生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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2018年 10月 07日

台風24号、25号、疲れました

きょうは台風25号も二日ほど前に去って、最後の後遺症も約30分前に解消して身も心も軽くなりました。
最後の後遺症とはなにかといいますと、家庭で入れている光ネットのWIFIが使用できなくなり、また電話(使わないのでダメージはないが)も全然だめ。
24号が我が家の至近距離を通過した29日以降まったく使用不能でしたが、これが復活しました。
こころから、やれやれ、といいたいです。
指折り数えますと、あしかけ9日間もネットについてはダメでした。
住んでいるところがもともとネット環境が悪いので、NTTの光ファイバーにしたのですが、あのキーンと鳴った夜間の風ひどい時に沖縄の広い範囲でファイバーが破損したらしいです。
らしいというのは、沖縄メディアも報道しないし、NTTもつながるのには相当かかるとしか言いませんし。他の業者さんから聞こえてきました。後は想像です。
それでしかたなく、休日もラボにいって、ネットが必要なものをまとめておろしたりして。
困るのはドロップボックスがセイブ出来ないので、パソコンをラボに持って行かないと。携帯のほうはAUですが微弱な電波を拾ってましたので、なんとか家でもメールは読めました。
そんなこんなで、困った9日間、やっと終わりました。
ただ、ラボでは、電気こない、水来ない、店にいってもほとんどものが無い、ので風呂も炊事もろくろく入れないし、出来なかった人達が何人もいました。

どうしてそうなる運の悪い人達とならない人達がいるのか、沖縄七不思議と聞いてます。
わたくしのところはまったく不思議に電気も水もずっと出ました。
非常に珍しい一角のようでした。

ともあれ、沖縄生活というかどうも最近では日本全体が生活自体いろいろ難しい問題が日常的におこることが多いようです。

そういうのは、不思議なのか、当たり前なのか、正直ちゃんと判断出来ません。また、メディアもfakeとかなんとか言ってますが、肝腎な情報を拾って伝えてくれることが極めて稀となりました。
中身の薄いジャパン生活ですね。



# by yanagidamitsuhiro | 2018-10-07 17:59
2018年 09月 02日

さくらももこさんを哀悼します。

さくらももこさんがお亡くなりになりました。
漫画ちびまる子ちゃんの作者です。わたくしも沢山の読者のひとりとして、心から哀悼したいとおもいます。
わたくしは格段に熱心な読者ではなかったのですが、でもちびまる子ちゃんのお顔とアニメで聞こえるまるこちゃんの声は日本の社会に欠かせないもので、まだまだ何十年も作者と共に活躍し生き続けるものと思い込んでいました。
ですから、さくらさんが乳がんでお亡くなりになったという記事を見たときには目を疑ったものでした。
そんな話は聞いてなかった、気配も何もまったくなかった。なにもいわずにあの世に行ってしまうとは。じわじわと一人の読者としての悲しみが、かなり深いものが湧いてきました。ほんとうに残念です。
もうすこし色々なまる子ちゃんのエピソードを通じて作者のことを知りたかったでした。

その後いろんなひとがさくらももこさんやちびまる子ちゃんについて書いたものを読みました。印象的なのはだれかが、あの簡単そうな顔は、さっと描けるのではまったくなくて下書きを丁寧にして描いて、時間をかけてかき最後は下書きを消しゴムで消すというものでした。
そうなのかとつくづくまる子ちゃんの顔を見たものです。

中森さんと言う批評家の言葉に頷きました。
手塚治虫が昭和を代表する漫画家であるなら、さくらさんは平成の時代の精神の最良のものを示し続けたというものす。この方もファンなのでしょうが、おなじファンの一人として同感です。
平成は30年続いてよく失われたという冠がついたり、嬉しくない犯罪などもいろいろありましたが、でも平成の時代は日本人が芸術や学術やスポーツに一心不乱に励んだ時代なのだとわたくしは思っています。
時が経つとこの時代に日本の文化と社会は一斉に花ひらいたと後世認識されるでしょう。アニメ文化や漫画文化ばかりでなく、社会のさまざまのところで花ひらいたのです。
この時代が終わったら哀惜の念をもって思い出されるのが「平成の時代」であるにちがいありません。
元号はやたらに捨てたりしてはいけません。日本人の共通感覚、深さ浅さはあれ、大切な感覚です。

天皇皇后は来年平成の時代の終わりの言葉をわたくしたちに告げるのでしょうが、平成の時代の平和を両陛下と共に日本人は堪能したと思えるのです。
そういうかなりのつらさも伴った平成の時代に、ほんとうに生き生きとしていたちびまる子ちゃん、100年くらいは生きそうだったのに残念ながら次の時代にもはや新作を見ることができません。
とても残念です。
でも、平成の時代のちびまる子ちゃんと形容する必要はなくなりました。これから未来ずっとちびまる子ちゃんを見ると平成の時代を懐かしく思い起こせる存在になるのかもしれません。
サザエさんで戦後日本の時代を思い起こせるように。

ちびまる子ちゃんはアジアで人気の漫画だと聞きます。
彼女の精神風景はアジアの社会でのすぐれたものとして共有されていけるのかとおもうと嬉しいですね。
ちびまる子ちゃんはコスモポリタンのようですが、やはりアジアでは容易に理解される子のようですね。




# by yanagidamitsuhiro | 2018-09-02 15:45
2018年 08月 07日

せかせか論文を書いてます

京大で用事があり、大津の家に戻って週末は過ごしました。比良の家の、銀杏が大木になってあらためて驚きました。Iさんの意見ではこれからすごく太くなるという事でした。どうするか考えないといけません。あの極端にやせこけていた銀杏の木がこうも変身するとは。

