく、やはり特殊な会だなとの印象。
まあ何年かに一度やればいいのかなという印象。一方で学会を合併せよという声も一部で強いのは承知してます。これは若い世代が決めていくことなのでしょう。

ともあれ今日夕方まえには大津の家に久しぶりに戻ります。

生命科学は一面の繁栄と他面の苦渋の抑制が現況でしょうか。
未曾有の困難期とみるか日本の国運の低下を考えればよくやっているとみるか、判断は難しい。わたくしはどちらも正しいのだとおもいます。好況を謳歌する研究環境と極めて厳しい環境のどちらもあるということです。集中と選択の当然の帰結でしょう。
ただ、アジア諸国は恒常的な上昇を前提としているので、日本が脱落と停滞をある程度はしかたないという方針でやっていることがこれから30年後にどう響いて結果が生じてくるのか、わたくしは悲観的です。
これから20年、30年を担う日本世代のモラルつまりやる気ですね、そのあたりに強い危惧を感じています。すでにモラルの退嬰はかなり現役トップでも顕著となりつつあるように感じます。
そうなってくるのが、選択と集中の大衆的効果の当然の帰結でしょう。さらに30^40年後に人口が三千万も減少するのですから、相乗効果も大変です。
でもごく一部の少数は素晴らしい業績を挙げ続けるとおもいます。



# by yanagidamitsuhiro | 2017-12-09 08:35
2017年 11月 12日

シンガポール大学訪問

今週末にシンガポールにいきます。
二つのキャンパスにいってセミナーもダブルで全部で4回するので、またどうも沢山の人達と会うようなので1週間以上滞在することになるようです。
かつて京大時代大学院生だったChen Ee Sinさんとやはり京大の学部生時代に研究室にいた板鼻さんのおふたりのお招きによるものです。
しばらくぶりなので、また妻も同行してくれるのでゆっくりして旧交を温めたいとおもっています。

前回はヒトゲノムの会でシンガポールに出かけて本庶先生の講演を聞いたハッキリした記憶があるのですが、何年前かハッキリしません。いまカレンダーを見ると2013年4月HGMと確かにありました。
その前にたぶん2011年頃にもいってますが、その時はChenさんに会うのが主目的だったような気がします。それとも別用だったか。
田矢さんは長いことシンガポールにいましたが、日本に帰国後亡くなりました。
思い出すたびにつらい記憶になっています。
シンガポールの国がどんな風になっているのかそれなりの興味がありますので、国柄の変化をみるのを楽しみにしています。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-11-12 23:08
2017年 11月 03日

つなぎつなぎで忙しい

この秋はやたらに忙しい。目が回るぐらい忙しいのです。
しかし、なにか大きなことを達成したかといえばそんなこともなく、ただ息つくひまなしに次から次にやることが出てくる。あちらへ走り、こちらへ走る。
こんな生活いいはずもないですが、やらなければならないことばかり。しかたありません。
あしたは関西です。連休中の土曜ですが、なんだかしりませんが、京都に戻ってこなせばならない、人と会うことがいくつか。旅行日にしては忙しい。
理髪にはいけそうもなし。息子がいうにはお父さん、ほったらかしたほうがいいじゃない。そうかもしれない。
月曜にも案件があって、終わったらその足で関西空港に行って最終便で沖縄に戻ります。今から疲れそう。助かるのはおしゃべりできる同行者あり。

昔は忙しい時は達成できることがあるので、忙しかったが今はメールではすまないのでわざわざ出かけて会うわけですから、やはり何かそのあたりに、忙しい割に成果が上がらない理由が発見できそうです。
最近なにかで「ぐたぐた」忙しいという表現がありました。
ぐたぐたはちょっとひどいので、「つなぎつなぎ」の忙しさとわたくしはこの際言っておきます。
そういう忙しさを知ってる人達がいると思います。




# by yanagidamitsuhiro | 2017-11-03 17:57
2017年 10月 21日

現場にいかないと、

昔、英国人の友人が日本に来て「開口一番、日本人はやはり日本でみると理解しやすい」「日本で会わないといけないのだな。母国でこそ日本人らしいのだ」。わたくしにとっては名言をはきました。
つまり英国のなかで旅行者やもしくは研究室の同僚としてつきあっても日本人は、なにかよくわからないことが色々ある。
それが日本にやってきて殆ど日本人ばかりの中で見ればあのちょっとした仕草や、表情の変化もろもろが理解出来る!
なぜならみんな同じようにしてるじゃないか。
食事風景、通勤風景、住宅地風景、どれをみても日本人はなるほど、こんな風に生活しているのだ、わかった、わかった、というこんな感じだったらしいです。
わたくしもインドに行ったときに似たような感想を持ちました。

昨日、京都の高校にでかけて授業風景を見せてもらいました。
ごく短時間ですが、今風の高校生はこんな感じなのだと理解しました。
男女共学ですから、男女半々くらいの高校生が座って発表したり聞いたりしているのを見ているだけでも興味深いのですが、通学中の高校生でなく授業中の高校生をみて、ふーん、とよくわからない衝撃をうけました。
未消化なので発言できませんが、やはり現場にいかないとわからないものだと思いました。
それともうひと言、高校生の顔つきはずいぶん変わったような気がしました。しかし、一般化してはいけないかな。


# by yanagidamitsuhiro | 2017-10-21 21:17