生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2005年 03月 15日

風邪でダウン

昨日朝、バスを降りてから研究室までの短い距離の間に大きなくしゃみが3回出たので、よもや花粉症ではと心配したが、どうも風邪の前兆だったらしい。
夜家に帰って、食事のあとに気分がすぐれなかったが、やはり今朝起きたら頭喉鼻が駄目で、微熱が出てるので今日は出勤中止。あしたの東京での会合もキャンセル。
金曜から沖縄に行くので大事をとってます。
昼過ぎまで寝ていたせいか、気分もよくなり、起きてこのブログを書いてるところ。
今日は知恩寺の「手作り市」の日なのに、これにも行けず残念。来月も15日は外国にいそうなので、かなりがっかり。

寝ていてそんなことばかり考えていたわけでなく、この4月から来年までに博士の学位を取って貰いたい研究室のメンバーを一人一人考えていた。
何人かはもう大丈夫か、ほんとに最後の最後のデータが出れば論文を書いて投稿まで行けるだろうが、何人かはまだ先が長い。

いちばん困るのは、その後の彼らの身の振り方。「学位を取ってからあなたどうしたいの?」と聞くと、思いもよらない質問を受けたといわんばかりに、目をぱちくりされることである。こちらこそ、思いもよらない反応をされて驚くのだが。だいたい会話はここで止まることが多い。

なかにはそういう質問をされると、涙目になってしまうのもいる。

わたくしは、内心「こりゃだめだ」と呟いて、その類の質問をやめるのだが、こんなに偏差値の高い青年達が彼らなりのはっきりしたというか割り切った職業観をもてないのはなぜだろう、と考え込んでしまう。
まともに返事が出来ないのは、あまり考えたことがないのだろうか。それともかんがえすぎているのだろうか? よく分からないが後者だと考えたい。

この問題いろいろ考えてるのだが、今日のわたくしの寝てる合間の「休憩時間」はごく短いのでここまでにします。
かつて、研究室にいたYYさんがK大生のシンデレラ症候群を説明してくれたが、あれは女子学生のことだけでなく、男子学生のことでもあるのだろうか。シンデレラ症候群を説明すると、つまり誰か王子さんのような人がやって来て、自分の持ってる素晴らしい価値を認めてくれるのだと、その瞬間を待ってる人の心理をいうのだそうだ。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-15 14:56
2005年 03月 14日

