生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 06月 09日

「過剰」なポスドクについて On 'excess' postdocs

一度は書かねばと思っていた、オーバーポスドク、つまり定職に就けないポスドク増大の問題です。
このこと、わたくし数年前から聞いており、いちおう考えていました。ある程度考えが固まったから、文科省の研究所のかたが訪問されたときに意見を開陳したことはありますが、どうも吃驚されたようなので、その後はどう説明したら、頓狂な意見ではなくまともな意見とみなされるか、そちらの方を考えていました。まだまだ熟してないのですが、まあ日記ブログですし、書かせて貰います。結論的なことは最後にいいます。

定職に就けないポスドクが1万5千人とか言われてます。これを聞いて、非常に困ったと思われるかたと、当然と思う人が2種類あるのですが、わたくしは後者です。でも、無慈悲な人間と即断しないでください。

国が1兆円の科学技術関係の予算を付けるなら、そのすくなくとも半分くらいは人件費となるのがごく普通の生命科学分野の感覚ではないでしょうか。大学などで低廉な学生労働者に慣れている教授連にはもしかしたらピンと来ないかもしれませんが。欧米スタンダードなら、人件費は割合がより高いでしょう。5千億円の人件費を一人あたま年収5百万円で割ると、10万人となります。これがもしも全員ポスドク給与者となるのなら政治家的発想をすれば10万票のポスドク票田になるわけです。家族も入れればもっと数は多くなります。2兆円なら、その倍、5兆円ならその5倍、50万人となります。日本として、どの程度の数の国もしくは地方での税金でまかなう研究者が適切かは、当然そのリターンである経済的文化的工業的価値とかかわります。消防署員や警察署員や学校の先生がどれくらいの数必要か、そういう問題とはちょっと違います。ポスドクが社会からまったくいなくなっても困らないという人は少数ながらいるでしょうし。つまりポスドクを雇ったリターンが日本社会にとって相当あることを示す必要があります。わたくしはもちろん非常にリターンはあるという立場です。しかし誰にもそうおもって頂ける状況にするにはまだまだ時間がかかるでしょう。

しかし、実際のところ、問題はまだそういうところにはいってない。まだまだ問題は未熟な状態なのです。いわゆる競争的研究資金の行使はごく最近まで人件費について大変不自由でした。大学などでは、研究費があたってもなかなか思うようには人件費に使えませんでした。しかもたった一年間の任期のポスドクに就職では、腰掛け的な以上のものににはなかなかなりえません。
文科省の考えは大学よりもずっと進んでるのが現状のようですので、研究費による人件費については国レベルの考えでは著しく緩和されてきました。しかし、大学はいぜん固いです。定職以外の人間は、大学の正規メンバーとは考えないというのが、大抵の大学の執行機関の考えでしょう。

しかし、それでも大学もすこしずつ緩和されています。時代の流れに抗せるはずがありません。わたくし自身、このブログに書いたとおり、今年の三月になって始めて給与(日給)を大学からもらえる非常勤研究員としての資格が可能になり、定年退職と同時に、科学研究費からの雇用者となってます。ですから、わたくしも定年後ではありますが、定職につかないポスドクの一人みたいなものです。統計上はその一万五千人の一人なのでしょうね。

そういうわけで、今後ますます、数年間の期限付きポジションは増えます。というか、どんどん増えてほしい、増えないと困るというのが、わたくしの考えです。沖縄での研究ユニットは全員、期限付き職ですから、統計上いわゆる定職とはみなされてないのではないか思います。
ですから、まず定職シンドロームから抜け出る必要があります。それから、今までの純粋なポスドクである3年程度の期限付きなもののほかに、5年程度の長めの時限的ポジションをぜひ増やしてほしい。研究室の主宰者の大半も50才くらいまでは5年程度の時限付きポジションで十分なはずです。研究者にはわかいうちは、基本的には定職はほとんどない、これが「常識」になってほしい、これがわたくしの正直な意見です。
しかし、増えるばかりでは、納税者が納得するはずがありません。当然減らす人員も必要です。誰たちを減らしますか?いわずとしれた恐ろしく不効率な大学などにいるいろんな人達です。具体的にはあまりいいたくありません。賞味期限が10年も前に切れている主宰者達にもお引き取り願わねばなりません。大学の職員とか教員、研究員も競争の中に入って頂かないと。この定職数のスリム化は未来的に必然と考えたいです。

