生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2006年 02月 17日

捏造論文を公表したことに気がついた研究室主宰者はどうするか

今日は素晴らしい天気、心が浮き立つような明るい太陽光です。

わたくしが、もしも既に公表してしまった論文が実はまったくのでっちあげ、捏造データを含むことに気がついて、論文の結論も当然完全な誤りであることに気がついたとしたらどうするでしょうか。その論文は、わたくしがcorresponding authorつまり責任著者であったとします。ですから、対外的にその論文の責任者はわたくしになります。

このようなことを考えるためには、まず、その論文が捏造データを含むことに気がつく経緯があるはずです、経緯は割合単純なものから複雑なものまであるかもしれません。内からの情報で知った場合と外からの場合でもずいぶん、対応がことなります。その経緯がどのようなものであったかで考え方も対応もある程度違うかもしれませんが、しかし根本的な態度はおなじはずです。
まず、関係者というか関係の研究者に出来るだけ早く伝えなければなりません。その理由は迷惑がかかるからです。もちろん倫理的に見て、科学研究上の最大のミスコンダクトが起きているのです。

公表とは真実なものが前提ですが、誤った解釈などはよくあることで致し方ないことです。誤った実験結果は恥ずかしいのですが、理由があればしかたありません。それでも、そういう誤ったデータは学会などで適宜理由を述べて、発表でねばなりません。その後は口コミやメールで意外、よく広まるものです。しかし、捏造データが含まれていたとなると、深刻で、早くその事実を関係研究者に伝える必要があります。

しかし、その前に捏造データは誰がどう作ったのか、その原因は何なのか研究責任者としてまず事情をあきらかにしなければなりません。

そしてその究明した結果を手短かに要約して、関係研究者、所属研究機関(研究所、研究科など)の責任者に伝えて、さらに公表したジャーナルの編集者にすみやかに伝えて、撤回理由の説明と共に論文を撤回せねばなりません。直ちにではないとしても、研究費をサポートする文科省や学術振興会や財団などの機関にも伝えねばなりません。

研究者は信頼が最も大切です、捏造論文を自分のラボから公表してしまった以上、自分のキャリアと研究室の存亡がかかっているのです。

データを出した本人が、同一の研究室のポスドク、院生、テクニシャン、他研究室の研究員の場合で、究明のしかたが異なるのは当然です。ポスドクは半分独立的な面もありますが、それ以外の院生、テクニシャンであれば、彼等の出したデータが捏造であれば、主宰者の責任は重いし深刻です。
大阪大学のケースのように院生以下の学部生となれば、さらに責任は主宰者にあります。そのような独立性のない研究者の出すデータは事実上指導者が全責任を負うデータとみなされます。たとえば、テクニシャンが偽造データを作る動機を考えれば、主宰者に対する迎合の可能性が極めて大です。

ポスドクの場合はだいぶ異なり、データ捏造の責任はかなり本人にあるというのが、世界的なコンセンサスでしょう。しかし、わたくしは個人的にはかならずしも、そう思いません。やはり主宰者のアイデアとか、望む研究方向にデータが出がちであり、ボスの考えに迎合したいという気持ちがデータ捏造の温床になっているのです。ポスドクの場合でも主宰者に相当な責任がある場合が多いと思っています。

教授であるとか、研究室主宰者であるということは、こういう事態になっても、モラル的に適切な対応能力、さらに研究内容の細かい細部まで熟知してる「能力」があると判定されてなってるわけです。だから、「能力」と「資格」が問われる状況です。また一方で、研究室の全メンバーの信頼関係を維持するためにも、このような事態をハンドル出来、必要なら外部に対して詳しく説明出来なければなりません。

研究室の主宰者能力は危機になって顕在化するのです。また、主宰者の研究倫理のありかたはこのような事態でもっとも顕在化するのです。

ポスドクが出したデータが捏造だと推測しても、本人がそれを認めず、これらの結果はまちがいなく普通にやって出た結果と主張されたらどうするか、実はこのようなケースが世の中に多いことになっています。
その場合、研究室内部で追実験が必要で決着に時間がかかるかもしれません。
しかし、このような場合でも、捏造データの事態がおきた(可能性が高い)ことを、関係者にいち早くつたえ謝罪することが、主宰者の責任です。現在はメーリングリストという便利なものがありますので、100人とか200人規模の研究者に事情を伝えて、口コミで情報を早く流すことは容易ですし、瞬時に出来ます。
特に公表論文のメッセージ(捏造データに基づく)がインパクトが非常にあったときには主宰者は針のむしろに座る気持ちになるはずです。

このようにまずやるべき対応をした後で、そのあとで「裁き」を受けるわけです。裁きは広い意味での同僚、組織など色々なレベルであるでしょう。同じ研究コミュニティーレベルから属する研究機関、場合によっては記者会見などでのパブリックへの説明を要求されるかもしれません。

もしもこの過程で対応に大きな誤りがあれば、それを色々なレベルで指摘されるかもしれませんし、最悪の場合研究費や職を失うような可能性のある誤った行為(ミスコンダクト)として指摘を受けるかもしれません。

段々時間がなくなってきたので、今日の分の結論を急がねばならないのですが、大阪大学のケースの場合、昨年の5月末(5/31日のブログ参照してください)に述べたように、研究室主宰者はなんといったかというと、捏造をした学部学生は頭の良い学生なので、わたくしは完全に信じ切っていました、騙されました、という類のコメントがテレビから聞こえてきました。ですから、その時点は捏造が発覚してだいぶ後での、論文も撤回した後でのことでしょう。

しかし、この発言は事実上、自らが教授職の資格を持たないと言ってしまったとおなじことです。しかも、この後で、どなたに聞いても下村教授がわたくしが考える第1段階の説明責任をまともに果たした気配がないのです。特許申請をした、ネズミが存在しなかったなど、付帯的な出来事の、そのいい加減さは、ちょっと表現のしようがありません。

さて、時間がありません。

もしも、このようなかたちで2週間という茶番的な停職を経て、なにがどう変わるのでしょうか。阪大医学部と言うところは、当該教授は、2週間後に前とまったく変わらずに研究室主宰者として責任ある研究と教育業務が再開できると思われてるのでしょうか。たとえ、それれが3か月の長さに延長されるのだったら、それがどうして十分なのでしょう。説明責任をはたしてない(ように見える)主宰者を温存して大阪大学の未来はどうなるのでしょう。
十分に罰すればいいのではありません、説明責任を果たすのが、すべてに先行して必須なのです。それを果たせない、果たそうとしない、研究者がどうして主宰者としてやってけるのでしょう。外からの目はそういうものです。ぜひ大阪大学の関係者に分かって欲しいものです。

わたくしは、大阪大学のこの秘密主義的というか組織防衛的な問題の扱いは外からニュースなどの情報を基にしてみれば、根本的におかしいと感じるのです。またこの問題は論じます。

by yanagidamitsuhiro | 2006-02-17 11:39


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