生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2009年 11月 22日

日本国民の求める日本の科学技術研究のレベル、

午後3時くらいから雨となり、外での作業もできなくなり、家の中に入りました。
11月末でもまだ植物は成長し、その植物のなかには雑草も含まれます。アーティチョークが6本みな立派に育ったのですが、これらがどう冬を過ごすのかわたくしがよく分かっていません。

日本の国民は一般的に自国の科学技術水準がどの程度であることを強く願っているのでしょうか。
わたくしにはよく分かりません。
なにも強く願っていないのかもしれません。
ただ言えることは、いまだったらアジアの中で相対的にベストである。これは間違いないでしょう。しかし、世界の中では人口あたりで見るとかならずしもトップクラスつまり世界の5位とかになるとかいうと、疑問があります。このあたりの認識もいいのでしょうか。
スイスは人口がだいたい九州くらいで、面積もそれくらいです。スイスと九州の生命科学を比較すればスイスがずっと上でしょう。首都圏だと東京の半分くらいの人口になってしまうのですが、それでもいい勝負ではないでしょうか。
オーストラリアはノーベル賞受賞者の数は日本の半分くらいですが、人口は4分の1くらいでしょうか。おおざっぱに見ると日本はオーストラリアなどより格段に水準が上そうですが、でも吟味するとそんなことはないのです。医学生理学賞の数では日本はぜんぜん負けています。
アジアの中での日本の科学技術の水準はかなり揺らぎだしています。シンガポールに行けば誰でも理解出来るとおり、ここには世界のタレントというか世界中から能力の高い、また実績の非常にある研究者があつまってきています。米欧ばかりでなく日本、インド、ロシア、中国はいうまでもありません。横浜市くらいの人口ですが、シンガポールの生命科学の話題になる頻度は日本の国全体に負けないくらいです。中国はものすごくアグレッシブに先端研究をサポート始めています。世界ナンバーワンの米国のシステムを徹底的に模倣することから始めています。尋常でない数の中国の若者が米国に行き、育ちいま帰国し始めています。5年ではまだまだでも10年も経過すると世界を席巻するような業績が出てくる可能性があります。

日本の状況にはいい材料がありません。
大学院の博士後期課程にくる若者が激減しているとよく聞きます。わたくしは学生と接することはまったくなくなったので分かりませんが、優秀な若者が減ったと、たまにしかいない、と東大や京大、名大、阪大の先生から聞かされます。
理由は若者から研究の世界は見放されつつあるという意見が教授先生のあいだでは強いようです。
わたくしが想像するに奨学金の返済が義務化されつつあるようになったあたりから、日本社会が大学で研究する若者を見捨て始めたと思っています。
世間でいうおばさんと話しても、苦学する学生なんてマイナスイメージでしかない、そういう感じです。お金が沢山必要で、授業料をはらい生活費をバイトや親の仕送りでえて、それで30才ちかくなる生活が、社会から推奨されている生活と実感する若者はほとんどいないでしょう。それでポスドクになって年収250万以下が例外どころかありふれていれば、大学院生は社会的には物好きな若者になってしまったのです。制度的にもまた社会での扱いもそうなったのです。
日本人がどう思おうと、制度的に大学での研究、そのごのポスドクでの研究は日本では科学技術の発展は見捨てられてしまったのかもしれません。これが自民党の政治の結果です。いま民主党はそれを継承どころかさらに厳しくしようとしているようです。科学技術など当事者が必要性を叫びたてなければぜんぶばっさり切ると、きょうも仕分けの責任者が言っていました。そういうものが民主党にとっての科学技術の概念なのでしょうか。日本の未来のすべてがかかっているとはおもわないのでしょうか。
ですから決して皮肉ぽくやすねていうのでなく、日本社会は大学院での研究が衰退してもしかたがない、というかそんなことにかまってられないくらい、社会経済の低下に対応するので精一杯なのだと思います。
わたくしは数年前まで精一杯わかものに博士をとってもらうべく人生の情熱をかけてきたつもりですが、最近は結果かれらに苦しみを与えるような契機を作ってしまったのか、などと思うことがよくあります。
ひとことで言って、日本の科学技術研究は今回の仕分けのような扱いを受ければ志望する若者はますます減り、いいことを探すのが困難になってきたような気がします。

いっぽうで若者、若者といって、十分に錬磨される環境にいない、力をつけていない若者を独立して研究室を主宰させれば、研究は世界の中での格闘技のような行為ですから、世界の競争相手からコテンパンにやられるだけでしょう。気概、迫力、能力、どれをとっても後発のアジアの若者に勝てない事態が目の前まで来ているような気がします。
日本国内での研究職は日本語の壁で守られていますが、その壁も世界の中で勝っていくにはかえって手かせ足かせなのです。
国民が研究者よ、多いに説明しなさいよ、めげずに頑張りなさいよ、などと言っていて本当にいいのでしょうか。能力ある人間がどんどんいなくなっていて、それでいいのですか、とわたくしは問いたいです。
もっと日本の貧しい研究の実情に関心を持って欲しいです。

by yanagidamitsuhiro | 2009-11-22 16:18


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