2005年 04月 30日
今朝は異常に目が早く覚めて、昨夜10時頃早く寝たのが原因でしょうが、そのまま朝まで、一つ論文の作業を進めました。それで朝6時頃から、畑作業をしました。昨日もだいぶやったのですが、サツマイモをやろうと思った場所は一度も開墾してないので、土がひどく堅くて掘るのが大変、時間が予想以上にかかりました。いろいろの野菜の苗を42本、サツマイモの苗は40本購入して、この連休中のあいだに植える必要があります。いまは食卓に出る野菜のそうとう多くは自分の畑からとなってます。 きのうは、娘夫婦と孫二人がやって来て、賑やか。妻もいつも以上に元気が出てます。妻の母親(つまりわたくしの義母)が最近は東京の娘のところにひんぴんと遊びに来るとか。娘の言では、ひ孫ももちろん見たいのだろうけれども、孫を持った娘のげんきな姿をみたいのだろうと、の事。なるほど、そうだろうと納得。孫二人の世話は大変そうだが、わたくしはほとんど外野からの参加程度。しかし、ひさしぶりに赤ちゃんをじっくり観察するいい機会です。若夫婦二人のチームワークは良さそう。この二人は元剣道部なので、当然なのかもしれないが。 論文を書く準備をどうするか、わたくしが研究室でなにを言ってるのか、知りたいというご意見がありましたが、こう言うのはやはり口頭で聞かないとあまり説得力があるとも思えませんが、ご参考になるかもしれませんので、かいつまんで書いておきましょう。 論文書きは、生涯学習的なものなので、いまはヘタでも将来は上手になると期待しつつ延々と努力を傾けるものです。 学生くらいの時は、お手本的論文(複数)を探すこと。好きな論文、真似をしたい論文、ともあれそのような論文を持たねばならない。 それを、出来たら、暗記するくらいに自分のものとしたい。いまは流行らないが、「筆写」が大変効果がある。筆写がきらいでも、とことん覚えるくらいになれば、いつの間にやら論文が書けるようになるもの。 英語なら、コンピュータが音声を出して読んでくれる。なかなか聞ける英語なので、気に入った英語論文をくりかえし、実験中でもイヤホーンで聴くといいかもしれない。わたくし自身は、院生になった最初から、論文を自分ですぐ書こうと非常に気負ってたのを思い出します。修士2年の時に最初に書いた論文は、たしかいろんな参考論文のあちこちから頂いた(つまり盗んだ)英語だったと思われます。頂く文章がないと、どう書いていいのか分からないので、書けないという状態だった記憶があります。 このような段階は、論文書きとしては、超初歩的のレベルですが、それでもやっておけば、のちのちだいぶ違うはずです。実際非常に役立つでしょう。 ともあれ、論文書きと論文読みはまったく違う。論文を理解しても、それは論文を書けるということをまったく意味しない。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-30 20:18
2005年 04月 29日
連休前にひとつひそかに楽しみにしていたことがあった。退職金である。3月31日に退職になったのだから、連休前には出るだろう、と思っていた。しかし出ていない。 これまでのローンの借金を払って、身軽になりたいのと、長年の妻への労苦にたいして、とりあえず感謝金を払いたい。それに平素は食べにくいような場所で記念の晩飯くらい食べたいと思っていたが。 妻はK大はもったいぶってるわね、という。わたくしは往生際が悪い、と思う。 この退職金についてはいままでにおどろおどろしい感じの書類が届いていた。まず随分前に予行演習のようにあなたの退職金の概算はこれくらいで税金がこれくらい引かれます。しかし、これはあくまでも概算ですとあった。そのような書類はなんのプライバシーの保全もなく、大学内の担当事務からやってきた。 さらに2週間くらい前か、以下のような付箋付きで辞令がとどいた。 関係分野主任教員(または、担当者)殿 3月31日退職教員の退職手当の辞令が届きましたので、お手数をおかけ致しますが,貴職より交付等(送付など)よろしくお願いします。○○研究科総務掛 辞令には人事異動通知書とあり、 氏名、元職とあり、 本文は、 退職手当として金○○○○○○○○円を支給する (国立大学法人K大学教職員退職手当規定第○条第○項、附則第○項) 平成17年3月31日 K大総長○○ つまり退職金支給は人事異動通知書によることであり、支給とあるが、いつ支給するかは書いてないので、お上が気が向いたときにいつか支払われるというようなことなのでしょう。 この間の伝達には、いっさいのプライバシーは配慮されてない。