いっぽうですべての博士研究者が主宰者にならねばならぬという、心理的シンドロームを捨てるべきです。
博士の学位をとっても、朝9時から午後5時まで、週休2日をしっかり取って、年間ゆるされた期間いっぱいの休暇を取る、こういう生活をずっと続けても十分professionalとして通用する研究員が増えるべきです。主宰者になるのはまっぴら、でも雇用されたらしっかり仕事が出来る博士取得者が多数いて欲しい。日本が科学技術立国になって、世界に冠たる国になろうとするのなら、そのような主宰者にならない博士取得者が非常に多数いて、かれらが精神的にも社会的にも充実した人生を送れるようになれるといいのです。
主宰者はやはり一生あくせく競争するのが好きな人間に任せるべきです。これは言い過ぎでしょうが。

そのためにはどうしたらいいのか、
1 政府にはコンスタントに科学技術に予算を付けて貰って、一定数の博士取得者の雇用を確保して貰う。博士資格を必要とし、主宰者と非主宰者の比率をたとえば1:3とか1:5のような期限付きの職を多数確保する。
2 いっぽうで、このような職につくものにはある程度低廉な給与でもしかたがないという認識が必要だと思われます。東京で税込み年収500万円は家族を養うには十分でなくとも、地方なら工夫次第で十分可能です。共働きはこの博士取得者にはつきものですから、若いポスドクならもっと低い給与でもしかたがないでしょう。科学研究に従事する人達には誰もが羨む素晴らしい特典が沢山あるのではないでしょうか。こういう期限付き職に50才くらいまで就いている人生というのはきつすぎるでしょうか。わたくしはそのような可能性を十分視野に入れてこれからの日本で研究を続ける人がたくさんいて欲しいものです。演劇や美術とか陶芸とか志す人たちは定職どころか、ここに出てくる年収の半分や3分の1にも満たない金額でも生活してる人が沢山いるのです。研究者は特権階級ではなく、簡素な経済生活でも、知的に高い生活を送ることで、充実感を味わえる人達のはずです。

それで、結論です。わたくしはこの上で述べたあたりの考えを全部はしよって、定職に就かないポスドク1万5千人について、以下のような意見を言ってるので理解されないのでしょうね。

いいんじゃないですか。そういう人達、もっともっと増えてほしいですね。首都圏あたりの生活よりも地方でポスドクを選択して、それで研究生活やれば職住近接の可能性は高いし、ポスドクの給与でもやれるし、共働きは当然だし。地方に知的な仕事で生活をする人が増えていいじゃないですか。
博士を取ってから、5年くらいの期間で4回ポスドクをやればもう50才近いし、その頃にはそういうところで生活してれば、また別な道があるかもしれないし、それからでもいわゆる定職に就くというのも可能性もあるじゃないですか。
日本中どこにいっても博士取得者がゴロゴロいるなんて、素晴らしい国じゃないですか。世界に冠たる国になりますよ。

そもそも定職とは何でしょう。大学なら、助手、講師、助教授、教授ですか。最近ではこれに特任とかいう冠がつくとだいたい5年時限性なので、特任助手などはとうぜん定職ではないということになるのでしょう。でもいまどき、教授の下働きをする「定職」の助手なんて最悪のポジションでしょう。アカデミズムの最下層の定職がそんなにつきたいのですか。そういう職での状況が10年も15年も「定職」として続くなんて、ゾッとしませんか。それよりはポスドクの方がずっとましでしょう。
海外のすばらしい町で何年も生活できるというので、本人にはまったく過ぎた、素晴らしい配偶者を得た例は、この研究室では多すぎて勘定できないくらいです。これは関係ない話しでした。

今日のブログは長くかかって大変でした。きっちり1時間かかりました。修正に20分。やれやれ、休憩どころではありませんでした。

by yanagidamitsuhiro | 2005-06-09 18:37


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