石垣カフェ 余聞

昨年晩秋だったか、それとももう12月に入っていたか、ある朝研究室にいたら突然地震を感じた。震度2か3くらいか。かなり強い。しばらくしてまたおなじような地震である。地震と地震との間もわずかだが揺れている。変だなと廊下の反対側の部屋の窓の外を見に行くと、大きなクレーン車が今出川通りに近い構内の廃屋を忙しく壊している。大きなバケツの先端でコンクリートをぼかんぼかんと叩き壊そうとするのが地震と感じたわけだ。
この騒音と振動の日々が何日か続いて、長い平屋のコンクリート造りの建物は完全に壊されてしまった。当たり前のことかもしれないが、どこの誰からも、この間、現場に至近距離にいるわれわれに対して、なんの説明もない。しかし、大学ではしょっちゅうこういうことはあるから、別に驚くこともない。そのうち、数日を経て、突然ぱたりと工事が止まった。
同時に(と思えたのだが)、百万遍の角の石垣の上のところに、急ごしらえのやぐらが組まれて、この工事に対する抗議の演説が始まった。帽子をかぶった青年が流暢に演説をしている。横断歩道を横切るときだけしか聞かないので彼らの主張が十分分かったわけではない。研究室の窓はこのやぐらと直線距離で100メートルもないだろうが、窓が二重に防音になってるので、研究室からは演説は聞こえない。
この工事は、百万遍の角に新しい門を作ろうとする当局の計画にもとづいていたらしい。この石垣にはいつも大きな立て看板がたくさん置いてあるので、門が出来れば、立て看板も置けなくなるし、そもそも関係者学生などの同意を得てないし、このような門を作るのはいけないと言ってるのだろうか。そうならば、それも、そのとおりだ。
当局はだんまり作戦に出たらしい。工事をストップし(2月には再開するとの連絡は事務関係者にはあったらしいが)座り込み学生を刺激しない。この寒さである、石垣の上で座り込みといってもそのうち寒さで音を上げるだろうと。ともあれ、京都の冬の深夜は、とても寒い。もちろん昼もだが。
あの吹きさらしの石垣の上でいくらこたつと石油ストーブ(らしいものが下から見えた)があるとはいえ、また屈強な若者とはいえ、とてもじゃないが深夜と早朝に風にさらされていたら、地面のほうからの寒気も含めて、寒くてそのうち退散するだろうと。わたくしも当局の人間ならそう考えただろう。
しかし、なんとかれらは冬を越してしまった。もう桜の花が咲くのに2週間と言うところまで来てるが、まだ石垣の上のやぐらは無くなるどころか、人はいつもいるし、賑やかなものである。いつの間にか居住性も高まり、本棚に本がたくさん置いてあるし、コーヒーも飲めるらしい。大きな時計もおいてあるので、時間を確かめるのにも便利だ。石垣はかなり高いので、辿り着くのには、急なはしごを登るのだが、70才以上のおじさんがこたつに入って若者とおしゃべりをしているのを目撃したこともある。京都新聞にも好意的に出たのか、けっこうの名所的な感じになってきている。百万遍、石垣カフェ舞台というような感じにいまはなっている。わたくしは特に主張に同感したわけではないが、この寒さを頑張り通したかれらの心意気には十分に好意的であった。
当局はどうするつもりなのか。予算的には3月までにお金を使わないと、工事は完了できないのではないか。
最近、当局が作ったと思われる、工事完成図なるものが、周辺に何枚もぶら下がっているのに気がついた。その図をよく見ると、構内の土地をかなりの長さで削って後退するので、歩道が拡がり、そこで新たな低めの石垣を作るかのような絵になっている。新しい門というか入口はあるのかないのか分からないような絵になっている。現在と工事後という2つの絵で比較して、何も困ることは起きない、歩道が広がっていいじゃないか、とでもいいたいような図になっている。計画してる門を見えにくくしてるのがちょっとずるいな、と思ったのだが。
この図を昼飯の行き帰りに何度か見てるうちに、はっと気がついた。
どうも構内の削る部分の今出川沿いにある、10本以上の大木をほとんど切り倒すのではあるまいか。
もしもそうなら実にけしからん、とわたくしは突然強い怒りを覚えた。この銀杏と松等の大きな木々をなぜ切り倒すのだ。そもそもわれわれが去年北部構内から引っ越してきたこの建物は人様には決して見せたくない外観をしている代物なのだ。
これらの木はけなげにもこの建物を外部に見せないように立っている、非常に役にたっている木々なのだ。たとえ役に立って無い木々でも、構内の木々をやたらに切り倒すのは言語同断。そもそも大学の紋章は楠だろうに。構内の木を大切にするのは校風ではないのか? と次々と、怒りの種が湧いてきた。
というわけで、わたくしはいまや石垣カフェの人達とはぜひとも工事反対の点で、連帯したい気でいる。(右の赤い看板の当たりの石垣上にいま石垣カフェがある。見たい人は現地までどうぞ)
石垣カフェ 余聞_c0075365_17372820.jpg


# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-14 17:39
2005年 03月 13日

二十年選手のライブドア社長

ニッポン放送の経営支配をめぐる、ライブドアとフジサンケイの株買い占め(表現古いのかな、たぶんMAとかいうんでしょうね)による激しい競合衝突が世間の多大な関心をかちえている。わたくしも人並みに、この堀江さんという青年事業家の顔や話を随分の回数見たり聞いたりしてしまった。実は、去年野球経営に名乗り出た時のドタバタで、どんな事業をやってるのかと興味を持って、この人の著書を一冊読んでしまった。今回の買い占め事件の前のことなので、今回の一連の出来事について、ご本人が何を考えてるかについて、予備知識をすこしだけ持ってフォローすることが出来た。
ひと言で言えば、このホリエモンというあだ名のついた人は若き成功者であり、そして使命感をもって自分の考えを世間に伝えひろめたいと、思ってるらしいことである。この人の本を読むと、プライベートなことも含めて経営の実態をかなり赤裸々に書いてあるので驚く。普通経営者はそんなことは決して言わないものだと思っていた。本音は知らないが、その正直な発言のスタイルに若者を中心に支持が高いことは容易に想像できる。
金があれば何でも出来るとかいうのは、ご本人による誇張的な表現なので違和感はあまり感じない。これだって、世間の庶民はお金持ちはみんなそう思ってるに違いないと、感じてるのだから、堀江さんは正直でいいじゃないか、とむしろ彼の人気の源になってるのかもしれない。日本のお金持ちで、尊敬されてる人なんていまは数えるくらいしかいないでしょ。大会社の経営者で人気があるのは誰かいるのかな。それより、野球の松井とか新庄選手のタイミングのいい寄付行為に世の中をリードする人物像を感じてるのが世間の流れでしょう。