この書類は親展でもないし。そもそも誰かがわたくしにむき身で直接手渡すかもしくは送付される辞令なのである。秘書さんも関係事務員はすべてこの紙切れを見た人達は、わたくしの税引き前の退職金額は知ることになる。 事務職員のだれだったか、わたくしに面前で「先生のはすごい金額ですよ」とのたまわったのがこの1月頃だから、わたくしが具体的な金額を知るはるか以前に彼等にとっては周知の事実なのだろう。 たしかに退職金の目減りが起きている昨今、わたくしは非常に運がよいほうなのだろう。定年の数年前に研究科長をして、いくつかの文科省や政府の関わる賞を頂いて、定年時の給与は数年前に比べると相当増えていた。退職金の計算には退職時の給与が係数の一つなので、多くなる。 わたくしにとって、K大の本部でやることは、なにごとによらず、信用してないので、この程度のできごとには驚いてはいない。退職金がまあ夏休み前にでればよしとしましょう。 これを読む退職間近のK大関係者がいたら、なにか参考になると思いまして、ちょっと書き留めておきました。他の大学はもうすこしましだと聞いてます。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-29 09:03
2005年 04月 28日
仕事の話し、二日目です。きょうは7人ですが、かなり内容豊富な人達もいて昨日と同じくらいの時間かかりました。これから、食事会ですのでその前にこれを書いてます。ほとんどの人は自分のテーマはつかんでるので、後はいかにしてそれを発展させ面白い話しにしていくかです。今日のも素材は素晴らしいのがあるので、楽しみです。 報告会の終わりに、論文を自分で書けるようになるのがどんなに大切か、という訓話をしてしまった。当たり前のことだがそのための努力を日夜している人は本当にすくない。どういう努力をしたらいいかをいう。 昼の食事の時間帯に、かつてのメンバーだった、KH君がロンドンから帰国後最初の訪問。懐かしい。近くの昼飯屋にいっていろいろよもやま話しを聞く。かれは医師でもあり、PhD研究者でもあり、英国ではがん研究に一石を投じるような面白い成果を挙げた。K大病院に戻り、臨床医師と研究者との二足のわらじをはくとの覚悟。出来るだけ、協力してあげたい。 あしたから、連休始まる。非常に楽しみ。しかし、とりあえず、これからの3連休のあいだに、一つ論文を相当に深化させて、ほぼ完成する必要がある。出来るかどうか、ちょっと自信はないが。 同時に、畑が待ってる。たくさんの作業をやらねばならない。 明日の朝はかなりの数の苗の購入も必要。頭の中ではかなり整理されている。畑仕事はもう7,8年やってるので、段取りに慣れたせいである。 猿が興味を示さないものと、示すものの区別をして、畑の広さに対応して苗の種類と数を決める必要がある。 けさ、食事時に妻がいうには、施工してくれているIさんのアドバイスでは、サツマイモ苗はケージの中に植えて、葉と茎はケージの外に出したらいいだろうとのこと。これには思わず大笑い。ケージ南は休耕田なのでここ数年すごい雑草になるので、そこにサツマイモの葉っぱが拡がって、芋だけはケージの中だけで育つ。そんな風にうまくいくのだろうか?でもこのアイデアはいいので、ぜひ試してみよう。一方でケージの外にあるブドウ苗については、中で実を作らせる。なるほど、それもいいかもしれない。40mxmていどのケージを有効に使う案が次々に出てくるのが面白い。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-28 18:15
2005年 04月 27日
今日と明日は、研究室の研究報告会です。年間に3回か4回、研究室全員の現状報告をやります。前回は12月末に沖縄の研究センターでG0グループと合同でやりました。 ですから、今回は4か月ぶりとなります。非常にたくさんのデータや、ややこしいデータを抱えて最低1時間以上持ち時間が欲しい人は別として、こうやってまとめて、研究の現状報告をするのが当研究室の長年の習慣です。ひとり平均45分くらいですか。議論も入れて。 きょうは8人、明日は7人ですから、一時の研究室のサイズも半分とは行かぬまでも随分小さくなりました。それでわたくしにとってはあまり重労働ではなくなりました。 今日も朝10時から、始まって、夕方6時には終わりましたので実質6時間強でしょう。そうは疲れない感じです。以前にははものすごく疲れたことがよくありました。 