きょうは朝から大雨で家を出る気にならないので、おかげで仕事がたいへんはかどっています。折々に室内運動をして外で歩いたような気分になっています。
長寿社会は寝たきりや認知症の人々が著しく増大して医療介護経費が爆発的に増えるとかいう憂鬱かつ極めて説得力のありそうな記事などみるとうんざりしますので、話題をもうそういう方向に振らないようにします。そちらのほうには専門家がやまのようにいますので。
それで考えたのがいかに安上がりに長寿社会を生きて最後も社会に経費負担をしてもらわないでこの世を去るにはどうしたらよいか、ようするに社会にとって、非常に安上がりの長寿老人になるにはどうしたらいいか、こういうことを考えたいですね。
ここでまず安上がりというのは、社会の負担がないということであって、自分に沢山のお金があったらそれを使うには何の遠慮もいらないでしょう。
長年働いて稼いで蓄えたお金ですから、考えて使う分には遠慮もいらないし、場合によって長寿になってもどんどん稼げたら稼げばいいのだとおもいます。
ただ医療費とか介護費とか年金とかは社会の負担が大きいので、これをどう考えるかです。年金はいらない、もらわない、医療や介護の世話にはならない、それである日ぽっくり逝く。
まあこういうイメージです。
こういう人達が長寿人口の半分近くいれば社会としては白眼視しないのではないか。
どれだけいればいいのかは分かりませんが、自分にあてはめて考えると、そのためにはどうしたらいいか、生命科学者のはしくれとしてはそれなりの考えがあります。
自分の脳、筋肉、骨がいつまでもそこそこ使えること、それによい栄養をとるのが大事。
これを書いて自分で愕然とするのは若い頃に研究したくない4大テーマがこれらでした。
なんといまでは、一番研究したくなかった栄養なんかを研究しちゃってますから、なにをかいわんやです。
もう休憩時間終わりなのでやめますが、人生が高齢期を進んででいくと予想外のことばかりがおこる、と日々実感しています。