わたくしが言いたいのは、堀江さんは若いけれど、経営者としては10年間は経験があるということ。徒手空拳から事業家としてスタートしてるので、その10年間の企業としての拡張経験はたいへんなものでしょ。10才くらいの小学生の頃からコンピュータにのめり込んで、20才くらいで事業を興して社長さんになってるのだから、ある方向の事業を志してから、もう20年もたってるわけ。だから、彼を30そこそこの若者と甘く見てはいけない。

年とってる人達が彼を侮ったような批評をしてるのを随分聞いたけれど、どうなのかなというのが正直なところ。将棋や碁の世界でも10代の終わりの頃には10年選手なので、30才の頃には勝負師として練達の手練れ、海千山千になってるはず。人を年齢で判断してはいけない。いかなる状況で何年過ごしたかが問題。

研究の世界では、大学院が5年、ポスドクが短くて3年から長くて8,9年の経験で、研究室主宰者になれるのが望ましい経歴である。ポスドクを何年やっても、研究室経営のことは分からないので、練達の研究室経営者になるのは早くても45才くらいだろう。日本では平均的にはさらに遅くて、大学教授になる年齢が50才では練達経営者になるのはとても難しい。せっかくの研究成果をあげてるのに、日本の立派な研究者が欧米の若手研究主宰者にいいように手玉にとられてるのをみかけて残念に思うことは多い。独立できるだけの人間的力量があるのなら、独立は早いに越したことはない。

わたくしの体験では、経歴の未熟なうちにまた事業の規模が小さいうちにたくさん失敗をするのがいいようだ。
負けないように硬直した態度をとったら駄目なことはわたくしも痛いほど経験してる。相手側の立場に立っての解決策を考えてみるのが、いくさの術の本道か。
研究室主宰をしてわたくしも長いが、研究に没頭しながらも、折々に「いくさ」をせざるを得なかった。気持ちとしては,自衛のためのいくさなのだが。しかし、いくさなしにことが済むものではない。

この堀江さんのライブドアのしかけてるいくさは自衛にはまったく見えない。彼の野心と使命感なるものを実現したいためのものなのだろう。それがどのようなものか、いまはまだ見えてないので、それが見えてきて始めて真の意味でのこの人に対する評価が可能になるのだとおもっている。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-13 20:07
2005年 03月 12日

名誉なのだろうか

大学に対する長年の貢献にたいして、名誉教授の称号がいただけるとかの、通知がきた。

名誉教授制度などあってもなくてもどうでもいいのだが、まあいい加減やめたらどうか、というのがわたくしの意見。トヨタが退職した社員のだれそれを、名誉社員とか名誉課長など呼ぶと決めたら、世間もそれにしたがってそう呼ぶだろうか。やめる教授の多くが名誉教授になるのも、ご同慶のいたりなのかもしれないが、実質的な特典は何もないのだし、正直自己満足でしょ。それとも、なにかわたくしの知らない、いいことがあるのかしら。そうなら、4月以降が楽しみだが。

周囲も、いいかげんだれそれ某大学名誉教授などと呼ぶのはやめたらいいのに。新聞に実際には某私立大学教授なのにK大名誉教授とでるとヘンなかんじ。現職を隠したいのだろうか。元教授で呼んでもらったらいいだろう。昔の職をそんなに懐かしみたいのなら。でも元代議士などと呼ばれたがってるのとあまり変わらないのでは。

生計の道をたてている職業をたいていの人は自分の職と呼んでいるのだと思う。画家になりたいと痛切に思っても、実際にコンビニで働いてそれで生計を立てていたら、自分をフリーターと呼ぶか絵描きと呼ぶか、悩みに悩む若者と似たような気持ちで、わたくしは人生を送ってきたつもりなのだが。

むかし、フランスで旅行をしていたとき、ホテルでの宿帳に仲間の一人が職業欄に生物学者と書いてるのを見て、ああそんな書き方もあるのかとおもった。いまの日本でホテルチェックインで職業等を埋めるように促されることはないが、どうしても職業欄を書けといわれたらわたくしも生命学者とか細胞屋とか遺伝子業とか、これから書いてみるか。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-12 07:32
2005年 03月 11日