平素実験の話しはそれなりに聞いてますが、みんなの前で話すに足るデータを集めて、まとめて話すので、話す側はそれなりに緊張して一生懸命やるものです。 今日の成果はまあまあというところです。かなり面白いデータもあったし、このままでは困るというものあるし、でもそれぞれ頑張っていて、ひとりもおちこぼれがいないのはありがたいことです。 卒研生とか修士1年とか若い学生がまったくいないのは寂しいことでしょうが、みんなある程度の力のある若者だけになってるので、粒がそろって、気持ちがいいことは事実です。 明日は、終わった後はみんなで食事会に行くことになってます。 どこの研究室にもそれなりの流儀が研究報告会にあるでしょうが、わたくしのところのやりかたをちょっと紹介しました。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-27 18:18
2005年 04月 27日
みなさん、ありがとうございました。復活しました。ネットでの親切身にしみて嬉しく思いました。 わたくしの欠点のひとつは、大切なことを意図的に軽視する傾向があることです。もうひとつは研究上の偏見を持ちがちで、平たくいうとトピックスで好き嫌いが激しいので、直感的に嫌いとなると無視して知識を蓄えようとしないことです。さらにもうひとつは正統的な物質的知識(つまり古典的生化学)に欠ける面があることです。そんな欠点がもろに出たエピソードを一つ披露します。 温度感受性株には大別して2種類あって、高温感受性と低温感受性があります。 猫の白い毛色は温度感受性でして、鼻の近辺とかしっぽの先端で濃い色になるのは、そのあたりだけ温度が低いので正常な色の毛が生えて、体は温度が高いので色を失って白くなると、昔聞いた覚えがあります。 別にその話とは関係ないのですが、低温になると生えなくなる、低温感受性の分裂酵母の株をたくさん分離したのは随分昔のはなしです。一代目がTK君、二代目がOH君、AY君であって不思議なことにみな英国でラボ経営の経験者です。 さてこのうちOH君の調べていた、dis2なる名前の変異体のお話をしましょう。 この変異体を低温(20度)で培養すると、染色体が強く凝縮するのですが、それ以上は進行しなくて、スピンドルもいちおうできてるのですが、姉妹染色分体が両極に分配することがありません。顕微鏡でみると、非常に印象的な欠損を示すので、当時わたくしとしては大変気に入っていたものでした。 遺伝子をぜひクローン化したいということで、AY君たちも協力して遺伝子分離に成功しました。塩基配列から予想されるアミノ酸配列を調べると、機能不明のタンパク質ということになりました。この1988年頃はデータベースの検索がまだまだ原始的な頃で、アミノ酸配列が既知のものとだけ検索可能な時期でした。これがこのお話の伏線なのですが。 さて、それで酵母にあるのだが、他の生物にもあるのかということで、調べてみると、高等生物であるネズミにもありました。タンパク質としてはそっくりでした。機能未知で酵母とほ乳類とでそっくりでなおかつ染色体の分配に必須なのだから、非常に面白いものに違いないと、確信しました。 しかし、なにをやってるのかさっぱり手がかりは得られません。国際会議にも出かけていって、こんな面白い遺伝子があるし、その機能は高度に保存されてるし、なんでしょうかね、という調子の講演をたぶん(記憶がはっきりしないのですが)半年以上はやっていたと思われます。当時院生だったOH君も非常に精力的にかつ元気にやってくれていたのですが、二人で研究の話しをしてると、だれかに先回りをして機能を発見されたら困るなという不安の念が相当あったことは事実です。 確か、1988年の暮れのサンフランシスコでの米国細胞生物学会でした。またこのDis2タンパク質の話しをしました。 講演が終わって、会場で座って続きの誰か別の話を聞いてると、旧知のDB博士が真剣な顔をしてわたくしのそばに立ちました。 Dis2のアミノ酸配列を示した、スライドをちょっと見せて欲しいというのです。 それで、スライドを渡しました。 30分ほど経ってて戻ってくると、「みつひろ、わたくしはDis2がなんだかわかったぞ」というではないですか。こちらは驚いて、もちろん「なんなの、教えてよ」というと、彼はすぐには教えてくれないではありませんか。この話にも伏線があって、DB自身が彼のポスドクがあるところで講演したら、そのアミノ酸配列をみてそれがサイクリンであることに気がついた相手研究室のメンバーがいて、その件でDB博士は高い授業料を払う羽目になったのでした。 