ラボのNさんより連絡があり、かれが筆頭著者の論文がJCS誌に速攻ででたとのことです。ともあれ、最後早いのはめでたい。

この論文はセラミドがらみ、膜の構築形成と栄養取り込み問題にどっぷりはまってしまった顛末を記録したものです。長期間沢山の人達がからんでとうとうNさんの献身的努力で公表にたどり着けたものです。わたくしも自らの見方に寄ればアホですが、でも研究テーマには格段の腰の軽さを有するな、と我ながらあらためて思ってしまいました。やらせられる方はたいへんなんだという声が聞こえてきます。
わたくしがなぜそんなセラミドのような遙かに離れた話題の研究を長い期間かけてやるのをラボメンバーにお願いしたのかか、はなせば長くなりすぎてしょうがないのでやめておきます。まあ化粧品の基礎研究というよりは、やらないやらないと言い続けてた脂質の解析、リピドミックスをとうとうしてしまった、告白の記録というか、その経緯を思いおこせる個人的にはかなり感動の作品です。
この遺伝子はcwh43という変哲ないのですが、はやりの言葉でいうとハンパじゃなかったです。
今年はラボから論文を10報ちかくださねばと元旦に誓いをしました。なんとか目的に達せるかちょっときわどい。しかしかなりの野心作も含まれているので、77才翁としては、よくやっていると自らの肩を叩いてやりたいです。


# by yanagidamitsuhiro | 2018-08-07 10:56
2018年 08月 07日

オーム事件についての意見 追記

その後、A新聞で作家のIN氏のかいたオーム事件についての、評論を読む機会がありました。
なぜか非常に失望しました。
この方についてはわたくしはある種のリスペクトがありました。また沖縄にしばらく住んでいたこともあり親しみも持っていました。しかし、残念ながら、わたくしにはこの評論は非常に失望せざるをえない内容でした。
機会があるかどうかわかりませんが、いつか論じて見たいような気がします。
なるほど名のある人達が、ほとんど論じないのはやはり論じたくないのだな、とわかりました。IN氏は人がいいのだなとも思いました。



# by yanagidamitsuhiro | 2018-08-07 10:29
2018年 07月 20日

オーム事件について

オウム真理教の事件の被告たちの死刑執行が行われてから、だいぶ日がたちました。この間、骨太な評論が読めると期待していましたが、今にいたるまで見つかりません。探し方が悪いのかもしれませんが。
戦後のいろいろな事件のなかでも特殊であり、非常に規模の大きな事件を引き起こし、多面というか見える部分が多々あったので、簡単に一刀両断できるようなものではありません。
わたくしなりに整理すると、宗教的な側面を強く持った、一人の教祖のもとに絶対服従の原則のもと集まった集団でした。多数の死者、6000人以上という極めて多数の被害者を生み出しました。東京の地下鉄車内や長野の住宅地などで無差別化学テロを引き起こしました。軍事組織的なテロ集団とみなせる。
日本の法体系では多数の死刑犯を生み出したのも当然でしょう。しかし、殺戮を繰り返したテロ集団とひと言ではいいきれないような、オウム集団の歴史的な変化の推移があった。初期には、その本質が表に出る以前には、テレビのバラエティ番組などにもメンバーがよく出てきたものです。スポークスマンがテレビで延々しゃべり続けていると多数の視聴者がいるという状況もあった。このスポークスマンは自分の属した集団の犯行などは知らなかったのでり、そのために饒舌さが失われなかったのだそうです。
それゆえ、オウム集団は最初のころはそのような凶悪な犯罪集団というイメージでは社会にまったく受けとめられず、社会改良をめざすヨガを行う善意の集団という認識すらあり、そのためにテロ集団になっていく過程の理解に大変時間がかかった。実際に参加者の大半が自らの所属する集団の凶悪化にきづかず、さらには凶悪犯行の共犯役となってもその認識に乏しかった人々もいた。参加者自身はもちろん、社会的の側にも誤解が多々あり、極めて危険なテロ集団という認識にたっするのに思いの他に時間がかかった。
ある時点から軍事的行動をくりかえすテロ集団に社会認識がえられた。一方で、最後のころは何を目的とした集団であったのかわからない存在にもなったようです。裁判などに密着していてないとなかなか全体像の変化をつかむのは難しい。
軍事的組織に近いテロ集団、国家転覆も意図しかねない組織。わたくしは、殆どの参加者が逮捕収監されて以来そのような認識で過ごしてきました。第二のオーム事件がおこる気配もいまのところないようです。

個々の参加メンバーをみると人間的な魅力もあり、また後には激しく後悔し、自責の念を持った人達がいたことも事実。集団に参加さえしなければ有意な市井のひとたちとしてまっとうな人生を送れたはず。このあたりを重視すると、オーム関係者に同情的な感情を持つ人達がいることもたしか。しかし戦後最大のテロ事件、世界でも希有な実行能力をもったテロ事件という認識で見るのが一番まともとわたくしは思う。
集団死刑執行には批判がある。たしかに、あまり気持ちはよくない。
しかし、ここで間違えていけないことは、欧米ではテロ犯については現場での射殺がしばしば行われており、現場での死刑というか処刑が頻繁に行われており。これは、市民を守る為に当然と見なされているようです。
むかし、テルアビブでの空港テロの直後など欧州の空港はどこも軽機関銃を手に持った兵士で満ちていました。
集団テロは軍事行動との理解であり、対応も警察でなく軍事的になるのは当然と。

わたくしは上に述べた自分の素朴な考えが間違っているのではないかとおりおりに感じるのですが、でもいまのところまだ考えを改めるような論考には出会っていません。




# by yanagidamitsuhiro | 2018-07-20 13:33