簡単なものほど

簡単な実験ほど奥が深い。そして解釈が難しい。でも一番面白い結果がでる可能性があり、また先人の見過ごした重要なことを発見する機会でもある。
実験を始めてまだ数年後、毎日しゃにむに実験をやっていた時期に体得した「真理」なので、わたくしの研究者稼業の原点に近い考えである。

複雑な実験でも、答えが分かっている実験はやっても面白くないし、思った通りの結果がでればますます面白くない。でも、答えのまったく見当がつかない実験をやってるとすぐ迷路にはまりやすい。複雑な実験は、迷路にはまると出ることも出来ないので、その実験をやめて、とりあえず忘れる以外に解決策がない。しかし、簡単な実験は、すぐ実行できるし、しかも奥が深いので力を蓄えるのに一番効果がある。

簡単な実験をやって、一見再現性があるようで、詳細に見るとかなりのばらついた結果を生み出してる場合がチャンスである。その様なときは全神経をとぎすまして、ありとあらゆる細部の違いを見逃さない。毛一本の違いも見逃さない、そういう気分になると、体験的には何回かに一回は「当たる」ものなのである。

「当たる」ためには、絶え間なく新しい解釈を試みるべきである。面白くない解釈と面白い解釈の両方を常に準備しながら、実験結果の細部にこだわっていくべきである。

前人未到とかいうが、まったくの未到の地は、実は誰もが知っていて、多くの人がしょっちゅう歩いている、その様な場所のすぐそばにあるものなのである。極北の高山のようにはるかにかけ離れたものだけが前人未到なのではない。

自分の成功例を引くのは気がひけるので、電子顕微鏡の観察方法でのネガティブ染色法の発明のケースをあげよう。操作は実に簡単で、人工的に作ったカーボン膜の上に試料液を一滴たらす。しばらくしたら濾紙で水滴を除いて、次に染色剤液を一滴たらす。また濾紙で水滴を除いて、膜上に残った染色物質に囲まれた試料粒子を観察する。あまりに簡単である。これは2003年にノーベル賞を授与されたブレナー博士が考案したものである。彼は他にもいろいろ業績はあるが、これも重要なものである。それまではポジティブ染色という方法を誰もが使っていた。染色剤を良く洗って、試料粒子に結合した染色物質を見る、ところがネガティブ染色の場合、洗いを横着してやらないのである。操作を一つ手抜きしてる。

電子顕微鏡の場合、試料粒子そのものは生物材料の場合見えなくて、重金属から成る染色物質を見ることになる。ネガティブ染色の場合、例えでいえば、「石膏の型」を観察するようなものである。ポジティブ染色の場合は、洗っても落ちない「染色模様」をみてる。

ネガティブ染色を実際にやってみると、見える試料像が毎回異なったり、顕微鏡の視野にある試料粒子が千差万別のように異なるので初心者はかなり困ってしまう。操作があまりに簡単なだけ、方法をどう変えたらいつも再現性よく同じに見えるのか分からない。
つまり、簡単なものほど奥が深い典型例となる。でもそのうち分かってくる。なるほど、この多様な試料像の中から適当に自分がこれだと思うものを「正しい観察像」として発表していたのだなと、分かってくる。少なくとも先人はそうしていたのだな、と。しかも簡単な操作と思っていたものが、実は決してそうでなく、操作は多種多様に変えることが可能なことに気がつく。簡単な操作のように見えて実はバリエーションはいくらでも作れる。

答えをあかせば、ネガティブ染色は石膏のような型取りではなくて、染色重金属が試料粒子を変形させ、場合によっては部分破壊を起こしながら、試料粒子の隙間、割れ目に染みこんでいくのである。だからいろいろな構造が見えるのである。もともとの構造をみたければ、出来るだけ保持出来る条件を見つけ、しかもそうして得られた観察像がもともとのものに近いのだと、証明しなければいけないのである。
さらに電子顕微鏡は焦点深度が非常に深く、立体的な構造の情報のすべてが、2次元に圧縮されて像として得られるのである。これはわれわれがまったく慣れていない画像である。つまり、前後像、内部すべてが圧縮情報としてみえてしまうのである。
こんなことがネガティブ染色法の考案の後に次々と発見されたのである。そして、本格的なコンピュータを用いた画像解析によって、画像の持つ意義ある情報は徹底的に利用され、3次元立体構造の決定に成功したのである。この間、およそ10年である。さらに周辺領域として、医療診断でのCTスキャンやMRが生まれたが、その発端は、この簡単なネガティブ染色から始まったといっても過言ではないのです。。

# by yanagidamitsuhiro | 2005-03-11 08:26