そうはいいっても、かれは真面目にわたくしの講演を聴いてないものだから、こうなるともういっぺんわたくしの話を詳しく聞かないと、なぜ我々がこの遺伝子にたどりついたのか、理解できません。 DB博士のところのポスドクをしていたBB博士がわたくしのスライドを見て、そのアミノ酸配列が彼の研究している遺伝子Bws1と同一であることに気がついたのです。アミノ酸配列を暗記するなんていう人はほとんど聞いたことがないので、BB博士は希有の人です。つまり、彼がその高い授業料を払う原因をつくったひとなのでした。しかもそれ以外に彼自身が研究していたものとわたくしたちのやっていたDis2遺伝子はまったく同じ、アプローチがぜんぜん違うのに同じ遺伝子に到達したのでした。彼の記憶力の良さにただただ感謝。しかも教えてくれた彼等に感謝。この学会でしゃべる幸運の神様に感謝です。 彼等といろいろ話して、それで一体なにをやってるのだと聞くと、彼等はにやりと笑って、これはタンパク質脱リン酸化酵素なるものなのだ。そのうちの1型といわれるものなのだと、言うではありませんか。その事実はわたくしに大変な衝撃を与えました。 たった、一ヶ月くらいまえにフランスのワークショップで旧知のRM博士の講演を聴いたものでした。かれのはわたくしの一つ前か後の講演で、糸状菌の変異で大変面白いものがとれた、それは1型タンパク質脱リン酸化酵素の変異です、と発表したものでした。わたくしは面白いものが取れましたね、おめでとうといったばかりでした。 なんのことはない、生き物こそ異なれ、同じ遺伝子の変異をやっていたのでした。しかも、おめでとうなんて、自分こそ、なんておめでたい話しではありませんか。 さらに考えてみると、わたくしは不明ながら、世の中にセリンやスレオニンのリン酸化をするタンパク質キナーゼがあることは熟知してるつもりでも、その反対反応をつかさどるホスファターゼなるものがあることを知ったのはそのようなことのおきる直前だったのでした。細胞生物の大物であるMK教授が京都に来たときに、かれから英国のスコットランドにホスファターゼばかりやってる変わったグループがある、と聞いたものでした。 自分が非常に気に入っていたDis2タンパク質がなんととうの昔に長いこと生化学をやられていたのは、喜ぶべきか悲しむべきか、よくわからずにその日1日は混乱していたことを思い出します。 しかしどうして、わたくしたちはあれほど何度も検索したのにホスファターゼを見つけることが出来なかったのか。その原因はすぐ分かりました。我々の検索法が古かったのでした。最先端の人達はDNAの塩基配列で検索していたのでした。いまは誰でも出来るのですが、当時の日本ではそれが出来る人達は周囲におらず、米国でもごく限られた人達が出来たのでした。 さいわいまだどこのグループも変異や遺伝子についての研究は発表してなかったので、我々もいそいで論文を書きました。OH君には分かったその日にすぐ国際電話でしらせたのですが、彼もショックを受けて数日間はぼう然としていたとは仲間の学生の話でした。わたくしも、自分がまったく無知の世界のものであることと、なぜ脱リン酸化酵素?、まさか、という疑念でしばらくはなにがなんだか分かりませんでした。思い入れが強かったせいもあったのでした。しかし、運良くRM,DB博士達の論文と同時に発表できたものでした。けがの功名という例えでいいのか分かりませんが。わりあいインパクトが当時世間にありました。ホスファターゼを連日猛勉強したのは懐かしい思い出です。 DB博士のbypass wee1 suppressionという表現型はいまだによくわかりませんが、我々やRM博士の変異体は動原体機能の欠損と考えると説明出来る段階に来てますが、それでもまだ この酵素の染色体分配における役割について、十分によく分かったとは言えないでしょう。 この出来事を契機にわたくしの研究室ではしばらくタンパク質脱リン酸化酵素遺伝子ブームがおこりました。この分野の大立て者のPC 教授とも親しくつきあう時期がありました。 話しが長くなりました。休憩時間を超えましたので、これでやめておきます。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-27 07:51
2005年 04月 26日
ブログの設定をいじっていたら突然きょう書いた分が消えてしまいました。 わたくしの誤操作か? タンパク質脱リン酸化酵素との出会いを詳しく書いたのに残念。 どなたかもしもセーブしていたら、メールで yanagida@kozo.lif.kyoto-u.ac.jp まで送っていただけたら幸甚です。 編集の代わりに削除のボタンを押してしまったのでしょうか? 記憶がないのですが。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-26 23:56
2005年 04月 25日
Nさんは朝から南部構内のM研究室訪問。午前遅くわたくしのラボに来て、いわゆるツアーをして頂いた。昼飯は数人のらぼメンバーと、2時頃まで、あと4人とひとりずつ研究の話しをして頂く。わたくしは同席しない。東京のNTさんの論文にとりかかっていた。内容的には面白いので、疲れない。7割くらい進んだ。 Nさんのセミナーは4時より。面白かった。出席者多数で、質問も多数あり。わたくしもいくつか質問した。トピックスはAPC/C, CSF, centrosomeプロテオミックスの三つ。 後、Nさんは皆の質問に答えた後で、別室で懇談。NE、MT教授とその後会食に出かける。Nさんの奥様も同伴。わたくしは、Nさんとは20年近いつきあいだが、やはり頭角を現す人は若い頃から明確な特徴を持っており、Nさんはそういう一人。リーダー的な特徴をしっかり持っていた。つまり意見が明確。 あさから尼崎でのJR西日本の脱線、マンションとの衝突、転覆大事故の報道あり。 やはり、というのがわたくしの最初の反応。 4月11日にわたくしは以下のように書いた。最近のJR西日本は本当にイヤな感じなのだ。 通勤にJR西日本を使っているのだが、この10年間で電車到着の時間の正確さは顕著に落ち込んできている。前は2分とか遅れれば、何度も何度もすみませんの連呼があったが最近は4,5分遅れるとアナウンスがある程度。それがうるさく感じるくらい頻度も高い。きょうは、「次の電車は各駅停車」というアナウンスがあったのに、実際には新快速が来る。訂正放送もなし。乗客も、小首をかしげて乗り込む。誰も、文句をいわない。そのうちひどい事故でも起きるのではないかと、心配になります。 この時書かなかったのだが、実はもっとイヤな感じのすることがある。それは異常な程の回数の検札だ。京都や関西空港からはるか特急にのると少なくとも5回くらいは検札に来る。じろじろ乗客をまるで検査物のように見渡しながら、車掌が歩き回る。見かねて文句を言う乗客がいるのも当然だろう。安全よりは収益、これがJR西日本のいまの体質なのは間違いない。 自宅に帰ってから、テレビを見ると、JR西日本の担当者はできたら、線路上になにか石でも置いてあったことに原因を見つけたい気持ちがありありとしており、50人もの死者、500人もの負傷者を出したことがまるで人ごとのように見えた。信楽線の時のJR西日本の無慈悲非道といえるような態度を思い出した。この会社についてはいろいろまだ書きたいのだがやめておく。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-25 22:48
2005年 04月 24日
昨日は妻の多大な協力もあり、N夫妻客人のもてなしが十分できました。感謝。研究室からも、T君、K君が参加。天気もよく、琵琶湖を広く一望にできる展望のよいところまで散歩。その後、湖岸まで。誰もいなかったが、その代わり河口のところに大小いろんな鳥が多数たむろしていた。魚がいるのだろうか。鵜はこのあたりではめずらしい。なぜか一匹おじゃま虫のようにトビが、水の外で仲間入り。トビ、こいつはほんとに変な鳥だ。なにを考えてるのか分からない。単に横着で、腹がへってるだけなのか。 夜遅くまで、のみ、くい、よくしゃべった。鯛めしのできがとてもよかった。 きょうは、昼頃から、琵琶湖大橋を越えて、信楽まで。 かれらにあのあたりの良さを味わって貰いたかったのと、わたくし自身しばらく陶器店「有楽」にごぶさたなので。若者3人展とかで興味あった。あと、いろいろ議論のあるMiho Museumにも。しだれ桜はまだまだきれい。スギゴケが大量に増えてるのに気がつく。 有楽の3人展は、36才の二人はかなりいい線いってる。よい個性あり。おひとりのはもう前からいくつか買ってあった。36才とは知らなかった。これからが楽しみだが、芸術派で生きようとすると、さぞ生活が大変だろうな。29才のかたのは、エネルギーは相当ありそうだが、まだ個性が型になってないので、購買者には難しい。これからどっちに向かうのか。 お茶を飲んでいた先客数人のうちのおひとりが後で聞くと無形文化保持者のSさんとか。78才なのだそうだ。軽やかな雰囲気でまだまだ立派に現役という感じ。わたくしも一点、非常によいものを頂き物だが持っている。 29才くらいで頭角を現して、78才でもまだまだ現場でやっていける、わたくしが頭の中に描いてる人生がこれだ。わたくしの場合最初の条件は満たせた。わたくしが師と仰ぐAK博士は79才だがまだまだ現役。どうすれば実現できるのかはぼんやり見当はついている。しかし、日本ではきわめて難しそう。それを達成するのがチャレンジではないか。話しがそれたが、陶芸の世界には親近感をもてる。有楽のご主人は損得抜きでの陶芸家の味方。本当にえらい。 N夫妻も興味深そうにしていた。 有楽のあとアンティークの「まるき」へ。久しぶり。ご夫妻とお茶をいただきながら雑談。伊万里のお皿を数枚買う。それに安価な招き猫を一体。 夕方にN夫妻の泊まる岡崎の宿まで送る。彼らに便乗してすっかり遊ばせて貰った週末でした。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-24 21:56
2005年 04月 23日
きょうは来客があるので、朝のうちにこのブログもすませておきます。 わたくしはいわゆるウイークエンドハウスというかセカンドハウスを自宅から30分ほどの山沿いに持っている。琵琶湖も比良山も見えるもじどおり風光明媚、のところにあり、ここで週末は畑で遊んでいるわけです。仕事もするので、仕事場的な感覚でもいて、そこにいたら仕事のことを忘れるのでなく、仕事と遊びが自分のなかで渾然一体となるのが目的でもあります。 この土地をみつけ家をたてるまでの経緯は、小さな本がすくなくとも一冊書けるくらいの豊かな内容があるのですが、きょうは忙しいのでそれに触れる余裕はありません。ただ、わたくしがそのような週末小屋(最初の構想)を手にしたいと願いだしたのは、ニュージーランド旅行の後だから、かれこれ10年は経ってるはずです。家族に旅行のあとでわたくしの決意を語ったのですが、妻も含め家族からはまったくなんの反応もなかったことをよく覚えております。 その後の孤独な努力(結局わたくしは家でもラボでも男のロマンの初期の部分では常に孤独です)については、世の男達に共通したものだと思います。しかし、そのうち妻が土地探しの実利部分(ハイキング)についてくるようになって、わたくしの構想の聞き役になってくれました。土地探しは何年やったことでしょう。お金がたりないのと、自分のイメージがきっちりあったので、それがみつかるまで非常に時間がかかりました。しかしひょんな事から、すばらしい土地(わたくしには)が見つかりました。それがすばらしいことが妻にわかるまでに1年以上はかかったでしょうか。 そんなこんなのいろんな思い出があるのですが、きょうは午前中からでかけて客人のN夫妻を迎えます。この時期すべてのものが息吹き自然全体がいちばん華やかに見える時期です。畑や木々の手入れにも忙しい時期です。 行く前に論文にすこし手入れをしたり、メールを書かねばなりません。 そういうわけで、きょうはここまでにします。 写真はハウスから見る比良連峰です。隣地の水田に水が入ってます。去年の写真。 ![]() ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-23 07:54
2005年 04月 22日
たしか、こういう名前の本が米国で出版された。いろいろな職業の人達の生活観、仕事観をインタビュー的に綴ったものだった(すこし違ったかもしれない)。でもなにかもう一つ、書いてある仕事観にあの頃はなじめなかったのは、若かったからでしょう。 この年になると、どんな人でも働いている人なら、その人の生活観、仕事観をちょこっと聞いてみたい気がする。たぶんどんな返事でもいまなら違和感なく受け入れられるような気がする。 わたくしは、ラボを出るときにひとりなら、きょうはなにができたかな、なにが達成されたのかな、と必ずちょっと考える。 きょうは、かなり気分良い。 気分良く、しっかりと、よく働きました。work, work, work,でした。 頭の動きが我ながら、ほんとうに調子よい。 その、成果もばっちり出ている。 それに忙しい合間をぬって三条の六曜社地下店に珈琲豆を買う時間まであったのだから良かった。その行き来に、いろいろ考えたのが午後の仕事がうまくいった原因かな。 いうことなしの金曜の1日でした。 米国で寒気に襲われて、最後の帰国の1日はよくよく寝たせいかもしれません。 ▲
by yanagidamitsuhiro
| 2005-04-22 18:13
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